Nine cats  想い、友達 

Nine cats 想い、友達 


 ステンドグラスの窓が等間隔に並ぶ廊下に、ハルは佇んでいた。

 廊下の左側には、猫の形をした引き戸がステンドグラスと対になるように並んでいる。

 ステンドグラスには、13人の子供たちを象徴する猫たちが描かれているという。

 ハルはその1枚である、黒猫のステンドグラスをじっと見つめていた。

 日差しを受けて、黒猫の深緑の瞳が悲しげに輝いている。ハルは瞳を歪め、持っていた紙袋を胸に抱きよせた。ステンドグラスの黒猫は、どことなくミミコと似ている。

 ここは港の側にあるマブの治療院だ。倒れたミミコはここに入院している。ハルは、ソウタから借りた彼女のワンピースを返しに来たのだ。

 ――ごめん、気づけなくて。

 そう言って、走り去っていったソウタが忘れられない。

 あれから、彼とは会っていない。

 何度もソウタに会いに行こうとしたが、彼に拒絶されるという不安がその気持ちを押しとどめた。ミミコの見舞いにも、こっそりとやって来たのだ。

 息を吸い込み、ハルは背後にあるドアへと向き直る。

 黒猫の形をしたドアの向こうに、ミミコがいる。

 ドアに近づき、ハルは拳をにぎりしめた。ドアと叩こうとして、ためらう。

 ハルはネコミミを伏せて、顔をうつむかせた

 ミミコにだって、合わせる顔がない。

 それなのに、ここまで来てしまった自分は何なのだろう。

 ミミコだって、自分になんて会いたくないはずだ。ミミコが倒れてしまったのに、自分は助けもせず、逃げたのだから。

「いらしゃーい、ハルちゃんっ。いつまでたっても来ないから、開けちゃった」

 とつぜん、弾んだ声とともにドアがあけられた。驚いて、びくりとハルはネコミミをたてる。

 顔をあげるとミミコがドアを開け、目の前に立っていた。彼女は嬉しそうに瞳を細め、ハルを見つめている。

 ミミコからの視線に、ハルは体を強ばらせていた。そんなハルを気遣うように、ミミコは微笑んでみせる。

「大丈夫だから、おいで」

 優しく声をかけられる。その声に体の力がすとんと抜け、ハルはネコミミをたらしていた。

 ハルの腕を、ミミコはそっとにぎってくる。ミミコの手のぬくもりに、ハルは瞳を綻ばせていた。

 腕を通して、ミミコの心音が伝わってくる。

 倒れたときに聞いた心音が嘘のように、彼女の鼓動は力強い。その鼓動に驚いて、ハルは思わず口を開いていた。

「ミミコさん、心臓……」

「心臓?」

「あ、その、大丈夫なんですか?」

「あぁ、体だったらもう大丈夫よ。このあいだはびっくりさせちゃって、ごめんね」

 ミミコがハルの片頬に触れ、顔を覗き込んできた。

 ミミコの瞳がハルに向けられている。美しい深緑の瞳に、ハルは魅入られていた。

 ソウタが以前、言っていた。ミミコの瞳を見ていると、心が安らぐと。

 その言葉通りだ。深緑の瞳は深い森を想わせ、ハルの気持ちをなだめてくれる

「ほら、ソウタが持ってきてくれた美味しいお菓子もあるから、おいで。常若島銘菓、猫耳ケーキだよ」

 優しく声をかけられ、ハルは我に返る。ミミコが笑みを深めハルを見つめている。

 彼女は手招きするように、黒ネコミミを動かした。








「うぅーん、猫耳ケーキってやっぱり美味しい」

 ベッドに座るミミコは、うっとりと声を漏らす。黒ネコミミをかたどった猫耳ケーキを食べながら、彼女は気持ちよさげに瞳を細めていた。

 ハルは唖然と、そんな彼女を見つめていた。

 ベッド脇の椅子にハルは腰かけている。その手にも、ケーキが乗った小皿が握られていた。小皿に乗っているのは白ネコミミをかたどったケーキだ。クリームチーズ味で、ハルは柔らかなこのケーキが大好きだった。

