第5話 戯言遊ビ 壱

 人は死ぬ。

 其は須く、等しく訪れるもの。

 命有るモノは故に、全て死する…存在ものなのだ。


 死に損なったオレには、最早“死”を得る事は出来ぬのだろうか。




 そんな殊勝な事に気を取られていると、頭を小角鬼オヅキに思い切り叩かれた。

『痛い…ナニヲし食らわすノダ!?おんどれはっ!!』

そちガ又碌デモナイ事ヲ考エテ居ルカラデアロウガッ!!』

 言われた事に納得がいかない。オレは黒尾の小手で小角鬼に遣り返した。


 ここは、かつての山を切り開いた住宅街のど真ん中。ある意味そんな建て売り一戸建ての現代的な佇まいに似合わない、奇妙且つ滑稽な二人?のやり取りを、家主となる擢磨のヤツは仲睦まじい光景だと笑いながら眺めていた。

 下手をすると命懸けのじゃれ合いだ。そんな事は知ってか知らずか、実にのどかに茶を啜る。

「二人とも、程々になー。」

 暢気な擢磨の掛け声とは裏腹の、激しい掴み合いの喧嘩を、オレ達は飽きもせずに繰り返した。




 知ってのとおり“三ツ又”と云う名を持つオレは、煤けた毛並みの痩せっぽちな小さな猫だ。

 だが、普通の猫とはひと味もふた味も違う。なんせ尾が三つに分かれているのだから。

 千切れた尾、折れ曲がった尾、そして先が五つに分かれている小手の様なものを持つ変幻自在の黒い尻尾が、オレの特異な尾なのだ。


 対して“小角鬼オヅキ”と呼ばれるヤツは、傍目には五、六歳のおかっぱ頭の可愛らしい稚児である。但しあくまでも稚児の状態なら、ではであるが。

 その証拠に、額には可愛らしく角がちょこんと生えており、オレ同様、瞳は縦に長く細められている。

 二人?共、この世のモノではない事ぐらい、一目瞭然だ。

 そんな二人が、何故なにゆえあって擢磨の家にいるのかというと。


『吾ガ小僧ノ子孫ヲ観護みまもルノハ当然デアロウ?』

 小僧…ヤツの言う小僧とはつまり擢磨の祖父であり、齢90歳を経て立派に天寿を全うした御仁である。

 小僧であったのは人ノ界に下る前の話で、小角鬼とは彼岸へ渡るまで付き添われた仲の良さだ。

 オレは擢磨の差し出すスルメの魔力に負けて、今や立派な擢磨の飼い猫だ。

 そう、ノモノであるこのオレが、だ。


 思えば感慨深い事が多々あるな。オレは小角鬼の頭突きをかわし、スゥと遠くの青空を眺める。

『隙有リッ!!』

『おをっと!?』

 そんなオレ達もここに来てから、そろそろ1ヶ月が経とうとしていた。






 未だ取っ組みひっ掴みを繰り広げるオレ達二人を、後からやって来た擢磨の幼馴染みは、いとも簡単に屋根の向こう側へ放り投げた。

『『何シクラカスンジャ!!貴様!!』』

 ハモり声を上げる息の合ったオレらを尻目に、張本人である芳原朝壬ヨシワラアサミは易々と擢磨の隣に座して、先程まで擢磨が啜っていた茶を一気に飲み干す。

「よぅ。遅かったな。」

 それを気にも止めず、擢磨は空にされた湯呑みに、茶を再び注ぎ入れ。

 黙って再度口に含む朝壬に、擢磨は横から手を差し出した。

「…熱いぞ。」

「うん?」

 わかっているのか、いないのか。朝壬から取り返した湯呑みを旨そうに啜った。




 今やすっかり擢磨の家は集会所と化していた。


 オレが来てからと云うもの、毎日の様に朝壬のヤツは擢磨の家に入り浸り、其処へ小角鬼が加わって、更に喧しくなったモンだ。

