31

 三学期の始業式から一週間も経たぬ内に校外学習の日がやってきた。それぞれ三泊四日の日程で一、二年生は合宿、三年生は修学旅行である。

 クラス毎に分乗した観光用の大型バスに揺られて到着したのは長野県のスキー場であった。

 バスを降り、合宿地だと示された建物を前に、生徒たちは皆一様に呆けたような表情を浮かべて立ち尽くしていた。さもあらん、眼前にそびえ立つのは超の付くような高級ホテルであったからだ。何かの間違いかと思うところだが、入口の横には【志貴ヶ丘しきがおか学園高等部ご一行様】の看板が出されている。もしかすると、あの看板まで含めてドッキリという可能性もあるかもしれない。そんなことを考えていると、不意に横合いからつつかれた。

「ね、ねぇ、望美のぞみちゃん。本当にこの場所で合ってるの?」

「ちょっと、アレ、貸し切りだって聞いたけど本当!?」

 両脇から望美の腕を掴んで千恵ちえ小百合さゆりが迫ってくる。その背後で、クラスメイトたちも興味半分、不安半分と言った表情で望美の返答を待っている。

「はい、場所はここで合っていますし、貸し切りです。学園関係者が経営しているホテルを、合宿地として提供していただいたとのことです」

 望美の言葉に、感嘆の声があちらこちらから上がった。ちなみに二、三年生の宿泊先も学園関係者の経営する高級ホテルが貸し切り状態で提供されているのだが、おそらく知らない方が幸せな部類の情報だろう。

 興奮した様子の生徒たちを、教師陣は手慣れた様子で誘導していく。ホテル内に入っても生徒たちに落ち着く様子はなく、まるで別世界のような光景に一層はしゃいでいる。普通であれば顰蹙ひんしゅくを買うであろう有様だが、毎年のことで最早慣れてしまったのだろう。ホテルの従業員たちは微笑ましそうに、教師陣は仕方ないと言いたげな様子で生徒たちを見守っている。

 やがて宇佐見うさみが手を打ち鳴らして生徒たちの注意を引き、たしなめた。あらかじめ定められていたグループごとに整列させると、従業員の案内によってそれぞれの部屋へと向かった。

「うっわ……どう考えても校外学習の合宿所に使うような場所じゃないでしょ、これ……」

 割り振られた部屋に入るなり、どこか呆れた様子で小百合がつぶやきを漏らした。一周回って驚きを通り越してしまったらしく、半眼になって室内を見回している。望美も荷物を足下へと置き、室内へと視線を向けた。

 窓際には凝った細工の二人用のテーブルセットが設置されている。その右側に小部屋のように仕切られたスペースがあり、大きなベッドが二つ鎮座している。その小部屋の前に更に二つのベッドが置かれている理由は、一部屋に割り振る人数を増やすためだ。しかしベッドを追加しても尚、部屋にはゆとりがある。

「わぁ、このベッドすごいよ。お布団ふかふかだし、スプリングも効いててトランポリンみたい!」

 一方の千恵はといえば、歓声を上げてベッドの上で飛び跳ねている。彼女の言葉通り、ベッドであるとは思えないような反発力を見せている。

「アンタね……小学生でもあるまいし、ベッドで遊ぶんじゃないわよ」

 じっとりとした眼差しを向けてつぶやいた小百合に、千恵は不服そうに声を上げて頬をふくらませる。そんな友人たちの様子にくすりと笑みをこぼした望美は、壁にかけられた時計を示した。

「そろそろ準備をしないと、集合時間に間に合わなくなりますよ?」

 望美の言葉に時計へと目を向けた二人は、揃って悲鳴を上げた。昼食の前に、合宿中に使用するスキー用品の貸し出し手続きと講習に関する説明があるのだ。しかも担当は説教臭いことで有名な宇佐見である。遅刻すればどうなるかは、想像するまでもないだろう。貴重品と筆記用具とを手にすると、三人は慌てて部屋を飛び出した。



