第21話

 勝負は互いに棄権した事により、勝敗は有耶無耶となった。

 ここまでは良かったのだが、相良だけでなく那月までもが美香に続いて出場辞退を宣言してしまい、話が非常にややこしい事態になってしまう。

 学校側としては棄権する訳にいかないのだが、出場する人間がいないのだ。

 その為、今回の件に関わった生徒は全員、理事長室へ直々の呼び出しを受けたのだった。

「それで、貴方達の話を聞きましょうか? 出場予定だった人間の話も聞いたわけだから、貴方達の話も聞かなければフェアではないでしょう?」

 理事長室へ入った瞬間、そう尋ねられるのだが理事長の席に座る人間に驚きが隠せない。

 この学校の理事長はあまり表に顔を出す事がない為、殆んど顔を見た事がないのは確かだ。

 大きな行事でも顔を出さない上に、美鶴も理事長室までは呼び出された事はない。だからこそ、この部屋へ来るのは初めての筈なのだが、その椅子に座っていたのは良く見知った意外な人物だった。

「何してるんですか、静さん? こんな所で遊んでないで、本業の方を真面目にしましょうよ……」

 その席に座っていたのは何を隠そう、喫茶店のマスターである七瀬静だったのだ。

 アレ、なんでこんな場所にこの人がいるのか。その一番、最初に気がつかなければならなかった疑問に美鶴達はようやく気が付いた。理事長にため口まで働いてしまったのだ。

 あまりに予想外の事に美鶴達は言葉が出て来ない。

 しかも、静も沈黙を続ける。その為、理事長室内の空気は非常に重い。

 数分間のにらみ合いの末、静がようやくその重たい口を開いた。

「ドッキリ大成功! って、美鶴君に言ってなかったわよね。私、ここの理事長をしてるの。まぁ、代行の筈がいつの間にか本当にやらされてたんだけどね」

 静にとっては美鶴達の驚きようが予想通りの結果だったのか、満足気に微笑むとVサインをして勝ち誇って見せる。それを笑って流し、威厳の欠片もない理事長。

 説教が飛んでくると覚悟していただけに、その急激な空気の変化に美鶴達は付いて行けず、思わず戸惑いの表情を浮かべてしまう。

 だが、再び口を開いた瞬間、静の目付きが一気に鋭くなり、その視線が美香を射抜く。

「それで、ここに呼ばれた理由は当然分かってるわよね。確かに、学生としての自由はあるわ。けど、学校側が貴方の急な我が儘で損失を被った。この事に対する申し開きはあるかしら?」

