朝: 昇武祭予選、開幕 [東雲萌]

「それではこれより昇武祭予選、乱戦の部、ホ組の勝者を決めるものとする!」

「うおおおおぉぉーーー!!」

「ウオオオオォォーーー!!」

 審判を務める沢庵先生の老熟な凜とした声に、出場者と観客から野太い雄叫びと声援が沸き起こる。

 肌を刺すような殺気と熱気がぶつかり合い、去年も感じた捉えようのない独特の雰囲気が僕を包み込む。

 空模様は残念ながら一面の曇りだけど、昨晩から降り続いていた雨は明け方には止んでいた。今にもまた降り出しちゃいそうだけど、予選の全種目が終わるもう少しだけ持ちこたえて欲しい。

 昇武祭の見どころは何か?

 それはズバリ、予選だと思う。

 各種目の優勝者を決める本戦も大事なんだけど、島内外のお偉い人達が沢山来るせいか、学園の運動行事って言うより、祝事としての色合いが濃い。応援とかも控えめだし、雅楽部の演奏をじっくり静聴する時間とかもある。

 やってる僕達の熱を一番感じられるのは、この予選にあると僕は勝手ながら断言しちゃう。

 それぞれの種目には独特の空気がある。

 一対一ワンオンワンでは、個人の練り上げた技術と恩寵が激突するし、二対二ツーオンツーでは息の合った素早いチームワークの攻防から目が離せない。三対三スリーオンは、色々と言われてはいるけど、勝ち抜き戦ならではの出場順の読み合いとか、去年同じチームだった人が敵同士になってたりと、知れば知るほど面白みが増す昇武祭の花形だ。

 そうそう、弓術だって負けてない。

 ただ的を射て点数を競うだけかと思いきや、弓矢を用いずに的を射たり、的を置く安土場ごと破壊しちゃう人がいたりと、見ているだけなのにすっごくワクワクする。

 そして、僕が今まさに参加している乱戦はと言うと、

 まず他の種目と大きく違うのは防具が無いことだ。体操着か感応型の胴着を身につけて、それぞれ思い思いの獲物を手に精魂尽きるまで戦う。

「しゃぁぁぁぁあぁあああ!!」

「うおぉぉぉーーーーーっ!!」

「フヌゥゥゥゥウウーーーッ!!」

 血気盛んな人達が勝負開始の合図を今か今かと待ちわびている。

 うぅぅ……やっぱ怖いよぅ……。

 乱戦の目玉といえばやっぱり血生臭いことだ。竹製の武器で防具無しで本気で打ち合うため、必ず怪我人が出る。血も流れる。むしろ出ない方がおかしいぐらいだ。

 勝負の決まり方に問題がある、って言って毎年審議されているそうだけど、やっぱり乱戦はこれじゃないとダメだ、ってなるみたい(ある種お約束だって志水君が言ってた)。

 今年、僕は五組目のホ組に割り振られた。前四組はどうだったかと言うと、怪我人ばっかりだった。むしろ、関節を決めて腕を折りに行く人とか、折られた腕でぶん殴る人とか、滅茶苦茶な戦いばっかだった。見てた僕はすっごく痛そうでハラハラしたけど、観客席の皆のテンションは最高潮だ。

 竹製の武具は、昇武祭実行委員会の貸し出し品か、あらかじめ申請して通った物のみが使える。先端部分はゴムが付いてたり、分厚い布で覆ったりしてるから、顔に刺さったりとかは昇武祭乱戦の長い歴史の中で今までのところ無いみたい。僕は貸し出しの竹刀を使う派だけど、空手部の人達は毎年徒手空拳で出場して会場を沸かせている。二組目のロ組は、撃剣科伍年の伊崎いざき先輩が優勝した一昨年と同じく、全員自分でKOして勝ち上がった。

 最後なんか伊崎先輩の下段回し蹴りと槍術部主将の柳田やなぎだ先輩の面打ちが同時に決まって、皆がテンカウントを合唱する中、伊崎先輩だけが気力で立ち上がり、見事本戦出場を決めた。……僅差で負けちゃった柳田先輩は竹下先生に相当絞られるんだろうなぁと気の毒になっちゃったり。

「ウィィィイイヒァァァァ!!」

「ホォォォォォォォォウッ!!」

 何て物思いに耽っていたら、周りからの奇声で現実に引き戻されちゃった。何だろう、怪異とかの叫び声の方が戦いやすい気がするぞ、僕……。

 皆、これまでの激戦を見ていたせいか、戦う前から頭に血が昇り切っちゃってる。

 そうれもそうだ。ルールらしいルールがないのも乱戦の見どころなんだから。

 戦意喪失した者、審判が戦闘続行不可能と判断した者、試合場の印である縄からはみ出て一定時間以内に戻らない者が失格となる。

 他は何をしても良い。他の種目では禁じ手とされている急所攻撃や目突きも乱戦では流されている。

 開始の合図がかかり、最後まで立っていた者が勝者である——それが乱戦だ。

「大豪寺ー! 萌ー! しっかりやれー!」

「東雲ぇ〜、つまんねぇ試合すんじゃねえぞ〜!」

「大豪寺も東雲君も頑張れ〜!」

 クラスの皆の声援が、周りの怒声に混じって聞こえてくる。

 そう、何と僕は去年と同じく大豪寺君と同じ組に割り振られちゃってる。

 今広場に立っている同じ組には、夜警の集まりの時に見たことのある顔がちらほらある。昨晩の疲れも残ってるはずだけど、もうスイッチ入っちゃってるからなのか、顔からは闘志と覇気しか感じられない。

 皆、一応にある人物を睨みつけている。

 大豪寺君だ。

 去年予選を勝ち抜いて本戦に行ったんだし、皆が警戒しているのが分かる。

 いや、きっと皆(僕除く)で示し合わせて大豪寺君を落とす気だ。瓦版にもデカデカと書かれたし、やっぱり参組の人なんかに勝って欲しくないのかな?

 乱戦ではこう言った共闘が暗黙の内に認められている。当日の朝に自分の組を教えて貰えるから、裏でこそこそする人はいる。でもそんな人達が勝ち残っているかと言うとそうでもないのが、乱戦の面白いところだ。

 大豪寺君は、体操着じゃない。去年と同じく胴着と袴だ。体操着なの僕だけだったり……。感応型の胴着と袴、高いんだよね……。僕の場合、自分の恩寵に感応してもしなくても同じだから買わなくていいや、って思ってたら、夜警の時にあんなことをやらかしちゃったし……はぅぅ。

 大豪寺君は僕と同じく貸し出し品の竹刀を手に、座禅でも組んでいるかのような不動の、

「ダイゴウジさん! ハジメさん! がんばって下さぁ〜い! ほらほら、シズちゃんも」

 あ、崩れた。シャルロッテさんの声援でガクッとなった。わざとらしく咳払いなんかしてるけど、指で体をたたき出したりそわそわしだしちゃってる。

「それでは開始に備えよ! 各人、日頃の成果を思う存分に出すが良い!」

「うおぉぉぉぉーーー!!」

「ウオォォォォーーー!!」

 僕は手にした竹刀を体の中心に持っていく。青眼の構えより竹刀の剣先を下げ、地面と水平に取る。周りの人は大豪寺君を襲う気満々だけど、用心だけはしておかないと。

「では尋常に——」

 周りの皆は大豪寺君への敵意をもはや隠そうとせずむき出しに、手の武器を、

「始めェイ!」

 大豪寺君へと振り下ろす!

「うおおおおおおぉぉぉぉぉーーー!!」

 全てをかき消す大豪寺君本人の雄叫びが聞こえたと思ったら、間髪入れずに衝撃がやってきた。

 僕は他の参加者の人達同様に空高く打ち上げられていた。視界がくるりと反転し、空が下に地面が上になる。

 ああ、去年と全く同じだ。

 これが大豪寺君の必勝パターンだ。体全身を大きくさせて、一薙ぎで他の皆を縄の外へと吹き飛ばす。

 一瞬の無重力の後、地面が急速に僕を引き寄せる。

 相当な高さから落ちるから、防具が無いのは致命的になる。意識を失うには十分すぎるくらいのダメージを負う。

 そしてタイムアップだ。縄の内側に落ちれたなら気絶判定の十カウント以内に立ち上がらないといけないし、外側に落ちちゃったのなら二十カウント以内に縄の中へ戻らないと失格になる。

 万一立ち上がっても、戻れても、巨大化した大豪寺君がまた吹き飛ばす。

 大豪寺の攻撃を受け付けない恩寵の人とかで固めるのかなと思ったけど、乱戦の組み合わせを決めた実行委員会の人はフェアに抽選をしたみたいだ。

 あ、そうだ。そんなこと考えてないで、そろそろ地面とぶつかっちゃうからきちんと受け身を取らないと。

 これで大豪寺君に飛ばされちゃうのは今年二回目か。あ、リズさんが見てる。変なとこをまた見られちゃっ


「よっ、萌、今年も去年みたくえらい派手に飛びやがったなー」

 うぅ、まだ背中と頭がヒリヒリする。保険委員の人から貰った氷水の袋を当ててるけど、腫れが引くのはもう少し時間がかかりそうだ。

「でもよ、大豪寺って毎回あれで芸がないよな」

「いや、全く同じではないぞ。私の見る限り竹刀の振りが僅かに早くなっている」

「ほへー、学級長ってば良く見てるなぁ〜」

「二年連続で本戦出場の切符を掴んだんだ。ここは素直に大豪寺の健闘を称えるべきだろう」

「何ぬかしやがる、眼鏡。本番で勝たねえと負けは負け。予選で負けんのと同じなんだよ」

「ちょっと、それって予選で勝ててない私達への当てつけっぽくなーい? シャルちゃんもそう思うでしょ?」

「え、え? あのあの?」

「西田、西田ぁ〜、アンタもそう思うわよね?」

「えっ? あ、まぁ、そうなんじゃね?」

「そーよそーよ、大豪寺、アンタ、シャルちゃんにちゃんと謝っときなさいよ!」

「うう、うるせーぞ、ててテメーら!?」

 シャルロッテさんは関係ないような?