 一日目は合宿中の諸注意とスキー用品の貸し出し手続きのみが行われ、二日目はスキー経験の有無に関わらず、全員参加のスキー講習であった。三日目からは自由行動となっていたが、希望者は引き続きインストラクターについて講習を受けることも可能とのことである。しかし大多数は友人同士で行動することを選んだようで、講習の参加者はごく僅かなようだった。


 ゲレンデの終点でターンするようにブレーキをかけて停止する。最初はうまく止まれずに保護用のネットに突っ込んだり倒れたりしていたのだが、今ではそういうことも少なくなった。よし、と満足気にうなずく望美の隣に、派手に雪を蹴立てて小百合が止まった。その更に隣を滑っていった千恵が悲鳴を上げながらネットへと突っ込んでようやく止まる。板やストックが絡まってしまったらしい千恵をどうにか二人がかりで助け出すと、三人は屋外に用意されている休憩スペースへと向かった。

 温かい飲み物を手に「ほう」と息をつきながらゲレンデへと視線を向ける。ホテル同様にスキー場も貸し切り状態であるため、滑っているのは志貴ヶ丘学園の生徒のみである。また講師として雇われているインストラクターも予想以上に大人数であった。この合宿にどれだけの費用がかかっているのか、考えるだけでも恐ろしくなってくる。

「なんかさ、うちの学校に通ってると金銭感覚が狂ってきそうよね。いくら経営者が学園関係者だって言っても、普通ホテルとスキー場を完全貸し切りにする?」

 まるで望美の思考を読んだかのようなタイミングで、小百合が盛大なため息をついた。ありえないとつぶやいて右手で顔を覆う。

「たしかに。時々びっくりするようなことするもんねぇ」

 紙コップを両手で包むようにしながら、千恵も苦笑を浮かべた。望美もうなずいて同意を示す。

「私立の学校というのは、どこもこんな感じでやることが派手なのでしょうか?」

「いや、さすがに私立校が全部こんな風じゃないでしょ」

 むしろそうだったら怖いとつぶやいた小百合に、それもそうかと望美もうなずいた。あらゆる行事が派手であったならば、それこそいくら学費がかかるのかわかったものではない。

「そういえば、望美ちゃんずいぶんスキー上手だよね。前にやったことあるの?」

 千恵の問いかけに、望美はふるふると首を横に振った。

「いえ、初めてですよ」

「え、そうなの? 勉強もできて運動も得意とかうらやましいわね」

「さすが生徒会、万能型だねぇ」

 小百合が本気でうらやむ様子でつぶやき、千恵がどこかズレた感想を漏らす。

「ねぇ、別にあたしたちに付き合ってないで、上級コースに行ってもいいのよ?」

 そう言って小百合が指し示したのは、ホテルから少し離れた場所にある上級者向けのゲレンデだった。ホテルの正面にある初心者用のゲレンデとは違い、斜度は急で距離も長くなっている。そちらにも滑走者の姿は見えるが、初級コースと比べるとはるかに少ない。

 望美はしばらく思案するように上級コースを見つめていたものの、やがて視線を友人たちの方へと戻してかぶりを振った。

「いえ、やめておきます。滑れるかどうかわかりませんし、それに一人で行ってもつまらないですから」

 望美の言葉に、小百合はニヤリと笑って口を開いた。

「誘えば付き合ってくれる奴らはいるでしょうに」

 ねぇ? と千恵と顔を見合わせて笑う。きょとんとした様子で望美が首を傾げていると、横合いから彼女を呼ぶ声がした。そちらへと顔を向けるのと同時に、逆方向からもまた呼び声が。

「望美、上級コースに行かないか?」

在原ありはらさん、一緒に上級コースへ行きませんか?」

 ほぼ同じタイミングで左右からそう声をかけてきたのはみなとはるかだった。声をかけた後で互いに気づいたらしい二人は、何とも言い難い微妙な空気を放ちながらしばらく睨み合うようにしていたが、やがてどちらからともなく顔を背けた。その様子を見ていた小百合と千恵が視線を見交わし、小さく笑い声を上げた。

