03.

 真澄は、すっかり通い慣れた事務所へと足を踏み入れてきた。警戒用に張った結界がそう伝えてくる。

 シエリールは、真澄が来たことを巡季に伝え、自分は本から目を離さずに待っていた。

 扉が開いて、初めて本を閉じ視線を上げる。

「毎度どうもー」

「ああ、よく来たな」

「あんたすごいかっこうね」

 シエリールは、編み上げブーツから足を出し、机の上に足を放り投げていた。

 真澄にとってはいつもに近い光景。だが、シエリールにしてみれば一部の気を許した人間にしか見せない特別。

「こうするくらいしか、事務椅子でくつろぐ方法が思いつかなくてな」

「そういえば、この前いなかったけどお仕事?」

「そう」

「なに? どんなお仕事?」

「猫探しだよ」

「へえ、本当にするんだ。猫探し。なんかお話の世界みたい」

 魔法を駆使し、銃を頭に突きつけられて。そんな猫探しは他にないだろう。そういう意味では確かにお話の世界のようだった。その皮肉に思わず頬がゆるんだ。

「なにを今更。おまえだって人探しで来たんじゃないか」

「そういえば、そうでした」

 シエリールは、タバコに火をつけた。高い葉巻ではなく、どこでも売ってる安い紙巻きタバコ。実はこれも、特別だった。気を許した友達の前でしかタバコを吸わないようにしている。理由は大方面倒だから。

「あんた、体に悪いわよ? 禁煙とかしたら? 世の中健康ブームだし」

「まあ、気遣いだけはいただいておくよ」

 真澄は、ソファから立ち上がり、部屋の隅っこに置かれたテレビのスイッチをひねった。

「このテレビもすごいわよね。チャンネルをひねるタイプのテレビなんてもう博物館にしかないと思ってた」

「でも、現役で映ってるじゃないか。昔のものは丈夫なんだよ。今の新しいものは軟弱でいかん」

「機械が進化して、繊細になってるからねぇ」

「ちょっとの誤作動なんぞ気にしない豪胆なつくりの方がいいと思うがね」

「あー、まただ。また人殺しの事件だ。多いよね、最近。もうなんかむちゃくちゃ。道もおちおち歩いてられないよね」

 テレビには、昼間起きた通り魔事件のことをキャスターが淡々と告げていた。

「誘拐などならば対処できるが、さすがに通り魔は無理だな。人間の基本性質はやはり悪なのか」

「なに、性悪説ってやつ?」

「なんかこう時代が乱れてくると、人間もつられて乱れてるのか、本性を現しているのか。どっちだろうと思ってな。人間は本来怠惰に流れる生き物だしな」

「なんか他人事みたいにみえるけど? 明日にも刺されるかもわからない人生送ってるのに」

「その方が、仕事が増えるというのは悲しいながら事実でね。適度な乱れはありがたいのさ」

 大仰に肩をすくめて見せた。

「なんか、悲しい仕事」

「そういうな。私にはおあつらえ向きな仕事なんだ。それに、だ。暴力団どもは昔となんら変わらない。一般人がおかしくなっているんだ。むしろ、荒くれどもは締め付けが強化されておとなしくなってるくらいだ。だから、おまえが気をつけろ」

