もう七年も前なのか その2


「ふむ、出たのは塔の正位置。今あるものの崩壊、破綻、あるいは暴走……なんにせよ、あまり良い意味ではありませんね」

「な、なんだと!? 私は今後大きな取引を控えているのだぞ。破綻など冗談ではない!」


 ――どこかのキャラバンの、野営地にて。

フードを目深に被った怪しげな女が、これまた怪しげな札をめくり、囁くように言葉を紡ぐ。

その内容に驚愕してか、彼女の目の前に座る恰幅の良い商人が目を剥き叫んだ。そのまま卓に手をつき立ち上がると、悲鳴混じりに占いをする女へ懇願する。


「頼む……もう一回、いや、良い結果が出るまで金は払おう。もう少しマシな運命にはならないのか」

「お待ちなさい、商人さん。確かに僕はあなた方に道の先の知識を授けると言いましたが、何も道は一つではない。あなたの心がけ次第で幾らでも道は変えられる……話を聞いてからでも遅くは無いでしょう?」

「う、むう……」

「そんな顔をしないで。あなたは果物をたっぷりと乗せた馬車を出発させる前に、橋の崩落を知ることが出来たんだ。どうして不幸を嘆く必要があるのです?」

「そ、そうだな。君の言うとおりだ……」


 落ち着いた口調で絶望することは無いと説明する声を聞くと、先程まで声を荒げていたのが嘘のように商人は威厳を取り戻した。

まるで魔性――いや、まごうこと無く魔性なのだろう。彼の目の前で札を切るトロワ・ドゥ・ロアは、確かに人を誑かすのに充分な能力の持ち主なのだから。


「塔が崩落すると言うのなら、その原因は地盤にこそあるのでしょう。先の事ばかりを考えて浮ついて居ませんか? 例えば家族、部下、友人……あなたの足元にあるものを、今一度確認し直してみては」

「なるほど……確かに思い至るところはあるな。わかった、今度の街で妻に手紙でも送ってみるとするよ」

「素晴らしい。それならばきっと……太陽。日の上がるような成功が出来ることでしょう」

「おお……!」


 よくよく聞いてみれば、コイツの言うことには何の根拠も正当性もない。

だが、商人にとっては素晴らしい忠言だったようで、満足そうに笑いながら自分のでかい腹を叩く。


「いやぁ、トロワ先生は本当に素晴らしい占術師だ。さすが、魔の国直伝と言うだけの事はありますな」

「いえいえ、この札――タロットカード有ってこそですよ。僕個人の能力なんて、ちょっとした解釈を付け足すくらいしかできない」

「それが素晴らしいでは無いですか。この間などは雨や魔物の気配なんかも教えてくれた。運命が読み解けるというのは素晴らしいものですな!」

「自分の事は占えないんですけどね。師匠との取り決めで……」


 ……この時、俺がそこに居たら「誰だお前!?」とでも叫び声を上げていたかもしれないな。

まぁそのくらい、ちょっと影のある占術師としてトロワの演技は堂に入っていた。後々ちょっと見せて貰ったが、黙ってる時のミステリアスな雰囲気がいい具合にマッチしてるわけだ。

いつもの調子で喋り出すとあっという間に霧散するんだがな。少なくとも、ここじゃボロを出してなかったようだ。


「トロワ! トロワ・ドゥ・ロア!」


 静謐な夜の空気を切り裂いて、少女の呼び声が森の中で響いた。

煤けたローブはあちこちが焼け焦げ、所々から肌が覗く。

トロワの纏っていた怪しげな雰囲気が僅かに和らぎ、兎にも角にも肌を出したままで居させるのはマズいと思ったのだろう――ゆっくりとした動作で立ち上がると、少女……デュオーティを荷馬車の影に引き込んだ。


「なになに、何が有ったんだいデュティ? すごい剣幕で、おまけにボロボロでさ。とりあえず、その刺激的な格好はなんとかするべきだと思うけど」

「うるっさいわね……あなた、また怪しげな商売しているの?」

「怪しくなんか無いよ? 魔族領発祥の、霊験あらたかな占術さ。古来よりまじないの類は魔族の得意分野だ。本場ゆかりと言っておけば、多少胡散臭くても信じる人がガッポガッポ……」