 幸せそうにケーキを頬張るミミコを、ハルは見つめることしかできない。

 逃げたときに聴いた心音が嘘のように、彼女の心臓は力強く音を奏でている。

「あの、ミミコさん。本当に、大丈夫なんですか?」

「え、なにが?」

「だって、倒れたときあんなに……」

「あー、ちょっとあれ、理由があってね」

 苦笑しながら、彼女は左ネコミミを折る。ちりんと、ミミコの鈴が恥ずかしげに鳴った。ミミコは空になった皿をサイドボードに置く。表情をあらため、彼女はハルに向き直った。

「いろいろあって、死ねなくなっちゃったの。だからもう、大丈夫よ……」

 ミミコは、ハルのネコミミを撫でてきた。

 彼女の瞳が優しげに細められる。瞳が放つ深緑の輝きから、ハルは目が離せなくなっていた。

 ミミコの瞳を見ていると、心が落ち着く。その瞳にうながされるように、ハルは椅子の脇に置いてある紙袋へと手をのばしていた。

 一瞬戸惑う。だが、ネコミミを左右に振り、ハルは紙袋の中からメッセージカードを取りだした。

「ミミコさん、これ」

 ミミコにカードを差だす。彼女は、悲しげにネコミミをゆらした。

「ちゃんと言葉で伝えるのが、1番なんだけどな……」

 ミミコの言葉に、ハルはネコミミをたらす。

 ミミコを頼ろうとした自分が情けない。ハルは顔をうつむかせていた。

 カードには、ソウタに宛てたメッセージが書かれている。

 ソウタに思いを伝える勇気がない。だから思いをメッセージカードに託し、ミミコに渡してもらおうと思ったのだ。それでは、何の解決にもならないのに。

「ミミコちゃん、いいもの見せてあげる」

 そっとミミコに頬をなでられ、ハルは顔をあげた。

 ミミコが長い髪をかきあげる。煌く黒髪のすきまから、白いうなじが見えた。

うなじの辺りに見慣れた刺青を見つけ、ハルは瞳を見開いた。

 3-099と書かれた刺青が、ミミコの首後ろには彫られていたのだ;。

「チェンジリング……」

「そう、私も養女なの。養い親が死んだあげく、ケットシーになって親戚中たらい回しにされてた私を引きとってくれたのが、従姉妹のサツキ姉。ソウタの、お義母さん」

 髪をたらし、ミミコはハルに向き直る。昔を懐かしむようにネコミミをゆらし、彼女は続けた。

「だけど私、なかなかサツキ姉に懐かなくてね。今思うと、また捨てられるんじゃないかって、疑心暗鬼になってたのかも。お義母さんって呼べたの、引きとられてから半年もたった後だった。そんな頑固な義娘がいるのに、息子まで引きとっちゃってさ……」

「どうして、サツキさんはソウタくんを……」

「私に、似てたからだって。あの人面白いのよ。私のこと、初恋の相手だなんていうの。人にここまで焦がれたのはお前が初めてだなんて、冗談でいつも言ってたっけ。ソウタ、施設でいつも独りぼっちだったみたい。そんな姿が、私に重なったんじゃないかな」

