~閑話~


 その日の朝は雪がしんしんと降り積もっている、とても寒い日でした。

 私は朝六時に目が覚め、暖かい布団の誘惑を跳ねつける様にして蹴飛ばしました。

 こうでもしないと、いつまでも寝てしまうからです。


 私は眠い目をこすりながら、支給されたばかりのギルド制服をクローゼットから取り出しました。

 真新しくて、とても凛々しい。

 子供の頃からあこがれていた冒険者ギルドでとうとう働けるようになったのです。


 昨晩は嬉しくなって、つい鏡の前で何度もこの制服を合わせていました。

 おかげで今日は少し寝不足です。


 でも今日は初出勤です。

 遅刻は絶対やってはいけないこと。

 だからこそ今日は早めに起きたのです。


 お気に入りのパジャマを無造作に脱ぎ捨てて、寒さに身を震わせながらタイトスカートをはき、制服の袖に腕を通します。

 鏡を見てしわがないかチェックします。

 まだ少しサイズが大きいですけど、私もまだまだ成長期ですし、すぐぴったりになるでしょう。

 ふふ、こうして制服を着てみると私も立派なギルド職員ですね。

 思わず顔に浮かんだ笑み。

 それを慌てて消しました。


 いけない、もう今日から大人ですから子供っぽいところは消さなきゃ。


 そのまま鏡を見ていたら、もう三十分も経過していました。

 そろそろお父さんを起こして、朝ごはんを作らなきゃ。


 そして最後にもう一度だけ鏡を見てから、私はお父さんが寝ている寝室へと向かいました。



 私、アリス=シーレイス、十三歳は今日からギルド職員です。



 雪で滑りやすくなっている地面を、ゆっくりとギルドへ歩いています。

 滑って転んで制服に汚れがついてしまう事は、絶対避けなければいけません。


 ギルドに着くと夜勤の方々が眠そうに、それでも笑顔で冒険者たちを迎えています。

 冒険者たちはこの町を守っている立派な方々です。

 中には口の悪い人や、居丈高にしている人もいますが、殆どの人はそんなことはありません。


 昔から私はよく男の人に声をかけられる事が多く、更に一度無理やり攫われそうになった事がありました。

 そんな時、冒険者の人に助けてもらったのです。


 それ以来、私は冒険者を目指して頑張ろうと思ったのですが、あいにくその素質は私にはありませんでした。

 力も弱く、魔法を使えるわけでもなく、何か特殊な技能を持っているわけでもありませんし、仕方の無いことでしたがすごく落胆しました。

 それならば冒険者たちのお手伝いをやろうと、そして少しでも良いので楽にさせてあげたいと思い、ギルド職員になることを決意したのです。


 そしてとうとう念願かなってギルドでお仕事が出来るようになりました。




「おう、お前さんが新人か」


 ギルドの入り口で、どこにいけばいいか戸惑っていた私に声を掛けてきた人がいました。

 とても大きな男の人です。一瞬身を強張らせてしまいました。攫われそうになった時から、どうしても男の人が苦手になったのです。

 昔から人付き合いは苦手でしたが、特に男の人に迫られると身体が言うことを利かなくなるようになってしまいました。

 だからこそ、なるべく感情を出さないように殺してしまうようになりました。

 冷静にしていれさえすれば、何とがなったのです。


 でもその大きな男の人の顔を見ると、見覚えがあります。


 ギルドマスター、ルーファスト=オメガさん。

 このラルツの町の冒険者を束ねている一番偉い人です。

 そして私を助けてくれた冒険者。

 この人を手助けしたいが為に、私はギルド職員になったのです。


 いくらなんでも、恩人にそんな態度を取ってはいけません。冷静に、冷静に。


「はい、アリス=シーレイスです。今日からここにお世話になることになりました。今後とも宜しくお願いします」


 私はお父さんから教えてもらったとおりに、丁寧に挨拶をしました。

 しかしそんな私を見たギルドマスターは、豪快に笑い飛ばしました。


 えっ? どこかおかしかったでしょうか? それともお父さんに嘘を教えられたのでしょうか?


「なんだ、ずいぶんとかてぇな。せっかくの別嬪さんなんだからそんな顔してたらもったいねぇぜ。もっと気楽にいこーぜ」

「お父さんがアリスさんを脅かしているんですよっ。もっと自分が見た目怖い男だということを自覚して、自重してください」


 ふとギルドマスターの隣に、八~九歳くらいの女の子がいる事に気がつきました。

 黒い髪を肩で切りそろえてて、ピンク色の小さめのリボンを左右で結んでいる、少し黒い肌に長い耳。

 そして深紅の瞳と口元に二本の小さな白い牙。

 とても可愛らしい女の子です。きっと私よりも可愛いと思います。

 そして、この女の子の事を私は知っています。


「……アオイさん?」

「アリスさん、お久しぶりですっ」


 アオイさん。


 昔、一年ほど同じ学校に通っていたダークエルフとのダンピール。小さい身体に似合わないほど強く、そして奔放な性格をしている女の子です。

 そして私の始めてのお友達です。

 でも冒険者ギルドから何か通達があったようで学校から突然姿を消しました。私やアオイさんと同じ学校に通っていたサブギルドマスターであるリリックさんの息子、エルハンドさんはその理由を知っているようでしたけど、私には教えてくれませんでした。

