第16話 攻防一体

 咲が軽い投球練習を終え、試合が再開される。

 打席に入る相手の一番バッター。その最初に対峙する相手は、小柄で一見非力そうだが、一番ということは足が速い可能性が高い。しかも左バッター。セーフティー警戒のサインをナインに送っておく。

 コクリと頷いてから、咲の動きが暫し止まる。前を見つめ、キャッチャーとコミュニケーションを取っているようでいて、でもそれは違う。ストレートしか無いんだからな。

 ただ俺は分かる。改めて一人でマウンドに立って、色々思い出して、色々考えて、そして色々感じているんだよな。練習とは全く異なる試合の雰囲気、その試合に一人で立つマウンド。何も感じない方が不自然だ。

 ――だから、その想いを球に乗せてぶつけてこい。きっと相手はそれを受け止められないぜ。

 もう一度、咲が頷いた。今のはキャッチャーとのサインの交換。

 いよいよ、投げる。腕を高く上げ、テイクバックから前へ、一気に振り抜く。

 すぐ直後、ふっ、と思わず笑みが溢れる。


「ストライーク!」


 ズバンっとキャッチャーミットから勢いのある音が響いた後に、審判の宣言もグラウンド内に響き渡る。咲の投げた球は相手の振ったバットに触れることなく、ベース上を通過した。

 ほっと息を吐く咲。それに反して、高めのボール球、その球に手を出した相手の顔は驚きと戸惑いの色が露わになっている。


「ナイスピッチング、咲!」


 返球する佳苗のその顔はマスクで見えないが、その喜び溢れる声からはニヤリと勝ち誇ったような笑みをしているのが容易に想像出来た。そしてその佳苗の声で呆然としていた相手ベンチが我に返ったように、ざわめき始めた。特に目に入った相手の相手のおっさん監督の顔なんて、驚きで瞳孔開いたまま固まっている。

 よしっ、よくいきなりぶちかましてくたぜ。

 大胆不敵にして豪快。そんな投球で咲は見事に相手を揺さぶってくれた。

 ざわめき収まらぬ中、咲が二球目を投げる。また高めに行ったそのボール球を相手は振り、ツーストライクになる。そして、三球目。っという所で、相手は今の二球であのストレートを打つのが困難と判断したのか、バットを寝かせて来た。セーフティーバントだ。 ……でも、そんな及び腰であの球をバントしようなんて愚の骨頂だ。相手の構えたバットにボールは当たらずキャッチャーに届く。バントすら許さない、ストレート。あんなノビのある球、真っ直ぐという意味のストレートと呼ぶのもおこがましい、最早魔球だ。

 とはいっても、球の勢いで誤魔化したが、今のは全部ボール球。闘志は見えても、まだ緊張で硬さがある。でも、今のアウトで大分楽にはなったんじゃないか。さあ、先は長い。徐々に、だが確実にエンジンを掛けていけよ。

 続く、二人目、三人目も三球三振でアウトに取ってきる。


「ナイス、咲々ー!」


「真田さん、ナイスです!」


「手への衝撃凄いわね……でも、ナイスピッチングよ、咲!」


「あっ、ありがとう……」


 マウンドから戻りながら、野手全員に声を掛けられる咲は照れているようだ。でも、その顔はとても良い笑顔をしている。

 さて、次は攻撃だ。


「咲、ナイスピッチング!」


「うん、ありがとう……」


「よしこのまま追加点を取って、更に咲を楽にしてやるぞ」


『おおっ!』


 さて、動揺が激しい中悪いな、おっさん。でもまだ畳み掛けさせてもらうぜ。


   ☆★☆★☆★☆★☆


「何だ、一体何なんだ、今の球は!? 何故あんな正式に出来てすらいない野球部にあんなピッチャーがいるんだ……! ――おいっ、あの球打席ではどうなってる!」


「やばいです、監督! 生きたように呻って、ボールが浮き上がります!」


「くっ、そんな球を……! しかもこの東征高校野球部を二軍だからと舐めているのか、あるいはストレートによほど自信があるのか知らんが、全球ストレートだと! ……ふざけた真似を!」


「あの球、簡単に打つのは難しそうです」


「くそっ……ともかくボール球は振るな! いいか、お前ら! 相手はストライクが入っていない! わざわざ相手を助けることはせずボール球はしっかり見送って、球数を投げさせていけ!」


