Twelve cats 鎮魂祭
Twelve cats 鎮魂祭
ピアノの旋律がソウタのネコミミに聞こえた。
奏でられているのはレクイエムだ。この次にハルが歌うことになっている。
「良かった。間に合いそうだよ、ハル」
「うん」
ソウタは腕の中のハルに微笑んでみせた。ハルも安堵したように微笑みを返してくれる。
教会の屋根を駆け、尖塔へと跳ぶ。着地した尖塔から落ちると、桜の花びらがソウタの視界いっぱいに広がった。
その中に、跳び込んでいく。
花びらのカーテンを抜けると、花をつけた灰猫の桜が目の前に現れた。
桜の前には舞台がつくられ、黒衣の人々が観客席に座っている。
観客はネコミミを真剣に傾け、ピアノで演奏されるレクイエムを聴いていた。
ピアノを演奏するのは、霧髪を纏めた老婦人だ。老婦人は耳飾りのついた銀のネコミミをすらっとたて、静かにピアノを奏でていた。
ピアノの悲しい旋律に、ソウタは聴き入っていた。
曲を聴いていると、サツキを失ったときの悲しみが鮮明に思い出されてくる。
そっとハルを見つめる。ハルも同じ気持ちなのだろう。瞳を潤ませ、老婦人を静かに見つめていた。
拍手が周囲に響く。
ピアノを奏でていた老婦人が演奏を終え、立ちあがる。老婦人は観客席に頭をさげ、静々と袖膜へと去っていく。
老婦人の瞳が煌めいていることに、ソウタは気がついた。
老婦人の瞳が涙で濡れている。とくん、とソウタの心臓が悲しげに鳴った。
鎮魂祭で曲を披露する人々は、大切な人を亡くしている。
自分やハルと同じ境遇の人々が他にもいることに、ソウタは深い感銘を受けていた。
不意に、観客席のすみにいた小柄な客が立ちあがる。ハイだ。彼はピンっと鯖トラのネコミミをたて、ソウタを見あげてきた。ハイの隣に座っていたチャコも空を仰いで、嬉しそうに手を振ってくれる。
「チャコちゃん、ハイくんっ」
腕の中のハルが、弾んだ声をあげた。ハルは嬉しそうにチャコとハイに手を振る。
他の観客たちも自分たちに気がつき、空を仰ぐ。
上空から降ってくる自分たちに、人々は驚いているのだろう。観客のネコミミが、いっせいにぴーんと立ちあがった。
ソウタはハルを抱え直す。そのまま、客室の中央に設けられた通路へとソウタは着地した。観客のネコミミが、いっせいにソウタとハルに向けられる。周囲の視線を気にしながらも、ソウタはハルを地面に降ろす。
「ソウタくん……」
「大丈夫」
ハルが不安げに瞳を向けてくる。
ソウタは優しくハルに微笑んでみせた。ハルは安心したように瞳を綻ばせてくれる。ネコミミをたちあげ、ハルは舞台へと体を向けた。
「おい!! もしかしてお前ら、歌う気か?!」
怒号が、観客席から飛んでくる。驚いて、ソウタは声のした方へと顔をむけた。
「勝手に乱入したケットシーが、歌えるわけないだろっ!」
ネコミミを逆立て、1人の男性が観客席から立ちあがる。男性はハルのネコミミについた鈴を睨みつけていた。
ハルが怯えたようにネコミミを伏せる。彼女の鈴が小刻みにゆれた。ソウタは男性を睨みつけ、ハルの手をとる。
「あっ」
ハルが驚いて声をあげる。ソウタはかまわずハルを背後に匿った。
「あなたたたちは、ケットシーよね。厳粛なる鎮魂の場を、その歌声で汚すつもりなの?」
凛とした声が、舞台からする。驚いてソウタは舞台を見つめた。ピアノを奏でていた老婦人が、厳しい眼差しをこちらに送ってくる。
チリンと、動揺にソウタのネコミミが鳴る。
自分と同じ思いを抱えている彼女が、自分たちを避難したことが信じられなかったのだ。
ケットシーは灰猫の恩寵を受けられない、汚れた存在。
