土曜日: 崩壊する楔

夢: 茶釜問答 [東雲萌]

 その日、僕とお師匠様は少し早い昼食のおにぎりを食べ終わり、お師匠様のててくれたお茶を飲んでいた。

 そう言えば、あの茶器一式の入った道具箱、何処から持ってきたんだろう?

『あ〜あー、うめぇなぁ〜』

 ——ずずず〜……。おししょうさま、おちゃもおいしいです!

『まぁなぁ〜、ズズズ。萌ちゃんの師匠だしな、俺。ズズズ……』

 ——はい!

 理由になってないって気付いたのは、もっと大っきくなってからだったり。

 お師匠さまが点ててくれたお茶をその場ですぐ飲んだのは最初で最後だった。何時もは桶に汲んでおいた水だったり、あらかじめ点てておいたお茶を冷まして飲んでいたからだ。

 外でするお茶会を野点のだてって言う。お師匠様は細かい作法にこだわってなかったし、僕は勿論知らなかった。ただ、お師匠さまが豪快に茶碗を動かしていたのと、茶道具の先っぽにまで神経が張り詰めているかのように動かしていたのは鮮明に覚えている。やっぱりお師匠様は格好いいなぁ、って感心してた。

『ゔゔ〜、んじゃ本番といくか』

 ——ずず、ほんばんですか?

『こいつよ』

 お師匠様はお湯を沸かす茶釜を指差した。僕達は茶釜を囲んでちょこんと腰を下ろした。

『口からもくもくが出てるだろ? ず〜……。あれは元々は水な訳よ。ここでな、火に熱せられて水がもくもくに変わっちまうのよ』

 ——ずずず〜。

 お師匠様が茶碗を傾け、中に残っていたお茶を一気飲みした。僕も真似したけど、うん、熱かった。

『ちょいと触ってみっか』

 ——? はい。わぁ、あついです!

 指先でつつくお師匠様を真似してみたら、茶釜はすごく熱かった。

『たっはっは。萌ちゃん、お人好しすぎんぞ〜。ほら、水につけとけ』

 ——うぅ〜。

『何で熱かった?』

 ——さっきまでひにかけてたからですよぅ。

『おう、ま、当たり前だな。一度火にあてられたらちょっとやそっとじゃ冷えねえ』

 そう言いつつも、お師匠様は指で茶釜をつつくのを止めなかった。

『これこそが当流のである——そう語ったお人がいんのよ』

 ——いじ、ですか?

『おう。前に話したの人だけどな。示現流も薬丸流も、その二つを源に持つ真鋭ジゲンも、刀は抜かざるものと定めてるのよ。人を殺める、てのはどんな理由があるのせよ、超えちゃなんねえ一線だってな』

 ——……。

 お師匠様の瞳の明かりが暗く曇ったのを覚えてる。

『それでも、だ。それでも自分は意地を通さざるを得ない時、俺達は刀を抜く訳だ』

 ——はい……。

『この茶釜と似てる、と。その人は言いたかった訳よ。何があろうと耐えに耐え、意地を練る。それこそ、内にある水やら空気やらが無くなるくらい燃やされ続けてもな。でも、一度抜いちまったら止まらねぇ。止まる必要もねぇ。燃やした火を消したところでもう遅いんだ。抜即斬、雲耀の剣をもって抜きにして抜かざる内に全てを斬り破壊する——これこそがジゲンの剣が到達すべき極致』

 お師匠様の気迫はとても静かだったけど、そこに込められたものは、それこそ目の前にある熱せられた茶釜なんてもんじゃなかった。

『自分と言う形はこの茶釜みてえに変わらなくとも、熱し続けた内の意地は違う! 水も空気もその他諸々無くなっちまう。自分の意志とか決意とか、へっ、それこそ意地そのものも無くなっちまうまで燃やし続ける。いや、無いつー状態まで燃やし尽くして、最後はからになる』

 お師匠様の真剣な眼差しが僕を射抜いた。

『これこそが、俺達真鋭ジゲンの剣士が目指す深淵のところ——空の極致だ』

 ——からの、きょくち……。

『ま〜、ここで俺の師匠ともめたんだけどなぁ〜』

 ——えっ?

『師匠はよ、最後の最後で刀を抜く理由すら燃え尽きちまうはずだ、って考えた訳よ。つまりはさ、誰かを守りてぇとか、誰かに死んで欲しくない、とかそんな正しい理由で——正しいてか間違ってない、か? う〜む、良く分からんから置いとくか。ま、そんな他人様が納得できる意地で抜いた刀も、萌ちゃんをいじめてえから抜く刀も、自分より弱え奴から物を分捕りたいから抜く刀も、空に致しちまえば違いはない、故に私の剣は人の道に反する邪剣であるので誰にも教えられぬ、とまぁ俺に言ったのよ』

 ——えええー!?

 まさかの告白に、僕は大声を出して(実際は出せなかったけど)、頭が真っ白になっちゃった。もーこれまでの稽古は何だったんですか、ってなっちゃったじゃないですか、お師匠様。

『教えてくれ、教えられぬの押し問答が二日、いや三日続いたか。教わったからこうして萌ちゃんに教えてる訳だけどよ』

 ——あの、おししょうさま? おししょうさまのおししょうさまから、どうやっておしえてもらえたんですか?

『ん? ああ、腕づく。俺も師匠も若かったしなぁ〜。最後は肉体言語でぶつかり合って語り合った訳よ』

 ——むちゃくちゃですよぅ……。

 きっと勝ったのはお師匠様なはず! 大お師匠様には悪いけど、今でもそう信じている。

『でもまーなぁ、俺は違うと思う訳よ』

 ——?

『意地すら燃やし尽くして、になってもな、人としての正しい道、誠の道は歩けるはずだ——そう思うんだよ』

 ——ぁ……。

 お師匠様が笑った。

『そう信じるのが、お前さんと出会ってから芽生えた俺の新しい意地でもあるな。まぁ、俺も師匠も、結局はから行けなかったんだけどな。いや、そう思い込んでたから届かなかったのかもな……。そこはま! 俺様の一番弟子の萌ちゃんに後は任せっからよ! 期待してんぜ』

 ——わわ、ばしばしはいたいです〜!

 お師匠様の叩いてくれる手が何だかとても嬉しくて、僕は涙を堪えるのに必死だった。

『おーし! 教えることは教えたから、午後の稽古、始めっか!』

 ——はい! おししょーさま!


 それから僕は日が暮れるまで雑木を振り続けた。

『またな、萌』

 そう言って別れたお師匠様は、次の日、稽古場の神社に来なかった。その次の日も、そのまた次の日も。

 ただ一つ、お師匠様が二つ持っていた金色の鈴の一つが、何時もの場所に置かれていた。

 僕はその鈴を持ちながら、今日も明日も雑木を振るう。

 またな、はお別れの挨拶じゃなくて、再会を約束する言葉だから——

 僕は、大切なことを教えてくれた人に、

 僕を、生み育ててくれた人に、

 何時か会えるその時に決して恥ずかしくないようにと、

 そう心に決めて、雑木を振り続ける。


 今はそこに、

 とても大切に想うリズさんの姿が加わっている。


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