07:生産者と加工者 - 2
翌日。学校が五限で終わる金曜日である。いつものようにミカルと帰宅する途中、彼女はウチに来ないかと誘いをかけてきた。
僕は、やっぱり断る理由もないので誘いを受け、ひとまずユウリに連絡する。
『あ、ママ? ちょっとミカルちゃん
『いいわよ。あまり遅くならないようにね』
『はーい』
基本的に、こういうことには寛大なのが母ユウリである。家によってはわざわざ一旦帰って着替えろ、とか、荷物を置いていけ、とか言うのだが、荷物なんてインベントリがあるし、着替えも必要がない。標準で肉体にGPSも備わっているのだから、手放しでもそれなりに安心出来るのだ。
「おじゃましまーす」
ミカルの家に上がり込むと、まだ若い(失礼)ミカルの母親が快く迎えてくれた。帰りがけにミカルも連絡を取っておいたらしく、ヒマリという人間が来ることは承知の上だった。
「ヒマリちゃん。いつもミカルと仲良くしてくれてありがとね」
「いえ、こちらこそ、ミカルちゃんにはいつもお世話になっています」
そう言って深々と頭を下げる。
「あらまぁ、礼儀正しい子ねー」
と感心するや、途端に我が子を鬼の形相で睨み付け、「ウチの子とは大違いね」と、まぁ、どの家庭でも見かけるような無意味な比較をする。
ミカルはそれを軽く聞き流し、僕を二階へと誘った。心なしか階段を踏む音に力が入っているように聞こえる。
「んもー、お母さんってば、いつも誰かと比べたがるんだから」
部屋に入るなり、ミカルちゃんはぷくーと頬を膨らませた。
「くくっ……」
「もぉー、笑わないでよぉ……」
ミカルには嫌味に見えただろうか。授業の結果といい、あまりにもヒマリの「質」が良すぎるのは実感している。もう少しやんちゃな方が子供らしいと言えばらしいが、今からそんなことをしたら、ヒマリは不良になってしまったと、逆に心配されるだろう。
「でさー、何して遊ぶ?」
床にぺたんこと座り込んだミカルは、リズミカルに身体を揺らしてわくわくとした感情を示した。
「何って……」
僕も同じように正座をしてから、ぐるっと彼女の部屋を見回す。
自分のところも大して変わりはないが、女の子の部屋にしては殺風景だ。とりあえずの勉強机に椅子、ベッド。質素なラグ、壁にかけてある鞄――置いてあるのはそのくらいで。
「あー……っははは……なーんにもなかった」
カリカリと頭の後ろを掻いて笑い飛ばすミカルに、僕は呆れて肩の力を落とした。
「……まー、ミカルちゃんらしいっていうか……」
はー、と深い溜め息が漏れる。
仕方ないなぁと自分のインベントリを漁ると、ふとあるものに目が止まった。
と、そこへミカルの母がジュースを持ってきた。
「暑かったでしょう? 冷たいジュースをどうぞ」
「あ、ありがとうございます。頂きます」
オレンジジュース。一口飲んだだけで果汁の濃厚な味がぱあっと広がり、口の中を存分に潤した。
そこで、アレ? と不思議に思う。ジュースを売っている店なんてまだないはずなのだ。
「これ、手作りなんですか?」
見抜いたことが相当に嬉しいのか、ミカル母はニコリと満面の笑みを浮かべた。
「ええ。自家製なの。ご近所の方がオレンジを栽培しててね。ジューサーで絞ったのよ」
「へぇー」
恐らく入居時から既に実が成るよう設定されていたのだろう。でなければこんなに早く実を結ぶことはない。
庭に寄越す庭具の設定は家によって異なる。花壇を植えたいという人もいれば、畑を耕したいという人、ブランコのような遊具を置きたいという人もいるようだ。
「じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
パタン、とドアが閉まる。二人だけの空間が戻った。
僕はさりげなくこのオレンジジュースのプロパティを調べた。クリエイターに「カスガイ コトネ」とある。紛れもなくミカルの母の名前だ。
だが、オレンジを貰った人の名前はそこにない。素材と見なされていたからだろう。
「ところで、ヒマリちゃん、さっき何を出そうとしてたの?」
「あ、そうだった」
ミカルに促されて思い出し、飲みかけのジュースを床に置いた。
次いで指を動かしてインベントリをポップアップさせ、メモツールを手元にドロップし、オブジェクト化させる。
「メモ帳? お絵描きでもするの?」
「それでもいいけど、見てて」
メモ帳を開き、ページの大きさの設定を縦横同じに揃えてから、その白紙の一ページをびりびりと破く。
ご丁寧にもデジタルメモなのに破く機能まであるのだ。
プロパティで確認すると、「メモ用紙」とある。クリエイターは空欄で、カスタマイザーにヒマリの名が載っていた。
「おもしろーい! 紙になっちゃうんだ!」
まるで手品でも見るかのように、ミカルは嬉しそうに手を叩いて喜んだ。
「えっと……じゃあ、これ、ミカルちゃんの分。もう一枚はわたしの分ね」
「何するの?」
「折り紙。……やったことある?」
ミカルちゃんはふるふると首を振った。まぁ、無理もないか。
ごく最近のことだ、幼稚園や小学校では折り紙をしなくなったと聞く。理由は「紙という資源がもったいない」だとか「そんな時間を勉強に費やした方が効率がいい」だとか、諸説あって解らないのだが、ミシン同様に時代の流れというのが正しいのだろう。
少なくとも、僕が小学生だった頃はまだ教わる機会があった。僅か数年だというのに、まるで違う時代に置き去りにされたかのような感覚を覚える。
小学生の頃ってどうだったかな、と思い出そうとしたが、もはや忘れてしまった。いや、忘れて良かったのだ。ここはもう現世じゃないんだから。
こほん、と小さく咳をして、早速床の上に紙を広げる。ここがフローリングで良かった。
「いーい? わたしがやるのを真似してね」
ミカルは「はーい」と元気よく手を挙げた。
一つ一つ、丁寧に折り方を伝授する。
半分に折って、更に半分に折って、袋状にして押しつぶして――そうしていく動作一つ一つが珍しいのだろう、ミカルは目を輝かせ、いつもよりもずっと真剣な目つきで折り紙に熱中している。
「はい、完成」
最後に尖った端の片方を折り曲げ、閉じた羽を広げる――「折り紙|(おりはづる)」という名称でそいつは完成した。
クリエイター欄には各々の制作者の名前。こんな紙切れの塊でも「作品」として認められた瞬間である。
「すっごーい! これが『作る』ってことなんだね」
たかが折り紙ではあるが、ミカルは感動したようだ。プルステラに来て初めての制作である家庭科のエプロンですらまだ出来上がっていないのだから、当然だろう。
それからどういうわけか二人で千羽鶴を作ろうということになって、何度も鶴ばかり作っていると――。
「あれっ!?」
突然ミカルが驚いた声を上げた。その手にあったはずの折り紙が消えてしまっている。
「えっ!? 何で? 何したの?」
「わ、わかんない。ちょっと尻尾を曲げた方が可愛いかなーって思ってやってみたら……消えちゃったの」
僕は、自分が折ったばかりの鶴をミカルに渡した。
「これでもう一回やってみて」
「う、うん」
ところが――。
「あ――」
それで偶然にも気付いてしまったのだ。
この何気ない一手が、集落で抱えている問題を解決するきっかけになるということに。
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