第二十九話:凱旋すれば客来たり

 ケオストスへの正式な挨拶を済ませた流狼は、早々にエネスレイクに帰る事となった。あまり長期間居座ると、今度は自国の王機兵となってくれと頼まれる可能性すらある。そうなればエネスレイクとトラヴィートに無用な軋轢を生む恐れもあり、それはケオストス達も望むところではないようだった。

 オルギオ達はもう暫く残って作業を続けるという。衰弱の激しいケオストスではなく、レイアルフの見送りを受けて流狼は転移陣の前にアルカシードを進ませている。


「で、本当について来るんですか?」

『い、嫌そうだな義弟よ』

「嫌というか、ややこしいというか」


 予想外だったのは、このまま帰国すると思っていたルースが流狼に同行してエネスレイクを訪問したいと言ったことだった。

 ルースら四領連合にとって、エネスレイクは敵国に等しい。帝国の同盟国として機兵の材料となる資源を輸出しているのだから。

 現在は停戦期間中なので、厳密に言えばルース達が訪問してくることに問題はない。しかし、それが帝国に知られればややこしいことになるのは火を見るより明らかで。

 そして逆に、停戦期間なのに王機兵とその乗り手の訪問を拒絶するとなればそれもまた問題となりかねない。

 まさしく、『ややこしい』案件なのだ。


「ま、あんまり歓待されなくても知りませんよ」

『俺なにか悪いことしたか……?』

『マスターに迷惑がかかるかもしれないって意味では、悪いことしてるよね』


 アルの言葉にも棘がある。アル、ルビィ、フニルと見てきて、流狼は彼等人工知能にも随分と幅広い個性があるのだなと感心するばかりだ。

 アルはどちらかというと乗り手至上主義というか、乗り手の行動方針に対して肯定的だ。

 ルビィは肯定的な中にも乗り手に対して方針の提起が多く、乗り手を導こうという意思を感じる。

 フニルに至っては、無軌道で自由な乗り手のルースに対して小言を述べるのが仕事となっているようだ。これはフニルの個性というよりルースの個性に引きずられているような気がしないでもない。


『それではお二方、停戦期間であればいつでもおいでください。我が国は帝国と結んでしまいましたので、戦争が再開されてしまえばルース殿を軽々に受け入れることはできなくなりますが』