「うん、まあ。気をつける。わたしも合気道とか習ったほうがいいのかな?」

「武道やってて、油断して刺されるよりも、ある程度気を張って普段を過ごしたほうがいいと思うぞ。危ないところには近づかない。そんな些細なことでずいぶん違うものだ」

「ふうん、そんなもん?」

「そんなもんだ」

 今日も、そんな他愛無い、益体のない話をして時間を過ごした。そんな時間の使い方に、贅沢故の幸福感と罪悪感を感じながら。遅くなる前に、真澄は事務所を出て行った。



 のんびりした時間。真澄が帰った後は、むしろ空虚と思えるほど空しい時間が過ぎる。タバコの短くなる音だけがやけに耳についた。他には、大きな通りから流れてくる喧噪。

 ふうっと煙を吐き、それを意味もなく見つめる。感じるのは、孤独感。寂寥感。巡季はいつもどおりいるのに、それでは埋められない感覚。

 それを手にし、戸惑い、困惑し、喜んでいる自分がいる。明日が楽しみであるなんていう感覚、いつ以来だろう。

「なあ、巡季――」

 明日は、あいつは来るだろうか? そう尋ねようとしたときだった。事務所設置の黒電話が鳴った。

 シエリールは、折角の楽しみに水を差された気持ちになって舌打ちをする。

「はい、四辻探偵事務所」

「どうも。いつもお世話になってる金色会の木林だ」

「ああ、金色会。本当おまえらの世話になりっぱなしは感心しない。早くおしめを取ることだ」

「てめえ、今のは聞かなかったことにしてやるから、耳かっぽじって良く聞け。おまえの友達の有坂は預かった。返して欲しくば、言うことを聞け」

「――貴様!」

 血の気が引く。とうとうこの日が来てしまった。真澄が、自分の仕事上のトラブルに巻き込まれる日が。

「落ち着けよ。話を聞け。この娘は資産家の娘だな。金を用意し、おまえがもってこい。もちろん警察はなしだ」

 木林は完全に調子に乗った声色でねっとりとした口調に変わった。

「いくらだ?」

「へへ、話が早くて楽だぜ。三千万をキャッシュで。場所は追って知らせる。ではな」

 無情にもそこで電話が切られた。

 シエリールは震える手で受話器を戻す。頭を占めるのは、なぜ? という問い。答えは送っていかなかった自身のミス。それは、単なる後悔に過ぎなかったが他に責めどころを見出せず、ただ己の迂闊さを呪った。

「くうぅ。すまん、巡季。私は――」

「それは、真澄さんを助け終わったらお聞きします」

 巡季は、情報を集めにあちこちに電話をかけ始めた。シエリールも、携帯電話を取り出し、かける。

 女中らしい女が応対に出た。シエリールは緊急で当主につないで欲しいと、半ば命令的な口調で言う。

「はい、お電話代わりました。有坂です」

「律、すまない」

 電話の相手は、有坂家最後の退魔師にして、現当主、有坂 ありさか りつだった。

「あら、珍しい。あなたが謝るなんて」

「茶化すな」

「まあ、話は聞きましたよ。真澄が誘拐されたそうですね」

「そうなんだ。すま――」

「謝罪は結構ですよ。あなたのところに通っていたのだもの、それくらいは覚悟してましたよ」

「そうか、だがあいつは必ず助けてみせる。私の命に代えても」

「あらあら。あなたが命を張るだなんて。人間に殺せるとはとても思えませんけどね」

「そうたやすく物事が進めばいいが」

「大丈夫です。あの子は帰ってきます」

「なぜそんなことが言い切れる?」

 シエリールは少し厳しい口調になった。

「あなたが行くんですよ? それ以上の保証がこの街であるとは思えません」

 律は我がことのように自信に満ちた声で返答した。

「そんなもの、なんの保証にもならん」

 シエリールにあるのは、万が一が起きたときの恐怖感と絶望感。

「あの子を助けられるのはあなたしかいません。あなたが、出来ないと思えば、あの子は死ぬでしょうね。そして、あなたがそう望まなければ、あの子はあなたを拒否するでしょう」

「……そうか」

「逆に問いますが、あなたこそ、なぜそこまであの子にこだわるのです? 私の孫だからですか?」

「わからない。わからないが、あいつは私と人間として出会い、人間として接してくれたんだ」

「それは、あなたの正体を知らないからでは?」

「それもわからないんだ。それを確かめるために私は行かねばならないと思うんだ」



 朝六時。まだ、街は半まなこだ。鳥たちが静かに朝に華を添えている。

 昨日は一睡もできなかった。だが眠くはない。やるせなさだけが胸を満たす。

 古い煉瓦製の倉庫が並ぶ街外れの倉庫街。ここならば、大砲でも撃たない限り人が来ることもない。また、倉庫の造りも立派でちょっとやそっと悲鳴を上げたくらいでは外には届かないだろう。

