ネコミミ、艶やか

ネコミミ、艶やか


 


 遥か昔、人類は猫耳が生えるキャットイヤーウイルスにより、滅亡しかけた。長い研究のすえ、ワクチンを作り出した人類はキャットイヤーウイルスとの共生に成功する。

 それからというもの、ワクチンを摂取する人類の頭部にはネコミミ――キャットイヤーウイルスに感染してできる猫の耳に似た器官が――が生えるようになる。

 今や艶やかなネコミミは可愛い女の子のシンボルだ。可愛い女の子はみんな艶々とした美しいネコミミを持っている。

 それなのに、チャコの頭に生える茶トラ柄のネコミミは今日もパサパサしていた。

「どうして……」

 ネコミミ用ブラシでネコミミを丹念に梳かしながら、チャコは呻く。鏡に映る茶トラのネコミミは少しも艶々しておらず、枝毛が目立つ。

 毎日丹念にネコミミ用のシャンプーで洗っているし、リンスも欠かさない。今使っているネコミミ用ブラシだって、貯金を叩いて買った最高級のものだ。

「頑張ってるのに……」

 くりくりとしたチャコの眼に涙が滲む。ガシガシとブラシでネコミミを梳かしても、枝毛がみょんと立ち上がってくる。

「姉ちゃん、顔洗えない……。邪魔……」

 そんなチャコに、冷たく声をかける者があった。

 チャコはツインテールをゆらし、後方へと振り向く。双子の弟であるハイが、眠たそうな三白眼をチャコに向けていた。

 自分より小柄な弟の頭部には、鯖トラ柄のネコミミが生えている。朝日を受けて、ハイのネコミミは白い光沢を放っていた。

「どうして……」

 自分とは違い、艶々とした弟のネコミミをチャコは凝視する。血を分けた姉弟。使っているネコミミ用シャンプーもリンスも同じものなのに、どうしてこうも違いが出るのだろうか。

 チャコは大股でハイに近づき、艶々な鯖トラ柄ネコミミを両手で掴んでいた。わしゃわしゃとチャコはハイのネコミミを揉みほぐす。

「おぅ?」

「相変わらず、気持いい……」

 ハイのネコミミは毛布のように柔らかかった。最高のネコミミは手触りも一級品だ。

 美しいネコミミであればあるほど、人々はそのネコミミに惹かれ、ネコミミに触れようとするものだ。

 ハイのネコミミは、まさしく魔性のネコミミといってよかった。

 しかも、ハイは男の子だ。

「私、弟にすら負けてる……」

 ハイのネコミミから手を放し、チャコはがくりと床に座り込んだ。親友のハルも、毛先がくるんと丸まった愛らしい白ネコミミを持っている。触り心地だってタンポポの綿毛みたいに柔らかい。

