第15話 プレーボール

「プレーボール!」


 審判の掛け声と共に遂に試合が始まった。


「お願いしゃーす!」


 友香が男らしい言い方で挨拶という名のシャウトをしてからヘルメットを一旦外してお辞儀、それから打席に入る。ここからでも分かる、あいつ嬉々としてやがる。打席に入る前にやたらヘルメットぺたぺた触ってたからな。ユニフォームはまだ無い為ジャージでの試合許可を相手に得て、ヘルメットも相手が借してくれた。初めての試合、初めてのヘルメットに浮かれているのだろう。

 だが、打席に入り相手の投手を見つめる友香に遊びの色は見えない。良い集中力だ。

 対する相手ピッチャーは、確か成原と言ったか。野球をやっている割に色白かつクリクリとした目を持つ年相応の可愛らしい顔に反して、雰囲気からはちゃんと抑えようとする闘志を感じる。でも、この程度か。

 ――さて、友香分かってるよな。

 両者睨み合うこと数秒。サインを交換し終えた、ピッチャーがようやく動いた。

 初球、振りかぶって右手で投げたピッチャーの球に友香がバットを出した。が、空を切る。今のはストレート、しかもアウトコースのボール球だ。おいおい、打ち気が逸ってるぞ。……まだだ、粘れ。


「ボール!」


 二球目はインコースだが、高めに来てボール。そうだ、ボール球は振るな。そうすれば……。

 ボールをキャッチャーから返されたピッチャーが、三度振りかぶって投げた。

 ――来た!

 友香がステップを踏んで、そのままバットを振り抜く。瞬間カキンと金属が物を捉えた音が聞こえた。 高く上がったボールは――落ちた! センター前。ヒット、ヒット! 全力で走った友香は一塁を越えて二塁を目指そうとするが、無理だと悟りすぐに戻る。戻ってから一塁ベース上で両手を挙げて喜んでいる。

 それを見てベンチのボルテージが上がる。得点を取れるぞと活気付く。

 よし、ナイスだ。俺が言った通りにちゃんとやってくれた。

 友香が打席に入る直前に俺が指示したことは一つ。ストレートの甘い球は必ず来るだろうから、狙っていけということだけだ。

 変化球は実戦級の球を投げれる者がいないので、一切練習せずに捨てた。だから正直ストレートしか打てないのだが、練習時に変化球を投げていなかったことと完全に抑えるという強い戦意を感じなかったことから厳しいところにそう何球も変化球は投げてこないだろうと予想していた。それとこれは図らずもだが、友香が一球目からボール球に手を出してくれたのも意外に効果的だった。あれと素人ばかりという情報により、こちらの実力を計り間違えてくれたみたいだ。だが、そのことに気付かれ変化球を多投されたら点を取るのは難しくなる。点を取るなら、今しか無い。

 その証拠にあのピッチャー、打たれた時に驚いた顔をした後、今はとても悔しそうな顔をしている。

 確かにあのピッチャーの投げるストレートは、遅くはない、というか充分速い部類に入る。けどお前達は、あれより凄いストレートを何十球も見てきた。狙った上で来た甘いストレートを捉えられない訳が無い。

 友香の打席が終わり、次の打者である宮下が打席に立つ。

 さて、ここは定石通りと行きますか。あらかじめ決めておいたヘルメットの鍔を触る仕草も含めたサインを出し、それを首肯した宮下はバットを横に寝かせる。

 だが、相手もそう簡単にバントをさせる気は無いらしく、野手はバントシフトを敷き、投手はまず一塁に牽制球をいれる。勿論帰塁の練習はしている。危なげなく戻り、問題はない。だがその後の初球が、顔近くの高めのボール球を投げてきた。宮下はバットと共に身も引いてボールになる。そこに投げ込んで来たか。っということは、次は多分……。