 指定された倉庫の前。シエリールと巡季は黙ってその門構えを見上げていた。シエリールの右手には、アタッシュケース。律儀に三千万を用意してきたのだ。重量にして約三キロ。それで人間の命が買えるのだ。少々、軽い気がしたが、これで買えるならとも思った。

「おまえは裏に回れ。どうせろくでもないことになるに決まってる。隙を見て真澄を奪還しろ」

「はい。所長」

「なに、心配するな。大事な人は取り戻すさ」

「所長が無事なら、私はそれで……」

「おまえ、絶対真澄の前でそんなことを言うなよ。言ったら、おまえを許さない」

「了解しました」

 シエリールはやれやれと肩をすくめた。

 鉄製の門扉を軽々と開けて中に侵入した。今回は別に隠れる必要がないので堂々と真ん中まで歩を進めていく。

 ごちゃごちゃした場所だった。コンテナや木箱が乱雑に積まれている。人の気配はするが、姿は見えない。

 建物の奥で椅子に縛り付けられた真澄。

「シエ!」

「ああ、真澄。無事か?」

「うん。わたしは無事……」

 歩み寄ろうとしたその瞬間、銃声が響き渡った。建物の中で反響し、それと同時にシエリールはアタッシュケースをごとりと落とす。そして、連なる発砲音。

「えっ?」

 轟音が響き、真澄がシエリールが撃たれたということに気付くまで一拍あって。

「ちょっと! あんたたちなにしてんの!? いきなり、銃で撃ったら――」

 真澄は、あまりの光景に縛られたことも忘れたかのように椅子の上で身をよじり、友の下に駆け寄ろうと試みるがうまくいかない。

「嘘でしょ? ちょっと、ホントに撃たれるとか!」

 真澄が叫ぶ。崩れ落ちるシエリール。仰向けに倒れるシエリールの体から赤い霧が漂う。

 人間なら即死だ。真澄は、驚きのあまり声をなくす。

「あ、ああ……」

 その段になって初めて姿を見せた男たち。

 取り乱す真澄に木林は銃を突きつけた。真澄は、その恐怖に黙り込んでしまう。

「うるせえよ、お嬢ちゃん。見てな、あいつはこの程度じゃくたばらない」

「なにを……言ってるの?」

「首だ。首を取れ。吸血鬼の倒し方はきちっと勉強してあるんだ」

 誰かがそう言った。

 ぴくりと、シエリールの体が動いた。

「嘘! 生きてる! 救急車! 救急車呼びなさいよ、あんた!」

 真澄が、銃を突きつけている木林に噛みつくように言った。だが、木林は無視して、シエリールを凝視している。

 木林の横顔は銃弾を撃ち込んだ人間のものとは思えないほどに、余裕が無かった。

「化け物め!」

「真澄、本当は穏便にすまそうと思ったのだが、できそうにない。過酷な現実を押しつける私を許してくれ」

 シエリールは、穏やかな声で、しかしはっきりと言った。

「えっ――?」

 シエリールは、身を上半身から力強く起こし、立った。

 腹を血でべっとり汚しながら、シエリールは笑っている。それは、愉快な笑いではなく、自らが演出する羽目になった幕引きを思ってのことだ。つまりは自嘲だった。

「えっ?」

 真澄は、ひたすらに驚いていた。常識と現実が食い違っているのだろう。

 銃で撃たれた人間が、目の前で立っている。撃たれたのが錯覚ではなく、確かに血にまみれながら。

「この、化け物がぁ!」

 男たちは一斉に発砲する。その弾は確かにシエリールの体を抉るが、倒せない。

 シエリールはぺっと血の塊を吐き出した。

「これで終わりか、人間? ならば真澄を返してもらおうか」

「おいっ! 例のやつぶちかませ!」

 木林が怒鳴ると、一台の車が乱入してきた。白いセダン。ありふれた乗用車。それがエンジンを吹かしシエリールに向けられた。

