第九話


 リリスさんが杖を持ちながら、魔力を練っているのが伝わってきます。

 彼の身体中から魔力が噴き出し、それが杖に集まり、そして三角錐の結界へ目掛けて勢い良く噴出されました。

 魔力がぶつかった瞬間、青白く輝いた三角錐の結界ですけど、それ以外は何も変化がありません。

 例えるなら鉄の箱に向かって、蛇口に繋いだホースから水を出して当てているような状態です。


 ……それって何年かかるのですかね。


「本当にあれで結界壊すことできるのですか?」


 私はファムリードさんに聞いてみました。

 もしかすると、奥の手があるかも知れませんしね。

 しかし彼女は肩をすくめて「あの調子なら五百年もあれば壊せるんじゃないか?」と答えてくれました。


「……まさか五百年も待つつもりですか?」

「最悪そうなるな」


 ものすごく気の長い話しです。

 一万五千年生きている吸血鬼からすれば五百年なんて短いかも知れませんけど、十五年しか生きていない私から見れば、はるか遠い未来です。

 到底付き合いきれません。

 百年後くらいに様子見でここへ来ましょう。


「じゃ、そういうことで私は帰らせていただきますね」

「ちょっとまて、まさかこのまま帰すとでも?」

「ええ、そのつもりですが。それにここにいても食料ないですし」


 私はダンピールです。

 血も必要ですけど、食事もやっぱり必要なのです。


「ああそうか、お前ダンピールだったな。そういや血もいるな。忘れてた」


 いやそれは重要なところですよっ!

 食事がないと生きていけません!


「血と食料についてはリティに調達させよう。それよりもお前を帰すわけにはいかんな」

「なぜですか?」

「もし聖杯の事が他の真祖にばれたら面倒になる」

「言いませんけど。私にメリットないですし」

「そんな事、信じるわけがないだろう?」

「そう言われましても。さすがに五百年もここで待つのは、お断りしたいですね」


 私とファムリードの視線がぶつかり、火花が飛び散っているのを、まあまあ、と言いながらリティさんが仲裁してくれました。


「はいはい、二人とも落ち着いて。私もさすがにここに五百年は嫌だなぁ

「それでもこいつをこのまま帰すわけにはいかんぞ?」

「じゃあリリスちゃんに、もっと早く結界を破ってくれるように言ってみようよ。あれ、絶対手を抜いてるから」

「……ばれたか」


 手を抜いていたんですか!

 そのままだと、リリスさんもずっと五百年続けなきゃいけないのに!


「本当か、リリス?」

「でもボクが本気だすと、結界ごと聖杯を壊すかもしれないよ? 一番確実なのはこのまま続けることだけど」

「聖杯は壊れることはないぞ。真龍が踏んでも壊れないらしいしな」

「それなら大丈夫だね」


 ゾウが踏んでも壊れない筆箱じゃないんですから。

 本当に大丈夫なんでしょうか。

 でも彼は足を開き、腰を落として呪文の詠唱を始めました。


<音波の魂、奏でる刃、震わせよ風>


 今まで三角錐の結界へ向けて放出していた魔力がとまり、構えていた杖の前に大きな魔方陣が生み出されました。


 この呪文詠唱って独特の韻律ですね。

 今の時代の魔法とは全然違います。

 そのうち教えてもらおうかな。


<音に揺らめく波となりて破壊せよ、粉塵と化せ、衝撃波ソニックブーム!>


 そう暢気な事を考えられていたのは、呪文が完成する間際まででした。

 突如凄まじい音が魔方陣から生まれ、目に見えるほどの空気の揺らめきが三角錐へと殺到していきます。

 思わず耳を塞ぐものの、到底防ぎきれないほどの音量です。


 な、なんですかっ?

 音の衝撃波ですよね、これ。

 しかしリティさんが私の前に立つと、音が一気に小さくなりました。

 何らかの結界でも張ってくれたのでしょう。


「あ、ありがとうございます」

「リリスちゃんは周りの迷惑考えずに魔法使う事があるから、気をつけてね」


 はた迷惑な!