「まったく、よくもまぁ懲りないわね……なんて読むのコレは」


 トロワが手元でシャッフルする中から1枚抜き、デュティは目を細めてそれを睨みつけた。

札にはそれなりに精緻な絵柄と共に、魔族のものだろうか、デュティの知らぬ何らかの文字が書かれている。


「ああ、そりゃ逆さまだ」

「む」

「『世界』。意味は完全、成功、達成……だがそのカードは方向も結構重要でね。向きによっては、全く別の意味になったりするんだ。逆位置なら……堕落や失敗、未完成かな」

「……へー、結構当たってるじゃないの。憎たらしい」


 自嘲的な笑みを一つ漏らし、デュティは興味を失ったように札を指で弾いた。

あの何があろうと高笑いを続けていた少女とは思えないほど、雰囲気は荒み、口調はやさぐれている。


「負けちゃったのかい? 彼ら、最近ここらに着てるようだしね」

「うるさい。アンタのよこしたチートが使えないのが悪いのよ。ちょっとした簒奪ができるだけで、モンスターどころか野生動物すらすぐに殺せないし、身体能力も上がらない! 【銀麗マーキュリー】の方が余程使いやすかったわ!」


 トロワが漏らした一言はどうやら図星だったようで、デュティはぐずる子供のように地団駄を踏んだ。

黒刃鐚怨エンチャントジンコート】。デュティが「肯定された」新たな能力で、恨みを糧に相手の生命力を吸い取るらしい……と、まぁ後に【設定辞書データブック】の奴から聞くんだが。

チートを複数持つ奴は血族の歴史の中にも初代勇者タダヒト以外に存在してないが、持って生まれたチートを変質させ、各世代の設定担当に新しい名前を記録させた奴ならゼロではない。

