fourteen Cats 影の夜、ひとつの終焉
「うー……」
壁についたナイフの傷を眺めながら、ハイが鳴く。彼の手には、灰色の毛色をした子猫のぬいぐるみが抱かれていた。
ぬいぐるみは、ハイがリズにねだって作ってもらったものだ。灰猫のぬいぐるみが欲しいというハイのために、リズは型紙もなしにぬいぐるみを作ってしまった。
チャコは、そんな弟の様子を苦笑しながら眺める。部屋の中央に置かれたバスケットに座るチャコは、ネグリジェに着替えていた。
「ソウタ……ボクと同い年……。だから……ボクもソウタぐらい……おっきくなれる。おっきくなれ……。おっきくなれ……」
帰ってきてから、ハイはずっとあの調子だ。さっきから自分で付けたナイフの傷をなでては、ソウタのように大きくなれますようにとおまじないを続けている。
自分より小さな弟が、ソウタのように大きくなれる姿がチャコは想像できない。
「ソウちゃんみたいにおっきくは無理じゃないの。ハイ、私より小さいじゃん?」
にっと意地の悪い笑みを浮かべ、チャコはハイに声をかけてみる。ぴたっとハイは傷を撫でるのをやめる。かわりに、彼のネコミミがふるふると震え始めた。
「うぅー!!」
叫びながら、ハイはバシバシとネコミミで壁を叩き始める。
「うー! おっきくなる! おっきくなる! おっきくなる!!」
「あー、ハイはそのうち大きくなれるよ。大丈夫だってば!」
「ほんとー……?」
ネコミミで壁を叩くのをやめ、ハイはチャコに振り返ってきた。ジト目でチャコを見つめながら、ハイは姉の答えを待つ。
「うんとさ、ハイはなんでおっきくなりたいの? 今はちっちゃいかもしれないけど、まだハイは成長期に入ってないだけじゃないかな。そんな気にすることないと思うんだけど?」
「ボク、早くおっきくなりたいの……」
チャコの体を向け、ハイはじっとこちらを見つめてきた。
「おっきくなれないかも……しれないから……」
しゅんとネコミミをたらし、ハイは三白眼を伏せる。そのとき、ぱっと部屋を照らす光があった。
「あっ……」
びくりとハイがネコミミを震わせる。彼はそのまま、光が入り込む窓へと顔を向けていた。
窓外では眩い閃光を放ちながら、ウィルオーウィルプスが夜の闇を照らしている。
「最近、多いいな……。ウィルオーウィルプス……」
白く明滅する窓を眺めながら、チャコは呟いていた。ハイを見ると、怯えるようにネコミミを震わせている。
チャコはウィルオーウィルプスに怯えていたハイの姿を思い出していた。
――こんなボクを見ないで、チャコ……。
そう言って泣いていたハイの声が、脳裏から離れてくれない。
「うぅっ!」
たっとハイがチャコのもとへと駆けてくる。ぽよんとバスケットの縁を飛び越え、ハイはチャコに抱きついてきた。
「うぅ……。うぅ……」
ぶるぶると体を震わせながら、ハイはチャコの胸元に顔をうずめる。思えば、小さな頃からハイはウィルオーウィルプスを恐がっていた。
「何が、恐いの?」
そっと震えるハイのネコミミにチャコは囁いていた。
「姉ちゃん……」
ゆっくりとハイは顔をあげてくる。うっすらと涙に濡れた三白眼を見て、チャコは言葉を詰まらせた。
「どうして泣いてるの? ハイ……」
「ごめん、言えないの……」
弱々しくハイは答える。ぎゅとチャコを抱き寄せ、ハイは言葉を続けた。
「でも、ボク早く大きくなりたいの……。早く大人になって……姉ちゃんたちを守りたいの……。でもボク、恐い……恐い……」
「何が、恐いの……」
「死んじゃうのが……恐い……」
白く明滅する部屋にハイの震える声が響き渡る。チャコはただ、そんな弟を抱きしめることしかできなかった。
「また、病室に逆戻りかな?」
窓を開け、リズは夜空を照らすウィルオーウィルプスを眺めていた。暗い海を照らす美しい閃光を光のない視界に映し、リズは嗤う。
リズの眼は殆ど見えない。だが、大きな光の変化をリズは感じ取ることができた。
今日のウィルオーウィルプスは、それほどまでに眩しい。
文明が終わってから頻繁に見られるようになった、美しい自然現象。吉兆の証。
大人である自分たちが、子供たちに刷り込んだ嘘を思いだす。その嘘がとても滑稽に思えて、リズは笑みを深めていた。
この光のイリュージョンは美しいものではないことを、リズは嫌なほど知っているから。
ぎぃっと後方で音がする。リズは後ろへと顔を向けた。
りんと鈴の可憐な音がして、リズは訪問者が誰なのかすぐにわかった。
「リズ姉起きてる……?」
「起きてるよ、ハイくん」
小さな声がして、扉が開かれる。リズは優しく微笑んで、やって来たハイに言葉を返していた。
壁に立掛けた杖を持ち、リズは入口へと向かっていく。そっと屈んでハイに手を伸ばすと、ふさふさとした猫耳の感触が手に広がった。
