第四章第一話


 もぐもぐもぐ。もぐもぐもぐ。

 かなり熟している野菜類を次々と口の中へ放り込んで咀嚼します。

 うん、このまずさは相変わらず変わっていませんね。安心しました。


 今日は久しぶりに喧騒な酒場兼食堂ティスの定食屋にやってきました。

 ここは味はともかく徹底的に安いお店で、ディナーの定食ですら六百五十ギルという破格のお値段なのです。

 その値段のためか、駆け出し冒険者たちの愛用の店となっています。

 もちろん私も一人暮らしを始めてから、ここのお店の常連となっていました。


 でもここ最近立て続けに様々な事が起こって、なかなか来ることができなかったのですよね。

 そういえば町の襲撃から、まだ二ヶ月くらいしか経っていないんですね。

 たった二ヶ月なのに、十年分くらいの人生経験を得た気がします。

 まだ十五年しか生きていませんけど。もぐもぐ。


 ちなみに今日は一人です。

 ジョニーさんとラッキーさんは二人で先日登った山に行って、修行をしに行っています。

 あそこなら多少の誤爆があっても、人は殆どいませんしね。

 しかし彼らはアレ以上何を修行するのでしょうか。不思議です。

 そしてアリスさんは相変わらず徹夜でお仕事中です。もぐもぐ。


 見る見ると無くなっていく野菜たち。

 ここ最近お肉類ばかりでしたし、たまには野菜オンリーでバランスも考えなきゃいけませんよね。

 そしてとうとう大きな皿に山盛りになっていた野菜が空っぽになりました。


 いやー、おなか一杯になりました。

 ベルージアで食べたカリカリ、ベールでのいつものお肉&ワインのセットもいいですけど、やはり私の原点はこのティスの定食屋ですね。


 ……私って安い女ですね。


 さて、ついでにここのまずいワインでも頼みましょう。

 前世で五百円くらいで売っていたワインを思い出す味です。

 ちなみにグラス一杯百ギルで飲めます。



 三杯目に差し掛かったとき、ふとどこからか音色が聞こえてきました。

 決して酔っ払ったあげく、幻聴が聞こえてきたわけではありません。

 だって音色に合わせるように、店内が静かになりましたし。

 一応ここは酒場でもあります。

 吟遊詩人とかよくやってきますけど、彼らが奏でる音楽ではありません。

 何となくワビサビがある音ですね。

 しばしワイングラスを傾けながら、その音色を楽しみました。


 ……私って大人な女ですね。十五歳ですけど。


 曲が終わると、店中から拍手が鳴り響きました。

 私もぱちぱちと拍手を捧げます。上手でした。

 さてどんな人なのですかね。


 音色の主へと視線を動かすと、まだ十三~十四歳くらいの少年が長い草のようなものを片手に、もう片方は帽子を反対側に持って立っていました。

 その帽子目掛けていくつかのコインが飛んでいきます。

 少年は飛んできたコイン全てを上手に帽子の中へと納めていますね。

 なかなかの技巧者です。

 私も懐から千ギルほど取り出して少年へと投げてみましたが、彼はしっかり私の投げたものを全てキャッチしました。


 そしてコインが投げ終わった頃、少年は帽子をかぶって大きく礼をしました。


「ありがとう!」


 更に沸く歓声。


「坊主、うまかったぞ!」「初めて聞いた音だったぜ」「アンコール! アンコール!」「それって草だよな。よくそれであんな綺麗な音を出せたな」


 おや、草であの音を出していたのですか。それは草笛って奴ですね。


 ……あれ? どこかで聞き覚えがありますよ?