 それに比べて、自分は――

 みょみょんと、ぱさついたネコミミの毛が跳ねる。

「あぁーー!!」

 チャコは悲鳴をあげ、洗面台の鏡を覗き込んだ。しっかりとブラッシングしたはずのネコミミの毛がいくつか跳ねていた。

「どうして、私ばっかりー!!」

 がしがしとネコミミを掻きながら、チャコは泣いていた。そんなチャコの肩をポンッとハイが叩く。

「ハイ……」

「元気が……1番。なぐさめる……」

 ハイがひしっとチャコに抱きついてくる。弟の健気な励ましに、チャコは再び泣きそうになっていた。

「うぅー、お姉ちゃんはハイみたいな弟を持って幸せだよぉ……」

 がしっとチャコはハイを抱きしめ、柔らかな頬に頬擦りをした。

「ウザイ……」

「はぅ!!」

 そんなチャコの頬を、ハイは容赦なくネコミミで叩く。チャコはうめき声をあげながら、床に手をついていた。

「うぅ、ひどいよ。ひどいよ、ハイ……」

「そんなに艶々なネコミミが欲しければ……ボクより、艶々なヤツに訊けばいい……。きっと彼は、美しいネコミミの秘密を知っている……」

 涙を流すチャコに、ハイは静かに告げる。

「美しいネコミミの、秘密?」

「そう、彼とその義姉は……島で1番美しいネコミミを持っている……。きっと、何か秘密がある……。彼を探るんだ……姉ちゃん……」

 さぁっと両手を広げ、ハイは天井を見上げる。彼の三白眼は、美しい煌きを宿していた。眩しい朝陽が、ハイのネコミミを神々しく照らしている。

「ネコミミの秘密……」

 ごくりと唾を飲み込み、チャコは艶々と輝く弟のネコミミを見上げていた。







「だからって、何で俺を罠で捕まえる必要があるんだよっ!?」

 少年が叫ぶ。

 灰色のネコミミを持つ彼は網の中に捕らわれ、桜の木に吊るされていた。

「ふふ、観念するのよ。ソウちゃん……」

 木に登るチャコは、網の中に手をいれ少年ソウタの灰色のネコミミを弄んでみせる。チャコがソウタのネコミミに触れるたび、ネコミミについた鈴がちりちりと音を奏でた。

 チャコの友達であるソウタは、この常若島で最高のネコミミを持つ少年だ。つねに彼のネコミミは青灰色に艶めき、その手触りは絹のように心地いい。

 ソウタの義姉であるミミコも、黒い光沢を放つ見事なネコミミを持っている。彼ら義姉弟は、美しいネコミミの秘密を知っているに違いないのだ。

 その秘密を、暴く!!

「ハイっ!」

「うー……」

 チャコは木の下にいるハイに声をかける。ハイはぴょんとネコミミを立ち上げ、手に持ったカバンを掲げてみせた。カバンは、ソウタのものだ。

「ちょ、何するんだよっ」

「探索……ネコミミの秘密……調べる……」

 叫ぶソウタを無視して、ハイはソウタのカバンを開け中身を取り出していく。

「色鉛筆……筆箱……パレット……ビートルズの、レコード……」

「いちいちカバンの中身言わなくていいから! と言うかさ、何で俺の鞄調べて、ネコミミの秘密が分かるんだよっ!?」

「スケッチ……ブック……」

「ちょ、それは!!」

 ハイがカバンからスケッチブックを取り出す。ソウタは慌てた様子で手をスケッチブックに伸ばしていた。だが、その手がスケッチブックに届くことはない。

「怪しい……。ハイ、調べるのよ!!」

「イエッ……サ」

 そのスケッチブックに、美しいネコミミの秘密が書かれているに違いない。

 そう確信し、チャコはハイに叫んでいた。ハイはネコミミを折り曲げ、チャコに応える。

「うぅーー!!」

 スケッチブックを開けたとたん、ハイは叫び声をあげ両手で顔を覆ってしまった。

「どうしたの、ハイ!!」

「うぅ……うぅ」

 ぴょこぴょこっとネコミミを動かし、ハイは地面に落としたスケッチブックを指し示す。

「ソウタの……エッチ」

「これは……」

「いやー!!」

 ソウタは悲鳴をあげ、ネコミミでがばりと顔を覆ってしまう。地面に落ちたスケッチブックを、チャコは呆れた眼差しで見つめていた。

 開かれたスケッチブックには、捲れたスカートを両手で押さえつける白ネコミミの少女が描かれていた。少女は、チャコの親友であるハルだ。

 ハルの捲れたスカートからは、フリルが愛らしいパンツが覗いている。

 繊細なタッチで描かれたパンツには、デフォルメされたラパーマロングヘアの可愛らしいイラストがプリントされていた。その横に、純白最高!! と鉛筆で殴り書きがしてある。

「すっごい、パンツ描き込まれてる……。その、絵うまいね……。ソウちゃん……」

「出来心だったんだ! 木の上に登ってスケッチしてたらたまたまハルが通りかかって、風が吹いてスカートが捲れて! 気がついてたらすっごい勢いで描いてて! 無意識の行動だったんだ! 悪気はないんだ!! だからお願い! ハルには黙ってて!!」

 両手で顔を覆いながら、ソウタは叫び続ける。にやりとチャコは笑いソウタに囁きかけた。

「ネコミミが艶やかな秘密教えてくれるなら、黙っててあげるよ」

「教える! 教えるから! たぶん、義兄さんが贈ってくるアレのせいだと思うし!!」

「アレって何っ!」

「あげるから、黙ってて! お願い!!」

 両手を合わせ、ソウタはチャコにネコミミを下げてみせる。チャコは笑みを深め、ソウタに言った。

「良いよ。ネコミミが艶やかな秘密、貰ってあげようじゃない!」

 これで艶やかなネコミミが手に入る。

 チャコは嬉しさのあまりネコミミを震わせていた。



 