 ちなみに、後で志水君から聞いたところによると、やっぱりなのか分からないけど、大豪寺君は観客の皆から大ブーイングを食らってたみたい。参組なのに勝っちゃったせいなのか、全員場外判定勝ちって結果に納得していないからなのか、もしくはその両方なのかは分からない。僕、しっかり気絶しちゃってたもん、うぅぅ。

「お、来た来た。第二部の出場者が」

 志水君の声にクラスの皆が振り返る。

 防具を脱いだリズさんがそこに立っていた。胴と垂と脛当てを胴着の上につけて、面と籠手と竹刀を脇に抱えている。和装の袴なのに、これまた凄い決まって見える。リズさんって何着ても格好良いなぁ。

「リズさんお疲れー! ちゃんと見てたよー!」

「凄いね、ホント。これなら大豪寺に続いてウチら参組から二人も本戦出場じゃない?」

「まだ午後が残っています。先のことは分かりませんよ」

「でもでも、後二戦だし、残ってる人の恩寵考えた感じリズさんなら行けるっぽいよ!」

 一対一に関しては、二対二や三対三と違い、一回勝ち上がるごとにトーナメントがシャッフルされる。次に誰と戦うかあらかじめ決まっていると所属している部活や持っている恩寵なんかで事前に対策が立てられるからだ。得てしてそれは、人脈と言うネットワークが強固な人の方が有利に働きやすい。だからできる限り平等にするために、次に誰と戦うのかを完全に伏せている。でも午後の部まで勝ち残れると残りの人が少ないから大体分かっちゃう。

 一対一が完全な個人戦と言われるのはこう言う面もあるからだと思う。感応型の防具でしっかり身を守って、武器一つで戦う。

 立ち合いには制限時間があって、有効な攻撃で旗が上がるポイント制だ。弓術の次に怪我が少ないから、女子にも人気の種目だ。

 だからと言って全試合が判定で決する訳はない。ここでも空手部の人は大暴れだ。さっきの試合なんか、籠手を投げ捨てた参年の先輩が素手の突きで相手の面の金具を貫いて一本勝ちしていた。そのまま殴り倒したKO勝ちじゃなく、きちんと寸止めまでしてたんだから本当に凄い。

 でも、KO勝ちが決まるまで審判団の先生と実行委員の人が相当話し合ってたから、防具を脱ぐのは今年で見納めになるのかもとは志水君の分析だ。竹でできた竹刀と、鍛えた素手の拳じゃ硬度が違うからね。リーチ差があるけど、防具を破壊できる攻撃を出せるかどうかは試合の公平性を覆しちゃうかも知れない。

 剣道部の一柳君は、一対一で空手部の人と当たるのは緊張感がやばくて楽しいって言ってたっけな? そんな一柳君は優勝候補の一角、撃剣科肆年の立山たてやま先輩に二回戦で負けてしまった。あ、立山先輩はまだ勝ち続けてるからリズさんと当たる可能性があるのか。

「期待に応えられるか分かりませんが、最善は尽くします」

 はぁ〜。治療が長引いちゃったせいでクラスの皆の試合、全部ちゃんと見れてなかったりする。残念、無念……。午後はしっかり応援するぞ!

 昇武祭は血生臭い反面、安全面は徹底しようとしている。試合中に怪我を負ったら救護テントに担ぎ込まれて、岸先生か、今日の日のために来てくれている鳥上中央医院のお医者さんの診察を受けなきゃいけない。

 怪我人はいっぱい出るから、治療には時間がかかる。乱戦なら尚更だ。治療の順番待ちをしてたら、もっと重症の人が運び込まれてさらに待ち時間がプラスされる——と、それの繰り返しだった。

 乱戦の次に予定されていた、一対一の午前の部と二対二の試合は見逃した試合があったけど、午後の三対三とリズさんの一対一はきちんと応援するぞ!

「シャルちー! シャルちー! 出番出番! しょっぱなからウチらの出番だぞー!」

 遠くから百地さんがシャルロッテさんを呼ぶ声がする。感応兵装の防具のはずだけど、胴着も防具も先がちょっと曲がった竹の薙刀もばっちり見えている。

 きちんと感応できるなら百地さんすぐにでも壱組に行けると思うんだけどなぁ。本人には絶対内緒だけど。でも百地さんがクラスからいなくなっちゃったら寂しいかな?

「お、そいや、百地達は三対三の初戦だっけか」

「あ、あ! いけない忘れてました! それじゃ皆さん、私、行ってきますね!」

「お〜がんばれ〜!」

「シャルちゃん、無理しないでね! 危なくなったらすぐ棄権してもいいんだよ!」

「ああ、俺、シャルロッテちゃんの胸防具になれるのなら死んでもいい」

「俺も……」

「アタシも……て、バカ男子! 不潔なこと考えんな!」

「うぐほぅ!」

「ぷぺぁ!」

 柏木さんの鉄拳は相変わらず容赦ないなぁ。

「ところで、三人が戦うのは誰なのですか?」

「えっと……」

「女子なぎ部——じゃなくて、女子なぎ部同好会は、と……」

 皆で今朝手渡された出場表を確認する。

「うげ」

「まじかよ……」

「え、これ、ヤバくない?」

 うわぁ……。皆からため息とも悲鳴ともとれる声が溢れる。

「『緋呂金三傑』? もしや緋呂金のあの男のチームなのですか?」

 リズさんの言葉に皆で力無く頷く。

「そこ、緋呂金さんのチームって、四年連続三対三で優勝している今年も大本命のとこなの」


 昇武祭の第一会場、第一校庭に設けられた試合場は、初戦から山場を迎えていた。

「それでは、これより、三対三さんたいさんの勝ち抜き戦を執り行う!」

 緋呂金さんのチームと青江さんのチームが、校庭の中央に歩み出る。

 勝負を見守る観客は多い。不思議って程でもないけど、緋呂金さんのチームに声援は飛んでない。

 参組だからか百地さん達への罵倒は聞こえてはいるけど、予想よりも少ない。シャルロッテさんのお陰かな?

 こうして学園生全員が参加する行事にいて気付くけど、シャルロッテさんは……体系的なそれもさることながら、抜群だ、色々と。彼女より綺麗な人は、副会長の烏丸先輩とかリズさんとか、探せばいるだろうけど、可愛いって分類ではぶっちぎってると思う。リズさんも負けてないけどね!

「では、先鋒の両名は前へ出でよ!」

「ハイハイサー!」

「クックック」

 両チーム、先鋒の一人を残して縄の外へと出る。

 勝ち抜き戦の三対三では、先鋒を主審の先生に事前申告しなければならない。次の中堅、続く大将はどちらが先に出てもいいことになっている。

 武具が同じだと仮定した恩寵戦では個人の技量もさることながら、恩寵の相性が大事になる。こっちの恩寵は相手に通用するのか、しないのかを事前に見定めておくことが肝心だ。日鉢さんみたいにすごい上手に炎を操れる力があったとしても、『火傷を絶対しない』って恩寵の前では無力になってしまう。

 相手がどんな恩寵を持っているか、こっちの恩寵で有利を取れそうかどうか、技量の差を恩寵で覆せるかどうか——そんな戦略も三対三では必要になってくる。

「うお、いきなり出やがった!」

「マジかよ!? 百地やべぇな、こりゃ」

 うわぁ……。初戦は百地さん対緋呂金さんだ。

「何? 防具をつけていないと反則になるのではないですか?」

 緋呂金さんは木刀に近い反りのある竹刀を持っているだけで、胴着に袴で防具は何処にもつけていない。

「いや、違うんだってリズさん。良く見ててよ」

 緋呂金さんが竹刀を左の下段から時計回りに弧を描いて動かし、右の下段に移動させ、唱える。

「咲き誇れ、<無花果いちじくの針>——!」

 風が彼を中心に巻き起こる。

 それが収まった後には、リズさんや百地さんがつけている貸し出し用の竹製の防具とは比べものにならない豪華な具足一式に身を包んだ彼がいた。

 頭、喉、胴、肩、腕、足——その全てが装甲で覆われている。かろうじて脇の下と内股が薄いけど、それは機動性を持たせるためだと判る。

「なっ!? 兵装の展開だと!? 審判! ルール違反ではありませんか!?」

「ちょ、ちょっとタンマだってリズさん! あれ、OKなんだって」

「そんなバカな! 展開可能な恩寵兵装と、ただの感応型の兵装では格が違うではありませんか!」

「だから、いいんだって。何せあいつは、緋呂金なんだから」

「何だと……!? そんなアンフェアなことがまかり通るのですか!?」

「仕方がない。規定では竹製であれば武具の持ち込みは認められている。申請と許可が必要だがね。緋呂金先輩の持つ恩寵兵装はそれをパスしたものと言うことだ。勿論、そんなものは普通持っていないのだから武具を貸し出している。奴の行為はルール上、認められた戦い方だ」

「くっ!」

 リズさんが拳を握る。眼鏡を外して、緋呂金さんを見て、もう一度苦悶の声をあげる。

 きっと、僕達以上にあの具足が百地さんの防具と桁違いだって分かっちゃうんだろう。きっとあの具足は、この島の職人達に作らせたものか、緋呂金の恩寵刀と交換で島外から取引した名品なんだろうから。

 装甲の出来の違いだけじゃない。秘めた想いの込められた一品であるのなら、それに共感、共鳴すれば、本来の実力以上の物理的、恩寵的力を授かることができる。

 外から見てると分かっちゃう、去年もそうだったけど。百地さん達のチームは全員面まで防具を身につけているのに、緋呂金さんのチームは誰一人防具をつけていない。つまり、不公平なのは緋呂金さん本人だけじゃない。緋呂金さん達のチーム全員なんだ。

 それが嫌で、ここ数年は三対三の参加者が年々減ってきて、一対一が増えてるって話だ。本来ならば午前中で終わるはずの一対一が午後まで伸びたのはそう言う理由もある、きっと。

「ではこれより、『緋呂金三傑』対『女子なぎ部同好会』の試合を行う」

「おいおい、よりによって主審は竹下かよ」

 主審は試斬の授業を受け持つ竹下先生だ。

「おっしゃー! 先鋒百地透子! 伊賀の国よりはるばるこの地に見、参! トウ!」

 百地さんは気勢を上げ、やる気いっぱいだ。

「クックック、いきがるのもそこらにしとけよ、劣等共が」

 勝負は火を見るより明らかだ。だけど、応援しなきゃ! 僕の昇武祭はもう終わっちゃったけど、百地さん達のはまだ終わっていないんだから!

