第6話 フラッシュバック

 俺と真田も練習に加わることが決まり、他の野球部員も続々と集まってきた。他の方達もそれはそれは俺達がいることに喜びを見せてくれたが、両者今回の練習に付き合うだけと聞くと皆落胆していた。本当にありがたい人ばかりだね。

 で、そんな訳で練習が始まった。メニューは、ランニングとストレッチ、キャッチボールを終え、今日もシートバッティングだ。


「じゃっ、じゃあ行きますね」


「よっしゃ、こーい!」


 またも、最初は川相から。意気揚々とバッターボックスに立ち、今か今かと待ちわびた顔をしている。

 そしてマウンドは勿論、真田。ちなみに俺はショートを守っている。俺の本職はセンター。だが、まだあの場に立つ気にはなれない。だから、山坂にはセンターに行ってもらって、俺がショートに入っている。


「えいっ!」


「うおー……って、えっ!」


 真田が投げた球を難なく川相はバットに当てて、打ち返す。打球はセンターに向かって素早く転がっていく。

 だが、抜かせない。素早く回り込んで打球を取る。


「えっ、今の取った!」


「嘘っー!」


 走っている川相とファーストの宮下が驚きの声を挙げる。

 足は速いが大丈夫だ。取った勢いで反転して、そのままファーストにスローイングする。

 間に合った。ギリギリだがアウトだ。


「すっ、凄いですー!」


「凄い……」


 野中も、真田も、そしてあちこちにいる皆も賞賛してくれた。

 何というか照れるけど、素直に嬉しいな。一つのプレーで一気に盛り上がり、球場が一つになる。それが野球だ。その感覚を思い出す。そして、同時に蘇ろうとする。野球は一つのプレーで勝利が敗北に変わるスポーツ。その恐怖を。

 っと考えかけた所で自制する。ダメだ、思い出すな。他のことを考えろ。


「ちょっ、ちょっと監督! センターやってたって言ってたのにショートも普通に上手いじゃん!」


 そんなんだったから、その言葉は救いだった。一塁を駆け抜けた川相が数秒呆けた後、勢いよくこちらに向かってきた。


「まあ、練習ではセンターに定着するまでは一応全ポジションやらされたからな。そのおかげかもな」


「それにしても上手すぎるよ! それなら本職のセンターはどんだけ上手いんだよ! やっぱりセンターいってくれない、監督!」


 なっ、センター……。


「いや、悪い。それはちょっと……。ていうか、あれだ。時間も無くなるし、さっさと再開しようぜ。なっ、さっさと戻った方が良いぜ」


「んっ、あっ、そうだね」


 助かった……。にしても、川相扱いやすいな。

 だが、その川相はバッターボックスに向かっていた途中、マウンドの横を通り過ぎた辺りで急に立ち止まり、そして真田の方に体を向け出した。突然どうした。


「あっ、そうだ! ちょっと、咲々!」


 そのまま真田に指を向けると、語気を荒げて真田の名前を呼び出した。どうしたんだ、急に。


「えっ、何っ!?」


「ダメだよー、思いっきり投げなきゃ! 咲々の本気の球を私達は打ちたいんだから!」


 なるほどな。真田が川相に投じたのはスローボール。打たせる為の球だ。どうやら、川相は真田が軽めに投げたのが気にくわなかったらしい。

 俺も昨日やったし、素人相手なのだからそれで良いと思うが、やっぱり無邪気な奴だ。真田の本気の球を打ち砕きたいらしい。まあでも、あの球は誰も打てないって言ってたのは、どこのどいつだったかな。


「本気はちょっと……」


「まだ肩暖まってないだろ」


 だが、その川相の要求を渋る真田。まあ、仕方ないだろう。あまり思いっきり投げるのは肩に良いことではないからな。しかもキャッチボールで多少肩を動かしたといっても軽くだし、まだ投球は始めたばかりだから暖まってはいないだろう。まあ、少し投げる程度なら問題ない気もするが。


「まあ、もう少し肩暖まってからで良いんじゃないか。肩痛めたら困るし」


「そっか、分かった。じゃあ後で、少しだけで良いから、本気で投げてよ!」


「うん、分かった」


 っということで、真田が軽めに投げたスローボールを川相が打ち返すという行程が何回か行われた。まあ、一日でそう変わるなんてことは無いが、相変わらずの外野に飛ばすより内野安打の多さだ。しかし、昨日よりバットに当ててから走り出すまでの時間が短かくなっているような気がしたのは、気のせいだろうか。