「それでしたら、みんなで林間コースに行きませんか?」

 小首を傾げて考え込む様子を見せていた望美だったが、やがて顔を上げてそう告げた。問うように全員の顔を見回す。

「あら、いいわね! そっちならあたしたちでも滑れそうだし」

 ぽんと手を打って同意を示した小百合に、千恵も大きくうなずく。期待するような女子三人の視線を受け、湊と悠もうなずいて了承の意を示した。



 その日いっぱいを五人で林間コースを滑り、メニューは豪勢だがどうにも気詰まりなマナー講習夕食をクリアし、お風呂も済ませてあとはもう寝るだけとなった夜、それは小百合の一言から始まった。

「男子の部屋に遊びに行くわよ」

 左手を腰に添え、右手の人差し指でビシリと明後日の方向を指さして小百合が宣言する。ベッドに腰掛けた望美はきょとんとした表情を浮かべ、仁王立ちする小百合を見上げた。小さく首を傾げて口を開く。

「この時間に男子の部屋に行くのは禁止されていますが」

 合宿所として提供されているホテルはツインタワーのような形状で、客室部分の二階以上は東西で別館となっている。男子が西館、女子が東館にそれぞれ部屋をあてがわれており、互いの部屋に行き来するためには一度一階まで降りてフロントを経由する必要がある。校風に準じ、この合宿中も【人様に迷惑をかけなければ、基本的に何をするのも自己責任】という放任主義であるのだが、一つだけルールが定められていた。【夕食後には自分の部屋がある館から出てはならない】というのがそれである。【羽目を外して間違いがあってはならないから】というのがその理由だ。

「何を言ってるの? ルールとは! 破るためにあるのよ!!」

 高らかに宣言する小百合を見上げながら、望美は思案するように口元に拳を当てた。

 ルールとは、団体や組織において秩序を守るために皆が従うべき決まりのことを指す。よもや高校生にもなってそんなことを知らないわけがあるまい。笑えない冗談かと思いたいところだが、あの得意げな笑みを見るにどうも本気で言っているらしい。

 怒られるのが自分たちだけならば自業自得なのだが、今回は他者を巻き込む可能性が高い。少々角が立とうともここは止めねばなるまい、そう決意して口を開いた望美だったが、その発言をさえぎるように肩に手が乗せられた。

 そちらへと視線を向けると、千恵が小さくかぶりを振った。望美にだけ届く声量でそっとささやく。

「ダメだよ。ああなったら、小百合ちゃんは何を言っても聞かないから。止めようとすればムキになるから、逆効果」

 どこか諦めたようなその声音に、望美は小さくため息をこぼした。


 一階のフロントへと降りると、運が良いのか悪いのかそこには誰の姿もなかった。従業員はともかく、教師は一人くらい常駐していてもいいのではなかろうか。そう望美が考えたのと同時に、隣から小さなため息がこぼされた。

「先生がいたなら止めてもらえたのに……」

 小百合には聞こえないようにつぶやいて嘆息したところを見ると、千恵も同じことを考えていたらしい。

 いくら放任主義とは言え、校外学習の時くらいはよそに迷惑がかからぬよう目を光らせていてくれてもいいのではなかろうか。そう考えたものの、望美はすぐにそれを打ち消した。高校生にもなって、やっていいことと悪いことの区別もつけられないようでは問題があるだろう。もっとも、現在【ルールを破る】というよろしくないことをやっている真っ最中だったりするのだが。

「二人とも何をぐずぐずしているの? 誰か来る前に早く行くわよ!」

 西館側のエレベーターの前で手招きする小百合を見やると、望美と千恵はもう一度ため息をついてそちらへと向かった。

 上階に上がっても、やはり教師の姿は見当たらなかった。

「小百合さん、部屋に戻りませんか? やはりこういうのはよくないと思います」

 廊下に設置された案内図を見る小百合の背中に向けて、望美はそう声をかけた。私立志貴ヶ丘学園の校風は【生徒の自主性を重んじるという名目上の放任主義】などと揶揄やゆされることも多いが、その根底には生徒への信頼があると望美は考えていた。校則で雁字搦がんじがらめにせずとも、己で判断して適切な行動を取ることができる。そう思われているからこそ、自由行動を許されているのだろうと。今の自分たちの行動は、その信頼を裏切ることにならないだろうか?