 もし俺が考えてるコースに相手が上手く決めてしまえば普通はバントするのは難しいかもしれない。だが宮下、お前なら出来る筈だぜ。俺が予想したコースをサインで送り、その上で次でバントさせる。ヘルメットの鍔を一回触りオッケーサインを出した宮下は再びバントの構えをし、二球目を投手が投げる。

 コツンという音と共に、一塁からリードしていた友香が走り出す。反応が早い。流石に良い敏捷性を発揮してくれたぜ、あいつ。

 ボールが転がった場所は三塁線に近い絶妙なコース、ピッチャーが投げた球は予想通りインコース低めのストライクゾーンに来た。やはり高低を使った投球で来たな。それに相手もカウントを悪くはしたくないだろうから、変化球を使わずストレートで確実にストライクゾーンに入れて来ると思ったぜ。予想的中。これでワンアウト、ランナー二塁。一打得点のチャンスだ。


 ――さあ、任せたぜ。行ってこい、咲!


 咲は打席を迎えるまでの間、ネクストバッターズサークルで前の二人の打席をじっくり観察していた。さて、何を見ていたのか。ピッチャーの癖か、動きか、球の軌道か。それとも久しぶりの試合の雰囲気にただ酔いしれているのか。

 最後までこちらを見ることなく、深呼吸をしてから打席に入った咲は打つ体勢に入り、相手投手を見据える。その様子からは、抑えきれない闘志が感じられる。自分が点を入れてやる。その意志を強く感じる。

 相手もそれを感じ取ったようだ。今までとは雰囲気が変わる。正直言って前二人は油断の色が見えたが、ここからは本格的に手強くなるかな。流石に二人でストレートだけっていうのはバレていないだろうが、確実に変化球は投げて来るぞ、咲。

 にしても、外野は前進か。こちらを絶賛舐めて頂いている相手の監督のやらせたことだから、俺達に先制点どころか一点も与えたく無いんだろうな。それにもし、仮に点を取られても楽に返せる。そんなことを考えているのだろう。ったく、なめやがって。

 数秒に及ぶ見つめ合いの末に、相手投手が動いた。構えて投げた球は、アウトコースへ向かい途中で曲がって外に逃げた。アウトコースのストレートにタイミングを合わせて振った咲のバットは空を切る。

 ……やはり来たか。スライダーだ。しかも、なかなかのキレを持っていやがる。実戦でのバッティング経験が少ないどころか随分久しぶりな奴が打つには少々難しいぞ、あれは。

 咲は一瞬苦い顔をするが、またすぐに構える。そして、今度来た球はストレートの軌道……だったが途中で落ちた。フォークボールだ。だが、それを見逃しボール。カウント、一ストライク、一ボールだ。そして、次のボールは……来た、スライダーだ! 同じアウトコースの横に滑るスライダー。それをさっきの借りを返さんとばかりに鋭いスイングで当てに行く。――だが、また咲のバットが当たることは無かった。

 再び苦い顔をするが、すぐに深呼吸をして落ち着きを取り戻す咲。

 だが、カウント二―一、ピッチャー有利なカウントか。少々厳しいな。ここから色々な球種に対応しなければいけなくなる。絞るのは難しいぞ。

 ピッチャーがキャッチャーのサインに首を降った後、キャッチャーが構えた。球種は決まったようだ。ピッチャーが投げる。勢い良く進むボール。だが、そのボールは急に角度を下げた。ちっ、またフォークか。が、そのフォークに咲は食らい付いた。


「ファウルボール!」


 審判がそう高らかに宣言すると共に両手を上方に広げる。

 危ねえ……。よくフォークに対応したな、咲の奴。打つポイントをベースに近付けて長く見ることで、落ち際をカットしたのだろう。流石だ。

 さて、これで相手はおそらくフォークは投げて来ないだろう。さあ、次が勝負だ。

 今度は一発でサインが決まる。そして相手が動く。その球に咲の振ったバットが当たった。――快音を響かせて。


『やったー!』


 ボルテージが更に上がるこちら側のベンチ。

 咲の打った球はストレート。外のボール気味のストレートを腕を伸ばして上手く流して、一二塁間を抜けるヒットになった。だが、打球が速く、外野に到達するのが早かった。それを見て、ホームを狙いかけた友香を三塁コーチャーの桐生が止めた。しかも前進守備を敷いていた相手の返球はキャッチャーへのストライク送球。あのまま行っていたらアウトになっていた可能性が高い。