「川相、球を当てたと思ったらすぐにバットを離して走ることを意識してみてくれ。この走り出すまでのタイムの長短によってかなり結果は変わってくるから」


「いっ、イエッサー!」


 川相にとってこれは覚えておいた方が良いと思ってアドバイスしてみたが、それが嬉しかったのか笑顔で敬礼しながらそう言い出した。

 そうして、再びフォームを構え、ピッチャーの動きに集中し出した。そして俺も川相への注視から真田へ移すと、後ろ姿ながら感じた。雰囲気が変わった。


「じゃあ川相さん、次本気で投げるね」


「おっ、やっとか! よし、来い!」


 そうおどけたように言った川相も、直後に顔つきが変わった。今までも気を抜いていたという訳ではないが、集中の度合いが違う。お互い、全力の勝負らしい。

 暫し互いに見つめ合う。そうして真田が動き出したかっと思うと、腕を振り上げ、ワインドアップで球を放った。

 その動作に再び見惚れてしまった。相変わらず美しいと思った。今までの軽めの投球も体を上手く使った、見た目的にも魅力的な投球だった。しかし、全力投球の動作は動きが更にスムーズになり、澄んだ河川のように綺麗で流動的だ。


「うおおー、りゃあー!」


 真田の投球の後、聞こえてきたのは川相の叫ぶ声とその後木に物が当たった音。そしてバットがカランカランと地面を転げ回っていた。


「くそっ、また捕れなかった……」


 そう悔しそうに言ったのは、風木だ。

 結果は当然というべきか、川相が出したバットは真ん中付近に行ったボールのかなり下で空を切り、ボールは風木に向かっていったが、それを後逸してしまった。まあ、いくら運動神経が良いといっても、バッター無しでもあの球を捕れないのだから、バッターがいるなら尚更捕球は困難だろう。

 そして一方の川相はといえば、空振りをした直後にバットを手放して、尻餅を付いていた。ビビって腰を引きつつも何とかバットを出したが、その後バランスを崩したようだ。つまりは、あの球は素人が易々と打てるものではないということだ。

 しかし、ここから見ても本当にノビが凄いな。あれを打席に立って見てみたい。そう思ってしまった。


「もう一球、もう一球お願い、咲々!」


「うん、別に良いよ」


 その後、何球投げても結果は変わらず。川相が豪球をバットに当てることは無かった。

 流石に川相ばかりバッターをやっても練習にならないので、渋々変わってもらったが、後続のバッターもブンブンブンブン、蜂の合唱かとツッコミたくなってしまうぐらい本気の球には掠ることすら出来なかった。


「当てられないなら、バントで当てれば良い」


 なんて、宮下は苦肉の策を使うがそれすら当たらない。というか、目的が安打にすることより当てることになっているのに驚きだ。

 という訳で、もはやこのまま誰も当てられないかとも思ったが、


「すげー、流石、佳苗!」


 っというセンターからの川相の声で分かるように、やはり、風木だけは少し違った。

 軽めの球を数球投げた後、一球目の全力投球を空振った後の二球目、後方へのファールではあったが、真田の全力投球を初めてバットに当てた。

 周囲からは感嘆や賞賛の声が聞こえてくる。当てただけてこの反応だ。体験者達のこの反応からも分かるが、あの球、普通なら初見では当てることすら。困難だ。


「うわっ、やっぱり凄いわね。正直当てるので精一杯だわ」


 言葉は悔しそうに、だが表情は嬉しそうに、風木は相反する二つの感情を込めた表情と声で呟く。とは言っても、素人が当てただけでも凄いのだが。

 誰もバットに当てられないのとは対称的に、風木は徐々にだが真田の全力を捕れるようにはなっていた。

 つまり真田の球に一番近くで、一番見ていたから目が慣れたというのも勿論あるだろう。

 だが、キャッチャーから見るのとバッターボックスで見るのとでは同じピッチャーの球でも全然違うと聞く。それにその前の軽い球なんか、流石にこの場所で風木が本気で打ったらやばいからということで軽めに振ってもらったにも関わらず、外野を越えそうな当たり出るし、これはやはり風木の運動センスによるのが大きいだろう。