 ものすごく残念でしたが、ギルドの関係者でもない私には教える事が出来なかったのでしょう。


 戻ってきていたのですね、よかった。


 それにしても先ほどアオイさんは、ギルドマスターの事をお父さんと呼んでいました。まさかアオイさんのお父さんがギルドマスターだとは思いませんでした。

 ダンピールとはいえ、一介の学生に冒険者ギルドが何の通達をしたのか不思議でしたが、お父さんがギルドマスターなら納得です。

 でもギルドマスターは人間ですよね。となると養子か何かでしょうか。

 ダンピールですし、きっとギルドマスターが後見人となって面倒を見ているのでしょう。ギルドマスターを見るその笑顔はとても綺麗です。すごく楽しそうな顔をしています。きっとアオイさんも私と同じようにギルドマスターに助けてもらったのでしょう。




 ダンピール、吸血鬼は人間から嫌われています。

 血を吸うからでしょう。

 力の強い、例えば真祖と呼ばれる吸血鬼や何百年も生きている吸血鬼であれば相手の血を吸いすぎて殺すことは無いそうですけど、力の弱いダンピールや吸血鬼になりたての人は血を吸って酔いしれ暴走してしまい、悲惨な事件を起こす事が多かったそうです。

 今はダンピールや吸血鬼に対し様々な対応対策がされていますので、そういったことは滅多に起こりませんが、やはり忌避してしまうのは仕方の無いことでしょう。

 特に制御する力の弱いダンピールは暴走しやすいとされ、迫害とまではいきませんがかなり差別されています。


 ちなみに初めは吸血鬼をこの町から追い出そうとしていたらしいのですが、彼らは人間に比べて遥かに力の強い存在です。

 最下級の吸血鬼やダンピールですら、普通の人間より遥かに強いのです。しかも魔物とはいえ、理性を持ち人間と対話することが可能なのです。元々彼らは人間、亜人間だったのですから。

 そしてこの町は常に魔物から襲われています。彼ら吸血鬼たちの力を借りることが出来れば、非常に力強い存在になります。


 こういった経緯もあり、町を守る冒険者になる、あるいはその手助けをする冒険者ギルドに所属する事を条件として、在住許可が出されるようになりました。




「お、そうだ。アリスだっけ? こいつ今日から冒険者になるんだよ。お互い新人だから新人同士仲良くしてくれや」

「えっ!? アオイさん、冒険者になったのですか?」


 おかしいです。冒険者は十三歳からのはずです。私の記憶に間違いが無ければ、アオイさんはまだ十二歳のはず。


「はいっ! お父さんに推薦してもらいました」

「あ……推薦試験に合格したのですか。おめでとうございます」


 高ランク冒険者からの推薦があれば、一年早く冒険者になる事ができます。もちろん推薦だけでなく、試験も必要なのですけど。

 ギルドマスターは公正明大な人と伺っています。自分の養女だから、と言って簡単に通すほど甘くはないはずです。むしろ他の人より試験を難しくしているかも知れません。



「アリスさん、私は可憐な美少女冒険者のアオイとなりました。ぜひこれからもよろしくお願いしますねっ」


 あはは、昔から変わりませんね。

 でも……でも……。


「アオイさん、私に内緒でいなくなった事は許しません」

「ええっ?! あ、あれは……その……仕方なかったのですっ! 恨むならお父さんを恨んでください」

「俺かよっ?!」

「だってそうじゃないですかっ!」

「元はといえば、中央の……ってなんでもねぇ」


 二人で何か言い争っていますけど。しかも中央というセリフまで聞いてしまいました。中央はオーギル王国の首都オーギルの事です。

 つまりオーギル王国と何かあったみたいですね。

 でもちょっと事が大きすぎます。

 いくらこのリルリの町を預かるギルドマスターの養女とはいえ、子供に任せるようなレベルではないと思いますけど、アオイさんですしね。


「あ、お前も今日からギルド職員だ。今の発言は守秘義務という事で聞かなかったことにしてくれ」

「はい、わかりましたギルドマスター。そしてアオイさん」

「は、はいっ!」


 戸惑うアオイさんに私は手を差し出しました。


「また……友達になってくれますか?」

「も、もちろんですっ。というか、ずっと友達でしたよ?」


 彼女はしっかりと私の手を握ってきました。

 そう言った彼女はギルドマスターに向けていた笑顔を、そのまま私にも向けてくれました。



 ……かわいい。



 素直にそう思ってしまいました。

 別に私は女の子が好きな訳ではないのですが、彼女の吸い込まれそうな深紅の、そして優しい目に惹きつけられました。


「あ、ごめんね。少しだけ魅了かけてたみたい」

「ちょっ!?」


 思わず顔をしかめてアオイさんを見てしまいました。


 魅了は吸血鬼の持つ能力の一つで、相手を虜にしてしまい操る技です。でも本来魅了は力の強い吸血鬼にしか使えないはずですが。

 アオイさんって本当にダンピールですか?


