朝: 憤りと呆れとやるせなさの混じった朝 [リーゼリッヒ・ヴォルフハルト]

 不思議な、夢を見た。

 未だ残る幻影を振り払うべく、上半身を起こしゆっくりと一つ瞬きをする。

「……使い過ぎたか……」

 私の目の前には、白と黒の世界が広がっている。

 ここ、鳥上島聖コンスタンス修道院で私に割り当てられた部屋の色ではない。本来は年季を感じさせる木製の小部屋だ。

 昨夜の続きと言う訳ではない。緑の大蛇の核を見ていた時よりは幾らか回復はしている。

 眼の奥の痛みは相変わらずだ。今日の夜までには収まってくれると良いが……。

 ベッドから起き上がると、眼鏡をかける。身だしなみを整え、腰に荒縄を巻く。布の毛布をきちんと折りたたみ、部屋を後にする。

 口をつぐみ、早足に礼拝堂へと急ぐ。

 外の空気が暖かいと私には感じられる。夏の朝だからと言う訳ではない。私の体内の温度がせいだ。

 別に私が風邪を引いた訳ではない。

 昨晩、敵怪異との戦闘中に<氷の貴婦人>をと感じた。

 おかしい。同調した恩寵兵装は身体の一部だ。違和感などあるはずがないのだ。

 石で敷き詰められた回廊を踏みしめる。

 礼拝堂へと続く扉を開けると、既に先客がいた。

「おはよう、リーゼリッヒちゃん」

「おはようございます、管区長殿」

 管区長殿は両膝を床につき、両手を胸の前で組んでいる。聖コンスタンス騎士修道会での一般的な礼拝の仕方だ。全身を投げ出す投身礼拝は認められていない。何時如何なる時でも怪異と戦うために最低限身構えておくことが求められるからだ。

「申し訳ありません、お祈りを中断させてしまいましたでしょうか?」

「もぉ〜〜私とリーゼリッヒちゃんの仲じゃな〜い。遠慮しないの、ほほほほ」

 管区長殿はニコニコと微笑みを絶やさないまま言う。

 私は管区長殿の前を横切らぬように後ろへ移動し、祈りのために身支度をする。

 右膝から床に、続いて左膝をつけると、右手で十字を切ってから手を組んで眼を瞑る。

至高いとたかき天におわす我らが父よ、今日と言う日を使わして下さったことに感謝します」

 朝の礼拝堂に、エリザベート管区長殿のしわがれた朗らかな声が響く。

「古き友との変わらぬ暖かい交流と、新しき友との出会いをお与え下さったことに感謝します。日頃の変わらぬ糧と、当たらな芽を生み花咲かせるための試練をお与えになって下さったことを感謝します」

 彼女の言葉に促されるように、私はこの島に来てからの出来事を振り返っていた。

「それとぉ、今日こそ私に運命の王子様ぁとの出会いをお与えになって下さい〜。頭に怪我しちゃった須佐しゃんをお婆ちゃんにいい子いい子させて下さいなぁ。ああァン、須佐しゃーん、お婆ちゃんのお胸が空いてまァすぅ〜」

「……」

 急転直下、突如猫なで声へと変化した管区長殿の祈祷に、私の眉がハの字になる。

「あァーン、それとォ、お婆ちゃんのせくちーヴォイスにメロリンしちゃったリーゼリッヒちゃんにもステキな王子様をお使わし下さいン〜」

「……。…………」

 私は萌の無事を祈るとしよう。

「さァ〜て、朝のお祈りも終わったし、シャルロッテちゃん達と一緒に朝ご飯を食べましょうか」

 さらに一変、まるで萌の顔のように管区長殿の声色が変化する。

 私は十字を切った後に、

「はい、承知しました」

 管区長殿が立ち上がるのを助け、床に置いてあった杖を渡す。そのまま私はシャルロッテ達が休んでいる部屋へと赴こうとしたのだが、

「んまァ〜リーゼリッヒちゃんてば! 今のはボケとツッコミのところでしょォ! 『色恋沙汰など我ら聖コンスタンスの修道女には無用の長物です』ってツッコンでくれなきゃお婆ちゃんのボケ損じゃない! プンプン、メッよメッ! リーゼリッヒちゃん、メッ!」

 ……。エリザベート管区長殿、貴女と言うお人は一体私に何をさせたいのですか?


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 ——ぅぅぅぅ……。

 僕は一人、膝を抱えて檻の中で朝を迎えていた。

 涙が出てこないのが不思議なぐらい惨めな感じだ。

 うぅ……自分がこんなにも情けないと思うのは何時以来だろ?

 一人で入るには広すぎる牢獄は、地下一階にあるせいか暗く、じめじめとしている。

 どんよりとした空気に押されるように、僕の気持ちが段々下がって行く。

 僕がふさぎ込んでいると、誰かがやってくる足音がした。

「おう、飯だ、東雲」

 ——うわぁぁぁ〜ん、国司さぁ〜ん!

「そんなに腹減ってたのか。急いで食って喉詰まらせんなよ、ほれ水だ」

 ——うぇぇーーん。

「旨えか?」

 ——ゔぇぇん、おいじいでずぅ〜。

 ちょっぴりお酢が強い具のないおにぎりだけど、お米が美味しいよぅ〜……。

 国司さんが柵の間から差し出してくれた二つのおにぎりを食べる。むしゃむしゃと、食べに食べる。床に置かれたお盆からお茶碗を掴み、その中のお水をすする。

「お前さんの学校には逮捕のことは伝えてあるから安心しろ」

 ——ぶーーーー!!