『はいっ!』


   ☆★☆★☆★☆★☆


 二回の表、先頭バッターで六番の藤田がバッターボックスで構える。

 お互いに準備が完了してからピッチャーが振りかぶる。初球、アウトローにズバッと真っ直ぐが決まり、それを見送った。

 ちっ……心を揺さぶってやったつもりだったんだがそれを感じさせない、相変わらず良い球を投げるな。やはり、良いピッチャーを出してきやがったか。

 二球目、今度は真ん中から落とされたフォークに藤田が空振りをした。

 っと、丁度その時。審判のストライク宣告と共に右隣にいる佳苗が声を掛けてきた。


「常田君、咲凄かったね!」


「ああ、全くだな」


 ベンチに戻ってからチームメイトに、この回が始まってからは皆観戦する中未だに友香に絡まれている咲を一瞥しながら、佳苗が言う。それに俺も同意する。

 すると、その視線に気付いた咲が俺の左隣に、更に咲に同行した友香がその隣にやってきて座る。


「どうかした、佳苗、常田君?」


「んっとね、咲が凄かったねって話してた所なのよ」


「あっ、そっ、そうなんだ……」


 再び照れたような表情を浮かべる咲。


「確かに凄かったね! 音も凄かったし、相手もあの浮き上がる球にビビってたし! どうだ、見たか、もっとビビれ、ビビれ!」


「あんたが投げてる訳じゃないでしょ」


 ハッハッハと笑いながら、悦に浸っている友香に佳苗が呆れ気味に言う。


「でも、確かに今日も相変わらず球の勢いが凄いわね。前から思ってたけど、何で咲のストレートはあんなに浮いてるように見えるのかな? 実際は浮いてる訳じゃないのに」


「ああ、それな。咲のあの驚異的な球のノビはおそらく、ボールの回転数と傾きが大きく影響してると思うぜ」


「「「回転数と傾き……?」」」


 友香と佳苗、それから咲が同時に、疑問符を浮かべながら俺の言葉を復唱する。


「そうだ。本来ストレートってのは、バックスピンを掛けることで生じる揚力によって重力に逆らってなるべく真っ直ぐ行くように投げる球のことを言うんだ。つまり区別されるがある意味ではストレートも変化球なんだよ」


「「「へえ……」」」


 三人が感心の声を挙げる。

 おっ、真面目に反応してくれた。何か嬉しいな。


「ちなみに、その揚力っていうのはバックスピンによって生じるマグヌス効果と言う回転するボールや円柱に生じる――」


「いや、常田君、そういう詳しいのは良いよ」


 冷静に佳苗に言われた。

 あっ、そっか……いらないか……。


「……あっ、で、そのマグヌス効果によって生じる揚力っていうのは、回転数が多ければ多いほど、回転軸の傾きが小さければ小さい程発生するんだ。かつて大阪のチームで守護神を勤めていた大投手も、他の投手より多い回転数、五度程度しかない極端に小さい回転軸の傾きによって生まれる浮き上がるように見えるストレートを武器に数々の記録を打ち立ててきた」


「じゃあ、私の球は――」


「そう、そのピッチャーと同じなんだろう。それによってただでさえ打ちづらいノビのある球が、更に球速もあることによって相手にとってはより打つのが困難な球になる訳だ」


「なるほど、そんな理由があったのね……」


「ともかく咲々は凄いってことだね!」


 興味深げにそう呟く佳苗はともかく、友香は絶対分かっていない。だが、友香が言った一言。それがシンプルにして最も相応しい答えだ。


「お前の言う通りだ。咲、そんなストレートを投げれるお前はやっぱり凄いんだよ」


 その時、丁度三人目の打者の倉持がアウトになって戻ってきた。チェンジだ。

 ベンチから立ち上がった面々は、各々のポジションに就いていく。


「そっか……じゃあ、その大投手よりも凄いストレートを投げないとね」


「まあ、頑張れよ」


 マウンドに向かう咲の足は、心なしか軽やかに見える。

 その咲の投球は相変わらずボールが先行するが、ストライクも着実に入るようになってきた。だが、相手も対策を打ってきた。下手にボール球は振らず、甘い球を確実に狙って来ている。完全な真ん中は無いが、真ん中気味に寄ってしまう球が多いのもちょっと怖いな。

 とはいえ、低めのボール球にも手を出している。よっぽどノビてるんだろうな。

 その浮き上がる球に対応出来ずに、振りに来た球は見事に打ち上げてくれている。ポップフライと三振で、四番の相手ピッチャーも含めて、この回も三人で抑えた。


   ☆★☆★☆★☆


「くっ……また三者凡退か! ……おい、成原。今の回どうだった?」


「この回も全部ストレートでしたね」j


「他の二人もか……。これはまだヒットを打たれていないからの余裕なのか、それとも……」


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