「アリスさんってとてもクールな目をしていますね」

「そうでしょうか?」

「うんうん、昔より更にパワーアップしている感じで、ぞくっときましたよ!」


 昔より更にパワーアップして、ぞくっとするような目つきって。

 私ってそんなに目つき悪いのかな。


「さあアリスさん、早速ですが三年ぶりに再開した記念でデートしましょう! そして私に血を吸わせてくださいっ!」

「お断りします。それに何故私が血を吸わせる必要があるのですか」

「ああっ、そんな目で見ないでっ!」

「アオイさんって変な人ですね。昔もそうでしたけど……」

「これまたご褒美発言きましたー! しかもこの目! いいですねぇ!」

「…………わけが分かりません」

「いえアリスさん、そこはこう言うんです。わけがわからないよ、君たち人間は……って私は人間じゃなかった!? これはアオイさん一生の不覚ですっ」

「もう本当にわけがわかりません」

「アリスさんってとてもかわいいですね、お人形さんみたいですっ」

「と、突然何を言うんですかっ」

「アリスさん照れてかわいいですっ、抱きしめたいです! 血を吸わせてくださいっ!」

「だからお断りしますっ」

「ああー、もうだめぇぇ」


「…………」


「……」


「…」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「どうしたのですかアリスさん、遠い目をして」


 名前を呼ばれた私は、ハッとなって周りを見ました。

 いつものギルドの風景。

 いけない、少し目を開けたまま寝ていたみたいです。


「あっ、すみません。少し寝ていたみたいです。申し訳ありません」


 私の前には黒い髪の深紅の瞳をした少女、アオイさんがいました。

 頭の左右につけていたリボンの代わりに、冒険者になったお祝いでプレゼントした赤色のカチューシャを今でもつけてくれています。


「なんとっ、真面目なクールビューディーのアリスさんが? なんだかお疲れではないですか?」

「最近仕事がたまりすぎてまして」

「残業続きの生活ですか、それはいけません。ちゃんと睡眠はとらないとお肌に悪いですよ?」

「いえ、アオイさんたち冒険者の方々を支えることが私の仕事ですから」

「だめですっ、今日はもう帰って英気を養ってください。そんなお疲れの顔ですと、私までお疲れちゃんになりますっ」


 そんなに疲れたように見えるのでしょうか。

 でも確かに今日の勤務時間が三十時間になりますね。


「はい、そうですね。ではアオイさんの言うとおり帰宅します」

「うんうん、素直に意見を聞いてくれておねーさんは嬉しいですよっ」

「いえ、私のほうが年上ですが」


 そして勝ち誇ったように、胸をそらしてあげます。


「くっ、これが持って生まれたスペックの差か!? と、そんな事より送っていってあげましょうか? アリスさんをエスコートするのは私のお仕事です」

「アオイさんだと送り狼になりそうですからお断りします」

「だめですっ、お疲れのようですし私が背負って送ってあげますっ」


 そういった彼女は、私を軽々と持ち上げて、お姫様抱っこされました。

 って、恥ずかしいです。


「あの、アオイさん。これはさすがにどうかと思いますが」

「アリスさんの少し恥ずかしがってる表情を見たいので、これでいいのですよ?」

「お断りします。おろして下さい」

「だが断るっ! いきますよーっ」

「って、だめですってば!」


 そういって彼女は私を抱きかかえたまま、ものすごい速度で走り始めました。

 本当に強引ですね。


「ちゃんと休憩は取らないとだめですよ? 人間働きすぎて過労で死んじゃう事もあるんですから。寝不足のときに無理してお仕事しても効率は悪いのです。そういったときは休憩してからお仕事再開したほうが、トータル的には良い筈ですよ?」

「……はい、わかりました」


 たまにアオイさんは、十五歳とは思えない発言をします。

 でも私を心配してくれているのは、すごく伝わってきます。


「……ありがとうございます」

「デレ発言きましたっ! これで今日の私の英気はハイオク満タンですっ!」


 本当にわけがわかりませんね。

 でも、アオイさんといるととても楽しいのは事実です。

 少し、ほんの少しだけアオイさんを掴んでいる両腕に力を入れました。

 彼女はそれに気がついて、私のほうを見て優しく微笑んでくれました。



 アオイさん。これからも、ずっとお友達でいましょうね。



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