 だがしかし。擢磨以外の家の者は、未だ見たことがない。ともあれ、それでオレが困る訳でないし。擢磨もオレ達とうまくやっているのだから、それはそれで構わない。

 だが。

「じいさんの初盆は此処でする、と聞いたが。」

 気遣う様に朝壬が言った。茶菓子を頬張る小角鬼を尻目に、オレは一つ欠伸をして程好い日陰で丸くなる。

「まさかと思うが、お前が取り仕切るんじゃ、ないな?」

 念を押す朝壬の声が耳に付いて、オレは片耳を欹(そばだ)てた。

「大丈夫だよ? ちゃんと親父もお袋も戻ってくるし。」

 その言葉を苦々しく受け止めてるいる朝壬の表情が微妙に可笑しく、眇めた眼で見ていたオレは、暫し様子を観察する。

「手筈は整えたって、親父から連絡が入ったから。」

 なんとかなるさ、とあっけらかんに擢磨は笑って朝壬に言った。

「父親はともかく、あの女が此処に来るのか…本当に。」

 憂鬱げに朝壬は顔を歪め、気に食わなさ故か苛立ちを募らせている。

「やだなぁ、仮にも俺のお袋だぜぃ。」

 明るくおチャラけた雰囲気で答える擢磨に、真剣な表情を向け、朝壬は怒っていた。

「擢磨、お前を棄てた女だぞ。絶対許さない。」

「て、おいおい。うちの両親、離婚もしてないし、お袋は実家の家業手伝いに行ってるだけだって。」

 苦笑いで困った顔をして、擢磨は朝壬の言葉を否定する。

「父親は会社の都合上、仕方がないにしても、母親は子供の傍に付いていてやるものだろ。」

 どうやら何かしらの事情があるようだ。更に耳をピンと立て、オレは夢中で聞き入った。

「うーん、居ても居なくてもあんまり変わんねぇと思うよ。」

 しれと言う。その表情は本当にどうでも良いように、淡々としていた。

「ま、そう言う訳だから。準備手伝ってくれるんだろ。」

 有無を言わせずにっこりと、擢磨は朝壬に強請ねだる。しぶしぶ腰を上げる朝壬は、そう言いながら何処か嬉しそうだった。






 それから数日経った後。

 一人の男が訪ねてきた。

「御免…ください?」

 怖々した雰囲気がなんだか可笑しい。オレはぽす、と男の目の前に降りた。

「誰も、いないか。」

 一人ごちに男が呟く。少しはにかんだ表情が、擢磨の笑った顔と面差しが似て、本当に妙な感じであった。

『ナンカ用か。つか、主は誰ゾ?』

 少々ドスを効かせてみる。感の良い人間なら、ココで身震いの一つでもするのだが。

 男はそのままはにかんだ顔で、オレの気配に全く気付く様子もなく、あろう事かオレの身体を蹴倒す勢いで、足を前に出してきた。

『のォあああっ!!』

 間一髪、辛うじてオレはそいつの足から逃れた。あのまま居てたら、オレは今頃真っ二つにされていただろう。

 慣れた様子で男は廊下の奥へと消えた。オレも慌てて後を追う。

『オオ!!久シ振リダナッ、和馬ヨ。』

 見ると、小角鬼の奴が親しげに男に声を掛けている。勿論、男に届いている様子はない。

『小角鬼、貴様コヤツを知っておるのか?』

『無論ダ。小僧ノ仔ゾ。』

 嬉しく、又懐かしく、小角鬼は眼を細め、男をしみじみと眺めた。

 今、小僧の仔と言うたか? 暫し停止した思考を巡らせ、オレはある答えに辿り着く。

 小僧…擢磨の祖父の子、という事は、つまり擢磨の父親、という事ではないか?