そんな古い信仰によって、彼女はソウタたちを差別している。差別しているという感覚さえ、抱いていない。
「そうだ。さっさと、帰れ」
「死者を汚す気か!」
「目障りよ!」
観客たちの中からも、罵声をあげる者が出てきた。ぎゅっと背後から服をにぎられる。
驚いて、ソウタは後方のハルへと視線をやった。
ハルが震える瞳をソウタに向け、服をにぎりしめていた。潤んだ瞳は今にも泣きそうだ。伏せられた彼女のネコミミは、怯えるように震えている。
「おい、聞こえてんのか?」
「ちょっと、何とか言ったらどうなの!? 迷惑なのよ! ケットシーのクセして!!」
それでも観客は怒声を飛ばしてくる。ハルは顔を伏せ、小さな嗚咽を漏らし始めた。
泣いているハルを見て、ソウタの心臓が大きく脈動する。
怒りで体が震えてしまう。
「俺たちが、何をしたんだ!!」
ソウタは叫んでいた。
ソウタの怒号に驚き、騒いでいた人々は黙り込んだ。
辺りが静かになる。否応なしに、観客の視線がソウタに集まった。
「ハルは、歌いたいだけなんだ……。大切な人のために俺たちは、歌うことさえ許されないの?」
ソウタは泣きそうな瞳を観客たちに向ける。悔しくて、涙がこぼれてしまいそうだ。
ケットシーであるだけで、ハルは歌うことさえ厭われる。
罵声を吐き出していた人々が、気まずそうにネコミミを伏せた。涙をこらえきれず、ソウタはうつむく。
そんなソウタの肩を、背後から叩く人物がいた。
驚いて、ソウタは背後へと視線をやる。ハルがソウタの肩に手を置いていた。
彼女は潤んだ瞳を綻ばせ、微笑みを浮かべていた。
「もう、良いよ。大丈夫……」
泣いている自分を励ますように、ハルは優しく言う。
ソウタの背後からハルは前方へと歩み始める。
とっさにソウタはハルの手を握りしめていた。だがハルは、その手を振り払ってしまう。
「あっ」
唖然とするソウタを振り返り、ハルは瞳を綻ばせた。
桜色に煌く瞳は、静かにソウタに向けられている。ソウタは、力強いその輝きに言葉を失った。唇に笑みを浮かべ、ハルはソウタから視線を逸らす。
ソウタの前方へと進み出たハルは、すっとネコミミをたてる。
凛としたハルの瞳が、押し黙る観客に向けられる。観客たちを見すえ、ハルは頭をさげた。息を呑む観客の気配が、ソウタに伝わってくる。
観客たちはハルの行動に動揺しながらも、彼女を静かに見つめていた。
「お願いです。歌わせてください」
ハルの鈴が、怜悧な音をたてる。
思いもよらぬ行動に、観客たちは小さくどよめく。顔をあげたハルの瞳は、凛とした強い輝きを宿していた。
「歌えば、いいと思う……」
不意に、間延びした声が観客席のすみからした。
驚いて、ソウタは言葉を発したハイを見る。ハイは立ちあがり、じぃと三白眼でこちらを見つめていた。
「そうだよ。誰の許可もいらないよ! 鎮魂祭だよ。みんなの大切な人のために歌っていいんだよ!」
チャコも立ちあがり、弾んだ声を発する。彼女はハルを応援するように、笑顔を送ってくれた。
「そうだー!」
「差別反対!!」
「ハルっちは、何も悪くない」
「信仰なんてクソくらえ!!」
チャコに続き、観客席の子供たちが次々に声を発する。子供たちは抗議するように席から立ちあがった。ネコミミピアノになってくれた、みんなだ。
「みんな」
嬉しそうに瞳をゆらめかせ、ハルはみんなを見つめた。
「ハル」
促すように、ソウタはハルに声をかける。
ソウタにハルの瞳が向けられる。
ソウタを見て、彼女は銀の瞳を綻ばせた。瞳の中で、桜色の光が美しくたゆたう。
とくりと、心臓が大きく高鳴る。
