第六話目~勇気のアプリケーション~

「吉野――! 吉野どこいった?」


 競泳水着の上にパーカーを着た佐久間茉莉(さくま まつり)が吉野雪(よしの ゆき)を探してシャワー室から引きかえしてきた。佐久間は水泳部の監督、兼コーチで新任教師でもある。

 雪はまだプールサイドにいた。


「吉野、こんなところに……」


 その声を聞くと同時に、雪は飛び込み台から飛んだ。


「こらー、もう。明日は涼しいって予報だったから、筋トレだよ。身体を冷やすんじゃないぞ」


 ぷかっと水面に顔を出した雪は、立ち泳ぎしながら、返事をする。


「はい、コーチ」


 かすかな水音をさせながら、雪はプールサイドによった。


「コーチはどうするの? 明日」


「……言わせるな」


「まだ病院行ってるの?」


「ああ。勇樹はきっと立ち直る。吉野、もうあがれ。大会まで少ししかない」


 佐久間はあっさりと身をひるがえしてプール室から出ていく。それは、かつての自己タイムをどんどん追い越していく、雪への嫉妬だったろうか? 世間でいうところの天才を見たくない、という思いだったろうか?


「鬼コーチ」


「なんだってー!」


 佐久間がゴーグルを手に、誰もいないシャワー室から吠えたてる。


「ウソでーす! きゃっ」


 雪は笑いながら佐久間の軌跡を追いかける。

 二人はごく近い、親戚だった。



 ロッカールームでは雑談していた女子たちが、佐久間たちを見るなり、乾ききってない髪をそのままに、ドライヤーのコードを巻き上げ、出て行った。佐久間は雪がなかなか水から上がってこようとしないわけを知った。


(ふうん。わかってんじゃない。自分たちじゃ雪にかなわないって)


「雪、あんたこないだスマホ見つけてくれたっていってたよね? あたしの」


「うん、茉莉ちゃんのでしょ? キョーレツにデコってたから、すぐわかったー」


 着替えを終えた二人は、夕風におろした髪をなびかせながら吉野家に帰り着く。


「ああ~。明日、塾休みたい」


と、雪がテーブルに身を伸べると、向かい側の茉莉がばたっとカーペットの上に後ろざまに倒れた。別に雪の成績が特別悪いわけではないが、目の前で教えている方の身になってもらえないものか……。


「大丈夫。あんたなら、ジュニアオリンピック制覇できる人材だから、そんなものより、ストレッチして寝よう」


「うーん……」


 浮かない顔をして雪が立ち上がって、ポケットを探っている。


「あ、そうだ。学校の机にわすれてきちゃった。茉莉ちゃん、ごめん」


「って、スマホのこと? べつにいいよ。誰かからの連絡、待ってるわけじゃないし」


 茉莉のその時の顔は、少しだけほっとしているように見えた。


     ×   ×   ×


 放課後の三十分、たっぷりストレッチをして、マシーントレーニングにうつる。水泳に必要な筋肉だけを強化する。雪はぼーんやりと夕べを思い出すが、茉莉がそこにいないわけを理解してなかった。


(そうだ、病院へ行くって言ってたよね)


 ようやく目の前がひらけたように思い出す。


(スマホ、返せてよかったなあ。あれがないと、勇樹くんと話せないもんね)


 遠藤勇樹は佐久間茉莉の従弟だ。いま失語症で、療養中。

 


 クスクス……クスクス



 だれかが笑うのが聞こえた。


(なんだろ。一人じゃないみたい)


 見ると、彼女らの視線の集まる一点に、スマホがあった。


「その、デコったスマホ! まつ、コーチの」


 女子の一人が、口元をゆがめてあざ笑うように言う。


「だれかさんが落していったから。ちょうど職員センターか事務室に届けようと思ってたんだけど……あんた、これコーチのだって?」


 こらえきれない、というように誰かが盛大に笑いだした。


「すっごいデコってるし。本当に教師なの? しかも自撮りがめちゃめちゃイタイんですけど!」


 はっとして雪がそれを取り返すと、手の中でポッと光ったのは、昨年のインターハイの画像だった。


(茉莉ちゃんの……勇姿、が、笑われてる)


