第7話 東京都文京区。苺シャンデとフルーツロール、コンビニのコーヒー。

「ば、れ、ん、た、い、ん……と」

 だいぶ現代日本の風俗や文物になじてきていたタスッタさんだが、それでもまだまだわからないことはいくらでもある。

 たとえば、日本語は日常生活に不自由がないくらいには喋れるし、読み書きもできるのだが、ちょいとしたいい回しや駄洒落、慣用句などがピンと来ないことがあったり。

 あるいは、スマホを所持しているし、わからないことがあったらネットで検索することはおぼえたが、フリック入力はたどたどしい。

 それ以前に、タスッタさんが持っている機種はデフォルトで音声入力による検索が可能なアプリがインストールされているのだが、そのことにまだ気づいていなかったりする。

 現在、タスッタさんが検索している単語も、タスッタさんがまだ理解していない概念であった。

 最近、あちこちのお店でチョコ推しが著しく、そうした売り場に必ずといっていいほど表示されているのが「バレンタイン」というタスッタさんにとっての謎単語だった。

 扱いから見て、なんらかの祝祭か行事に関連するものだとは予想しているのだが、実際に調べて確認してみないことには詳細はわからない。

 そして実際に、検索して調べてみた結果。


「……そういう行事なのですか」

 タスッタさんは半眼になってスマホの画面を睨めつける。

 もともとの起源はともかくとして、現代日本におけるこの行事の受容のされ方に対して、タスッタ的には納得できない部分があったのだ。

 女性が男性に対して好意を伝えるという部分は、まだいい。

 だが、それが製菓業者の商戦に利用され、果ては義理チョコだのなんだの余計な習慣まで含めて定着してしまっている。

 タスッタさんにとって、恋情と食欲とは、ともに人間の本能と感情に根ざす、つまりはそれだけ神聖な領域に属するものだった。

 それらを興味本位で扱うことも、商戦に利用することも、タスッタさんとしては容認出来ない。

 容認できなからといって否定をする気もないのだが、とにかくタスッタさんにはとうてい理解できない価値観なのだった。

 そういう普段意識しない価値観の齟齬に直面すると、日本はやはり異文化でありここは異世界なんだなと、タスッタさんはそんなことを思い知らされる。


「それはそれとして」

 タスッタさん呟く。

「チョコが、食べたくなりました」

 それも、そこいらのお店で手に入るありふれたチョコではなく、なにか特別なところがあるチョコを使った菓子が。

 普通の板チョコはタスッタさんにしてもすでに食べ慣れていたし、好物といっていい。

 しかし、それよりも今は、もっと手作り感のあるものが食べたい気分だった。

「……この近くにあるお菓子屋さんは、と」

 タスッタさんはまたフリック入力をして、検索をはじめる。


 そこは小さな、昔ながらの洋菓子店だった。

 タスッタさんはもちろん、そもそも「昔ながらの洋菓子店」というものを知るほど日本の風物について知識を持たないわけだが、それでもその店が真新しいチェーン店にはない味わいを持っていることは感じ取ることができる。

 惜しいのは、その店はどうやらテイクアウト専門で、店内に飲食ができるスペースが設けられていなかったことか。 だがこれは、ちんまりとした店内をみるとしかたがないと納得するしかない。