 まじまじと男の顔を眺め、オレは何か釈然としない気分で男から離れた。

 男は懐かしげに、部屋のものに触れて回った。

「擢磨の奴、ちゃんと暮らしているようだな。」

 苦労を掛けている自覚はあるのか。感慨深い声音で呟き、気分良くソファに腰を下ろす。

「あれ? 親父帰って来たの?」

 慌ただしい物音と、お気楽な声と、両方一緒に連れて擢磨が現れた。

「大きくなったな、擢磨。」

「やだな。じさまの納骨でも会ったじゃん。」

「ははは。そうだった、そうだった。」

 何とも陳腐な…あ、いや、滑稽と言うべきか。親子か?と疑問を持ちたくなるような会話だ。

「そう言えばお袋は?」

「ああ。そう思って早目に来たんだが。明るい内に来るだろう。」

 意味がわからん。だが擢磨はそれで納得している。

 オレはオレで何故か無性に腹が立ってきた。

『ヲヤ、何処ヘ行ク。』

 小角鬼の呼び声も無視し、オレは縁側から庭へ出て屋根へ登った。表にはいつもと同じ、無愛想な顔の朝壬が中へ入ろうとしている。

 オレは朝壬のヤツと目があった。

「………。」

 お互い無言、だった。だが、朝壬のヤツの眼差しが険しくなったのを、オレは見逃さなかった。

 ああ、そう言う事か…もしれないナ。

 部外者が交わる今のこの家が、オレは嫌なのかもしれない。擢磨の笑顔が、オレの知らない奴に向けられるのが。

 オレは朝壬に背を向け、反対の屋根へ、靄とした気持ちを掻き捨てるように、脚を思い切り蹴り出した。




 そうしてオレが散歩に出ている間の、話だ。

「こんにちは。」

「やぁ、朝壬くん。いつも擢磨が世話になってるね。」

 にこやかな笑顔を無視するように、仏頂面で朝壬は答えた。

「いえ。思っていたより早く戻られたんですね。」

 何処と無く嫌味な口調を響かせる朝壬だったが、意に介さず和馬は朝壬の頭も撫でる。

 振り払うより無視に近い形でするりと躱し、朝壬は擢磨の傍に寄り添った。

「他の準備は出来たのか? 人数の把握はちゃんとしておけよ?」

 擢磨を気遣いながら、メモのチェックをし、準備をこなしていく。そんな甲斐甲斐しい朝壬の姿に、和馬は甚く感心した。

「いやぁ、やっぱり頼りになるな。朝壬君は。」

「だろ? 親父からもしっかり礼、言っておいてくれよな。」

 呑気な和馬の声を無視しようと決め込んでも、当の擢磨が話を振るので、流石にそうも言っていられない状況になる。大仰に溜め息を吐き、朝壬は渋々相槌を打った。

「朝壬ぃ、そういやさ…三ツ又の奴、見なかったか?」

 不意に擢磨が話題を変えて、朝壬に振ってきた。見つめる無邪気な擢磨の瞳に、僅かばかり朝壬の胸がドキリとする。それでも相手があのチビ猫の事だと思うと、其れが何気に腹立たしい。

 とは言うものの、擢磨の問いに、朝壬は少しむくれながらもちゃんと答えていた。

「先刻、外へ出ていくのを見たがな。」

「その…三ツ又ってのは、誰なんだい?」

「ん、じさまの遺言だよ。」

 さも当たり前に答えて、当たり前に受け止める。

 奇怪な親子の会話を耳に、朝壬は自分の家より慣れた様子で和馬に茶を出した。






 そしてその頃のオレは…といえば。

 そう、屋根の上を一人、無心に飛び歩いて居った。

 何処まで行っても似たような瓦ばかりだ。たたひたすら飛び進んで、何処をどう来たのかもわからない。

 だが、見覚えのある路まで辿り着いた。


 …アア、此処は。

 忘れもしない、擢磨と最初に出逢った路だ。

『懐かしい…カナ。』

 一人ごちに呟いてみる。笑うと苦くて、何だか急に胸元が寒くなった。

 …ナニをして居るノダ、オレは。

 己の行動に馬鹿を見て、その愚かさに溜め息を吐く。

 郷愁に浸るなんぞらしくもない。ノモノぞ、オレは。

 一人強がってみた処で、ナニも変わる訳でない。ポツン、と路の直中にオレが居るだけだ。

『………。』

 振り返っても誰も居ない。右を見ても、左を見ても。空を仰いでも、俯いても。

 独りきり。独りぼっち。

『……………。』

 今頃になって、オレは気付いた。

   「三ツ又ぁ」

 擢磨のオレを呼ぶ声が。

   『マタツマラン事ヲウジウジトッ!!』

 小角鬼の怒る声が。

   「………」

 気のない素振り、でもオレを見る朝壬の視線が。


 思えばいつの間にかオレの周りに溢れていた。

 気付きたくはなかった。

『…ッ……』

 山を降りてからオレは、ずっと独りで生きて来たじゃないか。なんで…何で今さら涙が零れるっ!?

