ファイブ・ヘッド、パンプキン・ナイト その3


『さぁ、それではー……いよいよ五頭龍祭、スタートでぇす!』


 やや窄まった視界の向こう側、司会進行役と思しきねーちゃんが高らかに声を張り上げ、選手の一人が早速パイを投げようと振りかぶる。

それは翠色の髪を伸ばした少女が間近に現れ、パァンと嫌な感触が顔面で弾けるのと同じ瞬間であった。


「……へっ?」

「お借りしますね」


 呆気に取られる暇もなく。少女のたおやかな指がするりと彼が構えていたパイを奪っていったことに気付くのは、次の人間が彼と同じように脱落してからである。


「ん、んなっ!」


 べっとりとかぼちゃペーストのこびりついた顔を驚愕に染め、また別の男が叫びを上げた。

少女――アニーゼがやってる事は単純だ。パイを投げ、それを追いかけるように走る。当たったらそいつの分のパイを奪い、次の相手に向かって投げつける。

選手たちはそれぞれ10歩づつくらい離れているが、それはアニーゼに取って何の障害にもなるはずがない。

投げる、走る、奪う。投げる、走る、奪う。その一動作ごとのつなぎは、アイツの動きを見慣れてる俺が岡目八目で見てるからこそ辛うじて分かるのだ。

初見で、それも全くの意識の外から知覚しろと、ただの人間に要求するのは酷だろう。


「ひぃぃッ!」


 だから、10人目が咄嗟に頭を下げてかわす事が出来たのは、偶然と幸運が重なった結果だ。

それも自分の分のパイを投げ捨てて、とにかく頭部を守ることだけに集中しようやくの事である。


「あら、外しちゃいました」


 このスタート地点にいる20人くらいであれば、同じ手段で全滅させられると考えていたのだろう。

アニーゼは僅かに唇を尖らせて、気付かれない程度に尻尾を下げる。

ここまでで5秒。投げ捨てられたパイが地面に落ちる前にキャッチし、少女は竦み上がった獲物にパイを叩きつけた。


「おじ様のようには出来ないですね。ここからどうしましょうか」


 一瞬の出来事に目を白黒させていた他の選手たちも、そろそろ正気を取り戻すころだろう。

指に付いた脂を、ペロリとなめとる。幾らアニーゼと言えど、ルール上手元にパイが無ければ反撃することも出来ない。

場内には細かく補給地点が用意されており、そこを巡る攻防が五頭龍祭の一つの目玉でもあるそう、だが。




「……ま、やっぱ格がちげえよなあ」


 オペラグラスから目を離し、それ以上先を見る気を無くした俺はため息混じりに呟いた。

嘯いた通りになって、ちょっと安心したのはここだけの秘密である。たまに人類の突然変異かと思うくらいその道に特化した達人が混じってたりするんだよ。


「見終わったなら返せ! 僕の持ち物だぞ」

「あぁ、はいはい。悪かったよ」


 しかし幾ら俺が(勝手に)拝借したからとはいえ、体を押し付けてでも手を伸ばしてくるのはどうかと思うぞ、トロワ。

おかげで豊満な色々な所の肉が俺の身体にジャストフィットだ。どうやら本当に意識してないらしく、色気でくたばっちまうことは無かったが。

しかしなぁ、曇りも歪みも無いガラスに銀をふんだんに使ったオペラグラスって、高いもんだろうに。

トロワの奴、本当に儲かってるんだな。以前タカっていった分の金返せちくしょうめ。


「しかし、こんなもんどこに売ってたんだ?」

「何言ってるんだい、観劇と言えばオペラグラスだろ? 真っ先に買ったさ」


 それはそれは、セレブリティな趣味ですこと。おーおー、スタート地点に残った半分の奴らも中々頑張ってやがる。

「あの娘はヤバい」という認識で一致団結できたのか、どうにか逃げまわりながら挟み撃ちに出来るよう立ちまわってるようだ。

……だが結局、脱落させるためにはアニーゼに向かってパイを投げなきゃいけない時点で詰んでんだよな。

わざわざ自分を射抜くための矢弾を相手にプレゼントしてるようなもんだぜ、そんなん。


『か、開始30秒にしてB地点の竜が決定しました! 早い! 早過ぎるぞアニーゼ・ネフライテ! 少女は牙を隠していた! 通りを悠々と歩き、今、中央に向かうーッ!』


