招かれざる客〈3〉



 ♢♢♢




 食堂でしばらくの間、食べることに集中していたリシュだったが、一度手を休めるとラスバートに訊いた。





「今年に限って収穫祭を盛大に行う理由は、やっと安定してきたこの国の情勢を他国にアピールするため?」





 前国王ルクトワが長い闘病生活の果てに崩御してから四年が経つ。



 その後新王として即位したのが、当時まだ十一歳になったばかりの王子ロキルト。




 彼は六番目の妃の子だった。





 ルクトワ王には八人の子供がいた。



 そのうち五人は王子で、彼は五番目。




 王位継承権から程遠い彼が、なぜ玉座についたのか。



 水面下で骨肉の争いがあったことは確かだった。




 その内容はどれも耳を塞ぎたくなるような話ばかりだ。



 実際、ロキルト以外四人の王子が次々と亡くなったせいもあり、それゆえ彼には常に悪い噂ばかりがついてまわる。




 当時、「魔女と契約した王」などという呼ばれ方も有名だった。




 若干十一歳で即位してから四年。



 十五歳となった現国王は、「魔性の王」という異名を以ってラシュエンの国の頂点に立っている。






「魔性とか破滅王とか囁かれてはいるがね、この国はこの四年で随分落ち着いたよ。王宮内もね、あの頃より変わった」




「でも王宮はもうわたしが出向く場所ではないはずよ」




「そうでもないよ、リシュ。君の名はまだ王宮で意味をもってる。俺が君の後見人というのは単なる名目だ。君が侯爵家の養女になっているわけじゃないからね。リシュ……アルド、ラシュエン」




 意味をもつ名前。



 王はアルド。



 国はラシュエン。





(王家と国を意味する名の付いたわたしの名前───)





「君はまだ王族の系譜から除籍されてないんだよ」




「偽りの名よ。早く取り除いてほしいわ」




 母リサナは、確かに前王の四番目の妃だったけれど。



 それはリシュが生まれて間もない頃だった。



 自分は夫を戦場で亡くし未亡人になったリサナの連れ子として王宮に迎えられた。




 だからルクトワ王とは何の繋がりもない。




 ……それなのに。




 ───なぜあの王はわたしにこんな余計な名を与えたのだろう。




 それでいて、八年前、あの王はわたしと母を王宮から追放したくせに。



 追放したり、母だけ呼び戻したり。



 王家の気まぐれになど付き合ってられない。迷惑な話だ。





「まあ、君にも言いたいことはいろいろあるだろうけど。ここはちょいと我慢して、俺に付き合ってくれよ」





「悪い噂のある災い姫が舞い戻ったとか言われてもいいの?」





「災いなんて……違うだろ。王家の姫が田舎で農民と一緒に農園の作業を手伝ったりするのは、少し変わっていても悪いことじゃない。陛下も気にしてないさ、そんな噂は。むしろ一度も逢ったことのない姉君に興味があるようだし……。だから怖がらずにおいで、王都へ」




「怖いなんて思ってないわ」




「じゃあ一緒に来てくれるよね」





 ニコニコと、ラスバートが向けてくる笑顔はどこか挑発的に見えて、リシュはなんだか無性に腹が立った。





「内政の落ち着いた国としてのアピールも当たってはいるが、それだけじゃない」





「じゃあ何よ」





「陛下もそろそろ嫁をもらわないとな」





「……大変ね、若い王様も。国政に身を捧げて、それが落ち着いたら次は妃選びで国の体裁を整えなきゃならなくて」





「まあ本人はまだ全くその気がなくて、ちょっと困ってはいるんだがね。

 俺はさー、政務で忙しすぎても、いくら政略結婚でも、恋愛には時間をかけるべきだと思うんだけどねぇ。周りにうるさい連中もいてさ、陛下も可哀想なとこあるんだぜ」





「お妃様を迎えたら、今度は寝る時間さえ奪われるわね。

 臣下にお世継ぎを期待されるもの。眠る時間を削られるなんて、わたしだったら耐えられないわね。……ま、関係ないけど」





 こう言ってリシュは白いパンを千切り、口へ運んだ。






「リシュぅ……関係ないなんて言ってくれるなよー」




 ───わたしは……関わりたくないのよ、おじ様。





母様かあさまが言ってたわ。宮廷とはあまり関わらないほうがいいって。こんなことなら一筆書いてもらえばよかった。遺言状で、王家とは関わるなってね」





「リサナがそんなこと言ってたの? ホントに?」





 悲しくなっちゃうなぁ、とラスバートは呟いた。





(……おじ様のこともね)




