ハルノウタ 

First cat  雪の中で、白猫と

 ――キャットイヤーウイルス。

 ――感染者にはメラニン色素を司る染色体の異常、及び猫の耳に似た器官が頭部に生じ、死に至る病。

 人類が絶滅寸前までこのウイルスに追いつめられてから、約半世紀が過ぎようとしている。

 灰猫と呼ばれた1人の少年からワクチンと特効薬がつくられ、人類はかろうじて滅亡を免れる。

 わずかに生き残った感染者たちはウイルスと共生関係を結ぶことに成功し、隔離場所であった箱庭地区で静かに暮らしていた――




 First cat  雪の中で、白猫と



 悲しい歌声が聴こえる。

 夕方から降り始めた雪が見たくなって、ソウタは島の頂にある円卓公園まできていた。

 雪の白い色を見たとたん、ソウタは無性にこの島が懐かしく思えた。

 この島を懐かしく思う理由を知りたくて、ソウタは島を散策していた。そうしてたどり着いた円卓公園で、歌声を耳にしたのだ。

 ソウタは頭部に生えた灰色のネコミミ――キャットイヤーウイルスに感染して生じる、猫の耳に似た器官――をたて、歌声のする方向へ顔を向ける。

 歌のする方向を見て、ソウタは瞳を見開いた。

 公園の中央には桜が植えられている。その桜の下で喪服姿の少女が歌を奏でていたのだ。

 歳は自分と同じ12歳頃だろうか。

 肩まである癖のある銀髪が、夕光を受け桜色に輝く。伏せられた銀の瞳は光に揺らめいて、想いを馳せているようだ。

 亡き人を想い、彼女は歌っているのだろう。

 特にソウタが瞳を奪われたのは、少女の頭に生えたネコミミだった。

 真っ白なネコミミ。

 白いネコミミを見て、ソウタはあることを思い出していた。

 その昔、キャットイヤーウイルス感染者たちの命を救った少年がいた。

 少年の保有ウイルスは特殊なものであったらしい。そのウイルスからクチンと特効薬が造られ、人類は滅亡から免れたという。

 灰色のネコミミを持った少年は灰猫と呼ばれ、人々に崇拝される対象となった。

 灰猫には、恋人がいたそうだ。

 灰猫の恋人には白いネコミミが生えており、そのネコミミに因んで人々は彼女を白猫と呼んだそうだ。

 少女はまるで、白猫のようだった。

 歌は鎮魂歌だった。

 透きとおる声が、死による別離と残された人々の嘆きを歌いあげる。

 雪と同じ色をした少女の頬に、一筋の涙が流れていた。

 風が吹き、少女のスカートが翻る。木に積もっていた雪が風に煽られ、少女の周囲を舞った。

 舞う雪は少女を取り巻くように、虹色に煌めく。

 少女の左ネコミミについた鈴が澄んだ音をたてた。ソウタの右ネコミミについた鈴も、共鳴するように鳴る。

 少女は風音に合わせ、鎮魂歌を歌っていた。

 風だけではない。

 海のさざめきや、風に煽られる雪の音。

 それすらも、少女の歌の伴奏となっている。聴こえる音を利用して、彼女は即興で歌を奏でているのだ。

 少女が持つ、特殊な力。

 それは、彼女が『ケットシー』であることを示していた。ネコミミについた鈴のピアスは、ケットシーであることを示す目印だ。

 ケットシー(妖精猫)とは、キャットイヤーウイルスに感染し、特殊な能力を身につけた人々の総称だ。

 ケットシーはその特異さゆえに、差別されることもある。少女の歌は、他者とは違う孤独を嘆いているようにも聴こえた。

 風が響く。少女の歌が哀切を帯びる。

 歌は優しくソウタのネコミミに語りかけているようだ。

 亡くなった義母も、語りかけるように子守唄を歌ってくれた。血は繋がらなくても、義母であるサツキはソウタにとって優しい母親だった。

 サツキは『マブ』の研究員だった。

 マブはキャットイヤーウイルスを研究する組織である。

 ソウタは研究の一環として、マブで人工的に生み出された子供だ。サツキはそんなソウタを引き取り、我が子のように育ててくれた。

 今でもサツキの笑顔が、頭から離れてくれない。

 病を患い、入院生活を送っていた彼女は死期が近づいていること教えてくれなかった。

 サツキの死に立ち会うことが出来なかったことを、ソウタは今でも悔やんでいる。

 サツキを思い、心臓が大きく高鳴る。

 歌がやむ。

 少女が瞳を見開いて、ソウタへと顔を向けてきた。

 少女はソウタを見つめながら、瞳を悲しげに細める。彼女は優しい声でソウタに語りかけてきた。

「私と、同じなの?」

 少女に話しかけられ、ソウタは我に返る。

 頬に湿り気を感じ、ソウタは片頬に手をやった。手が、頬を流れる涙で濡れてしまう。

 唖然と、ソウタは少女を見つめ返していた。

 涙を流しながら、少女は微笑んでいる。

 悲しいはずなのに、彼女は涙をこらえて笑おうとしている。

 迫り来る夜闇の中にありながら、彼女の瞳は桜色に煌めいていた。

 少女の涙を見て、ソウタは瞳を見開いていた。

 その涙に見覚えがあったから。

 サツキの葬儀のとき、義姉のミミコが流していた涙だ。

 自分と同じようにサツキに引き取られた彼女は、義弟である自分の面倒を今でも見ていてくれている。

 サツキが亡くなって泣きじゃくる自分を、ミミコは優しく慰めてくれた。

 葬儀のとき、ミミコは自分に笑顔を向けてくれたのだ。

 ――泣いてばかりじゃ義母さんに笑われちゃうよ。

 そう言って、綻ばせた瞳に涙を浮かべながら。

 彼女は涙をこらえながら、ソウタを慰めてくれた。

 彼女も悲しかったはずなのに。

 島を懐かしいと思った理由がわかった。

 サツキの葬儀も、この円卓公園でおこなわれた。その時のことを、少女の歌声を 聴いて思い出したのだ。

 彼女に会うためにここに来たのだと、ソウタは思った。

 自分と同じ少女に出会うために。

 同じケットシーであり、悲しみを抱える彼女を慰めるために。

 だからソウタは彼女に、こう返した。

「同じだよ」

 少女に微笑んでみせる。少女は、驚いたように瞳を瞬かせた。

 少女はゆっくりとした足取りでソウタに近づいてくる。

 瞳を揺らしながら、じっとソウタを見つめて。がて彼女は桜色の頬に笑窪を浮かべ、微笑んでくれた。

 彼女の笑顔を見て、ソウタの心臓がとくりと音を奏でる。彼女が近づくたびに、ソウタの心音は大きくなっていった。

 彼女の笑顔を側で見たい。

 無性に少女が愛おしく思えて、ソウタはゆっくりと彼女に歩み寄っていった。

 これが、ソウタとハルの出会いだった――

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