第3話

もちろん台湾にもDVがあれば、嫁姑の不仲もいじめもある。アジアでも高い離婚率だし、不倫だってごろごろある。

しかし、当時DVとは腕力による暴力、という認識しかなかった。ジャックは私を叩きも蹴りもしなかった。が、彼の心無い、尖がった言葉に日常的に傷つけられていた。

「君さ~、台湾に来て何年? もういい加減にまともなこっちの家庭料理作れてもいい、作れるはずなんじゃない?」

しょっちゅう訝かられた。

また、ある時。

「何これ! 」

「レシピ本見て作った。レシピ通りよ。」

私は胸を張って言った。ちゃんと書店で買った台湾料理の本のまま作ったのだ。文句はないだろう。

「まずいよ~ ヘンだよ、これ。こんなの食べたことないよ。テレビの料理番組見ろよ。第一、もっとお袋に習うべきだよ。」

結局、夫は長年慣れ親しんだお袋の味至上主義者だった。


掃除の仕方、娘たちの髪型や服装、私の何気なくやる行動……

ありとあらゆる事柄に口を挟み、ガミガミ責めた。一貫してそんな方がまだ混乱せずに済んだかもしれないが、夫は喜怒哀楽がジェットコースター級であった。いわゆる癇癪持ちで、なぜか気色悪いほどご機嫌な時もあり

その落差について行けなかった。人格や、娘たちの母親であることを否定するほど厳しい言葉を吐かれて、私は幾度も追い込まれ、夫への反感も怨念も積み重なっていった。一度言われた言葉は、半永久的に記憶に残る。放った者は忘れても、受けた者は深い傷を負い、それは刻まれる。

結婚生活が長くなるにつれ、私は変わった。ジャックは自分が一番正しい

ものと信じ切っているので、変えたくても変わりようがなかったが、かつて会社で見た彼の眩しい仕事ぶりや、外では見せていた柔らかい笑顔、それらに夢中になった自分自身の恋慕の情は、本当に存在したのかさえ曖昧になって行った。


「今度、日本に里帰りするなら、自腹で航空券買えよ。」

「娘たちをお袋に任せた方がうまく育つんじゃないかな。」

呼吸器系が弱い私が気管支炎を患い、医師から肺炎になる懸念も伝えられ

寝込んだ時、夫は一度も枕元に来なかったし、具合を案じたり、食事の心配することもなく、家事の手伝いもまったくせず、幼い娘たちだけがぴょんぴょん駆けてきて、ママ、だいじょうぶ?と気にかけてくれた。

それでも、辛くて、勇気を出し、

「ジャック、悪いけど、陳内科までバイクで連れてってくれない? 肺炎になってそうで不安なの。」

陳医師の診療所まで、バイクなら5分くらいだった。

ジャックはおもむろにベランダの定位置へタバコを吸いに出て、やっと戻って来たかと思うと、

「ほんとにそんな重症なの? 自分で歩いて行けばいいじゃん。」

と面倒くさそうに言い放った。


とっぷり日は暮れて、小雨が降っていた。

私は傘を杖にして、泣きながら陳内科までとぼとぼ歩いた。

また、とぼとぼと帰っても、冷ややかな、妻に視線さえ向けない同居人がテレビを見ていた。


職場結婚したあと、離婚まで約10年間にジャックは4〜5回仕事を変えた。台湾でもリストラの声を聞く時代だったが、彼は、社長や同僚の資質、その業界の将来性の無さなどを理由に、転職先も決めずに自主退職した。

自主退職。まあ、聞こえは悪くない。だが、要するに、何度も失業した。貯金があったから気が大きくなっていたのだろうが、そこより彼の人間性に疑問を抱いた。離婚までの最後の2年間も、彼は自宅でわずかな株を転がして、昼寝付きの日々を送っていた。


こんな環境で、思慮深い私みたいな融通の利きにくい者が、うつにならない方が不思議だったとも言える。


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