グレートヒェンは救われない

 第七世界「ワルプルギスの夜」。この世界から焦点街に現れた女達を呼び表すのなら、やはり、魔女であろう。

 彼女らは悪魔を信奉しその身を捧げる。神と敵対する悪魔こそが救い主であり、神を憎悪し悪魔を愛する。

「くっだらねえ」

 マルガレーテ・バイロンは頭に浮き上がってきた、自分と同じ世界の者達の考えを思わず言葉に出して唾棄した。

 朝日が昇ろうかと空が白み出した、焦点街の一角である。

 マルガレーテは第七世界で、魔女の子として生まれた。生まれる前より悪魔の供物となることが決まっており、生を受けるとすぐさま殺されるはずだった。それがどういう訳か母親の魔女――マルガレーテは名前すら知らない――が情に絆され、マルガレーテを庇った。

 しかしこの母親、やはり魔女らしく頭が腐っていたらしい。マルガレーテを助けるため、同時期に生まれた赤子を親から攫い、それをマルガレーテとして差し出したのだ。

 マルガレーテは死んだことになっているのでそれからずっと家の中だけで育ってきた。母親は自分がお前を救ったのだと自慢げに我が子に語り、それを根拠に自らの言葉は絶対だとマルガレーテに教え込んだ。

 そんな生活が五年程続いた頃、マルガレーテの住む村を魔女狩りが襲った。

 魔女狩りは武装した聖職者達で、魔女達を容赦なく殺し回った。彼女達の信奉する悪魔は、何の加護ももたらさなかった。当然魔女達は魔術を用いて激しく反撃したが、魔女達の魔術というものは儀式、製薬が主である。まさか乱闘の間に儀式を行うなどということは出来ない。攻撃するといっても劇薬を放り投げる程度のことである。

 それによりマルガレーテの母親は呆気なく死に、村にいた魔女達も鏖殺された。

 死体が火に燃やされている香りを嗅ぎながら、マルガレーテは家の奥で固まっていた。

 家の戸が開き、誰かが入ってきてもマルガレーテは動かなかったし声も出さなかった。ただ無表情で焦げ臭い香りに包まれていた。

「誰かいるな。小さい――子供か?」

 魔女狩りの一人が入ってきたらしかった。マルガレーテは何の反応も示さずにいると、目の前に若い男が現れた。

「魔女の子か……?」

「違う」

 マルガレーテの口から、自分でも驚く程に淀みなく言葉が出てくる。

「あたしはこの家の魔女に嬰児の頃に拐された。調べればわかるはず」

 男は自分では判断しきれないと諦め、マルガレーテを外に連れ出し本隊に意見を聞いた。結局その場はマルガレーテを保護することに決まり、マルガレーテは魔女狩りの本隊と本部に向かった。

 その後、嬰児を奪われ一家が皆殺しにされたという事例が見つかり、時期も一致するということでマルガレーテは普通の人間の子供――それも哀れな孤児として扱われることになった。

 マルガレーテは母親が大嫌いだった。外に出すこともなく家の中で娘を飼い殺す。これならば嬰児の時に殺されていた方がましだ。そんな憎い母親が死に、マルガレーテは外に出て生きていく方法を見つけ、行動に移した。まるで悪魔が憑いたかの如く、マルガレーテの知恵はよく回った。

 魔女狩りの本部には、膨大な量の魔術書が収められていた。魔女を相手にするならば相手を知れ。マルガレーテは本部に預けられたまま自由に歩き回ることが出来たので、その魔術書を閲覧することが出来た。

 年月が経ち、いつの間にやらマルガレーテは知識だけは立派な魔女。

 そして気付いた時には、魔女狩り本部は壊滅していた。

 最初はただ、試してみたかっただけ。己の魔術――力を。

 マルガレーテはもはや魔術の深淵にまで到達していた。彼女には複雑に暗号化された文章も、見落としてしまいそうな暗喩も、全て迷うことなく真の意味を見いだすことが出来た。

 その力を気の向くままに振るったら、一つの組織に所属する全ての人間が死に絶えてしまった。ただ、それだけの話。

 そして――気付くとマルガレーテは焦点街にいた。その時既に焦点街は現在と同じように整備されており、マルガレーテはわずか十二歳。

 もう、自分の力はよくわかった。充分すぎる程わかった。マルガレーテは醒めた女だった。この力で人を殺したところでどうにもならない。自らの力に酔うこともない。ならばただ、この焦点街で流れに身を任せて生きていくだけだ。

 焦点街には同じ第七世界の人間、魔女達も暮らしている。マルガレーテはそのどちらにも加わろうとは思わない。普通の人間から見ればマルガレーテはれっきとした魔女。だがマルガレーテは魔女達のように悪魔を信奉しようとは思わない。悪魔の加護がなくとも、マルガレーテは悪魔の如き所業をやってみせた。彼女にしてみれば、そんなものを信じるのは馬鹿の極みである。

 十五歳になったマルガレーテは野良犬のように焦点街で生きている。美しい顔は埃で汚れ、黒髪は乱雑に伸びて艶を失っている。だが、その琥珀色の瞳だけは依然強い光を発している。

「問おうか、問おうか、答えよか、答えよか」

 後ろからそう声がし、マルガレーテは振り向いた。

 ――何もいない。

 ただ雑多な建物が並ぶ、焦点街の道が延びるだけである。

「怪忌か?」

 マルガレーテは周囲に神経を張り巡らす。

 突如、マルガレーテは両足を引っ張られて地面に倒れた。足元を見ると地面から二本の手が生え、マルガレーテの足を掴んでいる。

 そこからさらに巨大な頭が迫り出し、マルガレーテの顔と額を突き合わせる。

「問おうか、問おうか、答えよか、答えよか」

「黙れ」

 その場違いに落ち着いた声と共に、顔の真ん中を美しい刀が貫いた。

神生刀しんせいとう伊弉諾いざなぎ。怪忌は所詮怪異の殻を被っただけの化け物。この刀の前には無力だ」

 刀が引き抜かれ、顔は断末魔の声を上げながら崩れて消える。

 無言で刀を鞘に納める男。黒髪に黒い瞳。倦み疲れたような表情を浮かべ、マルガレーテを見下ろしている。

「立てるか?」

 手を差し伸べられ、マルガレーテはその手を取って助け起こされた。

「別に、あんなものあたし一人でもぶっ潰せた」

「怪忌を消すのは俺に差し出された命だ。見つけたからには必ず消す」

 男はそう言うと背を向け、静かに歩き出した。

「あんた……天賀茂家?」

「俺は天賀茂家に仕える者」

 それ以上男は言葉を発することはなく、暁の焦点街に消えていった。

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