夜: 新しい夜 [東雲萌]

 夜の町を灯火が照らしている。

 遠く見ているだけだった明かりの下を歩くのって、今日で三日目だけどまだ慣れない。

 ——ぃよっし!

 僕は一人で気合いを入れる。これまで失態続きで不甲斐ないばかりだったから、今日こそは頑張らないと! ……って思ってて昨日はとんでもないことしちゃったから気をつけないと。

 ——あれれ?

 夜警の集合場所、学園の正門につくとリズさんや国司さん達の姿はなく、代わりに警備の人が五、六人立っていた。

 不思議に思いながら近づく僕に声がかかる。

「学園の学生か? ——……そうか。ここ正門ではなく東門付近で待機していろ。そこでお前と組む警備局の人間が紹介される」

 でも、僕とリズさんってもう国司さん達と一緒にやっているはず……?

 東門に行ってみれば分かるのかな? 良し!

 歩き始めた僕を別の警備の人が呼び止める。

「待て! お前、その刀は近接弐型か? ——何だ、違うのか。全く、近頃の学生は具足の一つも自分で用意できんのか。無いものはしょうがない。だが武装できない学生を夜警に連れていくことはできん。ペアになった警備局の者から具足を貸して貰え。今日、外町から大量に物資が届いた。お前ら学生に貸すものも一つぐらいはあるだろう」

 ——はい! ありがとうございます!

 僕は正門にいる警備の人達に深くお辞儀をしてから、東門に通じる道を歩き出した。


 ——うわぁ、凄い人……。

 人、人、人——東門は人で溢れていた。

 この時間、何時もなら閉まっているはずの門が開け放たれ、人が行き来している。

 警備の人は勿論、甲冑を身に付けた学園生も沢山いる。

 門を入るとちょっとした広場になっているんだけど、奥にある校舎の入り口が見渡せないほど人で溢れている。その人達が喋り合い、がやがやと騒音をたてている。

 所々に建てられた篝火が、何時もとは一味も二味も違う異様な広場を照らす。

 ——えぇ……っと……リズさん、来てるかなぁ?

 人の流れと合間をぬって、見知った顔を探す。

 見つからないなぁ、って思ったら、人垣の中から飛び出ている人の頭を見つけた。大豪寺君だ。背が高いからこんな時、見つけやすい。

 どうにかすり抜けて大豪寺君の所にたどり着くと、

「む、萌か」

「おぅ」

 しかめっ面の大豪寺君の隣に学級長がいた。

 僕と違い、二人ともきちんと甲冑を着ている。

「おや、今日は具足無しの体操着のみか。初日を思い出すな」

「のわりには騒々しいことこの上ねぇけどな」

「仕方あるまい。何せ生徒会の公募だ。血の気の多い者には絶好の腕試の機会だ」

「俺らみたいな罰ゲーム組はいねぇってことか」

「それを喧嘩をしかけた貴様が言うか、大豪寺よ。む、あれは——」

 学級長の視線の先には、リズさんがいた。

 何時もと同じ黒い巡礼服に、これまた何時もと同じく鞘に入った大剣を肩に担いでいる。

 篝火に照らされて、リズさんの白い肌と白金色の髪がきらきらと輝く。

「大豪寺——それに学級長と萌もここか」

 リズさんもこっちに来た。やっぱり集合場所って変わってたのかな?