 ソウタのことを思っているのだろう。ミミコの顔には笑みが浮かんでいた。

 ハルは、その笑顔をじっと見つめる。

 チェンジリングの刺青を、ソウタは見せたくないと言っていた。

 ハルはソウタも誰かの身代わりとして引きとられ、チェンジリングの刺青がトラウマになっているのだと思い込んでいた。

 それは思い違いだった。

 ソウタの家族はこんなにも温かく、彼のことを想ってくれている。

 羨ましいと、思ってしまう。そして、その事実をソウタに伝えたいと思った。

 こんなにも、ソウタは家族に愛されているのだから。

「ハルちゃん、その服、鎮魂祭で着てくれないかな? それ、ソウタが着替えによこした、私のお古でしょ」

 紙袋を見つめながら、ミミコが言う。

 驚いたハルは、ミミコを見つめた。彼女は瞳を綻ばせ、ハルに微笑んでくれる。

 ミミコの瞳は、かすかに潤んでいた。

「あの子、言ってたの。この服、ハルちゃんに似合いそうだなって。ハルちゃんに会ってから、いつもハルちゃんの話ばっかりするのよ。大好きなのよ、ハルちゃんのこと。初めて出来た、友達だから」

ミミコの声が震えている。そっと彼女の腕が、ハルの体を包み込んだ。

「お願い。側にいてあげて。あの子は絶対、鎮魂祭に来るから……。初めてなの。義母さんが死んでから、あの子があんなに笑ってるの。全部、ハルちゃんのお陰なの。だから……」