「まさか、ネコミミが艶やかな秘密がオリーブオイルだったなんて。驚きだよね、ハイ」

「古代から……植物性油は……髪の美容と健康に……使われていた。日本でも……椿油を髪の手入れに利用していた……と思う」

 オリーブオイルが入った小瓶を弄びながら、チャコはほくそ笑む。その脇で、ハイはゆらゆらとネコミミをゆらしていた。

 ソウタと、その義姉ミミコのネコミミが艶やかな理由は、このオリーブオイルにあったのだ。

 ミミコの夫であるユウタは、常若島の外で働いている。

 そのユウタが勤務先からときおり贈ってくるオリーブオイルを、ミミコとソウタはネコミミの手入れに使っていたのだ。

 ネコミミの毛は基本的に普通の髪と同じ性質を持っている。多少の違いはあるが、髪と同じように丁寧にケアしてやれば艶々になる。そう、ソウタはミミコから聞かされたアドバイスもチャコに教えてくれた。

「ふふ、これで私のネコミミも艶々……。モテモテになっちゃうかも」

 オリーブオイルが入った瓶に頬ずりしながら、チャコは微笑んでいた。瞬間、ゆれていたハイのネコミミがとまる。

 こくりと首を傾げ、ハイは言った。

「姉ちゃんが、モテモテ……?」

「そうだよぉ、ハイ。お姉ちゃん、彼氏ができてハイの相手できなくなっちゃうかも。そうなったらハイ、独りぼっちになっちゃうかもねぇ」

「彼氏……?」

「そ、彼氏……」

「ボク……独りになる?」

「だって、彼氏と一緒なのに、弟と遊んでなんかいられないよ。あぁ、ネコミミ艶々になったら、カッコイイ彼氏出来るかなぁ。私も恋ができるんだぁ」

 カッコイイ男の子と素敵な恋が出来るかもしれない。そんな想像に胸を膨らませ、チャコは瓶を思いっきり抱き寄せていた。

 その脇で、ハイはしゅんとネコミミをたらした。そんな寂しげなハイの様子に、チャコは気づくことができなかった。






「どうして! 何で! 何で艶々にならないの、ソウちゃん!?」

「そ、そんなこと言われても……」

 教室にいたソウタに、チャコは迫っていた。

 涙を浮かべるチャコのネコミミはすっかり艶を失い、ぱさぱさになっていた。

 ソウタから貰ったオリーブオイルを使い続けた結果、チャコのネコミミは、前にも増して酷いものになってしまったのだ。

「どうしてなの、ソウちゃん?」

「うわっ」

 がしっとチャコはソウタのネコミミを両手で掴み揉みしだく。ソウタのネコミミは前にも増して艶を増しており、その手触りは絹のように繊細だった。

「あぁ、気持いよ! ソウちゃんのネコミミ気持ちいよぉ!! どうして! どうして、私はパサパサのままなの!?」

「やめてっ! やめてよ、チャコ! 痛い、引っ張らないで!!」

 ソウタのネコミミを堪能しながら、チャコは涙を流していた。

 同じオリーブオイルでネコミミをケアしているのに、どうしてこんなに差が出てしまったのだろう。それどころか、チャコのネコミミは酷い状態になっている。

 自分はただ、艶々なネコミミが欲しかっただけなのに。

「ソウタ……悪くない……」

 背後から不意に声をかけられ、チャコは手をとめる。振り返ると、ハイが眠たげな三白眼をじっとこちらに向けていた。ハイのネコミミも艶を失い、ぱさぱさとしたになってしまっている。

