初めての外出

 こうしてロウトは自分を認め、里の者達とも打ち解け始めた。

 世界に順応し生きていくことが出来るのがこれ程までに心休まるものなのかとロウトは驚いた。生前との違いはやはり気になることもあったが、そういうものなのだと割り切ってしまえる心がロウトには芽生えていた。死の世界だなどと思っていたことも、人間が生きているならそれでいいと思える。

 確かにこの世界は異常で満ちている。しかし結局はこの世界が存在することに間違いなどないのだ。ロウトの考えは自然とそう落ち着いた。

 だが、死の記憶だけは絶対に慣れることが出来なかった。出来ることは思い出さないように努めることだけで、思い出してしまえば何度でも地獄を味わうことになる。

それでも、心を許せる者達が近くにいてくれることは支えになった。特に全てを打ち明けることが出来るロウカの存在は、ロウトにとって何よりもの救いだった。

 前世について話したのはロウカ一人だけである。三峯のことだから話しても今更ロウトを隔離はしないだろうとは思ったが、秘密をロウカだけに明かすということが二人の関係を特別なものにすると無意識の内に考えたからだ。

 さて、ロウトがロウカに秘密を打ち明けてから半年程経った頃、二人は三峯に呼び出された。

 三峯の里では七人が全員同じ家で暮らしている。家自体はある程度広く、部屋数もある。ロウトとロウカは同じ部屋で、ゲリとフレキが二人で一部屋、三峯とスコル、ハティが同じ部屋で寝ている。ロウトは最初男女が同じ部屋で寝ることに強い抵抗を覚えたが、襲える訳でもないのだからということでこの頃にはとっくに慣れていた。

 家の中には大きな座敷があり、何かがあるとここに集まることになっている。ロウトとロウカが最初に通されたのもここだった。

 三峯は奥に胡坐をかいていて、その前にロウトが同じく胡坐、ロウカが足を横に出して腰を下ろす。

「早いわねー。あなた達が生まれてもう三年よ」

 三峯が言うと、ロウトがすかさず口を挟む。

「もうすぐ四年だ」

「そうだった? まあどうでもいいか。それでどう? 修行の方は」

「影朧のこと?」

 ロウカが訊くと三峯はどっちもだと答えた。

「私はやっと自分と同じ姿に出来たとこ。ロウトは霊気の制御の練習中。剣の方は相変わらずかな。まだロウトに打ち合いで負けたことはないよ」

「俺が誰かに打ち合いで勝てると思うか?」

「まあ無理でしょうね。でもロウトには足があるから問題なし」

 三峯は声を上げて笑う。

 この世界での戦いは、根底に霊気というものがある。ロウトは実際に自分の身体を流れるそれを感覚としてはわかっているが、どういうものなのかということはまだ上手く理解出来ていない。それは恐らく三峯も同じだろう。

 消化器のない肉体が平然と生きているということを、「死んでいるのだから当たり前」と普通に考える人も多い。だが正確には、この世界の住民は「向こう」で死に、「こちら」に新しく生まれたのである。生まれたのだから、生きている。心臓は鼓動しているし、肺で酸素を取り込み全身に供給している。身体は成長しないが不死ということは絶対になく、傷を負ったり呼吸を止められたりすれば死ぬし、どんなに健康な者でも歳月が経てば自然に死ぬ。

 では何故飲まず食わずで肉体が生きていられるのか。この世界では生物は人間以外に存在しない。植物は生えており光合成もするが、それは霊気が顕現したものであり、生物ではないのである。さらに植物はどうやっても食べることが出来ず、無理に腹に収めれば身体を壊す。つまり食物を摂取することは不可能であり、生前の肉体ならばあっという間に餓死する。だが、この生存不可能に思われる世界の肉体には体内に霊気と呼ばれるエネルギーが巡っており、それが肉体を生かしているのである。