 三対三の初戦、しかもいきなり昨年度王者組の登場に、他の皆も固唾を飲んで見守っている。

「いざ尋常に、始め!」

 掛け声がかかるや否や、百地さんは竹製の薙刀を頭上で派手に回しながら突撃する。

「オリャオリャオリャー!」

 陽気な掛け声に合わせて、薙刀が何度も繰り出される。

「フン」

 最初は彼女の突きを真面目に払っていた緋呂金さんだけど、直ぐにそれも飽きたのか、百地さんの薙刀を当たるに任せて棒立ちとなる。

 しなる薙刀が装甲とぶつかりここまで音が響くけど、ダメージが通っている様子も無いし、有効打を示す審判達の旗も上がってはいない。

「ほりゃほりゃほりゃさー!」

「トウコちゃん、がんばれ、がんばれー! ほらほら、シズちゃんも! 一緒に応援しましょ!」

「…………」

 先端を厚手の布で覆う薙刀では、展開した恩寵兵装の装甲を突破できない。しかも、そもそも体を覆う装甲部の面積が皆のより格段に広い。顔や喉は言うに及ばずだけど、肩や上腕、足の甲はもとより裏側まできちんと装甲でカバーされている。

 ならば比較的薄い内股を狙えるかと言うと、自分の装甲に絶対の自信を持ってただ突っ立ってるだけの人間は、意外にも隙がない。

 百地さんは諦めない。ありとあらゆる場所へ薙刀をぶつけ続ける。けど、開始数分を待たずして勝負はもうついてしまった。

「フン」

「あっ!」

 無造作に突き出された緋呂金さんの左手が百地さんの薙刀を掴む。それを引き寄せ、

「あいたぁ!」

「クックック」

 百地さんの右の手首を防具の上からしたたかに打つ。籠手をしているのに、百地さんは悲鳴をあげ、薙刀を手放してしまう。

「んで、次はオマエ、何する訳?」

「グムムム」

 薙刀が場外へと放り出される。これで百地さんの戦う手段がなくなってしまった。

「ドリャー!」

 いや、それは僕の間違いだ。百地さんは気合を入れて、素手で緋呂金さんに殴りかかりに行く。

「で、何?」

「ムムムム、トウ!」

 叩き、殴り、蹴ったところで彼の体内には何も通っていない。

 ならばと棒立ちの相手に関節を決めようとするも、

「つまんないとさ、すぐ終わらしちまうよ?」

 元々の腕力の差か、展開された恩寵兵装の恵みによるものか、ピクリとも動かない。

「ハッン!」

「ブわっ!?」

 緋呂金さんが突如として頭突きを見舞い、頭部の装甲が激突する。しかし、百地さんの方がダメージが多い。それも当然か、面の金属が鼻にぶつかる音が僕の耳まで届いた。

 紅い血が、防具の中で、何も見えない宙から地面へとダラダラと垂れる。

「ハハッ、面白いおもちゃだな、これ」

「ンギャぐぐ」

 三度、緋呂金さんの竹刀、て言うよりもはや刀に近いけど、それが百地さんの頭を左右左と強烈に叩く。彼女の頭が大きく左右に揺れ続け、紅の血の雫が右に左に飛ぶ。

 持っている武具の差もあるけれど、剣士としての地力が離れている。緋呂金さんは性格が悪い、嫌味だ、とんでもなく口も悪い。どうしようもない人だけど、。だからこそ余計に性質たちが悪い!

「審判! 試合はもうついている! どうして止めないのですか!?」

 リズさんが激昂し声を荒げるも、主審の竹下先生はどこ吹く風と聞き流す。

 勝負を見守っている他の先生も、学生の審判も、主審が止めないから止めずにいるのか、それとも緋呂金の次期当主に睨まれるようなことはしたくないのか、成り行きを見守っている。

 ただ、緋呂金さんの竹刀が百地さんと叩くたびに、有効打を示す得点の旗が無情にも上がり続けていく。

「そらっ!」

「ぎゃし!?」

 校庭に鮮血が飛び散り、砂と混じり合い血塊となる。

 校庭に血の花びらが咲き始める。

 透明なはずの百地さんの顔が血に洗われて、鼻から下の輪郭がはっきりと映る。

 一層強く振り抜かれた一閃が、百地さんの頭部を横から強打する。

「ぎゃぴ!」

 打点を中心に百地さんの体が綺麗な円を描いてひっくり返ってもんどりを打ち、地面に倒れ伏す。

 審判達はそれを有効打とし旗を上げる。

「ハン、何だ、もう終わりなのかよ。これでもちゃんと手加減してやってんのにさぁ?」

(多分)気絶しちゃってる百地さんのことを緋呂金さんが軽口を叩きながら何度も何度も蹴る。

「審判!!」

「必死だね、ほんと。笑っちゃうよ。ん? あ、こいつ伸びちゃってるよ。困っちゃうよね、天才は凡人の相手をすると加減が難しくってさぁ〜」

「ぐぐぅ……」

 百地さんが苦痛の声を上げて、身をよじる。

「貴様、いい加減に、」

 ——ダメです、リズさん!!

「おい、萌! 何をする!!」

 ——第三者が勝負に介入した時点で失格になっちゃうんですよ、百地さん達全員が!

「しかし、」

 ——耐えて下さい! 耐えるしか、僕達はできないんです!

 リズさんの怒りに震える手を握り締める。

 僕の手はそれ以上に震えている。こんな光景を見せられて、体内の暗くて熱いものがグツグツと煮え立たない訳がない!

 だけど、今は、百地さんが精一杯頑張ってるんだから、僕達はそれをしっかり見届けて応援しないといけないんだ!

「ハハッ、もういいか、飽きたし。はい止め」

「ギャン!」

 緋呂金さんの竹刀が百地さんの腹部へ突き刺さる。地に倒れる彼女の体がくの字に跳ね上がり、パタンキュ〜と砂煙りを上げて再度倒れこむ。

「おい審判、止めていいよ」

「……勝負あった。勝者『緋呂金三傑』」

「ハハッ、時間をかけ過ぎちゃったかなぁ〜?」

「透子!」

 ——って、ダメなんですよ! リズさん!

「くっ、止めるな、萌ェ!!」

 ——三対三は始まったら部外者以外は入場禁止なんです! 怪我人の救護も、二人の立派な仕事なんですよ!

「きゃ〜きゃ〜、トウコさん、しっかり、しっかりして下さい〜!」

「……ぁ、ぅ……」

「むぐぅ〜、ゴフゴフ」

 青江さんとシャルロッテさんが地面に倒れたままの百地さんを介抱する。

 介抱て言うより、

「きゃ〜きゃ〜、どうすればいいんでしょう? リズちゃん?」

「…………」

「どうやら、応急処置を何も分かっていないようだな、あの二人は」

「どどど、どうすんだってばよ、学級長?」

「西田よ、この局面はどうする?」

「いやさ、どうにも。とりあえず敷地外に連れ出して防具を脱がせねーと。そうすりゃ救護班が傷薬でもくれるっしょ?」

「緋呂金のチームだぞ、相手? そんな睨まれるようなことする勇気ある奴いるのかよ」

「シャルちゃん達〜! とりあえず透子を外まで引っ張って防具の糸を解いちゃって〜!」

 三体三の場合、先鋒の試合が終わったらからと言って帰ることは認められていない。

 自分が戦った敵の情報を残りの二人に伝えたり、自分のチームの敵を一歩引いたところから眺めて助言を送るのも立派な仕事だからだ。

 よっぽどひどい状況なら救護班の人達がテントに運び込んでくれるけど、今の百地さんの状態は、昇武祭ではギリギリ許容範囲内だ。それが緋呂金さん相手なら、彼の許可なく治療することは誰もしないだろう。僕達は止められない、止めちゃいけないんだ。