 そんな私の小さな疑問は、酒を飲んでいた冒険者たちの質問に消えていきました。


「どこの生まれだ?」

「ここではない遠い異国の果て」

「かなり若そうだけど年はいくつだ」

「四百五十歳くらい」

「へ? 四百五十歳? ところで、坊主、名前はなんて言うんだ?」

「オレの名は、闇の帝王ダークエンペラービクスティン=イシュハライト=ザクソンだ」


 彼がそう名乗った瞬間、酒場の中が水を打ったような静けさになりました。


 だーく……えんぺらー……びくすなんとか……ですか。

 なんですかこの中二を煩ったような名前は。

 みなさんの視線が可哀想な子を見るような感じですね。


「お、おう、そうか。ちなみにその腕に描かれている絵は?」

「これはオレの力を封印しているものだ。あまり見つめないほうがいい、この昇り竜に飲み込まれてしまうからな」

「そ、そうか。気をつけるよ。それにしてもうまいもんだな、それ。他の草でも吹けるのか?」

「もちろんだ。草笛を始めてから四百年だぜ? あらゆる草の音色は頭の中に入っている」

「ははっ。四百年とはすごいベテランだな」

「まだまだオレなんか青二才さ。知人は一万歳を超える年齢だし」

「そ、そうか。そりゃすごいな」


 一万歳を超えるような人なんて、不死の方くらいしかいないんじゃないですかねー。

 例えば真祖の吸血鬼とか、魔人たちとか。

 迷宮都市アークにいるリッチロードなんかも超えてそうですけど。


 でもどう見ても、この子は人間ですよね。

 吸血鬼なら半分同族の私なら分かるはずですし、魔人だとしても彼らに共通している羽がありません。

 まあ、中二を発病してそうな子ですし、冗談でしょう。


「じゃあオレはこの辺で次の町へいくよ。みんな、ありがとう」

「おお、またラルツに寄ったら是非その音楽聞かせてくれよな」

「ああ、必ず寄るよ! それとそこのダンピールのお嬢さん」


 少年はまっすぐな目で私を見てきました。

 ……って私ですよね?

 今この酒場にダンピールは私以外いませんし。

 それよりこの少年の目、何となく魔眼の気配がしますね。



 素質あるものは赤い月が照らす夜に魔へと堕ちる。

 以前酒場のマスターがこう言ってました。

 魔眼持ちの人も、素質あるものに含まれます。

 よく彼はあの日、魔に堕ちませんでしたね。


 そういえばアリスさんも魔眼持ちでしたね。しかも威圧と恐怖という複合の非常に強力な。支配者階級にぴったり。

 初めてアリスさんと会った日のことを今でもはっきりと覚えています。


――アリスさんですねっ。私は可憐な美少女冒険者のアオイと言います。ぜひこれからよろしくお願いしますねっ。


 私の目に惹きつけられるように彼女の目が動いて、視線が合いました。

 そしてその瞬間アリスさんの目に強力な力を感じて、咄嗟に魅了をかけそうになりましたね。


――ごめんね。少しだけ魅了かけてたみたい。

――ちょっ!?


 ごまかすように、洒落で済ませるように、そんな言葉を発言してしまいました。


 人間の時だったアリスさんは、せいぜい人に少しの恐怖を与える程度でしたが、今彼女が本気で魔眼を使いこなせるようになれば、あらゆる生き物を恐怖へと落して身動きできなくする事くらいは簡単に出来るでしょう。

 私がそれに抵抗できる自信は、あまりありません。


 そして彼女は魔に堕ちる前に死にかけてしまい、私が吸血鬼にしてしまいました。

 吸血鬼は既に魔に堕ちている存在ですから、魔人にはなれません。

 また逆に魔人も吸血鬼にはなれません。



 さて、彼は魔眼持ちでしょうか。

 そして私に何の用事で声をかけてきたのでしょうかね。

 少しだけ目を細めて、警戒レベルを上げます。

 でも彼は気楽に手を軽く挙げて、挨拶するように言いました。


「あんたが一番コインを多く投げてくれたよ、サンキューな」


 ……全然かんけーなかった!

