第15話

 薄暗い職員室の中で物音だけが響き渡る。

 電気を点けられないのは廊下に漏れてしまった光によって那月にこの室内にいる事をばれないようにする為だ。光さえ見えなければ遠くからならば気付かれない。

 しかし、探しているモノが見付からない。いつも呼び出されているだけに職員室の構造、物の位置まで美鶴は把握しているつもりだったのだが、それは思い込みでしかなかったのだ。

 現実の学校は全て電子制御のオートロック。教師の認証もしくは、部屋それぞれに用意されたカードキーを用いて開けるのだが、それらが全く見当たらない。

 いつもカードキーが保管されている所には木製のボードがかけられており、そこに打たれた釘に金属製の小物がぶら下がっているだけ。それ以外には見当たらない。

 念の為、職員室内の教員机の内部、棚も全て見て回ったのだが、気になった点は何冊か抜け落ちている卒業文集ぐらいで目ぼしいものはなに一つ見当たらなかった。

「なんで、見付からないんでしょう。鍵……」

 一通り見て回った。相当、時間も費やしてしまっている。長居をするのも危ないかもしれない。

 美鶴の中で、この場所以外にあるのではないかという疑念が生まれるのも時間の問題だった。

『弟君、カードキーって概念をまず頭から外してみない? カードキーや暗証番号による開錠以前は、物理的に施錠していた筈だから……それを頭に入れて何か無い?』

「話には聞いた事ありますね。そう言えば、どこかで見た気がします」

 薫の言葉に美鶴はいつもカードキーが保管されていた場所にかけられていた木製のボードを再確認する。すると、やはりそこには杭の上にそれぞれの教室名が記されていたのだ。

 その中から、図書室の鍵を手に取ると、他の鍵も一通り目を通していく。

 その際に気が付いたのだが、どうしてもいくつかの鍵が見当たらない。美鶴としては別段必要としていない部屋だけに興味程度だったのだが妙に気になってしまう。

「ありました。一応、図書室は確保しておきます。それより、あの写真の場所解りました?」

 美鶴は薫にそう尋ねながら、もう一つの目ぼしい鍵を捜しそれをこっそりと懐に隠す。

 保険ではあるが、無いよりはマシ。当たれば幸運、万馬券程度の気持ちで取っておいた。

『弟君、一応の確認なんだけど、社会科準備室の鍵とかあったりする? 恐らく、それがあるなら那月ちゃんもここに向かって来るかもしれないから確かめて貰えない?』

「ないですけど……なんで、社会科準備室の鍵なんて確かめさせるんですか?」

 先程、引っかかった紛失している鍵が社会科準備室だ。もしも、ここに無い事に何か意味があるのだとすれば、今後の行動にも関わって来る。探しておくべきか否かと言う意味でもだ。

『さっきの写真から方角を割り出して確認した所、さっきまで弟君がいた方向の教室だったの。それで、写ってる風景からおおよその高さを割り出したら、社会科準備室が一番近かった訳』

 薫の言葉が正しければ、第一のヒントから導き出される第二のヒントへの必要な要素がその鍵という事になる。それがない事が指し示すのはただ一つしかない。

 那月が既にここに来て、その鍵を回収し終えているという事だ。

 再び、那月が職員室まで足を運ぶ理由もない。だが油断は禁物。職員室は二階。社会科資料室から廊下へと出て来た所に出食わさないとも限ら――いや、違う。

 美鶴が念の為に辺りを見渡した際に、机の上に幾つかの鍵がある。その中の一つに社会科資料室の名前が目に飛び込んで来たのだ。

 それが意味している事は那月がここへ向かっている?