 チャコと同じオリーブオイルを使ってから、美しかったハイのネコミミもすっかり酷いものになってしまった。

みすぼらしくなったネコミミをしゅんとたらし、ハイは言葉を続ける。

「ボクが悪い……。ボクのせい……。ソウタ、いじめないで……」

 うるっとハイは三白眼に涙を滲ませた。驚いて、チャコはビンとネコミミを立ち上げる。

めったに泣かないハイが、涙を流している。

「ハイ、どうしたのっ!?」

 チャコはソウタのネコミミから手を放し、弟のもとへと駆け寄っていた。

「うぅ!」

 そんなチャコに、ハイはひしっとしがみついてくる。

「うぅ……姉ちゃん、ボクの……ボクの。独りヤダぁ……」

 チャコの胸元に顔を埋め、ハイはネコミミを震わせながら泣き出してしまっ

た。

「ちょ、ハイってば、泣いてちゃわかんないよ……」

「ごめんなさい……。ボク……ソウタにもらったオリーブオイルの中身、変えたの……」

「どうして、そんなこと」

 思わず、チャコはハイの顔を覗き込んでいた。しゅんとネコミミをたらし、ハイは涙に

濡れた眼をチャコに向けてくる。

「ネコミミ艶々になったら、姉ちゃん……モテモテ……。姉ちゃんに彼氏ができたら、ボク、ボク……。うぅー!! イヤイヤ! 姉ちゃん、ボクの! ボクの!!」

「ちょ、ハイっ!」

 チャコを抱き寄せ、ハイはぐりぐりとチャコの胸元に顔を押し付ける。

「うぅー!!」

「もう、ごめんね……。ハイ」

 チャコは苦笑して、ハイのネコミミを撫でていた。ハイのネコミミは使い古されたタオルのようにゴワゴワだ。綺麗だった自分のネコミミを犠牲にしてまで、ハイはチャコのことを思ってくれていたのだ。

「彼氏なんか作んないよ。今は、ハイが私の1番」

「うぅ……ほんと? ボク、独りぼっちにならない……」

「ならない。今は、ハイが私の彼氏だよっ」

 ニッコリとチャコはハイに微笑んでいた。

「姉ちゃんの、彼氏……。なんか、微妙……」

 ハイがぼそっと言葉を発する。涙の引いた三白眼をチャコに向け、ハイは言葉を続けた。

「姉ちゃん……好みじゃない……」

「ちょ、何なのよソレ! 私が彼女じゃ不満なの!?」

 弟のあんまりな発言にチャコは叫んでいた。そうだと、ハイはネコミミをぴょこりと倒して返事をする。

「はぁー!? ハイのくせに生意気!!」

「姉ちゃんのくせに生意気……。姉ちゃんみたいなアホの子……誰も彼女に欲しがらない……」

「キシャー!!」 

 ネコミミを逆立て、チャコはハイに威嚇してみせる。ハイは臆することなく、無感動な三白眼をじっとチャコに向けていた。

「俺は、チャコのこと可愛いと思うけど?」

 そんな2人に、ソウタがぽつりと声をかける。チャコとハイはぐるりとソウタに顔を向けていた。びくりとネコミミを立ち上げながらも、ソウタは言葉を続ける。

「ネコミミが艶々じゃなくてもさ、チャコは十分可愛いよ。チャコの笑顔とか、俺好きだな」

 ふっとソウタが微笑む。彼の蒼い眼が艶めいた輝きを放つ。思わずチャコは、その眼に見惚れていた。

「そっかな?」

 チャコは急に恥ずかしくなって、ソウタから視線を逸らしていた。ひょこっとネコミミを傾けて、ソウタを見つめる。

「うん、可愛い」

 ソウタは灰ネコミミを折り曲げて、そうだよっとチャコに返事をする。チャコは、彼の微笑みから眼が離せなくなっていた。

 ソウタは、チャコの親友であるハルのパンツを、必死になって描くような男の子だ。それでも、ときどき彼はドキッとするようなことを言っては、チャコをびっくりさせる。

 ソウタの何気ない優しさに、チャコは心惹かれることがあるのだ。

「ソウちゃんて、ちょっとカッコいいかも……」

「えっ?」

 ぽつりとチャコは呟いていた。ソウタが困惑したように蒼い眼をゆらす。彼はすっと頬を染めて、チャコから視線を逸らした。

 なんだか、お互いに気まずい。

 そのとき、ポスっとチャコの背中に誰かが抱きついた。驚いてチャコは後方へと振り向く。

 ぽよんと動く鯖トラのネコミミが、チャコの視界に映り込む。ハイが、後ろからチャコに抱きついてきたのだ。

「ハイっ?」

「うぅ……」

 不満げに唸りながら、ハイは顔をあげる。うるっと三白眼に涙が滲んでいた。

「姉ちゃん、ボクの……。微妙だけど……彼女にする……。姉ちゃん、ボクの彼女にする……」

 ぐりぐりとハイは背中に頭を押しつけてくる。チャコは苦笑しながら、ハイのネコミミを撫でていた。

「私も、ハイが1番好きだよ」

「うぅー!!」

 ハイがぽっと頬をりんご色に染める。

 しばらく彼氏は作れそうにないな。そう、苦笑しながら、チャコは愛らしい弟のネコミミにそっとキスをしていた。

 

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