 ステージ上のねーちゃんは、今もどうにか実況を続けている。呆気に取られながらも、そこはプロの仕事だな。

一分にも満たない早業だ。何が起こったか分からないというのはあるだろう。そもそも、B地点を見てすらいなかった者も居たかもしれない。

しかしまぁ、それにしたって場内は静まり返っていた。戸惑い気味が声がポツポツと上がる程度で、誰もが反応に困っていることが伺える。

度肝を抜かれたか。あるいは、自分があの嵐の前に立つことを想像したか。会場の空気は沈み、歓声も聞こえてこない。


「……なるほど……あれが四世勇者、その筆頭ね」

「意味深に呟くのは良いが、お前その後の台詞ちゃんと考えてるか?」

「ククク……ちょっと言ってみたかっただけ。でも、デュティちゃんも負けてないよ?」


 その静けさたるや、人のひしめき合う観客席にも関わらず隣人のつぶやき声が聞こえるほどだ。

犠牲者諸君に関しては、まぁ、仕方ないと諦めてもらおう。お嬢と同じスタートになった時点で、運が悪かったと思うしかない。

あれでも、一応【光刃貴剣エンチャントノーヴル】は縛っているんだがね。お屋敷一つを両断できるあれを、まさか町中でぶっ放す訳にも行かんしな。


 しかし、あいつの姿を見てよりいっそう士気を上げる者も居る。

濡羽色の髪と銀の翼をはためかせ、飛び交うパイを眼下に見下ろしながら、デュティはアニーゼの所業を鼻で笑った。


「『おあずけ』がなってないわね、アンフィーナーゼ……エンタテイメントってものがわかっちゃいない」


 退屈そうに呟くデュティには、己が貴人であると言う自負があるのだろう。

先に待つアニーゼとの決戦は楽しみではあるが、それはそれとしてこれはハムサタウンの住人によるお祭りなのだ。

そこを忘れて勝利にがっつくのは、優雅とは言えない。まぁ、大方そんな考えだろうか。


「とはいえ、見てるだけと言うのも退屈ね……ほら聞きなさい、下々の者ども!」


 器用に指先で回していたパイ皿を掴みなおし、腰掛けていた塀の上に改めて起立する。

スタートして2分、特に動いていないにも関わらず、未だデュティに向かうパイの弾は無い。

それは彼女のネームバリューによるものか、あるいは身体に交じる竜の血が人間に自然と畏れ多く思わせるのか。

どちらにしろ、酷く退屈には違いない。


「何のゴホウビも無しに、『竜姫』と相対しようなんて気にはならないのでしょう? もし、ワタシにパイを当てることが出来る猛者が居たなら、傅いて口付けをする権利をあげるわ!」

「「おーッ!」」


 挑発的な宣言に、その場の男たちがにわかに盛り上がる。

それにしても、あの【白刃銀麗エンチャントマーキュリー】にしちゃ随分身体をはった事を言うもんだ。

以前ははしたないとかなんとか言っていた癖に、これもトロワと交じり合った影響だろうか。


『おーっと、竜姫様これはまさかのキス宣言! この栄光を掴むのは一体誰になるのか? あ、もちろん祀男、祀女の称号も大切ですんでそっちも忘れずにお願いします!』


 実況のおねーさんが状況を読み上げたことで、観客席のこちら側でも一気に歓声が上がった。

なるほど、大した人気である。それもこれも隣の次代魔王が用意したもんだってのが、ちょっと怖いがね。


「……お前さぁ、一応ウチの第二位に何吹き込んでんだよ」

「ふふ、ひーみつ!」


 殴ったろうか。

もっとも、デュティの方もそう簡単に褒美を与えてやるつもりも無いらしい。

やっと飛んできたパイ弾をヒョイと避け、かぼちゃ味の分厚いキスを次々と男たちの顔に叩き込んでいく。


「さあさあ、他に我こそはと言う益荒男は居ないのかしら!?」

「益荒男て」


 偶に思うが、あいつの偶に妙に古めかしい言葉遣いするよな。いったいどこで覚えたんだろうか。

とりま、これならアニーゼとやりあう前に脱落なんて情けない結果にはならなさそうだと安心していると、唐突に見知らぬおっさんがでっぷりとした腹肉を揺らし、こちらへ駆け寄ってきた。


