第三話・守った命


 森に近い三分の一を農業地として。反対にもっとも森から遠い位置、背後が絶壁と湖という場所に残り三分の一を使って王城を構え、更に残りを民の生活する場として活用している王都セレイスレイド。


 その活気ある街の中心部から少し離れた、家々が立つ居住地の一角に、王家も訪れる国内にある教会の頂点に位置するランス教会はあった。



 ・*・*・*・*・*・



 色は、淡い赤紫。

 柔らかく流れる、腰の辺りまである長い絹糸のような美しい髪を、首の後ろでたゆませ気味に結わえた一人の若い女がいた。

 形の良い眉に、長い睫毛まつげふち取られた少し大粒の瞳。

 低過ぎず高過ぎない筋の通ったこれもまた形の良い鼻に、ふっくらとしてつやのあるわずかに赤みをびた唇。


 誰もが見惚れる程の美貌を持つ穏やかな表情を浮かべたその女は、女性らしい柔らかな印象も与える凝った作りの上衣うわぎ洋袴ずぼんに身を包み、腰には剣をいて教会の門を潜った。

 慣れた足取りで教会の庭園へと歩を進め、花壇の縁に腰を下ろして開いた冊子に視線を落とす聖職者の衣を纏った黒髪の男を見つけると、顔をほころばせる。

「……トゥルフ様」

 女が鈴を転がすような声で呼び掛けると、男は、ぱっと顔を上げた。

 そして女の姿をその視界にとらえると、愛しげに目を細めた。

「──リウィアス。おかえり」

 立ち上がったトゥルフの言葉に、リウィアスと呼ばれた女は、それはそれは嬉しそうに破顔はがんした。

「……──ただいま戻りました、お父様」


 トゥルフは十八年前に教会で保護した赤児を養女に迎えたあの青年。

 そしてリウィアスこそ、その赤児が美しく成長した姿である。


 リウィアスはトゥルフの許へと歩を進めた。

 その足取りは危なげなく、ほんの僅かな迷いさえない。


 かつて赤児と呼べる時代に全盲と診断されたリウィアスは、その瞳に何も映す事は出来ない。

 けれども、トゥルフが様々な事を教え込んだために色々と一人で行う事が出来た。──いや、見えない目を補おうと他の五感が異常に発達したのか、むし常人じょうじん以上の事をって退ける。


 リウィアスをうながし、共に花壇の縁に腰を下ろしたトゥルフは口を開く。

「アゼルクはもう直ぐ帰って来るのだったね?」

「ええ。今朝方、手紙が届きました。順調に進んでいるようで、早ければ一週間程で戻れると」

 リウィアスはトゥルフの目に自分のそれを合わせて微笑んだ。

 その様は、健常者となんら変わりはない。


 彼女は盲目である事を悟らせない行動を得意としていた。

 ちなみに、手紙に触れて筆圧を読み取る事で文字を読解する事も出来る。それが常人には判別出来ないようなかすかなものであっても、だ。


「そうか。──だけど、何かあれば何時いつでも戻って来るんだよ?」

 トゥルフは気遣うように顔を覗き込む。

 現在リウィアスはトゥルフの許を離れ、ある人物の許で生活をしていた。

「ふふ、大丈夫ですよ。私はこれでも『代理者』なのですから」

 リウィアスは穏やかに微笑んだ。


 ──『代理者』。

 ここ、王都で『代理者』と言えば、それは『死の護人』の代理者を指す。


 『死の護人』は、正確には国王直属の騎士に当たる役職の名。

 厳しく過酷な試験を乗り越え、森の獣に認められて初めて当代に一人と定められる護人となれる。

 そして当代が引退、または死したのちに、代々受け継がれる、大事の時にのみ吹く事が許された荒ぶる獣を鎮める事が出来るという唯一無二の『笛』を受け取り、漸くその任に就く。

