45 「そこに新しい命が生まれたような感じがしたからです」

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 湯乃花祭り開催一日前。

 本来なら、祭りの準備などで大忙しい時期ではあるが、美湯の特設サイトの再公開についての会議を開くことになった。


 会議の場は、伊河市役所・第二会議室。座席数三十の広い会議室である。


 前にここで、幸一たちが観光イベントプロジェクトの企画を発表した場であり、美湯の企画がスタートした場所であった。


 幸一たちを始めとする観光課のメンバーや各課の年長たち、そして市長である稲尾も同席していた。

 あの時の会議と似たようなメンバー構成だったが、今回のメインは市長たちでは無い。


 会議室は既に重い雰囲気に包まれて、場は静寂であった。

 準備が整った所で稲尾は席を立ち、


「本日は、お忙しい中、お越しいただきありがとうございます」


 来訪者用の席に座っているグループに挨拶を行った。

 そのグループは、根谷八千子を始めとする教育委員会ご一行様。


「では、本日の議題であります、伊河市のマスコットキャラクター美湯の特設サイト、再公開につきましてのご説明をさせて頂きます。高野くん。宜しくお願いいたします」


 稲尾が告げると、着席もせずに直立不動で立っていた幸一が「はい!」と大きな声で返事をして、会議室に備えられているプロジェクトモニターの前に立った。


「本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。それでは、伊河市のマスコットキャラクター、美湯の特設サイトに再公開につきまして、ご説明させていただきます。お手元の資料をお手に取ってください。では、最初の一ページをご確認ください」


 幸一は、頭が堅いであろう教育委員会の人たちに、理解を示して貰えるように、ゆっくりと丁寧に大きな声でハッキリと、美湯が公開停止になっていることで発生している不利益や、美湯を公開したことによる伊河市への恩恵を解り易く説明した。


 ある人は感心を示し、またある人は納得したような表情を浮かべていた。

 だが、ある人物……根谷は眉などピクリとも動かさず、幸一の説明を黙って聞いていた。


 やがて幸一の説明も一通り終わり、質問を求めた。

 良いプレゼンは、質問が返ってこないことである。プレゼンだけで、相手に全て理解させたということだ。


 根谷の周りにいる人物は特に質問することは無く、各々根谷の視線を向ける。それは、幸一たちも同じだった。


 そして、根谷の口が開いた。


「なるほど。仰りたいことはよく解りました。この、美湯というキャラクターが、伊河市に与えてくれた恩恵の大きさも、充分理解することはできました。しかし、これと私達が公開停止を求めた理由については、納得できません。公序良俗に反している人の声を垂れ流すということは、常識的に考えて、してはならないことではありませんか? それなのに、声はそのままに再公開をする。子供たちに悪影響を与える根源を取り除かないのは、理解出来かねます」


 辛辣な返答に幸一たちはグゥの音も出ず、場の空気はより重く静まり返る。

 息をするのもままならない重い空気を切り裂くように、稲尾が言葉を発する。


「しかし、美湯の声を担当した方が、その手の仕事をしていたかは、こちらで正確に判断しかねることなのです。先ほど高野の説明にもありましたが、彼女の所属事務所にも訊きましたが、守秘義務でお答え頂けませんでした。ただ、声が似ているだけで、同一人物だと決めつけられないと思います」


「稲尾市長。そんなのはちょっと調べれば解ることはではありませんか? それに所属事務所が答えられないという時点で如何わしいですが、声が似ているのは同一人物だという可能性が高い訳ではありませんかね」


「しかし、世の中には声が似ている人も居るには、居ることではありませんか。これは偶然だったと認めて貰う訳にはいかないでしょうか?」


「偶然に声が似ていた? 確かに声が似ている人はいるかも知れませんが、それでも微妙に違うものです。実は私、幼少の頃よりピアノを嗜んでおり、絶対音感を持っていまして、人の声の聞き分けを得意としています。私の方で、あの美湯の声を担当した方の声を聞き比べましたが、間違いなく同一人物でしたわ」