 霊気は第二の血液とも呼ばれ、身体中を巡り外部から摂取出来ないエネルギーの代わりをする。この世界と生前の世界の肉体の違いは消化器と生殖器がないだけではなく、霊気が様々な役割を担うことで内部は大きく違っている。霊気は精神と密接に関わっており、精神的疲労がそのまま肉体的疲労に繋がる。生前の世界でも精神が肉体に及ぼす影響は無視出来ないが、この世界ではより直接的な影響を及ぼすのである。精神的疲労は霊気が供給するエネルギーの阻害を生み、肉体の状態を悪化させる。ロウカに秘密を打ち明ける前のロウトがどんどん弱っていったのもこれによるものだった。もしも精神が修復不可能な程壊されてしまったら、その者は暫くすると死んでしまうとされている。

 この霊気が生命活動を維持するために消費されている量は、肉体内の霊気の総量に比べるとごくわずかである。その使われない霊気を引き出し、身体の各箇所に過剰に集めることで、通常よりもはるかに大きな力を得ることが出来る。さらに霊気は消費しても睡眠を取れば回復し、使えば使うだけ総量が増えていく。この世界の住人ははるか昔にこの性質を利用し戦うことを覚えた。

 霊気を用いた戦い方は里によって異なるが、三峯の里では刀を使う。霊気を足に集中させ、高速で間合いを詰めて斬り伏せるというのが基本だ。

 刀を振るう時は霊気で筋力を強めて威力を高める。ところがロウトは元々腕力がないだけではなく、霊気を使って肉体を強化することが大の苦手だった。

 そこでロウトは里の誰よりも上手い足への霊気の集中に目を付けた。三峯の里の走術は白縫しらぬいと呼ばれる、他のどの里よりも速い、特殊なものだ。他の里の者が走る時には霊気で足の筋力を高めるのだが、三峯の里では筋力を高めるのではなく力を抜き、霊気に全てを委ねて走る。これが異様に得意なことが肉体強化が苦手なことに関係しているのではないかとロウトは踏んでいる。

 ロウトはその白縫を用い、目にも止まらぬ速さで相手の死角に入り斬り伏せるという戦法を編み出した。腕力が足りず刀を上手く振るえない点は走術から着想を得た霊気の使い方を応用し、重さを感じなくすることに成功した。

実は八幡の里で鍛えられたこの刀は元々そうした使い方を目的に特殊な製法で作られたのだという。三峯の里ではかなり昔に廃れた技術だそうだが、刀の製法の方は昔から変わっておらず、三峯の助言から形にすることが出来た。

力がなく刃が入らない点は、刀身に極限まで霊気を集中させ鋭さを高めることで補う。霊気の消費が激しくまず誰もしない行為だったが、そうしなければ相手に傷を与えることが出来ないのだから仕方ない。

 剣の道もへったくれもない、ただの殺人術であるとロウトは自負している。

 ただ、人と打ち合う訓練で真剣を使うことはないので、ロウトは必ず負ける。

「じゃあどのくらいのものか、ちょっと見せてもらおうかなー」

 三峯は立ち上がり、二人を外へと急かす。

 外に出ると、三峯は二人に真剣を投げてよこした。三峯は後竹刀を二本抱えている。

「ちょっと勝負しましょう。真剣でかかってきなさい。あたしは影朧出すから」

 三峯は竹刀を二本、左右別々に投げ上げる。一瞬で三峯の前に二つの影朧が出現し、それぞれ竹刀を掴んだ。

「すごい――」

 ロウカが驚愕の声を上げる。

 影朧は基本的に術者と同じ動きしかしない。それに違う動きをさせるには、存在するだけで霊気を消費する影朧にさらに霊気を流し、頭の中で指示を出す。術者が動かずに影朧だけを動かすのはまだ簡単だが、実際の戦いでは術者も動きながらの指示になる。それはつまり本来術者と同じ動きをするところを、霊気で無理矢理違う動きにするということになる。ロウトとロウカはこの話を聞き、あまりの途方のなさに目の前が暗くなった。

 しかし三峯は、普通一体しか出さない影朧を二体出し、それぞれに違う動きをさせてみせた。自分の動きと、別々の影朧の動きを頭の中で処理したのである。

「早くしなさい。一分経ったら消さないといけないから」

 影朧は術者と感覚を共有する。そのため、長い間上手く扱えば扱う程、自分と影朧の違いが曖昧になってくる。どちらも全く同じ姿なので、自分と影朧の違いがわからなくなれば影朧を消すことが出来なくなる。そのため影朧を出していられるのは一分までという決まりがあるのだ。