「おお! これはこれはトロワ様。こんな所で奇遇ですな」

「……なんだ?」

「あぁ、ラモール商会の人か。気にしないでアジンド、僕の知り合いだ」


 そうなのか。いや、別にこいつが誰と付き合ってようが知ったこっちゃ無いんだがね。

ラモール商会といやぁ、"血族"が供与した印刷技術なんかを一手に纏め上げて運用してるっつー、やり手のとこだったはず。

このおっさんのことは知らんけど、そっちなら俺でも知ってるよ。それに様付けで呼ばれるたぁ、ほんとに何やってんだコイツ?


「つきましては、少々ご相談したいことが有るのですが……」

「おいおい、それはどうしても今じゃなきゃダメなのかい。今日は我らが姫の晴れ舞台なんだよ?」

「いやはや、それもそうですな。ではまた後ほどお伺いさせて頂きます」


 おっさんの方も本気で手を煩わせる気は無かったらしい。

一言二言交わしただけで、また腹を揺らしてあっさり引き下がっていった。

やれやれ全く空気が読めないな、と愚痴りながら会場に向き直ったトロワが思い出したように手を叩く。


「しまった。どうせなら君にも挨拶させれば良かったかな」

「俺がか? 勘弁してくれ。男の癖に甘い香水付けやがって、鼻が曲がるかと思った」

「おいおい、本気で大儲けしたいならああいうのとも付き合っていかないとやって行けないぞ?」

「……やっぱ泥臭くやってる方が性にあってる」


 俺はこう、濡れ手に粟とか棚から牡丹餅が好きなのであってだ。

あんなおっさん共と仲良くやって、必死におこぼれを貰うような儲けはノーサンキューなんだよ。


「まー、お前らがやたら羽振りの良い理由は分かった。ったく、ちょっと前まで飢え死にしかけてたくせに、どこでそんなコネ手に入れたんだか」

「ん? 羨ましい? 羨ましいかい? ま、デュティの元々の働きと、後は色々さ。ほらなんたって僕、美しいし」

「息をしてなけりゃな」


 言うなら「口を開かなきゃな」なんだろうが、こいつジェスチャーだけでも充分うざったいしな。

声を出さずにブーイングの意思を見せるトロワを無視している内に、またワッと観客席から歓声が上がった。

どうやらデュティの奴も順当に勝ち上がりを決めたらしい。動き始めてから5分もかかってないな。

もちろんそれだって、及第点以上に早いタイムなのだろうが。


「『アンフィナーゼと比べるのは酷だな~』とか、思ってそうだね」

「……そりゃ、な。いや実際、弱いわけが無えよ? 【次席】なんだぜ?」


 30人弱居る同年代の中で、1、2を争う資質の持ち主だぞ。

生々しい話だが、アニーゼに万が一があった時の代わりでもあるし、そりゃあ強くなきゃ務まらない。

……実際、勇者の二世三世と張り合っても遜色無いだけのチートは持ってる筈だ。三席、四席まで見ても申し分なく、「今世は黄金世代だ」なんて声もあるほどである。


 だがそれだけの能力でも、【四世筆頭アンフィナーゼ】と比べたら格が落ちるのが血族全体の見解でもあった。


「プライドが高く、能力が高く、だが決して胡座をかく事はなく努力家で。ほんと、頑張ってるとは思うんだけどなぁ……」

「意外だね。君はもう少しデュティを……馬鹿にしてると言うと語弊があるが、嘲っているのかと思った」

「いやほら、それはそれとしてからかうとリアクションが面白いから。ま、努力してるってだけならお嬢も一緒だがね。基本、ウチじゃ才能を腐らせるような真似はさせてくれねーよ」


 そんな贅沢させられるほど余裕がある訳でも無いのが実情だ。

町が空を飛んでいると言えば格好良いが、その上でだって人は飯を食って水を飲んでる。

そりゃもう色んな不都合がある訳で、「開拓・振興の為の派遣」名目で口減らしだってするさ。同じ家の血を煮詰めてばっかいる訳にも行かねーしな。


「……大婆様曰く。デュティに足りないものって、なんだと思う」

「それは勇者としてかい? 僕、そっちには詳しくないけど」

「『絶望感』――世の中であいつだけは敵に回したくねぇって思わせる感覚だとよ。あぁそうさ。だから勇者は、苦境の中で頼もしく見えるし……だから排斥されるんだ。戦いが終わった世の中からな」


