夕刻: 祭りの残り火 [須佐政一郎]

「では、続きまして! 本島政庁の政務官を務めておられます、須佐政一郎さんよりお言葉を頂戴します!」

 司会を務める少年が体格に似合わぬ図太い声で私の出番をアナウンスする。

 沢庵先生に負けず劣らずと言った具合か。拡声具メガホン代わりに手元に置いておきたいと考えては失礼か。

「ありがとう、お邪魔するよ」

 軽く彼へ会釈し、台の上へと移動する。

 昇武祭の予選を終え、熱気そのままの五百を越える学生達の目が一斉に私へ注がれる。

 毎年のことながら、頭が痛いな。

 そもそも背広組の文官である私がこの場に立つことを相応しくないと思う人間もいるだろう。私もその一人だ。

 武術や立ち合いの機敏に通じている者ならばこの場で気の利いた言葉でもかけられようが、私には無理だ。

 そして、私もかつて学生だった自分を<思い出す>——どんな時もお偉いさんの話など早く終わってくれと願うのが人間と言うものだ。それと同時に、心に訴えるものが無ければあいつは何で出てきたんだとなる。

 はぁ、やれやれ。今回は話題には事欠かないが、彼ら彼女らの反応を考えるに頭が痛い。

「やあ、諸君。紹介にあずかった政務官の須佐だ。今年は、こんなことを言うとお世辞に聞こえてしまうかも知れないが、例年稀に見る白熱した試合ばかりだったと思う。君達の昇武祭にかける情熱と覚悟、しかと拝見させて貰った。島外退避を実施する中、残ってくれてありがとう」

 慣れとは恐ろしいものだ。数百人の聴衆を前に話をしても、私の内面に変化らしい変化は見られない。

「特に、つい先日来たばかりの外国からの二人の留学生の活躍が目立ったかな? 二人とも予選を勝ち抜いて本戦出場と言う快挙を成し遂げてくれた。この学園に外国からの留学生を迎えるのは初めての試みだったけれど、皆にとっても良い刺激になったと思う」

 私を見る視線の中に敵意と嫌悪感が混じる。それもそうだ。日本皇国天下六箇伝お膝元での武術大会で外国の留学生が優秀な成績を収めたと、改めて彼らに伝えたのだから。

 つまり、何をやっているんだと武術のぶの字も知らない輩から言われたのだ。これは心外だろう。あえて相手の怒りのポイントを押すのは衆目を集める話し方のテクニックの一つではあるのだが。

「さて、残念なことを伝えねばならない。昨晩のヒトガタの大量発生に関し、当政庁は君達学園生全員の島外退去を決定した。これは夜間警備に参加している諸君らも含まれる」

 学園生達にどよめきが走る。一部の学生には漏れていたのだが、改めて言われると衝撃だったか。

 静かだった聴衆は今聞いたことが嘘か真か冗談かと前後左右の学生達と囁き合う。

 彼らの顔を一人ずつ見る。やはりかと言う者、憤る者、怒る者、驚く者——皆多少なりとも手傷を負っているのに戦いへの意志は失われていない者が大半か。この島の政務官としては嬉しい悲鳴だ。

 暫し待つ。今は何を語りかけても彼らの心には届くまい。

 ざわめきは段々と大きさを増している。さてさてもう暫く沈黙を貫くとしよう。

 静さんの包帯姿が痛々しい。どうやらかなり手厳しく緋呂金のドラ息子に痛めつけられたようだ。件の本人はと姿を探せども、見当たらない。

 音は次第に小さくなる。私が次に何を言うか、彼らは知らねばならないからだ。

「撤退の完了は本日の夕刻、日暮れ前には完了したい。政庁からは寮に政務次官を派遣する。彼女が君達の撤去の音頭を取ってくれる。あまり抵抗しないでくれよ? 無理やり連れていく程の人員をさくのは難しい」

 ふむ、笑いを取りに行ったつもりだったが、うけていないな。やれやれ。

「だが安心してくれ。どんな状況であろうとも、後日、本戦は実施するつもりだ。勿論、応援したい人達もその時には必ず島内に入れる。これは約束だ。諸君は今日の祭りで得たものを島外で休みながら再確認し、自己調整しながら傷ついた体をゆっくり休め、是非本戦に備えて欲しい」