「許せない!」


「なによ、遠い親戚だからって、肩持っちゃって。あ、そうかあ。コーチの方が吉野さんの肩もっちゃってるのかあ」


「許せないのはこっちだよね」


「遠くないよ。ごく近い親戚だよ」


「えこひいき」


「そんなんじゃない」


「いっつも自分ばっかり最後まで見てもらっちゃってさ」


「そういうことじゃない!」


 教室で動いていたトレーニングマシーンが、いっせいに止まった。

 雪ははっとした。こんなことをしていても仕方がない。茉莉がどれだけスマホを探しているだろう。


「人のプライバシーを覗くなんて、サイテー」


「ツッキー……」


 やわらかな低音で、つぶやいた月城和世(つきしろ かずよ)に、女子たちがしんとする。


「どしたの? 動かすのは、くちばしだけなの?」


 一気に鼻白んで、みなトレーニングに励み始める。


「ありがとう、ツッキー」


「ん? いいって。それよりさあ、さっきから、その手に、持ってるの、なに?」


「え?」


 ぱっと両手を開いてみてみたら、そこからはらりと紙切れが落ちた。


「なんだろう」


「アドレス、みたいだね、と」


(本当だ)


 帰り支度をする雪に、汗を拭きながら女子の一人が聞こえよがしに言った。


「あー、あたしらがこんなに努力してるときに、将来有望なスイマーさんは余裕で帰宅しようとしてるよー」


「ちが……」


 そこへ和世がわりこんできて、


「急用くらいだれにだってあるだろ」


「じゃあ、部長にくらいは報告すべきじゃない?」


「そうだったね。わたし、コーチのところにスマホ届けてくる。これがないと、コーチがとても困るから」


 雪が言ったとたん、マナーモードの振動がスマホから伝わって来た。


「は? メール?」


「見ちゃえ見ちゃえ」


「だ、ダメだよこれは」


「だって、気になる。あー気になりすぎてトレーニングにならない!」


「あたしが手伝ってやるよ」


「ぎゃー。ツッキー! 手加減してえええ!」


「ほら、ほら」


「重い~。そんなに重りのせないでえええ」


 そんな和世は、雪に早くいけと目配せしてくる。


(ありがとう。ツッキー)


     ×   ×   ×


 その頃病院では、デイケアで勇樹が一人きり、窓辺でスマホを持ってたたずんでいた。


「はーい、みなさん。次は童謡を歌いまーす」


 明るく活力のある張りのいい声で職員が、


「なにがいいでしょうねえ……」


と、言いながら楽譜をめくる。

 勇樹は勝手にデイケアルームを出ると、職員の目を盗んで廊下を走った。


(なんで、出てくれないんだよ、姉ちゃん……)


 出入り口に差しかかっていた雪が、それに気づく。声をかけようとして、やめた。


(勇樹君、まだ……)


 そしてふと、学校で見つけたメモ帳を確認する。それには、

「勇気の出るアプリケーション」

と、書いてあった。無精者でガードセキュリティーがなってない茉莉のスマホを見ると、画面にそれらしきアプリがインストールしてある。

 途端に横からぶつかってくる影があった。


(勇樹君……あれっ?)


 振り返る間に、雪の指はそのアプリをタッチしてしまっていた。



 ギャリーン!



 なんだか男子がよくやっている戦国バトルもののゲームのような音がした。そして、画面が突然ビカビカッと点滅し、そこにいかつい顔をした鎧の武人(?)の姿が映し出された。


「わたしを呼びだしたかね?」


(このアプリ、しゃべるんだ……)


「この間は弁天、その前は寿老人、そのまえは恵比寿、その前は大黒天……あとはわたししかおらんぞ?」


「あのー」


「吉祥天は気紛れだから、期待しないほうが良い」


「きまぐれなのか……」


「で、わたしに願い事とは?」


(えーと、弁天に寿老人、恵比寿に大黒天、あれ? ってことはこのアプリは七福神のゲーム?)


「あなたはもしかして、毘沙門天ですか?」


「さよう。なかなか出番がなくて、さびしかったぞ」


(さびしかった……つまり心があるんだ)


「せっかく呼びだしておいてまた、いらぬとは言わせまいぞ。さあ。さあさあ、願いをいいなさい」


「願いねえ……」


(これ、どういう音声ガイダンスなんだろ。茉莉ちゃん変わった趣味……)


「じゃあ、こうするわ。勇樹君に勇気をあげてください」


「む? ユウキクンとは、遠藤勇樹(えんどう ゆうき)のことかな?」


(知ってるんだ……)


「はい。このスマホの持ち主の従弟なんですけど」


「なげかわしい。男子たるもの、女人と言葉を交わすのにめえるなどというものを用いるとは」


「あ、やっぱりいいです」


(茉莉ちゃんのものだし)


 雪は一つ息をついて、この病院にくるはずの茉莉を探した。


(玄関は……いない。病室へ行ってみよう)


     ×   ×   ×


 間仕切りもない、ベッドが左右に三つずつ並んだ病室に入ると、先に面会に来ていた茉莉の姿があった。丸椅子に腰かけ、こちらに背中を向けてうつむいている。


「あの、まつりちゃ……」


(ぐすっ……)


