夜: 明かされる真実 [リーゼリッヒ・ヴォルフハルト]

 島の人達から『山ノ手の教会』と呼ばれる建物内の巡回が今夜の任務だ。

 本来ここは聖コンスタンス騎士修道会に所属する修道女の暮らす修道院である。教会ではない。

 私としては『山ノ手の修道院』と呼んで貰いたいのであるが、付近の住民から『教会』と呼ばれて親しまれている以上、『教会』と呼ばれることに異論を唱えても仕方がない。

 私やシャルロッテに続き、今晩から静も加わった。何でも昨晩の騒動の後始末の関係で、政庁が屋敷を前線基地として差し押さえてしまったらしい。

 腹の立つ話だ。

「どもっ、お疲れ様でーす」

 “……”

 私と共に警備の任にあたっている日鉢殿が、客室のドアの前に立つテレジア殿に声をかけるも、当然の如く黙殺される。

 私は彼女へ黙礼し、前を通り過ぎる。

「う〜ん、あの怖い女性ひとをやり過ごせば、お姫様の可愛い寝顔に辿り着けるわけね」

「聞こえていますよ、日鉢殿。滅多なことは言わないで下さい」

「チッチッチ、お宝があればどんな障害があろうともそれを狙うのが狩人ってもんでしょ?」

「何をバカな……。今の我々は衛士です、狩人でも盗賊でも、トレジャーハンターでもありません」

「いやん、リーゼちゃんのケチ」

 私は日鉢殿を連れ、敷地内を歩く。

 建物の柱には燭台が取り付けられてあり、ロウソクの明かりを周囲に放つ。

 歩くこと数分——私達は木製の大きな扉に辿り着く。

「行きましょう。禁域はこの先です」

 扉を押し開ける。

 鍵はかかっていないが、扉自体が分厚いため、手にかかる力は重い。

「んっん〜、女の子しか住めない禁域って聞くとそこはかとない危険な香りがするわね〜。リーゼちゃぁ〜ん? 貴女はまだこっち側かしらぁ〜?」

「こちら側もあっち側もないと思いますが……。さて着きましたよ」

「ちぇ、スルーされちゃったか。で、この先が本物の禁域な訳ね?」

「はい。先程のシャルロッテ達が止まっていたのは旅人のための客室でして、ここから先が私や管区長殿の生活圏になります」

 私達の前に再び立ち塞がる、先程と全く同じ扉を押し開ける。

 日鉢殿は目ざとく中を見ていたが——

「ん〜ー……普通?」

「はい。特に変わった物はありませんし、特別意匠を凝らした部屋がある訳でもありません。先程見回った一般区画と同様の作りです」

「ふ〜ん」

 日鉢殿の作り出す明かりが、左右に揺れる。

「リーゼちゃんさぁ」

「はい?」

「ここの建物って、聖コンスタンス騎士修道会、ってとこのもんなのよね?」

「はい、その通りです」

「その修道騎士、で良いのかしら? それって何? 騎士サマとどう違うの?」

「修道士であり、戦士である——と言うのが一番近いでしょうか。修道士とは平たく言えば、誓願を立てて信仰に則った生活をする者を指します。ならば騎士はと言えば、」

「言えば?」

 巡回する道を頭に思い描く。長話しにならぬよう気をつけねば。

「旧史においては馬に乗って戦う者を意味し、一種の特権階級にいる者を指しました。今では、そうですね……私達ヨーロッパ圏では、士官学校か騎士学校などの専門学校で技術を磨き、騎士としての資格を与えられた者を指します」

「ん〜……あのさぁ、リーゼちゃん、前にも聞いたと思うんだけど、リーゼちゃんて騎士サマじゃないのよね?」

「はい。私は騎士ではなく従士です」

「ん〜ー……やっぱりお姉サン分かんないなぁ」

「はぁ」

「なんでリーゼちゃんて騎士じゃないの?」

「え?」

 意外な問いだった。

「しかも、ただの従士じゃなくて、下級従士なんでしょ? 従士ってのが、騎士サマの世話をする人、ってのは想像つくんだけど。下級があるってことは中級とか上級とかある訳?」

「下級か上級か、ですね。中級従士は聖コンスタンス騎士修道会には存在しません」

「そうなの? リーゼちゃんみたいな腕の立つ若い子が最下層で燻ってるなんてど〜んなに組織の層が厚いのかなぁって」

「う……」

 果たして伝えるべきことなのだろうか。言っても問題ない話題ではあるが……。

「先程、騎士とは専門学校で与えられる資格であると言いました。これは、私達聖コンスタンス騎士修道会にも当てはまります」

「へー、それじゃあ騎士団って言う軍隊でもあるのに学校でもある訳か」

「イエスかノーかで答えれば、イエスです。実際には修道女の集まりですね。さて話を戻します。下級か上級かは、入団後の活動で昇進や降格がなされますが、騎士か従士かは入団時に決められます」

「専門学校のコースみたいなもんか。変更とかないの?」

「私の記憶では、ですが、あったとは聞いたことがありません」

「んー……。ねね、じゃあ、騎士コースか従士コースかの差って何?」

「寄付金、コネ、特異な恩寵——これら三つの内、どれか二つを持っているかです」

「——————はい?」

 やはり驚かれたか。

「聖コンスタンス騎士修道会の騎士の多くは、財力とコネで騎士の資格を得ている者達です。残る少数は、因果律、空間律、時間律と言った基底三律に働きかけるような他を圧倒する恩寵の持ち主が、地位と名誉のある聖職者からの推薦状を持って騎士用の入団試験にパスした人達です」

「ええと……リーゼちゃんのとこって、修道士なんでしょ?」

「はい。正確には修道女です」

「修道士って、世俗から離れた禁欲的な生活をしてるんじゃないの?」

「ええ。もっとも、どの会派に属しているかで守るべき戒律の内容は異なりますが」

「ふ〜ぅん……」

 日鉢殿が暫し黙り込む。

 その間も私達は建物内を巡回し続ける。

「——ぷ」

「ぷ?」

「あっはっはっははは! ちょっとちょっと! 修道士って世俗を捨てたお坊さんでしょ? それなのに何で騎士になれるかどうかが金とコネがあるどうかって、超世俗的じゃない!?」