 やっぱり真祖ってどこかずれてる人が多いのでしょうか。

 それにしても、リティさんもあっさりと今の音の魔法を防いでいますね。

 ……詠唱もなしに。

 やっぱりこの人も真祖なんですね。


 そして三角錐の結界のほうですが、あの音の魔法の直撃を受けても青白く光るだけで何の変化も起こりません。

 逆にこの空間(?)の壁が、魔法の余波を受けて軋んでいるような雰囲気です。


「やっぱり硬いなぁ。もっと出力を上げないと壊れそうにないよ」

「出来るならさっさとやれ」

「ふぅ……仕方ない。このまま続けるのも面倒だ。魔力が空になったらあとはよろしく」

「リティがいるから心配はいらん。派手にやれ」


 ちょっと! 派手って!?

 これ以上やったら、結界より先にこの空間が壊れる!


 止めようとしたけど一歩遅く、リリスさんの身体が凄まじい光を放ったかと思うと、さっきまでとはまさしく次元が違うほどの魔力の奔流が、魔方陣を通して衝撃波となり三角錐へと襲い掛かりました。


 その魔法の余波で、この空間の壁にヒビが入り粉々に崩れていきます。

 途端に吹雪が舞い込んできて、私の視界を邪魔してきました。

 いえ、どちらかといえば私たちのほうが別空間から追い出されて、元の空間に戻ったのでしょうね。


 リリスさんの魔法をモロに受けていた三角錐は、いつの間にか青白い光から真っ赤な光りへと変化していました。

 余波だけで空間魔法を破壊できるような魔法を、直撃で受けているのです。

 私だってリティさんが何からの防御魔法をかけてくれなければ、空間と同じようにばらばらになっていたかも知れません。


 そう考えると、とことん迷惑な奴ですね。

 彼からすれば、それくらい余裕で防ぐだろうと見越していたんでしょうけど。


「そろそろ壊れるな」

「そろそろ限界」


 ファムリードとリリスさんが呟くのと同時に、真っ赤になった三角錐の結界が徐々に色を無くしていくのが見えました。

 しかしさすがのリリスさんも、顔色が悪くなってきています。

 吸血鬼は元々顔色が悪いですけどね。


「もう一息だ。がんばれ若者よ」

「リリスちゃん、がんばってー」

「若者という年じゃないから頑張れない」


 無責任な野次が飛びますが、そろそろ周りの被害にも気がついて欲しいものです。

 吹雪いていたはずなんですけど、今は視界くっきり。つまり魔法の余波で雪が散らされていると言う事。

 更にさっきから地面が揺れているんですよ。

 そろそろこの山、崩れるんじゃないですかね。

 気づいているのは私とアリスさんだけでしょうけどね。


「アリスさん、いざとなったら逃げましょう」

「は、はい……。でもどうやって?」

「んー、きっとジョニーさんがどこからともなく助けに来てくれますよ」


 現実的に考えてそれは無いと思いますが、でも彼なら来てくれそうな気もします。


「壊れるぞ。リティ、防護魔法を強化しろ」

「はーい」


 何かを期待するような眼差しで、三角錐の結界を見るファムリード。

 そして何故かリティさんがかけている防護魔法の強化を命令しました。

 途端、再び吹雪いてきました。

 今までは私たちを囲っていたものを、リリスさんと聖杯の周囲に変更させたようです。

 元から絶たないとダメ、と言う事ですね。

 これならば、山が崩れるのを防げます。

 でも何故強化を?