 そして、少し後ろからとキャッチャーから見る球も全然違うもんだ。今それを、風木の代わりにキャッチャーをやっている俺は実感した。

 なるほど、ここまで伸びるか。エグいな。この球じゃ、流石に俺でもいきなりヒットにするのは難しいだろう。


「そんな、当てられた……」


 っと、ボールを返す際に真田の方を見てみると、何故かとても悔しそうな表情をしていた。別に打たれた訳ではない。ただの、何とか当てただけのファールボールだった。だが、それですら真田は気にくわなかったらしい。

 まさか、本当に一球も掠らせることすらさせない気だったのか。

 そして、ボールを受け取り再びキッとこちらを見つめ直した真田の目付きは、炎が見えるかの如く今までより闘志が漲っていた。


「これで、三振に取る」


 今までの弱々しい声とは違い、はっきりとした戦意を込めた強い声でそう宣言すると、スッと腕を上げ投球モーションに入った。

 そしてボールは投げられた。


「くっ!」


 それを何と風木はまた当てた。

 凄い、凄いぞ。

 何が凄いって確かに当てた風木もそうだが、何より真田のあの負けん気一杯の投球だ。何だよ、さっきの球より打者を抑え込んでいた筈なのに、悔しがってやがる。

 さっき風木が当てたのは真ん中寄りの外の球。だが今回は完全にど真ん中だ。それでもさっきより振り遅れて、しかも本当にギリギリ、紙一重で当たったという感じだ。球威が上がった。

 だがこの子、球だけじゃない。


「これで決める……!」


 今までより鋭さが増した気がする程の腕の振りで真田はボールを投げる。そのボールは進行を妨害されることなく、俺のミットに収まった。その瞬間、小さくだがガッツポーズを見せる真田。

 さっきと同じコース、ど真ん中だが、今までで一番力が籠っていた最高の球だ。


「すっ、すっ、すっ、凄えー! 咲々凄えー!」


「真田さん、凄い!」


「えげつない球投げるじゃん、真田!」


「やばっ!」


 センターに入った川相の声を皮切りに皆が感嘆の声を真田に掛けていく。それを聞いた真田は一瞬呆けに取られた後嬉しそうに笑い、だが次には照れ臭そうに顔を伏せた。

 そう。今のように、普段のはっきり言えば気弱そうな雰囲気からは把握することが出来なかった。だが、ピッチャーに取って大事なバッターに向かっていく豪胆な姿勢、そしてその根っからの負けず嫌いな性格、自分の球への信頼と自信。どれも持ち合わせ、どれを取っても素質充分だ。