 まさかの展開に飲んでいた水を口から吐き出しちゃうも、国司さんはひらりと身をかわしている。うわぁ、凄い、って感心してる場合じゃないぞ、綺麗に拭いとかないと。

「とりあえず、飯だ。飯食っとけ」

 ——はい……もぐもぐ。

 うぅ、どんな状況でもやっぱりおにぎり美味しいよぅ。少し冷めたご飯とちょっぴり振りかけられたお塩がぴったりマッチしていてとっても美味しい。噛めば噛むほど口の中で唾が出てくる。具のない銀しゃりおにぎりもおいしいよぅ……。

 ——ずずず。

「お前さんの罪状だけどな、」

 ——んがっぐ!

 飲んでた水が気管に入りそうになるのを、気合いで踏ん張る。

「『刀』の無断使用と無許可の同調に関しては持ち主のちっけえ嬢ちゃんが不問にしてくれるそうだ。持ち主つーか、本来の持ち主は緋呂金当主のじじいになるらしいんだが、その代行やってるドラ息子が持ち主になって、そのドラ息子から刀の返還の件を委託されたのがあの嬢ちゃんなんだと。分っかんねえなぁ、政治の世界つーのはよ。とにかく、あの嬢ちゃんがお前に貸す、つーから『刀』の件は不問だ。良かったな、東雲」

 ——はいぃ。後で青江さんにもちゃんとお礼言いますぅ。

「おう、土下座でもしとけ。普通なら腕切り落とされるか、腹捌かれてるとこだぞ」

 誰かと一度同調してしまった恩寵兵装を他人が扱うことは難しい。

『真打』と分類される一級品の恩寵兵装には、打ち手が兵装に込めた願いが込められている。

 自分の願いを理解ししてくれる担い手が現れたのならば、他の担い手に己の願いを聞いて貰う必要はない——そうなってしまうみたい。

 だから恩寵兵装の無断使用はとても厳しく罰せられる。刑法的・民法的には腕を切られたり切腹しなきゃいけなくなったりってことはないはずだけど、兵装が凄い貴重で強力なものだったりすると、そうなっちゃうのかな……?

「で、公然わいせつの件だけどな、」

 ——んっガ、グググぅ!

 思索にふけっていた僕を国司さんのぼそっと呟いた言葉が現実に戻す。

「高木のジイ様とも話したんだけどもな。状況的にまっぱになってもしゃーねーかなっつーことに落ち着いた。お前あれだろ、まだ何も思い出せてないんだろ?」

 ——はぅぅ、すみません……。

 昨日、黒騎士さんに斬りかかった後から国司さんに起こされるまでの間の記憶がすっぽり抜け落ちてる。

 気がついたら左腕が曲がっちゃいけない方向に曲がってて、右手に刀を持ってて——素っ裸だった。

 しかもリズさんやシャルロッテさん達にも見られちゃってたし……。

 はぅぅ……背筋がフニャリと曲がって小さくなっちゃう。穴があったら入りたいって言うのは今の気持ちのことを言うのかな?

「この後、調書を取ったら無罪放免ってことだ」

 ——うぅぅ、すいません国司さぁん。

「ほれ、食い終わったのならさっさと行くぞ」

 ——あ、あの、国司さん!

 お盆を持って立ち上がる国司さんを呼び止める。国司さんは懐から牢の鍵を開けるために二つの凸凹の木の板を取り出していた。

「あン?」

 ——僕の喋ってること、分かるんですか?

 もしそうなら、国司さんと知り合えたことって凄い偶然かも。

「あー、半分以上カンだけどな。昔、な、」

 国司さんはそう言って、遠い昔の、とても大切な思い出に浸るように両目を閉じる。

「隊で一緒だった奴から唇の読み方を習ったことがあってな。そいつのは我流だったから俺のも滅茶苦茶だけどな。——……。こんなとこで役立つとは、人生何があるか分からんな。ほれ、行くぞ」

 ——は、はい!

 ふにゃっとなっていた背中に力を入れ、僕は国司さんが開けてくれた檻から抜け出す。

 ——あ、ご、ごちそうさまでした!

「っと、忘れねえ内にこいつは返しとく。大事なもんだろ?」

 ——あっ! ありがとうございます、国司さん!

 国司さんが差し出してくれたお師匠様の鈴を僕はしっかりと両手で受け取る。

 よかった。残っててくれたんだ。焦げた跡とかも、なさそうだ。お師匠様からお借りしてるのに変に扱っちゃったらダメだもんね。

 国司さんはお盆を片手に、上の階へ続く階段へと歩き出す。僕はそれに遅れまいと小走りに国司さんの後を追いかけた。


 鳥上島には、警備の人達の詰所が二つある。島の入り口にある関所の近くと、河川が集合する地点の中央広場を見下ろせる位置にある中央警備所だ。関所の近くにある方が規模は大きい。

 僕が今いるのは中央警備所の方みたいだ。

 今まで外から見てるだけだったけど、内側ってこんな構造になってたんだ。

 歩くたびに木の床がキュキュと小さな音を立てる。

 完全武装した警備の人達が、鎧を鳴らしながらせわしなく走り回っている。

 見られている気がする……。視線を痛いほどに感じる……うぅぅ。

 きょろきょろと首と目を回す。やっぱり国司さんと僕を見ている、って言うより睨んでる人ばっかりだ。敵意と侮蔑が混じった厳しい視線だ。

 うわゎーん! ごめんなさーい! しくしく、と泣きたいけれど、国司さんについて行くしかない。泣いて謝って済むものじゃないけれど、泣いて謝りたいです、はい……。

 島に襲撃者が来て、ヒトガタも大量発生しちゃって、そんな大変な時に、すっごく大変な時期に、素っ裸の学生を逮捕・補導しました——ってそんな呑気なことやってる状況じゃないですよね、シクシク。