 やや長い私の演説に学園生諸君から安堵の歓声が上がる。

 ふぅ、これで居残り組は緋呂金鍛冶関係者のみに絞れたか。弥生君にバトンタッチするにはそれなりに適した状況には持っていけただろう。

「では、改めて皆、ご苦労様。怪我を負った体で出島しゅっとうの準備をするのは大変だと思うが、必要とあらば政庁側の人間が手助けしよう。遠慮なく申し出てくれ。では」

 台を降りる前に、もう一度学園生達を見る。そのほとんどは幼く若い、だが間違えなく戦士の顔をしていた。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 教室に戻る途中から、志水君は止まらなかった。水を得た魚ってこのことかな?

「臭うよなぁ、萌よう」

 ——う〜ん、汗かいちゃってるのかな?

「さっきの政務官って奴の話だよ。せっかく昨日誓約書提出させたのに、今日ンなったら夕方までに荷物まとめて出てけだぜ? 間違えねえ、今、俺らはまさに進行中の陰謀のド真ん中にいる!」

 ——えぇ? 考えすぎだよぅ。

 志水君の推理、当たっているから迂闊なことは言えない。うーん、僕の喋ってること、志水君は分かってないはずって言うのは置いておこう。

「それによ、ウチの神社、なんか殺気立ってる奴らが多すぎて尋常じゃねえんだわ、これが。俺の親父とか、親戚の姉貴とかもピリピリしまくっててさ。おまけによ、」

 志水君が急に声のトーンを落とす。

「出たんだよ、ヒトガタ。昨日いきなりドバッと。マジうるさくてあんま眠れなかった。何かが動いてる、間違えねえ。くぅ〜、たまんねぇな、萌よう! 大陰謀だぜ、大陰謀! あ〜! 俺、島の外に行きたくねぇ〜!」

 志水君が頭を抱える。

 知らないんだ、志水君は。旧家でも当主にならないと知らされないって日鉢さん言ってたし……。

 でももし知っちゃったらどうなるんだろう?

 志水君の妄想が、坂道を転がるブレーキの壊れた荷車みたいに暴走しちゃいそうで怖いよう。

「しかも知ってっか? 死んだはずの黒騎士が生きてたって言った奴がまじにいたんだと!」

 ——ぶ〜! ごふごふ。

 ごめん、志水君、それ僕とリズさん。

「あれだろ? シャルロッテのお供の執事のネーちゃんって、兵装展開すると白い騎士になるんだろ? 白と黒、やっぱし鍵は留学生二人組が握ってるぽいよな! ま、俺の読むところ、影で中央政府が手を回してるのは間違えねえからよ。誰が中央とつるんでるか、ってのがな〜。さっきの政務官も怪しいっちゃ怪しいけど、旧家の長男だしなぁ〜。学園に来る弥生って政務次官が怪しいかもな。いざとなったら上に責任全部おっかぶせてドロンできる訳だし。うお! やべえぞ俺! 何か全部分かっちまったぞ、おい!」