 面白い。真田が投げれば、現状では無謀な試合もまだ結果が分からなくなるぞ。

 っと、興奮気味に考える自分がいる反面、冷静な現実思考の俺がいる。真田は、野球をやる気が無いんだ。


「えっと、そういえば、そろそろ真田さんにも打ってもらった方が良いんじゃ無いでしょうか?」


「えっ、わたし?」


 サードにいるあの小さい子、えっと……そうだ、野中。野中が提案してくる。

 なるほど。そういえば、ピッチングのことしか頭になかったが、真田はバッティングの方はどうなのだろう。ちょっと見てみたい気がする。


「そうだね。投げてばっかじゃあれだから、真田も打ってみなよ」


「いや、別に私はずっとピッチャーだけでも良いんだけど……」


「いえ、流石に悪いですよ。それに私達も真田さんの打つところ見たいです!」


「わっ、分かった。打ってみる……」


 山坂と野中に押されて、最後は首肯する真田。

 って、んっ。今ピッチャーをやっている真田がバッターをやるということは、


「次、誰がピッチャーやるんだ」


「んっ、そりゃ、常田君でしょ」


「俺かよ……」


 バットを右肩でポンポンと叩きながら、ニヤリと風木が言う。

 今この人、当然のように言ってきたぞ。……まあ、別に断る理由もないけど。


「最適だと思うし」


 何でだよ。


「はいはい、分かったよ。真田打つ時だけは俺が投げれば良いんだろ」


「流石、常田君」


「そりゃ、どうも」


 だから、出会って間もない人に流石とか言われても。


「はあっ……じゃっ、変わろうぜ、真田」


「あっ、はい」


 ということで、ポジションチェンジ。俺がキャッチャーからマウンドに、真田がマウンドから右バッターボックスに、風木がバッターボックスからキャッチャーに移動する。


「んじゃ、行くぜ」


 多少投げやりな感じでそう言って、球を投げる。真ん中目のスローボール。野球経験者の真田が打てない道理が無く、難なく返されたかと思うと引っ張ったボールはショートの頭を越えて行き、そのまま勢い良く地を這って、左中間を抜けていった。


「流石です……」


 サードにいる野中のボソッと呟いた声が聞こえてきた。

 同感だ。確かに、バッティングも非凡なものを感じさせる。それは飛距離や打球スピードからだけではなく、体が開かず腰の回転の勢いをそのままボールに伝えられているフォームからも分かる。これなら大丈夫だろう。

 再び投球する体制に入る。足を上げて腕を振りかぶるが、その後の振りは今までとは違う。予告なし、いきなりの全力投球だ。

 当然真田もまたスローボールが来ると予想していたようで、一瞬驚いた顔を見せる。が、上手く反応し、俺の投げたボールを難なく逆方向に打ち返した。真ん中目指して投げたが本職はピッチャーではない俺が全力投球を精密に投げられる訳がない。ボールはアウトコース高めに行ったのにそれを上手く打ってきた。やはりバッティングもかなりの戦力になるぞ、これは。


「ははは、今の俺の全力だったけど上手く打たれたな。完敗だ」


「いや、今のは偶然上手く打てただけです……」


 少し照れながら、かつ遠慮気味に言う真田。

 偶然であんな打球何回も打てるようなら、そいつはギャンブラーでも目指した方が良い。第一バッティングもフォームが様になっていたし。

 で、やはりというべきか。その後も何球も全力で投げたが、そのほとんどがヒット性の辺りを打たれた。ただグラウンドでやったと仮定した場合のホームラン性の当たりは無かったことから、風木とは違いホームランバッターではなくコンスタントにヒットを残すアベレージヒッタータイプのバッターになる可能性が高そうだ。