「ミミコさん」

 口を開くと、凛とした声が出てきた。ミミコは驚いて、ハルの顔を見つめてくる。

「私、鎮魂祭で歌います。だから……ソウタくんの側に、いてもいいですか?」

 決意を口にする。ミミコは瞳を見開き、ハルを見つめてくる。

「ありがとう……」

 瞳を綻ばせ、ミミコは微笑んだ。

 ハルはミミコの胸元に抱き寄せられる。瞳から涙を流し、ミミコはうつむいた。

 ハルのネコミミに泣き声が響く。ハルは、ミミコの胸元にネコミミを寄せていた。

 力強いミミコの心音が聞こえる。

 ソウタを想う気持ちに溢れ、ミミコの心臓は優しい鼓動を刻んでいる。

 その音に混じって、小さな音が聞こえた。

 明らかにミミコのものではない、心臓の音。彼女の鼓動に合わせ、小さな音は旋律を刻んでいる。

 ハルは思わず、ミミコの顔を見あげていた。

「ハルちゃん?」

「あ、何でもないです」

 声をかけられ、ハルは慌てて返事をする。ミミコが瞳を綻ばせ、笑顔を浮かべてみせた。

 その笑顔に、ハルは瞳を奪われる。ミミコは慈愛に満ちた輝きを、瞳に宿していた。

「本当、死ねなくて困っちゃう。旦那になんていったらいいかなぁ」

 ネコミミをゆらす彼女は、幸せそうに声を弾ませる。

「本当、そうですね」

 この人には敵わない。ハルは苦笑を顔に浮かべていた。

 ハルのネコミミには心地よく、小さな心音が響いている。

 それは儚くも、力強い旋律だった。







 屋敷に戻ると、門の前で立ちつくしている少女がいた。

 茶トラのネコミミをピンっとたて、チャコがあんぐりと口を開けている。

 どきりとハルは、心臓を高鳴らせていた。

 ネコミミピアノで遊んでから、彼女とは1度も会っていない。ハルが円卓公園に行かなくなったせいだ。

 チャコと顔を合わせたくない。ハルは踵を返し、裏門へと向かおうとした。

 そっとチャコを見つめる。彼女は悲しげにネコミミをたらしていた。

「ハルちゃん、大丈夫かな?」

 ぽつりと、屋敷を見つめながらチャコは呟いた。ハルの心臓が高鳴る。

 体の向きを変え、ハルは門へと近づく。

 緊張で喉が震えてしまう。ハルは意を決して、チャコに声をかけた。

「チャコちゃんっ」

 大声がでてしまう。恥ずかしくなって、ハルは口を両手で塞いだ。

 はっと声を出し、チャコが振り返ってくれる。チャコは大きく瞳を見開き、ハルを見つめてきた。

「ハル、ちゃん……」

「久し、ぶり」

「生ハルちゃんだー!!」

 ぽんっと、チャコはハルに向かって跳んでくる。

 ハルはびくりとネコミミを逆立てた。そんなハルにかまうことなく、チャコはハルに抱きついてくる。

「ハルちゃんだ、ハルちゃんだ、ハルちゃんだーー!!」

「ちょ、くすぐったいよ、チャコちゃん」

 嬉しそうにチャコは、ハルの名前を何度も呼んだ。彼女は柔らかな頬をハルの顔に擦りつけてくる。何だかくすぐったくなって、ハルは苦笑を浮かべていた。

「もう、心配たんだよ。ぜんぜん会えないんだもん。ソウちゃんも、最近は円卓公園に来てないし……」

「ごめん」

「いいよ、ハルちゃん元気だからもう大丈夫!!」

 にっと、チャコは笑ってみせる。その笑顔を見て、ハルは瞳を曇らせた。

 自分のことを、チャコは心配していてくれたのだ。自分はチャコの気持ちにさえ気づかず、嘆いてばかりいたのに。

 チャコが困ったように笑って、門の向こうに建つ屋敷に視線をやった。

「ねぇ、このお屋敷が、ハルちゃん家?」

 明るい声を発し、彼女は瞳を輝かせる。

 ハルの気持ちを察して、話題を切り替えてくれたのだ。自然とハルの顔に笑みが浮かんでいた。

「そうだよ、おっきいでしょ」

「すごい、お城みたい!」

「そう、かな……」

 チャコの言葉にハルはネコミミを伏せる。チャコは困ったように瞳をゆらし、うつむいてしまった。せっかくチャコが話題を逸らしてくれたのに、会話が途切れてしまう。

 ハルは屋敷を見あげた。

 真鍮の門の向こうには、桜並木が続いている。桜並木の終わりには、大きな屋敷が建っていた。四方を高い鉄柵で囲まれた屋敷は、中庭を取り囲むように四角い形をしている。 壁は白い漆喰で固められ、陽光を受けて鈍く輝いていた。