 『笛』は護人にとって御守りのような物。それを持たずして森に入る事は滅多にない。そして候補者は任に就くまでは護人と行動を共にするのが常である。


 その代理者とは、候補者と同じく護人となれる資格を持つ『笛』を持たざる者。尚且つ、身一つで森を自由気ままに行き来出来る者の事である。

 故に、『代理者』の存在は貴重。


 『死の護人』とほぼ同じ権限を持つ『代理者』の任に就くリウィアスは、現在森に程近い場所にある小さな家で『死の護人』と生活を共にしていた。



 当代『死の護人』は、先程口に登ったアゼルクという男だ。

 彼はトゥルフの幼馴染で、明るく豪快な気性をもつ人物である。

 そのアゼルクは大陸でも十指じっしに入る剣の腕を持ち、リウィアスは彼の許で剣術を学んだ。


 きっかけは、どうしても人の手を借りなければならない場面の多かった、当時幼かったリウィアスがその事を気に病んだ事だった。


 盲目である事は全く引け目に感じてはいなかったものの、人を巻き込んでしまう事だけはどうしても気になっていたリウィアス。

 そんな時だった。トゥルフと共に居住を王都に移した事で、アゼルクと出逢ったのは。


 リウィアスは豪快な性格のアゼルクに直ぐに懐いた。

 アゼルクもアゼルクでリウィアスをとても可愛がり、忙しい時間の合間を縫っては毎日のように教会に顔を出し、遊び相手を務めた。

 そして、ただ一度耳にしただけでアゼルクが振るう剣の音に心を奪われたリウィアスは何時からか彼が振るう剣の音を聴くのが日課となり。


 過ぎるそんな日々の中、アゼルクはふとしたように言葉を落とした。


『剣は視覚に頼っていては駄目なんだ。──聴力、嗅覚、触覚、知力。これらを駆使くしして先を予測する。そうでなければ、あっという間に命を落とす。……まあ、反応出来るだけの身体能力が必要だがな』


 リウィアスは思った。

 剣術を学び身に付ける事が出来れば、人の手をわずらわせる事がなくなるのではないか、と。

 直様すぐさまリウィアスはアゼルクに剣を教えて欲しいと懇願した。そしてその願いをトゥルフにも伝えた。


 ──今までは出来るだけやりたいと言った事はさせてやろうとしていたトゥルフだが、しかし、この時ばかりは反対した。

 あまりにも危険だからだ。

 けれども、リウィアスは決して諦めなかった。


 それまで我儘わがままなど言った事がないリウィアスの真剣な様子にトゥルフは悩み、──とうとう折れた。

 そして、アゼルクの許で剣術を学び出したのである。

 リウィアスが五つの時だ。

 元々素質があったのだろう。リウィアスはアゼルクが舌を巻く程に剣の腕を上げた。

 途中、目が見えない事が大きな障害となり伸び悩んだ時期もあったが、ある時、アゼルクと共に森を訪れて自身の身体を包み込む空気を楽しんでいたリウィアスは唐突に悟る。


 ──風を感じれば良いのだ、と。


 物や人の身体に当たり、流れが変わる風。

 それがどんなに僅かな変化であってもリウィアスは感じ取る事が出来た。

 たとえるならば蝙蝠こうもり

 蝙蝠は超音波を発し障害物に当たって返って来るそれで周囲を把握する。

 それがリウィアスの場合は風であり、空気だっただけの事。

 稀有けうな才能を開花させたリウィアスは、常に正確に読み取れるよう己の感覚を研ぎ澄ませ鍛えた。決して簡単な事ではなかったが、それをこなせるようになると、伸び悩んだ事が嘘のように更に剣の腕を上げる。

 それこそ、師であるアゼルクを追い落とさんばかりに。

 同時に、人の手を一切借りずに生活出来るようにもなり。




 ──だが、まだこの時は教会でトゥルフと共に暮らしていた。


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