第38話 詐術師の物種


 市立図書館の人気のない地域史コーナーに、その男はいた。

 九鬼瑞葉は式を展開させながら男の隣に立ち、静かに声をかける。

「あなたは何者です」

「図書館では私語は厳禁ですよ」

 茶色のニット帽を目深に被った男――瑞葉の得た情報による名前は、保科七重。

「ご安心を。人払いの式を打ちました。我々の会話は誰の耳にも届きません」

「式、というと、きちんとした方なのかな。よくないですね。きちんとした方が会うような人間じゃないですよ僕は」

「宮内庁の九鬼です。こう言えばおわかりですか」

「宮内庁? 冗談なのか真面目なのか――僕は真っ当な道を歩いていませんから、宮内庁のご厄介になることもなかったのでね」

「陰陽寮です」

 いい加減に焦れてきた瑞葉は、自身の身分を簡単に明かす。

「陰陽寮。はあ、知りませんでした。そんな組織が今もあるんですか。僕も時と場合によっては陰陽師を自称することもありますが、これからは気をつけないとなあ」

「お話を伺ってもよろしいですね」

「そうですねえ。僕が何者かと聞かれて、正直に答えるとすれば」

 保科はにやりと笑った。

「詐術師――ですかね」

 保科七重という男を調べてほしいという依頼は三条からのメールで受けた。

 瑞葉が青川市に飛ばされて半年。予定ではあと半年で、瑞葉は中央へと戻ることになる。

 陰陽寮。見鬼、術師、呪詛師、予言者、星読み――それらがまとめて陰陽師とラベリングされている魔境。瑞葉はその中でも危険分子として取り扱われている。

 力所以ではない。思想のみによって、瑞葉はこんな僻地に飛ばされた。

 瑞葉は自分の信条を曲げるつもりはない。

 見鬼とは人間の上位存在である。ゆえに自分らは人間などではない。

 幼稚――と言われ続けてきた。それゆえに危険思想たり得る。

 こちらに来てからも瑞葉は見鬼や術者と接触を持ってきた。見鬼に会えば自分の思想に同調するようにしかける。だが瑞葉の思想に興味を持つ者はひとりもいなかった。

 漫然と時を過ごす中でも、瑞葉には体面上の仕事が与えられている。

 火清会という新宗教についての調査。

 加えて、三年前に起こった青川南高校での事件――青川三十八人殺しないし三十九人殺しについての情報の秘匿化。

 こちらに関しては早々に地元警察から資料を押収し、陰陽寮へと持ち帰らせることに成功した。ただその過程で、面倒なフリーライターを名乗る男に嗅ぎつけられることとなった。

 それはまあ、いい。所詮は地盤も持たない木っ端屑である。いい――と自分に言い聞かせる。

 問題は、瑞葉に与えられた任務。火清会会長高山孝明の仕分けである。

 第四種以上の接近遭遇者であった場合、瑞葉は高山との対決を余儀なくされるだろう。そうなった場合、瑞葉は陰陽寮に戻ることは適わなくなる。

 もともと、上はそれを見越して瑞葉をこの土地に左遷した。瑞葉はもはや陰陽寮に居場所はない。最重要機密である「輪廻の狼」の情報を渡された時点で、結末は最初から決まっていたに違いない。

「輪廻の狼」――曰く、この世と違う世界を繰り返し輪廻する魂。過去数度あった陰陽寮との接触、そのすべてが最重要機密として保持されている。すなわち、この世とは異なる世界――異世界の存在を証明する機密。

 火清会はこの異世界に接触している可能性がある。

 理由は明確。青川三十云人殺しに対する報道への圧力である。

 瑞葉は青川市に赴任してすぐ、事件のあった青川南高校へと向かった。すでに事件の影も消えていた二年三組の教室で、瑞葉は確かに残された穢れを採集した。

 機密を伝えられた際に瑞葉へとインストールされた「輪廻の狼」への感覚器官は目聡く反応を見せた。青川三十云人殺しには「輪廻の狼」の存立する異世界の存在が関与している。