「ありません」

 美香は迷いなく、そう断言する。

 今回の件、学校側に損失を齎したのならば、そこに対する責任は全て自分の至らなかったが故である。それが美香の出していた結論だった。

 しかし、それで話が終わるほど世の中は甘くはない。

「なら、聞き方を変えるわね。白浜美香としてはこの事態にどう蹴りをつけたらいいと思うかしら? 自分の立場を良く踏まえた上で考えた答えを聞かせて貰える?」

 静は真剣な目付きで美香の言葉に耳を傾ける姿勢を見せる。

 企業との提携、資金援助。それを受けているからには、学校側には結果を出す責任が存在している。それに対するケリをどう着ければいいかを静は美香に尋ねているのだ。

 関係は信頼の上で成り立っている。一度でも泥を塗ってしまえば、回復は難しい。

 それを理解しているからこそ、美香もなかなか言葉を選ぶ事が出来なかった。

「私個人の置かれている状況と、社会的責任の二つの観点から考えると……大会に出場する以外に選択肢は……ないと思います」

「それが本心からの嘘偽りない言葉であるなら、その通りに話を通すけど本当にいいの?」

 その言葉に堂々と胸を張っていた美香の視線が僅かに静から逸れた。

 ここまで、冷静に言葉を選び収拾をつけようとしていた美香の動揺の表れだった。

 けれども、ここでもしも本心をぶちまけてしまえば、学校側からの印象が悪くなるだけでない。何も解決する事はないばかりか、更に問題を肥大化させてしまう。

 手を貸してくれた薫や彼方、美鶴にまで巻き込んでしまうかもしれないだけに、美香に残された選択肢は頷く。それを了承する以外には何もなかった。

 その様子に静は溜息を吐くと最終確認として、もう一度だけ美香に確認をする。

「もう一度だけ、確認するわよ。否定するならこれが最後。貴方自身は本当にその答えが胸を張れるものであり、後悔しないって言えるのよね?」

 美香は何も答えられない。唇を噛み締め、拳が小刻みに震える。

 そんな美香の姿を見ていられなくなった美鶴はどうにかして静と美香の会話に口を挿もうとするが、何一つとして言葉が出て来なかった。

 同じ教室にいる筈なのにどこまでも遠くにいる。そんな現実を初めて実感しただけだ。

「大会に学校側が出場して……恥をかけと言うのなら分かりました。喜んでかきます。今回の件に関する責任は全て、私一人にありますから……」

 美香の頬から涙が零れ落ちる。

 しかし、美香の言葉はまだ終わっていなかった。

 その場に正座すると、頭を床へ押し付ける。まぎれもない土下座だ。

「ですが、出来る事なら今回の大会は辞退させて下さい。ようやく、持ち直し始めたんです。そのチャンスを無駄にするような真似はしたくないんです。お願いです。後輩の為にも」

 あまりの美香の必死な訴えに沈黙が辺りを包み込んだ。

 全ては理事長である静の采配にかかっている。美香は必死に頭を下げ続け、美鶴達は静の出す答えが何か息を飲んで見守る。いや、そうする以外には何も出来なかった。

 悔しいが、美鶴達が関与出来るような余地は一片も存在しない。

 美鶴も薫も彼方も、美香とは違う。ただの一般学生に過ぎないのだから……。

「そう。建前はこの辺りでいいわね。もう行っていいわよ」

 数十分にも数時間にも感じる沈黙の末の静の答え。

 それが、『建前』という一言で終わらされているのだ。つまり、ここに呼び出された事はただ、話を聞いたという建前を作る為に他ならない。

 最初から静の中では結論は決まっていたのだ。

 そう思うと、何の為の美香の土下座だったのかすら分からない。そんな物に納得出来る筈がなかった。

「建前ってなんだよ。アンタらが出してきた条件はクリアした。それで話は終わりだろ!」

 美鶴は後先考えず、静に食ってかかると拳を理事長の机へと叩き付けた。

 交渉するには笑ってしまう程に手札がない。

 現実としては引き分け。相良達に負けを認めさせたのは良いが、結局は共に試合放棄だ。

 そう思うと、勝ちに行っておけばよかったと美鶴は後悔してしまう。

 けれども、それを今更になって後悔しても後の祭りだ。どうする事も出来ない。

 静はそんな熱くなる美鶴に対し、冷静に諭すようにこう告げる。

「大人の事情ってやつよ。貴方達が首を突っ込むのは早いわ」

「なら、聞き方を変えます。那月達とはどう決着が着いたんですか?」

 大人の事情などという曖昧な言葉で有耶無耶にされて終わる訳にはいかない。

 だからこそ、美鶴は重要な筈なのにここまで一度も話題にあがっていない那月達の出した結論に関して問い質したのだった。出場するには他のメンバーの事もあるからだ。

 だが、その事に関して静が語る事はなかった。

「それはそれ。これはこれよ。何の為に別々に面談したと思ってるの? それぞれの意見を聞く為じゃない。それを話してしまったら、全部無駄って言っているようなものよ」

「言ってる事は何一つ間違ってないんだろうが、裏で喫茶店のマスターやってるような人間がそのセリフを吐くと、まるで時間が無かったから別々に話を聞いたようにしか聞こえないんですが……」

 自分は関わってはいるものの、殆んど赤の他人でしかない。

 けれども、当事者は美香。その美香ですら何も決める権利がないなんておかし過ぎる。

 そして、納得出来ていなかったのは美鶴だけではなかった。

 薫も彼方も静の決定に納得出来ていないらしく、美香の前に立つと静を睨み付ける。

「理事長に一切、威厳がないという話は今回放置するとして、大人とはどういう意味ですか? 確かに美香がもっとちゃんと対応していればこんな事にはならなかったかもしれませんが、責任に関しては果たそうと心掛けていた筈です」

「俺からも一言だけ言わせて貰いますが、それはアンタらの都合で美香先輩とは関係ない話でしょう。それを生徒に押し付けるならそれは職権乱用ってもんですよ」

 火が付いたように熱くなる二人に対し、静は盛大に溜息を吐くといきなり態度を崩し、頭を掻き始める。そして、机の中から自分用のPDAを取り出すと、一つの映像を二人に突き付けた。