 その事に気が付いた美鶴は素早く職員室から脱出する為、気を引き締めると物音を立てないよう慎重に扉に手をかける。

 その時、微かに足音らしき音が響いて来た。

 この仮想世界に今、存在しているのは自身と那月だけ……。つまりは那月の足音だ。

 問題となるのは目的地だが、もしも職員室であるならば出入り口は一つ。逃げ場がない。

 近くにあった学校の地図を確認するが、それを見た所でこの状況を打開する案は浮かばない。

 ただ、図書室は社会科準備室の一つ上の三階。一階分高い場所に位置している事ぐらいだろう。そう考えながらいくつかの鍵を適当に取り外し、近くの机の棚に押し込んだ。

 そして、息を殺して目を閉じると、精神を統一し次の一手を考える。

 この後の問題は鍵がない状況でどうやってそのヒントを確認するかという事だ。三階である図書室の鍵は確保しているが、そこからの景色がどれ程のヒントになるか……。

 美鶴は半分手詰まりの状況に軽く舌打ちすると、出入り口から死角になる場所に身を屈めた。ジッと息を殺し、その出入り口の様子を監視する。持っている鍵を隠れている近くの職員用の机の戸棚の奥へと隠す事も忘れない。

 隠れてから数分後、予想通り那月が職員室に現れた。


『職員用玄関から入って、私達が向かった方向にある廊下の罠にかかった筈だから、あの辺りにいると思ったんだけどね。それにしても、どこに行ったんだろう』

「少し、黙ってて下さい。気が散りますから」

 那月は更紗にそう告げると、真直ぐ職員室に置かれている鍵を一つ一つ確認し始める。

 そして、そこで社会科資料室と数個の鍵が紛失している事に那月は気が付いた。

「ないですね……。他にもいくつかの鍵もないみたいです」

 鍵を持って行かれた可能性があるという事だ。しかし、那月が妙な違和感を覚えたのは大量の鍵を持って行った理由……。

 職員室へ向かうまでの間、誰にも会っていないのだ。

 迂回する事によって、那月を避けられた可能性も捨て切れる訳ではないが、遭遇を恐れて避けたのならば、即座に向かわれて逃げ場を失う可能性のあるような社会科準備室に向かうとは到底考える事が出来ない。あるとするならば、鍵の持ち逃げだ。

 そこまで考えると、那月は室内を大きく見渡した。

 持ち逃げされた以外にもここ以外に保管されている可能性があるという事だ。そう考えると那月は机の数を数えながら、ゆっくりと社会科担当教員が固まっている一角へと近付く。

 すると、そこには小さな鍵が机の上に置かれていた、札には社会科準備室と書かれている。

「鍵はありました。どうやら、美鶴に先回りをされたという訳ではなさそうで……。いや直接、本人から何を企んでいるのか聞いた方が早そうですね」

『幾つかの教室と部室練の鍵、十数個。――何を考えているか分からないけど、最初からの可能性もある。無視して先に進むって言う道もあるのよ? まぁ、潰し合ってサクッと勝負を決めてしまう方が後腐れなく終われるって言うなら止めはしないけど……』

 更紗は鍵の様子に違和感を覚えると同時に、少しばかり脅威を抱いていた。

 もしも、これが最初からではなく何らかの目的を持って行ったとするならば鍵の隠蔽。つまり、自分の取った鍵を確認させない策だ。何か手がある事を意味している。

 しかし、那月は更紗とは裏腹に小さく溜息を吐くと、手に取った鍵を懐へしまい込む。そして、どこからともなく一冊の本を取り出し、自身から死角となっている場所を睨み付けた。