「あっちちち、ぐぬぬぬ。今年も一勝できなかったか。静っち、後は任せた。イテテて」

「透子ー! じっとしてなって! 取り敢えず鼻は止血しとかないとマズイから痛いだろうけど手で押さえておいて!」

「くぅ〜、しみるぅ〜。真心とか親切とか、女子なぎ部、冥利に尽きるよ」

「いや、お前のとこ同好会だから」

「中堅、前へ出ろ!」

 時は無情だ。始まった勝負は止まらない。

「……透子ちゃんを、お願い……」

「シズちゃん?」

 次に前に進みでるのは青江さんだ。百地さんと同じ袋につつまれた薙刀を脇に構え緋呂金さんと対峙する。

「クックックック」

 兜の面で顔全体が覆われてるから目元、口元までは分からない。けれどそれらは醜く歪んでいるはずだ。

 お腹の底がグツグツと熱を持ち始める。

「両者、前へ!」

 緋呂金さんは竹刀についている百地さんの血を籠手で拭う。

「あの男……!」

「リズ君、君の目には奴はどう映る?」

「……。ダメだ、静では百に一つも勝てないだろう」

 対面する青江さんは青江さんと同じ学園支給の感応型の面、胴、垂、籠手、脛当てで、手にしているのは百地さんと一緒の竹製の薙刀だ。

「クックックック」

「…………」

 生理的な嫌悪感を抱かせる笑い声だ。

 卑劣な笑顔を浮かべているであろう緋呂金さんとは対照的に、青江さんは何も語らず、表情を全く変えず、ただ薙刀を下段に構える。

「それでは第二戦、」

 勝負を見守る観客の皆は一様に押し黙る。この両者の因縁めいたものを語る必要はないだろう。

 共にこの島の鍛冶を担うはずの二人、

 片や頂点に君臨し、好き放題に振る舞う人と、

 片やどんな仕打ちを受けようとも、壱組から参組に強制的にクラス替えをされようとも、黙する人、

「——始め!」

 勝負はついていた。後はどう決着するか。

 僕は涙を必死に堪える。

 結局は、緋呂金さんが青江さんをどれくらい痛みつけて満足するか、だから。

 青江さんが無言のまま薙刀を構える。彼女の体格に似合うかのような小ぶりの動作だ。

 リーチ差を生かして、手元に飛び込まれないように、攻撃を小刻みに散らす。

 対する緋呂金さんは、

「だからさ、無駄なんだって、劣等クズ

 前進を続ける。

 全く効いていない。ならば大ぶりの一撃を打つべきか? それは狙われている。大きい動作は威力は大きいが、隙も大きくなる。

 緋呂金さんは構えを無とし、刀を手にぶらされているだけだけど、大きい動作は決して見逃さない。反撃を狙っている。

「…………」

 百地さんが緋呂金さんの圧力に負けてジリジリと後ろに下がり始める。

 このままだと会場の範囲外にまで押し出されてしまう。縄の外に出ても二十秒以内に戻れればまた戦えるけど、旗判定になったら不利になる。

「…………!?」

「クックックック」

 青江さんの後ろ足が、境界線の縄を越す寸前まで来ている。

 もう行くしかない——!

 後ろ足に載せていた体重を前足へ移動し、踏み込みながら一か八か、緋呂金さんの脛を後ろから引き倒すように襲撃する!

「ハン!」

 待ってましたとばかりの緋呂金さんは後方へ飛び退いて、脛への一撃への間合いを外す。

 かわした瞬間、一気に前へ詰め、青江さんの体へとぶちかまし、後ろにつんのめった彼女の頭部へ竹刀を一直線に飛ばす。

 衝撃に、青江さんが地面に尻餅をつく。

 そこへ返す刀の二撃、三撃が、青江さんの無防備な頭部へと振り下ろされる。

 両手に持った薙刀を横に構えなんとか防御しようとするも、

「そらそらそらそらぁ!」

 青江さんが上段からのやたらめったらな乱撃を何とか凌ごうとする。

 あっ、ダメだ、そんなに上にばっか注意がいってると、

「ハッ! 簡単すぎて、」

 緋呂金さんの左足が跳ね上がり、青江さんの構える棒を場外へと弾き飛ばし、

「欠伸が出ちゃうよ」

 防具の上から彼女の顎へと突き刺さる。

「……きゃ……!」

 青江さんが、倒れた。

 口から血を流しながら倒れこんでいる。審判団の旗は無情にも緋呂金さんに上がる。

 緋呂金さんは倒れた青江さんに馬乗りになりながら青江さんの面を強引に取り外す!

「審判!!」

 勝負は既についていると、リズさんが主審の竹内先生に声をかける。けれどもリズさんの声はまたしても無視される。他の審判の人達も動かない。

「なぁおい、残念だったなぁ。最後の思い出に出場してみたんだけど、さ! 現実ってのは! お前が考える程甘くないってこそさ!」

 緋呂金さんが言葉を発する度に、竹刀を持った右手で青江さんの顔を殴り続ける。

 何度も何度も。力一杯に。無抵抗な青江さんを殴り続ける。

「ハハッ! よ! お前の絶望って奴が、さぁ! いい加減諦めろよ! お前の、ゴミみたいな人生は、もう、終わりだってさぁ!!」

「……う、ぅ……」

「あの男ーー!!」

 ——だからダメなんですってばぁ!!

 リズさんが止めようとする僕を睨む。その紅の双眸は、怒りの火に燃えてキラキラと輝いていく。でもその美しさに見とれている暇はない。

「萌、君は——! くそ、君に当たっても仕方がない」

 リズさんの奥歯を噛みしめる音が聞こえる。

「は〜すっきりした。ん、何だ、お前泣いてんのか? フン、泣いたら僕が同情するとでも思ってるのかよ?」

 緋呂金さんが馬乗りの状態から立ち上がり、今度は青江さんのお腹を防具の上から何度も何度も踏みつける。

「……ぅぅ……」

 青江さんが涙を流してうずくまる。

 殴られて血を流して痛いからなのか、何も抵抗できないのが悔しいからなのか、それともこれが自分の運命なんだって受け入れているのに腹が立っているのか……。僕は離れた場所にいて耐えることしか、くそ! 耐えることしかできないんだ!!

「青江、棄権だ! 早く棄権しちまえって!!」

「あ〜、疲れた。もういいや。こいつの相手をするのもウザいし、もう止めていいよ」

 その言葉を待っていたかのように、主審が決着を告げる。

「勝負そこまで。勝者『緋呂金三傑』!」

 誰も、歓声を上げない。

「ハハッ! どうしようかな、僕。ねぇ、このまま三人抜きしちゃおうか?」

「……うぅ……」

 緋呂金さんは下衆に笑い、青江さんは大粒の涙を落とす。

「シズちゃん、シズちゃん!」

 シャルロッテさんが青江さんの元へ駆け寄り、肩を貸しながら百地さんの隣へ連れていく。引きずるようにゆっくりと。

「ぐむぅ〜。静っちもしこたまやられちゃったかぁ〜」

「……ぐす、ごめんね……」

 青江さんが両手で顔を覆い、すすり泣く。

「……ごめんね、ぐすん……」

「泣かないでシズちゃん、私、お二人の分まで頑張っちゃいますから!」

 シャルロッテさんがぎゅっと可愛らしくポーズをとると、竹の薙刀を手にとって立ち上がる。

「大将、前へ出ろ!」

 そしてシャルロッテさんが軽やかなステップで緋呂金さん前に出る。

「えっ!? ちょっ!? やばくない!?」

「本当にやんの!?」

「シャルちゃん、棄権して、棄権!」

「無理に出なくて良いんだよ!」

「なんなら代わりに俺が!」

「いや俺っちが行くね!」

「おいおい、その役目は俺だろぉ?」

 僕達の思惑は他所に、試合は始まってしまう。

「第三戦、勝負——」

「あー! 実はシャルちゃんて本当は凄く強いとか!?」

「えっ!? でも試斬の授業でダメダメだったじゃん?」

「それはほら、能ある鷹は爪を隠すって奴!?」

「そうだよね、そうだって言ってよ、リズさん!」

「私の知る限り彼女は、」

 開始の合図が告げられる。


「武術に関しては、全くの素人ですよ」


「始めっ!」

「え〜ぃ!」

 開始の声でシャルロッテさんが勇ましく薙刀を振るうんだけど……。

 その一撃は虚しくも宙に泳ぐ。

 体軸がバラバラだ。上半身と下半身のちぐはぐな動きがリズさんの言葉を裏付ける。

「……」

「…………」

 僕達が沈黙の内に目配せをして語り合う中、シャルロッテさんは可愛らしい気合を上げながら棒を振り回す。でも、緋呂金さんにことごとく軽々とかわされ続ける。

「ハハッ、劣等クズの友達ってのは、どうしてそろって劣等なんだろうな。いいぜ、良く見ておけよ」

「きゃ!」

 緋呂金さんがシャルロッテさんの握る棒を遠くへ払い飛ばす。

「わわわっ!?」

 すれ違いざまに、彼女の面を強引に剥ぎ取る。続いて彼女の籠手を奪い取り、放り投げる。

「良く見てろよ、いまからこいつを裸にひんむいて、」

「……あ、やめ! ……」

「やるからさぁ!!」

 緋呂金さんが癪にさわる大声をあげて、シャルロッテさんの揺れる豊満な胸の中心部を竹刀で突く!

 ——……あれ?

「え?」

「んん?」

 今、竹刀がシャルロッテさんの体内に埋め込まれたって言うか、貫通したように見えたけど……? でもシャルロッテさんは何事もないように立ってるし……?