 静まり返った建物内に日鉢殿の笑い声が響く。

 そこを突っ込まれると私としても苦しい。

「超がつくかは私では判断できませんが、世俗的であることは確かです。我々は聖コンスタンスの掲げる貞淑・純潔・従順の誓いを守る修道女でありますが、怪異と戦う戦士でもあるのです。ですから、食料や水、幻想鉱石で鍛えられた兵装を揃え維持するだけの財力や、各国の諸機関と連絡を密にするための人的な繋がり——そう言ったものを兼ね備えている者が重視されるのは当たり前のことです」

「当たり前のことです、って、ちょっとちょっと、リーゼちゃんってば、あっはっはははは! 笑わせないでよ、ひー!」

「むぅ」

「リーゼちゃん、顔、顔! 東雲クンが見たら泣いて逃げ出しちゃいそうな怖い顔してるわよ! あっははは!」

 渋い顔になってしまっていたか。だが、渋くもなるのだ。

「はぁ……。私達は世俗と離れているはずの集団ですが、仰る通り、世俗にまみれていますよ」

「あっははは! そこが気に入らないんでしょ!」

「無論です。第一、ヨーロッパの王侯貴族の中には、私達聖コンスタンス騎士修道会の者を家族の一員に迎えることが一種のステータスになっています」

「うわっ、何それ」

「本来、我々は純潔の誓いを立てているので、結婚などは論外なのですが……」

「あーいるいる。そう言うお堅い女を自分のモノにしたがるステータスに拘る男って。多いのよねぇ〜」

「女性騎士のいる騎士団は他にもあるのですが、『騎士修道会』となると私達聖コンスタンス騎士修道会しか存在しません。ですから、我々の教義を信じる人達の中ではどうしてもステータスが高くなってしまうのですよ」

「へー、じゃあリーゼちゃんも言い寄られちゃったりするの?」

「日鉢殿、私は下級従士、最も下の人間です。お声がかかるのは上級騎士や幹部の方々です」

「ひゅぅ〜」

「突っぱねればいいだけなのですが……。騎士の中には、良家に嫁ぐためのと見ている人達がいるのも事実です」

「ぷっは! リーゼちゃんてば辛辣ぅ〜」

 隣で爆笑する日鉢殿を見て、ひっそりとため息をつく。

 自分自身が情けなくなる。自分の実力の無さを棚に上げてあの人達を非難するとは……。

「でもでも、じゃあ何でリーゼちゃんはその聖コンスタンス騎士修道会に入ろうと思ったの?」

「それは……」

 答えにつまった。

「子供の頃、預けられた教会の司祭様が推薦状を書いて下さったからです。私は何処へ入ろうか選べる立場の人間ではありませんよ、日鉢殿」

「ん〜、じゃあ巡り合わせか」

 意外なことを言われた。

「巡り合わせ、ですか?」

「でしょ? その騎士修道会に入ったのも、日本に来たのも、全部が全部、巡り合わせが上手くいったみたいなものじゃない?」

「そう、でしょうか……?」

 聖コンスタンス騎士修道会を目指したのは、そうするのがあの人達に命を救われた者の責務のように思えたからだ。

 あのような剣を振るい——あの人達のようになりたいと思ったからだ。

 この国に来たのは、管区からの絶対命令が下ったからだ。

 でもそれは、知らず知らずの内に運命の糸に導かれていただけだったのだろうか?

「そうよ、そう。こうして私と知り合えたのも運命ならば、東雲クンを好きになっちゃったのも運命ってこと」

 日鉢殿が私にウインクを一つ見せる。

「………………は?」

 ………………はい?

「あーもー! そこは乗ってよ、リーゼちゃんってばぁー! せっかくね、『そうか、私が萌を好きになったのは運命だったのですね……』って言っちゃえる土壌をお姉サンが整えてあげたんだからぁ!」

「全く。だからぁ、ではありません。仮りにも私達は警備中なのですよ? 道草を食ってないで先を急ぎましょう」

「あ〜ん、リーゼちゃんてば怒っちゃいやーん」

 夜はまだ長い。不要な考えは捨てて今は任務に集中しよう。


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 リズさん達が教会の奥の方を見回っている間、僕は国司さんと二人で敷地内を巡回する。

 放課後に来た時とは印象がだいぶ違う。太陽の光じゃなくて、柱に取り付けられた蝋燭の灯が辺りを照らしているからかな?

「しまらねぇなぁ……」

 ——え?

 ずっと無言だった国司さんが初めて喋った。

提灯これだよ、提灯これ。こんな完全欧州風の建物ん中で何が悲しくて提灯持って見回ってんだよ。異物感が半端ねえだろ」

 ——くすくす、そうですね、国司さん。

 門のところで弐係の人達から提灯を二つ借りている。手元は明るいけど、やっぱり変な感じはする。

 ——でもそれを言うなら見回ってる僕達も和装じゃないですか?

「あン? ——……まぁそりゃそうだが、それを言ったらしまいだろ。つべこべ言ってないで仕事すっか」

 ——はい!

 今、僕達は弐係の人達と三交代で見回っている。この見回りが終われば休憩になる予定だ。

 よし、っと気合を入れる。

 国司さんの後ろを歩きながら、国司さんから聞いた巡回の注意事項を再度思い出す。

『不審なもんを見つけたら俺をつつくか、この笛を吹け。間違っても刀ブン回して突っ込むなよ』

 首にかけてある呼び子の笛を握る。

『見つける、ってのは正しくねぇな。別に聞いても良いし、嗅いでも良い。予感とか気配がするつーのはお前さんにはちと早ぇか』

 夜は静かで、僕達が動く音しかしない。

『ガチでやるんなら感知か索敵に特化した恩寵者を中心に陣をはるんだがな。都合良く人材が揃ってる訳もねぇ。局内にいるこたいるんだが、他に行ってる』

 国司さんは周りを見回りながら歩く。

『俺の場合はだな、つっても参考にはならねぇと思うが、風景を細かく区切って順繰りに見渡すんだ。それで周りの景色や音や匂いを覚えちまうんだ。んで、さっき覚えたもんと今の奴を比べる訳だ。首を振る前の奴と、とか、一周回る前の奴と、とかな。比較して違いが出てる、ってことは何かがあった証拠だ。つまり、敵がいる可能性があるってこった。ま、俺の場合の話だ、あんま参考にすんな』

 僕は提灯を上下左右にと動かしながら周りの景色を確認する。

 そう言えば、ここら辺の燭台の蝋燭の灯りって、誰がつけてるんだろう?

 エリザベートさんは足腰が悪そうだし、見回るのは辛そうだ。リズさんなら自分がやります、って言いそう。

 う〜ん、リズさんが灯したって思うと、ちょっぴり違って見えるかも……。

 う〜う〜、どうしよう、何だか急にドキドキしてきちゃった。

「ほれ」

 ——あうっ!

