第33話 冬休み

 二学期の終業式は、あゆみも個人懇談で見ていたので、さほど騒ぐこともなく終わった。鈴子先生は、子ども達が帰った教室で、後ろに張った絵を剥がしていく。一人ずつ纏めて、三学期の終わりに冊子にして渡すのだ。

「社会見学の絵でござるか?」

 高い所に張った絵を椅子に乗って剥がしていた鈴子先生は、後ろから声を掛けられて驚く。

「拙者が剥がすから、鈴子先生は受け取ってくだされ」

 身軽に次々と絵を剥がしていく達雄と、鈴子先生は静かな時間を過ごす。

「引っ越しは済んだのですか?」

 全ての絵を剥がした壁を、雑巾で二人で拭きながら、鈴子先生は気になっていたことを質問する。面と向かっては聞けないので、壁を向いている時に尋ねたのだ。

「米倉殿のお世話になり、新しい住居に引っ越したでござる」

 鈴子先生も本当なら猫おばさんの家を出て、一人で暮らすべきだと思うのだが、居心地が良くてついつい後延ばしにしている。

「私も独り立ちしなくてはいけませんわね」

 達雄は、とんでもない! と首を横に振る。

「嫁入り前の女の人が、見知らぬ土地で一人暮らしなど危険でござる。それに、三学期が終われば、珠子ちゃんは2年生になるから、問題にはならないでござるよ!」

 1年1組は訳ありの子ども達が、人間の社会に慣れる為の特別教室だ。ベテランの先生も引き受けるのには、とても勇気がいる。鈴子先生は、猫おばさんから特別なコネで採用されたのだ。

「採用された時は、小学校の先生になれただけでも夢のようだったから、持ちあがれないことがこんなに辛いとは考えても無かったの……シクシク……あの子達とあと三ヶ月でお別れするだなんて、堪えられないわ」

 泣き出した鈴子先生に、達雄は手ぬぐいを差し出す。

「田畑校長にお聞きしたでござるが、2年に進級する時にはクラス変えがあるのではござらぬか? 人間の子ども達と合同のクラスになるのだから、元々、持ち上がりは無いのでごさろう」

 鈴子先生は「そうでしたね!」と、泣くのを止めた。泣き女は、悲しい気分になると、事実を無視して泣き続ける悪い癖がある。

「それに、2年になろうと、6年になろうと、卒業しようと、あの子達は鈴子先生の教え子でござるよ」

 卒業! こんな言葉を聞くと、泣き女の涙は止まらなくなる。

「あの子達が卒業する! そんな時がいずれは来るのですね」

 首斬り男は、泣き女の涙を美しいとは思ったが、流石に何年も先のことで泣くのは駄目だと思う。

「鈴子先生、先ずは2年生になった時、1組の生徒達が困らないように指導しなくてはいけないでござるよ!」

 ビシッと指摘されて、鈴子先生は素敵だと頬を染める。勿論、涙は止まっていた。泣き女を泣き止ませるのは、やはり首斬り男にかぎる。

「あのう、お掃除や、お食事のお世話をしたいと思うのですが……新しい住所を……」

 蚊の泣くような声で聞かれ、首斬り男は真っ赤になる。

「未婚の女の人が、独身の男の家を訪問するのは問題でござる」

 鈴子先生は、恥ずかしくて、消え入りたいとうつむいた。

「しかし、何かご用があれば此処に電話して下され」

 首斬り男には相応しくないスマホを取り出して、意外と器用に操作する。

「まぁ! スマホを買われたのですか?」

 何となく面目無さそうに、猫おばさんにクリスマスプレゼントとして頂いたと言う。

「米倉殿には太刀打ちできぬでござるよ。拙者が耶蘇では無いと言っても、聞く耳を持たないでござる」

 鈴子先生は、必要だから猫おばさんが下さったのですよと微笑む。電話帳の最初に森鈴子と登録されるのを満足そうに眺めた。


 月見が丘小学校に通う訳ありの生徒達は、それぞれの冬休みを過ごしている。

 猫娘の珠子ちゃんは、コタツでぬくぬくしていると、春までこのまま過ごしたいと願う。しかし、そうは問屋が下ろさない。

「珠子! 大掃除手伝って!」

 お母ちゃんに、こき使われる。

「冬休みは、お家のお手伝いをしましょうと宿題が出てたやろ!」

 珠子ちゃんは、初めて鈴子先生が下宿してなければ良かったのにと、心の中で愚痴った。先生に見張られていたら、怠けることもできないのだ。渋々、心地の良いコタツから出る。

「おっ、珠子ちゃんもお手伝いするでござるか? 立派な心がけでござるよ」

 首斬り男は、作務衣に手ぬぐいを頭に巻いた完全防備で大掃除を手伝いに来ていた。勿論、下宿している鈴子先生もエプロンと三角巾を着けて、いそいそと雑巾を絞っては渡している。大阪の真ん中にある蔵付きの屋敷の大掃除は、三日がかりだった。


「やっぱり男手があると良いわぁ! 畳もあげて、スッキリしました」

 今夜は大掃除の打ち上げと、忘年会だと、猫おばさんは達雄も招待した。

「さぁ、ビールでも……」お疲れ様でしたと、鈴子先生が首斬り男にビールを勧める。

『なんか、ええ雰囲気やなぁ』と珠子ちゃんが思っていたら、ふらりとお父ちゃんが帰ってきた。

「ただいまぁ~! おっ、てっちりやんかぁ!」

 挨拶もそこそこ、大コタツに入って箸を持とうとする。

「あんさん、これは大掃除のお疲れ会だす。何も手伝ってない人は、河豚を食べる資格はおへん!」

 箸を取りあげられて「そんな殺生なぁ~」と泣きついている猫男に、首斬り男は呆れる。

「お母ちゃん、お父ちゃんにも食べさせてあげてぇなぁ。そうせんと、私も食べにくいわ」

 猫おばさんは、渋々、お父ちゃんに箸と器を渡す。

「やっぱ、日本でお正月を迎えとうなってなぁ。ニューヨークでカウントダウンを皆で祝うより、こうしてコタツで鍋物食べる方がええわ。年とったってことかなぁ~ところで、こちらはどなたさん?」

 猫おばさんは、今頃気付いたのかと呆れたが、首斬り男は箸を置いて、挨拶をする。

「ヘェ? 東京から来られたんかいな? ほな、まぁ、いっぱい」

 猫おばさん嫌な予感がした。猫おばさんも鈴子先生も酒を飲まないから、お父ちゃんは愛想がないと愚痴っていたのだ。

「酒は一人で飲んでも美味しゅうないからなぁ! 相手がいてこそ、盃も進むんやでなぁ」

 真っ赤になった猫男とは違い、首斬り男は正座を崩しもせず、顔色も変えなかった。

「達雄さんはお酒がお強いのですね」

 鍋物を食べ終わっても、お造りや、酢の物で、延々と飲み続けている二人に、鈴子先生は驚いて声をかける。

「達雄さん?」返事が無いと思ったら、コトンと鈴子先生にもたれかかる。

「ありゃまぁ! つぶれてしまってますがな! あんさん、二人で何本開けてますねん!」

 お父ちゃんもコテンとコタツで寝てしまった。

「しゃ~ないなぁ! 毛布でも掛けときましょう。私らも寝んと、明日からはお節造りだっせ!」

 お父ちゃんが帰ってきたのは嬉しいが、冬休みはお手伝いばかりだと、珠子ちゃんは溜め息をついた。

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