 ロウトとロウカは刀を抜き、構える。

 構えた瞬間、三峯の二つの影朧が駆け出し、一気に眼前に迫る。ロウトは足に霊気を集中させ大きく後ろに跳び、ロウカは影朧の振り下ろす竹刀を小さい動きでかわした。すかさず刀を横に薙ぎ、影朧の腹を狙う。影朧は刀を下ろした姿勢のまま足を上げ、突き蹴りを放った。腹に決まり、ロウカは息を詰まらせ後退する。

「注意しなきゃならないのは刀だけじゃないわよ。他の里で刀を使うのは春日のとこだけなんだからね」

 三峯がとんでもなく強いという話は前々から聞いていたが、実際に戦ってみると文字通り痛感した。

ロウトは得意の白縫で影朧の死角に周り刀を振るうが、影朧はロウトを見ずにそれをかわす。三峯が離れた場所で全体を見ているのだから死角が意味をなさないのだ。

 ロウカは正面から刀を振るうが、影朧はその全てを竹刀で絶妙にいなし、その度に蹴りを食らわされた。

「はい、終わり」

 一分も経たない内に二人の息が上がると、三峯は影朧の首を腰に差していた刀を抜いて刎ねた。

「影朧を自在に操れる以上、離れた場所から全体を見渡せる三峯が有利じゃないか」

 ロウトはそう呟いて刀を鞘に納める。

「あたしはずっと目を瞑ってたわよ」

 三峯の圧倒的な強さにはそれを認めさせる説得力があったので、ロウトは反論することが出来なかった。

 ロウカは何度も蹴られた腹をさすりながら苦笑する。

「なんで急に勝負しようなんて言い出したの?」

「そろそろその時期かなーと思ってね。二人共充分戦えるみたいだし、もういいわね」

 三峯はそこで、ちょうど家から出てきたフレキを呼んだ。フレキは欠伸を噛み殺しながら何があったのかを理解し、苦い顔をする。

「おい三峯、まさか俺か?」

「そうよ」

 顔を押さえ、フレキは溜め息を吐く。

「たまたま出てきただけで決められちゃあ堪らねえぜ」

「一体何の話だ?」

 状況が飲み込めずにロウトが訊くと、三峯はにやりと笑った。

「二人には他の里に顔を見せに行ってもらうわ。そろそろこの国の地理を理解してもらわないと困るからね。道案内はフレキが快く引き受けてくれたから」

「あんたが勝手に決めたんだろ」

 三峯はそれを無視し、話を続ける。

「という訳で今から春日の里に行ってきなさい。ここから一番近いから。刀は必ず差して、道をちゃんと覚えないと駄目よ」

「今から?」

「そう。早い方がいいでしょ?」

 フレキが家の中に戻り刀を差して戻ってくると、三峯が紙に一筆書き、それをフレキが持ってすぐに出発することになった。先頭が道案内のフレキ、真ん中がロウカ、しんがりがロウトと縦に並び、足に霊気を纏わせて高速で山の中を駆けていく。この白縫は殆ど体力を消耗しない。他の里の足の力を単純に霊気で強化する走り方でも体力の消耗は少ないが、三峯の里の走術はそれよりもはるかに効率がいい。

 春日の里は三峯の里と同じく山の中にあるが、同じ一つの山ではなく、かなり離れた別の山に存在している。という訳で三人は一度自分達の里がある山から下り、平地を進んで目的の里がある山の中に入っていく。

 高速で移動しながら道を覚えるのは大変だった。特に山の中では視界が狭いこともあって混乱する。ただ出発前にフレキが一度で覚えるのは恐らく無理だから楽にしろと言ってくれていたので、二人は集中しながらも里の外の世界の景色を初めて見ることを楽しんでいた。

 特に平野に出た時には、ロウカは思わず驚嘆の声を上げた。どこまでも地平線が景色いっぱいに広がり、大地を背の低い草花が覆っている。人の手が入っていては生まれないであろう広大な眺めは二人の心を動かした。人口に対して土地が広く、さらには農地も必要ないのでこうして手つかずの自然が残っているのだ。