 国司さんの短槍の石突きが、僕の頭をカコーンと叩く。

「仕事中だ。色ボケは終わってからにしろ」

 ——あうぅ、すいません……。

 僕、国司さんの後ろにいたから、僕のことなんか見えないはずなのに流石だなぁ……。

「音だよ、音、足音だ。歩幅が急に小さく不規則になった。どうせヴォルフハルトのことでも考えてたんだろ?」

 国司さんは振り返りもせず、僕の心に浮かんだ疑問に答える。

「人生二倍以上生きてる大人舐めんな、ってことだ」

 ——あぅぅ、しっかり巡回します……。

 うん、感心してる場合じゃないし、ドキドキ恥ずかしがってる場合でもないぞ、僕!

 もう一度気合を入れ直して、巡回再開だ。

『この仕事の一番の敵は、退屈だ。基本的に暇だ。四六時中気ぃ張ってるのは確かに疲れる。巡回つったって変わり映えしねえ景色ばっかだ』

 国司さんの大きな背中の後を追いながら、僕は教会——じゃなくて、修道院の景色を目に焼き付ける。

『なんで暇潰しがてらにだべりながらするのがいるが、あれは良くねえな。話し声があるせいで物音が聞き取りづれぇし、何より意識が会話に割かれちまって異変に気付きにくくなる。気付いた時には自分の体に怪異の爪が刺さってました、じゃ笑えねえジョークだ。ま、ともかくだ。お前さんならずっと気ィ張ってる方が良いな』

 僕達は、夜の教会を行く。


 何事もなく、持ち回りの巡回し終えて、僕達が休憩の番になる。なるんだけど……

「伍係の国司以下二名、規定の巡回を終えました。問題なしです」

「ご苦労だ、国司ィ……そして小僧ォォ……!」

 ひぃぃ、何故か御手口さんがいるんです……!

 教会の正門は開け放たれている。門のこちら側の敷地内には巡回を終えた僕達がいて、門の向こう側の敷地外には御手口さん達がいる。

 こちら側の僕達が修道院を守り、あちら側の御手口さん達が修道院に来る侵入者を止める、と言う体制だ。

「おい東雲、ボケっとしてねぇでどいてろ、邪魔だ」

 ——は、はい。

 御手口さんの眼光で動けなくなっていた僕を、国司さんが首根っこを掴んで端に動かしてくれる。

 そんな僕を御手口さんは両の目をひん剥いて睨んでいたけれど、プイと顔を振って修道院の外を向く。

 怒られる心当たりがありすぎる僕は、隅っこで小さくなっていよう、うん。

 そうやって目立たないように立ち尽くして時間が過ぎていくと、

「須佐政務官!」

「政務官殿、ご苦労様です!

 門の向こう側が騒がしくなる。

 誰かが修道院にやって来たみたいだ。

「政務官、こちらは異常ありません。何のご用ですかな?」

「御手口君、報告ありがとう。悪いが国司君達を少し借りるよ」

「小僧ォォに政務官が何用ですか?」

 ——ひぃぃぃ、すっごい睨まれてるぅぅ。

「はは、それは機密事項さ。君が高木翁の地位にいれば問題ないんだけどね」

「チッ——国司と小僧ォはそこです。後二名は建物内にいます」

「ああ、知っているよ。国司君、それじゃあ行こうか」

押忍うす、行くぞ、東雲」

 政庁の偉い人が、僕なんかに何の用だろう?

 戸惑いながらも僕達は修道院の正面の扉を開け、その次にある礼拝堂の扉を開けて中に入る。

「すまないが、彼女達をここに呼んでくれないか?」

「東雲、行ってこい」

 ——はい!

 奥の廊下に通じる扉へと歩き出した僕に、須佐さんから声がかかる。

「全員だよ」

 ——え?

「日鉢君、ヴォフルハルト君、シャルロッテ嬢とテレジア嬢、それに静さん、後はエリザベートさんか。全部で六人だ。それと、今教会内を巡回している人達に伝えてくれ、ここには決して近づかないように、と」

 ——え、は、はい!


 教会内を今度は一人で歩く。

 はたと気付く、皆何処にいるんだろう、って。

 巡回の前に見た修道院の見取り図を思い出すも、誰が何処にいるか、何て僕には分からない。

 ん、考えてもしょうがないや! とにかく居場所が分かる人のところへ行こう。

 リズさんは中庭や礼拝堂、他には洗濯室や調理室とか診療室を案内してくれた。その中には旅人を泊める宿泊室があった。

 シャルロッテさんとテレジアさんはそこに泊まっているって言っていた。案内してくれた時は二人とも留守でいなかったけど。シャルロッテさんは女子なぎ部に体験入部中で、テレジアさんは不在だった。

 まだ空き部屋はあるって言ってたから青江さんはそこかな?

 そう考えながら蝋燭と提灯の灯と記憶を頼りに進むと、目的の場所へと辿り着く。

 あ、テレジアさんだ。

 “——!?”

 そこには宿泊室の一つの前で腕組みをしながら立っているテレジアさんの姿があった。

 ——あの〜、テレジアさん、ええと……。

 どう伝えよう? そう戸惑っていたら、

 ——えっ?

 あまりの速さに何も反応ができなかった。

 気付いた時には、僕の目の前にテレジアさんはいた。左肘を後方に引き絞った姿で、鬼のような形相をしながら、

 ——がっ!!

 あまりの衝撃に呼吸と思考が止まる。

 彼女の左拳が僕の鳩尾を胴鎧の上から、下から上に突き上げてきたからだ。

 装甲がクッションの役割を果たしているはずなのに、僕がこれまでに経験のない類の力が体に伝わってきた。

 宙に浮くような感覚——いや、僕の足は本当に地面から離れていたんだと思う。

 “———————————————。————————”

 テレジアさんの右手が僕の喉を掴む。

 ——あ、ぅ……。

 手に持っていた提灯が地面に落ちる。ギリギリと言う音を立てて彼女の右手の指が首へと食い込む。

 段々と苦しくなって——……


 狭くなっていく視界の中で、

 赤い炎が一直線にこちらへ伸びてくるのが見えた。


 赤く光って此処まで飛んできたそれを、テレジアさんは左の手刀で事もなげに叩き落とす。

 でも、叩かれた赤き矢は分裂し、その姿を数匹の炎の蜂へと変化する。

 蜂達はそれぞれが意思を持って、己を倒した者へと襲い掛かる。

 “———”

 不規則な軌道をもって襲い掛かる蜂達を、テレジアさんは左腕を鞭のようにしならせて、その裏拳で難なく撃ち落とす。


「ハァァァァァーーッ!」

 夜の教会に不相応な気迫の声の主は、

 蒼い彗星の如くこの場に現れた。


 飛びかかるリズさんの一振りは、僕の首を掴むテレジアさんの右腕を狙う。

 彼女は僕を前方に放り投げると同時に後方に一歩退き、その一撃をかわす。

 ——げほっ、げほっ、けほっ!