「えい、えーい!」

 当のシャルロッテさんは何事も起こらなかったかのように、パンチを繰り出す。勿論当たらない。

「勝負ありましたね」

 リズさんの冷静な声に、僕達全員が首を傾げる。


「あの男では、一生かかってもシャルロッテには勝てないでしょう」


 その間も、シャルロッテさんは小鳥がさえずるような甘い声で気炎をあげなら緋呂金さんにパンチを繰り出す。

 パンチでいいと思う。拳はグーだから突きと呼ぶべきかもしれないけど、あれを突きと呼んじゃ空手部の人達に失礼っぽい気がする。

 そんなパンチを出すシャルロッテさんが、完全防備の恩寵兵装に身を包む緋呂金さんに勝つとリズさんは言った。

「ハハッ、手加減しすぎたせいで本気になれないや。まぁいいよ。茶番は皆も見飽きてると思うし」

「あの男は自分自身で思い知るでしょう、」

 緋呂金さんが竹刀を大上段に構えて、

「これで、終いだよ!!」

 シャルロッテさんの無防備な頭部へ、

「……——や、やめて——……!」

 全力を持って振り下ろす!


「上には上が、いることを」


 そこには何事もなかったかのように立つシャルロッテさんの姿が。

「——は?」

 緋呂金さんも訳が分からないのだろう。自分の持つ竹刀がシャルロッテさんののに、彼女は平然と立っているんだから。

「彼女は、自分の恩寵を『変換』と話していましたね?」

「え? う、うん」

 何が起きているのか分かっているのはリズさんと当のシャルロッテさんだけかも知れない。

 シャルロッテさんがそっと手を伸ばし、緋呂金さんの右腕を掴む。

「より正確には、」

「ぎゃぁぁぁああ!!」

 突如上げられた緋呂金さんの悲鳴が、リズさんの言葉を遮る。

 そこには、緋呂金さんの豪奢な造りの籠手を握り潰し、彼の腕をありえない方向へ捻じ曲げるシャルロッテさんがいた。

 痛みに耐えられないのだろう。両手は竹刀を離し、膝は地に接地する。かろうじて動く左手でシャルロッテさんの手の拘束を解こうとするも、

「あ"あ"ぁぁぁぁぁーーーっ!!」

「ふふ、痛いですか?」

 何も、事態は好転しない。

 つい数分前までは絶対的な勝者として勝ち誇っていたその男は、惨めな敗者として地に足をつけていた。

 まるで許しを請いているかのような体勢だけれども、シャルロッテさんは掴んだ彼の右手を離していない。

「あれが彼女の恩寵ですよ」

 周囲の観客も、リズさんを除いて誰一人としてこの現実を理解できないでいる。

「力をし、して、する、それが彼女の持つ恩寵であり、ルツェルブルグ家の血族のみに発現するとされる血統恩寵、『絶対防壁』です」

「手が、手が……僕の手がぁぁぁぁ、やや、や、やめろぉうぎゃぁぁぁぁぁあああ!!」

 緋呂金さんの苦痛の声だけが、しんと静まり返った校庭に響き渡る。

 僕の知る学園生活で、この人の思い通りにならなかったことなど一度もなかった。

 先生までもが彼を恐れ、この島の支配者なのだからと暗黙の内に了解していた。

 それが、島の外から来た、しかも外国人の留学生の女の子に屈している。

「ふふ、じゃあ次は肩ですね?」

「やや、やめ、ああああああぁぁぁあああ!!」

 右手はそのままに、左手で掴んだ緋呂金さんの右肩が、あってはいけない破壊音を出しながら捻り狂う。

「吸収、変換、放出の内、彼女が自分の力を『変換』と呼ぶのは、その効率が異常だからです。ルツェルブルグの当主ですら、十の力を十か九に変換できれば優秀とされてきました。拳の面で当たるはずの力を指先一つに集約できるのですから」

 当たる面積を小さくして、圧力を上げられるってこと?

「やめやめ、やめてくれよぅ、ああ、もう、み、みのが、にぎにぎれ、」

「握るんですか?」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 彼女が指先に力を込めたのだろう。装甲は粉々に砕け散り、奇怪に曲がる腕から真っ赤な血が滴り落ちる。

「シャルロッテの場合、受けた十の力を二十にも三十にもします」

「えっと、アタシ未だによく分からないんだけど……?」

「端的に言えば、彼女に平手打ちをしたらハンマーで殴り返されます」

「え……? でもさ、それだけじゃ、あそこまでならなくない?」

「竹刀で打突された力は放出し終えたでしょう。今繰り広げられているのは、作用反作用の一種ですよ。何かを握れば同じ力で握り返されます。彼女は、その反作用の力を吸収して、変換と言う名目で倍加させ、さらなる力で握るのです。作用反作用を延々とループさせ、結果、その物体は暴走する力に耐え切れずに圧壊します」

「……。何だかありえない恩寵っぽく聞こえるの、私だけ?」

「そこのところどうなの、西田?」

「えっ、いや、俺も良く分かってねーけどさ。そんな力持ってんならさ、俺達参組になんか来ないんじゃね?」

 緋呂金さんの悲鳴を遠くに聞きながら、皆が一様にウンウンと頷く。

「その件は国司殿達と——私と萌が一緒に夜警をしている方達と話し合ったのですが、クラス分けの基準となるテストをシャルロッテと私は受けていません」

 皆はその言葉にも頷く。

「つまりスコアはゼロ点です。恩寵の優劣をテストにより点数化し、それを元にクラス分けをするのなら、私達は間違えなく一番下のクラスに入るでしょう」

 皆は頷くも、やっぱり首を傾げちゃう。

「いやいやいや、そんな間抜けなことはないっしょ?」

「普通に壱組に入れちゃっても問題ないじゃん。てか入れちゃうでしょ?」

「現実問題として、シャルロッテと私は参組ですから。そろそろ止めますか。……。おい、審判! 早く止めないと間違いなくその男は死ぬぞ!」

 リズさんの声に、主審がようやく本来の仕事をする。

「しょ、勝負あった! そこまで!」

「ふふ、あのあの、シズちゃ〜ん、トウコちゃ〜ん、私やりましたよ〜!」

 シャルロッテさんが緋呂金さんの血で汚れた手を拭いもせず、彼に痛めつけられた二人へ手を振る。

「手、手、手が……。僕の腕が、ががが……」

 右腕を肩から指まで破壊された緋呂金さんの元へ、緑のたすきをつけた救護班の人達が担架を片手に走り寄る。腕に食い込む破片はそう簡単に引き抜けるものではなかったらしく、緋呂金さんを担架に乗せると、救護テントへ一目散に走り出す。

 緋呂金さんの苦痛の声が遠のく中、予想外の勝利を上げたシャルロッテさんに新たな対戦相手が現れる。

「中堅、前へ!」

「うげ、出た腰巾着その一」

 中堅に出たその人は、手にした竹刀で空中に何か複雑な文字を描く。

「舞い上がれ——、<麒麟のたてがみ>!」

 光と共に、まばゆく輝く甲冑に身を包んだ武者が校庭に姿を見せる。

 緋呂金さんが使っていたのと多分同じだ。展開可能な竹製の恩寵兵装だ。

 この持ち込み可能って規則、緋呂金さんが卒業する今年いっぱいで改定されるんじゃないかって言われてたけど、どうなるんだろう?

 緋呂金さんがやってるから僕も私もとはならない。竹製の恩寵兵装なんて値段つけられるようなものじゃないだろうし、どうやったら入手できるのか分からない。万が一入手できたとしても、事前申請の審査の段階でバツをくらうと思う。

 それをしていいのは、この島を支配する側の人間のみに許された特権だから。

 それをシャルロッテさんは自分の恩寵だけで打ち破った。凄い……て言うか、現実離れし過ぎてていまいち理解できていない気が……。

 つ、次だよね! 試合が始まっちゃう! 次の相手は緋呂金さんの腰巾着その一……じゃなくて、撃剣科伍年宇根羽うねはねさんだ。この人は、

「勝負、始め!」

「——きゃ!」

 陣風が吹き荒れる。

「なるほど、高速での移動ですか」

 この人はとんでもなく速い。消える。かろうじて残像が見えるくらいだ。

「え、え? きゃ! きゃぁ!」

 速度で彼女を翻弄すると共に、見えないけれど、攻撃もしているのだろう。

 そうだよ、シャルロッテさんの恩寵が幾ら強くても、触れえもしない速度の人には、

「えい!」

「ふごぉぉぉぉぉぉぉぉおおおっ!?」

 通じな、え?

「え?」

「えっ?」

 何かを叩く音が轟いた。

「は?」

 僕達は口をあんぐりと開ける。

 シャルロッテさんは相も変わらず何時も通り校庭に立っている。対峙していたはずの宇根羽さんは、校舎一階教員室に突っ込んでいた。

「無駄です。速く打たれたのなら、彼女は打ち返します。打たれたのを返すことも彼女には可能です。力でも速度でも、彼女の『盾』は打ち破れません」

 理解が追いついていない僕達の頭にリズさんの解説が通り抜ける。

「し、勝負あった!」

「わーいわーい、シズちゃんにトウコさん、やりましたよ〜!」

 静まり返る校庭に、シャルロッテさんの呑気な美声が響き渡る。

「やっぱいまいち私、分かんないんだけど……?」

「もしかして、逆三タテにリーチかけてね?」

「マジに去年の優勝チームに勝っちゃうんじゃねぇの?」

「いける、いけるんじゃない西田!?」

「えっ、いやま、」

「おっしゃぁぁぁぁ! これが参組の実力だ、こんちくしょー!!」

「きゃぁぁ〜、シャルちゃ〜んステキィ〜ー!」

 冷え切る校庭の空気とは真逆に、僕達参組は俄然盛り上がり始める。

「たっ、大将、前へ!」

「お! やった! 勝ち決まりじゃん!」

「腰巾着その二の恩寵ちからって、『超怪力』だっけ?」

「いける! いけるよ、シャルちゃん!」

 何だかちょっぴりいけない呼び方をしつつも、僕達は声援を送り続ける。

 まさか自分の出番が回ってくると思わなかったのか、それとも前二人がこうもあっさり負けるとは思わなかったのか、シャルロッテさんの前に出る鍛冶科伍年の——……うぅ、名前ど忘れしちゃった……ええと、腰巾着その二さん(ごめんなさい)の顔色は優れない。