「そうですか……」


 会社の社長を勤めていた稲尾は、何千と交渉を行った経験が有る。

 その経験を元に“よほどの事ではない限り”おそらく何を言っても根谷を説得することは出来ないだろうと判断した。


 稲尾は、幸一に視線を向ける。

 幸一は静かに頷き、ポケットからあるモノを取り出した。それは、MDとCD―ROMだった。


 幸一は机の下に置いていたCD/MDポータブルシステム(いわゆる、ラジカセ)を手に取り、机に置いた。


「でしたら、根谷さんに聴いて貰いたいものがあります」


「聴いて貰いたいもの?」


「ええ。これを聴いてから、ご一考頂ければ幸いですので。高野くん、お願いいたします」


 根谷は眉を顰めつつも、先ほどから何かの用意をしていた幸一の方へと視線を移す。


「えー。では、まず、こちらの方からお聞きください」


 そう言って、幸一はおもむろにCDの再生ボタンを押すと、


『初めまして! 私の名前は伊河美湯と言います。伊河市のことについて、もっと知って貰うために~』


 美湯の会話ボイスが流れた。

 幸一が再生したCDは、特設サイトの案内用に収録した美湯の音声を録音したものだった。


 一同は、なぜ美湯の声を聴かされるのかと不思議に思いつつ、黙って声に耳を傾ける。


 伊吹まどかの声……美湯の声を聴けば聴くほど、美湯に深く関わる薫や平岡たちの脳裏に美湯の姿がハッキリと思い浮かんでくる。


 だが、根谷たちを始めとする関係が希薄な人たちにとっては、ただのアニメっぽい声が響いているだけに過ぎないのだろう。


 美湯の声を一通り流し終わると、


「次に、こちらの方をお聞きください」


 幸一は、続けざま今度はMDをカセット口に入れて、再生ボタンを押した。


『いつも祈ってます。みんなが幸せになることを……。ただ、もう一度だけ私の声を……』


 台詞は違えど、先ほどの美湯……伊吹の声と全く同じ声が、スピーカーから響き渡る。

 しかし、薫や平岡は違和感があった。

 今流れている台詞内容は、自分たちが初めて聴くものだったからだ。


「こんな台詞も、収録していたのかな?」


 と、薫は首を傾げ、胸中で疑問に思っていたが、その変化に気付く人たちは居らず、他の人たちは先程と同様に黙って聴いていた。

 やがて、その声も一通り流し終わった。


 短い間の後、稲尾が訊ねる。


「根谷さん、如何でしたか?」


「何がですか? それは私がお尋ねしたいです。さっきのも、今のも、全く同一人物の声だと思いますが、それを私たちにお聞かせして、何がしたかったのですか?」


 僅かだか稲尾の眼光が鋭くなり、根谷を見据える。


「どちらの声も、同じ人が発言したものだと思うのですね?」


「え、ええ。私には、そう聴こえましたが……」


「そうですか……」


 稲尾は、再び幸一の方に視線を向けた。

 何かの合図かのように、幸一は黙って頷き、稲尾に代わって話し出す。


「根谷さん。横から失礼します。先ほどの……CDで流した声と、MDで流した声の人物は、全く違う人です」


「「「えっ!?」」」


 幸一と稲尾を除く全ての人たちが驚きの声を上げ、辺りもどよめきでざわつく。騒然とした場を切り裂くように、根谷が発言する。


「そ、そんな! 間違い無く同じ声でしたわよ! も、もう一度、聴かせてください!」


 幸一は言われた通りに、CDとMDの音声を再び流した。

 やはり、どちらも同じ声にしか聴こえない。根谷が異議を唱える。


「どちらとも同じ人の声ではないのですか? 嘘を言うのは止めなさい。公務員……いえ、伊河市の信頼を失墜させる行為ですよ。正直に言いなさい!」


「間違いなく別の人の声です。最初に……CDの声の人は、ご存知美湯の声を担当してくださった伊吹まどかさん……」


