3

 門前に到着すると、番をしていた男が駆け寄ってくる。

「チェイン様お戻りー!」

 男が大声を上げると「チェイン様お戻りー!」と言う声が、砦中に広がっていった。

 チェインはそれに答えるでもなく、山吹に手を貸して馬から降ろしてくれる。

 初めて馬に揺られ続けた山吹は、今まで経験したことのない痛みを体に感じた。

 チェインは駆け寄ってきた門番に手綱を渡す。

「彼女に湯の用意を。私の部屋を使って構わない」

 チェインよりも大きくいかつい男たちが、チェインの命により動く。

「山吹、すまないがここに詰めているのはまだ男ばかりなんだ」

 チェインはすまなそうにそう言ったが、山吹にはもう何が何やらわからない。ただ首を縦に振って見せるだけだった。

 呆然とする山吹の肩を抱くよう、にチェインは建物の中に入っていく。

「チェイン様、お帰りなさいませ」

 建物の入り口を入ると、初めて山吹よりも年下だと思われる男の子が現れた。姿勢を正し、チェインと山吹を迎える。

「イェンネイ、ただいま」

 チェインはイェンネイに柔らかな微笑みを見せた。それを見て、山吹も少しほっとする。

「イェンネイ。私は兄上に報告に行かねばならない。山吹を頼んでもいいかい?」

 イェンネイは、山吹に目を向けると大きく頷いた。

「はい。では湯を使っていただいて、傷の手当をいたしましょう。女性用の服はありませんので、私の物ですが、新しい服をご用意します。お許しいただけますか?」

 イェンネイは最後の質問を山吹に向かって言った。

 山吹はイェンネイの言葉が聞き取れたことで安堵する。実をいうと、この砦に入ってからというもの、断片的には聞き取れるのだが、イントネーションや言い回しが千龍の郷とあまりに違うので聞き取れない会話が多々あったのだ。

「だいじょうぶよ」

 伝わるようにと、はっきりと声に出した。

 イェンネイはチェインよりもさらにきついくるくるとしたくせ毛と大きな瞳が、まるで人形のようにかわいらしい少年だった。

「山吹よ。よろしくね」

 そう山吹が言うと、イェンネイはニコリとほほ笑んで「山吹様、こちらです」と屋敷の奥へ山吹をいざなった。その紳士的な態度も、丁寧な言葉遣いも、逆に愛らしさを強調しているようで、山吹にも笑顔が戻っていく。

 湯とはいっても、風呂があるわけでは無かった。部屋の片隅に衝立があり、その奥にたらいが用意されている。たらいの周りにはふかふかとしたマットが敷かれていて山吹はそこで裸に剥かれた。

 かいがいしく山吹の世話をするのはイェンネイ一人だった。

 この砦に入ってからイェンネイとチェイン以外の者は大人の男しか目にしていない。

たらいの中に座らされた山吹の背を、腕まくりをしたイェンネイが擦る。

「ねえ、イェンネイはいくつなの?」

 山吹が尋ねると「九つにございます」と、イェンネイは山吹の背をこすりながら答える。

「イェンネイ、ありがとう。あとは自分で出来るわ」

 山吹もさすがに胸やらなんやらをイェンネイに洗われるのには抵抗を感じたし、イェンネイもそうであったのか「はい、ではお着替えを用意いたしますので終わりましたら声をかけてくださいませ」というと、衝立の奥に山吹を残したまま消えた。

 全身を暖かい湯できれいにすると、待ち構えていたイェンネイに着付けをされる。緩く尻が隠れるほどに丈の長い白いシャツに、ゆったりとした下履き。下履きはひざ下ほどの丈で、裾が幾分しぼまっている。シャツの上から薄紫色の帯できゅっと腰を絞られた。

「この帯、すごく柔らかくてきれいな色ね」

 さわり心地がよくて、山吹は帯を何度も撫でた。

「ええ、これはトノイ地方の特産品で、絹の織物は各地にありますが、ここまで薄く柔らかな品はなかなかほかの地方では手に入らないのですよ」

 イェンネイは山吹の左わきで帯を結んでやりながらそう言った。ゆったりとした下履きも、ひざ下あたりですぼまっている。足元には何かの草で編まれた編上げのサンダルを履いた。

