第九歩 シュゼットさん家にお邪魔します



 リエッタの言うとおり、角を曲がるとすぐに視界に色とりどりの花が見えた。

 近づけば様々な木を器用に組み合わせた壁が見える。他の家よりも隙間は少なく、その隙間も内側から何かで塞いであるのだろう、少なくとも隙間から家の中の様子が見えるということはなかった。

 壁の前にはいくつもの籠やバケツが置いてあり、植えられた花々が力強く咲いている。今の季節であれば花はますます勢いを増して背を伸ばすだろう。

 良く見れば小さな木の棒が刺さっており、そこに数字が書き込まれていた。

 壁の中央には扉があり中央よりも少し下のところに取っ手が付いている。今は少しだけ開いていた。

 ディンバーはノックをしようと手を挙げたが、室内の険悪な雰囲気に思わずその手を止める。

「いい加減にしろ!」

 キールの声だ。

「夜中に出歩くなって何度も言ったよな。しかも塀の近くに行くなんて。ジルもジルだ。どうしてメイを見てなかった!?」

 キールの声にこたえるように小さな声が聞こえるが、さらにどなり声がかぶさる。

「そんなの理由になんねぇだろ!」

 何かを叩く音と、はじけるような泣き声が響く。少しずらした足が近くのバケツに当たって音が鳴った。

 すると、すぐに舌打ちとともに「もう来やがったか」という不機嫌な声が聞こえ、すぐに扉が内側に開かれた。

 険しい表情のキールが出てきたと思ったら、すぐにキールの目が見開かれる。

「っ……あんた。なんで……!?」

「い、いや。なんか、つい追いかけちゃって……」

「追いかけたって……い、いや、それより……こんなとこ来んじゃねぇよ。さっさと堀の向こうに帰れ」

 キールは扉から出てくると、ディンバーの肩を軽く押した。

 後ろ手に扉を閉める。

「あ、そうか……いや、ちょっと、あんた一人でここから」

 キールはそう言うと手のひらで額を抑える。

「あ、まぁ。帰れるよ? ええと、これ、土産的な。あ、リエッタからメイちゃんにお見舞いってのが」

「え? リエッタ? つか、なんであんたがリエッタを知ってるんだ」

 キールは混乱した様子で、リンゴの入った袋を受け取った。

「そこで会って、ちょっと話をしたから」

「……あんた、もうちょっと危機感持てよ。ここがどこだかわかってんだろ。スラムだぞ。しかも東の外側。西の職人街とは違うんだぜ。犯罪者とか、浮浪者とかが住むところなわけ。あんたが……あんたみたいな人が来る場所じゃねぇだろ」

 キールの言葉に、ディンバーは口の端を下げた。

「ちょっと、今は家を空けらんねぇから……一人で帰れるなら、悪りぃけど」

「その前に走ってきたから喉が渇いた。そのリンゴ、一個は俺のだから」

 ディンバーはそう言うと、キールの持つ袋から無造作にひとつリンゴを取り出した。

 リンゴはいびつな形をしており、ところどころ虫が食ったような穴が開いている。街でなら店頭には並ばない、商品価値がないとされる代物だった。

 それをシャツの腹の部分で表面に就いた土を拭くと、キールが止める間もなく口に運ぶ。

「ちょ、ちょっと待て、あんたがそんな風に食ったら、腹壊すって」

「リンゴ食べて腹を壊すなんて聞いたことがない」

「そりゃ、街のリンゴはきれいなんだろ。ここのは、何だ、その洗浄とかしてないから。虫が中にいるかもしんねぇぞ」

「洗浄? 土とかは拭いたんだから大丈夫でしょ。虫がいたら吐きだすよ。さすがに苦そうだし」

「味じゃねぇよ!?」

 キールがディンバーの持つリンゴに手を伸ばし、もぎ取ろうとしていると控えめに扉が開かれた。

「キール……お友達?」

 そっと顔をのぞかせたのは、線の細い女性だった。キールと違い目じりの下がった優しそうな雰囲気の女性だ。瞳の色はキールと同じだ。

「あ、いや。母さんは休んでてよ。ね」

 あわてた様子でキールが女性を家へと戻そうとする。

「なんだよ、紹介してくれないのか。じゃぁ、俺は勝手に自己紹介するよ。はじめまして、俺は」

「ディッツね。ディッツ。街で知り合ったんだ。コイツ結構なお坊ちゃんでさ。あれこれ遊びたいっていうお年頃なんで、俺が案内してんだ。仕事だよ、仕事!」

 キールに先を越されたディンバーはにこやかに笑みを浮かべたまま固まった。そしてそのあとでじっとりとキールを見やる。その様子にキールの母は小さくほほ笑んだ。

「ディッツね。良かったら中へどうぞ。せっかくいらしたんだから、ね?」

「ね? じゃないよ母さん。ディッツには帰ってもらうから」

「じゃぁ、遠慮なく」

「って、お前入ってくんな!」

 キールはあれこれ騒いでいたが、渋々ながらディンバーが家に入るのを許してくれた。

「どこの家でも、母親には勝てないものなんだな」

 そうつぶやくと、キールが口をへの字に曲げてプッと顔をそらす。

「まぁ、そう怒るなよ」

「だから、あんたが言うなって!」

 家の中には仕切り等はなく、入口の左手に小さな炊事台と思われる水ガメと食糧を置く台があり、その隣には石で囲われたスペースがある。煮炊きをしているのだろう、石の周りには黒い煤がこびりついていた。