「で、一通り終わった訳だけど、どうするんだ川相?」


 真田相手に結構投げたところで、マウンドからセンターにいる川相に向かって声を出す。


「うーんとね、今度こそ咲の球を打ち返したい! ーーっていうのもあるけど、その前に私もピッチャーやってみたい!」


 またあいつは他人からの影響受けやすすぎだろ。

 まあ、別にその点に問題はない。だが、そうなると


「じゃあ、俺はどうすれば良いんだよ?」


「監督はね、バッターとしての実力見たいから、バッターボックスに。咲々は、センターに来て!」


「俺、バッターか。まあ、良いけど」


 バッターか。そういえば、バットを握るのは大分久しぶりになるな。


「えっ、私がセンター……」


「んっ、咲々、どうかしたの?」


「あっ、いや……」


 真田は傍目から見ても、動揺が隠せていない。

 センターというのに何かあるのだろうか。俺と同じで。きっとそれは真田が野球を止めて、今もやらないのと関係しているのかもしれない。


「なあ川相、センターは他の人に任せないか」


「うーん、そうだね。やっぱ他の人にやってもらうよ。そうだな、じゃあ春夏センターやってもらえる?」


「うん、別に良いよー」


 川相も真田の様子から何か察してくれたようだ。俺の提案を聞き入れてさっきの提案を棄却してくれた。

 これでとりあえず問題ないだろう。そう思った。


「ちょっと待って、川相さん! ――ごめん、私がセンターに行くよ」


 だが、真田は自分から行くと言い出した。確固たる意志を持った目を向けて。

 その目が、その姿勢が、やはり本能的に羨ましいと思ってしまった。


「でも良いの、咲々? 嫌なんじゃないの?」


「うんっ、大丈夫……かは分からないけど、やってみるから」


「分かった、じゃあよろしくね」


 その目を見て、川相も決断したようだ。

 ということで、それぞれ持ち場を移動する。そうして移動した先で、真田が置いていったバットのグリップを右手で取り、そのまま腕を伸ばして両手で握って体の前で立たせる。

 ああ、これも懐かしい。この感触、俺が使っていたのよりは軽いが、確かに感じる重み。でもその重みは前と確実に違って、俺が離れていた期間を改めて実感させた。


「行って良いかな、監督?」


「ちょっと待ってくれ。いや、ていうか投球前に軽くキャッチャーに投げ込んでおけよ」


「うっす、分かったぜ、監督!」


 マウンドに到着し、早くも準備を完了させた川相が投げ込みをしている間に、俺は素振りをする。

 野球をやらなくても筋トレはしてきた。運動も怠っていない。なのに、重くなった気がするのはただの気の所為なのだろうか。


「オッケーだ、川相。さあ、投げてこい」


「やっと来たな! じゃあ行かせてもらうぜ!」


 右打席に入った俺は構える。と共に川相も投球モーションに入り、一々大袈裟な動きをしながらボールを投げた。


「うおおおっ、って危ねえ!」


 そして大袈裟に外れ、俺の体に向かってきたので瞬時に避けた。

 おいおい、危ねえな。

 全力とはいえ、球は正直全然速くない為余裕で避けられはするが、危ないことに変わりない。


「アハハっ、ごめん、ごめん! 指に引っ掛かっちまったぜ」


 おいっ、急造ピッチャーが何言ってやがる。それらしいこと言ってるけど、そんな大層な投球なんか絶対してないだろ。


「おーい、大丈夫かー?」


 全く心の篭っていない、字面だけ心配している言葉を川相に送る。


「大丈夫、大丈夫! ってことで、とりゃー!」


「って、おい!」


「えっ、ちょっ、友香!」


 風木から返球を受けた川相は、すぐに、本当に受け取った直後に投げてきた。俺がまだちゃんと構えて無いのに、しかも超適当なクイックモーションでだ。

 おいおい、何やってんだよ。ていうか、相方も驚いてんじゃねえか。


「うりゃっ!」


 だが、やはりそこまで速いという訳では無い為、何とか瞬時に出したバットに当てることが出来た。そうして打ち放たれたボールは、ライトの前にポトリと落ちた。

 バットにボールが当たってそのまま押し返すこの感覚。俺が長年感じてきたこの感覚は、どんなに時間が立とうと変わっていない。


「上手いな……」


 ファーストを守る宮下が呟くようにそう言ってくれた。自分で言うのもなんだが、流石野球経験者だ。分かってもらえたのが少し嬉しかった。不意を突かれた外目の球を上手く流すことが出来たんだからな。他の者も上手い等称賛の声を挙げてくれた。


「本当に上手いね、常田君。それに、フフッ」


 後ろから声がしたのでそっちを見ると、風木がボールを川相に向けて投げた。

 マスク越しとはいえ分かる。またあの不敵な笑みを浮かべている。今度はなんだ一体。


「何だよ、その嫌な笑いは」


「いやっ、楽しそうだなって思って」


「はあっ、楽しそう? 何で?」


「何でって、だって常田君さっきボール打つ前とか打った後とか笑って楽しそうな顔してたじゃん」


 なっ、笑ってた? ……俺が? 嘘だろ。全く自覚は無かった。

 ひょっとして、俺はいつの間にか野球を楽しんでいたのか。……楽しめていたのか?


「って、ちょっと友香、あんたまた!」


「うりゃああー!」


 っと考え事をしていたら風木が俺より向こう側を見て驚きの声を上げたので、風木からその視線の先であるマウンドに目を移す。すると川相が、またも俺がまだ構えていないにも関わらず投球モーションに入っていた。


「って、おいっ、またかよ!」


 だが、今回は一々無駄に動作を大きくしてくれたので、その間に急いで構え、リリースされたボールに何とか当てることが出来た。

 打たれたボールは高く上がり、弧を描いて俺の前方を進んでいった。狙った訳では無い。だがボールはセンターに向かって飛んでいっている。ただヒット性ではない、ただのセンターフライだ。


「咲々!」


 真田なら言われなくても分かるとは思うのだが、何か考えていたのだろうか。動き出しがワンテンポ遅れた。だが、ボールが落ちる前に落下点に入ることが出来たようで立ち止まった。