しかしまぁ概ねそれは成長と共に行われるもので、やはりデュティの様な例は前代未聞なのだが……それを俺がちゃんと認識するのは、もう少し後と言うわけだ。


「仕方ないさ。まだまだ、新しい力を使いこなせているとは言いがたいのだろう?」

「……そうだけど。あなたがワタシの憎悪を自覚させたんじゃない。ちゃんと責任取りなさいよ……こんなんじゃもう、勇者になんて戻れないんだから」


 ――くてん、と。馬車の幌に押し付けたトロワの胸に頭を乗せ、デュティは小さな声で呟く。


「……アイツが憎い。アンフィナーゼが憎いわ、トロワ。アイツがいつもワタシの居場所を奪っていくんだ。アイツがいつも……」

「そうだね。でもそれはおかしな事じゃないよ、デュティ。人は誰かを憎む生き物だ。たとえそれが、勇者だったとしてもね」


 全身を抱くトロワの安らぎに甘えるように、デュティはその小柄な身体を擦りつけた。

頭を優しくなでられると、なんだか蕩けるようで顔が赤らむ。第三者の目があれば、そういう関係だと邪推されてもおかしくなかっただろう。


「君たちのエンチャントは心の力。だから、バレないように使ってるんじゃあ、バレない程度の力しか出ない。心は、ちゃんと声にしないと」

「……声に」

「今回は偶発的な遭遇だったから、つい正体を隠してしまったんだろ? それじゃあ駄目だ。怨恨というのは、呪いというのは、ちゃんと相手にも知ってもらわなきゃあ」


 そうすることで、デュティの【鐚怨ジンコート】は勢いを増すだろうとトロワが囁く。

高飛車なお嬢様の仮面の奥で、燻らせ続けていた妬みの炎だ。外気に触れれば、どれほど強く燃え上がることか。


「……ねぇトロワ。ワタシ、強くなれるのよね」

「勿論! きっとできるさ。なんせ君は、僕が見込んだ原石なのだから」

「うん、がんばる……だから、ワタシを見ていてちょうだいね。アナタがワタシを受け入れてくれたんだから、責任持って見続けるのよ」


 その言葉は、酷く依存しているようで。単なる、子供の嘆きのようでもあった。

濡れ羽のように滑らかな黒髪を指で梳かし、魔王は着実に竜の子を誑し込む。



「あぁ勿論……最後まで見届けるさ、僕の主人公」



 蛹が美しく羽化するその日まで、まあるく笑う。






 □■□






 結局アニーゼが言った通り、数日たっても新たに動物の怪死体が発見されることは無かった。


 前日、何処から届いた手紙を見て、アニーゼの顔が蕩けるように歪んでいた。

冗談めいて「恋文でも届いたのか?」と笑ってやったら、「そうですね」とだけ答えて笑顔だったので追求できなかった。

その日、俺達は珍しくアニーゼに急かされるように宿を出た。

その後アニーゼの指示で、人の手が入った様子も無い、何もない丘に向かう坂を無理矢理走らされた。

ちなみにこの時点で、俺は嫌な予感がビンビンしていた。


 そして今。


「オイオイオイ……オイオイオイオイッ!」


 黒と金の爆撃が雨あられのように降り注ぐ中、俺は必死に二輪車を操縦して逃げまわっている。

黒い方の弾がやや前方に着弾して、青々と茂っていた野草が一瞬で枯れ果てていく。何かしらのエネルギーを、強烈に奪い取られているのだ。


「アンッ、フィナーゼェェェッ!!」

「ふふっ……おじ様ごめんなさい! すぐに抑えこむの、ちょっと無理そうです!」


 咆哮のごとく、心すら震わせる恐ろしい声で、竜の少女は猛り叫ぶ。

今はフードを外している以外、森で遭遇した時の格好と一緒だ。諸君には今更かも知れないが、当時の俺には結構衝撃的だった。


 ――アイサダ・デルフィニィ・デュオーティが、憎しみに飲まれ堕ちている。


 ありえない話ではない。百年の歴史の中で、確執の末にチートを以って己の家族に弓を引いたものが、居なかったわけではない。

「血族」は、決して、聖者だけが集う家系ではないのだ。自由、金銭、名誉、異性。そういったことで問題が起きなかったとは、口が裂けても言えないだろう。俺も何度か見た覚えがある。

だが――このような言い方は、誤解を招くかも知れないが――それは、後になって考えてみれば、「起こるべくして起きた」ような事件が多々であった。


 実際、精神に作用するチートの持ち主も居ないわけじゃない。

少々の怒りや悲しみなら、一撫でするだけで無くしてやれる【神之御手ゴッドハンド】なんてのはその代表格だろう。

ぶっちゃけ"なでポ"とやらの変形じゃねーのと思わなくも無いが……要はそういったケアがあってなお、顕在化する程度には根が深い問題でなきゃならんわけだ。


 では、デュオーティと言う少女はどうだったろうか。

確かに彼女は、アニーゼのことを敵視していた。〈天空街〉に居た頃からしょっちゅうアニーゼに突っかかっては、敗北を喫せられる存在だったらしい。

だが、それ以外の点においては概ね潔白。やや自尊心が高すぎるきらいがあるが、面倒見は良く、太刀筋も美しく……何より、気高かかった。

高貴なる者の務めノブレス・オブリージュが骨の髄まで染み込んでいる、そう思わせるような少女であり。



「アナタに……! アナタが憎いのよ。アナタが嫌いなのよ。アナタさえ居なければ――アンフィナーゼ!」


 少なくとも、悪鬼の形相でこのような事を叫ぶ人物では無かったはずだ。



「嬉しい言葉ですね。そう思われることこそ、私が勇者である価値なんですから」

「お嬢! お前も何煽ってんだ!」

「だって、この間とは手応えが全然違うんですもの! もっと行けると思うじゃないですか!」

「余裕があって羨ましいね、こんちくしょう!」


 こっちはすげえ必死なんだぞ。なんせ今の俺は、怪獣大決戦に一人巻き込まれちまったようなもんである。

勇者候補の筆頭と次席に挟まれりゃ、【十中八駆ベタートリガー】なんてちゃっちいチート何の役にも立ちはしない。

直径3メートルくらいあるビームを銀球1つでどう防げってんだ。片方変質しちゃ居るが、大袈裟でもなんでもなく奴らは山一つぶち壊せる戦力なのである。


「心がはずめばはずむ程、私は強くなれるから――"苦戦"は貴重な機会なんですよ。【光刃貴剣エンチャントノーヴル】!」


 その、当代最強のチートを、惜しむことなくアニーゼは自らの剣に注ぎ込んだ。

金色の剣風が舞い、こちらに喰らいつこうと吐き出される黒球の幾つかを切り飛ばす。

踵が纏う【光刃】が周囲の空を"強い空気"に変えて、それを蹴り飛ばす事で羽のようなエフェクトが生まれる。空中戦。


「その輝き……! 分かってきた、分かってきたわ。それは私が持つべきだったんだ。それならこんなに、アナタを憎まずに済んだのに。アナタを羨ましがらずに済んだのにッ!」


