第七歩 アリューシャの計画


 ディンバーはそのままストーカー行為を認め始めた。すみませんでした。つい、出来心でなんていいながら平謝りに謝って、もう二度としないと言ってやっとのことで解放された。

 はらわたが煮えくりかえる思いなのはキールだ。

 罰金を支払って、警察署から出ると、あたりは既に薄暗くなっていた。

 宿に戻り、キールはブチブチとクッションの毛玉を引きちぎっている。

「で! 何なんだよ! 何だってんだよ畜生。このあほ。なんで認めてんだ! 罰金とか俺らの税金で納めんな!」

「あ……ごめん。俺が持ってる金は税金か、そうだな」

 ディンバーは風呂上がりで腰に布を巻いたまま、もう一枚の布で乱暴に頭を拭いていた。

 そのまま寝台に腰を下ろすと「人助け、だったってことで……」とつぶやいた。

 ベッドサイドに置かれたテーブルには、証拠品だった手紙が置かれている。

 ディンバーがそれを手に取ると、アリューシャが纏っていた甘いにおいがした。

「さっきのアリューシャは、多分栗色の髪をした人だったと思うよ。胸がでかい」

「は?」

「背中くらいまでの長さの髪で、ちょっとウェーブがかかってて、目は……多分ちょっとそれよりは濃い感じの」

「だから、なにそれ?」

 ディンバーは手紙を開封しながら「だから、アリューシャだって」と苦笑する。

 手紙は確かにどれも白紙だ。一枚だけ「会いに行くよ」と書かれている。あの、気色の悪いものは入っていなかったが、その代わりにレースの輪っかのようなものが入っていた。

「ストーカーの正体は、アリューシャだよ」

「はぁ!? んなわけないだろ。どうやって本人が本人のストーカーするんだよ。しかも家の人もストーカーがいるって言ってたんだろ。少なくともあのメイドはそれで通報したんだろ!?」

 ディンバーは「まぁまぁ」と苦笑してキールの肩をたたく。

「この手紙さ、白いカードでいちいち封筒に入ってるんだよね。普通、郵便出すときってカードならそのまま出さない? 招待状とかなら別だけど」

「郵便なんて、めったに出さない」

 キールがそう言うと、ちょっと困ったように眉を下げてからディンバーは口を開いた。

「封筒に入れるカードは、それ用に作られていることが多いんだ。たいていは招待状とかで使うから封筒とカードの材質は同じ。家紋の透かしが入っていたり、型押しがあったりもするけど……これは、そういうタイプのカードと封筒。目隠しされてた時も「白紙の手紙を送ってきた」って言ってたから、多分封筒に入ってたんだろうなとは思ったんだよね。そうじゃなければただの紙か白いカードって言うでしょ。散らばった時にひとつ拾ったらなんか高そうな材質だったから、あーカード入れて送る方のやつだな、って思ったわけ。で、こういうのを使うのは大抵金持ち、でしょ?」

「いちいち聞くところがムカつくけど。まぁ、そうだろうよ。俺らが郵便出すなら、中身はともかく、封筒はその辺の紙をサイズに切って使うことが多い。定型封筒をいちいち買う奴なんていないよ。リンゴでも買えば紙袋に入れてくれるからな。材料には事欠かないし」

「ってことは、少なくとも金持ちがこのカードを出した」

「まぁ、そうだろうな。郵便屋を通したにしろ、通さなかったにしろ」

 次にディンバーはひらひらと封筒を振った。

 甘いにおいがたちのぼる。

「消印も何もないからね。直接郵便受けに入れたか、門の内側に落とし込んだかだろうね。で、これ、だよ」

「これって……この、甘ったるいにおい? なんか、女がよく付けてるやつじゃん」

「そう」

 ディンバーはひらひらと封筒を振る。

「乳香と言いたいところだけど、練香かな……、そう、女がよく付けてるやつなんだよ。いわゆる、夜の人がね。このにおいって男のモノに効くらしくて、このにおいがしたら逃げろって言われたんだよね。いわゆる歓楽街のにおい」

「それがどうしたんだよ。ってか、逃げろって何だ」

 据え膳じゃねぇのとキールが笑うも、ディンバーは「いやいや」とやけに真剣に首を振った。

「隙を見せて、金髪の子を連れてきてさ、「あんたの子だ」なんて言われたら困るから。それこそ領民の方々が青ざめるでしょ。俺はそう簡単には遊べないのよ」

 ディンバーは面白そうにそう言って、さらにひらひらと封筒を振る。

「さっきアリューシャからもこのにおいがした。で、昨日の俺のシャツを引っぺがしてズボンを下ろそうとした人からもこのにおいがした。この封筒からも同じにおいがする。

 この町の歓楽街は西側のスラムを抜けた先、つまりは門の外側にある。そうでしょ?