目指すのは地平線の反対側に連なる山脈の中の一つだった。どれもそれ程高い山ではなく、里があるのは山の中腹ということで、この速さならばすぐに着くだろうと安堵する。

 ところが再び山の中に入って暫く進むとロウトとロウカは危殆に瀕することになった。

 木々の間を縫うように進んでいると、ロウカが木の根に足を取られて躓いてしまった。後ろにいたロウトは慌てて足を止めたが、前を進むフレキは気付かずに進んでいってしまう。

 ロウトは思わず真っ先にロウカに怪我がないかを確かめ、フレキを呼び止めることを忘れてしまった。右も左もわからない土地で道案内を失うことがいかに危険なことか。ロウトはそれを失念し、ロウカの身を案じる方に意識を向けた。

 己の愚かさを呪い、ロウトは唇を噛む。ロウトの足ならばフレキに追いつくことは容易だが、それは目的が見えている場合だ。木の生い茂る山の中、フレキを見失った状況で当てずっぽうに走ればさらに危険が増す。開かれた道を走ることもあったが、今いるのは木々の間の道なき道だ。それに、ロウカを一人残すことなど出来なかった。

 ロウカの足は挫いてはいないが痛むようだった。ロウトは大層心配したが、ロウカは平気だと言って立っている。

「ごめんロウト、私が転んじゃったせいで……」

「ロウカは悪くない。悪いのは、俺だよ」

 フレキはここまで来る間にあまり後ろを振り返っていない。気付くのはいつになるだろうかとロウトは腕を組んだ。

 足音が聞こえてくる。

 すぐにフレキのものではないことがわかった。前方ではなく右から聞こえ、さらには複数するからだ。

 何故三峯が必ず帯刀していけと言ったのか――ロウトはその意味を強く理解していた。武器を持って他の里に行けば警戒されるのは必至である。他の里の間での三峯の里に対する信頼がなければ門前払いもあり得る。それでも他の里に向かうのに武器が必要な理由は、里に属さない危険な者達が存在するからだ。

「あん? 誰だあ? あたしらのシマでくつろいでやがるのは」

 恐ろしく野太いが、かろうじて女の声だとわかった。現れたのは三人。先頭に背の高い女が一人、後ろに女が二人並んでいる。手には抜き身の刀を持っている。反りのない直刀であることから、春日の里の武器だということがわかる。

「あんた達、春日の里の者か?」

 ロウトが警戒しながら訊く。女は近くに立っているロウカに近付き、嘲笑としか受け取れない笑みを浮かべる。

「あんたら、どうやら里の者みたいだね。里の奴らって嫌いだわ」

 口振りから野凶だとわかり、ロウトは身構える。が、ロウカが反応するよりも早く、女は手に持った直刀を横に薙いだ。

「殺してやりたいくらいに」

 後ろの女達が哄笑する。

 ロウカの腹に刃が走り、血を滴らせながらロウカが後ろに倒れる。

 ロウトは声も出ず、ロウカを支えに駆け出すことも出来なかった。

 この者達は野凶の中でも最も恐れなければならない連中だ。人を殺すことを何とも思っていない、危険極まりない人間。

 ロウトは震えていた。

この世界に生まれて初めて訪れた、命の危機。ロウトの脳裏に最も忌むべき死の記憶が蘇る。全身が異様な寒気に襲われ、さらに激しく震え出す。死だけは、絶対に避けなければならない。もう二度とあんな地獄を味わいたくはない。

 ふと、右手が左の腰に差した刀に触れた。

 ロウトはずっと、自分が実際に人を殺す時には大いに逡巡するだろうと思っていた。死という苦痛を知っている以上、他人に同じ苦痛を与えてしまうことに迷ってしまうだろうと。だが――

「何のことはない」

 自分が殺されるかもしれないという状況で、相手のことを慮る余裕など、端から持ち合わせていないのだ。簡単な話だ。殺さなければ殺される。ならば迷いは――ない。

 震えはもう止まっていた。

 ロウトは柄を右手で握り、そこから刀身に霊気を流し込む。足にも霊気を集中させ、力を抜く。

 女はロウトが柄に手を置いたの見て、すぐさま斬り付けようと一歩踏み出す。だが、その時にはもう、ロウトの姿は女の前から消えていた。

 ロウトはまず女の横を斜めに駆け抜け、後方に離れるとそこで身体を捻り、後ろの女二人のすぐ背後に迫る。鞘から抜刀し、極限まで殺傷力が高められた刃が深く左の女の背中を斬り裂く。反す刀でその隣の女の背中も気付かれることなく斬る。