 数秒にも満たぬ攻防が終わり、ようやく解放された僕は体に酸素を行き渡らせるために何度も深呼吸する。

「テレジア殿! これは一体何の冗談ですか!?」

 僕の前に降り立ったリズさんは、鎧とドレスが入り混じった<氷の貴婦人>の装甲を展開し、その蒼い刃をテレジアさんの喉元へ一直線に構える。

 その反対側、廊下の先には、

「ちょーっと、そこのアンタ、東雲クンをいじめたいんなら私に話を通して貰わないと困るんですけど〜?」

 黒弓に火矢を番える日鉢さんがいる。

 “……”

「テレジア殿!」

 僕が床に腰を下ろし、息を整えている間、無言のにらみ合いが続いた。

 不意に、テレジアさんが口を開く。

 “———。——————————————、———————”

「なっ——!?」

「?」

 ——?

 独逸語の分からない僕と日鉢にはさっぱりだったけど、独逸語の分かるリズさんにとっては絶句するような内容だったみたい。

「貴女と言う人は——!!」

 リズさんが全身を怒りに震わせ、重心を下に落とす。その両足は、床を蹴って駆け抜ける解放の時を待つ。

「っ、おい萌!? 何をする、離さないか!!」

 ——ひぃぃ、暴力はダメですよ! 誤解です、誤解なんです〜! 多分。

「離せ! 私にも限度はある! あそこまで悪しく言われて黙っていられるか!」

 ——でーすーかーらー! 誤解ですってばぁー!

 いきなりお腹を殴られて首を絞められた僕が言っても説得力がないかもだけど、ただの誤解のはず。

 そうして僕がリズさんを後ろから羽交い締めしながら、離す離さないで騒いでいると、日鉢さんから一番近い部屋のドアが開いた。

「……ん〜……」

 出てきたのは青江さんだ。白生地で仕立てられた寝間着を着ていて、眠いのか目をこすっている。

「ちょいと青江のお姫サマ。ご覧の通り修羅場なんで部屋の中に引っ込んでて貰えます?」

「……ん? ……ん〜……ん……」

 青江さんは日鉢さんを見てから僕とリズさんを見る。事情を察したのか部屋の中に引っ込んでしまう。

 と思ったら、顔を半分だけひょっこり部屋から出してこっちをじ〜っと覗いてる。

 ——はわわ、リズさん暴れないで下さいってば!

 うわ、僕より力が強いかも。

「離せ! ——……おい、萌! 何処を触っている、何処を!」

 ——ひぃぃ、暴れないで〜!

「あのあの〜、テレジアさん、どうかしまし——ぁ」

 青江さんに続き、今度はシャルロッテさんも部屋から出てきた。

 シャルロッテさんの着てる服も青江さんと色は同じ白だけど、上下が一体になってる寝巻きだ。しかも生地が薄いせいか、この距離からでも薄っすらと白い下着と肌が透けて見える。

 当然と言うべきか当たり前と言うべきか、シャルロッテさんの洋服はこんもりと大きく胸のところで膨らんでいる。うん、ありえないほどに。

「き、」

 ——き?

「きゃーきゃー! リズさんったら、リズさんったらー!!」

 シャルロッテさんが両手で目を覆い、さっきまでの殺伐とした空気を一変させるような甘い大声を出す。

 手の形は昼間の生徒会の時と同じだ。中指と人差し指がかぱっと大きく開いている。隠しきれていない、て言うか、丸見え?

「リズさんえっちです! HさんですHさん! HっHっHさんですー! きゃーきゃー!」

「……は?」

 ——え?

 リズさんが僕の方を振り返って目と目が合う。

 今、僕達ってもしかしなくても凄い格好だったりするのかな?

「きゃーきゃー! あ、シズちゃん! ダメです、ダメですよー! 見ちゃダメですー! リズさん今いけないことしてるんですから見ちゃダメですよー!」

「……ん……」

 半分だけ顔を覗かせていた青江さんが、片手で目を隠す。だけれど、シャルロッテさんと手の形が一緒だ。つまり僕達をじーっと見ている状態のままだ。

「あのあの、テレジアさんも! 目を隠して下さい! ほらほら、早く早く!」

 “…………”

 一人はしゃぐシャルロッテさんに殺気立っていた皆の毒気が抜かれていく。

「ふぅ〜……萌よ、とりあえず君の左手はともかくとして、まずはこの右手をどけてくれないか?」

 ——え? わわわっ!? すすすすいませーぇん!

 僕が今何をしちゃってるのかに気付いて、全速力で後ろに飛び退く。

 リズさんが振り返り、眼鏡を外す。何時もの三倍は冷たいジト目が僕を見る。

「さて、萌、どうして君が一人でここにいる? 笛の音は聞こえなかったが、何かあったのか?」

 ——あ、そうだ! えっとですね、実は皆に伝えなきゃいけないことがあるんです。

 僕はようやく須佐さんからの伝言を皆に伝えることができた。


「須佐サーン、中を巡回中の弐係の人達に伝えときましたよ。凄〜く不機嫌な目ですごまれちゃいましたけど」

「それはすまないね。ご苦労様。後はヴォルフハルト君達だけかな」

 日鉢さんが礼拝堂へと戻って来る。

 これで礼拝堂に来てないのは、リズさんとエリザベートさんだけになった。

 先に僕と一緒に戻っていたシャルロッテさんと青江さんは礼拝堂の椅子に並んで座っている。

 “…………”

 テレジアさんは、その後ろに立ち、腕組みしながら目を閉じてじっとしている。

 僕は彼女達から距離をとって立つ。うぅ、小心者だなぁ、僕……。

 待つこと数分、

「失礼します」

「ハァ〜ィ、お婆ちゃんですよ〜」

 エリザベートさんがリズさんに手を引かれて杖をつきながら礼拝堂へと入ってきた。

「あのあの、こんばんは、エリザベートさん」

「……ん……」

 面識のある二人が座ったまま挨拶の声をかける。

 僕もぺこりと頭を下げる。

「さて、それでは皆さんがお揃いになったところで始めようか。今から話すことは他言無用です、いいですね?」

「ほーい」

「うっす」

「……ん……」

「はい! ん〜ん〜……たごんむよう……?」

 シャルロッテさんが頭を傾げている。熟語の意味が分からないのかな?