 僅かな間に幸一は息を吐き、これから自分が言うべき“事”に向けて肝を据えた。


「そして、MDの声は高野美幸。私の妹の声です」


 幸一の発言に、その場は騒然となった。


「高野先輩の……妹さん?」


 薫が驚いた表情を浮かべて呟き、反対側にいた根谷は声を上げて問い詰める。


「そ、それは、どういうことですか?」


「今言った通りです。MDの声の主は、高野美幸。私の妹の声です」


 幸一は再びMDのトラックナンバーを変更して、再生ボタンを押した。


『はい、私の名前は高野美幸です。えーと、今から早口言葉を言います……』


 自己紹介を述べる内容に一時沈黙になったが、それだけでは証拠を示したとは言えなかった。


「そんなのは……そのなんですか。伊吹まどかさんという方に、そう言って貰えれは良いだけのことでは無いのですか? 別人であるのなら、その高野美幸さんを、ここに連れてくれば良いだけでは?」


 まったくもって、根谷の言う通りの意見だった。

 だが薫に、一つの疑問が浮かぶ。


「高野先輩の妹さんが、伊吹さんと同じ声を出せるのだったら……。でも、そんな事を高野先輩から一度も聞いたことがない……」


 薫や根谷に対しての問いかけに答える前に、幸一はそっと瞼を閉じた。

 賽は投げられた――


 自分の妹が、伊吹まどかに似た声だったことを告白した時点で、もう逃げらない状態である。


 ある意味、ここ(第二会議室)で美湯がスタートした。

 この場所で、終わらせる訳には行かなかった。

 これからの自分の発言内容で、全てが決まる。

 けれど、気負う必要は無かった。


『ありのまま言えば良い。それが真実なのだから』


 この会議が始まる前に、そう稲尾に言われて軽く肩を叩かれた。

 それのお陰か、緊張と肩に伸し掛かっていた重さがほぐれたような感じがした。


 幸一は静かに深く息を吐くと、目を見開いた。


「美幸は……高野美幸は、既にこの世に居りません。今から五年ほど前に、事故により他界してしまいました」


 突拍子の無く意外な内容に一同は唖然としてしまい、辺りは水を打ったように静まり返った。


「その……妹の美幸の、将来の夢は声優になることでした。ですが、これからという時に、夢半ばで不幸な事故に遭い、夢を叶えることは出来ず、人生を閉ざしてしまいました」


 薫が平岡に「この話を知っていましたか?」と小声で訊くが、もちろん平岡も知らぬことで首を横に振る。


「伊吹まどかさん……美湯の声の担当の方を知ったのは本当に偶然でした。ふと観ていた深夜のアニメ番組で、声を聴いたのが始まりです。初めて声を聴いた時、妹の美幸のことを鮮明に思い浮かべるほど、美幸の声にとてもそっくりでした」


 幸一は、伊吹まどかを知った経緯と美湯の声優としてキャスティングをした理由を述べていく。

 妹…美幸の声に似た、伊吹まどかに興味を持った恣意的な内容に、辺りがざわつく。個人の利己……公務員としての禁則に触れていると捉えてもおかしくないからだ。


「妹の声に似た人が、伊河市の……美湯の声を演じてくれる。それは亡くなった美幸の夢を、叶わなかった夢を、ある意味叶えてくれる……。兄として、それが、とても嬉しかったのです。伊吹さんにお会いして、直に声を聴いた時、美幸の姿が思い浮かび、まるで生き返ったような気がしました」


 ふと、美幸と伊吹の姿が脳裏に過ぎった。

 二人とも満面の笑顔を浮かべおり、二人の体が一つに重なっていくと、美湯の姿へと変化した。


「だけど、伊吹さんは伊吹さんであって、高野美幸ではありません。そして彼女が演じてくれた美湯は、伊吹まどかではなく、美湯がそこに居たのです。美湯の声は、こういう声だったのだと。私は伊吹さんに美湯の声を演じてくれたことに、美湯の声が彼女の声で良かった、と思いました。そこに新しい命が生まれたような感じがしたからです」


