所行の応報 1



 休暇も二日目。

 昨日に引き続き、今日も丸一日、村民に話を聞き歩いたサユだが、心が晴れるような収穫はひとつもなかった。しいて言えば、ファイスにまつわる話くらいか。彼が優秀な人物だと称讃されている事実を、無駄に再認識させられ終わった。


 そのような状況で、ほかに当てもなく、サユはふたたび涙花の泉へと足を運んでいた。


 夕暮れの迫るなか、泉の水ぎわに立ったサユは周囲に満ちる精霊の息吹に意識を向ける。あたり一面に咲いていた月紅草の花はすべて散り落ち、緑の芝草に紛れ区別がつかなかった。望みを託すように求めたあの風精の気配も同様、やはり感じ取ることはできない。なのに流れる風は穏やかで、満月の夜に見た光景は嘘だったのではないかと思えてくる。


 八年前の事件当夜。少年の姿をした風精は見ていないと、兄からは聞いている。父が携えていたはずの済覇も知らぬまに消えていたのだそうだ。それでもサユは風精を信じてきた。精霊であること、そして胸に感じたやるせない想いを疑うなど考えもしなかった。


 なにより、あの風精ならば事件の詳細を知っているはず。だからこそ胸にわだかまる最大の疑念、ファイスへの疑いを躊躇なく晴らすためにも、できることなら事前に風精に会い、その存在を確かめておきたかったのだが。


 求めるあまりか、思い浮かべた風精の面影とファイスの顔が脳裏で重なる。サユは咄嗟に頭を振り、結ばれそうになった像を消し去った。


 だいたい、こうまで固執してしまった原因は彼にある。サユは群青の瞳に振り回されすぎたのではないかと反省する。それを除けば、心に残ったしこりは彼から聞かされた信憑性のない噂話と、斃した魄魔が弱かったという二点だけ。結局のところ思い過ごしだったのだ。でなければ吹麗を、ひいては兄をも疑うことになる。


 もう終わりにしようと、サユは過去に区切りをつけようとしたのだが。


「どなたか、お待ちなの?」


 背後から聞こえた女の声に、瞬時に気を張る。数歩の距離まで近接されながら女の存在にまったく気づかなかった。

 それでも自身の失態を相手に悟られぬよう、落ち着いた動作で後方へと向き直る。


「至天——」


 サユは使精の真名を呼びながら女を観察する。夕闇が支配しつつあるいま。西に背を向け立つ女の瞳の色までは判らないが、背のなかほどまである髪は夕日に映え金色に輝いて見えた。


 隣に地精が立ち上がるのを感じ、サユは女を見据えたまま確かめる。


「彼女がそうなの?」

「あぁ、間違いねぇ。二日前、扉を開いて村に来た奴だ」


 至天の冷静な判断にサユは頷く。人間の姿を装いながらも魔力を解放した女の出かたを窺うが、まもなく女のほうから淑やかに問いかけてきた。


「わたくしの顔に、見覚えはありまして?」


 女の言葉を受け、注意深く目を凝らしたサユは愕然とする。女の容姿が記憶にあったのだ。


「……どうして、生きて——」


 動揺を隠しきれなかったサユに、女は意外だという顔をしてみせた。


「あら、覚えていらしたのね。けれど安心なさって。あなたが手にかけたのは、わたくしの姉ですもの」


 軽く告げられた内容に、サユは驚きから目をみはる。


 姉妹というのは嘘ではないだろう。目のまえの女は黒髪黒瞳でこそないが、一年前、サユ自らがほふり、魂を浄化させた魄魔と酷似していた。ひとつの都を盾に取り、ファイスを手に入れようとしたあの魄魔だ。だとしたら女は意図してここにいるに違いない。


 そこで女が薄く笑う。


「わたくし、満月の夜からずっと、あなたを拝見しておりましたの。べつだん疑っていたわけではありませんのよ。だってあなた、あのかたの好みとは懸け離れていますもの」


 姉の復讐が目的なのかと考えていただけに、話の展開についていけず、サユは怪訝な顔で女を見る。


「満月の夜? あのかたって……。まさか、ファイス・ランドルフのこと?」


 ファイスの名を口にしたその一瞬。女の抱える闇が鋭さを剥き出しにしたように感じた。


「話を戻しますわね。わたくし、あなたとふたりきりでお話がしたいと思い、待っておりましたの。それはもう、我を忘れてしまいそうなほど、恋い焦がれるに等しい心境でしたわ」


 今度は気のせいではない。話が進むにつれ、女の憎悪が膨らみ殺意が増すのをひしひしと感じた。


「なぜって。わたくしも忘れずにいたからですわ。あなたの剣に、姉の体が刺し貫かれた瞬間を。同時に、わたくしの心にも消えない痛みを刻んでくださったということを」


 女はなおもサユをそしり、追い込んでいく。


「いいこと? わたくしにとって、あなたは姉の仇。ですから、わたくしに命を玩ばれたとして、異論ありませんわよね? まずは、そうですわね。大人しく、わたくしの足許に平伏してくださらないかしら」


 そのとき。サユへと伸びた女の影が、のそりと蠢き膨れ上がった。見るまに山となって夕日を遮り、ひときわ濃い闇を地表に落とす。しだいにかたどられていく輪郭は、獣の姿。ついには堅固な四肢で芝草を踏み潰し、サユのまえに立ちはだかっていた。

 黒色の毛並みに覆われた巨躯はサユの身丈を優に超している。サユを見据える双眸はやはり、剣呑な光を宿した黒色。サユがいままで相対したなかでも眼前の獣は明らかに別格で、相違なく砂界に棲む月魄だった。


金剛かなまさ。存分に味わいなさい」


 命じた女に呼応したのか。短く唸った獣が巨躯に似合わぬ機敏な動きを見せた。標的をサユに定め、大木すらもひと薙ぎにする勢いで右前肢を振り上げる。

 そのわずかな時間。胸を掠めた躊躇いがサユの足を地に縫い止めた。敵意を剥き出しに迫りくる巨躯を、ただ、呆然と見上げているだけで——。


「サユ! ぼけっとしてんじゃねえっ!!」


 鋭い鉤爪がサユの肢体を引き裂き押し倒すその寸前。涙花の泉に至天の声が響いた。





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