 そう疑問を持った瞬間、その理由が分かりました。


 リリスさんの衝撃波の魔法を受けた三角錐の結界が音もなく消え去ると同時に、聖杯から衝撃波の魔法と似ているものがリリスさん目掛けて噴出してきたのです。

 リリスさんと聖杯、両方からの衝撃波がぶつかり、凄まじい程の甲高い音と立てました。


「やはりあったか。逆襲の呪い」

「聞いてないよっ!」


 満足そうに頷くファムリードとは逆に、切羽詰ったリリスさんの悲鳴。

 逆襲の呪いって、今まで受けた攻撃をそのままお返ししてくる奴ですね。

 念の入った結界ですこと。


「気を抜くと衝撃波が直撃するぞ。底力を見せろ若者よ」

「そろそろ本気で魔力がやばいんだけど!」

「あと一分くらいで呪いも消えるだろ。それまで気合で乗り越えろ」

「ファムリードとリティも手伝えよ!」

「あたしがやっても五秒と持たないさ」

「私も同じくらいかなー。それに私は結界を維持しないと、この山が崩れちゃうし」

「心配するな。粉々になってもあたしが復活させてやるよ」


 さすがの吸血鬼も粉々になってしまえば、儀式をしない限り復活できません。

 でも復活できるからか、緊張感がこの二人には無いようです。

 儀式には一年くらいかかるんですけどね。


 ふらふら状態のリリスさん。

 とうとう片膝をついてしまいました。


「ほ、本当に……そろそろ」


 いつもと違い、声も弱々しくなっています。

 これはダメですかね。

 もしリリスさんが粉々になったら、集めるの大変そうです。


「お、頑張ったな。消えるぞ」

「おおー」


 彼女たちの発言に伴い、徐々に音の衝撃波が消えていきます。

 それと同期するようにリリスさんの魔法も消えていきます。

 そして最後に、からん、と聖杯の落ちる音が聞こえてきました。


「も、もうだめだ。あとはよろしく」


 消えるような声で話した後、そのまま倒れこむリリスさん。

 しかしこの人、本当に序列一位二位が張った結界を一人で破っちゃいましたよ。

 魔人王に異世界から召喚された一人、リリスさん。

 莫大な魔力を持っていて、ファムリードが言うには魔人王に匹敵するほどの魔力量の持ち主。

 これで完全版の真祖になって一万年くらい生きれば、一人で魔人王倒せるんじゃないでしょうか。


「こいつが聖杯か。感慨深いな」


 ファムリードが聖杯を拾い上げ、しげしげと見つめています。

 あれに真龍の血を入れて、儀式を行いつつ飲めば完全版真祖になるのですか。

 いや、既に吸血鬼の彼女たちがなれるのかは不明ですけど。


 私も処女の血をあの聖杯に注いで飲んでみたいですね。

 普段とは違った味がしそうです。


「ところでファムリードちゃん。この後どうするの?」


 倒れたリリスさんを背負ったリティさんが、ファムリードに尋ねました。


「当然、真龍の血を貰いにいく」

「……貰いに?」


 つい口を挟んでしまいました。

 倒しにいくのではなく、貰いに、ですか。


「お前、真龍に勝てるのか?」

「私じゃ、古龍エルダードラゴンですら勝ち目は薄いですよ」

「だろう? あたしだって勝てない。だから土下座して貰いに行くんだよ」

「土下座すれば貰えるんですか?」

「さあな。でも今の序列一位と二位だって真龍を倒して真祖化した訳じゃないだろう。なら、貰ったんじゃないか?」


 真祖ですら真龍には勝てません。

 人間だった頃のうちの父親が勝てる訳がないのは明らかですけど。

 でも頼んだら血ってくれるものなんでしょうか。


「さ、行くぞ」

「そこで何故私の手を握ってくるんですか?」

「言っただろう? このままお前を帰すわけには行かないと。最後まで付き合え」

「魔人王より強いんですよね、真龍って。そんな怖いところに連れて行くなんて! 鬼ですかあなたは!」

「あたしは吸血鬼だが。しかし魔人王と真龍か。いい勝負になりそうな気がするけど……やっぱ真龍のほうが強いだろうな」

「帰らせていただきます」


 何が楽しくてそんなところへ行かなきゃいけないんですか。


「だめだ」

「お断りします」

「アオイちゃん、諦めたほうがいいよ」

「下手すると全員討ち死にですよっ?!」

「人間為せば成る」

「さっき吸血鬼って言ったよね?!」

「決定事項だ。覆ることはない」



 そして私はファムリードに連行されて、真龍の住む島へと行くことになりました。

 生きて帰れるのでしょうか……。



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