 リシュは心の中で付け加えた。






 昔、母から言われたことがあった。




 ラスバートには気をつけなさい、と。




 悪い人ではないけれど、恐い人だからと。




 敵にはならないけれど、味方でいられると、抜け出せなくなる人。





 そんなふうにリサナは言った。





 彼に甘えてしまうと、だんだん弱くなるのだと。



 彼は居心地の良い場所を与えるのが上手な人だから……と。






 ───でも、それじゃダメなのよね……。





 リサナは苦笑してこう言っていた。





 甘えてばかりだと自分の足で立てなくなってしまうもの。




 前を見て歩き続けたいのなら、ラスにはあまり心を許してはいけないわ、と。





『あ、でもリシュは少し特別かな。もう一人のお父さんだと思って甘えてもいいのよ。ただし、リシュに特別な人が───恋人が現れるまでね。』




(特別な人……?)





 そんな人はまだ現れていない。



 恋人が欲しいと思ったことも。





 ここで暮らしていく限り現れる予定も、この先無いような気がする。




 とはいえ、ラスバートにこれからも甘え続けるわけにもいかないとも思う。





 親離れは二年前、リサナが亡くなったときに済ませた。





 ───おじ様のことは嫌いではないけれど。





 彼は母とわたしが嫌っている王家の人間なのだ。





「おじ様、そろそろ詳しく聞かせてほしいわ。わたしを王宮へ誘う、本当の理由を」




 なんとなく、予想はつくけれど。





 毒視姫どくみひめ



 ラスバートはリシュをそう呼んだ。



 かつて王宮で暮らしていたときに呼ばれていた名前を。




 リシュの問いかけにラスバートの瞳が暗く揺れた。




「部屋で話すよ。ここじゃ話せないんでね。……ご馳走様。君はゆっくり食べてからおいで。先に行ってる……」




 ラスバートは立ち上がり、食堂を出て行った。




 ♢♢♢



 もしもわたしが、普通のリシュアルド・ラシュエンだったら、どうだったろう。



 一人になった食堂で、リシュは残った朝食をゆっくり食べながら考える。





 もしもルクトワの実子で、普通の姫だったら。




 それとも普通の街娘だったら?




 普通の、人間だったら……。




 リシュと母親のリサナは普通ではなかった。




 普通の人間には無い体質を持っていた。



 これは限られた者だけが知る秘密───。



 母と娘には毒を視ることのできる瞳と感じることのできる嗅覚、そして身体にはどんな毒も効かない耐性力があった。




 リサナは毒に関する知識も豊富な女性だった。



 王都で名高い医師も宮廷の薬学師も、毒に関してはリサナの知識を上回る博識者はいなかった。




 しかしそれが毒であったために母は気味悪がられ、怖れられてもいた。




 けれどそれは王家に必要な力だった。



 前王は秘密を知り、母を娶ったのだ。



 そして同じ体質を継いでいる娘も一緒に王宮に住まわせた。



 実子でもないリシュに王家の名まで与えて……。






 普通ではない妃と姫は、王宮で常に囁かれていた。





「まるでサリュウスの花の化身だ……」 と。





 猛毒の魔花。




 伝説の花……幻の花。





 猛毒を恐れた人々の手によって、遥か昔にその花は絶えたと言われているが……。



 この国のどこかに、まだその花はあるという言い伝えも残っていた。





 どこかでひっそりと咲き続けているという。




 眠りながら……。




 花は待ち続けているという。




 いつか誰かが摘むときを。




 いつか誰かが目覚めさせるときを。




【サリュウスの魔女】



 これがリサナの呼び名。




【毒視姫】



 これがリシュの呼び名。





 母と娘にとって王宮とは、常にその身が嫌悪と悪意の中にさらされていた場所だった。









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