 この事件にわざわざ報道規制をかけたということは、火清会の側もまた異世界存在についてなんらかの情報を得ている可能性が高い。

 報告を上げてすぐ、瑞葉に特命が下された。

 火清会の「仕分け」。正直気は乗らない。だから半年間ほとんど何も手をつけずに過ごしてきた。

 そこにきて、三条からのメール。

 火清会に協力する郷土史家――保科七重の調査。

 やはり気は乗らない。だがこれが言外に陰陽寮からの催促も兼ねていると気づかぬ瑞葉ではなかった。三条は思った以上に瑞葉について陰陽寮から伝えられている。ならば彼を使って瑞葉をせっついてくることも当然考えられた。

 三条からの情報によれば――。

 保科七重――おそらくは偽名――は三条と同じ土地の民間呪術師、太夫の技能を有している。だが三条は彼の顔にまったく見覚えがないという。三条の修行時代にはすでに絶滅寸前だった太夫の術を用いているのなら、三条が顔を知らないはずはない。実際現在の三条は大太良市を中心とした広範の取りまとめ役であり、彼の顔を知らない見鬼や術者は少ない。

 その中に突如現れた得体の知れない「使う者」。三条はずっと保科のことが気がかりだったらしい。しかも火清会という地域権力にすり寄っているとあれば、太夫の矜持をいただく三条が看過できないのも当然であろう。

 瑞葉は仕方なく、保科についての調査を独自に始めた。

 予想通り、情報はまるで出てこない。ただこれは陰陽寮に登録された見鬼や術者でも同じことではある。彼らはみな自身の力が表沙汰になることを恐れる。大きく喧伝している輩は、それだけで信頼に値しないというのが瑞葉たちにとっての常識であった。

 瑞葉は自らの式神を使って、青川市内を常時監視下に置いた。とはいえそれほどの処理能力を働かせば瑞葉は即座に昏倒する。瑞葉が用いたのは自然物と似た姿をした式神であり、その存在を察知された瞬間にのみ式神の監視網と瑞葉の感覚がリンクするように式を組んだ。普段は町の中に溶け込ませたままにしてある式神が「視られた」時に、瑞葉へと情報がもたらされる。見鬼、あるいは式の扱いを心得た術者を広範囲からあぶり出すにはこれが一番手っ取り早い。

 だが瑞葉の打った式神から情報が入ってくることは長い間なかった。青川市に式を打ってから数週間経ってようやく、瑞葉は式神で構築したネットワークが崩壊していることに気づく。

 瑞葉の打った数多の式の半数以上が、いつの間にか潰されていた。それも術者である瑞葉に気取られることなく。結果として相互に補完し合うように組まれていた監視網は完全に崩れ去っていた。

 瑞葉は残った式を回収し、それらとネットワークでつながっていた潰された式の解析に時間を費やした。部分的に修復できた式から情報を引っ張り出すと、そこにはなんらかの術者の痕跡が残っていた。

 この痕跡をもとにさらに解析を進め、瑞葉は自分の式を潰して回った人物を突き止めるに至った。

 そして今、その人物が現れると予測された市立図書館に瑞葉は来ている。

「私の式を潰しましたね。これがどういった意味合いで受け取られるのか、理解の上ですか」

 術者にとって己の式を不当に傷つけられることは相手からの敵意と断定し、即座に式を打つこともあり得る。ただ、この短い間の会話で、この男がそうした常識を持ち合わせない、イレギュラーな存在だとは察しがついていた。

「はて申し訳ない。僕はそういった事情には疎くてですね……ただ、この街にノイズが多いと、先生が少しですね」

「先生とは」

「はは。ここで口に出していい人ではないですよ。今の僕の雇い主、と考えていただければ」

 間違いない。高山孝明。火清会会長は、なんらかの霊的感覚を有している。式の存在をノイズとして受け取れるだけの感覚。それは時として霊感や、カリスマ性として発揮される、新宗教のトップが持つには過ぎたおもちゃとなる。