 やはり、桐生の勘は冴えている。

 まあとはいえ、点は入らなかったがこれでランナーは一、三塁。チャンスは広がった。


『ナイスバッチー!』


 俺がやったのを見て、他の者も皆一斉に両手を前に出して大きく声を出す。

 さて、咲は打った。でも得点は入らなかった。なら、三番で決めきれなかった得点を上げる、チームの作ったチャンスを得点に変える、そんな四番としての役割を果たしてこい。


「頼むぜ、佳苗」


「任せて!」


 力強くそい言い放ち、打席に入った佳苗。

 バットを握った両腕を伸ばすルーティーンの後、相手を射殺すような集中力を発してボールを待っている。

 いつも確かに感じる凄まじい集中力。だが、今回のそれはいつもの練習の比では無いように見える。ライオンに捕食される寸前の草食動物のように。後が無い、負けられない境地が故の集中力。しかし、その雰囲気は決して王に屈しない、どころか逆に食い殺さんばかりの威圧を感じさせる。

 いけ、佳苗。こちらを食い殺せると油断している相手に逆に食いかかってやれ。

 その雰囲気を察し緊張したのか、ふうっと深呼吸をする相手ピッチャー。直後にボールを投げた。


「ボール!」


 一球目、少し外に外れたストレートのボール。


「ボール!」


 二球目も外に外れるスライダー。

 二球続けてボールか。ボール先行は初めてだ。やはりあのピッチャー、佳苗の異様な雰囲気に呑まれているのか。まあ、それに四番って言うのもあるし、簡単にインコースには投げられないだろう。

 っと思ってたが、投げられた三球目。インコースのストレート。それを佳苗が打ちにいく。


「ファール!」


 だが、ファールになる。

 当てた佳苗は悔しそうな顔をしている。ストレートを狙ってたから手が出てしまったのだろうが、コースが良かった。あれはまともに打つのは難しい。だが、正直今の少しでもミスってたら、スタンドインもあり得るような鋭いスイングだった。それぐらい分かってるよな、強豪校のピッチャーさん。

 さて、カウント一―二か。次の一球、正直かなり大きい一球になる。普通ならここで打ちにいかせたいところだが……。

 俺はあるサインを出す。それに驚いた表情を見せた佳苗だが、すぐに首肯し、前を向く。

 そしてピッチャーが投げた。球種はフォークボール。ランナー三塁にいるのに投げた勇気は認めてやる。

 だが、予想通りだ。

 俺が指示したのは、見送ること。佳苗はその通りに見送り、ボールになる。これで相手はストライクを投げざるを得なくなった。さあ、絞り込め佳苗。

 相手バッテリーは暫し悩んだ後、合意してからピッチャーが投げる。外角低めのストレート。

 ブオンという音が聞こえた気がした。そのぐらい、鋭く早いスイングでボールを打ち返した。カキンと良い音が鳴り、ボールは伸びる。進み、進み、そして落ちた。


「アウトー!」


 レフト深い所、高く上がったボールが定位置に戻った左翼手に落下し捕球される。だが、この距離なら充分だ。

 一度三塁にリタッチし、レフトがボールをグラブに収めた時点で友香がスタートする。タッチアップだ。レフトは急いでボールを返球する。だが、ホームに返球されることはない。セカンドに中継され友香のホームインが認められる。