「私も望美ちゃんの言うことが正しいと思うな。やっぱりやめようよ、小百合ちゃん」

 やはり気がとがめるのか千恵も制止の言葉をかけるものの、小百合は聞こえなかったふりをして案内図を眺めている。

 さらなる説得を試みるべく、もう一度口を開いたその時だった。

「……在原さん? こんなところで何をやっているんですか?」

 突如横合いからかけられた声に、望美はビクリと肩をふるわせた。弾かれたように声のした方へと振り向く。

「……中須なかすくん?」

 いぶかしげに眉を寄せてそこに立っていたのは悠だった。

「何だ、中須か……驚かせないでよ。教師かと思ったじゃない」

 オーバーアクション気味に胸をなで下ろした小百合が、キッと眉を吊り上げて食ってかかった。言いがかりも同然の言葉に、悠が困惑の色を深める。

「こっちは西館ですよ? 夕食後は女子は東館から、男子は西館から出てはいけないのは知ってますよね?」

 他の人間ならば小百合の剣幕に押されただろうが、そこは常日頃から個性的な生徒会メンバーに対してツッコミを入れている悠である。勢いに流されることなく、冷静に己の疑問を口にした。

「うるさいわね。教師に見つからなければ問題ないのよ」

 完全に開き直った様子の小百合に、悠は呆れたようにため息をついた。

「きみ一人ならその論理でもいいかもしれませんが、在原さんと八坂やさかさんを巻き込むのは如何いかがなものかとおもいますが?」

 どこかトゲを感じさせる悠の言葉に小百合はムッと眉を寄せ、けれども次の瞬間ニヤリと笑った。

「ちょうどいいわ、アンタも一緒に来なさい。他人の部屋に押しかけるのなら、人数が多い方がいいし」

「はい!? どうしてそうなるんですか!?」

「教師に告げ口でもされたら面倒なことになるからよ」

「そんなことしませんよ!」

「大声出したら教師に見つかるじゃないの。ほら、さっさと行くわよ」

 悠の訴えを右から左で聞き流すと、その腕を掴んで小百合は歩き出した。

 引きずられる形となった悠に駆け寄ると、望美と千恵は申し訳なさそうな顔で口を開いた。

「すみません。止めようとしたのですが、力及ばず……」

「えぇと、その……巻き込んでごめんね?」

 揃って頭を下げた二人を見やると、悠は小さくかぶりを振った。

「いえ、きみたちのせいではないので、謝っていただく必要はないです」

 そうため息混じりにこぼすと、悠は小百合の手を振り払い、どこか諦念のにじむ顔つきで歩き出した。



 小百合に率いられた一同は、西館五階の奥まった場所にある部屋の前へとやって来た。ルームナンバーを確認すると、小百合はドアをノックした。

 ややあってドアが開かれる。中から顔を見せた少年は、一同を見るとどこか当惑したように顔をゆがめた。舌打ちしてつぶやく。

「あーあー、本当に来やがったよ。しかも白服まで巻き込んで、まぁ……」

 【白服】とは何のことだろうかと首を傾げた望美だったが、少年の視線が自分と悠に向けられていることから生徒会役員を示す隠語であろうと推測する。

「何よ、文句あるの? 今からそっちの部屋に行くって連絡したでしょ? それよりもそこどいてよ、いつまでも廊下にいたら教師に見つかっちゃうじゃない」

 非難じみた少年のつぶやきに反論すると、小百合は彼を押しのけて部屋に入ろうとした。けれども少年は自らの体で入り口をふさぐようにしてそれを阻む。男女の体格と腕力の差もあり、小百合がどれだけ頑張っても少年は涼しい顔で壁にもたれかかるようにしている。