 これでアウトだ。皆そう思っただろう。俺も……いや、違うな。俺はどこかで感じていたのかもしれない。

 ボールは真田のミットに触れることなく地面に落ちた。


「咲っ!?」


「咲々、大丈夫ー!?」


 えっ、や嘘っ、という驚きの声が周囲から聞こえ、それに付随して風木と川相が心配そうな声で真田を呼んだ。

 それも仕方ない。今のは平凡な取りやすいフライだった。センターが本職のもの、しかも今までどの分野でも並以上の実力を見せてきた真田のまさかの落球だ。驚くのは当然だろう。

 しかし、反応がない。どころか真田は立ち尽くしたまま動く様子を見せない。皆、真田の方に駆け寄っていく。俺も自然と足が向かっていた。


「大丈夫ですか、真田さん!」


「真田さん、どうかした!」


「真田、どっか痛めたの!」


 俺が到着した時には、既に来ていた部員達が真田に声を掛けていた。

 その真田の様子を見ると、息は荒くなり、誰が見ても普通ではないというのは分かる状態だ。

 そうして少しして全員が到着してもまだそれを続けていた真田が口を開いた。


「ごめん、皆ごめん。足が動かなかった。ボール捕れなかった。ごめんね……」


 重い罪を犯したかのように。悲劇的な顔で真田はそう呟いた。


「そんな咲、取れなかったとか、どうせ練習なんだし別に良いのに!」


「そうだよ、咲々! そんな気にしなくても」


 風木や川相、それに他の者も気にしなくて良いと言いつつ不思議そうな顔をしている。何故、練習で取れなかったぐらいでこんなに責任を感じる必要があるのか。普通はそう思うのだろう。でも俺は真田が気負い過ぎだとも、背負い過ぎだとも思えない。何故なら気持ちが分かるのだから。

 真田に何があったのかは知らない。でも、


「真田、君はやっぱり――」


「ごめんね、皆。勝手だけど私、帰る。……ごめん」


 俺の言葉を遮るようにそう告げると、真田は近くに置いていた鞄を持ってそのまま校門へと向かって歩き出した。


「でも、大丈夫なの、体? さっき苦しそうだったけど」


「うん、大丈夫……ありがとう」


 山坂が再度聞くと、顔だけ向けて真田はそう答えたが、歩みを止めない。そのまま真田が校門を越えて出て行ったところで、ふと思い出したように川相が叫んだ。


「じゃーね-、咲ー! また明日会お-!」


 それに釣られるように、他の部員も「じゃーねー」と遠くにいる真田に向かって声を出した。聞こえたのかは分からない。それにその声が届いたのかも。

 ふと意識してみれば、シーンと擬態語が聞こえそうな程静けさが空間を支配していた。おいおい、いつもと雰囲気が違い過ぎだろ。


「おいっ、川相。練習はどうするんだよ」


「えっ、あっ、練習ね。うん、後少しやるよ!」


 川相に近付いて話し掛けてみたが、今までと違って即答ではない。それに、声の元気が足りない。いや、厳密にはあるのだがそれは無理矢理引き出しているように聞こえた。


「ねえ、監督。さっきやっぱり咲がセンターやるの渋ってたんだから、無理にでもやらせない方が良かったのかな」


 やはり気のせいでは無かった。声から、どころか顔からも落ち込んている様子が窺える。

 でも俺は別に元気付けるつもりは無い。思ったことを言うだけだ。


「大丈夫だろ。これは多分真田にとって必要なことだったんだよ。だから気にしないで、練習しようぜ」


「うん、分かった」


 本当は分かってなんかいないくせに。川相なりに何か思うことがあったのかもしれない。素直に話をやめると練習に取り掛かった。

 その後、一時間くらいシートバッティングの続きとダッシュをやってその日の練習は終わった。丁度帰ろうとしているサッカー部がいるのが見えた。サッカー部には友人がいる。一緒に帰ろうと思えば帰れるが、今日は良い。さっさと帰りたい。俺は素早く帰路に着いた。

 人には何も気にしてないように言っといて、そのくせ自分では意識しないことなんて出来なかった。さっきから一々、あの真田の様子が、言葉が自然と思い出されてしまう。

 自分と真田は似ている。それは前から思っていた。でも、同時に思っていたこと。やっぱり似ていない。改めてそう思った。

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