「ま、まさか。あんた、ちょっと! 嘘でしょ?」

「うるせえよ、黙ってろ。おい、シエリール。動いたらこのお嬢ちゃんが代わりに穴開くぜ。まずは、脚からだ」

 木林が、銃を真澄の太ももに押しつける。本来なら、ここで真澄奪還に動いてもいい。脚の一本で命が助かるなら安いものだ。だが、真澄の脚は安くなかった。それこそ、車に轢かれるよりは。

 車が唸りを上げ、シエリールに迫る。シエリールは全くよけるそぶりを見せず車に横からはねられた。

「ぐうっ」

 苦痛が吐き出された。体は、宙を舞い、積んであったコンテナにぶつかり落ちる。さらに、そこに車が突っ込んだ。

「いやあぁぁ」

 真澄がそこで繰り広げられる友の惨殺劇に悲鳴を上げ、目を背ける。

 車の運転手は、運転席から転げるように逃げ出した。木林が、車を撃ち抜く。

 その瞬間、あらかじめ開けておかれたガソリンタンクに引火し、爆発した。ものすごい熱量が真澄たちを襲う。

 目の前に広がる光景。車が一台燃えている。それはシエリールにぶつかり、巻き込みながら。どうみても、生き物が耐えられるようには見えない光景だった。

 呆然とシエリールのいた辺りを見つめる真澄。

「シ、シエ?」

 虚ろなままそうつぶやいた。

「へへ、やったか。さすがに化け物でもこれはたまんねえだろ」

 木林は、僅かばかり安心した様子を見せ、銃を真澄から離す。そのとき刹那。裏口から入ってきていた巡季が木林を押さえつけた。腕をとり、地面に叩きつける。

「ぐおっ、てめえ!」

「所長、遅くなりました」

 燃えさかる炎に向かって巡季は何事もなかったように語りかけた。

「く、ははは」

 ごんと、鉄の塊を殴りつけたような音がして、車が振動した。僅かにずれる。シエリールのめり込んだ場所と、車に隙間ができた。

「ははは!」

 さらなるシエリールの笑い声が聞こえたかと思うと、車が縦に回転した。燃えさかるそれは、さながら、体操選手のように半回転し、地面にその腹を見せて木林の部下たちの真ん中に落っこちる。

 シエリールは無造作に、ただ力を込め、魔力を体に流し力任せに蹴り上げただけ。

 その光景に、部下たちはあっという間に四散し、みないなくなった。

 シャツの袖は片方が燃え落ち、スカートも裾が焦げている。手には漆黒の布が一枚。だが、その白い肌、黒い髪、紅い眼に曇りはない。凛然と木林を見据えている。

「甘いな。木林。この程度で私を殺せると思ったか? だてに、吸血鬼をやっていないし、人間の捕食者でもない。人間のすることなど、徒労だ。殺してなお死なないから、我々は化け物と呼ばれる」

 木林は睨まれて怯えている。

「ははは、ははははっ!」

 高らかに響くは哄笑。人ならざるものによる、嘲りの笑い声。狂ったように狂ったように。

 おかしい。おかしくてたまらない。なんだ、この幕引き。喜劇にもほどがある。これで笑わずしてなにを笑う。

「て、てめえ、狂ってんのか?」

 木林のある意味、当然の質問。同時に、もっともとんちんかんな問い。

「狂っているさ。だけど、それは私ではない。おまえたちだ。化け物にそんな軽装で挑もうとは正気の沙汰とは思えない!」

 ひとしきり笑った後、怜悧さを取り戻した狂気の瞳は木林を睨み下ろす。完全に上から下を見ている視線。

 木林は、震えながらシエリールを弱々しく見ているだけだった。

「なにをそんなに恐れる、人間? 今の今までおまえも散々言っていただろう? 化け物、と。体感できてるか?  理解できてるか? それが、その恐怖こそが、真に化け物に襲われるということだ」