 アニーゼは。そんな大婆様の薫陶を、とても素直に受け入れている。


「生まれた順番が違えば、もーちょい良い友人になれてたかも知れんがね」


 デュオーティに不幸があるとすれば、後からアンフィナーゼという化け物が生まれた、その一点だろうか。

しかし、過去改変能力など勇者のチートにだって有りはしないのだ。

バレルで買った揚げとうもろこしを頬張り、俺は会場中央で相打つ竜と獣の影を追った。






 □■□






「ワクワクしますね、ディーちゃん。私、なんだか嬉しくなって来ちゃいました」


 会場中央に、未だ二人以外の人影は無い。

大勢の観客が息を呑んで見守る中、ひときわ大きな「ご神体」の像を挟み、アニーゼとデュティは向かい合っていた。

普段、憩いの場として使われるだろう広場に、今日だけは大量のパイが布の上に敷かれて置いてある。見慣れぬ俺からすれば、異様な光景だった。


「ふん、好きなだけ楽しめば良いわ。大勢の観客の前での、惨めな敗北となるけどね」

「……? それって、楽しい物なんですか?」

「皮肉よ、もう! 不思議そうな顔をしないで!」


 二人の顔をよく見れば、そこに浮かぶ表情は正反対。

デュティは怒気を溢れさせながらもどこか緊張が滲み、柔く微笑むアニーゼは、しかし眼光の奥で期待と喜びが燃え上がるようであった。

ペースに呑まれる訳には行かないと気張っているのだろう。デュティはあえて目の前の少女を指差し、鼻で笑い飛ばす。


「それに何? あの戦ぶりは。相変わらず、空気の一つも読めはしないのね」

「い、いつもはもうちょっとマシですもん……あれはその、誰かが待ってると思ったらちょっと気がはやっちゃって。楽しみにしてたんですよ? いつかこう、ちょっと拗らせたディーちゃんが闇討ちしかけてきてくれないかなーとか」

「あんたワタシをなんだと思ってんの!?」


 デュティには冗談ですよと笑いかけてるが、月の無い夜にどことなくウキウキしていた事を俺は知っている。

まぁ、尻尾を逆立て怒る「龍人」のお嬢様にとっては、知ってたからなんだという話だろうが。


「……やらないんですか?」

「やらないわよ! この、誇り高き翼に賭けてッ!」


 至極残念そうに首を傾げるしな、この勇者筆頭。こいつちょっと、ニホンのサブカルとやらに悪い意味で毒されてないか?

まーいいか。被害を受けるのは俺じゃない。揚げとうもろこしの袋に向け、虫のようにはい寄ってくるトロワの手を引っ叩きながら、俺は嘆息した。


 実のとこ、俺はあんまりマンガとかの話には詳しく無いのだ。

さしものアニーゼも、元ネタが分からん奴に対してネタを振りまくるようなことはしない。

設定辞書データブック】あたりと混ぜると変な化学反応起こしそうで怖いけどね。

アイツは世の中のあらゆるデータを書き出すのが仕事のはずなんだが、それ以上に読書フリークで、それに何より俺に対する性格が悪い。


 俺とトロワが袋の上で熾烈な取り合いを繰り広げている内に、あちらもそれぞれにパイを構えた。

彼我の距離はおよそ10メートル。こっちの単位じゃおよそ30フーロうねか? 馴染みが無いんだよな、この単位。


「あ……そうだ、最後に一つ」

「なによ。何を言った所で、いまさら容赦はしないんだからね」


 張り詰めた弦が今にも弾かれようとした矢先、尻尾を振りながら笑顔を咲かすアニーゼが、デュオーティを見据えた。


「楽しみだったのは本当ですよ。ほら私、『誰かに立ち向かって貰える』のって結構久しぶりですから」

「……その上から目線ごと、塗りつぶしてあげるわッ!」


 そして、互いにかぼちゃ色の弾丸が飛んだ。

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