「詳しくお話を伺いたいのですが」

「残念ですが、話せることは特にないですね。僕はただの郷土史家ですよ。この町の歴史に関してなら、少しはお話できますが」

「では、火清会について」

 保科はくつくつと笑った。

「面白い人だ。あなたが調べた以上の情報はありません。それとも、野次馬の話をご所望ですか?」

 頷く。どうせこの男は瑞葉の張った結界からは逃げられない。話さなければ解放されないことくらいはすでに理解しているはずだ。

「火清会会長の高山孝明先生は」

 保科の輪郭がわずかに歪む。

「人間をやめることを目指しておられるそうですよ」

 ぐらりと、瑞葉の視界が揺れる。意識が揺らいだのかと思ったが、すぐに結界が破られていることに気づく。

 保科の姿はすでにない。

 すぐに式を打ってあとを追わせるが、数分で瑞葉の内臓に重い衝撃が加わる。

 式を打ち返された――応報として、瑞葉の身体がダメージを受けたのだ。術者としては少なくとも瑞葉より上手らしい。

 口から血が垂れ落ちる。式を打つのはいつでも命がけである。こうして打ち返された時に受ける代償としては、これでも少ないほう。

 瑞葉はハンカチで血を拭い取ると、音もなく図書館から姿を消した。





「図書館。図書館ですか」

 川島長七は青川市街地のオフィスビルの一室で、上司であり師匠であり同じ穴の狢である安中栄一郎とふたりで掃除をしていた。

 掃除は大切だ。特にこうした仕事をしている人間の入っているオフィスでは。いつどこかに火の気を忍び込まされているのかわからない都合、こうして掃除を欠かすことはできない。怪しいものを見つけて勝手に廃棄したことは二度や三度ではない。

 無論、仕事らしい仕事が相変わらず入ってこず、暇を持て余しているという理由もあるが。暇つぶしと安全確認が同時に行えるのだから一石二鳥というやつだ。

「それ、本当に九鬼さんでしたか?」

 安中によれば、先日ここから遠くない市立図書館で九鬼瑞葉を見かけたとのことだった。だが安中は九鬼と面識はない。

「君が写真を送ってきたんだから見間違うはずはないよ。あといま言うのもあれだけど他人の写真を軽率に撮るのは感心しない。盗撮だよね、それ」

「いや面と向かってシャッターを切りましたよ。シャッター音を消していたのとカメラを起動していることは言わないでおいただけです」

「うん。盗撮だね」

 小言は無視して、安中が九鬼の顔を知っていることはわかった。

 となれば次は九鬼が市立図書館に出向いた理由だが、師匠はきちんと掴んでいるのだろうか。

「地域について調べるなら、やっぱりその地域の図書館に向かうのが一番ですよね」

「おっ、珍しくまともなことを言う。俺もそう思ったんだけど、その、例の」

「青川三十云人殺し」

「についてはどこも同じなわけだよ。当時の新聞くらいしか、有益な情報はないだろう。それにその宮内庁の官僚さんが火清会を調べているという君の言葉を信用するなら、市立図書館はちょっと分が悪い気がしてね」

 青川市街地に建っている市立図書館にも、当然のように火清会の目は入ってくる。アンチ火清会的主張の載った雑誌を置いただけでちょっとした騒ぎになったこともあると聞く。そこに置かれた資料で火清会を調べることはプロパガンダをそのまま受け取ることになりかねない。

「ちょっと口を出してやろうかと思って、あとをつけた」

「ストーキングですね。師匠せんせいらしい」

「そういう言い方はよくないぞ。それに失敗したんだから、未遂だよ」

「失敗。あのストーキングでは並ぶ者なしと言われた師匠せんせいがですか」

「誰が言ってるんだよそれ。聞いたことないぞ。だがまあ、尾行に関してはずぶの素人ってわけでもない。しかも場所は図書館の中だ。ところが」

「消えましたか」

「そうとしか言いようがないな。完全に見失った。君の言う通り本当に陰陽師かもと思ったよ。奇門遁甲だったか。それにはめられたのかと思った」

「無事に帰ってこられてよかったですね。死門を通ってたらデッドエンドだそうですから。命あっての物種と言いますし、鰯の頭も信心ですからそりゃあ殉教する馬鹿はあとを絶ちませんよ」