 うわ、恥ずかしいっ。何をこんなに長々と思考していたのでしょうか。


「いえいえ。とても良い曲を聞かせてくれてこちらこそありがとうございます」


 千ギルしか投げていないのですけど。

 他のみなさん、一体いくら投げたのですかね。

 でもこのお店にくる事自体がお金のない人たちの証明になりますし、仕方ありませんよね。


闇の帝王ダークエンペラービクスティン=イシュハライト=ザクソンの名を忘れないでくれ! じゃあな!」


 そして彼はティスの定食屋から出て行きました。

 忘れようにも、一度聞けば忘れられない強烈な名ですね。


 そして酒場にいつもの喧騒が戻ると、私は残ったワインを飲み干して家路へとつきました。



 そして二日後。


「なんですとっ!? それは本当の事ですかい?!」

「え、ええ。確かダークエンペラーとかいう中二を煩ったような名前を言ってましたよ」


 ジョニーさん、ラッキーさんが山から帰ってきて、夕飯を食べながら雑談していました。

 その中で数日前に珍しい草笛を吹く吟遊詩人が来て、しかも魔眼の匂いがしたと話の話題を振ったとき、ラッキーさんが激しく反応したのです。


「そいつはチャッピーです。間違いないですぜ」

「チャッピーって確か新しく入った四天王の人でしたよね」

「はい。しかも年恰好は人間と全く変わらねぇ十代前半の少年ですよね?」

「ええ、どう見ても人間にしか見えませんでしたけど」


 魔眼の匂いはしましたけど、他は確かに人間でした。

 今でこそ大人しいこの二人ですが、魅了する前はどちらも狂気を感じられました。

 でも彼からは魔人が持つような狂気は全く感じられませんでした。


「あいつ、人間の姿を取るのがものすごく上手いんですぜ。オイラやボブなんかも最初人間と思って攻撃したくらい、見事な擬態でしたよ」

「お仲間だったラッキーさんですら、間違えるくらいですか」

「はい、しかもあれでめちゃ強いんですよ。ボブと二人だったのに負けちまいました」


 無言でご飯を食べていたジョニーさんが、会話に入ってきました。


「我が女神よ、そのチャッピーとやらはどこへ行かれたか聞きましたかな?」

「次の町へ行く、と言ってましたね。ラルツから次の町といえばベールですかね。もしくはベールからこっちへ来たのなら、セント公国のエバンですかね」

「ふむ、では少々お暇させてください」

「え? まさか追いかけるのですかっ?!」

「はい、ラッキーとボブの二人がかりでも勝てないほどの猛者であれば、腕がなりますぞ」


 この戦闘狂なんとかしてください。


「まあ良いですけど。町に被害は起こさないようにしてくださいね」

「分かり申した。では行ってまいります」


 残ったご飯を全て胃の中へ納めたジョニーさんが立ち上がりました。

 ちゃんと出されたものは全て食べるのは良いことですけど、急ぎすぎです。


「ジョニーの兄貴」

「なんだ?」

「もしあいつと戦うんでしたら、魔眼には気をつけてくださいよ。あいつの能力は」「それ以上のヒントはいらぬ。楽しめないではないか」


 ラッキーさんの言葉を遮ったジョニーさんは、そのまま外へ出て行ってしまいました。

 大丈夫ですかね。

 まあ死にはしないでしょうけど。


「ちなみにラッキーさん」

「はい、我が暗黒神よ、どうしやした?」

「そのチャッピーという人の能力って何ですか?」


 ジョニーさんは戦闘狂ですけど、私は楽に勝てるなら何でも使います。

 まああの少年なら、何となく戦う必要は無いと思いますけど、念のために聞いておきましょう。


「麻痺ですぜ。睨んだ相手を麻痺らせて動けなくするんです」

「なるほど、それはやっかいですね。でもジョニーさんのあの筋肉なら、たとえ麻痺で動けなくなっても、そのチャッピーの攻撃は効きそうにない気がしますけど」

「それがですね、チャッピーの奴は氷の魔法の使い手でして。あの永久凍土につかまったら流石のオイラたちでもずっと氷の中に閉じ込められますぜ」


 それはすごいですね。

 永久凍土の魔法って伝説かと思っていたのですけど。


 でも……。


「ジョニーさんの魔眼って、魔法吸収ですよね?」

「あ、そうでした」

「では決着はつかなさそうですねぇ」

「そうですね」

「三日経っても帰ってこなければ、迎えにいってくれますか?」

「はい、わかりやした」


 不毛な戦いがまた始まるのですね。

 そしてご飯を食べ終わって、水浴びもして寝ようとした時、家のドアがノックされました。


 アリスさんが帰ってきたのでしょうか。

 でも彼女なら家の鍵は持っていますし、というか元々彼女の家ですしね。

 となるとお客さんですか。

 一体こんな夜更けに誰ですかね。

 こんな時間に来るなんて常識的な人ではありません。

 魅了でもして追い返してあげましょう。


 そう意気込んで玄関まで移動しドアを開けると、そこには雪女のような女性が立っていました。

 長い青い髪に、着物みたいな服を着ている女性です。

 アリスさんより長身で、更に頭には二つの犬っぽい耳があります。


 犬の獣人ですかね?

 でもそれにしては、白すぎます。

 彼らは灰色か茶色が多いはずですが。


 私の姿を見た彼女は、目に涙を浮かべながら抱きついてきました。


 ちょっ?! 誰この人?!

 というか、そんな長身で抱きつかれたら息苦しいですっ!

 無理やりはがそうとしますが、ものすごい力で離れないよう絞めてきます。

 あうぅ~、苦しいっ!

 こうなったら夜ですし、本気の力を出して剥がしてやります!


 ぐっと力を入れた瞬間、彼女が泣きながら私に話してきました。


「我が主よ! お久しゅうございます!」

「え? まさか……」


 そのしゃべり方は……。

 籠めていた力を抜いて、彼女の頭を撫でます。

 この撫で心地は……。

 更に彼女のもふもふとした尻尾を触りました。

 この感触は……間違いない。


「まさか、ワンコ?」

「はいっ! 我が主よ!」



 彼女は私が捨てられた直後に魅了した狼です。

 八年ぶりの再会となりました。




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