 シエリールはきつい眼で木林を睨んだ後、真澄を視界に納める。真澄は、言葉を失い呆然としていた。恐怖しているかと思ったが、その段階にも至ってないようだ。

「私は、おまえの友たり得るか?」

 シエリールは、優しい声で問いかけた。真澄は、その声にはっとし、シエリールを見る。だが、受け止めきれないのか目を逸らされた。

 真澄からの答えはない。シエリールは、静かに微笑んだ。なにかを諦めるように。

「木林。おまえに、あの三千万はやる。それで、大好きな面子を買え。本来、ここまでされたら八つ裂きなんだが、貴様の死は真澄を穢す。二度と馬鹿な気は起こすな?」

 シエリールたちにも面子はある。立場もある。だが、これ以上真澄の前で非日常を繰り広げるわけにはいかなかった。それは誰のためでもないシエリールの心のためだ。

「く」

 木林は唸った後、わかったと頷いた。

「木林、私は面倒が嫌いでな。おまえのようなものがここの担当になることを期待する」

 無駄に行動力があって、シエリールの怖さを刻み込まれたもの。すなわち黄砂会の桐島のようなもの。それに期待を寄せる。

「さて、巡季。真澄を家へ送り届けてくれないか」

「所長はどうするのですか?」

「私か? 私は、一人波止場で傷心するさ。いろんなことが起きたのは、真澄だけではないってことだ。行け」

 巡季は、ぐったりとした真澄を背負い、倉庫を出て行った。

 シエリールは、渋い顔で港を見ながらタバコを取り出し火をつける。昇りたての太陽を親の敵と言わんばかりに睨みつけていた。



「バーゲン、いっとくべきだったな」

 シエリールはぼそりと、独りごちる。

 この手の発言は日に数度、毎日のように続いていた。それは、バーゲンではなく食事や映画など細部が違うが、真澄を救出した日から毎日である。

 柄にもなく、後悔していた。

 タバコを片手に物憂げな表情をして、自分の事務椅子に座っている。ここ数日の彼女は、生きた屍という言葉がしっくりくるほどに沈鬱としていた。

 考えるのは、真澄のこと。なんでもなかった日々の会話。思い出すのは、真澄には常識なのだろうが、シエリールにとっては全く未知の領域の話。冬の新色の話とか、どこの店の料理が評判だとか、そんな程度の話。

「ちーっす」

 いつものように、勢いよく開け放たれる扉。わざとらしい挨拶。シエリールは瞠目した。手にしていたタバコからぽろりと灰が落ちる。

 完全に油断していた。警戒用の結界の反応も見落とすほどに。

「おま、おまえ、なんでここに?」

「来ちゃ悪かった?」

 真澄は、いつものように明るい笑顔。特段変わったように見えない対応。

「いや、そんなことは微塵もない。だが、もう来てくれないものだと思ってた」

 真澄は、ゆっくりとソファに回り込み腰掛けた。

 一息吸って、そして、シエリールの顔を見てはっきりと言う。

「わたしね、実を言うとすっごく恐いんだ。あんたたちが。だって、銃で撃たれて、車に轢かれて、生きてるんだよ? 確かに、あんなことで死なれるよりいいのかもしれない。でも、やっぱりね、理屈より先に恐いの」

 よく見れば、真澄の細い肩は小刻みに震えてる。手もきつく握ってるのがわかった。

「じゃあ、なぜもう一度ここへ来る気になった?」

「家に帰って、部屋でこもってたの。なにがなんだかわからなくて。あんたは人間じゃないのがわかったけど、でも今までの時間が大事で。このまま捨ててしまうのがもったいなくて。そうして何日か過ごしてたら、珍しく弟がね、四音が話をしてくれたの。よくわからない状況なのをそのまま説明して。そしたらね、あいつ、よりによって鼻先で笑ったの」