 ――つまり、


『やっ、やったー! 一点目だー!』


「よし!」


 元々雰囲気が高揚としていたベンチが一層沸き上がり、皆が隣の者とハイタッチする。俺も喜びの声を挙げながら、隣の野中と手のひらをぶつけあう。


「友香、ナイスラン!」


「ナイス、ホームイン!」


「いやー、どうもどうも! それほどでも、ありますかな」


 ホームから戻ってきた友香は歓声と共に迎え入れられながら、全員とハイタッチをしていく。


「あっ、佳苗、ナイス犠牲フライ!」


「ナイスだよ!」


「得点、ありがとう!」


「あはは、ありがとう。でも、ごめんね。一点しか取れなかった」


 嬉しそうに、だが悔しさも混在させながら佳苗が言った。そんなに悔しがる必要はない。でも、初得点で一点で満足しないこと。それだけで凄いよ、お前は。


「佳苗、ナイスバッティング! よくぞ、私を帰してくれたね」


「当然!」


 チーム全員に差し出された手とハイタッチして行ったあと、最後の友香と言葉を交わしてパンっと手をぶつけ合う。お互いに楽しそうに笑っている。

 やっぱり良いね。仲間で協力して得点を取る。そしてそれを喜びあう。これが野球の醍醐味であり、見てる側からしてもその麗しいシーンについ頬を緩ませてしまう。その魅力に取り憑かれてしまったから、俺は一度失ってなお野球を止めたくないと思ったんだ。今感じる、もどかしさ。それはその喜びを選手として、戦う一プレイヤーとして感じることが出来ていないから。

 ……戦いたい。あのフィールドに立って、打って取って、そして皆と喜びを分かち合いたい。


「ごめん、常田君! ……一点しかとれなかった。本当のこといえば、ここで一気に取っておきたかったよね……?」


 俺の隣の席に佳苗が戻ってきた。座ってふうっと一息吐いてから、申し訳なさそうにそう謝ってきた。


「お疲れ。……いや、いきなりそこまで求めてないさ。最低限の仕事、点数を入れてくれただけで充分だ。とりあえずここで一点取るのと取らないのとじゃ全然違うからな」


「そうなの? でも、一点ぐらいじゃ私達の守備力じゃ――」


「そこはエースを信じるんだよ」


「……うん、そっか。そうね」


 納得し、強く頷く佳苗。


「それにとりあえず一点で良いというのは、咲が抑えてくれると信じているからだけじゃない」


「えっ、どういうこと?」


 俺の言葉の真意を図りかねているようで、小首を傾げる佳苗。


「相手はこちらを見下している。当然先制点は自分達が取ると思っていただろう。それをこちらに取られてしまった。すると相手はどうなると思う?」


「えっと……戸惑う、かな」


「そう。戸惑い始める。ここで多少かもしれないが、心に動揺が出来る。でもまだ、こう思うだろう。『どうせ点が取れるさ。まだまだ大丈夫だ』ってな」


「でも、もし咲が抑えたとしたら……」


「ああ、間違いなく焦り出すだろうな。野球やスポーツにおいて焦りは攻撃を単調にし、どんどん攻撃を決めづらくしていく。しかも、動揺の後の心の拠り所だった自分達が点を取れるという予定、それを崩されたら更に精神的にダメージを与えることが出来る。油断していたり余裕だと思っていた状況から焦り始めると、これがまた面白いぐらい点が入らないもんだ」


「ってことは、次の咲のピッチングが大事になるんだね」


 見ると山坂がフォークで三振を喫した。それを見て、俺が強く首肯をする。


「そういうことだな」


「じゃあ、私がしっかり取ってあげないとね」


 そう言ってから立ち上がり、プロテクターを着け、準備に取り掛かる佳苗。

 そんな中、咲が戻ってくる。ヘルメットを脱いで、マウンドに向かおうとした所で呼び止めた。咲が振り向く。


「たっぷり見せ付けてこいよ、咲。――お前の唯一にして最強の武器、ストレートを!」


「任せて!」


 力強くそう答えたエースは駆け足でマウンドに向かっていった。

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