「着いたぞ、ここだ」

 国司さんが部屋の襖の前で両膝をつく。僕も慌ててそれにならう。

「失礼します。伍係の国司です。例の東雲を連れてきました」

「ふむ、入るが良い」

 朗らかなお爺さんの声が返ってきた。沢庵先生の重くて渋味がかった声とは違って、夏の陽気のような声だ。

 国司さんが襖をスッと開け、一礼をしてから僕へ中に入るように手で促す。

 ——し、失礼します……。

 緊張で出てきた唾をゴクッと飲み込んで、国司さんに頭を下げてから、部屋の中へと足を進める。

「カッカッカ、楽になさい」

「……」

 部屋には三人の人がいた。

 学園の教室くらいの広さの部屋は茶色の板張りになっていて、奥の障子からは明るい陽の光が差し込んでいる。

 中央奥には白髪のおじいさんが僕を見ながらニコニコして座っている。う〜ん、この人って関所の管理者の人じゃなかったっけ? このお爺さんの脇で机について筆を持っている人が調書を取る人なのかな? 僕には目もくれずに机の上の紙を見つめてる。

 もう一人、どっかりと畳にあぐらをかいて座っているのは——

「…………」

 ——あ、御手口さんだ!

 昨日の夜、青江さん家の前でお世話になった警備の人だ。昨晩の甲冑は着ていないけど、昨日と同じ鋭い目付きでむすっと僕を睨んでいる。

 ——あ、あの昨日はすいませんでした。お腹の傷、大丈夫ですか?

「……」

 御手口さんは何も答えず顔がもっとむすっとする。

 ——昨日は本当にごめんなさい。あの、僕が蹴飛ばされちゃった後、大丈夫でしたか?

「…………」

 もっとむすっとが、もっともっとむすっとになる。

 れれ、僕何か変なこと言っちゃったかも。

 そうだ、僕、声が出ないから皆分からないじゃんか。

 はぅ〜、恥ずかしい。リズさん、そして国司さんと僕の喋ることを分かっちゃう人が急に出てきたせいからかな。たるんでるぞ、僕。

 後ろでスッと襖が閉まり、僕の斜め後ろに国司さんが座る気配がする。

 ——あの〜うぅ〜……。

「…………」

 そっと御手口さんの顔色を伺ってみるも変化がない。

 のそっと、御手口さんが仁王立ちになる。

「む?」

「どうしたんすか、御手口さん?」

 ——御手口さん?

「…………」

 ズンズンズンと御手口さんが僕の前に歩いてきて、

「小僧ォ……」

 ——は、はい。

「小僧ォォ……」

 ——は、は、はい。

 ごごごごごと言う地鳴りみたいな音が聞こえる……ような気がする。

 昨日よりもすっごい迫力があって怖いような。

「小僧ォォォォォォーーー!!」

 ——ほ、ほほほ、ほひぃ!?

 御手口さんが右手を握りしめ大きく振りかぶって——あ、傷の方はもう大丈夫なのかな。

 その右拳が唸りを上げながら僕の脳天へ、え?

 突然、目の前が真っ暗になる。

 ごっちんと言う大きな音と共に、目の前と口の中に大っきな火花が散って、僕の意識は根こそぎ刈り取られた。


「して、覚えてないと」

 ——はい……すいませんです。

 ジンジン痛む頭を押さえながら、前に座る高木さんの言葉に頷く。

「ふーむ、記憶がない、のぅ」

「高木さん、どうすか?」

「ま、嘘はついとらんようだの、カッカッカ」

 高木さんの快活な笑い声が響く。

 ——うぅ、すいません……。

 何故か謝っちゃう僕。うぅぅ、小心者だよぅ……。

 書記の人は僕には目もくれずに筆を走らせている。

 僕が聞かれて答えたのは——……って、あれ? 僕の喋ってることって高木さんに伝わったのかな? 国司さんは僕の後ろにいるから唇を読めないはずだし……。

 と、ともかく! 僕は青江さん家の前で国司さん達と別れてからのことで覚えている限りのことを高木さん達に伝えた。

 小さな男の子が出てきて、その後に黒騎士が現れたこと、それから僕が負けちゃって蹴り飛ばされて意識を失って、気付いたら裸だったこと、だ。うぅぅ。

「カッカッカ。良い良い。儂もヌシの歳の頃には酒をくらって全裸にて公園で夜を明かしたものよ。若い者にしては珍しく気骨があるではないか、のう、国司よ?」

「何言ってんすか、高木さん。国賓の嬢ちゃん三人の前でまっぱになるなんざ中央の外務に知られたら腹切りもんすよ」

 ——はぅぅ、すみませぇん……。

「国司よ。主は少々職務に対して厳しすぎるぞ。カッカッカ、人の生とはなるようになる。今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹く。なるようになるよう、ゆるりと職務をこなせば良し」

「今、ウチらはカチコミくらって鉄火場で命張ってんすよ。なるようになる前に黒騎士二人をふんづかまえにゃお話にもなりませんぜ」

「カッカッカ、左様左様。忘れとったわい。歳をとると耄碌していかん」

 高木さんと言うお爺さんの朗らかな声が木の部屋に反響する。

 うーん、沢庵先生と違う意味で声量のあるお爺さんだなぁ。

「すまぬのぅ、東雲少年よ。御手口は一本気で骨のある男であるが不器用なのが玉に傷でな。この通りじゃ、この老骨に免じて許してやってくれ」

 ——あの、いえいえ、そんな!