 志水君のテンションがおかしなことになってきちゃった。

 どうしようと周りを見渡すも、『東雲、頼んだ』『東雲君、任せた』とクラスの皆が無言のサムズアップと共に答えてくれる。

「どぅわはのは! 本、戦、出、場、決ッ定ィーッ!」

 志水君も止まっていなければ、百地さんも止まっていなかったりする。

「透子ー、あまり動くと傷開くわよ〜」

「百地よう、結局全部シャルロッテちゃんの恩寵のお陰じゃねーかよー」

「はっははのは。全てはアタシの手のひらの上だったのだ〜。アテテテ」

「ってく、調子乗るから」

「待てよ……。てことは、もし俺がシャルロッテちゃんと組んでたら本戦行けたってことか!?」

「え〜、ないない。それはない」

「ありえないって。ねぇ西田?」

「えっ、あ〜、まぁないんじゃね?」

「てんめ、西田、裏切るのか、おい」

「わっちょ、止めろって。本当のことだろ、ね、シャルロッテちゃんってば?」

「え、え? あのあの?」

「西田、ちょっとシャルちゃん何いじめてんのよ!」

「そうよ西田、西田のくせに何してんのよ!」

「西田だからって許されると思ったら大間違いよ!」

「わっ、ちょっ! わわ悪かったってば!」

 西田君は今日も大変そうだ。

 大豪寺君は——何時も通りむっつりしている。去年と同じく本戦出場を果たしたけど、頭の中では既に本戦への戦闘モードに入ってるっぽい。

 リズさんは——女子達に囲まれながらも、こちらも硬い表情を崩さない。

「リズさん凄いよね〜。いいとこまでいくんじゃないかと思ってたけど、本当に本戦出場決めちゃうんだもん」

「そーそー。あの立山さんに勝っちゃうし」

「いえ、結局は私の勝ちにはなりましたが、内容は完敗です」

「まったまた〜」

「謙遜しちゃってぇ〜」

「最後の打突、あれは武器が竹ではなかったら凌げませんでした、間違いなく」

「ほらまた〜」

「そゆこと言っちゃって〜」

 お祝いを言いたいけど、今は無理そうかな?

「だからよ萌、俺がいっつも言ってんだろ?」

 ——わわわっ!

 志水君の右腕が僕の首に周り、ぐいっと引き寄せられる。

「聞いてっか? これから俺が一連の事件のネタばらししちまうからよ!」

 ——き、聞いてまーす!

 リズさんとお話しできそうなのは、まだちょっと先になりそうだった。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 教室へと戻り、自分の席に座る。ようやく得られた平穏な時間に、ついほっと一息ため息をついてしまう。

「ふぅ」

 頭の腫れは完全に引いた。今日の帰りがてらに保健室へ寄って氷水袋を返すとしよう。

 クラスの皆は思い思いの言葉で昇武祭を振り返っている。

 やはりと言うべきか、話の中心にいるのはシャルロッテ、そして透子と静の女子なぎ部(ここは透子に敬意を表して同好会と呼ばない方が良いだろう)だ。

 昨年度の優勝チームにして今年度の大本命チームを破った彼女達に敵はもういなかった。

 初戦で傷を負った透子と静の代わりにシャルロッテが先鋒に回り、獅子奮迅の大活躍を見せた。残る試合全て彼女のオールストレート勝ちだ。

 彼女の恩寵に太刀打ちできる者がいるのなら見てみたかったとの思いも少なからずあった。

「だから、なのだな」

 黒騎士達がシャルロッテを閉じ込めた土の檻、あれは見事な物だった。

 迂闊に破壊すれば硬質化した土塊が破片となって中にいるシャルロッテと静に降り注ぐ。シャルロッテは無傷で済むが、静はそうはいかない。

 内側から破壊の衝撃波を外側全方位に放つのも手だったのかもしれないが、攻撃の余波や残骸が静に及ぶ可能性を否定できない。

 私の目で脆い構造点を把握でき、壊すべきポイントへシャルロッテを誘導できたのが幸いだった。

 ただ、

「何故、か……」

 疑問が残る。

 何故、黒騎士達はあのような檻を作れたのか?

 あの少年のカードは出し方によって付加能力を持たせることができる。それを使った。それは分かる。

 だが、あの檻を成立させるにはシャルロッテの友人、静の存在が欠かせないはずだ。

 私が来れば檻から無事に出られるとシャルロッテに告げていれば、彼女は待つだろう。テレジア殿が黒騎士と対峙し膝を屈するなど想定外の出来事のはずだからだ。

 シャルロッテがこの地を訪れたのは、この国の政府とスイス誓約者同盟との外交上の取り決めだ。スイスからバチカンへと情報が伝わったとすれば、異端審問局の人間ならば彼女の力のことをあらかじめ知っていて対策を立てていてもおかしくはない。

「考えすぎか……」

 黒騎士達が襲撃二日目に青江の屋敷に行かなければならない必要はないはずだ。シャルロッテとテレジア殿がいる時分を狙ってわざわざ襲撃する必要はない。次の日を待てば良いのだから。それとも静の屋敷を早期に襲撃しなければならない理由でもあったのだろうか?