 血を噴き上げて女二人が崩れ落ちる。前に立つ女がその音に気付いて振り向くが、その視線の先にロウトを捉えることは出来なかった。

 ロウトは既に大きく横に走り、そこから斜めに女のすぐ隣に迫っていた。女の目がロウトの姿を視認する前に刀を振るい、首を刎ね飛ばす。

 大量の血飛沫を上げて女の身体は倒れた。ロウトは血のべっとりと付いた刀を暫し呆然と眺めていたが、地面に倒れているロウカのことを思い出すと刀を放り捨ててそちらに駆け寄った。

「ロウカ!」

 正常に呼吸し、意識もあるようだった。屈み込み、傷の様子を見る。腹を横に斬られていた。出血は止まっている。

「私は、大丈夫。霊気を集中させてるから、もう血も止まったはず」

 霊気は負傷した場所に集中させれば治癒力を高めることも出来る。受けた傷が浅かったことも幸いしたのだろう。

「ロウカ――ごめん」

「ロウトは悪くないよ」

「違うんだ。俺は――」

 思わず言葉に詰まる。

「約束、忘れたの?」

 苦しげな顔で無理に笑い、ロウカはロウトの言葉を促す。

「俺は、ロウカのことなんて、これぽっちも考えてなかった。ただ自分が生き延びることだけを考えて、それで、俺は人を殺した。ロウカを守ろうなんて思いが、全く浮かばなかったんだ。俺は結局、自分だけが死ななけりゃいいんだ。他人のことなんてどうでもいいんだ。ごめん。俺は――最低だ」

 言葉にしたことで、罪悪感はさらに増した。

 ロウカは小さく首を横に振る。

「いいの。ロウトは、それでいいの」

 暫くするとフレキが引き返してきた。惨状を見て驚いたようだが、ロウカの傷を見ると一度三峯の里まで戻った方がいいと判断し、ロウカを背中に乗せて来た道を引き返し始めた。

「ロウト、あれはお前がやったのか?」

 平野を駆け抜けていると、それまで黙っていたフレキが口を開いた。いつもの軽薄な口調ではあったが、ロウトはその中に含まれた重みに押し潰されそうになった。

「――ああ」

「そうか。まあ、ロウカが殺されそうになってんだから、あの判断は間違ってなかったと思うぜ」

 それは違う。ロウカがどうなったかは関係ないのだ。ロウト自身が殺されそうになったから、ロウトは殺した。だがそのことを言う訳にもいかず、ロウトは押し黙ったまま走り続けた。