 やがて諦めたのだろう、小百合は腹立たしそうに舌打ちすると少年のすねを蹴り飛ばした。

「ちょっと信司しんじ、いい加減にしてよね。教師に見つかったらどうしてくれるのよ」

「むしろ、こっちとしちゃ教師が来てくれた方がありがたい気もするんだがねぇ? ……ま、そういうワケにもいかないか」

 どこか面倒くさそうに片目をすがめてつぶやいてから、少年は望美たちへと視線を向けて大きくため息をついた。

「さぁて、本当にどうしたもんかねぇ?」

 呆れと戸惑いの混じった声で少年がつぶやいた時だった。

「……五十嵐いがらし? 騒がしいようだけど何かあったのか?」

 少年と小百合との押し問答を聞きつけたのだろう。問いかけの声と共に、新たな人影がひょいと顔を覗かせた。その人物はこちらを見やると驚いたように大きく目をみはって声を上げる。

「望美!? え、ちょ……何でこんなトコにいるんだよ!?」

 五十嵐と呼ばれた少年は、うるさそうに耳を手で押さえながら望美と闖入者ちんにゅうしゃ――湊とを交互に見やった。

「……ああ、そういやアンタらイトコなんだっけ?」

 問いかけとも独り言ともとれるつぶやきにうなずき、望美は口を開く。

「はい、そうです。何と言いますか……諸々ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「……いや、何でそこでアンタが謝るんだよ? どう考えても巻き込まれた側だろうに」

 ぺこりと頭を下げた望美を見やり、五十嵐がどこか呆れたようにつぶやきを漏らす。

「わたしが小百合さんを止められたなったせいで、こんな騒ぎになってしまいましたから」

 そう言って更に頭を下げた望美に、「やれやれ」と言いたげにため息をこぼして五十嵐は肩をすくめた。

「何ともまぁ、お人好しなことで。イロイロとややこしくなってきたし、とりあえず中で話そうか」

 五十嵐はそう言ってクイと親指で背後を示すと、入り口をふさぐように壁にもたせかけていた上体を起こした。



「……えっと、それで結局何がどうなってるのか、聞いてもいいかな?」

 車座になった一同の元にお茶とお菓子が配られた後、戸惑ったように首を傾げて言葉を発したのは湊たちと同室の古屋ふるやという名の少年だった。同じくこの騒動に巻き込まれることとなった小野寺おのでら少年は迷惑そうな顔をしてそっぽを向きつつも、部屋を出ていかないところを見ると話の内容に興味があるのだろう。

 視線を向けられた五十嵐は、頭痛をこらえるかのように右手をこめかみに添えて深々とため息をついた。親指で隣に座る小百合を示し、

「まぁ、何と言うか……コイツは俺の幼なじみなんだが、バカなことを思いついたあげく、それに人様を巻き込んで実行したらしい」

 いかにも面倒くさいと言いたげな投げ遣りな五十嵐の言葉に、小野寺が片目をすがめてそちらへと顔を向けた。

「……説明になっていない」

「ちょっと、バカなこととは何よ! 他人の部屋に押しかけるのは合宿の醍醐味だいごみでしょ!?」

 とがめるような小野寺の言葉と、まくし立てられた小百合の反論とは同時だった。

 何とも言い難い表情を浮かべて小野寺と古屋がうなずく。

「……なるほど、把握した」

「ああ、うん。大体のところはわかったよ」

「……それで? 女子はともかく、お前は何でここにいるんだよ?」

 じっとりとした眼差しを悠へと向け、トゲトゲしい声で湊が問いつめる。急に水を向けられた悠はぱちりとまばたきし、当惑したように眉をひそめた。

「巻き込まれた、としか……。廊下で在原さんたちを見つけて、なぜここにいるのかと問いかけたら、そのまま連行されたんですよ」

「……本当に?」

 疑わしいと言いたげな湊の声音に、ムッとした様子で悠が口を開く。

「本当ですよ。嘘をついてどうするって言うんです」

 そのまま睨み合った二人を困惑した様子で男子たちが見比べる。

「どういう状況なんだ、これは……」

「アンタら、そんなに仲悪かったっけ?」

 首を傾げる小野寺と五十嵐をよそに、ポンと手を打ち合わせた古屋は笑みを浮かべて女子の方へと顔を向けた。

「あのウワサ、本当だったんだ?」

 問いかけに望美はきょとんとした表情を浮かべ、小百合と千恵は互いに顔を見合わせてから曖昧あいまいに笑った。その心情を代弁するならば、「ご想像にお任せします」と言ったところだろうか。