「くっ、築き上げろ、<獅子の威風>!」

 彼も前二人と同じく完全防備の具足と共に戦場に立つ。

 対するは僕達弐年参組のアイドル、面と籠手を取られたままのシャルロッテさんは素手のまま相対する。

「最終戦、始め!」

「え〜ぃ!」

 シャルロッテさんが甘い声を発しながらチョップを繰り出す。腰巾着その二さんはそれを余裕でかわし、無防備なシャルロッテさんに、

「えぃえぃ! え〜い!」

 何もしない。

 シャルロッテさんが振り回す手をかわすだけで反撃らしい反撃、攻撃を何もしない。

 シャルロッテさんのチョップとパンチがむなしく空を切る。

「えっ? 何やってんの?」

「攻撃するとやり返されるから何もしないってことじゃない?」

「シャルちゃんあの様子じゃかすりもしなさそうじゃん?」

「ねーねーリズさん、シャルちゃんて必殺技みたいなの使えないの?」

「私の知る限りは、無いですね」

「え、じゃあこのまま時間切れで優勢勝ちってこと?」

「バッカ! 相手、緋呂金のチームだぞ? 判定で勝てる訳あるかっつーの!」

「あ〜!」

 旗判定は、審判をする昇武祭実行委員二名、教員二名、主審の計五名で行なわれる。緋呂金さんの威光は、多分通じるっぽいし、真面目に戦うより勝算が高いと踏んだんだろう。

「汚ったねー! チキンだ、チキン!」

「ちゃんと戦え〜!」

 僕達からブーイングが飛ぶも戦局は一向に好転しない。腰巾着その二さんの体にシャルロッテさんの手が触れるようになるのには年単位の時間が必要そうだ。

「え〜、リズさん何とかならないの? さっきの腰巾着一を吹っ飛ばした力ってまだ残ってないの!?」

「仮に残っていたとしてもシャルロッテは使わないでしょう、勝負事ですから」

「ええ〜」

「何の問題もありませんよ」

「ん?」

「えっ、どゆこと?」

 シャルロッテさんが動きを止める。

 どうやら相手を捕まえられそうにないと悟ったらしい。

「彼女の『盾』はを吸収し増幅します」

 シャルロッテさんがステップを踏む。

「ふふ」

 戦いなどそっちのけでくりくると校庭を優雅な足運びで踊る。

 金色の髪が体の動きに沿うように美しく広がる、まるで金の花が咲いた花畑のように。

「あのあの、行きますね?」

 シャルロッテさんが何かの予告をする。

 対する腰巾着その二さんは——うぅぅ、ここまで名前が出かかってるだけど、出ないよぅ——油断なく身構えて何時でも逃走できる体勢を整える。

 何が始まるものかと固唾を飲んで見守っていると。

「えぃ」

「ぬおおおおぉぉぉぉーー!?」

 さっきの光景が再び蘇る。

 瞬時に彼の前に移動したシャルロッテさんが、右手の一押しで遥か後方へ相手の体を吹き飛ばす。何処まで飛んでいったか終着点は分からないけど、勝負の決着がついたことは校庭で勝敗を見守っていた全員が知っていた。

「えっ? あれって、え?」

 皆の頭にはてなマークがつく。力を受けたら倍返しするのならば、何の力も受けていないんじゃないか、と。

 リズさんに答えを求めると、大きなため息をついてから話始めてくれた。

「我々は常に、で引っ張られています」

「え?」

「んん?」

「それを変換したんでしょう」

 皆がやはり首をひねる。そんな恩寵があって良いものかと。

「あれが私達欧州圏のが持つ血統恩寵ですよ。自分の力や技を幾ら練り上げたところで足元にも及びません。優れているか劣っているか、そんな次元の話ですらありません。比べることすらおこがましい。全てを飲み込むはずの虚無ですら、彼女は跳ね返すでしょう」

 リズさんの説明が勝負の行く末を語る。

「故にシャルロッテは欧州名家ルツェルブルグの中でも継承権を持つ者と当主にしか名乗ることを許されない、古の戦女神が持つとされる絶対無比の盾の名、『アイギスイージス』を名乗ることを許された存在なんです」

「ええっと、まだわからないんだけど……。つまりシャルちゃんて無敵ってこと?」

「対向手段が無い訳ではありません。黒騎士達がしたような特殊な檻を作るか、そうですね……流石の彼女も<無効化キャンセラー>は防げないでしょうが、ひょっとすると彼女ならば『<無効化>の攻撃』すらも跳ね返すかも知れません」

「……。うちの学園に<無効化>の人っていたっけ?」

「……いなくね?」

「ごめん、西田。リズさんの話、要約して」

「ん? あ〜、つまり百地のチームの勝ちってことじゃん?」

「あー! そうだそう! シャルちゃんの三人抜きで透子達の逆転勝ちじゃん!」

 僕達が騒ぎ出したところでやっと主審が決着を告げた。

「勝負あった。勝者、『女子なぎ部同好会』!」

「よっしゃー!」

「やった〜!」

「シャルちゃん愛してる〜!!」

 僕達が騒ぎ出し、黙って勝負を見守っていただけだった観客の皆がようやくざわめきだす。

 力の原理が分かった人は少ないと思うから、それを話し合ってるんだと思う。他には三対三の出場チームの人達が、対向手段を考え出そうとしてるのかな? 緋呂金さんのチームと対戦するには、勝機が無い訳じゃなかった。けど、シャルロッテさんの恩寵にはどうすれば対抗すればいいんだろうか、と。

 戦ってもダメで、待ってもダメだ。腰巾着その二さんを吹き飛ばしたスピードは尋常じゃなかった。

 どうしたらいいんだろう? 少なくとも僕には分かりそうにない。

「あのあの、私やりましたよ、トウコさん、シズちゃん!」

「シャルちー、よくぞアタシらの無念を、て、アタタタタ!」

「あのあの、お怪我大丈夫ですか?」

「これくらい問題ないっしょ! 次の対戦までは何とかするって! それよか静っちは大丈夫なん?」

「…………」

「シズちゃん?」

 青江さんは俯いたまま何も動かない。

 と、

「……は……」

「は?」

「は?」

「……ははは、あはは……」

「静っち?」

「シズちゃん?」

 その時僕は、僕のクラスの皆も、青江さんが本当の意味で笑うのを初めて見た。


「……あははは、でも、なぎなた全然関係ない……」


 顔は傷で腫れ上がっているけど、とても爽やかで清々しい笑顔だ。何時もの無表情はそこには見る影もなかった。

「何を〜! 静っちってば何を言うんだ! この記念すべき初勝利は女子なぎ部の結束と友情があったからこそなんだぞー!」

「くすくす」

「あーもー! シャルちーも笑うなぁー!」

 シャルロッテさんと青江さんの屈託の無い笑顔が、遠くから見る僕には何にもにも変えがたい黄金の時間の産物のように思えた。


「ふぅ、シャルロッテ達の本戦出場はほぼ決定か、な」

 ——シャルロッテさんの恩寵って、こんなに凄かったんですね。

「ああ。桁が違う。いや、次元が違うと言うべきか。彼女の恩寵を破る者がいる可能性もあるが、そうそう破られてはこちらの面目が立たない。恩寵が持つ千年以上の歴史の中で、欧州圏において最も優れているとされるものの一つだからな」

 ——ふふ、僕には想像つきません。

「そうか? 萌なら——……」

 ——リズさん? どうしたん——で、す……か?

 僕と話すリズさんの表情が夏から秋、冬へと移っていき最後は冬も冬、極寒になった。

 そのシビアな眼差しに僕は胸がどぎまぎすると同時にぶるっと震えが来た。

「どうした、か……。さて、どうしたんだろうな、私は。萌、君はどう思う?」

 ——ええぇ、えぇと……。

 リズさん、瞬き、瞬きして下さい。目が充血しちゃいます。

「……。傷の具合はどうだ?」

 ——少しヒリヒリするぐらいです。あ、後で救護所に氷水袋これ返さなきゃ。

「そうか——。では、昨晩の傷はどうだ?」

 ——昨日のは……って、あ!!

 思い出した。昨日の夜、無茶をするなと言われてたのに自分から囮になりますと言っちゃったこと。作戦が終わった後、怒られもせず、言葉すら交わしていなかったこと。そもそも、あの修道院での気まずい別れから会話らしい会話をしていなかったことを。

「そうか、思い出してくれて何よりだよ、萌……。私はずっと気に病んでいたが、どうやら君には全く眼中にない出来事だったらしいな、ふふふ」

 ——あ、あわわわ……。

 怖い、その微笑みが怖いです、リズさん。

 ——眼中にないって言うのは、その、誤解と言いますか……、あのぅ……。

「誤解? 誤解か。ふふ、私達が今いるのは一階だぞ?」

 ひょ、ひょっとして、をかけた冗談じゃないですよね、リズさん……?