「ああ。こ奴の長身は無駄に目立つからな。待ち合わせの目印にはもってこいだ」

「おい、待てコラ、この眼鏡野郎! 人のことを何だと思ってやがる! ——って、萌、お前もか!?」

 図星の僕は、思わず目を泳がせちゃったり。

「大豪寺、何を言う。君の長身は立派な武器ではないか。リーチの長さは立ち合いにおいて必ず役に立つ」

「お、おう……」

 唖然とする大豪寺君を尻目に、何故かリズさんと学級長が頷き合う。

「萌、俺、おちょくられてんのか。それともガチで言われてんのか、オイ?」

 ——リズさんは本気で言ってると思うよ、多分……。

 一緒に過ごしてきて何となく分かってきた。リズさんは超とドがつくほどの真面目な人だ。

 でも突拍子もない冗談をさらりと言ったりもする。笑えるかどうかは、ちょっと別問題だけど。

 鐘が、鳴った。長い長い余韻を響かせながら。

 広場にいる僕達に緊張が走る。

 二度、三度、四度と鐘は鳴り続ける。

 気付けば、誰もが口を閉じ、鐘の音に聞き入っていた。

 そして最後の——八度目の鐘が鳴る。

 最後の余韻が終わるのを待ってから、一人の女性の声が広場の逆側から聞こえる。

「全員静聴! 警備局の者は私の後ろに、学園生は反対側に移動しろ!」

 キビキビとしたその声に、僕達は二つに分かれる。

 女性の後ろには、ほぼお揃いの甲冑を着た警備局の大人の人達が、その逆側には不揃いな個人個人の装備を身に纏う学生達が並ぶ。

 大豪寺君や学級長みたく具足と外套コートの人もいれば、欧州風の鎧を着て入る人もいる。リズさんみたく、軽装に刀や槍を携えている人もいる。甲冑を『展開』できる人達かな?

 うぅ、何も無いのって僕だけなんだろうなぁ……。いや、無くはないよ! 青江さんから借りてる立派な刀があるんだから、うん!

「政務次官の弥生だ。本件の責任者だ。学生諸君はこれより警備局の者とペアとなり、夜間警備作業にあたって貰う。率直に言おう、今この島には二つの脅威が存在する、黒騎士とヒトガタだ」

 僕はその両方に遭遇している。結果は、情けないばかりだけど。

 知らずの内に、奥歯を噛んでいた。

「諸君らが戦う可能性が高いのはヒトガタだ。最近活動が盛んになっている。が、案ずるな、我々はこれまでどんなヒトガタであろうと殲滅してきた。これまでも、そして、これからもだ」

 弥生さんが僕達学園生一人一人の顔を見ながら声を出す。

「黒騎士と学生諸君が出会うことはないと思うが、もし遭遇したのなら逃げろ、戦おうなどと考えるな。学生諸君、君達にとっての勝利とは、敵を倒すことや手柄をたてることではない、生き残ることだ。どんなに情けなくとも、みっともなくとも、君達にとっての敗北は命を落とすことだ」

 ——えっ?

 隣に立つリズさんが僕を肘でつんつんとつつく。

 思わずリズさんの方を見て、思ってたよりすっごく近くて心臓が爆発しちゃいそうになったけど、その冷たいジト目ではっと気付く。

『萌、分かっているのか? 他ならぬ君のことを言っているのだぞ、君の』

 心当たりがあり過ぎる僕はしゅ〜んと肩をすぼめて縮まるしかない。

「学生諸君は日頃の修練の成果を発揮してくれ。警備局諸君らは担当学生を全員無事に連れ帰ること。——いいな!?」

おう!」

「はい!」

 ——はい!

「よし、それでは組み合わせを発表する。警備局壱係——……」

 次々と名前が呼び上げられていく。

 警備局の人が二人と学園生が二人の計四人一組となって、門から外へ、夜の見回りへ消えていく。

「——学園生弐年参組、宝影院正国、同、大豪寺武」

 あ、学級長と大豪寺君だ。

 二人は僕達と目を合わせ、大豪寺君はニヤリと笑い、学級長は頭を下げる。

 二人と組むのは——あ、初日に正門で見かけた人達だ。じゃあこれまで夜警をしてきた人達と一緒なんだ。

 警備局の二人は顎をクイッと動かし、ついて来いと二人を促すと、学級長達が来るのを待たずにスタスタと歩き出しちゃう。無愛想なのは相変わらずだ。

 それからも名前が呼び続けられ、皆、夜警へと出かけていく。

 人が溢れていた広場も閑散とし、残っているのは、

「よし、次で最後だ。伍係国司巌、同、日鉢燈。学園生、東雲萌、同、リーゼリッヒ・ヴォルフハルト」

「おう、お前ら」

「いやっほー」

 国司さん達と僕達だ。

「本日もお願いします」

「いやん、私とリーゼちゃんの仲じゃない。そう固くならずに今日も気軽に行きましょ」

「おい、燈。弥生サンの真ん前でなんつーこと言うんだ、お前さんは。せめて見えない所にしろ」

 国司さん、ばっちり聞かれちゃってると思いますよー。

「君か、東雲萌と言う学生は。報告書は読んでいる。私が何を言いたいのか、分かるな?」

 ——は、はい……。

「弥生さん、こいつの不始末は俺の責任です。いびるなら俺からにして下さいや」

「無論だ、国司。来月受け取る今月分の給与明細を楽しみにすると良い。昨夜のことは須佐政務官が島外に漏れないよう手を回して下さったから良いが、中央政府の外務にでも知られたら腹を切るのは一人や二人じゃすまないんだぞ」