こんなにもハルは、美しい笑顔をつくる少女だっただろうか。
くすりと、艶めく唇を綻ばせハルは舞台へと登っていく。
心音が煩い。階段をあがるたびにゆれる銀の髪から、瞳が離せない。
舞台にあがったハルは優雅にワンピースの裾を両手でつかみ、お辞儀をした。
ふさりと、彼女の頭に花輪が落ちる。ハルはネコミミをぴんとたて、桜を見あげた。
驚いたソウタも桜の木を見あげる。桜の木の上に、数人の子供たちが登っていた。
「ガンバレー!」
「ハルちゃんの歌、早く聴きたいよ!!」
ネコミミを動かし、子供たちはハルに声援を送る。
ハルは花輪を頭に載せ直し、子供たちに手を振る。ネコミミをぴょこんと動かし、彼女は客席へと体をむけた。
ハルの瞳が、ソウタにむけられる。動揺にソウタはネコミミを大きく反らした。
ソウタの心臓が弾んだ音をたてる。ハルがネコミミをゆらし、瞳を綻ばせた。
ソウタの心臓が高鳴る。それを合図に、ハルが唇を開いた。
春風が吹く。
舞い散る桜とともに、歌が奏でられた。
ソウタの心臓が大きく鳴る。その鼓動とともに、ハルは歌を紡ぐ。
客席の子供たちが次々に立ちあがる。子供たちはハルの歌を追うように声を発した。
子供たちとハルの歌は輪唱になって、周囲に響き渡る。
それを追いかけるように、ピアノの旋律が歌声に重なった。
ソウタは驚いて舞台を見る。
レクイエムを奏でていた老婦人が、愉しげにピアノを弾いていた。
ハルがネコミミの鈴を鳴らし、老婦人に微笑む。その鈴の音に合わせ、婦人はピアノを奏でる。
自分たちを差別していた老婦人が、ハルと音楽を奏でている。
まるで、先ほどのことが嘘のようだ。そんなことなどなかったかのように、2人は美しい旋律を周囲に広げていく。
歌声とピアノに続き、フルートの旋律が演奏に加わった。
バイオリン。チェロ。オオボエ。トロンボーン。ハーモニカ。
フルートの演奏を合図に、たくさんの楽器がハルの歌に合わせ奏でられる。
たくさんの旋律が、ハルの歌を彩る。ハルは音に合わせて歌をうたう。
歌われるのは、喜びに満ちあふれた祝福の歌。
逝ってしまった者たちへの感謝と、生まれてくる者たちへの賛美。
ソウタはミミコの中に宿る、新たな命に想いを馳せていた。
ミミコが倒れたときは、彼女が死んでしまうことさえ考えていた。
けれど、その体には新たしい命が宿っていたのだ。
ソウタは、新しい家族が増えることが嬉しくてたまらない。
帰ってきたユウタは、どんな顔をしてミミコに会うのだろうか。
義兄が驚く姿を想像して、ソウタは心音を弾ませていた。
ソウタの心音が早鐘を打つ。ハルの歌声がリズムカルに韻を踏む。
春風がはなびらを巻きあげ、歌は島中に響き渡る。
桜吹雪は紗となって、ハルを包み込む。
花びらの渦の中で、ハルは両手を広げ、生きている喜びを歌いあげた。
いつ、死んでしまうかわからない命。
けれども、自分たちは今、この時を生きる――
生きて、大切な人と共にある。
だから、独りじゃない。みんなに、大切な人がいる。
みんな、みんな、生きてここにいる。
風がやみ、歌声が途切れる。
舞台に降りていく花びらと共に、ハルはワンピースの裾を膨らませ座り込んだ。
「歌えた……」
へなへなとネコミミを伏せ、ハルは呟く。
「ハルっ」
ソウタは舞台に跳びあがり、一目散にハルのもとへと駆ける。
うつむくハルの顔を覗き込もうと、腰を屈める。瞬間、ソウタはハルに抱きつかれていた。
「ハル……」
「聴かせて、ソウタくんの音……」
瞳を綻ばせ、ハルは胸元にネコミミを押しつけてくる。ネコミミを通じて、ハルの心音が静かに伝わってきた。