 教えてあげたいなぁ、何て思った瞬間、テレジアさんがギロリと僕を睨む。

 “…………”

 ——ぁぅぁ、は、はい……。

 その無言の圧力で止まった、僕の心臓の鼓動が最低三回は。

「では、いいですね、エリザベートさん?」

「はい……」

 どんな話なんだろうと固唾を見守っていると、

「実は私達、結婚しますの。ぽ」

「まぁまぁ! おめでとうございます!」

「……ぉー……」

「今月厳しいんで、俺の祝儀は期待しないで下さいよ」

「管区長殿、何を馬鹿なことを……」

「う〜ん、お姉サン、あのお婆ちゃんに強烈なシンパシーを感じちゃうわね」

 僕は頭を抱えてうずくまりそうな須佐さんに凄い共感しちゃってます。

「冗談だ、冗談だよ。はは、静さん、本気にしないで下さいよ」

「まぁ須佐しゃんたら、い、け、ず」

 エリザベートさんから脇腹をツンツンと突かれて須佐さんが悶絶する。

 あれ? 見ているだけなのに寒気がしてきた。

「は、はは、エリザベートさんの冗談は置いておいて。こうして皆を集めたのは昨日の夜のことを聞きたいと思ったね」

 ——ぃ!?

 皆が一斉に僕を見る。

 シャルロッテさんは目を手で覆うけど、うん、それじゃバッチリ見えてますよー。

「ははっ、違うよ。彼じゃなくて、ヴォフルハルト君、君の話を聞かせてくれ」

「私の、ですか?」

「追って現れた緑色の巨大なヒトガタについては国司君が随分頑張って報告書を仕上げてくれたのだからね。把握済みだよ。ただ、ヴォルフハルト君、君は見たのだろう? 黒騎士達を、君のそので」

 リズさんは俯き、国司さんの表情が険しくなる。

「黒騎士については対抗策を実行中だけどね。奴らについては情報がまだ足りないんだ。藁にでも縋りたい状況なんだよ、情けないことにね」

 あれ? ってことは、リズさんが何を見てのか、って国司さん報告書に書かなかったのかな? 何か意外だ。そのために連れていくって言ってたのに。

「嫌疑をかけている君に聞くのは失礼とは重々承知しているよ。ただ、君は見たはずじゃないのかい? 我々が知り得ないはずの何かを」

「それは……」

 リズさんが何故かエリザベートさんを見る。何だろう? それに、国司さんが須佐さんを厳しい目で見つめているのも気になる。

「別にいーじゃないですか、巌サン。減るもんでもないし。何カリカリしてんですか。須佐サンに先に独身卒業されて嫉妬してんですか?」

「ぽっ」

「は、はは……。手を、手を離してもらえますか、エ、エリザベートさん」

 エリザベートさん、攻めるなぁ。

「私は別に問題ありませんが……」

 リズさんが再度エリザベートさんに目配せをする。

 そして、一つ咳払いをしてから話し出した。


「まず、私が見たのは名前です。黒騎士の名はゲオルギウス、少年はルキウスです。共に旧史に登場する聖人に列せられた人物と同じ名です」

「なら本名じゃなくて、作戦名コードネームかも知れねえのか」

「それは、私には判断できかねます。そこまで見る時間がありませんでしたので」

「巌サーン、細かいツッコミは止めておいて、まずはリーゼちゃんの話を聞きましょうって」

「それもそうだな。続けろ」

「はい。黒騎士の持つ恩寵兵装は、そうですね、この国の言葉なら『罪狩り』と呼べば良いでしょうか?」

 つみがり?

「ん〜とね、お婆ちゃん達の教義の中では、人は皆生まれながらに神の園から禁断の果実を食べた原罪をしょって生きているんだけれど、それとは別にね、常に罪と向き合って生きていかなければならないって考え方があるの。その『罪』でしょうね、きっと。ええと、一つ目が——一つ目が——……。あらやだ。ここまで出かかったるのに思い出せないわ、ほほほ。リーゼリッヒちゃん、お願いね」

 日鉢さんとシャルロッテさんは笑ってるけど、リズさんは深いため息をつく。

「様々な解釈がありますので、私が挙げるのは一例と思って下さい。人を罪に導くとされる七つの感情です。傲慢、憤怒、貪欲、嫉妬、暴食、色欲、そして怠惰の七つです。これら七つを何故挙げたかと言うと、テレジア殿を侵食していた黒騎士から受けた傷を見たからです」

「あー、リーゼちゃんがそこの人に何か言ってたわね」

 “…………”

「はい。あれは『怠惰』の一撃を『受けた』状態でした。仕掛けは簡単です。動かなければ呪いは解除され、動き続ければ枷が重くなると言うものです」

「なーんだ、ならじっとしてればいいんでしょ? 楽ぅ〜」

「んな訳ねえだろ」

 国司さんが日鉢さんの言葉に反論する。

「『心臓の動きを』止めれば解除される、何てなったらどうする?」

「いや、それってデタラメ過ぎますよ。黒騎士が強いのは分かりますけど、買いかぶりすぎじゃないですか?」

「そうか? 俺ならそんぐらいまではできるように磨くぞ」

 国司さんの見せた鋭く尖った闘志が、弛緩しかけた礼拝堂の空気を震わせる。

「ヴォルフハルト君、なら黒騎士の『罪狩り』とは近接弐型の恩寵兵装で、傲慢や怠慢と言った感情を模した攻撃を放ってくる——そう言うことだね?」

「そう、ですね。『攻撃を放つ』と言うよりは、『攻撃に指向性を持たせて解放する』でしょうか……」

 リズさんが左手を顎に当てながら難しい顔をして答える。

 どう違うんだろう? 僕には良く分からないけど。

「黒騎士本人の持つ恩寵は、言うなれば『鉱石喰い』です。口から摂取した鉱石の特性を自身に取り込むと言うものです」

「それは錬成された武器や防具も含めるかな?」

「入る——と思います。拡大解釈すれば、幻想鉱石の一種と言えますから。もっとも断定はできませんが……」

「そうかい。いや、ありがとう。大変参考になったよ」

 須佐さんがウンウンと頷く。僕にはその頷きが、何処か予想通りに見えた。黒騎士の恩寵については把握していたのかな?