「え?」


「その声は、雪?」


「え、ええ」


「なあんだ、そうならそうと、さっさと声、かけてくれればいいのにさ」


 くるっとこちらを向いた茉莉の顔は、化粧が剥げていた。


(涙のあと……)


 雪は学校鞄からハンカチを出して、茉莉に差し出した。


「拭いたほうがいいよ」


「え、あ、ああー。アリガト、ね」


 その頬は誰が見てもこけていて、ここ数十分の間になにがあったのか、年齢も老けて見えた。


「だめだなあ、あたし」


 自嘲気味に笑って、顔をこする茉莉に、雪は、


「茉莉ちゃん、こすると肌が傷むから、上からぽんぽんと抑えるようにした方が良いよ。お化粧ポーチは持ってる?」


「あ、うん」


「じゃあ、わたしは勇樹君をさがしてくるから」


 後ろにした扉から、また茉莉の嘆きが聞こえてくる。


(あ、また。どーしてもタイミングをのがしちゃうんだよねえ)


 制服のポケットから取り出すと、また画面が光った。


「いかがいたした、なんなりと願いを叶えようぞ」


「いいです」


(あれ? まてよ……このアプリ、たしか……弁天と寿老人、恵比寿、大黒天、あと吉祥天がだめだったって……)


「あのう」


 雪はいつしか、茉莉のスマホを自分のもののようにあやつり、無用のカスタマイズまでしていた。


(やっぱり。このアプリ、アンインストールできない)


「どうしたのだね?」


「失礼ですけど……」


 アプリに対して失礼もあったものではない。


「あなたは、神様なんですか?」


「ガーン」


「……違うんですか?」


「……違わない。確認されたのがショックだっただけだ」


「あの、どういったわけで、茉莉ちゃんのスマホに居座ってるんですか?」


「居座っているなどと人聞きの悪い。呼びだされたからだ。わたしたちはそれぞれ力を発揮して願いを叶えるまで元の世界に帰れない」


「元の世界ってどのへんにあるんですか?」


「……それは、どのへんとかこのへんとか、言い表せるものではない。神秘なのだよ」


「はあ、神秘なんですね」


(呼びだしたって、茉莉ちゃんのことかな?)


「あの、これに見覚えはありませんか?」


 雪は「勇気の出るアプリケーション」のアドレスの紙をひらつかせた。


「ああ! そのまがまがしい呪文のおかげで、われわれは自由に空間を行き来できるのを利用されて、こき使われて……!」


「こき使われてたんだ」


「ああ、いや。こちらのことです」


「はあ」


「……」


「……」


「で、いつ解放してもらえるのかな?」


「ああ!」


 毘沙門天はイライラ、きりきりと歯ぎしりをした。


「よく考えたら、他の神様がダメだったから、毘沙門天さんもきっと……」


「きっと、なんだというので!?」


「きっとダメだろうと」


「不愉快だ!」


「あ、いえ。そう茉莉ちゃんが思ってるんじゃないかなーって」


「マツリチャンとは?」


「このスマホの持ち主です。あのー、多分この前、弁天様にお願いかけた人だと思うんですけど」


「お願いだ、国へ帰らせてくれい。とほほ」


(そっか、茉莉ちゃんは多分……)


 雪は腹式呼吸で息を吸いこみ、きっぱりと言い切った。


「勇樹君を勇気づけてください!」


「……」


 毘沙門天はほろりと涙をこぼした。


「あの――。やっていただけるんでしょうか?」


「うれしい。やっとまともな依頼が来た……。やってみせましょう! この毘沙門天、少年の心を勇気づけてみせましょう!」


「ほわ!」


 ピッカーンと画面が光り、メールボックスが勝手に開かれ始めた。





To.茉莉『僕もう駄目かもしれない』


To.勇樹「何言ってるの、まだ若いんだしこれからよ」


To.茉莉『これからの事を考えると気が重いんだよ』


To.勇樹「プレッシャーなんて誰にでもあるって」


To.茉莉『そのプレッシャーに負けてる僕は駄目な奴なんだ……』


To.勇樹「は? なんでそんなにネガティブなの?」


To.茉莉『こんなネガティブな僕なんて、茉莉姉ちゃんは好きになってくれないよね』


To.勇樹「……そんなことないわよ」


To.茉莉『姉ちゃん、僕もう駄目だよ』


To.勇樹「何言ってるの……」





「あのー、これ、勇樹君と茉莉ちゃんの……」


「ここのところ、毎回こんなやりとりをしててな」


「勇樹君、なにが駄目なんだろう」


「直接聞ければいいのだが」


「そうだ、直接聞いてみよう!」



 ポロロン!