 里に着くと、外で三峯がスコルとハティの相手をしていた。

「三峯、ちょっとまずいことになっちまった」

 フレキが声を上げると三峯は一瞬張り詰めた表情を見せ、すぐさまこちらに走ってきた。

「ロウカ!」

「大丈夫だよ三峯」

 ロウカは努めて明るく言うが、三峯は鋭い目付きでフレキを見遣った。そしてフレキの背中からロウカを下ろし、傷を見ながら厳しい声を発する。

「フレキ、何があったか話しなさい」

 フレキが謝りながらことの詳細を話していると、異変に気付いたスコルとハティが駆け寄ってくる。

「ロウカ、怪我したの?」

「スコル、今は黙ってて」

 ハティが今にも泣き出しそうなスコルを制する。そのハティも溢れる感情を抑えようと必死に拳を握りしめていた。

「傷は大したことはないわ。霊気を集中させておけば痕は残らないはず。今は安静にしなきゃ駄目だから、家の中で横になってなさい。立てる?」

「うん。平気」

 ロウカは静かに立ち上がり、三峯と一緒に家の中に入っていった。

「フレキ、ロウト」

 握りしめた拳を震わせながらハティが二人の名を呼ぶ。

「あんた達、何やってんのよ!」

 殆ど絶叫に近かった。ハティは感情を爆発させ、滅茶苦茶に二人を責めた。

「フレキは二人をちゃんと見守らなきゃいけないでしょ! 何忘れて一人で先に行ってんのよ!」

「返す言葉もねえよ」

 苦い顔をしてフレキが呟く。

「ロウトはなんですぐにロウカを助けないの! あんたがいながら、なんでロウカが怪我するの!」

「――すまない」

「何なの――何なの!」

 ハティはそこで声を上げて泣き出した。スコルがおろおろと三人を見回すが、フレキとロウトは下を向くだけだった。

「泣くな。お前らしくない」

「ゲリ――」

 ハティの頭の上に手を置き、数回撫でてゲリは難しい顔をする。家の中で何があったのかを知り、ハティの声を聞いて出てきたのだろう。

「ロウカは大した怪我はしていない。フレキの馬鹿の失態は問題だが、ロウトはよくやった」

「わかってる――けど」

 しゃくり上げながらハティは下を向く。

 ゲリはまたその頭を撫で、フレキに目を向ける。

「フレキ、今更お前を責めはしないが――」

「わかってる。さっきからずっと猛省中だ」

 ゲリは頷き、ロウトの名を呼んだ。

「三峯が呼んでる。大丈夫だ、お前を責めたりはしないから安心しろ」

「わかった」

 ロウトは下を向いたままのハティを一度見て、家の方に向かった。すれ違いざま、ハティが小さく「ごめん」と言い、ロウトは「ああ」とだけ返した。

 玄関で草履を脱ぎ家の中に上がる。奥のロウトとロウカが寝ている部屋に灯りが点っていたのでその部屋の戸になっている障子を開けると、布団でロウカが目を閉じており、その隣に三峯が座っていた。

「何か、俺に出来ることはないか?」

「ないわよ。霊気は人によって波長が違うって教えたでしょ」

 三峯の言う通り霊気は人によって波長が違い、相手の身体の中に流し込み集中させても本人が霊気を集中させた時と同じ効果は得られない。ちなみに相手の体内に自分の霊気を流し込み異状を起こす術をこの世界では呪いと呼ぶ。呪いに出来るのは身体の動きを封じることや痛覚を遮断する麻酔のようなことくらいで、どれも一時的なものでしかない。念のため三峯が麻酔効果の身痺(しんひ)の呪(しゅ)をかけようかと訊いたそうだが、ロウカは痛みはもうあまりないからと言って断ったらしい。

 ロウトは三峯の隣に座り、ロウカの顔を間近に見下ろした。規則正しく呼吸しており、寝ているようだった。

 長い間沈黙が続いたが、ロウトの小さな言葉がそれを破った。

「三峯、俺は人を殺したよ」

「ええ、聞いてるわ」

「殺すのは、よくないことだよな」

「そうね。ただ、野凶に襲われた際の自己防衛を禁止している里はない。霊気の扱いは即ち人を殺す術を学ぶこと。最初に言ったわよね。自分の身は自分で守れ、場合によっては人を殺せって。けどまあ、どんな講釈を垂れたところで人殺しは人殺し。よくないことは確かでしょうね」

 ロウトは小さく頷き、再び沈黙が訪れることを予期した。

「でもね」

 だが沈黙はわずかも続かず、今までとはまるで違う、溢れんばかりの感情が込められた一言が三峯の口から発せられた。

「あなたが死ぬことも、よくないことよ」

「そう――だよな」

 三峯はそれを聞くと頬を緩めて立ち上がり、部屋を出ていった。恐らくこのことを伝えるためにロウトを呼んだのだろう。

「そうだよ」

 ロウトは驚いて声を上げそうになった。眠っていたとばかり思っていたロウカが笑いながらロウトを見ている。

「起きてたのか」

「うん、狸寝入り。三峯は気付いてたと思うけどね」

 参ったな――とロウトは苦笑する。

「ロウトはもっと自分勝手でもいいと思うよ。私も自分の願いを通して生きてくから」

「願い? ロウカの願いって?」

 ロウカは恥ずかしそうに笑ってから、ロウトにだけ届くように口を開く。

「ロウトと、ずっと一緒にいること」

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