 幸一は目蓋を見開き、真摯な瞳を根谷へと向けた。


「でも、もし……美幸が生きていたら。美幸が声優となり、今回の美湯の声を、もし美幸が担当していたら、どうなっていたでしょうか? 今回のように、声が似ているというだけで、謂れの無いことを言われたのではないでしょうか? もし、そうだとしたら、私は今回のように助けます。何を言われても、悪く言われても、彼女を守ります。高野美幸を、伊吹まどかを、そして美湯を……」


 幸一の瞳から涙が溢れ出す。


「教育委員会の皆様。最初から最後まで、私の勝手のお願いではありますが、どうか、美幸と伊吹さんのお陰で生まれた命……美湯を失くさないでください。お願いします!」


 涙がこぼれ、それを追いかけるように幸一は頭を下げた。それを見た薫も涙を流しつつ席を立って、幸一の元へと駆け寄ると、


「お願いします。美湯を公開させてください!」


 幸一と同じように嘆願の言葉と共に深く頭を下げた。

 そして、後を続くように平岡もやって来て、同じく頭を下げる。

 他の観光課のメンバーたちもまた同じ行動を取った。


 この場にいるほとんどの人達は、幸一の打ち明けた内容に目頭が熱くなり、時に涙していた。

 それは教育委員会の根谷もはばかる事なく泣いていた。


 根谷は流れた涙をそのままに、唇を震えさせながら口を開く。


「……高野さん。貴方の仰りたいこと……いえ、お気持ちは、解りました。そうですか……妹さんの声と。もし、貴方の妹さんがご存命でしたら、私はとても失礼なことを……。いえ、ご存命だからとかは関係無いわね。声が似ているからといって、区別や差別をしていたら、イジメなどに繋がったりしますわね……」


 昨今問題となっているイジメに関することには、教育委員会は神経を尖らせていた。それ故に、教育委員会がそんな事をしていたら示しが付かないことである。

 根谷は涙目で充血した瞳を幸一に向けると共に呼びかけた。


「高野さん。美湯の声を担当なさった伊吹さんという方が、公序良俗に反する仕事をしていたという、確かなことは解らなかったのですね?」


「は、はい。その資料の通りに、所属事務所には確認を取りましたが、そういった事は回答出来ないと言われまして、正確に確認することは出来ませんでした」


 幸一から視線を降ろし、ポツリと呟く。


「そうですか……」


 そして再び顔を上げる。


「解りました。高野さん……私は、貴方の言葉を信じましょう。同一人物ではなく、別人だったと……。それならば、美湯を公開停止する理由はありませんね」


 その言葉に幸一たち始めとする観光課のメンバーは、思わず一驚してしまった。それは、美湯の特設サイトの再公開が許されたということだった。


 根谷は幸一の前へとやっていき、深々と頭を下げた。


「高野さん、ごめんなさいね」


「え、あ、そんな……根谷さん、頭を上げてください」


 幸一が促すものの、根谷はしばらく頭を下げ続けた。そして、ゆっくりと頭を上げた。


「貴方“たち”の気持ちを察することもせず、ただ一方的に……。教育者もとより、人として失格だったわね。ごめんなさい」


 再び頭を下げる。


「根谷さん……。その、なんて言ったら良いのか……。こちらこそ、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」


「ご迷惑……。そうね……私自身も、高野さんの妹さんに迷惑を掛けてしまったわ。妹さんや高野さん、そして皆さんの命が宿ったものを、ああいった理由で頭ごなしで否定してしまった。これ以上、何を言っても失礼になりますから、これで」


 そう言い、根谷は自分の席へと戻っていた。

 その後、司会進行は稲尾が陣頭し、会議は大詰め、美湯の特設サイト再公開の決議を取ることになった。


 決議の結果は、満場一致で特設サイトの再公開が決定され、特設サイトはすぐに再公開の手配となったのである。

 その結果を、この場にいる全員が拍手で喜びと共に讃えたのであった。

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