 ということは、基本的にこの界隈に夜の商売をする人はいないってことでいいんだよね。

 なのに、俺は昨日、あんな強引な目にあった。でも、おかしいと思わないか?俺にシャツを脱がせて、ズボンを下ろさせるのはまだわかる。でも、なんで自分で自分の上着を脱ぐんだよ。脱がせるのが楽しみのやつもいるだろうに」

 キールは頷くものかどうか迷いながらも、一応は相槌を打った。

「なのに、彼女は結構乱暴に上着を脱いだんだ。で俺のシャツとズボンをはぎとろうとした。ガタガタやってたら警備員が来たんだけど、彼女その直前で逃げたんだよ。普通、仲間なら逃げる必要ないでしょ」

「仲間じゃないってこと?」

「そう、仲間じゃない。しかもタイミングも悪かったんだと思う」

 仲間じゃない女。タイミング。乱暴に脱いだ服と、ディンバーの洋服を脱がせようとしたこと。

「お前を、暴行犯にしたかったってことか?」

「……実際に乱暴されたら困るから、警備員のいる界隈でさっさと声をあげるつもりだったんだろうけどね」

「ちょっとでも乗っかる男なら、ズボン下げたあたりで」

「悲鳴をあげたんだと思うよ」

 では一体なぜ、そんなことをしたのだろう。

「昨日はあの警察官の当直日だった。そして彼女はあの警察官にストーカーの被害相談をしていたんだろう。でなかったらあのメイドが何も言わずに俺らを連れた警官を通したのも、あの警察官が証拠品の手紙を簡単に持ち出せたのも、あまつさえ俺らに返したのもおかしい。彼女は「彼」に相談したんじゃないかな。しかも公にはしないでほしいっていってさ。家の手紙は夜中にでも細工すれば十分偽装可能でしょ。これまでは「白紙のこんな気持ちの悪い手紙が」っていって彼に相談して、「会いに行くよ」ってのが来たことを伝えてから誰かに襲われた風にする。しかもこっそり相談に乗ってくれって言ったんだったら、正義感の強い彼ならボディーガードを買って出るだろうね。プライベートで。そうおもったんじゃないかな」

「そ、そんな理由で? 最初っからなんか、こう、言えば良くね?」

 キールは呆れはてて、どうも信じられない。

「でも、この甘ったるいにおいは? なんでアリューシャがこれを付けてんだ。あんたの口ぶりから言ったら、金持ちは付けないにおいなんだろ」

 そう言うとディンバーはにやりと笑った。

「まぁ……つけなくもないよ。計画的に間違いを起こそうとしたら、まず付けてくるね。恋人同士とかなら今日は夜までっていう意味でもあるし。でも、「あからさま過ぎてよろしくないわと」かいう御家柄同士なら乳香かな……でも、これはさすがにすごいな。乳香よりもくらくらするし、効き目もありそうだ。こっちだったらやばかったかもなー」

「あんたは、乳香とやらで迫られたことがあんのね」

 キールはため息をついた。

 キールにとっては良く嗅ぐ匂いだ。それでもそんな風に思ったことはないということは、それだけ育ちが違うということなのだろう。このにおいでぐらつくほどの繊細さはキールの環境では育たない。そして警官も労働階級という意味ではキール側だ。アリューシャの計画がうまくいっても、おそらくは狙ったほどには効果は上がらなかったかもしれない。

「まぁ、でも、ここで止まれてよかったんじゃないかな。実際に誰かに襲われたりしたら大変だし、狂言がばれても彼女にとってはイメージダウンだ。とりあえず後はアリューシャがちゃんとかれに気持ちを伝えられれば、よくも悪くも決着付くんだろうし。言えれば多分うまくいくだろうしさ。あ、キールが握ったのは、多分これ」

 そう言ってディンバーが投げてよこしたのは、レースの輪っかだ。いや、よく見ればひらひらと装飾のついた

「下着?」

「そ、設妙な穴あき。アリューシャもがんばったねぇ」

 確かに、絶妙な部分に穴があいている。ひらひらの装飾部分からは細い糸が何本もたれていた。フリンジという奴だろう。これを触ったと言われれば、そんな感じかも知れない。

 ディンバーは飽きてしまったのかそのまま封筒も放り投げて、バタンと寝台に背中を倒した。腰に巻いたままの布がめくれて見苦しい。

 キールはなんだかどっと疲れを感じたので、そろそろ帰ろうかと立ち上がる。

 しかし、ふと思いなおした。

 明日になったら

「また、留置所とかいかれたらたまんねぇな」

 そうつぶやくと、頭をがしがしとかきむしってディンバーの足を蹴り飛ばす。

 上掛けだけをディンバーの下から引っ張り出すと、近くのソファに座りこんで目を閉じた。

「風邪でも引いてくんねぇかな。後3日、寝込んでくれりゃありがたい」

 小さなつぶやきを聞いて、ディンバーがわずかに笑ったことにキールは気付かなかった。

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