「理由なんて一つでしょう。最初からなかったならそれでいい。でも、既に何が答えか目星を付けて動いているのだとすれば、先に潰しておくべきです」

 取り出した本の表紙には何も書かれていない。革表紙の本だ。

 厚さは辞書ほどもあり、それで殴れば凶器にもなり得る。那月はそんな本の一ページ。栞の挟まったページを開いた。

「私に隠れるなんて行為は通用しない。私の目は誤魔化せないわよ」

 そう呟くと同時に、那月の持っていたページが淡く光り輝いた。

 那月はその様子に深い溜息を吐くと同時に、そのページの一節を指でなぞり始める。

「出て来るつもりがないなら、こちらから行かせて貰うわよ。見せてあげるわ。アンタと私との間にある覆す事の出来ない絶対的な差ってやつを!」

 そう叫ぶと、那月はその本を真直ぐと前へと突き出すのだった。


 美鶴は深く息を吸い込むと、激しく刻まれる心音を落ち着けるよう心掛ける。

 ハッタリだ。ここで動いて相手に場所を知らせる事こそ、愚の骨頂。だが、このままこの状態を続けた所でいつかは見付かってしまうだろう。

 鍵は戸棚の中。他の鍵というブラフもある。話してしまわない限り、安全な筈だ。

 問題があるとすれば、那月の持っている辞書にどう対応するか。美鶴は焦る心を落ち着け、思考するが答えは一向に出て来ない。特に那月のデバイスのポテンシャルが分からないこの状況では迂闊に動く事が返って失策になりかねないからだ。

 ここに来て、デバイスの有無が大きく差を作ってしまった。

 その時、近くにボールペンが転がっているのが目に入った。

 美鶴が先程、大急ぎで机の戸棚へ鍵を押し込めた際に、落ちてしまったのだろう。そのボールペンにある事を思い付いた美鶴は音を立てないよう、慎重にそのペンを手に取った。

 一か八かの賭けだ。

 向こうが職員室内に本当にいると思っていない場合、ここにいる事を教える事になりかねない。だが、逆に居ると思っていた場合は音がした方向へと意識が向く筈だ。その一瞬の隙に逃げる事が可能になるかも知れない。汗が美鶴の頬を伝い、床へと落ちた。