「ではルキウスと言う少年については何かあるかい?」

 その問いに、リズさんが答える。

 何でも、少年の恩寵は見えなかったけど、使っている兵装は見えたみたい。

 名前は『カードの兵隊』——絵札に描かれたものを実体化する兵装だ。

 昨日、あの大きな火の玉を飛ばしたのも、それに合わせて凄い破壊力の狙撃弾を飛ばしたのも、広場にいた兵隊達も(僕は知らなかったけど、青江さんの庭にもいたみたい)、全部その兵装が創り出したものみたいだ。

 う〜ん、凄いなぁ、って正直感心しちゃう。しちゃいけないんだけど。広場に出てくるところをチラッと見たけど、僕なんかよりも年下だったみたいなのになぁ。

「他には、そうですね。巡礼服の素材や生産地、配合率も見えましたが……」

「や、なーにそれ! おばあちゃん聞きたいわ」

「ふーん。やっぱ良く見えるんですね、リーゼちゃんの力って。ねえリーゼちゃん、眼鏡取って巌サンが何歳か見てくれるー?」

「おい、ヴォルフハルト。俺は三十代だ。何が見えても三十代ですって言っとけ」

「ね、ね、シズちゃん。寝ちゃってたらダメですよ」

「……うぅ〜……ん……」

「いけない、頭痛がぶりかえしてきた」

 須佐さんが頭を抱える。

「巡礼服と言うことは、彼ら二人は君達と同じ聖教の信徒かな?」

「はい。会派は違うはずですが、大まかに見れば同じ教義を信じる者です」

「ふむ。それでだね、ヴォルフハルト君。君は奴ら二人組がどう見えたかね? 推察でも構わないよ」

 リズさんが答えにつまり、またエリザベートさんを見る。あれ、これで三回目かな?

 リズさんはエリザベートさんをチラチラと見るけど、対するエリザベートさんはニコニコするだけ。

 リズさんはそれを言っても良いと言う合図に受け取ったのか、大きく息を吐いてから僕達の方に向き直った。


「私は、恐らくあの二人は、異端執行官だと思います」


 いたんしっこうかん?

 聞きなれない言葉に皆が首を傾げる、エリザベートさんを除いて。

「皆さんには聞きなれない言葉だと思います。ですので、まずは異端審問官について話しましょう。異端審問官は皆さんご存知だと思いますが——」

 聞いたことあるような、ないような。

 皆の反応はイマイチだ。

「ごっめーん。お姉サン、運動系ばっか頑張ってたから」

「……ん〜……」

「えへへ、へへ」

「シャ、シャルロッテ! 貴女もか!?」

 須佐さんは話に聞き入ってる様子で、エリザベートさんは相変わらずニコニコしている。

 国司さんは眉間に凄い皺を寄せている。テレジアさんの顔はもっと険しい。

「萌! 萌よ! 君ならば聞いたことがあるだろう!?」

 ——ち、近い! 近いです! ええと、確か旧史の世界史で一度か二度くらいは。

 僕の答えに満足したリズさんはゆっくりと頷いた。

「バチカン教皇庁直下の一組織、検邪聖省異端審問局——そこに属する者達が異端審問官です。我々の教義に反する『異端』者を『審問』します」

 リズさんが話を続ける。少し長くなりそうだ。

「私達の教義は多々ありますが、その最たるものが『神は唯一にして絶対なり』と言うものです。極端に言えば、神の御心に沿うものが善であり、沿わないものが悪とする考え方です」

「しくしく、リーゼリッヒちゃんのあまりのはしょり具合にお婆ちゃん泣いちゃいそう」

「ですが管区長殿。そもそも信徒ですらない萌や国司殿達に三位一体や教会の七つの秘跡、諸所の会派や分派での教義の差異を話すとなると朝まで、」

「あ〜ん、須佐しゃーん。リーゼリッヒちゃんがいじめますの〜」

 杖をついているとは思えない勢いでエリザベートさんが離れて立っていた須佐さんに抱きつく。

「は、はは、はは……ヴォルフハルト君、続けてくれ給え」

 うわっ、凄い脂汗と震声だ。

「では続けます」

 えぇ、エリザベートさんが須佐さんにくっついたままですけど、続けていいんですか、リズさーん!?

「この悪しきもの、と言うのが厄介なのです。神は唯一ですので、我々の神以外で『神』と名乗るものは、全て神ではなく『神の名を騙る悪魔』であり、我々の神の愛に触れるべき人々をたぶらかす打破すべき存在である——そうなってしまうのです」

 難しいなぁ。

「そうやって我々の教義に沿うもの、背くものは何であるか、との思考を推し進めた結果、我々の教義に反するものを『異端』と呼び、それを排除するためのシステムが『異端審問官』でした」

 あれ、過去形?

「一口に異端と言っても大まかに二つあったのです。『が誤った教義を信じている』場合と、そもそも『が我らが悪魔と定義するものを信じている』場合とです」

 リズさんが、話が脇道に逸れてますね、と謝る。

 須佐さんとエリザベートさんは……見なかったことにしよう。

「この異端審問が実に厄介なのです。我々の宗教にとっては汚点とも言えます。旧史において、自然科学の優れた知見が当時の宗教観と反するから異端と断罪された例は一つではありません。神の名の下に、己の政治的思想や狂信的なエゴを満足されるために、多くの人が異端審問によって謂れなき罪を着せられ、尋問や拷問をされ処刑されました。その最たるものは魔女狩りです」

 魔女狩り——確か旧史における異端審問で大勢の人が亡くなったんだっけ? 他人に呪いをかけたとか、背中にほくろがあるからとか、言いがかりにしか思えないようなことで捕まえられ多くの人が火あぶりにされちゃったって。

「このように異端審問とは血で染められたものでした。旧史において正式に閉鎖が命じられたのも当然と言えるでしょう。そして、現在、私達は恩寵と言う物理法則を超える力を手に入れました。この超常の力をもってしても倒しきれない怪異と言う化物が存在します」

 リズさんが大きくため息をつく。

「そこで我々の教義は、恩寵や怪異をどう扱うのか、議論を重ねました。その結果、バチカン教皇庁はこう発表しました、『恩寵とは我々の直面する試練を乗り越えるために神から与えられた力である』、そして『怪異とは我々人類の敵であり、相容れられぬ異端の存在である』と」

「な〜んかお堅い人の考えることって肩が凝るわねぇ〜」

「肩が凝るだけなら良かったのですが、我々には『異端』と言う考えがあるのです。怪異が異端であるならば、我々は全力を持って排除しなければなりません。私達の教義と信仰を守るために」

 その共同体が、欧州諸国連合、かぁ。

「ですが、問題が起きます。例えば——ある岩場から急に水が湧き出したとしましょう」

 ん? 急に何だろう?