 かたや、いつも自慢気にかざしていた銀色の羽が、今は影の炎に侵食されていた。

デュオーティの暗紫の瞳はより昏く輝き、一分一秒ごとにアイツの黒い力は増していくようで。

いや、実際に使いこなし始めているのだろう。声に出して憎しみを晒すことで、より強く燃え上がらせている。


「【黒刃鐚怨ジンコォォォー――ト】ッ! 奪い取れぇぇー――!!」


 次に現れたのは、泥溜まりのような影で出来た大口であった。

目も鼻も無く、ただ牙だけが有る口腔のイメージが、アニーゼの放った金色を喰らい尽くし、飲み干していく。

エネルギーを取り込んだことで、デュティの纏うオーラが一段と勢いを増した。ああ、ここまで来ればわざわざ【設定辞書】に引いて貰わなくても推測はできる。

黒刃鐚怨エンチャントジンコート】。おそらく触れたものから何かしらを奪い取る、簒奪のエンチャントだろう――


 ――そしてアレはきっと、特に「輝きエネルギー」を奪うことに特化している。


「……あ、ぐ」


 相性差で言えば、それは絶望的だ。

アンフィナーゼを殺すためだけのメタと言っても良い。自分のことだけを考えているような能力。

それを見て……アニーゼはなんとも筆舌に尽くし難い、熱っぽく嬉しそうな声をあげた。


「あはは――あぁ、とても素敵ですよ、ディーちゃん。そんなにも、私を想ってくれてありがとうございます。『ドキドキが溢れてくる』って、きっとこういう事を言うんですね……」


 いや、実際に喜んでいるのだろう。ここからでも、パタパタと揺れる尻尾が見える。

心を奮わせているのだ。負けぬ為に、そして最強たる為に。

向けられている憎悪も、殺意も、ピンチである事も、俺を巻き込んでる事も、景色も、声も、その空間にある物全てを使って。

己が金色エンチャントノーヴルにする為に――骨の髄までしゃぶり尽くすのが、アイサダ・ネフライテ・アンフィナーゼという存在だから。


「まぁ――それでも負けないから、『勇者』なんですけどッ!」


 その、金と黒の輝きのどちらがより貪欲かなど、俺に答えを求めないで欲しい。

馬鹿げてるって? そりゃそうだ。黒いオーラが肥大化すれば、その分金の光刃も大きくなる。勢いを増した金色を喰らい、黒いのはいっそう力を増す。

傍目から見ても、ふざけた永久機関の完成だった。実際にはどこかで破綻するのだろうが、それをどうにかする手段なんて俺が持っている筈も無し。


(ああ、何も変わっちゃいない)


 魔導二輪でひたすらその場から逃げながら、俺はなんとなく7年前を思い返していた。

俺が地上に降りる前、最後に遊んだ日。急にニコニコと笑うようになった「泣き虫アニーゼ」に、俺達チンピラコンビがギッタンギッタンにのされた日だ。

既にチートを発現しちゃ居たが、アニーゼが涙を見せなくなったのはあの日からだろう。

どんな状況に置かれようと、心を奮わせ続けることでそれを打破するようになった。

『化け物』とタグを付けられただけの単なる女の子が、完全なる『勇者(バケモノ)の少女』として芽吹いた日、なのだが。


(何も変わっちゃいない……!)


 大婆様はそれを、見事な大樹に育て上げてくれたらしい。

お互い、女神のケツなめもいい所だ。俺ぁやっぱり、アイツに恨まれてると思ったほうが納得が行く。

そう考えた時、足元の地面がなんか爆ぜて後輪が浮いた。


「やっべ……!?」


 原因は黒か金か。あるいは、単なる不注意による事故か。

そんなもん、俺にとっちゃこの際どうでも良い。大事なのは俺はこの速度で事故ったら普通に死ぬと言うことであり、なんか走馬灯っぽく一瞬一瞬がやたらスローモーに眺められることだ。

上手く働くかは知らんが、せめてどうにかなれと【十中八駆】を願いながら『車体を投げる』。

九死に一生が一死に四生になるなら、だいぶ分の良い賭けなんじゃないかと思いつつ、その意識をブラックアウトさせた。

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