第2話 最後に救うのはこの私


「――なぁチビ。もしも……十年後くれーにカズに助けが必要だと思ったら、コイツに繋いで『葛葉かつよう禾熾かし』を呼べ」

「ふっざけるな! 誰がバケ狐の助けなんか要るもんか!! カズ兄ィを助けるのはあたしよ!」

 大嫌いな狐面にぎゃんぎゃん噛み付いた九歳のユリカに、狐面はふふっと笑い声を漏らす。

「……そうだな。カズを最後に救うのはきっとオメーだ」

 黒い革手袋をはめた手でぐしゃぐしゃと撫でられ、ばしりとその手を払った。それをユリカにやって良いのは、ユリカの兄二人だけだ。

「そうよ! アンタなんか、だーいっきらい!!!」

 あっかんべー! と舌を出すユリカに連絡先のメモを押し付け、どこへともなく狐は消えた。



 遠く大気圏の外縁で花火が舞い散る。それを窓の外に眺めながら、十九歳のユリカはそっと溜息を吐いた。水素とメタンで満ちたエメラルドグリーンの大気に火などつければ大ごとになる。だが、もはやこれが最後の花火と、それは物凄い炎の華が空全体を燃やすように咲き誇っていた。

 出航の祝賀に舞う花はただ、人々に故郷との別離を知らせて悲劇を強調しているように見えた。 そんな風に考えてしまうのはきっと、ユリカ自身の問題だ。人々は涙し、手を握り合い、抱き合いながらも明日を誓って船へと乗り込んでいる。

 これは『方舟』。終わるこの星から脱出するため人々を乗せて、遠く宇宙へと出航する。

 乗り込めるのは国民の七割程度。乗船を許された者の名は、出航ギリギリになってようやく公開された。 否、そもそもこの星が――この星に築かれたドームコロニー型惑星国家が終焉を迎えることそのものが、強権的な独裁政権によって最後の最後まで秘匿されていた。

 政府は十年も前から知っていた。そして、何も国民に知らせないまま重税と苦役を強いて、五隻の方舟を完成させた。五隻にはそれぞれ、五つあった都市の住民が乗る。そのほとんどが一般市民か、それより貧しい貧民だ。かつてこの国の「貴族」と呼ばれた富裕層が重点的に取り残される。それは、十年前この国を転覆させた現政権の独裁者の私怨だ―― 一般にはそう解されていた。

「ユリカ。早く乗りなさい」

 世話になってる老夫妻に急かされ、ユリカは老夫婦を振り返った。ユリカは方舟の民に選ばれた。選んだのはこの国のコロニーを管理する人工知能だと公式には言われている。だがきっと、ユリカを選んだのはその人工知能とやらではない。

「…………おじさん、おばさん。ごめん、先に乗ってて」

 ぎりりと拳を握り、ユリカは絞り出すように言った。戸惑う気配が何か言う前に、勢いよく頭を下げて走り出す。

「ユリカ……!!」

 遠く響く養父の声を背に、船に乗り込む人々をかきわけ中央国府を目指す。その最奥には、この国の独裁者が座っているはずだ。

 ――カズ兄ィ!!

 それは、ユリカにとってのその独裁者の名だ。まだ三十代半ばの男は、十年前までユリカの血の繋がらない、だが自慢の兄だった。この国の端、酷く貧しく苦しい場所で一緒に育った。いつかこの腐った国を引っ繰り返して優しく美しい国を作りたいと語る、誇り高く理想高いユリカら貧民街の子供たちのリーダーだった。

 そして彼は、本当にこの国を引っ繰り返した。

 みんな平等に、豊かな暮らしを。そう理想を掲げた自慢の兄が国権を握った途端独裁者になった時、ユリカや周りの仲間たちは酷くショックを受けた。裏切られた。そう怒り嘆く者も多かった。兄は国府の奥に引きこもり、それまで以上の独裁を布いた。――それがこんな理由だったなんて、この国の人々を破滅から救うためだなんて誰にも言わずに。



 ――カズ兄ィはほんとは涙もろいんだ。優しくて、涙もろくて、でも強がりで誇り高い。

 肩を組んで歩くような親友だった男を喪った時も、ニセモノの笑顔を浮かべて「あいつは良くやった」なんて言っていた。本当は死んで欲しくなんてなかったはずだ。ずっと一緒に居たかったはずだ。それをユリカは誰より良く知っている。だが、彼の仮面はとても強固で、隠しきった涙は誰にも見つけられない場所に仕舞われる。