 その奥にはベッドが一つ置いてあった。床には籠が置いてあり、その中には外国風の詩集が施された布と、同じような柄で装丁されたノートのようなものが入っている。この国ではなじみのない文字が4つほど並んでいる。ベッドにも同じような柄と文字が入っていた。反対側、入口の右側には大きめのベッドがあり、今は小さな子供が二人そこに腰かけていた。二人とも目をはらしてしょんぼりとしている。一人は妹のメイ。そしてもう一人がどなられていたジルだろう。彼が妹と弟がいると言っていたから、この二人がその弟妹に違いない。

 入口正面の壁際にはたくさんの本が積み上げられ、その脇に毛布のようなものが丸まっている。本のほとんどは土壌や石、鉱石の本で、壁には古い地図が何枚か貼られていた。壁の隅の方には手書きと思われる暦が貼ってあり、ちょうど二日後のところに小さな花のマークがついている。ふと視線をさげると何枚もの新聞が積み重なっているのが見えた。花を包むために置いてあるようで、かわいらしい人形が一つ山の上に座って、風で新聞が飛んでしまわないようになっている。

 テーブルは手作りで、素材の違う木材が丁寧に組み合わされたものだった。これを作った人と、この家の壁を作った人は同じ人だろう。

 この空間には手の込んだ心地よい空気が満ちていた。天井や床に敷かれた布には、細やかな刺繍が施され、その一つ一つははっきりとしているにも関わらず、全体としてとても調和がとれている。

ディンバーが一番大きな椅子に進められるがまま座ると、キールの母はカップを目の前に置いてくれた。手に取ると程よく冷えているのがわかる。調理台の下に保存場所を作っているのだろう、外気にさらされたとは思えない、自然の冷たさが心地よい。

 礼を言って受け取り、一口飲んでみる。

 ちょっと苦みがあるが、後味のすっきりしたお茶だ。二口飲んだところでキールが盛大なため息をついた。

「あんたさ、やっぱりもうちょっと危機感持てよ。得体のしれないものを口に入れんなよ。それが何なんだかしらねぇんだろ。原材料雑草だぞ」

「得体が知れないって……まぁ、雑草でも調べたらなんか名前がついてるんじゃない? それにお茶はお茶でしょ。君のお母さんが入れてくれたんだから、何も問題ないじゃない。それに、これ、結構おいしいよ」

「兄ちゃん」

 小さな声にキールが振り向くと、ジルがベッドから降りていた。

「今日はここにいろ。青年会の人たちが来るから、ちゃんと謝って罰金払うまでは仕事もできねぇぞ」

「でも」

「でもじゃねぇよ。自分のしたことだろ」

 のろのろとメイもベッドから降りる。その足には布が巻かれていたが、その下の皮膚はどす黒く変色していた。

 ディンバーは立ちあがってメイの近くへ行き、しゃがみこんでその傷を見た。

「どうしたの。これ。ひどく腫れてるけど」

「……」

 メイはギュッと口をつぐみ、ちらりとキールをみた。

「……懲罰だよ。夜中に子供が出歩いたりすると、青年会のやつらに捕まって足に罰をうけるんだ。で、その家に町則を破ったってことで罰金徴収にくる」

「青年会?」

 キールは腕を組んだ。

「そ。この町の行政とやらを仕切る組合。そいつらに上納金納めないと住めないし、水路なんかも使わせてもらえない」

「上納金……」

「俺らは税金を払って教会の保護を受けたりもするけど、上納金は毎月納めないとここを追い出されるんだ。しかも上納金は税金よりも何倍も高いときた。でもな、俺らじゃ町の中にすむような、家を借りるような金は貯められないし……ここでやってくしかないんだよ」

 ディンバーはそんな話を聞きながらメイの足に手を伸ばした。軽く触れるだけで、びくりと彼女の足が揺れる。

 ディンバーの眉が寄せられた。

「……やりすぎだろ、これは」

「これはいい方だ。足を無くしたやつもいるくらいなんだ。それにこいつらも悪い。夜中に出て行ったんだろ。見つかればどうなるかはわかっていたんだから、こいつらも」

「それでも。やりすぎだろ、これは」

 ディンバーは立ちあがってキールを見る。キールは苛立ちを隠そうともせずにディンバーをにらみつけた。

「こいつらは知ってたんだよ。陽が落ちてから出歩けばこうなるってことを知ってた。それなのに俺がいないのをいいことにふらふら家を出たんだ。何の用があったのかって聞けば、夜市に行ったんだって言いやがる。買ってきたのはこれだぞ! こんな古い地図一枚買うために出歩いたんだ。壁ふさぐんだって、花包むんだって紙はあるのに! こんなもん買うために」

 キールは二人から取り上げたらしい地図をぐしゃぐしゃに握りしめていた。

「ちょっと前にこいつらが言ってたんだよ。街では奇麗な紙に包まれた花束が売ってるって。そりゃ街にならあるだろうさ。どんなもんに包んだって売れるだろうさ。けどここでこんなもん、何になるってんだよ!」

 次の瞬間、キールは床に尻もちをつく羽目になった。

 ディンバーがキールを殴ったからだ。

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