「勘違いしているようだから言っておくけど、私は何も出る事を強制するつもりなんて一切、無いわよ? 出る出ないの最終決定権は生徒側にあるべきだし、この試合映像を見た限りでは貴方達の健闘は本来なら称賛されるべきものだもの」

 その映像は紛れもなく、試合の映像データだった。

 静はその映像を閉じると再びPDAを仕舞い込み、美香達に向き直る。

「それに、現状の三年依存型の方針も変更しなければならないのよ。だから、私としては今年度を見送る代わりに来年から活躍する後進の育成を行うという条件付きでなら構わないと思ってる。今回、こんな約束をさせたのは周りとの空気を分からせる為だったから」

 静はそう告げると、大きく息を吸い込んだ。

 そして、美香を力強い目で射抜くとはっきりと、こう言い切る。

「確かに、白浜美香の個人的資質が凄い事は成績、その他の結果から認めるわ。拍手を送りたい程よ。けれど、人間性。周りとの関係、特に他人への配慮が足りな過ぎる。今はいいかもしれないけど、いつかそれできっと困る筈よ。今回の事、少しは勉強になったでしょう?」

 その言葉に、美香は顔を上げると何も言い返す事が出来なかった。

 思いやりがなかったつもりはないが、上手く周りと噛み合っておらず、それが衝突の原因の一つとなってしまった事は認めざるを得ないだろう。

 結局は最初から静の手のひらの上で踊らされていたに過ぎないのだ。

 そう思うと、美香は自分が一体、何の為に頭を下げていたのか分からなくなり、口を大きく開けたまま、固まってしまう。

 しかし、そんな美香を放置して、静は最後にこう締めくくるのだった。

「今回の件の事後処理は私に一任して貰います。それで、この問題に関しては終結。これで話は終わりなので、退室して構いませんよ?」

 どれだけの交渉能力があるのか全く未知数である為、信用は出来ないがここは理事長である静に一任する以外にないと考えると、美香は何も言わずにそれを受け入れるのだった。

 これで、全てが解決。と、思ったのだが立ち上がった美香は美鶴の方を振り向くと、いきなり肩を掴んでくる。美鶴は何事かと思い、逃げようとするのだが力強く握られている為、逃げられない。

「ところで、さっき――喫茶店がどうとかって言ってたわよね。薫も彼方君もその事に関して何か知っているみたいだけど、もしかして私だけ仲間外れって事なのかしら?」

 その言葉に、美鶴は固まってしまう。

 美香にだけは何としても知られたくなかった事なのだ。

 もしも、美香がバイト先に来たらどうなるか想像に難くない。ただでさえ、客足が少ないのだ。毎日のように入り浸り、自身を専属のように扱うのは明白だ。

 そうなれば、美香の知らない本当に自由な空間がなくなってしまう。

 鍵のスペアを奪われた美鶴にとって、バイト先という空間は唯一、最後に残されたオアシスだった。それを奪われるような事を美鶴はみすみす許す筈がない。

「何、言ってるんですか? そんな事、一言も言ってないですよね? 薫先輩、彼方先輩」

 突然、話を振られた薫は苦笑いを、彼方は視線を逸らしてしまう。だが、美鶴の思いを無下にする訳にはいかない為、必死に答えを捜し言葉を選びながら薫はこう返答するのだった。

「ねぇ、美香。弟君が会計なんて出来る筈ないでしょう? 実際、あれって思っているよりも高いのよ。一台だけで本が何十冊も買えるの。もしも、壊しちゃったら数か月間タダ働きなんだよ」

 云万円。その程度だと思っていたら、地獄を見ます。美鶴はそう心の中で呟いた。

 あそこに置かれているレジは静のPDAと同期して店内の在庫、材料残量確認も行っている為、単位が一桁足らないのだ。何故、あそこに置かれているのか美鶴が疑問に思うレベルだ。