 那月の足音がゆっくりとこちらへと近付いて来る。美鶴が見付かるのも時間の問題だ。

 美鶴は心を固めるとそのペンを振り被り、奥に見えた戸棚へ向けて投げつける。

 それと同時に腰を屈め、美鶴は低姿勢のまま職員室の出口へ向かって急ぐ。音を立てた時点で終わり。それだけに尋常ではないほどの冷汗が流れ落ちる。

 焦り、動揺。自分との戦いだ。負けた時点で音を立ててしまい、那月に見つかってしまう。

 あと数歩。それで、出入り口へと辿り着く。美鶴の中で勝ったという確信が生まれ始める。

 だが、まだ危険な状態は終わってはいなかった。

「みーつけた」

 美鶴の背筋に寒気が走る。

 聞き間違える筈がない。那月の声だ。美鶴は唾を飲み込むと、ゆっくりと振り返る。

 そこにいたのはデバイスを構えた那月。美鶴にはあのデバイスが一体どのような物か理解出来ないが、恐らく詰みと言うものだろう。ここでの一戦は那月の勝ち。

 しかし、まだこの勝負そのものの敗北が決まった訳ではない。鍵を奪われる事無く、なんとかやり過ごす事が出来たなら、まだ巻き返す事は可能な筈だからだ。

 そんな美鶴の内心に気が付いたのか、那月は笑みを浮かべるとなぞっていた指を本から離す。

 那月の持っていた本の発光はそれを合図に止む。しかし、それと同時にその本の周囲に突然、鎖が出現し、真直ぐに美鶴へ目掛け襲い掛かる。

 当然、美鶴もそのまま黙って捕まるほど馬鹿ではない。横に転がり、回避しようとする。

 だが、那月がその事を予想していない筈がなく、意思を持ったかのような鎖が狡猾な蛇の動きで一気に美鶴を追い詰める。そして、その蛇は美鶴へ噛み付いた。

「なんだよ! この鎖、なんで外れないんだ!」

「力任せじゃ外せないし、美香先輩の力も頼れない。だって、没入者の創ったプログラムは没入者にしか壊せない。だから言ったでしょう。勝負する意味はないってさ」

 それは美鶴が絶対にこの拘束を破壊出来る手段を持ち合わせていないという確信を持っての那月の勝利宣言に他ならない。

 恐らく、今頃はオペレーターと何を調べていたのか探ろうと話しているのだろう。

 だが、鍵を渡す訳にはいかない。

「どこへ隠したの? 他の鍵は……それとも、最初からあれだけの鍵が無かった訳?」

 言葉をまとめると、美鶴が鍵を持っているという確信を持っていないという事だ。だからこそ、まだこの状況を打開する策が残っている。

 出来る限り、焦っている様子を演出する為に繋がれている鎖を振り回す。しかし、そんな物でこんな鎖が偶然、壊れるなどと思っていない。

 確かに強度が指定されていれば、耐久度を超えてしまえばその時点で壊れてしまう。だが、その耐久度が人間一人の力でどうにか出来るように設定されている筈がないからだ。

 那月が溜息を吐いて呆れ果てているような様子を確認すると、美鶴はワザと先程鍵を隠しておいた机の方へと視線を何度か移動させる。

「美鶴、無駄よ。デバイスすらないアンタでは私には絶対に勝てないの。高速展開の行える私の辞書に敵うような物を貴方が組めるのなら分からないけど、言っておくと今の私の展開速度は美香先輩のプログラム作成速度より早いわよ?」

 那月はそう言いながら、ゆっくりと美鶴の見ていた机の扉を開け、その中から美鶴の隠していた鍵を取り出して見せる。

 そして、それを美鶴へと見せ付けながら机へと投げ捨てた。

「こんな事で私の邪魔を出来ると思ったの? 言っておくけど十三時間以上、没入していないアンタにはまずデバイス作製は無理だから」

 つまり、那月は美鶴へ敗北を宣言しろと遠回しに突き付けているという事だ。

 だが、それを認める訳にはいかない。収穫もあった。

 辞書に登録されているプログラムは高速展開出来る。プログラムの種類とその保管領域の記憶を間違えなければ、まず後攻を取り得る事はない。

 恐らく先程、那月の言った美香ですら敵わないというのも虚言ではないのだろう。

 術式展開速度を考えるなら、作成ステップを放棄し、ツーステップで行なえる。真正面からではどう考えても美鶴には敵わない相手。

 しかし、システム上の欠点がお蔭で見えてきた。

 油断するような相手ではないが、気を抜いている瞬間を狙えば十分にそこを突ける自信。いや、確信が今の美鶴の中には芽生えていた。

「黙れよ。まだ、他の連中が諦めていないのに俺が勝手に諦めて良い筈がないだろうが!」

 美鶴は那月を睨み付ける。

 負け犬の遠吠えにしか、那月には聞こえていない筈だ。だからだろう。どこか、まだ勝負を続けなければならない事に残念そうな顔を浮かべると社会科資料室の鍵を美鶴に見せ付ける。

「残念ね。せっかく、リタイアって道を示してあげたのに……。なら、そこで試合が終わるまでじっとしてなさい。すぐにでも終わらせてあげるから」

 那月はそれだけ美鶴へ告げると、職員室から姿を消した。


 何かに引っかかる。

 例えば、鍵の件。目は口ほどに物を言うが分かり易すぎやしないだろうか?