 美形で誇り高い四音が鼻先で笑う様がありありと思い浮かび、シエリールはくすりと笑った。

「あいつらしいな」

「そして、言ったの。姉ちゃんはもう答を持っているのに、なにを悩んでるんだって。別に、あんたたちになにかされたわけでも無し。そいつらが人間じゃないからって、なにを気にするんだって。でも、わたしは人間じゃないことを気にしないのは四音が対抗する術を持っているからじゃないのかって反論した。でも、揺るがずあいつは言った。信じてるかどうかの問題だろうって。今回姉ちゃんをさらったのは人間。助けてくれたのは吸血鬼。生き物の違いで怖がるなら、恐れるべきは人間だろうって」

「そうか。それで、おまえもそう思ったのか?」

「うん、まあね。割り切れてないけど、わたしも思ったの。あんたがどんな吸血鬼なのか。それを聞いてからでも遅くないって。本当に恐いのは、あんたを化け物と言い捨ててしまうこと。友達をわかろうともせず、逃げ出してしまうこと。それに――」

「それに?」

「取って喰うつもりはないんでしょ?」

 緊張した真澄にシエリールが言った何気ない一言。それを、少し震えながら、でも緊張で引きつりながらも笑いながら。

「くくく、ははは」

 真澄は、いきなり笑い出したシエリールを見てびくりと肩をすくめた。

「すまない。私の目に狂いはなかった。でも、わかってくれ。私も恐かったんだ」

「あんなに強いあんたが、恐い?」

「そうだよ、真澄。私は、おまえに化け物と罵られ、捨てられるのが恐いんだ」

 シエリールは真澄の前に立ち、優しく抱きしめる。

「おまえの勇気に、心からの感謝を。ありがとう」

「うん」



 再び、落ち着きを取り戻した二人はいつものように陣取った。シエリールは、自分の事務椅子に。真澄はソファに。

「さて、いろいろ聞きたいんだけど。聞いてもいい?」

 真澄が切り出した。

「今日は白だ」

 シエリールが聞かれる前に答えた。

「なにが?」

「下着の色」

「怒るよ?」

「いや、吸血鬼の下着の色って気にならないか?」

「あんたはわたしの下着の色気になる?」

「ふむ、黒なんて艶っぽくていいと思う」

 真澄は、額に手をあて大きくため息をつく。

「わたしの知ってる吸血鬼は、太陽の光を浴びると死ぬやつなんだけど、あんたは平気だよね?」

 シエリールの真面目にずれた話を放置しながら、真澄は知ってることから聞き始めた。シエリールは、冗談だよと、はにかみながら肩をすくめる。

「吸血鬼の中には、太陽の光を浴びて平気な体質のやつがいる。我々はそういうやつを太陽と共にあるもの《ウィズサン》とか、体質自体を白昼安歩デイウォークと呼ぶんだ。私は、その体質なんだ。他にも、吸血鬼には弱点が多いんだぞ。あまり知られていないのは、そうだな、招待されないと家へ入れないとか、流れる水を渡れないとか。そういうものへ私は強い耐性を持っているんだ」

「へえ。すごいねえ。親の遺伝?」

「いや、私に親はいない」

「えっと、それは、どういう……?」

 真澄が気まずそうに、尋ねた。

「言葉のとおりだ。私は、親がいない。試験管から生まれたんだ」

「え、あの、ごめん」

「いいんだ。私が私のことに触れるとき、必ずしなくてはいけない話だ。だから、おまえにも知っていて欲しい。私は、黒いシュバルツバルトという裏の研究機関によって作られた実験体だ。なにかを目指し、我々は作られ、捨てられていった。その過程の一人が私であり、私のいわば姉妹たちだ。まあ、私は当時末の妹みたいなものだった」

