last cat 春の季節

last cats 春の季節






 ちりんとネコミミの鈴が鳴る。顔を曇らせ、ソウタはネコミミをたらした。

 鏡に映っている制服姿の自分が、とてつもなく不格好だと思えてしまう。

 萌黄色のブレザーは袖が長く手が隠れてしまう。ユウタのお古だが、自分には少しばかり大きいみたいだ。成長期だからすぐにぴったりになると、ミミコは笑っていたが。

 写真に映っている学生時代のユウタとは大違いだ。

 泣きそうな顔をしているミミコの隣で、凛々しい義兄はすっと制服を着こなしていた。

「ハルに笑われないかな?」

 制服のネクタイを締め直し、ソウタはぼやく。

 今日は学園への初登校の日だ。

 一緒に登校するハルに変に思われないだろうか。それが気がかりで仕方がない。

「ソウタ、ハルちゃん来てるわよっ」

「うん」

 階下からミミコに呼ばれ、ソウタは我に返る。

 ハルを待たせてはいけない。ソウタは踵を返し、ドアへと駆け寄ろうとする。

 ふと、正面にある壁画が目にとまりソウタは歩みをとめた。

 壁画を眺める。

 壁画は全く違うものに描き直されていた。

 前の壁画とは違い、満開の桜の下で灰猫と白猫が仲良く寄り添い合っている。その周りを、11匹の猫たちが取り囲んでいた。

 ――みんな、一緒にしてあげようよ。

 壁画を見た、ハルの言葉を思い出す。

 彼女は壁画を描き直そうと言ってくれた。チャコとハイも誘って、みんなで壁画を描き直したのだ。

 そっと壁画に近づき、描かれた灰猫に触れる。

 ハルが描いた灰猫はブサイクだけれど、親しみを抱くことができた。灰猫が幸せそうに笑っているせいかもしれない。

 物語の中で、灰猫と白猫は死に別れてしまう。

 けれど最後まで生き残った灰猫は、白猫に再会できたはずだ。

 サツキが、よく言っていた言葉を思い出す。彼女はウタに言い聞かせるように、何度もその言葉を繰り返した。

 ふと、首後ろにある刺青が気になり手を充ててみる。

 灰猫を意味する13の刺青。

 同じ番号を持つ子供に会ったことがないのは、気のせいだろうか。

 島の墓所にある子供達の墓は12基。その中に、灰猫の墓はない。

 ――ソウタくんて、灰猫なのかもね。

 ハルが冗談で言った言葉を思い出す。

 自分は灰猫と同じ、灰色のネコミミと蒼い瞳を持っている。

 灰猫のようだと言われるのが、昔から嫌だった。自分が、灰猫そのものになったような気がしてしまうからだ。

 雨の中、ハルを追いかけたときの既視感も、壁画のせいというよりかは――

「まさか」

 苦笑して、ソウタは呟いた。

 自分は灰猫のチェンジリングだが、本人ではない。

 なぜこんなにも彼のことが、気になるのだろう。

 ―――灰猫は幸せだったのかな?

