第2話

羅振昌弁護士の事務所は、住所の印象よりずっと近く、バスで10分ほど、

停留所から歩いて探す方が、方向音痴の私には時間を要したくらいだった。時は5月中旬、曇って今にも雨が落ちてきそうだったが、じっとして

いても汗ばむ日和だった。台北は亜熱帯性気候に属するため、当然と言え

ば当然だった。

シスター小原から聞いていた通り、羅弁護士は弁護士然としていない雰囲気を醸し出す人物で、応接室に通されても緊張せずに済んだ。頭髪はほとんど白くなっているものの、顔の皮膚を見ると、還暦に届くかまだかという感じを受けた。


A4サイズにコピーされた離婚協議書をふむふむと目で追ったあと、

「極めて一般的な形式、程度のもので、あなたに不利な内容ではありませんね。」

と述べた。安堵する間もなく、私は桂の親権について訊いた。

「日本では、特に幼い子供は母親が親権を取るケースが多いようですが、台湾はまだまだ父系社会です。よって、父親が子の親権を欲しがる以上、裁判をしてもあなたに勝ち目はありません。」

つらい宣告だった。

しかし、すでにジャックと娘たちと暮らしたマンションを出て、ひとり日本語講師を続けながら、まさに泣き暮らしていた孤独な自分にとって、羅弁護士のような温和で誠実な法律家との面識を得たことは、相当な慰めとなった。30分くらい話したが、彼は相談料を取らなかった。恐縮する私に

「要る時はちゃんとそう言います。今日は要りません。シスター小原によろしくお伝え下さい。」

はにかんだように聞こえる優しい声で、羅弁護士は言った。


2012年3月に、私は自宅マンションから目と鼻の先にある古びたアパートの3階に部屋を借りて移り住んでいた。大きな十字路を挟んだだけのような位置にあったので、娘たちはしょっちゅう泊まりにやって来た。

ジャックは、

「出て行ったら離婚するぞ。」

と脅した。だが、彼の言動は、私をそこに居られなくするものになっていた。年が明けた頃には、生活費をくれなくなったし、胸をえぐられるほど冷たい視線を向けられるようにもなっていた。彼の発言には矛盾があると思った。


矛盾くらい、どうってことなかった。新婚当時そんな言葉は知らなかったが、彼の私に対するモラハラは一貫して改善されず、2010年5月には、それが元で私はうつ病を発症していた。とっくの昔から、私は彼によって病んでいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る