「ここで議論されるべきが、何故水が沸き起こったか、と言うことです。誰かの恩寵によるものならば問題ありません。岩場が変質し、何らかの幻想鉱石となり始めた証でも同様です。ただ、怪異が動いた前触れだとしたら? それは怪異のいる証、異端の証明となります。ですが、私達にはどれが正しいのか分からないのです」

「いや、お前の目があれば一発だろ」

「それはそうですが……。私一人だけでは全ての地域で起こる奇怪な現象の全てを見回ることはできません。その現象が怪異によるものなのかを判断し、もし怪異によるものであるのならば、我々は全力を持って排除しなければいけません。それを可能とする人材を組織化し、運用する必要がある——教皇庁はそう考えました」

 一人だと後手後手に回っちゃうから組織として対処することにしたんだ。

「こうしてできたのが、検邪聖省の異端審問局であり、その任につくのが異端審問官です。我々にとっては恥ずべき忌語とも言える異端審問との言葉をあえて冠する名前としたのも、かつての悲しい歴史を繰り返えさない——そう言う自戒の念が強くあったからと聞いています」

 リズさんが何度目かの深いため息をつきながら話を続ける。

「ですが、魔女狩りまがいの行為をしている審問官がいると言うのも常に噂としてあるのです。現在の異端審問官に求められるのは、善悪を見定め、異端を確かに見抜く正しい信仰心と知識であると言われます」

 うーん、大変そうな世界だなぁ。

「勿論、異端と断じた者や怪異と戦うに値する力を持っていることも不可欠な条件のはずです」

「それが、お前の言った異端執行官とどう繋がるんだ?」

 国司さんがリズさんに結論を急かす。

 リズさんは口を閉じ、またエリザベートさんを見る。そして、エリザベートさんと須佐さんの現状を見て、目を見開いて、体を硬直させる。

 しかしリズさんは頭を振り、見てしまった悪夢を振り払うかのように引きつった顔のまま話を続行する。

「これからお話しすることは人づてに耳にした話ですので間違いかも知れません。異端審問官に求められるのは、異端を発見しそれを判断する正しい信仰心と審問を行うための知識と精神力、見出した怪異と戦うための力、それら全てを兼ね備えていなければなりません。我々の教徒のエリート中のエリートですね。異端審問局の長を勤めた人物のほとんどは後に枢機卿へと栄転しています」

 リズさんが話を切って、僕達をぐるりと見渡す。

「異端執行官とは、力に特化した異端審問官です。審問官に求められる信仰心や道徳心、高貴な人格など、戦いに不要な要素を全て排除し、敵対者である異端をするための力を特化させた存在——それが異端執行官なのです」

 つまり、エリート中のエリートである審問官より強いのが執行官なのか。

「異端執行官は、審問官が対処しきれない異端者や怪異を滅ぼすのだそうです。ですが、私は彼らが存在すると言う確かな話は聞いたことがありません」

「しかし、その、異端、執行官かね? 君はどうして黒騎士達がそうだと思ったのかい? 君の目で——エリザベートさん、そこはさすがに手をどけて頂かないと……見たのかい?」

「それは、幾つか理由がありますが、まず、彼らが古式ラテン語で会話していたことです」

 聞いたことがない言葉だ。

「古式ラテン語とは、旧史において話されていた言語の一つで、現在ではバチカン教皇庁でした使われません」

「あ〜、思い出してきたわ。あの二人、良く分からない外国語を喋ってたわね」

「しかし、それだけではバチカンの人間であると言う疑いがあるだけだろう?」

「その、彼ら二人の服装や兵装の情報が私に古式ラテンで映ったのです。バチカン教皇庁が保管する恩寵兵装は超一級品です。その兵装ならば、古式ラテンで表現されてしかるべきものかと」

「なるほどね。逆にその言葉で書かれているのにバチカン以外の人間が使っているとは考えられない訳か」

「それに——私はこうも聞きました。異端執行官は必ず二人組で行動すると」

 二人組?

「異端審問官は通常一人か二人で審問にあたります。ですが、執行官は二人だそうです。群体の異端を処理する者と、個体を相手にする者とです」

 ふーん、集団専用と一対一専用の二人、ってことなのか。

「ヴォルフハルト君、君はこう考える訳だ。ルキウスと言う少年が『カードの兵隊』で集団を相手にし、黒騎士ゲオルギウスの『罪狩り』が特出した個体を始末する、と」

「はい……」

 リズさんが頭を垂れながら、力なく頷く。

「エリザベートさんは、何か聞いて、うわぁ! い、いっませんか?」

「まぁ、須佐しゃんてば、意外と胸板がないのね、ぽ」

「うーん、須佐さんて熟女にモテるタイプなんですかねぇ。警備の若い女の子の中で憧れてる子は結構いるんですけどねー」

「家柄はいい、職はド安定の公務員、しかも怪異と戦わない内勤ときたもんだ。酒も博打もやらねえから金は有り余ってるはずだし、顔は中の上、いや上の下か。疲れを両肩にしょってるのと歳が五十超えてるってのがマイナスだが、物件として見ちゃ上々だろう」

「聞こえているよ、うぐぅ、君達」

 エリザベートさんのすりすり攻撃が須佐さんの精神を確実に削っていく。

 “———、——————”

「え、え? は、はい……」

 テレジアさんの突如の独逸語が、何かをしだしたシャルロッテさんを押しとどめる。

 シャルロッテさんがしょんぼりした顔で須佐さんと、須佐さんに抱きつきっぱなしのエリザベートさんを見る。

 次に、僕を見る。ハンターの目付きだ。そしてその目は須佐さん達と僕とを行ったり来たりする。

 ひぃぃ、何で僕を狙うんですか、シャルロッテさーん!

 ありがとうございます、テレジアさん。シャルロッテさんを止めて下さって、本当に——……

 “…………”

 ひぃぃぃ! すいませーん!!