 もしも、壊してしまえばただでさえ客が来ない上に給料は不思議とそこそこな喫茶店でどれだけ年単位で働けばいいのか分かったものではない。

 しかし、いきなりレジスターの話だ。美香が納得する筈もない。

 薫の言葉に疑いを更に強めた美香は次の標的として彼方へと詰め寄るのだった。

「本当に何も隠していないのよね?」

 確認するように尋ねて来る美香に思わず、彼方は更に目を逸らしてしまう。

「俺のログには何も残ってません」

 現実にログなど存在しない。どう考えても嘘だと丸わかりの返答に完全にバイトが知られてしまったと美鶴は頭を抱え込んでしまう

 だが、次に飛んできた美香の返答に美鶴は固まってしまうのだった。

「ログに残ってないなら仕方ないわね。うん、見直したけどどこにもそんな言葉はないわ」

 空中で何かを操作するような素振りをすると、彼方に対して深く頷いて見せる。

 どこをどう納得すればそのような行動に行き着くのか美鶴の理解の範疇を超え、納得をするどころか頭痛が襲ってくるレベルだ。

 しかし、美香もそこまでは馬鹿ではなかったらしい。

「って、現実にログなんてある訳ないでしょうが!」

 見事なノリツッコミだ。

 まさか、そんな高等な返し技術を常にボケしか行わない美香が習得していた事に美鶴は思わず、驚きの声をあげてしまう。けれども、今はそんな事をしている余裕はない。

 まず、優先しなければならないのは接客業のバイトをしている事実を誤魔化す事だ。

「やだな、俺が喫茶店で――」

「そう言えば、三日前に貴方達って喫茶店に来てたわよね? そんな隠す事はないでしょう?」

「アンタは余計な事、言わないでくれ! ややこしくなるから!」

 美香がこの後、何と言うのか。どのような行動を起こすか理解しているからこそ隠すのだ。

 絶対に毎日のように押しかけて、長時間入り浸ると言いかねないのだから……。

「そうだったの。バイトが喫茶店だったのなら早く教えてくれればよかったのに! 何で教えてくれなかったのよ。毎日だって、通い詰めて上から下まで美鶴の為に注文してあげるのに」

「頼むからそのまるでどこぞのホストクラブ的な考え方は止めてくれ。俺が働いているのは喫茶店だ。喫茶店。そこのところをまず、理解してないだろ。お前」

 それ以外の言葉が美鶴の頭には浮かばなかった。

 まず、そんなに頼まれたら他の客に迷惑だ。殆んど、客は来ないが。

 そして、喫茶店とは静かな空間と時間を提供する場であり、このような騒がしい美香が来るような場所では決してない。

 そう言い聞かせようとしていると、静から余計なツッコみが入る。

「うち、メニューないわよ。だって、大体の注文が『珈琲とケーキのセット』、『いつもの』、『おまかせ』だから必要ない上に値段も仕入れ値で微動ではあるけど、上下しているから。開店するのだって、殆んど気分で決めてるようなものだしさ。流石に赤字にするようなマネはしないけど」

「言われてみれば、確かにメニューらしきものはなかった気が……」

 確かに薫も彼方も喫茶店での事を思い返してみると、どこにもメニューらしきものが目に写らなかった気がする。ならば、一体どのようなシステムを使っているのか。

 それは至極単純。静が頼まれたものを冷蔵庫内にあるもので作成するだけなのだ。

 美鶴もここに来て、あれが本当に喫茶店なのかという疑問に初めて気が付いた。

「今はあの喫茶店のシステムについてはどうでもいいか。それより、あんた空気ぐらい読めよ! 生徒が必死になって誤魔化そうとしてるのを何、平然とばらしてんだよ。ありえないだろうが!」

「隠し事はいつかばれるモノだし、お得意様になって貰ってお金を落として行ってくれるなら凄く、幸せな事じゃない! 二号店として一号店に負けないくらいにしたいわ!」

「って、あの店はチェーン店だったのかよ。二号店だったなんて初めて知ったわ!」

 どうでもいい暴露話に美鶴は思わず、ツッコみを入れてしまう。

 しかし、美鶴の苦しみをどこに吹く風と言わんばかりに静は笑ってみせる。

「まぁ、これで万事物事は解決。塞翁が馬。流石、私ね」

「勝手に話を終わらしてんじゃねぇよ! 全然、解決してないだろうが!」

「美鶴! どこで働いてるのよ! ねぇってば!」

 美香の事に関しては何事もなく解決したのだが、美鶴はその結果として美香の手助けする以前より遙かに大きな心労を抱える毎日が幕開けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

プロトコル・デジタイズ 浅田湊 @asadaminato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