 しかしどこか思わせぶりなその笑みは、男子の好奇心を掻き立てるだけだったらしい。五十嵐のみならず、ゴシップを「くだらない」と切って捨てそうな古屋までもが身を乗り出した。

「ウワサ? 何だ、それは」

「おっと。そこんとこ、詳しく話してもらいましょうかね?」

 予想外の展開に、小百合たちは身をのけぞらせた。

「いや、えっと、その……」

「ウワサとだけ言われても、一体何のことだかわからないわね?」

 苦しまぎれのごまかしに、視線は話題を持ち出した古屋へと集まった。彼はことりを首を倒して考え込む仕草を見せてから口を開く。

「僕が聞いたのは、在原さんを巡って時任君と中須君が争っているっていうウワサだけど……」

 そう言って、古屋は未だ睨み合う湊と悠へと視線を投げた。つられるように一同もそちらへと視線を向け、なぜか最終的に望美のところで落ち着いた。

 物問いたげな眼差しを見返し、望美は首をひねる。

「わたしは何も存じ上げませんが」

 不思議そうな顔で言葉を返した望美に、古屋はうなずいた。

「そっか、デマなんだね」

 にこやかに告げた古屋の頭が容赦なく張り飛ばされる。

「待て、なぜそうなる」

「『知らない』とは言ったけど、否定はしてないっつーの。ていうか、状況的にあちらさんが肯定してるじゃないのさ」

 そう言いながら、五十嵐は古屋の顔を睨み合いを続ける二者の方へと向けさせた。

「アレはどう見ても、三角関係に端を発するいがみ合そのものだろうに」

 噛んで含めるような説明に、古屋は「ああ」とうなずいた。

「なるほど、言われてみればその通りだね」

 今気づいたとばかりの言い草に、「ヤレヤレ」と小野寺はため息をつく。

「言われずとも普通は気づくだろう」

 そんな彼らの様子を見ながら、おののくように小百合がつぶやいた。

「ここにも手強い天然がいたわね……」


 その後も三角関係疑惑をネタにああだこうだと好き放題に騒いでいた一同だったが、ふいに古屋が「あ」と小さく声を上げた。

「ねぇ、そろそろ部屋に戻った方がいいんじゃないかな。点呼のために教師が巡回する時間じゃない?」

 その言葉に、他の面々も時計を見やる。古屋の言う通り、あと十分ほどで消灯時間――すなわち教師による点呼が開始される時間となっていた。同じ西館内に部屋がある悠はともかく、東館に戻らねばならない望美たちはギリギリ間に合うか否かと言ったところである。その事実に思い至った小百合が顔色を変えて立ち上がった。

「やっば、戻らないと! 行くわよ、望美、千恵!」

 叫びながら猛然とドアへと向かう小百合を追い、望美と千恵も腰を上げた。

「あ、待ってよ、小百合ちゃん!」

「お騒がせ、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。では、我々は失礼いたします」

 律儀に一礼を残し、望美も先に行った二人の後を追いかけてドアへと向かう。

「あ、フロントまで送りま――うわ!?」

 女子たちを追って立ち上がった悠だったが、皆まで言う前に襟首を引っ張られてバランスを崩し、その場に尻餅をついた。反射的に背後を振り返り、己を引き留めた者を睨みつける。どこか恨めしげなその眼差しに、五十嵐はため息をつきながら降参とばかりに両手を上げた。

「気持ちはわからなくもないが、アンタが一緒だと余計ややこしいことになりかねないだろ」

「……どういう意味です?」

「この時間に女子が西館にいるだけでもすでにアウトだってのに、男子と一緒にいるところを誰かに見られでもしてみろ。妙な疑惑をかけられるだろ」

 五十嵐の言葉に眉を寄せて考え込んでいた悠だったが、やがて答えに思い当たったのか目を見開いた。

「時間的に教師と鉢合わせする可能性もあるからね。生徒会役員が不純異性交遊でお説教されるのもあんまりでしょ」

 苦笑を浮かべ、取りなすように間に入ってきた古屋の言葉に、悠は渋面を作りながらうなずいた。全くもって彼らの言う通りである。万が一誰かに見咎みとがめられた場合、不名誉な風聞を立てられるのは女性の方であろう。