 チャコの言葉通り、お城みたいだ。

 けれども、ハルには家が牢獄のように思えてしまうときがある。

 鉄柵が屋敷を囲んでいるせいかもしれない。

 鉄柵を見ていると、箱庭の壁を思い出して、閉塞感を覚えてしまうのだ。

「そうそう、ハルちゃん、これ!」

 チャコが大きな声をあげた。彼女は持っていた手さげ袋に手を突っ込む。

「あれ、どこいったけな。あ、あった! ハイ、ハルちゃん、プレゼント!」

 弾んだ声をあげ、チャコは手さげ袋から何かを取りだす。彼女は瞳を綻ばせ、それをハルに差し出してきた。

 差し出されたのは、メッセージカードだった。

 カードの表には可愛らしい丸文字で、『ハルちゃんんへ』と宛名が書かれている。

「これ……」

「私、みんなの代表で来たの。最近、ぜんぜん歌声聞こえないし、公園にいってもハルちゃんとソウちゃんもいないから、みんな心配してる。その、大丈夫……」

「みんなが……」

 チャコは、心配そうに尋ねてくる。ハルは、答えることができなかった。

 ネコミミピアノになって遊んでくれた子供たち。彼らが自分たちの心配をしてくれている。そのことが嬉しくて、信じられなかった。

「友達、なのかな?」

「え?」

 震える声で、チャコに尋ねてしまう。

 チャコが不思議そうにネコミミを折り曲げ、ハルを見つめてきた。

「私たち、友達?」

「そんなの、あたりまえじゃないっ!!」

 チャコが大声をあげる。彼女はネコミミをムッと逆立て、ハルを睨みつけてきた。

 チャコに睨みつけら、ハルは目頭が熱くなるのを感じていた。

「友達なんだ……」

 チャコの言葉が嬉しくて、涙があふれてきてしまう。

「ちょ、ハルちゃんっ!?」

「ごめん、嬉しくて……」

 ハルは急いで涙をぬぐった。チャコを安心させようと、彼女に微笑んでみせる。

 ずっと、ハルは独りだった。

 義父も家庭教師も、周りのみんなが言うのだ。ケットシーは差別される。だから人と関わりを持つなと。

 けれど、ソウタと会った。彼に会って、独りじゃなくなった。

 彼以外の人とも、会いたいと思えるようになった。ソウタのおかげで、チャコやハイと友達になることもできた。

 だが、義母の死を乗り越えられず、ハルはソウタから逃げ出した。

 全てから背を向けて、ネコミミを塞いだ。

 チャコは、そんな自分を友達だと言ってくれる。チャコだけではない。歌をうたってくれた子供たちが、自分とソウタのことを心配してくれている。

「ハルちゃん、カード開けてみて」

 チャコが優しく声をかけてくれる。促されるまま、ハルはカードをめくった。

『ガンバって!』『ハルっち、ファイト!』『ソウタを漢にしてやれ……』

 みんなが書いてくれた、たくさんの文字がカードを埋め尽くしていた。文字は鎮魂祭に出るハルを応援するために、書かれたものだ。

「みんな……」

 また、泣きそうになる。

 ハルはカードを抱き寄せ、目を瞑った。

ネコミミにはみんなの優しい心音と、ネコミミピアノの音がはっきりと聴こえる。

「ハルちゃん」

 チャコの声がする。

 瞳を開けると、チャコが太陽のような笑顔を浮かべていた。ぴんっとネコミミをたてて、チャコは弾んだ声で言う。

「鎮魂祭、みんなで歌おう。ネコミミピアノ、島の人全員に聴いてもらうの!」

「チャコちゃん」

「それから、学園来なよ。みんなが、ハルちゃんとソウちゃんのこと待ってるよ。勉強はムズカシくてわかんないけど、たぶん楽しい。まあ、ハイに教えてもらえるから、ぜんぜん大丈夫だけどね!」

「うん」

 ハルは力強く頷く。

 もう独りじゃない。それが嬉しくて、笑っていた。








「ソウタ、発見……」

「えっ?」

 サツキの墓前に佇んでいたソウタに、何者かが声をかける。

 驚いて、ソウタは背後へと振り返った。

 墓標が突き刺さった荒地を背にしてハイが立っていた。彼のはるか後方には、海原に聳え立つ巨大な壁がある。

 突然の来訪者にソウタは言葉を失う。ハイは無感動な三白眼をじっとこちら向け、言葉を続けた。

「元気そう……相変わらず、おっきい」

「どうしたの、ハイ?」

「姉ちゃんとネコミミピアノのみんなが、ソウタとハルを心配している。姉ちゃんに言われて、ボクは君を探していた。君を励ませって言われた……」

「みんなが……」

 ハイは淡々と告げる。ソウタは、返事をすることが出来なかった。

 円卓公園で、ネコミミピアノを奏でてくれた子供たち。彼らを思い、心臓が苦しげに鳴ってしまう

「ごめん、でも……」

 ソウタはネコミミをたらし、力なく顔を伏せた。

 もう、円卓公園に行くことはできない。自分はハルから逃げ出してきたのだ。彼女の弱さに気がつくことさえできず、彼女を追いつめてしまっていた。

 ハイや子供たちにだって、合わせる顔だってない。

「ソウタ」

 ハイに呼ばれ、ソウタは顔をあげる。

 ハイがソウタに迫ってくる。彼は勢いよくソウタに抱きついてきた。

「ハイっ?」

 ハイに抱きつかれ、ソウタは姿勢を崩す。体勢を立て直し、ソウタはふらつくハイの体を両手で支えた。ひょいっとハイはネコミミをあげ、ソウタの顔を見あげてきた。

「どうしたの、急に?」

「慰めてる……」

「慰めるって、違う気がするんだけど……」

「ボクはソウタを慰めている……。ボクはソウタを励ましている……。姉ちゃんはボクがシュンとしてると、いつもこうしてくれる……。励ますのって、こうするんじゃないの……?」