「自分のマジもんの一発を防いだ相手に、木刀未満の木の棒で斬りかかられた訳ですからねぇ。げんこ一発で良く済んだもんすよ」

 ——うぅぅ、すいませぇん……。

 ズゴンと殴られた頭はまだズキズキする。

「カッカッカ、して東雲少年よ、左腕はどうじゃ?」

 ——あ、はい。ちょっと違和感ありますけど、もう大丈夫そうです。

 座ったまま左腕を肩と肘でグルグルと動かしてみせる。

 少し張りがあって動かすと変な感じがするけど、痛みはない。

 昨日あんなに痛みが酷かったのに、もうこんなに動かせるようになってる。

 旧時代の進んだ医学でも骨が折れちゃったら数週間は固定して安静にしなきゃいけなかったみたいだけれど、体の怪我を治す医術に関してだけは恩寵や恩寵具の発達した今の方が進んでいる。

『切った貼ったがすぐ治せる今の世界の方がぶっそうに決まってるよなぁ』とはお師匠様の談だ。

「カッカッカ、然り然り。国司よ、後は主に任せる故、ゆるりと、取り計らうが良い」

 高木お爺さんがを強調する。

「了解です」

「では儂らは政務官殿の見舞いにでも参ろうかのう」

 高木のお爺さんが立ち上がると、調書を取っていた人が書類をくるくるっと丸めてそれに続く。

 ——あ、あの、色々とありがとうございました。

「カッカッカ、良い良い。今夜も頼むぞ、若人よ」


 高木さんと別れて部屋を後にした僕は、国司さんに一階の入り口まで送って貰った。

 途中ですれ違う人達の視線がやっぱり何処か怖いよぅ。うぅぅ。

「ため息ついても事態は好転しねえぞ」

 ——は、はい。あの、この着物もきちんと洗ってお返しします。

「気にすんな。余ってる備品つーか、どうせ俺の給料から天引されるんだからな。無罪放免の記念にでも取っとけ」

 ——あぅぅ、恐縮です。国司さんはこれから?

「お前さんの書類を作ってから見回りだな。例の二人組を檻の中にぶち込まんことにゃ何も始まらん。俺の心配する暇あったら勉強しろ、勉強。学生の仕事は勉強するこった。寄り道しねぇで真っ直ぐ学園へ行けよ」

 国司さんの右手がぱしーんと僕の頭を叩く。

 ——は、はい。

 人は見かけによらないって言うのかな。国司さんて見かけはムキムキな強面のおじさんだけど、しっかりするところはしっかりしてる人なんだ。

「ほれ、そこの草履を履いとけ」

 玄関に出た僕は、背中を見せて建物の中に消えていく国司さんに声を掛ける。

 ——あの、昨日は色々とすいませんでした。どうもありがとうございました!

 大きく頭を下げてから、僕はそそくさと入り口の暖簾を押し上げて逃げるように警備所を後にする。

 べ、別に昨日僕が何をしちゃったか知ってる人達の視線に耐えられなくなったからとかじゃないよ! 皆さん忙しそうだし、僕みたいな部外者がいたら迷惑じゃんか、うん!

 どうにかして自分自身にエールを送る僕に、入り口の外で意外な人達が待ち受けていた。

 そこにいたのは、

「んっふっふっふっふ」

 不敵に微笑む日鉢さんと、

「くすくす」

 少しだけ頬を染めながらにこにこと笑うシャルロッテさんと、

「…………」

 眉間に三本のしわを寄せ、もんのすご〜いじと目のリズさんだった。

 ——えぇ!? どどど、どうしてここに?

 リズさんとシャルロッテさんは学園の制服を着ていて、日鉢さんは具足に黒弓を持ってて夜警の時と同じ格好だ。

 僕が呆気にとられていると、

「んっふっふっふっふふふ」

 日鉢さんが不敵な笑みを崩さずに近づいてきて、

「んふっふっふふ」

 もっと不敵に笑いながら僕の肩をバシバシっと叩き、

「ん〜っふっふっふっふっふっふ」

 手をひらひらさせ腰をくねらせながら、警備所の内へと消えていった。

 ——ええ〜っと……日鉢さん……?

「くすくす」

「…………」

 ——ぅぅぅ……。

 昨日のことがあるから、リズさんとシャルロッテさんとは顔を合わせづらい。

 って言うより合わせられないよ、うわぁぁ〜ん! 何で僕、裸になっちゃったのー! 全然覚えてないし、思い出せないよぉー、うわぁ〜ん!