「そん時ぁ、俺が全員分腹を切りますって」

「いよっ! 巌サン男前ー! やっぱり四十路の男性ひとは言うことが違うなぁー、格好いいなぁー!」

「だから俺は三十代だ!」

「こら、お前達! 普段からこんな薄い緊張感で夜警をしていたのか!? その緩みが昨日のような国辱となって現れたのだぞ!?」

「あの、皆さんが心配しているようなことはないかと……」

「え?」

「む?」

「お?」

「テレジア殿はともかく、シャルロッテ本人は全く気にしていないようですし、むしろ、」

「むしろ?」

 リズさんが言い辛そうにし、頬を赤くする。

「その——……男の人の裸が見られた、と喜んでいましたから……」

 吹いた。吹き抜けた。夏の夜の鳥上島に、今年一番の寒たい風が。

「うっは〜。最近の子って違うわねぇ〜。お姉さんの時とは大違い。それともシャルロッテちゃんがませてるだけかしら?」

「分からねえ、分からねえなぁ。三十路の俺にはさっぱり分からねえ感覚だな。おう、東雲、お前さんここは一つ日本の未来のために肉弾外交で散ってみるか?」

 ——何言ってるんですか、国司さぁーん! はっ!? リズさん、リズさーん! 助けて下さ〜い!

 でもリズさんは顔を赤くしたまま気まずそうに地面を見つめている。

 そこで気付いちゃった。さっきまで凛として場を仕切っていた弥生さんがリズさん以上に顔を真っ赤にしていたことに。

 あ、目が合っちゃった。

「弥生サ〜ン、何なら今この場で実物確認してみます?」

「——!?」

 日鉢さんが僕の後ろに回ってズボンの裾に手をかけて、一気に下ろしちゃいますよーの体勢になる。

 ——ひ、日鉢さんまで〜!

「しシし、失礼スる!!」

 演説の声からは想像もできない裏返った声を出して、弥生さんは顔をもっと真っ赤にしながら校舎の方へ小走りに駆けていく。

 でも、手と足が同時に前に出ていたりする。

「凄えな、東雲。あの鉄仮面を撃退しちまうとはな」

「へー、あんな顔できるんですね、彼女。巌サンが報告書に余計なこと書くから変に意識しちゃったんでしょ、きっと」

「そんなもんかねぇ。我らのエースが撃破数を一つ増やした、それだけでいいじゃねえか、なぁ東雲?」

 ——うわぁ〜ん! 僕に同意を求めないで下さいー!

「萌……」

 ——えっ、リズさん?

 そこには神妙な面持ちで佇むリズさんの姿があった。恥ずかしそうに頬を赤く染めているけど。

「すまない……私が余計なことを言ったばっかりに……。許してくれ」

 ——う、うわぁ〜ん! 謝らないで下さいよぉ! こんないたたまれない気持ちになったのって、昨日を抜かせば、生まれて初めてですよぉー!


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「よし、東雲いじりはここらにしてお仕事始めっか。まずは——こいつだ」

 国司殿が足元に置いていた大きな包みを萌へ差し出す。

「俺のお古で悪ぃな。感応型の具足一式だ。昨日みたくいきなり素っ裸すっぱマンになるこたぁねえから安心しろ」

 昨晩のことを蒸し返され、萌が若干涙目になる。

 萌は包みを開き、中にあった甲冑をてきぱきと身につけていく。

 感応型の恩寵兵装とは、自らの恩寵に左右されず、肉体の一部となって同化する兵装を指す。

 国司殿の言う通り、感応型の防具ならば、昨晩の萌のように全身を炎で包み込むことになっても、その炎に感応して適応するので問題はない。

 しかし、恩寵兵装としてのランクは高い物ではない。打ち手の想いなど込められていない『同調』しかできない兵装だからだ。しかも『展開』や『解放』などとはほど遠い『同調』だ。