 昇武祭の熱気をも完全に凍らせる空気が僕達の間に漂う。思い当たるところばかりの僕は、ただただ縮こまるしかない。

「後学のためにも教えて貰いたいのだが——……どうして君は平然としていられるのだ?」

 どんな時も、嫌味とかじゃなくて真面目に聞いてくるリズさんはやっぱりリズさんだと思います、はい。

 ——えぇと……それは、そのぅ……。

 リズさんの直球に答えられるのは、僕の直球しかない。けれどそれじゃあ水掛け論になってしまう。

 僕は退かない。退けないんじゃなくて、僕は自分の意思で下がらずに前に進むことを選ぶから。

 それが間違っているんだと、リズさんは言いたいんだ。そう言ってくれる。それは嬉しいし、きっと正しい。

 リズさんだから言うこと全部が正しいからとかじゃない。リズさんが、僕のことを本気で案じて本心から言ってくれる言葉なんだから。

 僕、バカなのかなぁ……。

 リズさんの真っ直ぐな瞳を見つめ返しながら、僕は何も言えずにそんなことを考えていた。

「……。ああ、君はバカだ」

 ——う。

 やっぱり見透かされてる。

「どうしようもない大バカだ」

 ——はい……。

「だから、私も君の前ではバカでいることにする」

 ——すいませ……はいぃ!?

 僕は目をぱちくりさせるも、リズさんは相変わらず真剣な表情のまま瞬き一つさっきからしていない。

 本気だ、リズさんは何時だって大本気だ。

「おーい、ヴォルフハルトこっち来て解説してくんね? お前色々見えるんだろ?」

「——む?」

 志水く〜ーぅん!

 僕はこの時、志水くんの背中から後光が差しているのを間違えなく見た。思わず拝みたくなるのを必死で抑える。

「何してんのお前ら? 痴話喧嘩の真っ最中だったんか?」

 ——ち、痴話喧嘩なんてそんな〜。

「そうだ」

 ——ぶーーー!! リ、リズさぁ〜ーん!?

「別に今日喧嘩しなくたっていいだろ? ほらさ、こいつもお前のこと応援してるんだからさ?」

 ——そ、そうです! 僕、リズさんのことすっごく頑張って欲しいって思います、ハイ!!

「……。萌は、私のこれまでの試合を、、直接見て応援してくれたのか?」

 ——は、はぅぁぁああぁ!?

 え、えええー!? ぼぼぼ、僕が救護所で先生に診て貰ってたせいでリズさんの一回戦見逃しちゃったの、ばれてるぅぅ〜!? なな、なんでェ!?

「ふふふ、私達はこれまで何度も同じ死線を潜り抜けた仲だろう? 当然応援してくれてるものと思って君の姿を必死に探していた私はとんだピエロだった訳だ」

「……。お、おい、萌……。お、お前、ヴォルフハルトに何かやべえことしたのか? お前達の周りだけ空気が南極になってるぞ……!?」

 ——やっちゃったと言うか、知られちゃったと言うか……はい、うぅぅ。

「リズさーんリズさーん! こっちこっち! こっち来てよ! 次のチームの勝った方、シャルちゃんとこと二回戦で当たるよー!」

「ほら、皆も呼んでっぞ? まーまー、落ち着けってお前ら。萌も、な? お前が本戦行って欲しいってのはマジなんだからさ」

 ——そ、そうです、はい! 応援してます、リズさん! あのあの、午後はちゃんときちんと応援しますから!!

「…………」

 怖い、その無言が怖いです、リズさん。

「分かりました。今、向かいます」

 リズさんが向こうにいる女子達に返事をする。

 ようやく真冬の南極から解放されたと安心したその時、リズさんが僕の肩を掴み——こう言った。


「私は、意地でも、君を応援しないぞ」


 ——え?

「——は? い、いやな、ヴォルフハルトさ。お前らの仲は良く知らねーけど、そいつは幾ら何でもないんじゃねぇかな? おう……」

 キリキリと僕の肩にリズさんの握力がかかる。痛くはなかった。むしろ、リズさんから優しい力を貰えた気がした。

 ——ふふふ、はい! 了解です!

「リズさーん!」

「今行きます」

「はん? いいのか、萌?」

 ——うん!

 リズさんが僕の肩から手を離し、声のする女子の方へと歩いて行く。

 すれ違う瞬間、お互いの顔が見えそうで見えなくなる一瞬、仏頂面のリズさんが笑った。『どうしようもないな、君は』、そんな声無き声が僕には聞こえた気がした。そして僕達は笑い合う。

 それだけなのに、僕は、心の底から嬉しくなった。


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 遂に来たか、私の順番が。

 左手に逆手で握る竹刀に力を込め、息をゆっくりと深く吐く。

「両者、出でェェェェイ!!」

 主審の沢庵教諭の声に導かれるように、私は決戦の場へと足を進める。

 先の試合で執拗に責められた左右の籠手に痛みがあるが、耐えられない程ではない。

「それではこれより一対一、準々決勝第四試合を始めるものとする!」

「いよっ! 待ってましたー!」

「リズさんいっけー!!」

「立山、留学生にこれ以上好き勝手させんじゃねぇーぞー!!」

「立山先輩、ファイトォー!」

 応援の声量では負けているが、質を比べれば互角——私は胸を張ってそう言える。

「両者、前へ!!」

 立山と言う男と私が主審のところまで歩み寄り、立ち合いの度に聞かされている注意事項を再度伝達される。

 相手は私達のクラスの一柳を破った男だ。無論、夜間警備には参加している。果たして私の腕で一柳の仇が打てるかどうか——。

 事前説明が終わると、試合開始の位置まで戻り距離を取る。

 相手の武器は、片鎌槍だ。刃の形状は槍と鉤爪の組み合わさったものだ。槍の穂先の根元に、手前側に曲がる鉤爪が取り付けられている。

 学級長が夜警の時に持ち込んでいた十字槍と細部が異なる。まず鉤爪が片方しか伸びていなく、また学級長の鉤爪部は湾曲していないのに対し、この相手のものは石突き側に湾曲している。

 見るに、突き、受け、そして引き倒しに特化した形状か。無論先端部は厚手の布で縛られているが、直撃を食らえば只では済むまい。それに、鉤爪部が内側に曲がっていると言うことは、突きの戻しと引き倒しが同時に来ると言うことだ。それだけでなく叩きによる一撃には鉤爪によるリーチが付与される。

 こちらの竹刀のリーチが百十七センチメートル、相手の片鎌槍は柄が二メートル丁度で穂先が十六センチメートル、鉤爪部は八センチメートルか。リーチ差は約一メートルだ。やはり長い。

 眼鏡は外している。力を使わずして戦える相手ではないことは、これまでの戦いで良く分かっている。

「撃剣科肆年、槍術部、立山あきら! 俺の力は、」

 相手が片鎌槍を縦横無尽に振り回す。気迫が槍に乗り、見事な軌道を描く。

 やはり、できる——!

「——<近未来視>——!」

 片鎌槍を下段に構え、宣言する。

 己の恩寵を宣言するのは、一対一にのみ見られるものだ。この名乗り上げ、内なる闘志を燃やすにはもってこいだ。

「弐年参組、聖コンスタンス騎士修道会、極東管区麾下下級従士、リーゼリッヒ・ヴォルフハルト」

 私は竹刀を下段前方に構える防御の構え、『愚者』に取る。

「私の恩寵は、<強制視>」

 お互いの恩寵や手の内については、おおよそであるが、これまでの立ち合いを観戦している以上、分かっている。奇しくも互いに『目』の恩寵を持つもの同士の対決となった。

 これに勝ったものが準決勝、すなわち昇武祭本戦への出場を決することとなる。

「両者、いざ尋常に——」

 主審の沢庵教諭が長い間を取り、

 会場が一斉に静まり返った。

「始めィィ!!」

 突如、嵐の如き連突が私に襲いかかる。

 夜空駆ける流星群の如き速さ、鋭さ、美しさを持つ突きが、私の急所へと伸びる。

 私は軌道を僅かにずらし、後退しながらも何とかやり過ごす。

 敵の片鎌槍には突きの引き戻しに『引っ掛け』の動作がある。こちらの防具、特に胴、垂、脛当ての防具に引っ掛けるように鉤爪を合わせて、こちらのバランスを崩し引き倒すものだ。

 特に狙われているのは、前足の脛当て部、敵からすれば最も近い引っ掛けやすい装甲部だ。

 それを回避するためは、自然、私の防御動作は最小限を取りながらもじりじりと後退を選択せざるを得ない。

 相手の鉤爪は片方しかない。それ故、鉤爪部が私の体側に来るように払うのではなく、外側へ来るように払えばいいだけの話なのだが、それを容易に許すほど、この男の攻撃は甘くない。

 恩寵<強制視>が伝える敵の攻撃線は激しく鋭く、こちらから打ってかかれるものではない。

「セイーーーヤッ!!」

 下段、中段の構えだった敵が槍を引き、上段へと構えを移行させる。

 先程までの打ち合いが嘘のように、戦場に静寂が訪れる。

 私の目が伝えるところでは、私の動きは。『数秒先の確定した光景が目に浮かぶ』——それが相手の持つ<近未来視>の恩寵に他ならない。

 私の<強制視>による攻撃線を見ることによる攻撃察知は、この男の<近未来視>と比べれば後手に回らざるを得ない。のと、今の情報からのとではどちらに軍配が上がるかは明らかだ。

 敵はじりじりと間合いを詰める。私は間合いを広げながら『愚者』の構えのまま、この敵を如何に攻略するか、思考を走らせ続けていた。

「キェェェェーッ!!」

 そんな私に思考の隙を与えずに、敵は気炎を上げ、猛攻を再開する。

 く——こちらの思惑などお見通しか!!

 突き一辺倒だった攻めが、払い、そして引っ掛けを狙う多角的なものに変化する。

 今までのは小手調、こっからが本番か!