「ふふふ」

「……。学園に急ぎましょう。今からでしたら三限の開始には間に合うでしょう。行きますよ、シャルロッテ。…………それに、萌も」

「ふふふ、はい、リズさん!」

 ——はい……。

 軽やかに歩き出したシャルロッテさんと、しっかりした歩みのリズさんの後を追って、僕はとぼとぼと歩き出した。


「ふふふふーん」

 シャルロッテさんは鼻歌を歌いながら僕とリズさんの前を歩く。

 ——はぁぁ〜……。

 僕は二人に気づかれないようにこっそりため息をつく。

 学園の登校時間から遥かに外れているから道を歩く学園生は僕達三人しかいない。

 四人一組の警備の人達とは何度かすれ違ったけど、学園生は僕だけだ。

 空を見上げれば、雲が空を覆っているけど、ちらりと見える太陽は高く上っている。

 壮大な遅刻だ。しかも僕、和服だし……。

 鳥上学園では制服は二種類ある。ズボンにシャツの洋服か、袴に長着の和服かがあって、どちらで登校しても良いことになっている。クラスで一番人に合わせるクラスがほとんどだけど、ばらばらなクラスもある。

 僕達弐年参組は、同学年の壱組と弐組が和服だから洋服にしよーぜー、って壱年生の時に皆で決めていた。でも僕、今は和服だ。

 うぅぅ、昨日と言い今日と言い、きちんとした格好で登校できない自分が恨めしい。しかも鞄また持ってきてないし……。

 ——はぁぁ〜……。

 ため息が口から自然に漏れちゃう。出ない方が不自然な位に。

「…………」

 ひ、ひ〜! リズさんが僕のこと見てるぅ〜!


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「んふふふ、ふ〜」

 シャルロッテは陽気に笑い、

「——!」

 萌は苦悶の表情で頭を抱える。

 シャルロッテは日本に来るまでの道中、ずっとこの調子だった。

 名家のご令嬢——しかも次期当主の継承権を持つとなれば、周囲から大切に育てられ、旅とは無縁の生活だったに違いない。見るもの聞くもの全てが彼女にとって新鮮なのだろう。

 彼女に取ってみたら、警備の者から尋問されたことや、昨晩の敵との遭遇、今朝日鉢殿と一緒に萌が出てくるのをただ待っていたのだって新しい日常なのかも知れない。

「…………」

「——!」

 萌と目が合う。すると彼は豪快に頭を抱えながら身をよじる。

 彼の心情も……まぁ、分からなくは、ない。

 図らずも目撃者の一人となってしまった者の一人として言えることは、あの時見てしまったモノは、記憶の片隅に何重にも鍵をかけて厳重に封印し、決して思い出してはいけないと言うことだ。

 当事者の彼の心境たるや察するに余りある。思い詰める余り、この国の戦士が選ぶ究極の最終手段、『切腹セップク』をしなければ良いのだが。

 命は皆、等しく美しい。疎かにすべきものではない。

 この国の文化に興味を持つ者としては、果たしてどのような作法で『切腹』が執り行われるのか非常に興味が——いかん、何を考えているか、このバカ者め。

 この目は未だ痛みが続き、見えている世界は白と黒のモノクロだ。頭痛、腹痛ならぬ眼痛とでも言うべきか。

 この時間まで痛みが続くとは初めての経験だ。痛みのせいで顔が引きつってしまっているが、仕方ないことか。

 周りの景色を見ながら目の具合を確認していたら、再び萌と目が合った。

「——!?」

「…………」

 再度、だがより激しく萌は頭を抱える。

 むむむ、如何ともし難いな、私では。

「んふふのふ〜」

 シャルロッテはくるくると回りながらも足を進める。

 彼女は彼女なりに楽しんでいるようだ。それは良いことだが、萌に隠修士のように世俗を捨てられても困る。

 あの一振り——右手一本で握った刀で緑の大蛇を真正面から両断した一撃の威力は凄まじい。核に注視し、見ていなかったので詳細は分からないが。

 萌の持っていた刀は回収されたと日鉢殿は言っていた。機会があれば一度じっくり見てみたいものだ。

「…………」

「——!?」

 また目が合った。そして飛び退かれた。しかも若干涙目である。

「うふふふ」

 シャルロッテは笑顔を絶やさない。

 うーむ……思わず右手で顎を掴む。

 今の彼には何を言っても逆効果か……。そう考えた私は目の痛みを堪えながら、笑顔のシャルロッテと苦悩の萌と共に、学園へと通じるであろう道を歩く。


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 重い足を引きずって、ようやく学園の門をくぐり敷地内に辿り着いた。

 着いた時、丁度二時限目が終わった後だったみたいで、運動や武道の授業で賑やかな校庭が閑散としていた。不幸中の幸いって言うのかな?

 僕達弐年参組の教室は敷地の外れの外れにある物置倉庫の二階にある。

 正確には物置倉庫として使われていた建物の部屋の一つに黒板やら机やら椅子を運び込んだのが、僕達の教室だ。

 校門からは遠いけど、本来は静かな場所だ。

 去年と比べたら他学年、他学級の人達もからかいに来たり石とか物を投げ入れたりってのは少なくなってる。僕、頭に直撃しちゃって気絶しちゃったこともあった。あれは去年の五月頃だったっけなぁ?

 おかげでクラスの皆と仲良くなれてるし、保健室の岸先生とか生徒会の人達とも顔見知りになれた。

 ——トホホ……。

 現実逃避しちゃってるなぁ……。こういう時、お師匠様なら何て言うだろ?

『萌ちゃ〜ん、お前もやればできるじゃん。次は勢い余って抱きついちゃいな! これ師匠命令だかんな』

 ひぃぃぃ! お師匠様! 悪魔の囁きはやめて下さいぃ〜! 僕に悪の道を走らせないで下さーい!