 閃くように、サツキの言葉が脳裏を過ぎった。

 幼いソウタに、サツキは何度も問いかけてきたのだ。

 自分を灰猫の存在と重ねるように。自分に引き取られて幸せなのだろうかと、言いたげで。

「そんなの、言わなくてもわかるだろ?」

 ソウタは瞳を綻ばせていた。

 猫の1匹に触れ、微笑んでみせる。猫たちの中で、1番大きいぶち猫だ。

 ぶち猫は、初めてこの島にやって来た猫だといわれている。

 サツキがぶち猫のチェンジリングだったせいだろう。壁画に描かれたぶち猫が、彼女に見えてしまう

 朝陽が差し込んで、ぶち猫の瞳が綻んだように見えた。

 ソウタは瞳を見開き、ぶち猫を凝視する。ぶち猫の瞳は穏やかな光に満たされていた。

 その瞳は優しくソウタに向けられているようだ。

「いってきます」

 ぶち猫を撫で、話しかける。

 その瞬間、温もりがが背中に広がった。驚きに、ソウタはネコミミの毛を膨らませる。

 背中の温もりに覚えがあった。

 サツキが自分を抱きしめたくれた感触と、とてもよく似ている。

 瞳に涙が溢れて、目の前のぶち猫が歪んで見える。

 涙を手で拭い、ソウタは顔をあげた。

 泣を堪えながら、ぶち猫に笑顔を送る。優しくぶち猫の頭を撫で、ソウタは踵を返した。

 今は灰猫と言われるのが、昔ほど嫌ではない。自分が灰猫なら、きっと白猫はいつも側にいてくれる彼女だろうから。

 ネコミミについた鈴を小さく鳴らして、ソウタはドアへと向かっていく。






 ドアベルを鳴らして外に出ると、ハルが坂道で待っていた。

 ハルの銀髪が陽光を受けて、煌めいている。

 纏っている萌黄色の制服が彼女の白い肌を引き立たせていた。

 きっちりと整えられたリボンネクタイを揺らし、ハルはソウタを見つめてきた。

 ハルの瞳が桜色に揺らめいている。ハルは大きく瞳を見開き、じっとソウタを見つめてきた。

 その瞳を見た瞬間、ソウタは大きく胸を高鳴らせていた。

 ハルに心音を聴かれてしまう。それでも、鼓動は早くなっていく。

 ハルが鈴を小さく鳴らし、ネコミミを困ったように下げた。

「うるさいよ、ソウタくんの心臓……」

 ハルの頬が桜色に染まる。恥ずかしそうにソウタを見つめ、彼女は呟いた。

 桜色の瞳に見つめられ、ソウタの心臓はまた大きな音をたてていた。

 彼女を見つめていると心臓が高鳴るのはなぜだろう。

 ピンと立てたネコミミを、ソウタはハルへと向けてみた。ハルの心音が気になったから。

 ハルの心音を確かめたくなって、ソウタは彼女に歩み寄る。

 ハルは困ったようにネコミミを揺らす。

 彼女は頬に笑窪を浮かべて、笑ってくれた。

 桜の花びらを視界に捉え、ソウタは立ちどまる。ひらひらと何枚もの花びらが、風に運ばれて公園から流れて来ていた。

 花びらに誘われるまま、ソウタは坂道の頂きにある円卓公園を見上げていた。

 満開の桜が、公園を薄紅色に染め上げている。

 花びらに包まれ、歌っていたハルの姿が蘇る。

 白いワンピースを身に纏い、祝福の歌を奏でていたハル。

 歌のように、世界は命で溢れている。ミミコの中に宿る、新たな命のように。

 もう、すっかり春の季節だ――





「もう、すっかり春の季節だね、義母さん」

 ミミコはサツキの墓標に語りかける。

 ケルト十字の墓標は、その言葉に応えるようにかすかに揺れた。

 風が吹き、ミミコの髪を撫でる。ミミコは誘われるように空を仰いでいた。

 蒼空を桜の花びらが流れていく。

 花びらを瞳で追う。花びらは海原に聳える壁の方向へと飛んでいった。

 壁を見つめ、ミミコは瞳を綻ばせる。

 ――直ぐ、帰る。

 妊娠を手紙で報告したところ、そんな返事がユウタから送られてきた。

 壁の向こうで、夫はさぞかし狼狽えているだろう。

「どうする、義母さん。あなた、おばあちゃんになっちゃうよ」

 ミミコは弾んだ声で、墓標に語りかける。応えるように小さな風が吹いて、墓標を揺らした。ここにサツキは眠っていないのに、彼女が答えてくれたような気がしてしまう。

「ソウタはもう、大丈夫よ」

 微笑を浮かべ、ミミコは続ける。

 小さな波の音に混じって、少女の歌声が聞こえた。

 歌に続き、子供たちの高い輪唱がミミコのネコミミに響く。

 ハルが円卓公園で歌っている。側にはソウタがいて、たくさんの友人が2人を取り囲んでいることだろう。

 空をまた見上げる。

 蒼い色彩がどこまでも続いていた。ソウタの瞳と同じ色彩が。

 ソウタは、瞳を綻ばせることが多くなった。ハルが側にいてくれるお陰だ。

 トクンと、小さな心音が腹部から聞こえてくる。

「聴こえるの?」

 ネコミミを伏せて、ミミコは優しく腹部に手を充てた。

 応えるように心音が返ってくる。

「もうすぐ、パパも帰ってくるからね」

 我が子に優しく語りかける。ミコは海向こうの壁へと愛しげに瞳を向けた。

 柔らかな日差しを受けて、壁は純白に輝いていた。

 あの壁の向こうから、愛しい人が帰ってくる。

 何度も壁を乗り越えて、人は強く生きることができるようになるのだろう。

 ソウタが、そうであるように。

 透きとおるハルの歌が、周囲に響き渡る。

 我が子の鼓動を聴きながら、ミミコは彼女の歌にネコミミを傾けていた。

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