 おや? これは……? やはり、

「巌サンのだからそりゃ大きいわね」

 三回りぐらい体格差のある二人だ。それでも何とか着こなした萌は流石と言うべきか。

 具足のつけ方も授業で習ったと皆が言っていたが……。私もそのような授業に参加できる機会があるのだろうか? できることならば体験してみたいところではある。

「ま、問題ねぇだろ。いくぞ、東雲、歯を——」

「ストップ! ストーップ、巌さん! この具足って、感応型なんですよね?」

「おう」

「なら——まずくないですか? だってほら、東雲クンの恩寵って……」

 萌の恩寵は<何も無い>だ。つまり、この恩寵に感化された兵装は——

「まさか……無くなってしまうとでも?」

 そんなことは聞いたことがないが、萌のような恩寵の持ち主を聞いたこともないのも事実だ。

「そんな訳ねぇだろ。もし無くせるってんなら、中野の諜報学校か、斑鳩いかるが神学校しんがっこうがほっとかねえぞ。よし、歯食いしばれ」

「そりゃーまー、そうかもですけど……」

 国司殿が萌の腰の帯に手をかける。それを見つめる萌はやや緊張しているようだ。

「——っと」

 国司殿が帯を一気に引き絞る。時を同じくして、萌の着ているだぼついた当世具足がぎゅっと彼の体格に合うように縮まっていく。

 縮まって縮まって、

「————!?」

 ギリギリと言う肉を絞る音と、バキバキと言う骨と関節のなる音がし、萌が糸のからまってしまった人形のように手足を不自然な方向へと曲げる。そして、ドタリ、と地面に倒れた。

「東雲クン、とんでもないことになってますけど、大丈夫ですかね?」

「若いんだ、あれくらいなんとかなる」

「若さでどうにかなるレベルを超えてません?」

 ピクピクと痙攣を繰り返す萌の体を抱き寄せる。

「萌、しっかりしろ。痛みはあっても感応が終了するまでの一時的なもののはずだ」

 彼の背中をさすりながらポンポンと叩く。

 彼はしばし目を回していたが、私と目があうと、思いもよらぬ速さで後方に飛び退く。

 おや、どうやら痛みはなくなったか。

「どうだ? 動きやすいだろう?」

 私の問いに、彼は腕や肩や腰を回して答える。大きすぎたサイズは今や彼の体格と完璧に一致している。

 改めて見てみよう。

 頭部の装具は五枚の板金を組み合わせた鉢金だ。側面は耳の保護がなされていない。防御力は落ちるが、耳を覆う兜と比べると聞こえ易さは段違いだ。

 萌は上下に厚手の服を着て、その上から鎧をつけている。上下の服には黒光りする板が何枚も鋲付けされている。

 胴鎧は意外にも私達のヨーロッパ圏で使用されているプレートメイルの胴体・喉元部と酷似している。

 それに日本風の小板札を重ねて作られた籠手と足あてを装着し、五段の草摺と佩楯で大腿部を守っている。帯には静から借りた<獄焔茶釜>を挿し、例の鳴らないはずの鈴を結びつけている。

 旧時代ならば南蛮具足と呼ばれる一品だろうか。肩や肘をカバーしているのは上着に規則正しく打ち付けられた小板片だけだ。防具自体の装甲面積は昨晩までの当世具足の方が高い。装甲の薄いところを狙われたら一昨日、昨日以上の大怪我になるだろう。

「おー、巌サンのお古って聞いたから嫌な予感してたけど、中々似合ってるじゃない」

「多少薄いが、そこは気合で補え。間違ってもこの前みたいに捨て身で突っ込むんじゃねえぞ」

「大丈夫ですって。なんたって東雲クン、フサフサですから」

「うるせえなぁ! 髪は関係ねぇだろ、髪は!」

「薄い——そうか、合点がいきました」

「さらっと同意すんな、そこの女学生!」

 萌の着ている具足は国司殿のものなのだ。

 この人の人間離れした体術ならば重装甲は不要、むしろ体を動かす邪魔にしかならない。

 国司殿の体捌きを基準に考えればまだまだ軽量化できそうではあるが……。

 などと考えながら萌のことをジーっと見ていたら、彼が恥ずかしそうにモジモジと体を動かす。甲冑がカシャリカシャリと音を立てる。

 萌よ、君のそのギャップは何とかならないものか。

「東雲クンさぁ、今佩いているのが昨日の刀で良いんだよね?」

 日鉢殿の問いに萌が頷く。

「でもさぁ、こんなに鞘と鍔を固く結んだら抜けるものも抜けないでしょ? 巌サン、どーします? 教会に行く前に屯所に寄って鉄棍でも借りときます?」

「んー、まぁ、問題ねえだろ。鞘でもそこらの鉄棒よりは強度はありそうだ。こいつのことだ、いざとなったら鞘でぶん殴ってくれるだろ? なぁ、東雲? ——……だ、そうだ」