「すみません、そこまで考えが至りませんでした」

 姿勢を正して頭を下げた悠に、五十嵐と古屋はそれぞれ笑みを浮かべてうなずきを返した。

「……ま、あとは連中の運次第だろ」

 どこか投げ遣りな小野寺のつぶやきに、彼らは祈るように時計を見やった。



 物音を立てないように気をつけながら可能な限りの速さで廊下を駆け抜け、人目に触れることなくエレベーターに乗り込んだ望美たちは安堵のため息をこぼした。

「すぐにエレベーターが来てよかったね」

「そうね。とりあえずフロントにまで戻れればどうにかなるでしょ」

 笑みを浮かべて言葉を交わす小百合たちを見ながら、望美は「ほう」と吐息を漏らしてエレベーターの壁に背中を預けた。このまま誰にも遭遇せずに部屋まで戻れるのが一番だが、最悪フロントであれば「買い物に来た」という下手な言い訳でどうにかお目こぼしにあずかれるかもしれない。

 そんなことを考えている時だった。わずかに揺れてエレベーターが停止する。電子音と共に開いたドアの向こうには、これから巡回に向かうところの教師の姿があった。

 即座にドアを閉じるボタンを押した小百合であったが、エレベーターが反応するよりも教師がドアを押さえる方が早かった。

「三人ともエレベーターから降りなさい」

 エレベーター内に一歩踏み込んだ宇佐見が、命じるようにそう告げた。その表情も声音もけして凄んではいないのだが、どこか有無を言わせぬ迫力があった。それに逆らえるはずもなく、望美たちはおとなしくエレベーターを降りたのであった。

「……え? あれ、こっち西館側のエレベーターですよね? どうして在原さんたちが乗ってるんです?」

 宇佐見の背後にいたために、エレベーターの内部が見えなかったのだろうか。どこか慌てたような、不思議そうな表情を浮かべて土屋つちや頓狂とんきょうな声を上げる。

「あらら、運が悪かったわね? せめてフロントで鉢合わせしたんだったら、見なかったことにできたのに」

 そう言って楽しげに笑ったのは、東館側のエレベーターの前に立っていた桐生きりゅうだ。その隣で困ったような、呆れたような顔でため息をこぼしている女性教師は、一年二組の担任であっただろうか。巡回直前の教師に遭遇するとは、運が悪いにも程があるだろう。

 顔を見合わせてため息をつく望美たちの様子から、おおよその事情は察しているのだろう。わずかに表情を険しくして、宇佐見は壁際の一角を指し示した。

「そこに正座しなさい」

 明らかなお説教の気配に、三人は神妙な顔つきで従った。

「宇佐見先生、お手柔らかにね?」

「そちらもこれから巡回であることをお忘れなきよう」

 笑みを含んだ声でそう言うと、桐生たちはエレベーターに乗り込んだ。ウィンクしながら望美たちに向けてヒラヒラと手を振る。

「わかっていますよ。そちらの方こそ、ちゃんと仕事をしてください」

 どこか苦々しげにそう答えると、宇佐見はさっさと行けとばかりに背後に向けて手を振った。楽しげな笑い声を残し、エレベーターが口を閉じる。

 小さく嘆息してかぶりを振ると、宇佐見は望美たちへと向き直った。

「それで、きみたちはこんな時間に何をしていたのです? 夕食後は各自の部屋がある館から出てはいけないことは知っていますよね?」

 単刀直入な詰問きつもんに、「うっ」と小百合が言葉を詰まらせた。千恵もまた口にするのは要領を得ないつぶやきばかりだ。険しい雰囲気を漂わせる宇佐見の背後で、土屋がハラハラと心配そうにこちらを窺っているのが余計に焦らせるのだろう。