「ただ、面白いものを見つけてね」

「面白い」

 安中は自分のスマートフォンを操作し、長七にメールを送る添付されていたのはスマートフォンのカメラで撮ったであろう写真。写っているのは――。

「盗撮ですね。これ」

「そう言うなよ。時と場合だろうこういうものは。川島くん、この男に見覚えは」

「ない」

「か。そりゃそうだろうね。この男は無数に名前を変えながら時々、ふらっと現れるんだよ。きな臭い場所に、ね」

 安中はそこで過去数十年に及ぶ「きな臭い場所」を列挙していった。長七ですら耳にしたことのある事件、事故、疑惑、疑獄――そのすべてに、この男の姿があるという。直接の関与はない。だがなぜか、その場所のスナップショットに、時々この男が写り込む。

「同じ場所に片や宮内庁の官僚。片や謎の胡散臭い男。なにか――あるとは思わないか?」

 長七は迷うことなく電話をかけた。

 通話を終えると、長七は安中に訊ねる。

「保科七重という名前を聞いたことは」

「ない」

「ですか。無数に名前を変えるのならそれは当然。というわけで師匠せんせい、この男について知ってることを全部話してください。そっくりそのまま、九鬼さんにお伝えしますので」

「つまり」

「そのふたり、市立図書館で密会してました。当人から確認取ったので確度はばっちりですよ」

 今の電話相手が九鬼瑞葉だと、横にいた安中ならすぐにわかったはずだ。驚いているのは、長七が軽々しく瑞葉に連絡を取れる手段を持っていること。

 さて。さてさてさて。

 安中から「謎の胡散臭い男」についての講義を受ける中で、長七はにやにやとした笑顔が浮かんで仕方がなかった。

 その男が現れた過去の「きな臭い場所」は、どれも長七の好奇心を逆なでするようなところばかりであったし、なによりその場で起こったカタストロフは笑えてしまえるような死傷者数をたたき出している。

 まあ、死者数なら、青川三十云人殺しも相当なものではある。だからこそ長七は余計ににやつく。

 これから、この青川市で、たくさん人が死ぬかもしれない。

 そう考えるだけで長七の顔は喜悦に歪む。

 自分が最低の人間なのだということくらい自分が一番よく知っている。目の前で助けを求める人がいれば、長七は迷わず助けに向かう。だけどそれとこれとは話が別だ。

 長七が楽しみに待っているのは、人の命がとんでもなく軽く吹っ飛ぶドデカい破滅である。それも起こるならこの街がいい。この街ほど滅びの似合う場所もそうはない。

 この感情は――隠しておいたほうがいいなと長七の摩耗した理性が告げている。

 人間が景気よく死ぬと――嬉しい。

 起こるのなら早いに越したことはない。明日も知れない身の上の長七である。

 青川三十云人殺しは間近で見ることは叶わなかった。だからタブーを踏み越えてでも調べようとしていた。

 だけど――長七は安中からの講義を終えたあとで、顔面に張り付いた笑顔をそのままにしながら少し逡巡する。

 非常に残念なことに、長七は起こるとわかっている悲劇をほったらかしにして楽しむことはできない。どうせならその渦中に飛び込みたい。そして実際に悲劇を目前にした時、長七は必ずそれを止めようとあがくだろう。

 そういうところが駄目なんだよ。人でなしだと自己理解し、無邪気に喜んでいるくせに、肝心なところで踏ん切りがつかない。

 でも大丈夫だ。誰もそんな長七の心中など気にも留めない。頭のおかしな人間として扱われればいい。

 確かなことは。

 漠然とした楽しみが増えた――ということ。

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