 入ってすぐにケーキなどが並んだショーケースがあり、客はその中をみて商品を選んで注文するシステムのようだ。

 タスッタさんが店についたときにはすでに数名のお客さんが並んでいた。

 どうやら小さいながらも客足が途絶えない、繁盛しているお店らしかった。

 並んでいたお客さんはいくらもしないうちに捌け、いよいよタスッタさんが注文する番になる。

 ショーケースの中には多種多様なケーキなどがぎっしりと詰まっている。

 彩りもきれいでえ、ずっと見ていても飽きないくらいだったが、タスッタさんのうしろにも行列ができていたので注文はできれば手早く済ませたいところだった。

「チョコを使ったお菓子というと、どれになります?」

 タスッタさんはショーケースを挟んで対面していた中年女性の店員に訊ねてみた。

 その店員はタスッタさんの外見を見て最初のうちは怯んでいたようだったが、タスッタさんが流暢な日本語をしゃべるとすぐに笑顔になって答える。

「チョコを使ったものだと、こちらの苺シャンデが好評いただいております」

 そういって、ショーケースの中のマッシュルームのような形をした菓子を指差す。

 確かにその菓子は、全面がチョコレートによってくるまれているようだった。

「これ、中には何が入っているのですか?」

「中にはクリームと、それに苺がまるごと入っています」

 タスッタさんの問いに、店員がにこやかに答える。

「苺も、ちょうどこの頃が旬ですよ」

 旬の苺か。

 と、タスッタさんは思った。

 それも、実においしそうだ。

 どうしよう。

 チョコだけではなく、苺も食べたくなってきた。

「それでは、その苺シャンでというものをひとつ。

 それと」

 タスッタさんはざっとショーケースの中を眺め、もうひとつの菓子もいっしょに注文する。


 首尾よく菓子を買い求めたタスッタさんは、さてこれからどうしようかなと思案をする。

 買ったばかりの菓子を早く食べたくしてしかtがなくなってきたのだ。

 特に店員に勧められた苺シャンデというものは、味の想像がつかない。

 苺とチョコという組み合わせは、合うのでしょうか。

 タスッタさんはそんなことを考えながら、何くわぬ顔をして神田川やJR 総武線のある方角に歩いて行く。

 山手線の内側は、意外に緑が多い。

 車窓から見ると、特に神田川の周辺は草木がよく茂っていたりする。

 あの周辺まで歩いてけば、公園のようにベンチが置いている場所もあるのではないかとタスッタさんは考えたのだ。

 風が冷たいのはこの季節だからしかたがないが、それでも空には雲ひとつない晴天である。

 このような天気がいい日には、野外でなにかを食べるのも一興であろうと、そんな風に思っていた。

 日本とは違い、タスッタさんの郷里では野外で様々な日常の雑事をこなすことが普通であったこともあって、タスッタさんはそういうことには抵抗がないのであった。


 しばらく周辺を散歩した結果、タスッタさんは神田川にかかる聖橋の近くにある石のベンチに落ち着くことにした。

 途中でみかけたコンビニで、熱いコーヒーも調達している。

 外堀通りに面しているが、高低差があるので意外に閑静な雰囲気であり、なにより、すぐそこに湯島聖堂があるのでそこの緑が目に涼しい。

 気温自体はこの季節なりであったが、風はほとんどないのでかなり快適だった。

 タスッタさんはまず、コンビニで買ってきたばかりのコーヒーを一口啜る。

 いつかの朝、名前も知らない老人に招かれてご馳走されたものほどに豊かな香りはしなかったが、値段を考えるとまずまずのものだと感じた。

 それから、買ってきたばかりの菓子を洋菓子店の袋から出す。

 これが、苺シャンデか。

 まずは、マッシュルーム型の、チョコでコーティングされた菓子を手に取り、そのままかぶりついてみた。

 マッシュルームの傘の部分にぎっしりとホイップクリームがつまっており、軸の部分にかなり大きな苺が丸ごとはいっている。

 クリームの甘みとチョコのかすかな苦み、それに苺の酸味とが口の中で一体となって、これまでにタスッタさんが体験したことがないよな食感を得る。

 ああ。

 タスッタさんは思った。

 これは、あたりだ、と。

 チョコ欲と苺欲を同時に満足させ、しかも味の調和が取れている。

 しっかりと時間をかけて味わってから嚥下し、またコーヒーを啜る。

 熱いコーヒでクリームの甘味を洗い流し、今度はカットされたフルーツロールにかぶりつく。

 行儀が悪いようだが、出先でフォークなどの持ち合わせがないので仕方がなかった。

 しっとりとしたスポンジケーキと、それにこれは。

 あ、ベリーだ。

 ベリージャムが、いいアクセントになっている。

 そして中心部には、ごろっとかなり大きな果物がそのまま。

 うん。

 これも、いい。

 と、タスッタさんは心中で頷く。

 これも、あたりだ。

 ただ単に甘いだけではなく、ちゃんと果物の味が活かされている。

 どちらも、ちゃんとしたお菓子だな。

 と、タスッタさんは感心した。

 いかにも、手作りって感じがする。

 なにより、口の中にいれているとき、幸福な気持ちになれる。

 甘いだけでは駄目なんだ、と、そんなことを思う。

 甘いだけではなく、それ以外のプラスアルファがなければ、この多幸感はありえない。

 タスッタさんはえもいわれぬ感覚に包まれながら、またコーヒを啜る。

 そして、苺シャンデの残りを口の中に入れた。

 咀嚼すると、しっかりとした硬い感触。

 あれ?

 と、少し疑問に思った。

 が、そうか。

 苺シャンデの苺は、クッキーの上に乗っていたのか。

 と、すぐに納得する。

 クッキーの上に大きな苺を乗せ、そのさらに上にホイップクリーム。

 そしてその全体を、チョコでコーティングしたものが、苺シャンデと呼ばれるお菓子の正体だった。

 いいなあ、これ。

 タスッタさんは、しみじみとそう思いながら、苺シャンでを完食した。

 そしてまた、コーヒーを啜る。

 コーヒーの酸味と苦味が、口の中に広がった甘みを払拭するのにちょうどよかった。

 頬に感じる冷ための外気が、心地良い。

 さて、それでは、フルーツロールの残りを。


 その日、タスッタさんは、とても幸福な時間を過ごした。

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