「……だけど、あたしは……!」

 今、兄は何をしているだろう。一仕事終えたと安堵の溜息を吐いているだろうか。それとも、共に残ってくれた仲間を思って独りで泣いているだろうか。国府に入った兄の仲間たちは、兄と一緒にこの星に残る。最後の最後まで、暴動や混乱が起きないように国は厳しく民を見張る。

 ユリカだって仲間だった。

 まだ十にも満たない年齢だったが、それでも兄たちと一緒の「革命軍」だったはずなのに。革命後すぐにユリカは養父母に預けられ、そのまま兄とは会えなくなった。置いて行かれた。つまはじきにされた。そうショックを受けて一時期は兄を嫌いになった。だがその真意を知って、居ても立っても居られなくなった。

(やっぱりまだ嫌いだ……! 何にも言わずにあたしを置いて行くんだ。また仲間外れ。そんなの許さない……!)

 走る。小柄な身体を活かして、幼い頃から鍛えたすばしっこさを活かして、国軍の監視を潜り抜ける。もう街はほとんどもぬけの殻で、国府の警備も甘い。侵入は存外簡単だった。

「カズ兄ィ!!!」

 国府最奥の、重々しい扉を蹴り開ける。赤い絨毯も、分厚い木で出来た重苦しい扉も、やたら複雑な形の照明も兄には似合わない。こんな場所、兄には似合わない。だから引きずり出す。一緒に、もっと相応しい場所へ。

 ぶち開けた扉の向こう、重厚なつくりの執務椅子に腰かける男があった。黒い軍服。重々しい徽章。随分と偉そうな格好をして、十年分以上老けた兄だった。

「――ユリカ。なぜここに……?」

 十年も顔を合わせていないのに、ユリカに気付く兄はきっと、ずっとどこかでユリカの様子を見ていたのだろう。そして今回も、無理矢理でも船にねじ込んだに違いない。それくらい可愛がられていた自覚くらいはあるのだ。でも、だからこそ。応じてやるわけにはいかない。

「迎えに来た。カズ兄ィも一緒に行こう!」

 言えば、戸惑ったように兄が眉を下げる。似合わぬくらい綺麗に撫でつけられた頭には、随分白髪が増えていた。ちらほらと、他の国府の仲間たちが顔を見せる。

「駄目だ。俺たちは最後まで残らなければいけないんだよ」

 予想通りの言葉に顎を引いて宣言する。

「じゃあ私も残る」

「ユリカ」

 聞き分けのない子供を見る目だ。そう苛立ちがこみ上げるが、ここは感情的になっては駄目だ。

「私も、残る。残ってカズ兄ィやみんなと一緒にこの星を出る」

「方舟はもう出航するんだ。馬鹿なことをいうな」

 元々金を持っていた連中は、こっそりと私財で船を雇って宇宙へ逃げた。実質、最後にこの星に残るのは、彼ら国府の人間だけだ。

「大丈夫。船が来るもの。あたしが呼べる」

 立ち上がった兄が怪訝げに眉を寄せる。

「十年前。あたしは連絡先を貰ったの。アキツ政府に繋がるアドレス。もし十年後、必要なら呼べ……って」

 アキツとは別の星系にある惑星国家だ。ここと違って、惑星全体をテラフォーミング出来ている。そこから常に白狐の面を被った、黒装束の奇妙な男が来ていた。

 そいつは兄にずっとついて回り、色々と入れ知恵をして革命を成功に導いた。だが、兄と兄の親友を離別させたソイツがユリカは嫌いだ。ずっと嫌いだった。十年前、この連絡先を貰った時も、真面目に聞いてはいなかった。兄や国府の連中でなく、ユリカにそのアドレスを教えた意味も大して考えてはいなかった。

 だが、必要ならば何でも使ってやる。

「だからカズ兄ィ、星間超光速通信を繋いで!」

 メモを片手に、ユリカはそう声高に言った。最後に兄を救うのは、ユリカの仕事だ。



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Twitter フリーワンライ企画(#深夜の真剣文字書き60分一本勝負)参加作。

使用お題:「遠花火」「隠しきった涙」「舞う花はただ」「ニセモノの笑顔を浮かべて」

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明日の選択を 歌峰由子 @althlod

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