 福禄寿が呼んでもないのに出てきた。


「なんだ、福禄寿。ここはわたしにまかせておきなさい」


「冗談ではない。いつまでも呪縛に鎖のようにつながれておるのはまっぴらじゃい。娘よ、ようく聞けよ。少年は一人で悩んでおる」


「それはわかるんですけど……」


「ええい、ひっこめ福禄寿」


「おぬしばかりでは、なしえんからわしが出張っておるんだ」


 雪がぽつ、と口を挟んだ。


「この病院……明るい病棟を目指して作られた新しい建物ですよね。彼がたった一人になれる場所って限られてるんじゃ……」


「おお、そうじゃそうじゃ。ひとりひとりに目配り、気配り、じゃったかな?」


「孤独になれない場所で孤独に悩むなんて、結構難しいと思う」


「このめえるとやらも、そこから発信したのであろうなあ」




To.茉莉『僕は大事な人を守れない。愛する人を笑わせて上げられない』




「最新のメールがこれってことは……」


「少年の本音はこれじゃな」


「わたしにはわかりかねるが」


「とにかく、勇樹君は大切な人がいる。その人に悲しい顔をしてほしくない、笑ってて欲しいんじゃないかな」


     ×   ×   ×


 陽が傾き始め、面会時間を延長して雪は勇樹を探した。彼は図書室にいた。


「勇樹君」


 言葉をかけようとすると、彼は背を向けてしまう。


「あの、これ」


「なんだよ!」


(ぶっきらぼう……)


 雪は思ったが、努めて冷静になろうとした。


「茉莉ちゃんにメール、送ってたんだね」


「!」


「一応、失語症ってことにはなってるけど、メールなら、しゃべれるんだ。それも、大事な人にだけ」


 勇樹は迷わず雪の手からスマホを奪おうとした。


「なん、だよ。それ……どうりで姉ちゃんから返事が、ない……」


「勇樹君」


「……」


「茉莉ちゃんね、泣いてたよ、でね……」


「あーーーーーーーーーーーーーーー!」


 勇樹少年の突然の叫びに、本棚の向こうからそっと出ていく足音がいくつか、ひたひたと聞こえた。


「勇樹君。茉莉ちゃんが泣いてたのは、勇樹君が悲しんでるからじゃないのかな。勇樹君が笑ってくれれば、きっと茉莉ちゃんだって」


「いやだ! 僕が悲しんでなきゃ、姉ちゃんは僕のことなんか忘れてしまう。それが嫌だっていっても、わかってなんかくれない」


「そんな、大事なひとを困らせて、それで勇樹君はいいの?」


「ああ、いいよ。姉ちゃんが、僕のことだけ考えてくれるんなら、失語症でも、なんでも医者に言わせておくよ」


「本当に……それでいいはずない!」


 雪の手元で、毘沙門天が胸を張って、白い歯を見せて笑っていた。


「ほら、茉莉ちゃん、こんなものにまで頼って、勇樹君のこととっても思ってるよ」


「こんなものとは、いやはや容赦がないな。少年、女人は勇気があればきっと好いてくれるわい」


「僕は強くなりたくて、必死で自分を鍛えた。だけど、心は昔のまま。弱いままなんだ」


「そんなことないよ、勇樹君。あなたは茉莉ちゃんには心を開いてる。心を開くってね、周り中が敵だと思っちゃったら、とっても怖い事なんだよ」



 雪は、少年の肩をグイとつかんで、病室まで引っ張っていった。

 そこには茉莉の後ろ姿が。


(さあ、どう? 一瞬でも自分の心に正直になれた勇樹君なら、きっと……茉莉ちゃんに届く!)


「姉、ちゃん……」


 茉莉の背中が揺れた。


「その声は、勇樹?」


「姉ちゃん!」


 涙ぐむ勇樹を見て、雪はもう安心だと思った。スマホなんてなくても、きっと二人は通じ合える。きっと……。


「勇樹!」


 振り返った茉莉の顔を見て、勇樹は凍りついてしまった。

 なんと、茉莉の顔面はおしろいだらけ。涙の跡を隠そうとして、厚塗りになってしまったのだった。


「も、もう。なによ」


「ふ……くく。あははあー」


「ちょ、なに笑って……んの?」


 怒った顔を作ろうとして、泣いてしまう茉莉。笑い泣きだった。

 勇樹は笑い続けていた。病棟に響き渡る声で。



「人を笑わせようとしたなら、まず自分が笑っていないとのう」

 

 福禄寿が言った。



               END

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神様ゲーム 水木レナ @rena-rena

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