第4話 険道4


ベッドの上に広げて置いた脱ぎっぱなしな喪服を目の前に、しずかにお茶を飲む。


喪服を鑑賞物にしてお茶を飲む人間は、世界のどこを探しても、現時点では自分だけのように思えて笑えた。


マスターには、その一般の人には到底ないような特殊なフェチを持ち合わせているのが佐倉ちゃんらしいねと言われそうだ。


帰ってきて、服を早々に脱いで、寝間着に着替え、ベッドに喪服を置き、自分はベッドのマッドレスを枕に、その場で何時間か眠ってしまっていた。



そしてその浅い眠りが覚めて、いまはこの状態である。



他人様の葬儀という、普段にない雰囲気に疲れてしまっていたようだ。


入院患者を見舞うのとは、またどこか異なった雰囲気だった。


『死』が間近にあるのを実感しているようなしていないような、この弔う行為にいったい、なんの意味があるというのかという自問をくり返すくらいに暇だった。


『死』を受け入れることは、容易なのだろうか。


どんなプロセスを踏めば、受け入れられるようになるというのか。


喪服を着た女性は、他人の目にはきれいに見え、かつ魅力的に映ると聞いたが、葬式場でそういうふうに人間を見ている余裕があるのは、ある意味羨ましい。


なんだかこころのすべてがからっぽになってしまっているような気がした。


注いでも注いでも、満ちることのない欠陥のある、どこかに穴のある器のような気分だ。


いま現在も黒尽くめの格好をした集団が網膜に焼き付いているが、わたしの目には黒ばかりが目に入って、顔のない人間の集団にしか映らなかった。


むかし美術館で見た、とある画家の、親しい人間を亡くしたときに描いた絵画のことを思い出した。


彼らは、彼らのその出来事を、彼らの仕事である絵に書き起こしたが、描ききることはできなかった。


親しい人間の死に顔を、如実に描ききることはできなかった。


わたしは、彼女の死に顔を鮮明に思い出すことは出来ない。


これは一種の逃避である。思い起こすと苦しいのだろうか。


死に顔なんていうのは、現代においては実にきれいなものであったにも関わらず、わたしは直視することを避けていた。


彼女の死を冷静に受け止めているようで、本当は少しも受け入れられていないのではないかと、自分でも気付きはじめた。


彼女のいない日常がわたしの日常になる、そんな日が来るとは思っていなかった。


友だちの少ないわたしにとって、彼女はわたしの唯一の拠り所でもあったのだ。


だが死んでしまったものは、しょうがない。


もう明日から、動く彼女に出会うことは永遠にない。


その現実だけが、重く暗く、わたしに伸し掛かって来ていた。


目の前に広がる、きれいなラインを描く喪服の黒を眺める。


喪服の黒はちょっとばかし、色が違う。


喪服の黒は、ちょっとばかし高価だ。


葬儀に参加する服装は、スーツでも良いかと思っていたが、なんだかんだで数ある服のなかから結局、喪服を選んで着た。


わたしは、正装を選んだ。


いまその喪服をクリーニングに出そうか現実的な問題として悩んでいる。


本来ならばハンガーにすぐ掛けなきゃいけないなと頭で思いながらも、ぼんやりと茶を啜っている自分に自嘲の笑みが洩れる。



まだ、ほんの少しだけ、こうしていたい。




携帯電話には、実家から連絡が入っていた。


おそらく、友人を亡くしたわたしを心配しての電話だったのだろう。


それに気付くのはもうすこし時間が経ってからだった。



ネットを検索していれば、浅沼くんが歌詞のない音源を発表していた。


短い紹介文に眼を通せば、心理学でいうバーナム効果に陥るような文面であった。


『あ、これはきっとわたしのことを言っているんだ』、そう思い込む浅沼くんのファンが、この世にどれくらいいるのだろう。


思い違いから発展するのが、『恋』だそうだ。


騙されん、騙されんぞ浅沼くん。


そんなふうに思いつつも、まるで自分のためにあつらえられたような音楽に高揚してゆく気持ちは抑えられない。


浅沼くんはこれだからモテるんだろうな、と思いながら、マウスのカーソルを動かし、リンクをクリックして音量を上げ、部屋中に音を広げる。


その音を聴いているうちに、わたしは自然と膝を抱える格好をとり、頭を膝に乗せ、俯いてしずかに涙をこぼしていた。


浅沼くんのやさしさ。