「僕にはどうも掴めないのだがね。バチカン教皇庁とは、君達の宗教における頂点、言わば総本山なのだよね?」

「仰る通りです」

「ならば君やエリザベートさんの所属する組織もバチカンの傘下にあるのだろう? バチカンからの命令を拒否できるのかい? もしくは、君達と黒騎士達が裏で繋がっていないと合理的に考えうる根拠は何かあるかな?」

「それは——……」

「ちょっと須佐サン、それはおかしいんじゃありません? リーゼちゃん、協力してくれてるんですよ? 自分達が疑われちゃうなら異端ナントカ官のことなんか教えてくれませんよ」

「疑わしいが確固たる証拠はなく、我々の捜査に協力的である、か。白か黒かならこの灰色は白と考えるべきなのかもしれないけど、今は普通の状況ではないからね。黒騎士達はこの教会を拠点に襲撃を繰り返していると信じている者は大勢いるよ」

 須佐さんの言葉に礼拝堂の空気が重いものになる。

 それを変えたのは国司さんだった。

「おい、ヴォルフハルト」

「え、はい」

「その異端執行官って奴らはわざわざ海越え山越え、世界の逆側にある島国に喧嘩を売りに来るような奴らなのか? おい、どうなんだ婆さん?」

「あらやだわ、またお婆ちゃんの新しい恋人候補の人が。須佐しゃんと——あら?」

 国司さんがエリザベートさんの両脇を掴んで持ち上げ、須佐さんから引き離す。

 彼女を床に置いて、問う。

「婆さん、こっちは部下の面子がかかってんだ。ふざけたこと続けっと公務執行妨害で番所の檻の中で不味い飯でも食ってもらうぞ」

 国司さんの表情は険しいままだ。けれど、エリザベートさんも負けていない。

「ほほほ。でもね、お婆ちゃん怖い人でもいけちゃう口なのよね」

「国司殿、管区長殿はお体が悪いのでお手柔らかにお願いします。先程の問いの答えですが、イエスだと思います」

「ほほ、お婆ちゃんもそうだと思うわ。リーゼリッヒちゃんは異端審問局の人はエリートって言ってたけど、頭のネジが一本か二本飛んじゃってるエリートさんが多いのよね〜。これお婆ちゃんの豆知識ね」

「殲滅執行するに足りうる怪異が存在すれば、この島に来るのは不思議ではないと思います。しかし——ですが、管区長殿! この島に起きている事象は異端と断罪されるに値するものでしょうか? わざわざこの国、この島に来なくとも、ヨーロッパには怪異に支配されている地域が未だあります! 北欧の森林を跋扈する『獣』達や、空を支配する『鳥』達など、優先して倒すべき敵達はいるはずです!」

 熱弁するリズさんを、

「う〜ん、それが違うのよねぇ」

「恐らくは内通者が通報し手引きしたのでしょうね。隠れキリシタンならぬ隠れ聖教徒ですね。わざわざこの島に来て暴れられる戦力を持っていることは驚きですが」

「……は?」

 エリザベートさんと須佐さんが否定する。

「何を仰っているのですか?」

 話が通じているのはエリザベートさんと須佐さんだけみたいだ。

 あ、青江さんが起きた。


「いるんだよ、怪異が。その異端審問局と言う組織が動くべき怪異が、この島にはね」


 僕は夜警を一緒にしている国司さん達を見る。

「まさかヒトガタのことですか? そりゃーここ数日は活動が激しいですけど、それって黒騎士達が暴れたからですよね?」

「昨晩みてえな緑のデカイのはやべえだろ。俺達の素っ裸マンがいなかったら下手すりゃ今頃までずっと交戦中だぞ」

「そうかなー。リーゼちゃんさ、東雲クンの傷をいじるみたいで可哀想なんだけど、あれくらいの怪異って欧州でもいるんじゃない? それがこっちにまで来る理由にはならないでしょ?」

「なるよ」

「え? あの大蛇クラスの怪異でしたら、普通にいますが……。騎士団の討伐動議にあがるレベルでしょう。いえ、普通に、とは少々変ですね」

 うわぁぁん、誰か国司さんの発言につっこんで下さぃー!

「……ん〜……」

「ん〜ん〜。ん? ん?」

 青江さん達、そんな目で僕をみないでぇ〜!

 “…………”

 あ、ぅ……。テ、テレジアさんはそのままでお願いします……。

「昨晩、君達が倒してくれたの怪異ならいくらでも生み出されるんだよ、この島ではね」

「は、はぁ……」

「そうなのか、燈?」

「え? いや、私も初耳ですけど……」

 須佐さんが大きく息を吐く。

「頭の痛いことにね。さて何から話せば良いことやら」

「結論だけで、良いんじゃないかしら?」

「結論か……。そうですね、細々とした話は省いたほうが良いでしょう」

 皆が須佐さんに注目する。

「私の言う怪異とはね、この島の成り立ちに関係するものなんだ」

 湖に囲まれた島、って確かに珍しいけど。

「ここは元々湖だったんだよ。そこにね、誰かがを落としたんだ」

「島を、ですか……?」

「正確には、岩、だね。その岩の上で生活できるようにしたのがこの町なんだよ」

 話がいきなりすぎてついてけないかも……。

「そうなのよ、お島が降ってきちゃったの」

「政庁にもそう記録されているよ。記録には、その岩でを押し潰そうとした、とある。ところがその生き物がやっかいでね、押し潰されながらも生きているんだよ」

「つまり——この島の下敷きになりながらも生きているものが、怪異、と言うことですか?」

「そうだ」

 須佐さんが肯定し、言葉を区切る。そして礼拝堂にいる面々を見る。

 まずは、青江さん、次にエリザベートさん、シャルロッテさんとテレジアさん、リズさん、国司さんと日鉢さん——それぞれの顔を見た後に口を開き——開きかけたのを閉じて僕を見る。そしてまた口を開く。

 あの、僕、影が薄いので気を使わなくて良いですよ。そのまま続けちゃって下さい、はい……。

「力づくな手段だがね、岩で押し潰すと言う物理的な圧力で身動きを取れなくしているんだよ」

「随分強引なやり方でしょ? ほほほ」

 と、エリザベートさんは言う。あれ? もしかしてエリザベートさんは知ってるのかな?

「やっぱり、そんな話、アタシ聞いたことないけどなぁ〜」

「この話は極秘だからね。島内でも知っている人は十人ぐらいだよ。日鉢や志水の旧家でも知っているのはご当主だけのはずだ」

 この下にいるのは、と須佐さんは言葉を続ける。


「<八岐大蛇やまたのおろち>だよ」


 ——はい?

「え?」

「へ?」

「…………」

「この国の神代の獣を模し、この国の存続を脅かし、倒したとされる怪異にして<原初の十種>の一つ——その上に私達は立っているんだよ」


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