 他にも落ち着き過ぎていた事だ。まだ、諦めていないあの目。何か策でもあるような既に次の一手へと頭を置き換えているような未来を見据えている目だ。

 それが那月の抱いた美鶴への印象であり、違和感を覚えた原因だった。

 別に確信がある訳ではない。ただ、あそこまで素直に美鶴が引いた事を考えると那月としては何か裏がある気がしてならないのだ。あの美鶴なだけに……。

「更紗先輩はどう思います? さっきの職員室での件」

 自分一人の判断では厳しい。そう結論を出した那月は更紗へ助言を求める。

 だが、白浜美鶴と言う人物像を噂程度にしか知らない更紗にその那月の言葉の意味が理解出来る筈もなく、ただ首を傾げるばかりだった。

『別に怪しい所はなかったと思うんだけど、何か気になる事でもあった?』

 更紗の目から見ても美鶴には何ら怪しい点は見えなかった。前情報を合わせると、美鶴自身の実力は危険視する程のものではないからだ。

 確かに相良達の敷いた罠の構成を見抜き、突破した事は認めなければならない。しかし、今回は突破できるような代物ではないのだ。破壊しなければ逃れられない。

 だからこそ、更紗には美鶴が何かを企んでいるとは思えなかったのだ。

 あるとするならば、美香が何か裏で工作している可能性だが、それも没入者である白浜美鶴を押さえた以上、大した意味合いはまるでない。勝負はほぼ決まったも同然だ。

 そう結論付けた更紗に対し、那月は右手人差し指で鍵を一回転させるとこう呟いた。

「別に大したことじゃありません。ただ、アイツにしては引き際が良すぎる気がするんです。だから、何か手札を隠し持ってるんじゃないかって勘繰って……」

 ここまで、美鶴は切り札らしき手札を使っていない。確かに、那月はプログラムが組めない事を知っているが、それでは開始前のあの自信に納得がいかない。

『なら、向こうが手札を切るよりも先に動くしかないわね。貴方がそう思うなら何かを隠してるんでしょうし、あの美香がここで引き下がるとは到底思えないから』

「信じてくれるんですか? 相良先輩辺りは笑って流しそうですが……」

 有り得ないと流されると思っていただけに更紗の返答は那月には少しばかり意外だった。

 所詮は可能性。ただ、長年の付き合いからの勘だ。確証のある情報ではない。むしろ、このような可能性に踊らされるという事態を避けようとする筈だと考えていた。

 しかし、更紗は那月の答えに深く頷いて相良達を横目で確認すると、微笑んでみせる。

『そうでもないわよ。相良だって、そんな油断はしない。ただ、あの美鶴君が大人し過ぎたって言うのは私も気になるわね。何の考えも無しにツッコむような真似はしない気がするから……。だって、どこかで最低一回は那月ちゃんとぶつかる事は覚悟していないとおかしいでしょう?』

 社会科資料室まであと数歩……。そこまで辿り着いた時、那月はデバイスに違和感を覚える。

 その事に大急ぎで辞書を確認すると、那月は言葉を失った。いや、失わざるを得なかった。

 何故なら先程、美鶴を拘束する際に使用した鎖のプログラムの制御式が失効しているのだ。まず、美香先輩の手ではない。それは絶対に有り得ない。

 どうやったのかは全く見当もつかないが、美鶴が何らかの手を用いてあのプログラムを破ったという事になる。信じる事が出来ないが、それが事実だった。

 それ故に、念の為に那月は更紗にゆっくりとこう尋ねた。

「相手側に何かプログラムを書き換えた動きはありましたか?」

『ないみたい。美香達は相良と激しい攻防をしてるけど……。それと、これとは関係ないだろうし、それに没入者のプログラムを壊せるのは没入者だけでしょう?』

 更紗の言う通り、那月の創ったプログラムを壊せるのは美鶴だけだ。ならば、この事態が意味する事は何らかの方法でプログラムを破壊した訳ではないという事だ。

 辞書の能力の長所は記録からの復元。それは保管していたモノの取り出す行為なのだ。

 つまり、破壊された時点で辞書からは消滅する。しかし、辞書からはまだそのプログラムが消滅してはいない。つまり、プログラム自体はまだ生きているという事になる。

 だからこそ、仕掛けた那月本人ですらも理解出来ず、思わず首を傾げているのだった。

「直接、プログラムを書き換えた? でも、美鶴が本当にそんな事を?」

 那月としては到底信じられないが、それ以外には考えられない。

 どんな手段を使ったのかは分からないが、まだ勝負は終わっていないという事なのだろう。

 そう思うと、那月の頬は自然と釣り上がっていた。奥底で何かが燃えはじめる。

『あのーー。那月ちゃん? 一人でアジタートするのはいいけど、私の事わすれてないかなー』

 更紗の言葉など那月の耳には届かない。ようやく、美鶴の本気が見られるという事に心が躍り、頭が一杯なのだ。いや、自分の事だけを見てくれている事が嬉しいのかも知れない。

「こっちも負けられない意地があるのよ。待ってなさい!」

『おーい。那月ちゃん、やる気になっているのはいいけど、程ほどにね?』

 辞書を握り締めると那月は社会科資料室の扉を勢いよく開け放つのだった。

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