「ちょっと、違うかな」

「ハルは言っていた……。ママは、こうやって子供を慰めるって……」

 じっと、ハイの瞳がソウタを見つめてくる。その瞳からソウタは目が離せなくなっていた。自分を見つめてくるハイの瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。

「ねぇ、ソウタ……。ママって、どんな感じ? ボクはマブで育ったから、ママがわからない。ママを知らない……。姉ちゃんは、想像できるみたいだけど、それは想像上のものであって、本物じゃない……」

「そうだね……。義母さんは、こうしてくれると思う……」

 ハイに言葉を返す。自然とソウタは笑顔を浮かべていた。

 自分を抱きしめてくれたサツキのぬくもりを思い出し、声が震えてしまう。

「ママがいなくなると、悲しいの……?」 

「うん。悲しい、かな……」

「でも、そこにソウタのママはいないよ……」

 ハイはソウタの背後へと顔を向けた。ハイの言葉に瞳を見開く。

 ソウタは、背後にあるサツキの墓標を振り返っていた。

「どうして、ソウタはソレに話しかけるの?」

 ハイの言葉に、ネコミミが震えてしまう。それでもハイは、淡々と言葉を続ける。

「それは、ただのお墓だよ……そこに、ソウタのママはいないでしょ」

 ハイの言うとおりだ。サツキがいないことぐらいわかっている。そんなこと、嫌というほど思い知らされてきた。

「話しかけちゃ、駄目なの? 義母さんを思ってお墓に話しかけるのって、そんなに、変?」

 声が上擦ってしまう。ネコミミを逆立てても、ハイはきょとんと自分を見あげるだけだ。

「わからない……。ボクにママはいないもの……」

 その言葉を聞いて、ソウタはハイを突き放していた。突き放されたハイは瞳を見開き、ふらつきながら後ずさる。

「義母さんを思って、何が悪いんだよ!! みんな、みんな、してるじゃないか!」

 ソウタは叫んでいた。

 サツキの存在を否定された気がして、気分が悪い。サツキはもう、どこにもいない。

 けれど、想うことをやめてしまったら、サツキは心の中からもいなくなってしまう。

 サツキを忘れるなんて、そんな残酷なことはできない。

「ソウタは、死んだ人に甘えるの……?」

 ハイの言葉に、息を飲む。

「ボクにはソウタが死んだママに甘えて、そこに逃げているようにしかみえない……。ハルもママがいなくなって悲しそうだったけれど、ハルはママのために鎮魂祭で歌いたいって言っていた……。逃げているようには、見えなかった……」

 ハイの瞳が自分をみすえる。その瞳に、睨みつけられているようだった。

 風が唸る。

 ハイの背にそびえる壁が、こちらに迫ってくるようで不気味だ。

「ソウタはおっきい……。ママを知っていて、ボクよりいろんなモノが見えている……。だから、小さいボクと違って、遠くのものしか見えていない。近くを忘れている……」

 ハイの言葉がネコミミに突き刺さる。彼の背後にある壁に、押しつぶされるような気がしてしまう。

この威圧感はなんだろう。小さなハイから、強い怒気を感じてしまう。

「君にはがっかりだよ、ソウタ……。おっきいから好みだったし、友達になれると思ったのに……。とんだマザコンだった……。本当にガッカリだ……」

「俺に、どうしろって言うの?」

「自分で考えなよ、そのくらい」

 ハイは冷たく返すだけだ。ひょいっと彼はソウタに背中を向ける。

 打ちのめされたようにソウタは地面に膝をついた。ソウタは去っていくハイの背中を、見つめることしかできない。

 ハイのネコミミがぴくんと動いた。立ちとまり、ハイはソウタへと顔を向ける。

「漢になれ、ソウタ……」

 ハイの言葉がネコミミに響く。冷たい三白眼を向けてくるハイを、ソウタは見つめることしかできなかった。


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