 違うよ違う。真面目バージョンのお師匠様ならきっと——

『自分のしたことにケジメを取れ』

 だよね、うん。

 昨晩、僕が勝手なことをしたせいで沢山の人達に迷惑をかけちゃった。

 御手口さんに、あの時広場にいた人達、僕の左腕を見てくれた鳥上医院の先生や、着物を用意してくれた人もそうだ。今日、僕のことを待っててくれたリズさんとシャルロッテさんも忘れちゃいけない。

 どう責任を取ればいいのか何て見当もつかない。

 ——でも何て謝ればいいのー!?

 普通に『裸になっちゃってごめんなさい』とか? でも、普通にって何!? うわぁ〜ん!

 僕の心の内の荒れようと苦しみとは裏腹に、僕達三人は三限目が始まる前に教室にたどり着くことができた。

「皆さん、こんにちはー」

 シャルロッテさんが明るく可愛らしい声をあげてドアを開けて教室へと入っていく。

「——こんにちは」

 続くリズさんは一礼をしてから教室へ入る。

「おー! 来た来た」

「シャルちー、リズっち、おいすー!」

「シャルちゃん、おかえり〜」

 僕がこっそりと開いたドアから中を伺うと、皆が二人の周りに集まってきていた。

「ねぇねぇ、昨日大変だったんでしょ?」

「やっぱりリズさんがシャルちゃんを助けたってことでいいんだよね!?」

「きゃー!」

「お姫様だっこしちゃったの!?」

「あたし、今見たーい!」

「私も、わたしもー!」

 クラスからは賑やかな声が巻き起こる。

「あー、畜生、あの輪の中に入れるんだったら死んでもいい」

「学級長ー、何とかなんねー?」

「すまん、あの女子力の前では無力だ」

「くっそー。大豪寺よぉ、お前でっかくなって何とかしてくれよ」

「お前だってシャルロッテちゃん派だろぉ?」

「うううっせーぞお前ら! ほほほっとけ!」

「おい大豪寺!? お前もシャルロッテちゃん派なのかな! いいよ、分かったよ。俺ももうシャルロッテちゃん派になるよ!」

 男子も女子も大盛り上がりだ。その隙をつくように僕は隠れるようにそそっと教室に入り自分の席に座る。

「おっす、萌。昨日は血染めの体操着で今日は着物かぁ。明日は坊さんか?」

 志水君に見つかっちゃった。

 ——うぅぅ、そんなことないよう。

「なっはっは。神主の衣装なら家の貸せるぞ。それとも萌なら巫女のが似合うか?」

 ——もぉ〜、変なこと言うの止めてよぉ〜。

 志水君以外の人に見つからないように、自分の席で小さく縮こまる。

 昨日に引き続き今日もリズさんに謝らないと。後、シャルロッテさんと青江さんにも。うぅ〜でもどう言えば……。

「ねねねね、シャルちゃんさー、青江さんから聞いたんだけど、昨日大変だったんでしょ? 何があったの?」

「……ん……」

「あー、アタシもそれ聞きたーい」

「私も私も」

「あのあの、それがですね。スッゴイことがあったんですよ〜!」

 おぉー、と言う歓声が聞こえてくる。

 シャルロッテさんてもう皆の中心になってるなぁ。

 外見も声もすっごい可愛いってのは異性の僕からしてもそうだけど、同性の女子達にもそう映るみたい。

 何時もニコニコしててすっごく楽しそうだし、暇さえあれば女子達に話しかけてお喋りしてる。もうクラスの女子の皆とはお友達になっちゃったみたい。男子に話しかけようとしたら女子達に引っ張られるとこは何度も見た。

 良いとこのお嬢さんなのに鼻に付くところが全くない。リズさんと比べると日本語の発音がちょっと片言だけど、そこがたまらん——ってシャルロッテさん派の男子の皆が熱く語ってたりする。

 何時の間に派閥なんてできたんだろう?

「あのあの、昨日の夜、私がシズちゃん家にお邪魔した時にですね、突然、ばぁーってなってがしゃがしゃ〜んってなったと思ったらずど〜んってなって。私とシズちゃんが閉じ込められちゃったんです!」