ハイは猫のぬいぐるみを抱きしめているのだ。
そのぬいぐるみを撫でながら、リズは思わず微笑んでしまう。今日の夕方、突然ハイは灰猫のぬいぐるみを作って欲しいとリズにせがんで来たのだ。
大切にしてくれているようで、本当に良かった。
「人形、気に入ってくれたのね」
「うぅ……」
ハイに笑ってみせる。笑顔を向けられたハイは、照れくさそうに鳴いてみせた。
「お手伝い……してくれる……」
そう問いかけるハイの声が震えている。ハイは怯えているのだろう。そんなハイにリズは笑顔を浮かべてみせた。
「大丈夫、いつも一緒にお掃除してるじゃない。今日だって、ちゃんとハイくんのお手伝いできるよ」
そっとぬいぐるみから手を放し、リズはハイの右ネコミミに触れてみせる。リズの指がネコミミの毛を撫でるたびに、りんと可憐な鈴の音がハイのネコミミからはした。
「でも、リズ姉……」
「行こう、ハイくん。ママが私たちを待ってる」
そっとぬいぐるみを抱きしめるハイの手を握り、リズは優しく語りかける。りんと鈴音がして、ハイが頷いたことを知らせてくれた。
そっとリズはハイの手を取り、立ち上がる。
「連れてってくれる。ママのところまで」
「いつも、そうしてる……うー……」
弱々しくハイが鳴く。リズが苦笑すると、ハイが手を握り締めてくれた。ハイの小さな手はプニプニしていて猫の肉球のようだ。
「リズ姉……」
「なぁに?」
「恐く、ないの……」
ハイの問いかけが、静かな部屋に木霊する。リズはぎゅっとハイの手を握り締め、言葉を返した。
「恐いよ」
「じゃあ……どうして僕のお手伝い……してくれるの?」
「ハイくんとチャコちゃんを守りたいから……」
凛とした声がリズの喉から零れる。リズは幼い頃に別れた、弟のことを考えていた。
ハインツはハイがすごく夢中になるぐらい、大きくてたくましい男性に成長しているという。町長も勤める彼にリズは全くあっていない。
彼を捨てた罪悪感が、リズをそうさせるのだ。
自分たちに養子の話が来たとき、リズはハインツを捨てることにした。ケットシーである自分と一緒にいれば、ハインツも必然的に差別される側になる。
リズが子供だった頃はケットシーへの差別が今よりも酷かった。先代の女教皇がケットシーに関する差別を撤回してから、それほど年数が経っていなかったこともある。
それと同時に、ケットシーが起こした凄惨な事件が人々の心に暗い影を落としていた。
幼いチェンジリングがケットシーとなり、常若島に侵入してきたミミナシたちを虐殺したのだ。
事件直後箝口令が箱庭中には敷かれたが、噂をもみ消すことはできない。
リズも詳しことを知らないが、そのケットシーは――。
「リズ姉どうしたの……」
りんと鈴の音がして、リズは我に返る。音のした方へ顔を向けると、ぽよんとハイがネコミミをたらす音がした。
「何でもない。行こっか、ハイくん」
「うー……」
ハイの手を引き、リズは彼を促す。ハイは弱々しく鳴いて、ちょこちょこと歩き出した。
りんりん。
彼が廊下を歩くたびに、玲瓏な鈴の音が鳴り響く。その音の背後で、ウィルオーウィルプスの轟音が響き渡っていく。
ウィルーウィルプスはリズの暗い視界を光で満たす。光を放つたびに、まるで悲鳴のような音をあたりに撒き散らしていく。
でも、この音を奏でているのは他でもないリズ自身なのだ。
この音を自分はあと何度奏でられるだろうか。それだけが心配でならない。
「リズ姉……」
くいっとハイがリズの手を引いてくる。リズは笑みを浮かべ、ハイに語りかけていた。
「行こっか、ハイくん」
「うん……」
応えたハイの声が震えているのは、気のせいだろうか。
たぶん、彼は恐くて仕方がないのだ。それでも、自分たちのためにハイは戦ってくれている。
ハイのお陰で、リズたち箱庭の住人は平和な暮らしを送ることができている。
そっと、リズはハイの肩にふれていた。ハイの肩はなで肩で、とても小さい。この小さな肩に自分たち大人はたくさんのものを背負わせてしまている。
少しでも、その重荷を取りのぞいてあげたい。そんな思いが、リズを行動させている。
たとえ、それが自分に死をもたらすものであったとしても。
「ハイくん……」
震えるハイにリズは声をかける。
「うぅ……」
「私が守ってあげるから……」
「リズ姉……」
ぽすりと、温かな感触がリズの体を包み込んだ。背中にもかすかな熱を感じ、リズはハイに抱きしめられていることに気がつく。
「ごめんなさい……」
りんとハイの鈴が悲しげになる。その音をかき消したくて、リズはハイを抱きしめ返していた。
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