 私の知らない奴らなりの思惑があるのだろう。第一、死んだと確認されていたのが生きていたのも不思議だ。

「ふぅ〜……」

 一つ確かなのは、奴らに一歩も二歩も先を行かれていると言うこと、か。

「ねー、学級長ってまだ戻らないの?」

「まだかかるっぽいな。全員で退去するんだしなぁ。手順とかいろいろあるっしょ」

「ウチら参組はテキトーでも大丈夫だけどさぁ、シャルちゃん達みたいに山ノ手の教会に泊まってる人とかは早めに学園出た方がいいんじゃないかなぁ?」

「ウチの眼鏡学級長のことなら、うまいことやってくれてるっしょ」

 まだ時間がかかりそうだ。ならば——今日の試合の反省を今の内にしておこうか。そう、鉄は熱いうちに打て、だ。 


 暫くあって、教室の前の扉が開き、学級長がその顔を覗かせる。

「皆いるか? いるな、良し」

「お疲れ〜。何だって?」

「どうも何も。これから外町へ行くぞ、今すぐにだ」

「えぇ〜」

「え"ぇ〜」

 急な発言にクラスからブーイングが巻き起こる。

「外町での寝所は既に確保してあるとのことだ。刀と財布だけ持ってさっさと島から出ろとのご命令だ」

「え〜何それ〜?」

「ま〜た壱組の奴らを優先させたせいでウチら参組が割りくう訳?」

「いや、そんなことはない。今のは私が実際に弥生政務次官から聞いた言葉だ。人数の確認やら何やらで時間がもう無いらしい。寮の者は私についてきてくれ。外町へ向かう」

「もう行くの!?」

「横暴だぞ、学級長!」

「ゆっくりできないじゃーん」

「ゆっくりは外町に避難してからだ。外町伍番街の『愛宕あたご』と言う旅館が我々の泊まる先になる。はぐれた者はそこで落ち合うぞ。志水に萌に青江君、それとシャルロッテ君とリズ君達もか。自宅に特に用がなければ私達と一緒に来てくれ。その方が手間が省けるし、安心だ」

「俺はやることないからついてくわ。萌はどうするん?」

「——」

 彼が小さくバツ印を作る。察するに、国司殿から借りている甲冑一式を持ち出す気か。

「あのあの、私も一度戻らないと……」

「ああ、全然構わない。では愛宕で落ち合おう。皆、私について来てくれ」

 皆が慌ただしく席から立ち上がると、教室中が喧騒に包まれていく。

 そんな最中、

「……透子ちゃん、シャルちゃん……」

 私の耳は、消えてしまいそうな静の声を捕まえていた。

「静っちはどうする? おっ! その前に祝勝会をせねば!」

「まぁまぁ! パーティなんて楽しそうです!」

「……あのね……」

 静が表情を変えずに続ける。

「……ありがとうね……」

「シズちゃん?」

「お礼なんて水臭いぞ、静っち! 女子なぎ部の友情は永遠なのだ!」

「……本当に、ありがとうね……」

 彼女はそう言うと、慌ただしいクラスの雑踏へと身を投じ、出口へと肩を落として力無く歩いていく。

「どうしたんでしょう、シズちゃん。傷痛むのかしら?」

「なははのは〜! ダイジョーブ! 全部シャルちーが倒してくれるから本戦も問題ないぞ、静っち!」

 二人が微妙にずれた会話をしている間に、静は教室のドアから外へと去っていった。

 彼女の様子に違和感を覚えながらその背を見送っていると、今一番会話をしたいようでしたくない人物が近づいてきた。


 東雲萌、その人である。


 ——  、          、    。

「ああ、ありがとう」

 私は眼鏡をかけたまま彼に言葉を返す。私の言葉が刺々しく感じられるのは気のせいだろうか?

 ——       !     、          !

「ただのまぐれだ。それに、萌の戦い方を参考にさせて貰った。うむ、ありがとうと言うべきか」

 ——          。    、                。

「君は人をおだてるのが実にうまいな、萌」

 私の言葉に彼が頭をポリポリとかく。

<強制視>を使わずとも自然に彼の言葉を理解している自分がいた。

 それが今日のどの勝利よりも嬉しく、そして何よりも悔しかった。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 ——すごかったですね、シャルロッテさんの恩寵。結局一人で全部勝っちゃいましたもん。

「旧史風に言えば、デウス・エクス・マキナ、か」

 ——あ、聞いたことあります、その言葉。全てを解決しちゃう最強の存在ですっけ?