「そーやって部下に強要するのが可愛くないって言ってんですー」

「三十路のオッサンが可愛くてもしかたねえだろ。昨日の今日だ。多少無理してでも獲物は刀一本だけにしとく方が使いこなせるようになるまでは早え。それともあれか? 東雲ボーイが守ってくれねえと怖くて射もできねえか?」

「うっわ! 性格悪ゥ! 二人ともあんな性悪オジサンはほっといて私達三人で行きましょ」

 日鉢殿が私と萌の首に手を回し、校門へと歩き出す。

「日鉢殿、それで本日の任務はどのような?」

 彼女に引きづられる体勢の中、首だけでも彼女へ向けて問いかける。見れば萌も私と同じような格好だ。

「ん〜とね、今日のお仕事は山ノ手の教会ね。敷地内の巡回だったかしら? 弐係の怖〜いお兄さんやお姉さん達と一緒にお仕事ね。そういや、東雲クン、弐係の御手口サンに随分と気に入られてるわよねぇ〜」

 御手口と言う名前を聞くや否や、萌の顔が真っ青に変色する。

 なるほど、修道院の正門にいたあの人物か。

「相当絞られたてでしょ? あはっ、なーんてね。助けて貰った私が言うのもおかしいわね。東雲クンもそう思っちゃうでしょ? うりうりうり〜」

 日鉢殿が私の首に回していた腕を解き、その腕で萌の鉢金越しに彼の頭をグリグリと押す。

 自然、私は解放され、萌はより拘束される。

 こうしてあたふたする萌を見ると不思議な安心感と幸福感があるのは何故だろうか?

「どーしたのよ東雲クン? あ、もしかしてお姉サンよりリーゼちゃんにグリグリされたいとか? あっは! どうしてそう分かりやすい反応するかなぁ〜? ほれほれほれ〜」

「——!?」

 萌は私と目が合うと、頭部から湯気を出しながら日鉢殿に引きづられていく。

 むむっ、私が日鉢殿のように萌の首を抱えて頭を押さえつけるとでも思ったのか?

 心外である。釈然としない。日鉢殿の代わりにそれを努めたいとは思っていないぞ。

「夏だな」

「夏、ですか……」

 季節や月齢が人の行動に影響を与えると言う俗説は旧史からあると文献で読んだ気がするが……。

 国司殿の言う通り、夏の夜である。

「二人っともー! 早く来ないとアタシが東雲クンを独り占めしちゃうわよー!」

「——!!」

 日鉢殿に振り回される萌の姿を見て思う。

「なるほど——……。これが日本の夏の風物詩と言うものですか……」

 ふ〜むむ、そう思うとこの光景が違ったものに見えてくる。深い趣きがある。

「これを見逃すと後一年は見えねえからな。おう、東雲! ヴォルフハルトのご指名だ! もっときばって動け」

「——!?」

 じたばたと手足を動かしもがくも、日鉢殿の固めは解けず、引きづられていく。

 孤立無援——今の萌を見ていると不思議とそんな日本の四字熟語が浮かぶ。

 全く、しょうがない奴だ。

 そう思う私の口元は、何時知れず微笑を浮かべていた。

「日鉢殿、我らはこれより任務につくのですよ。いたずらに体力を消耗するのは如何なものかと。萌の体術を鍛えるのは本日の務めが終わってからでも良いのでは?」

「むむ、お姉サンそういう正論っぽいのに弱いのよねぇ〜」

 渋々ながら日鉢殿がやっと萌を解放する。

「これ、萌、君もだぞ。しっかりしないか」

 不満そうに萌が私を見つめ口を動かすが、眼鏡をつけている今の私には彼の言葉を推察することしかできない。

 バシッと一度、鎧越しに彼の背中を叩く。何時か彼が私にそうして元気付けてくれたように。

「背筋をしっかり伸ばすんだ。国司殿が貸して下さったせっかくの甲冑が台無しだぞ」

 そう言う私の口元の筋肉は、遺憾ながらと言うべきか、緩みきっていたと思う。

 萌が私に振り返り、きょとんとした表情を見せる。それも束の間、私の意図を見抜いたのだろう、彼特有の不思議な暖かい笑顔を私に見せる。


 今日、私の目に色を取り戻してくれた彼の笑みだ。


 羽が生えたかのように軽くなった足を地にしっかりとつける。

 今晩赴く地に辿り着くまでは、彼の隣を歩き続けよう、そう思った。


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