ほんとうのやさしさというのは、じわじわと時間をかけてあたたかみが感じられる。


ふかく、ふかく深みに落ちていく気がした。


音が寄り添っているような、そんな感覚。



人には、あらゆる種類の感情がある。


感情のメカニズムは底知れないけれど、挙げられるかぎりを列挙しよう。


「安心」、「不安」、「感謝」、「驚愕」、「興奮」、「好奇心」、「性的好奇心」、「冷静」、「焦燥 (焦り)」、「不思議 (困惑)」、「幸福、幸運」

「リラックス」、「緊張」、「名誉」、「責任」、「尊敬」、「親近感 (親しみ)」、「憧憬 (憧れ)」、「欲望 (意欲)」、「恐怖」、「勇気」

「快、快感 (善行・徳に関して)」

「後悔」、「満足」、「不満」、「無念」、「嫌悪」、「恥」、「軽蔑」、「嫉妬」、「罪悪感」、「殺意」、「シャーデンフロイデ」「サウダージ」「期待」「優越感」、「劣等感」、「怨み」、「苦しみ」、「悲しみ」、「せつなさ」、「感動」「怒り」、「諦念 (諦め)」「絶望」、「憎悪(愛憎)」、「愛しさ」


そんななかでも一番好きな感情は「せつない」である。


たとえば、「本当は自分は彼女のことを愛しているのだけど、彼女は別の彼のことが好きなので、彼女の幸せを思って、彼女と彼が結ばれるようになにかと努力する」という古典的な「せつない構図」というのがある。


映画の『カサブランカ』の構図として有名だが、なんにでもよく使われてまして、大体どういう風に使っても、この構図は「せつない」と感じることになっている。


でも、そこに「男性の真摯しんしな誠実さ」や「女性が気持ちを気づいてくれていて、ときどき、振り返ってくれる瞬間」なんかを挟むと、どんどん「せつなさ」が増してくる。


わたしはそんな風に「なるほど。こういう設定にすると、ますますせつなさが増幅されるんだ」と考えるのが好きだった。


ほかには忠犬ハチ公などがそうで、あれは「犬が待っている」だけでも十分せつないのに、「ご主人がもう死んでいて、それを知らずに待っている」から、なおさら切ない。


そういう「すれ違い度」が深まると、どんどんせつなさは増してゆく。


「タッチ」や「みゆき」のあだち充がよく「すれ違いのせつなさ」の手法を使っていた。


本当はお互い好きなのに「すれ違って、うまく伝えられない」という恋愛状態っは、せつない。


そして、それが「すれ違ったまま」で、「ずっと二人の気持ちが伝わらなくて離ればなれになる」と、さらに「せつなさ」は増す。


「引き裂かれた運命のせつなさ」というものだろう。


あと、「二人に残された時間はもうこれだけ」とか「こんなに近くまで来ていたのに会えない二人」とか「(違う時空にいるとか、ロミオとジュリエット関係とかの理由で)会って話すことは出来なくて、でもなんとか気持ちは伝えられる」といった「限定的な関係」というのも、すごくせつない。


そして、「子供とか小さい動物とかそういう無垢で保護したい存在が一生懸命になっている」というのも切ない。


失敗しても、めげずにもう一度トライしたり、勘違いして変なところでがんばったりしている状況も、せつなくなります。


あとは、「いま、考えてみると、あのときにいろんなことがはじまってたんだ」とか、「いまになって思うと、わたし、一生懸命でなんだかあのころはがんばっていたなあ」とか、「いまのこの瞬間、何年か経つとたぶん思い出すと思う」という「時間の経過のせつなさ」。


そういう切ない感情を見つめて、「あ、なるほど。こういう風な状況を加えるとさらに切なくなってくるんだ」と、いろいろ試行錯誤している。



たぶん「どうやったらさらに恐怖を感じるのか」とか「どうやったらもっと泣けるのか」とか「どうやったらもっと性的興奮を感じるのか」とか「どうやったらもっと笑えるのか」といったものは、人によってさまざまな「考えるポイント」となり、異なるのだろう。


ただ、わたしの場合は「うわ、これはせつない。せつなすぎるだろ」っていうのを考える時間がとても居心地がいい。


ほら、たとえばこれらは全部フィクションで、サウダージ。


シャーデンフロイデな人々の餌食なのだろう。


すべてをひっくるめたこれらは、『せつないものがたり』となるわけである。

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