「ああ。が、流石の彼女にも恩寵の相性はある。全ての人間や怪異を一人で倒せる訳ではないさ」

 リズさん眼鏡をしてるのに普通に僕と会話ができちゃってる。志水君は一方的に喋るだけだけど、こうして普通に会話が行ったり来たりしてるのが不思議な感じだ。

 前に図書室で僕の考えていること何て全てお見通しだって言われちゃったし。僕ってやっぱり単純で分かりやすいのかなぁ。

 でも、こうしてリズさんとちゃんと面と向かってお話しできるのはすごく幸せだったりする。

 ——シャルロッテさん、まさに百地さん達の切り札ジョーカーだったんですね!

「まあな。ヨーロッパでも間違えなく五本の指に入るほどの力の持ち主だ。君の言う通り——……」

 そこでリズさんが止まった。

「萌、君は何と言った?」

 ——え? シャルロッテさんて凄かったんだなぁって。

「違う、正確に、だ」

 リズさんが眼鏡を取る。

 紅の宝玉のような双眸に睨まれて、僕の心臓がばくばくと悲鳴を上げ始める。

 リズさんのこういう急激な変化、体に悪いです、はい……。

 ——シャルロッテさんは、百地さん達の切り札ジョーカーだったんですね、です、はい……。

切り札ジョーカー切り札ジョーカー……」

 リズさんが呪文のように繰り返す。

 そして遂には黙りこくってしまう。

「恩寵による尋問、<カードの兵隊>、切り札ジョーカー、もしもし電話……」

 ——あの〜、リズさん?

「まさか……いや、そんなはずは……だが、そうならば辻褄が……」

 ブツブツと呟くリズさんの顔色が、段々と青いものに変わっていく。

「すまない萌! 急用ができた! 私は行かなくては!」

 リズさんが<氷の貴婦人>を肩にかけ、猛然と扉を駆け抜けていく。

 ——えぇ!? お、お気をつけてー!

 リズさん何だったんだろう、と思いながら一人残された教室で僕はしばち立ち尽くしていた。

 ——うん、でも前みたいにまたお喋りできたぞ!

 と、密かに小さくガッツポーツをした。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「静さん!」

 私の呼びかけに、彼女が振り返った。

「…………」

 緋呂金の者二人に挟まれながら、私を見る。いや、私の姿はその瞳に写っていたとしても、真の意味で彼女は私を見ていないのだろう。

「行って、しまうのですか?」

「…………」

 同じだ、あの時と。

 思い出したくもない、絶望を絵にした光景が、再び私の前で繰り返されようとしている。

「他に道があるはずです」

 私の声に、隣に立つ緋呂金の家の者達がようやく私の方を振り返る。私には彼らから彼女を無理矢理に引き離す力はない。

「…………」

 全てを諦めたその瞳は、彼女の母親のそれと全く一緒だった。


「……お別れ、もう済ませたから……」

『あの子のこと、お願いね、政一郎君』


「あ——……」

 話す場所、時間、言葉は違えども、それはまさしく寸分違わず青江はなのそれだった。

<思い出す>、彼女と過ごした時間、その一分一秒を。この恩寵などなくとも、忘れるはずもない。

 幼い私はあの時間が永遠に続くと思っていた。そんなものまやかしだと気付いた頃には、彼女はもう手の届かない人になってしまっていた。

 それでもと、彼女が幸せならばと良いのだと一人思い込んでいた愚かな自分のことを。生きてさえいればきっと幸福が見つかるのだと言い訳し始めた自分の足跡を。

 遠く眺めるだけで、自分勝手で身勝手な幸福感に浸っていたこの身の愚かしさを。

 最後の日、この別れの言葉を聞き、ようやく悟れた自分の人生の無価値さを。

 全て覚えている、思い出せる。忘れてなるものか。


 汚物のような私自身と決別するためにも、私は誓ったのだ——戦う、と。

 彼女との約束を、彼女から託されたものを守るためならば、全てを投げうってでも戦うのだと。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る