 しかし宇佐見はすでに事の次第を正確に把握しているはずだ。彼が求めているのは説明や言い訳ではなく、謝罪と反省。そう読み取った望美は大きく息を吸うと口を開いた。

「申し訳ありませんでした」

 言葉と共に膝の前に手を突き、頭を下げる。

「男子の部屋に遊びに行っていました。この合宿が校外学習であるということを忘れ、羽目を外してはしゃいだことを反省しております。生徒の模範となるべき生徒会役員でありながら、軽率でした」

 見事なまでの土下座に、一瞬全員が動きを止めた。わたわたと慌てたように土屋が手を上げ下げするが、パニックを起こしているのかその言葉は意味をなさない叫びと化している。その様を見て我に返ったのだろう、小百合が宇佐見の前ににじり出た。

「ちょ、ちょっと待って! 男子の部屋に行こうって言い出したのはあたしです! 望美は止めようとしてました!!」

「……あの! 止めなかったっていう意味では、私も同罪です!」

 千恵もまた慌てて声を上げる。

 一気に騒然となった場に、宇佐見は頭痛をこらえるかのように額を押さえた。咳払いをすると、一同を見回して口を開く。

「落ち着きなさい、誰も罰しようとは言っていません。全員、己のやったことを反省している――そういうことですね?」

 確認するような問いかけに望美たちは顔を上げ、うなずいた。それに宇佐見もまたうなずきを返す。

「よろしい。ならば、各自反省文一枚を明日、朝食後に提出するように。用紙は部屋に備え付けの便箋を用いること。理解したなら、すぐに部屋に戻りなさい」

 はい、と口々に返事をしながら立ち上がる生徒たちを満足そうに見やると、宇佐見は土屋の方へと顔を向けた。

「では土屋先生、私たちも巡回に向かいますよ」

「……あ、はい! わかりました!」

 何度もうなずくと、土屋は望美たちの方へと向き直った。笑みを浮かべて手を振る。

「では皆さん、おやすみなさい」

 そう言葉を残すと、宇佐見に続いてエレベーターに乗り込む。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。失礼いたします」

 代表するようにそう言うと、望美は深々と頭を下げた。彼女にならい、小百合と千恵も頭を下げる。

 エレベーターのドアが閉まると、大きく息を吐き出して小百合が口を開いた。

「うわー、よりにもよってフロントで教師と鉢合わせとかないわー」

「もう、元はと言えば小百合ちゃんのせいでしょ? 反省文で済んでよかったと思わないと」

 どこかなじるような響きの千恵の言葉に、小百合はきゅっと眉を寄せた。どこか申し訳なさそうな、けれども少し意地になっているような、そんな表情を浮かべてくちびるを尖らせる。

 子どもじみた表情で睨み合う二人に、望美は小さく苦笑を浮かべた。なだめるように両者の肩に触れ、それぞれの顔をのぞき込む。

「お二人とも、早く部屋に戻りましょう。今度先生に見つかったら、反省文では済みませんよ?」

 どこか冗談めかしたその言葉に、小百合が吹き出した。つられて千恵も笑い声を立てて同意する。

「ごめんね、二人とも。あたしのせいで怒られちゃって」

 不意に改まった様子で謝罪した小百合に、千恵が大きく目を見開いた。慌てたようにかぶりを振り、両手を前に突き出す。

「え、いや、そんな……私は止めなかったし……たぶん、一番迷惑をこうむったのは望美ちゃんかと。その……ごめんね?」

 上目遣いに見上げてくる千恵に、望美は微笑を浮かべて首を横に振った。

「止められなかったという意味では、わたしも同罪ですから。むしろ、中須くんや五十嵐くんたちの方が迷惑していたのではありませんか?」

 望美の指摘に二人は押し黙った。たしかに夜中に突然部屋に押しかけられたり、たまたま廊下で声をかけただけで強制連行されたりしたのではたまったものではない。呆れこそすれ、声を荒らげるような真似をしなかった彼らは相当なお人好しだろう。

「明日、ちゃんと謝りましょうね?」

 そう問いかけると、どこか拗ねたような声音で小百合は返事をした。その様子に望美と千恵は顔を見合わせて小さく笑う。


 少しばかりのトラブルはあったものの、そんなこんなで三泊四日の校外学習はにぎやかに幕を下ろしたのであった。

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