「……うん、凄かった……」

「そしたらですね、そしたらですね! リズさんが私とシズちゃんを助けて下さったんですよー!」

「おぉ〜」

「キャー!」

 周りの女子から黄色い大歓声が沸く。

「リズさん、あたしも抱いてー!」

「リズっちさいこー!」

「あ〜、透子ってば勝手にお触りするのは止めようって皆で決めたでしょー!」

 やっぱりどこかおかしい気がする。

「たはー、相変わらず人気者だなぁ、あの二人は。萌よぅ、お前もヴォフルハルトと一緒に夜回りしてたんだろ?」

 ——あ〜、えーっと、それは……あのぅ〜……。

「な〜んかお前ら妙に仲良くなってるしなぁ。萌、どうなんだよ、そっちの方は?」

 志水君が朝会った日鉢さんとどっこいどっこいなニヤニヤ笑いを浮かべながら僕の方にずずいと顔を寄せる。

 ——そんなことないよぅ〜。

「そしたらそしたらですね! すっご〜い大きなヘビさんがシズちゃん家の——あのあの……」

「……蔵……」

「そうですそうです! クラからばぁ〜んって出てきたんです!」

「ほぇー」

「へー」

「蛇って、ヒトガタのこと?」

「青江さんそうなの?」

「……ん、多分……」

「わー、何々、大型のヒトガタってこと?」

「凄いぞ! アタシのリズっち! そんなの相手に戦ってたなんて!」

「透子ってば! だーかーらー! くっつくなって! アンタのじゃなくてアタシ達のでしょ!」

「あたし達のじゃなくてシャルちゃんのでしょ!」

「皆、違う違う! シャルちゃんのリズさんんじゃなくて、リズさんのシャルちゃんだって!」

 遠くから流れてくる会話に思わず、日本語って難しいなぁと思っちゃった。あ、リズさんもそんな顔してる。

「そうなんです、そうなんです! その大っきいヘビさんがぐぁ〜ーて暴れちゃって、それをリズさんが受け止めて下さってですね!」

「おぉー!」

「おー!」

 そんなことがあったんだ。

「そしたらそしたら、リズさんとハジメさんがバシバシ〜ってそのヘビさんをやっつけちゃったんです!」

「おぉー!」

「キャー!」

「リズさん、すごー!」

 ——えええ? 僕もなの?

「うわ、東雲いるし。しかも何故に着物?」

 意識がない間にそんなことしてたんだ、僕……。

「驚いちゃうのはこっからなんです! 何と何と、そしたらハジメさんがですね、すっぽんぽんの裸さんになっちゃったんです!」

「——は?」

「——へ?」

「——え?」

 ——ゔぃ……!?

「……ん……」

 シャルロッテさんの爆弾発言に、教室が一気に静まり返る。

「あのあの! 私、男の人の裸って生まれて初めて見たんですけど——……なんだかすっごいドキドキしちゃいました!」

「——」

「……」

「…………」

「すごかったんですよー! 大っきい大っきい象さんがパオパオ〜って! きゃーきゃー!」

「…………」

「——……」

 ——あ……ぁ……ぅ……。

 凍った、教室の空気が完璧に。

 さっきの沈黙が昇武祭の応援合戦に聞こえるぐらいの、誰も動くことを許されない極寒の空気だ。

 そして悟る。終わった——僕の学園生活とかその他諸々の全てがこの瞬間に。


「授業を始める。級長、号令」

 沢庵先生が扉を開けて声をかけるも、一人微笑んでるシャルロッテさんを除いて僕達は固まったままだ。

「喝ァァァーーーーッ!! 何を惚けておる喝ァァァーーーーーッ!!


 そして、沢庵先生の授業が始まった。

 皆、さっきのシャルロッテさんの発言など何もなかったかのように授業を受けている。

 多分、皆の理解がまだ追いついてないからなんだと思うけど。

 うぅぅ、机から顔を上げるのが辛いよぅ。

「——故に、我らが持つ『恩寵』と言う力は恵みとも呪いとも言えるのである」

 沢庵先生が僕達に講義してくれてるのは『恩寵学概論弐』だ。恩寵に関する知識、雑学を教えてくれる座学だ。実際に恩寵を使う授業は次の四限目だ。

 実は僕、この科目、ついこの前の前期の筆記試験ではクラスで上位十番トップテンに入る出来だったりする。恩寵が何も無いから知識だけはつけなきゃって頑張った。

 でも、うちのクラス、リズさん達が来る前は二十七人しかいなかったから、平均点より上だと大体上位十番トップテンに入っちゃったりするのは内緒だ。

「例えば——そう、ここに『手から火の球を出す』と言う力の持ち主がいるとしよう。手から火から出せばどうなるか? ルツェルブルグゥゥゥーーー!! ゆけーーーーーぃ!!」

「は、は、はい! え〜え〜……。ええと——明るくなる、です!」

「……」

「…………」

 暫しの沈黙があり、

「喝ァァァーーーーーッ!」

「ひゃん!」

 うわぁ、流石は沢庵先生、シャルロッテさんにも容赦ないなぁ。

「西田ァ! ゆけーーーーーーぃ!」

「え、はい。っと、火傷するんじゃないすか?」

「……。然り、である」

「おぉー」

「おぉ〜ー」

 ——おぉー。

 流石は西田君だ。皆からも感嘆の声があがる。

「手から火を出せば火傷しよう。だが、炎を操る恩寵者の多くは火傷などすることはない。何故か?」

 沢庵先生がギョロリと僕達全員を見渡す。うーん、でもこれって、火傷しちゃう人もいるって言ってるんだよね。

「確かなことは分からん。恩寵とは世の理から外れた力、それを理論立てて説明しようとは愚かなことよ。あえて論じるのならば、『手から火の球を出す』恩寵がその主の体の特性を書き換える、と言えるかも知れん」

 沢庵先生が、黒板に板書をしながら話を進める。

「本来ならば、『火を手から出せる身体』が前提としてあり、『火を出そうとする行為と意思』によって、『手から火の球が出る』、そうなるかのう」

 先生がそれぞれを書き、矢印で結ぶ。

「手から火の球が出せるのならば、その者は『火を手から出せる身体』でなければならぬ。火を出せる体質であるならば、『自らの火で火傷をするはずがない』とな。順序があべこべになっとる。結果が先にあり、それに沿うように過程や原因が作られる。恩寵による因果律の逆転現象である」

 先生の授業は続く。

「さて、どうするか? 恩寵を怪異との戦いに用いることのできる持ち主は一割から二割と言われておる。我ら鳥上の者は武に生きる者、文ある武にて戦を治める者である。手から火が出ようと奴らを止める決定打足り得ぬ。どうすべきか?」

 先生が僕達に疑問を投げかけ、考える時間をくれる。

 うーん、自分の恩寵を強くする、かな?