 この敵の積んだ修練が並々ならぬものが一合一合の仕掛けに現れる。

 穂先にある鉤爪にどうしても注意がいく。ただの槍だけでは練り上げられない、独特の払いと引きが、私の接敵を妨げる。

 払いには、鉤爪部がある側面とない側面で軌道とリーチが異なる。そして、何よりも問題なのが、引きだ。

「シッ!」

 槍を回すように引くのだ。鉤爪はこちらを常に引き倒さんと狙いに来る。こちらは回避行動を大きく取らざるを得ない。

 詰められない、この間合いの差を!

 敵の手の内は柔らかい。未来を見えるが故に、その手元を僅かに変化させることでこちらに攻撃を当てに来ている。

 私はその攻撃線を読み、かわす。しかし、敵刃の穂先が幾度となく私の防具、道着をかすめる。

 回避しながら、敵の槍を弾いてわずかに踏み込もうとするも、それを先回りするが如く、敵は常に間合いを一定以上、すなわちの攻撃が当たり、の攻撃が当たらぬ立ち位置をキープする。

 間合い差が一メートル以上あるのが響く。二歩踏み込むか、一歩深く踏み込むかしなければ、こちらの刃は届かない。

 敵の<近未来視>は二歩の踏み込みを甘んじて見逃す程待っていてくれない。一歩の深い踏み込みではリスクが大きすぎる。一か八かの賭けはこの相手には成立しない。それはしまっている。

「どうしたぁ! お前の手はそれで終わりかぁ!?」

「くっ——!」

 構えを『愚者』から移行する暇など、この敵は与えてはくれない。

 突き、払い、引く——それらが複雑に絡み合い、連続し合い、私のすべき思考と言う領分から力を奪っていく。読むしかない、この敵の際限無き攻撃を。ただそれは私の負けへと至る道だ。

 このまま時間切れまでしのぎ切れるような技ではない。捕まり、打たれ、引き倒されて、私は負ける。これまで培ってきた経験と、潜り抜けた夜が、私にそう伝えている。

「セイァ!」

 敵の大なぎの一振りが、私の近くで鎌の引き倒しへと変化する。

 体を捻りながら手にした竹刀で何とか柄を払い、

「っ!?」

 私が飛び込むべく両足に力を入れるのと、敵が片鎌槍を上に振りかぶりながら後方へ大きく下がるが同時だった。

 振り下ろされる一撃を体を後ろにずらしてかわすも、変化する鎌は私の足を執拗に狙う。

 らちがあかない。

 攻防の天秤は互角なように外からは見えるかもしれないが、相手側に大きく傾いている。

 打破するには、強引にでも私が間合いに入るしかない。しかし、それこそが相手の思惑なのだ。迎え撃つ算段は整え終えているだろう。

 ——リズさん、負けるなぁー!

 どうして、こんな状況においてでも、私の目は彼の声を捉えてしまうのか。

 この防戦一方の中、周りからの大歓声と言う雑音の中、私の視界を埋め尽くさんばかりに襲いかかる敵攻撃線の中——そのどれよりも強く、彼の声は私の目に映ってしまうのか?

 片鎌槍が不意に跳ね上がり、私の頭部を捉える。

 頭が揺れ、視界が揺らぐ。

 続く、胴防具への引っ掛けの攻撃を、私は左手で何とか払い——

「——っ!!」

 さらに変化した槍は私の左籠手を鮮やかに奪い取っていた。

 数歩大きく後退し、間合いを広げる。

 私は——彼を思った。彼ならば、私の知る東雲萌と言う剣士ならば、この状況、どう切り抜けるのかと。


『——だから、リズさん、チェスト、行きましょう』


 初めて聞いた時には知らなかった彼の覚悟を知ってしまった今、この言葉が、私の取るべき道を示してくれたような気がした。


 私は左手一本で竹刀を構え、後方に飛び退く。

「——なん、だと? ふん……面白い!!」

 次の行動は勿論読まれているのだろう。私は右の籠手を取り外し、遠くへと投げ捨てる。

 敵から視線を逸らさずに、頭の後ろで結んだ面具の紐を解き——それも大きく放り投げる。面の金具が視界を遮らない分、こちらの方が私にとっては読みやすい。

 会場がざわめく中、私に合わせるように敵も両籠手と面を取り、後ろへと投げる。

「無理に合わせる必要は、ありませんよ」

「そうはいかん。一合で決める覚悟を決めたお前に、こんなぬるい防具をつけていたら遅れを取りかねん!!」

 構えるは『日輪』——上段に竹刀を運び、呼吸を整える。

 敵は片鎌槍を腰だめ、中段に構えたままこちらの出方を、私が行動する未来を読む。

 お互いの防具が無い今、勝負は次の一瞬で決まる。

 ざわめき立っていた観客が、静まり返っていく。長引いた勝負の決着がつくことを、皆分かっているのだ。

 私は——してはいけないことを、しようとしている。この手は禁じ手、言わば反則だ。だからこそ、敵の予想の裏をつける。この相手が読めるのは数秒先の未来でしかない。

 恩寵の無い彼の剣を見てきた今ならば分かる、敵が持つ、いや私も持っていた致命的な欠点が。

 剣に生きる者として恥ずべき行為をしようとしているのに、応援してくれる皆や、何よりも萌を失望させる結果になるかもしれないのに、私は——そんなことよりも、彼を思った。

 彼の愚かで気高い思いを。そして、そんなおバカな彼を止められない力無い自分自身を。


 あの夜、私を救い、ここに来る道を示してくれたあの女性剣士ひとにお礼ができるのなら——

 それは、きっと——彼を、救うことなのかもしれない。

 そのためならば、私はどんな汚名を着ようとも、彼に道を示したい。

 それが——例え間違えであっても! 私はこの決意を、彼に負けぬよう、貫き通す!!


「ハァァァァーーーー!!」


 私は走る、一直線に。彼がそうするであるように。

「——!!」

 迎撃に来る敵は、私の顎めがけて槍を繰り出す。私はそれを上段から叩き落とす!

 敵は槍を引き、私は再度振りかぶりながら間合いを一気にゼロにすべく大きく飛び込み——

「俺の、」

 約束された結末へ、勝負は収束する。

 叩き落されたはずの槍が変化する——小さく渦巻きながら鉤爪の穂先が私の右側頭部を狙い、

「ッ!!」

 こめかみに走る衝撃に、視界が真っ暗になった。体が宙を泳ぎ、手は竹刀を離れ——

「勝ちだッ!」

「勝負あった! 勝、」

 暗闇の中、相手の勝ち名乗りが耳に入る。


 しかし、そんなことで諦めてどうするのかと、私の心は叫んでいた。


「ぬっ——!?」

「がっ!?」


 視界など消え失せた中、地面に倒れながらに左手一本で投げつけた竹刀は、敵の顔面に命中していた。


「勝者、立山明! この試合、リーゼリッヒ・ヴォフルハルトの反則負けとする!!」

 打たれたこめかみを押さえながら、私はようやく立ち上がる。

 どうやら竹刀は相手の額へ綺麗に直撃してくれたようだ。剣の投擲など慣れる程稽古を積んでいないが、やってみるものだ。

 私は右のこめかみを、相手は額を押さえる。

「お前、当たると分かっていたのか?」

「まさか。私の力は貴方とは違います。当たったのはまぐれです」

 頭でガンガンと音が鳴る。

「ならば、何故——?」

「貴方は、見えすぎている、そう思ったからです」

 この相手ならば、これだけ言えば十分だろう。

 そう、この相手は恩寵に。数秒先の未来が見えるのだ。これに頼らない訳はない。未来とは得てして不確定なもののはずだが、この人物の恩寵は時間律を手繰り『確定する未来』を見る。

『勝負あった』の瞬間がこの相手には見えるのだ。自分が勝ち名乗りを受ける未来が分かるからこそ、そこにだけ隙が生まれる。の勝負事の続きを見ようとは誰も思うまい。

 ならばとみっともなくあがいて考えた末がこれ、だった。すれすれのところを狙ってはみたが、結局、ただの反則になってしまったか。

 そこに賭けてみたのだ。彼のように——ふふ、いや、彼ならばもっと上手くやれただろう。

 私ではこの相手を斬れなかったが、彼のあの剣撃ならば斬ることができたかも知れない。

 負けた、それも反則負けと言う屈辱なのに、私の心は何処か晴れやかだった。

「沢庵先生、俺の負けです」

「ぬ?」

「えっ?」

 この発言に、場内が俄然騒ぎ出す。

「立山、あの一本でお主の勝ちは決まっていた。その上、勝負あったの声がかかってからヴォルフハルトは攻撃をした。故に反則負け。どう転んでもお主の勝ちだ」

「いえ、武士ならば当然すべき残心を怠りました。心の何処かにあった慢心をつかれた俺の修行不足、俺の負けです」

「そ、それは困ります! 私はルール違反をしたのですから、この勝負、貴方に勝って貰わねば困ります!」

「お前が捨て身で来ると俺には分かっていた。俺の勝ちであるならば、あの投げは当然防がねばならなかった。勝負に勝ったのが俺だと言うのなら、勝者の特権だ、この試合お前の勝ちとさせて貰うぞ、異国人」

 無茶苦茶だ。この国には萌のような不条理な人間しかいないのか?

「ふ〜む……」

「リズさ〜ーん! 相手もああ言ってるんだし勝ちってことでいいじゃーん!」

「そーそー! ここは黙って勝たせて貰っとけー!」

 クラスの皆からは声援(?)が飛ぶ。何と無責任な。まるで何処かの東雲萌ではないか。

「立山ー! バカ言ってねーで、勝ち名乗り受けろってー!」

「先輩ー! ここは勝って本戦行きましょー! 本戦〜!」

 心ある声も飛んでくる。

 審判団で協議するのかと思いきや、主審である沢庵教諭が一人、重い口を開く。

「相分かった。では勝者——……」


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