 タダの胸の痛みに、オレは声を上げれなかった。今更答えなんぞ見出だせない。否、見出だしたく無いのだ。

 其処にあるのは、どうしようもなく情けないオレの、惨めな姿しか無いのだから。


 気が付けば無我夢中で走り出していた。何処に向かってるのかすらわからない。

『…ッ…ゥッ…』

 寂しい、なんて感情を無理矢理に圧し殺し、ただがむしゃらにオレは走り続けた。






 屋根の上に広がる蒼の空を眺め、果てぬ夢を追うてみる。

「最初に思う気持ちってさ、どうしようもないんだと俺は思うんだよ。」

 何気に擢磨は凄い事を、いつもサラリと言ってのける。オレは何時もそんな擢磨に敬服していた。

「好きとか嫌いとか、嬉しいとか腹立つとか。そう言うの、直感的に感じるものだろ?」

 理由なんてない。そう擢磨は告げているようだ。

 そう。そんな擢磨だからこそ。オレは─


 目の前に在る…擢磨の手を掴んで良いのか?苦しいからって…そんな訳無い、そんな筈無い。

 まざまざと、見せつけ突き付けられる己の心根と、その弱さ。喰い込む様に、朝壬へ、小角鬼へ、そして擢磨へと爪を立てているのが分かった。

 分かってしまったノダ。


 縋り付かねば一人で立つ事すらも儘ならない。喪えばまたアノ時の様に、オレはオレが見えなくなる。

分からなくなる─ッ!!

『………ゥゥ…ゥ…』

 浅ましいまでの欲望に、離さねばならぬとわかっているのに、それでも掴んだ手を上手く離せない。

『…ァァァアオォゥゥゥ、』

 オレは、吼えた。






 一体オレは何時からコンナに脆くなってしまったのだろう。

「あー、いたいた。」

 走り疲れて、泣き疲れて。へろへろになったオレを擢磨が拾い上げる。…温かい。当たり前だ。

 どうやら戻ってこないオレを心配して、擢磨は捜しに来たらしい。

 オレは擢磨の腕の中で小さく丸く縮こまった。


 いつまでこうして居られる? 擢磨とオレでは流れる時間が違う。

 寒々とした感覚がオレの心の中を吹き抜ける。何よりオレは本当に…此処に居て良いのだろうか。

 一度芽生えた疑心はオレの心にシミとなり、囚われてオレは擢磨の腕の中から飛び降りた。

「どうしたんだよ、三ツ又。」

 心配げに覗き込む擢磨の眼にオレは顔を背け、背を向ける。

 見るな、寄るな、もう二度とあんな…あんな想いはしたくない、ノダ。


 耐え切れず、オレは狭い人間の通れぬ路地へと逃げ込んだ。

「おぉい、三ツ又ぁ。」

 擢磨の…オレを呼ぶ声が聞こえる。

「ほーら、機嫌直せよ。」

 隙間から差し伸べられたのは、スルメであった。オレはその匂いに釣られる様に顔をあげて、細い隙間から一歩、二歩と擢磨に近付く。

 巧みにスルメで誘き寄せられるオレを、擢磨はやはり笑って見ていた。いつもと変わらぬ笑顔を向けて。

「ほい。ご苦労さん。」

『………。』

 このオレがきっと擢磨の傍から離れられないのは、このスルメのせいなんだ、と全てをスルメに転嫁して、オレは夢中でむしゃぶりつく。

 泣きながら、怒りながら、そして笑いながら。

「相変わらずスルメ食うと泣くよな、三ツ又ってさ。」

 何事も無かったように穏やかに、擢磨はオレの傍に居る。

「そんなに美味いか、スルメって。」

 楽しげな声と笑顔を共に向ける擢磨に、オレも泣き笑いながら必死で返した。

『ああ。旨いっ!! 死ぬ程に…ナッ!!』




 刺さった棘も傷跡も、時が経てば何れ懐かしの…戯れに叫んだ若気の至りと笑える日が来るのだろうか。


 そんなことを思いながら、オレはやはり己を笑った。

 所詮は全部、戯言…遊ビ、よの。


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