第6話 あの場所に

 俺たち四人は仲良しだった。

 喧嘩こそすることはあったが、一緒に魚を取りに行き、キャッチボールをし、その後のバッティングで吹っ飛ばして無くしたボールを探す……といった感じの、田舎の極普通の少年たちよりもさらに少し活発なくらいの子供だった。

 今こそあまり見かけなくなったが、昔はタレントが未開拓の地へ未発見の生物を探しに出かけるテレビ番組が頻繁に放送されていたものだ。今なら分かる。ヤラセだったよな、あれ。

 俺たちもまんまとそれに影響され、ありあわせの装備を引っさげて頻繁に森へ向かったものだった。

 なんでもない普通の森だった。そのはずだった。

 あの時だって、すでに衛星による航空写真などがある程度発達していた時代だ。

 地元民さえ知らない泉など存在するのか、今考えれば甚だ謎で、それを発見するのは無謀に等しいことだった。

 しかし、純粋だった俺たち探検隊はそんなことは一切考えなかった。

 セミたちの声に混ざって、別の無邪気な夏の声が響く。

「おい、ちゃんと水筒持ってきたか?」

「持ってきたよ! たっぷり四リットル!」

「出たよバケツみたいなやつ。お前それ持って歩けるのかよ?」

「うう……」

「置いてけよ。泉にさえたどり着けば、綺麗な水なんかたっぷりあるんだ。今日こそ見たことのない生物見つけて、大人たちをビックリさせようぜ!」

 俺は居鶴の前でブンブンと持ってきた網を振り回し、今日の目標を再確認した。

「でも……、そんな泉が本当にあるのかなぁ?」

「あるって! 前にじいちゃんから聞いたんだ。近所の森の奥地には誰も知らない泉があって、そこに辿り着いたものはその泉の美しさのあまり気を失う……みたいな感じの、古くからの言い伝えがあるって」

「曖昧な言い伝えなのね……。『じっちゃんが言ってた!』が通用するのは、あの漫画の世界だけだと思うの……。あと、ちょっと気になる一文があった気がするけど……。でもたしかにしぶくんのおじいちゃんは嘘はつかないよね……」

 そのとき情報源である祖父は既に他界しており、俺たちはその泉についてその存在以外は何も聞かされていなかった。たとえ子供相手でも、祖父は意味のない嘘を付くような人ではなかった。そのような言い伝えがあることは本当だったのだろう。

 どのくらいの大きさなのか、そもそも近所の森というのがここなのか。何も分からないまま俺たちは森へ向かった。

 あの日は、とても暑かった。


 ……。

「……あっつ」

 目を覚ます。時刻は午前八時。曜日は土曜日。ラストスパートをかける残暑の中に俺はいた。やっぱり朝も暑いなぁ。

「飛沫ー、お姉ちゃんがテレビに出てるわよー」

 階段下から聞こえてきた母の声。

 俺はそれを脳内で、外から聞こえてくるセミの声に上書きする。

 母は俺が寝ているのか起きているのか、多分よく分かっていない。

 母の声が聞きたくなかったのではない。

 その内容が問題だった。

 その後も俺はしばらく重力を身体と垂直に受け続け、十分時間を置いてから階段を降りた。

「ふあぁ……、おはよ、母さん」

 わざとらしさを悟られないように演技力をフル動員してソファーに腰掛ける。

 そしていつも通りの自然な動作でテレビのリモコンを手に取り、俺はチャンネルを変えた。

「続いてのニュースです。湧生ゆうき市ショッピングモール建設案、地域とのわだかまりは取れるのでしょうか。前年度提出された巨大ショ……」

 視聴者への投げかけで始まったそのニューストピックを聞いて、俺はもう一度リモコンのボタンを押す。

「あそこも変わっていくわねぇ」

と母が俺の朝食を机に運びながらぼやいた。どうやらチャンネルを変える前の映像をちゃんと見ていたらしい。

「……」

 寝起きの俺は少し面倒を感じ、返事をしない。すると母は過剰な反応を示した。

「大丈夫!? まさか、また!」

「大丈夫だよ、大丈夫。本当に、もう大丈夫だから」

 母が心配したのは、俺がまたあの状態に戻ってしまってはいないか、ということだろう。

 あの日俺が「学校に行く」と言ったとき、母は泣き崩れた。良かった、良かったと何度も繰り返した。その時俺はもう二度とこんな思いをさせないと誓ったものだ。

「じゃあちゃんと返事してよ……。お母さん、心配しちゃうじゃない」

「ごめんごめん。あ、そんでさ」

「何?」

 平静を装いながらも話を切り出すタイミングを探っていた俺は、意を決して告げた。

「今日、行ってくるわ。……湧生に」

「えっ、どうしてよ?」

「居鶴たちと会って、誘われたんだよ。まあちょっとした旅行みたいな感じ」

「嘘? 居鶴くんってあの、昔良く遊んでた?」

「ああ、イギリス留学してたんだってさ、あいつ。いま同じ学年にいる」

 やはり母も居鶴のことは覚えていた。真澄の家とは違って、家族ぐるみのつながりをそれほど感じたことはそれほどない。しかし友好的な居鶴は家に上げると俺の母ともすぐに打ち解け、一対一で会話しているのを見る機会も少なくなかった。

「凄いじゃない! 飛沫が学校でひとりぼっちにならないか心配だったから、安心したわ。うん、行ってらっしゃい行ってらっしゃい。二人で行くの?」

「いや、真澄も一緒。同じクラスなんだよ」

「真澄ちゃんまでいるの!? 凄いわねぇ。それにしても……。ふふぅ~ん? 真澄ちゃんもねぇ~?」

「なんだよ」

「なんでもないよ~。それにしても、そこまでいくと何かの因果ね。友情ってのは途絶えないものなのねー。ちょっと感動」

 両の手を組んで空を仰ぐ母をよそに、俺は淡々と朝飯を食べ、出発の準備を始める。

「一泊してくる予定だから」

「そう、気をつけてね」

「ああ。母さん」

 今だ。この気持を忘れないうちに。普通が普通になる前に。心を込めて、言っておかなくてはならない気がした。

「ありがとう」

「ええと……明後日帰ってくるのよね?」

 神妙な面持ちで放ったその一言に、母は面食らったようだった。

 余計心配させてしまっただろうか。

「ちょっと、遅くなるかもしれないけど」

 ここで素直に「帰ってくるよ」と言えなかったのはなぜだろう。どうしてか俺は保険をかけてしまった。

 数日後には帰ってくる。またいつものように言葉を交わすことになるだろう。それでも、伝えなくてはいけない気がしたのだ。もぬけの殻だった半年を終えて思う。母親は、偉大だ。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 お決まりの挨拶を交わすと、俺は玄関を出て朝日を直に浴びる。今日も暑いぜっ。

 思えばこれが、本当に冒険の始まりだった。

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