 目的、それはわからない。だが、強くなることを常に求められ、たくさん非人間、超越種スーペリアを殺してきた。ときには人間も。

 そんな日々に嫌気がさしたシエリールは脱走。そして、イギリスを経由して日本へ逃げてきた。

 そこへ、昔から付き人だったクロイツが後から追ってきて、共にここで暮らしている。

 そのことを説明した。

「クロイツって、巡季さん?」

 シエリールはタバコに火をつけた。

「そうだよ」

「クロイツってどっかで聞いたことあるんだけど、なんだっけ?」

「ドイツ語で、十字架だよ。吸血鬼のお目付け役につけられた名前さ。おかげで不憫な思いをさせている」

「不憫?」

「ああ、私は吸血鬼が苦手とする弱点がほぼないと言っていい。それは、研究体としては優秀で喜ばしいことだが、逆の見方をすれば殺しにくい。つまり、従わせにくいことを意味する。その私を制御するために造られたってわけだ」

「ちょっとちょっと待って。造られたって巡季さんも? こんなに人間ぽいのに? いや、あんたも見た目は人間なんだけどさ」

「そうだよ。ホムンクルスと言ってな。昔からいる魔法生物だ。巡季の右腕は、取って置きの吸血鬼殺しの術が込められている。私もそれを相手にしてはさすがに分が悪い。だが、二人とも強いままでは意味がない。巡季はある種のタンパク質が体で合成できず、経口で摂取する必要を負わされたんだ」

「はい、ストップ。ええと、まず巡季さんがなんだって? ホムンクルス? クローンがうまくいかない現代で?」

 シエリールは一口タバコを味わって、ゆっくりと吐き出す。煙を見ていた視線を真澄の方に向けた。はっきり言う。

「巡季は、人間ではない。魔法によって造られた人造生物だ」

「…………うん。いや、なんとなくわかってた。あんたが人間じゃないってわかったとき、同じ気配する巡季さんももしかしたらって思った。うん。わかってたんだ。でも、でもでも、わたし思うんだ。人間じゃないって理由があってもあんたと友達やれるなら、好きでいることも出来るよね?」

「辛いぞ? 私たちは長命だ。これまでも長かったし、これからも長い。おまえは先に老い、先に死ぬ」

「本当に?」

「なにがだ?」

「本当に辛いのはわたし? 辛いのは、わたしじゃなくて、あんたたちでしょ? わたしは死んじゃえば終わりだけど、あんたたちはそれを引きずって生きていかなきゃならないんでしょ?」

 シエリールは大きく目を開いた後、タバコを大きく吸い込み、灰皿に押し付けた。

「ふ、はははっ! それでこそ! それでこそだよ。なあ、巡季」

「はい」

 シエリールは満面の笑顔で頷き、巡季も書きものをしている手を止めて答えた。

 真澄はなにを言ってるか理解できずに小首を傾げる。

「いや、なんでもない。それで、他に聞きたいことは?」

「んと、魔法ってあるの?」

「あるよ。私も使えるしな。見たいか?」

「う、ん。あんまり恐くないやつなら」

「よし、じゃあ、指先を見ていろ」

 シエリールは、席から立ち上がり人差し指をたてた。

「Listen。灯れ《バーン》」

 ぽうっと、蝋燭の火のように指先に火が灯った。それは静かに燃え続け、ゆらゆらと揺れている。真澄はそれに見入っていたが、シエリールはふうっと息をかける仕草と同時に消してしまった。

「へえ。なんか、手品みたい」

「タネのない手品みたいなものだ。他に聞きたいことは?」

「ん、ない」

「じゃあ、私から聞こう。もう一度聞く。私はおまえの友たり得るか?」

「うん。わたしは、その超越種ってのがどういうのかわからないけど、少なくともあんたたちとは友達でいたいって思う」

「そうか。なにかあったら、私の名を呼べ、真澄。私を、求めろ。そうしたならば、私はどこにいても応えよう。冥府の最奥からでも、炎の中からでも。おまえの声に寄りて帰る。我が名はシエリール。おまえに、慮外な恐怖を与え、一縷の希望を渡す。そんな名だ」

「うん。わかった」

 真澄は満面の笑顔で頷いた。

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