「さ、次は髪の毛ですね」

 そう言って、イェンネイが「誰か!」と、部屋の入り口に向かって声をかけると、そこに控えていた者があったらしく、大柄な男が二名入室してくる。

 男二人はやはり浅黒い褐色の肌をしていた。下履きのみを身に着け、むき出しになった上半身はあつい筋肉に覆われている。

 どちらかというと小柄で細身なものの多い千龍の郷では、このような大男を見ることはまずない。集落一の力持ちだって、こんなにがっちりと堅そうな筋肉はしていない。

 二人の男の上半身を凝視して、山吹はぽかんと口を開けていた。

 二人の男はイェンネイにたらいを片付けるように言われると、水の入った大きなたらいを担いで部屋を辞した。

「あんな大きい人、見たことないわ」

 口を開けっ放しにしたまま山吹が言った。

「まあ、彼らは朱の帝国の中でも、どちらかというと大柄な者たちですよ」

 イェンネイが言ったが「どちらかというと!?」と山吹が声を上げる。

「どちらもあちらもないわ。千龍にあんな人がいたら、いっち番よ! 一番大きな男だわ」

 よほど興奮したのか、自分より多少小さなイェンネイにかみつかんばかりな格好だ。

 そんな山吹をイェンネイは軽くいなし、山吹の髪に手を伸ばした。

「大変に美しい髪ですね」

 イェンネイはため息を吐く。

「山吹様の髪こそ、朱の帝国だったら一番に美しいものですよ」

 そう言って手を滑らせた。

「トノイ織のように柔らかくてなめらかです。少しだけ鋏を入れてもよろしいですか?」

「え? はさみって?」

 山吹は、はさみを知らない。

「髪を切るという事です」

 イェンネイが言うと、山吹はこくこくと頷いた。



 チェインの兄であるイギョンは建設途中の砦の中核となる居城区域の自室にて弟であるチェインを迎えた。

 イギョンは今年二十五となった。弟のチェインは十年下で、先だって十五になったばかりだった。

 イギョンはチェインの報告を聞きながら、連れ帰ったという千龍の郷の娘に興味を抱く。

 朱の帝国が帝国北西部に位置するこの急峻な山間に砦を築くにはもちろんわけがある。帝国内をほぼ掌中に収め、平安を築いた今、朱の帝国は千龍の郷のある、西北部の山岳地帯を次のターゲットとしてみていたのだ。

 この地に砦を作り、千龍の郷を観察し、籠絡する。もしくは蹂躙する。その任を与えられたのは弟であるチェインだった。ただ、まだ幼いと言っていいチェインの後見として、数年の間は兄であるイギョンが手を貸すことになっている。

 チェインが連れ帰ったという千龍の郷の娘は、アユの里長の娘だという。

(さて、その娘、使えるか?)

 穏やかな微笑でチェインの本日の報告などを聞きながら、密かに山吹という娘がどのような娘なのかと思い描く。

 ちょうどその時、部屋がノックされ、扉からチェインの付き人のイェンネイが顔を出した。

「山吹様のお支度が整ってございますが、お通ししてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだ。山吹殿をお連れしたらすぐに食事の用意を。共に食事をとりたい」

 イギョンがそう答えると、イェンネイはすぐさま山吹を伴って戻ってきた。

 イェンネイに手を取られ部屋に入ってきた山吹を見て「ほう」と、イギョンは声を上げた。

 女性用の服ではなく、少年のようないでたちではあったが、朱の帝国の者にはない白い肌と、濡れたようにしっとりとした黒髪が美しい。

 顔の周りに薄く削がれた髪を残し、緩く結い上げられた髪。さらさらと揺れる後れ毛。緊張のためか朱のさした頬が、白肌に映える。

 山吹を見たチェインがぱちぱちと瞬きをしている。

「あの……」

 だが、発した声は思いのほかに幼い。

「千龍、アユの里の娘、山吹といいます。助けていただいてありがとうございます」

 山吹はイギョンにとも、チェインにとも取れるように頭を垂れた。

「いえいえ、困ったときはお互い様です。さあ、お座りください」

 イギョンが言えば、チェインが腰をずらして、山吹を隣に座らせる。

 朱の帝国は机といすを用いることが多いのだが、イギョンは床にじかに座ることを好み、この部屋もすわり心地の良い毛皮が敷き詰められ、床にじかに腰をおろすようになっている。千龍の郷ではもともと机やいすを使う風習がないので、山吹にも違和感はないようだ。

「山吹殿。私はチェインの兄でイギョンと申します。この砦の守護は弟のチェインですが、なにぶん今回が一人で行う大仕事、今年は私が補佐としてついております」

「は、初めまして」

 山吹はチェインの隣に正座をして座るとぺっこりと頭を下げた。

 部屋を辞したイェンネイと入れ替えに膳が運び込まれる。

「うわ、なにこれ!?」

 山吹が声を上げた。今までのしおらしい口調もどこかへ吹き飛んだようだ。

「前菜ですよ。ほら、これは瓜の一種でこちらは子カブです」

 チェインが柔らかく微笑みながら山吹に説明をしている。

「ええええ?」

 イギョンは、飾り切りを施された前菜に驚嘆する山吹と、それに答えるチェインを眺めながら、まるで一対の人形のようだと思った。

「すごい、こんな風にきれいに切れるなんて、信じられない」

 繊細な芸術作品のような前菜を前に、山吹はいたく感動している。

「ほら、見ているだけでは腹は膨れません」

 そう言うと、チェインは子カブを箸でつまみ山吹の口の前に差し出した。

 それを、じっと見つめてから、山吹がぱくりとそれに噛みつく。

「鉄でできたナイフを使うのですよ。そうすればいくらでも薄く美しく切ることができるのです」

 イギョンがそう説明する。

 千龍の郷は、未だに鉄の使用を頑なに拒んでいる。精霊が鉄を嫌うからだという。千龍の民は精霊の教えと共に生きる民だ。

「鉄……」

 そうつぶやき、しばし動きを止めた山吹だったが、次々と運ばれる見た目も味も上質な料理に、すぐにも心を奪われた。

 どの料理にも、山吹は歓声を上げる。

 特に最後に出てきた甘くとろけるような蒸し菓子は、口に入れたとたん、本当に身を震わせていた。

「明日、チェインにアユの里まで送らせましょう。今日はゆっくり休んでいってください」

 食後の茶を口に含み、ゆったりとそう言うイギョンに山吹は「ありがとうございます」と、再び深々と頭を下げるのだった。


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