温かくて、心地のよい響き。
ハルが、生きている音だ。
「私、ちゃんと歌えたよ」
「うん」
「義母さん、聴いてくれたかな?」
ハルが顔をあげた。彼女は、不安そうな瞳を向けてくる。
ハルに言葉をかけようとした瞬間、拍手が鳴り響いた。
ソウタは観客席へと視線を走らせる。観客が立ちあがり、2人に祝福の拍手を送っていた。
ソウタは瞳を見開いていた。
その中に、いないはずの人物がいたからだ。
その人は飾り毛のついた、ブチのネコミミを生やした女性だった。
ソウタが唖然としていると、白衣を纏った彼女は蒼い瞳を綻ばせ微笑んでくれる。
亡きなったはずの義母サツキ・ハイバラが、ソウタの目の前にいた。
じっと自分を見つめるソウタを、サツキは不機嫌そうに睨みつけてきた。
両手を、白衣のポケットに突っ込む癖は相変わらずだ。
ソウタは、サツキを見て苦笑する。サツキは驚いたように瞳を見開いて、ポケットから手を引い抜いた。
サツキは、意地悪な笑みを浮かべてくる。
お前こそ泣き虫のままじゃないよな、とサツキは言いたげだ。
サツキの隣には、白いネコミミを生やした銀髪の女性がいた。清楚なドレスがよく似合っている。女性は銀色の瞳を綻ばせ、ソウタを見つめていた。
血は繋がっていないはずなのに、女性の笑顔はハルのものとそっくりだ。
――ありがとう。
形の良い唇を動かし、女性は感謝の気持ちを伝えてくれる。
「ソウタくん」
ハルに呼ばれ、我に返る。ソウタは改めて観客席を見つめる。
だが、いくら探しても拍手を送る観客の中に、2人の姿はなかった。
一瞬の再開と別れに、心臓がざわつく。
心音を落ち着かせようと努めながら、ソウタはハルへと振り向いた。
ハルは微笑んでいた。彼女の瞳は、静かな輝きに満ちている。
「逢えたんだね」
ソウタの言葉に、ハルは小さく頷く。ハルは、うっすらと濡れていた瞳をぬぐった。
ソウタは優しくハルの頬に手をそえる。ハルは驚いたようにネコミミを動かし、瞳を綻ばせてくれた。
「ハルちゃーん」
「ハルっちー」
「ハルー」
子供たちの声がハルを呼ぶ。ソウタは観客席へと視線をやった。
子供たちがいっせいに舞台に駆けつけ、壇上へとあがってくる。
先頭にいたチャコはハイの手を引き、こちらへと駆けつけてきた。2人はソウタとハルの脇に座り込む。
後に続いていた子供たちは、ソウタとハルを取り囲み立ちとまった。
「大丈夫、ハルちゃん」
「平気……」
チャコとハイは、不安げにハルの顔を覗き込んでくる。
「もう、大丈夫だよ」
にっこりとハルは、2人に微笑みかけた。
チャコの瞳が嬉しそうに綻ぶ。ハイも、ほっとしたようにネコミミをたらした。
「みんなも、ありがとう」
周囲の子供たち見つめながら、ハルは言葉を続けた。ハルの言葉に子供たちは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
ハルは立ちあがり、ソウタを見つめる。
「行こう、ソウタくん」
瞳を桜色に煌めかせ、ハルは微笑んだ。その瞳に迷いの色はない。
ソウタは立ちあがり、ハルの手をとった。しっかりとハルはその手を握り返し、観客席へと体を向ける。
手を握り、ソウタとハルは観客席へと近づいていく。その後に子供たちが続く。
ソウタとハルを中心に子供たちは壇上の前へと並んだ。みんなして微笑みを交わし合い、いっせいに頭をさげる。
客席の拍手が、いっそう激しいものになる。
ハルのネコミミについた鈴が、嬉しそうに音を奏でた。
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