「解の一つは『強化』である。手から出す火が怪異共に通じぬのならば、火の大きさを大きくすれば良い、温度を高め鋼鉄すらも泥のように溶かせば良い」

 先生の板書する音が大きくなる。

「もう一つが『制限』である。己の恩寵に枷を設けることで出力を上げる。例えば——手のひら全体から火を出すよりは指先一本から出す方が、同じ火力ならば指一本からの方が炎はより激しく踊るは道理である」

 あれかな、お風呂のお湯を両手を使って飛ばす時、出口を小さくして手を握る方が勢い良くお湯を飛ばせるっていうのと同じかな?

 先生の声が段々と熱を持ち始める。沢庵先生の授業はただ聞いているだけでも圧倒されちゃうからお腹に強く力を入れなきゃ。

「最後! それは『付加』である。己の恩寵に新しい意味を加えることで力を発展させる。火のではなく、火のの形とする。さすれば遠方より敵を射抜く力となろう。矢のような武器ではなく、動物——例えば、火の燕を創り出すとするか」

 ——あ、そうか。

 日鉢さんの『火蜂』も、『火炎の召喚』に『蜂』の形を『付加』してるのか。射撃する時はそれに加えて『矢』への『制限』もしてるのかな?

「燕であれば速く空を駆ける、標的を自ら狙う特性を火燕に与えることができよう」

 強化、制限、付加かぁ。メモメモ。

「喝ァァァァァァァーーーーー!!」

 ここで突然の喝が入る。

「しかしィ! 強くなるのに近道なぞない! 己の恩寵に制限をかけ、何ぞ付加すれば高みに到れるなど愚の骨頂! 甘い夢を見過ぎであるわ! 喝ァァァァァァーーーー!!」

 教室にあるありとあらゆる物がビリビリと震える。

 何時も思うけど、教卓の真ん前に座ってる学級長、耳大丈夫なのかなぁ?

「強化とはすなわち、己の恩寵を何千回、何万回も鍛え、否! 数を数えるなど阿呆に思えるほど使いこなして初めて成し得るもの! 付加も然りである!」

 ん? 『付加』って三番目に言った奴だよね? 二番目は『制限』のはず。沢庵先生の授業は何時も簡単明快だ。一、二、三の順序が、一、三、二となることは少ない。こんな小さなことにすぐ気付いちゃうぐらい珍しい。

「そうやすやすと己の恩寵に特性を付加できる訳がある喝ァァァァーーーー! 形を与えるなど一年や二年などでできる代物ではない! 形を保てるだけで難事! 道具や動物の形を与え動かすなど、修行である! 修行である!! 修行であるわぁぁぁぁぁぁーーーー!!」

 沢庵先生は授業に熱が入ると日本語が少しおかしくなっちゃったりする。

 学級長の机に唾とか沢山飛んでないかなぁ?

「『制限』とて然りである! 手のひら全体から火を出すのと指先一本から出すのとでは勝手が異なるは道理! 道理の外が恩寵の力としても、流した汗と耐えた苦痛の総量こそが己が強者になる唯一にして最短の道と知れ! 喝ァァァァーーーーッ!」

 わわわ、今日の先生は何時になく熱が入ってるぞ。僕も負けてられない!

「……。ふむ——。己が恩寵とどう付き合うのか、これが我らに課せられた使命とも言えよう。生まれ持った恩寵を否定して生きるのか、受け入れるのか、それを成長させ己が人生の糧とするのか——。可能性は宇宙の如く広がっておる。決めるのはお主ら自身よ」

 先生が不敵に笑う。

「一昔前はの、戦闘用の力を持ちし者は前線で怪異と戦う兵士になるしかなかったものよ。その力をどう発展させれば怪異と戦えるのか、それを考える者共がいての、本人の意思など御構いなしに戦い必要な修練を積ませ前線に送られたものよ。奴らとの戦いが激化し、を保つためには仕方なかったとは言え、あのような血臭漂う時代には戻るべきではない。——ぬ、いかぬな、今のはただの老官の愚痴じゃ、聞き流せィ」

 先生が自分自身に小さく喝を入れる。

「一つ、忘れておったわ。この『制限』であるが、亜流の考えとして『拡大』がある。先の例ならば、火を出すのが手ではなく腕全体、否、全身へと力の及ぼす範囲を広げるのよ。が、範囲を広げる分、力は弱まってしまうがの。であるが——、」

 ——は、はい!?

 沢庵先生が言葉を切って溜めを作り、ギョロリと僕を睨んだ。


「着ている服を燃やし、裸になるには十分じゃろう。のぅ——東雲萌よ?」


 教室の皆が一斉に僕のことをガバッと振り返る。

 ——あ……あぅ……。

 皆の白い視線を浴びながら、もっと真っ白になっていく僕の頭の内で国司さんのある言葉がこだまする。


『お前さんの学校には逮捕のことは伝えてあるから安心しろ』


 く、国司さん……つまり昨晩のこと、全部話しちゃってるってことなんですか……?

 今の沢庵先生の目を見れば答えは瞭然だ。

 み、皆の視線も痛い。リズさんの視線はもっと痛い。でも一人シャルロッテさんだけは僕に何かを期待するかのようにワクワクした目だ。

「何ぞ申し開きはあるか?」

 僕は思わず両手を挙げ、降参のポーズをとる。

 ——あ……ありません……。


「喝ァァァァーーーーーーーー!」


 先生の特大の喝に圧倒され、僕は机にばたりと倒れ込んだ。


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