『ああ、その辺りはそちらに迷惑にならないように配慮させる。馬鹿なことはさせないから安心して欲しい』


 レイアルフの言葉にルースが固く誓うのが最後の挨拶となった。

 転移陣が起動し、景色が歪む。

 歪んだ視界が戻った時には、映る景色はトラヴィートのものではなく、見慣れた王都リエネスのものだった。

 事前に今日戻ることは伝えてあったのだが、どうやらその報は城下にも届いていたらしい。


『ルウ殿!』

『ルウ様だ! ルウ様のお戻りだ!』

『お帰りなさい乗り手様ー!』


 機兵用の転移陣は王都の中ではなく、その西門にほど近い平野部に設置されている。

 声は、城門の方に集結した民衆のものだ。どうやら今も増え続けているらしく、ざわめきは治まる気配を見せない。


『ルウ殿の隣にいる機兵はなんだ?』

『あれが魔獣か?』

『討伐は終わったんだろ? なんで動いているんだ?』

『ルウ様が服従させたんじゃないかしら?』


 アルが主要な言葉だけを拾っているようだが、どうやらフニルグニルが魔獣であると勘違いしている者があるらしい。


『マスター。ちゃんと説明しないと誤解するんじゃないかな。あと、歓迎されてるんだから答えてあげてね』

「そういうの苦手なんだが」

『じゃあ俺がやってやろう! フニルグニルを魔獣と勘違いするなんて――』

『だからややこしくなるから黙ってろ』

「……俺がやるしかないかぁ」


 ルースに任せたら余計ややこしくなるのは目に見えている。流狼は大きな諦めとともにアルカシードの右腕を掲げた。


「皆さん、ただいま! 勝ちました!」


 一瞬の静寂。そして、爆発する歓声。


「他の皆さんは、トラヴィートの復興を手伝っています。俺も手伝おうかと言いましたが、断られてしまいました!」


 再びの歓声と、大きな笑い声。

 当たり前だ、とか、ルウ様がやっちゃ駄目だよー、とか有難い言葉が聞こえてくる。


「そしてこちらは、魔獣じゃありません! 今回の討伐を手伝ってくれた、もう一機の王機兵、獣王機フニルグニルとその乗り手殿です!」


 おお、と感心するような声が聞こえた。

 歓声にならないのは、その王機兵が有名でないからか、それとも帝国の敵国が所有する王機兵であると知っているからか。

 あるいは単純に、『エネスレイクの王機兵』ではないからかもしれない。


「これから陛下に戦勝の報告に参ります! 皆さん、出迎えありがとう!」


 再びの歓声が響くと同時に、人垣がゆっくりと割れていく。

 ルウ殿のお通りだ、道を開けるようにと皆が声をかけあっている。


「アル、細心の注意を払うように」

『了解、マスター』


 子供たちが危険を理解できずに、アルカシードを触ったりしに来ないとも限らない。

 出来る限りゆっくりと、人に当たったり踏んでしまわないように気を付けて進む。

 大通りは機兵が整列して通ることを前提に、非常に広く作られているが、それでも注意するに越したことはない。


『ふうむ、なるほど。うちに負けず劣らず、いい国じゃあないか』


 ルースの呟きを耳が拾う。

 とても誇らしい気分になれたのは、きっと自分が心からエネスレイク王国の一員になれた証拠なのかもしれなかった。






 リエネス王城内のテラスでは、ディナスとエイジがこちらに歩み寄るアルカシードとフニルグニルの様子を見つめていた。


「あらあら」

「うわぁ、恰好いい!」


 ルナルドーレはともかくフィリアなどは気楽なものだが、ことはそう単純ではない。

 獣の姿をした王機兵と言えば、リーングリーン・ザイン四領連合の主力だ。停戦期間に入ったとは言え、間接的な敵国に平然とやって来る。間違いなくその乗り手は空気の読めない――あるいは読まないタイプだ。


「うむ、やはり精悍さではルウ殿のアルカシードだな。あの獣のごとき王機兵も素晴らしい造形ではあるが、やはり機兵の極致はアルカシードの持つあの根源的な武の気配あってこそと思うな」

「いや待て兄上、そういう問題ではありません。むしろあの野性味溢れる獣の似姿には合理を追求した美しさがあります。アル殿とルウ殿には悪いが、私は憧れるという意味ではあちらを推しますね」

「分かっておらんな、エイジ。機兵乗りならば間違いなくアルカシードよ」

「分かっていないのは兄上です。機兵の基本を完全に無視しつつ、それでいて機兵らしさを損なっていないのは獣の方ではありませんか。野を駆ける獣の美しさと機兵らしさを両立させるあの形こそ王機兵と呼ぶに相応しい」


 訂正、エネスレイクの王族もあまりそういった方面を気にしていたわけではないようだった。きらきらと目を輝かせる姿は、いくつになっても男からは子供っぽさが抜けないことを表しているようにも思える。

 言い合いを始める父と叔父に、何となくフィリアが口を挟んだ。


「ふむ、父上。私はアルカシードも獣の王機兵もどちらも格好いいと思いますが、それでは駄目なのですか?」

「フィリアよ。それは当たり前なのだ」

「そうですよ、フィリア。その上で、敢えて! 自分が操るならと妄想するならばどちらかということなのです」


 ふんす、と鼻息荒く答える二人に、フィリアは首を傾げる。

 と、様子を見ていたルナルドーレが一言ぽつりと確認してくる。


「そもそも、そういう問題ではないのではありませんか? ディナス様、浮かれていられるようなことでは」

「うむ、ルナの言うことはもっともだ。しかしな、ルウ殿が一緒である以上、まずは会ってみるしかない。アル殿もいるのだ、いきなり殺されるようなことはないだろうしな」


 快活に笑うディナスに、頷くエイジ。確認するまでもなく、二人は既に事態のややこしさを理解している。その上で騒いでいるのだと察したルナルドーレは、目を伏せて頭を下げた。


「差し出がましいことを申し上げたようです。ごめんなさい、ディナス様」

「良いさ。それに」

「それに?」

「ルウ殿がお連れしたのだ。あちらの乗り手殿とはきっと仲良くなれるよ。人としては、な」


 ディナスの言葉に頷いてから、今度はフィリアの方に顔を向けた。

 その表情は真剣そのもので、じっと見つめられたフィリアはたじろぐ。


「ではフィリア、ルロウ殿と一緒にいるか、同席しないか、どちらかにしておきなさい」

「え、何故ですかルナ様」

「あの獣王機フニルグニルに乗っているのはリーングリーン・ザイン四領連合の英雄、ルース・ノーエネミー。彼はグロウィリアでも有名な人物でしてね。豪快かつ人情厚く、人を惹きつけてやまない好漢なのですが」

「はあ」

「同時に、各国の姫や美女を次々と七人も己の妻に迎えているため、『好色王』あるいは『獣欲王』という不名誉な異名が」

「ろ、ロウに引っ付いています!」


 何を想像したのか、身震いして答えるフィリア。

 と、今度はディナスがにやにやと笑みを浮かべて問うのだ。


「この際だから、ルウ殿の嫁と紹介しておくか?」

「あら、ミリスのことがありますからそれはちょっと。ルロウ殿が二人とも娶ると言ってくだされば構いませんけど、ご本人にまだその心構えは出来ていないのでしょう?」

「あの、その件について私の意志は」

「おや、フィリアも乗り気だと思っていたのだけど、嫌なのかい?」

「叔父上、嫌とかそういうことではなくてですね」


 四人の会話は、危機感のないまま別の方向へと流れていく。

 結局、致命的なまでにずれを生じた話題は元に戻ることなく、近衛が流狼の帰還を伝えて呼びに来るまで、真っ赤になったフィリアが話題の中心になったのだった。






 謁見の間に入ると、何やら赤い顔のフィリアがすっと近寄ってきた。意味が分からない。

 ともあれ、流狼はディナスとエイジ、ルナルドーレが待つ玉座の前まで歩いて、頭を軽く下げた。


「戻りました、ディナス様」

「お帰り、ルウ殿。我が国の兵に損耗はないと聞いた。ありがとう」

「こちらのルースさんに手伝ってもらいましてね、何とかなりました」


 と、七人の奥方とフニルを引き連れて悠然と立つルースを紹介する。

 ルースは一瞬だけ流狼の顔を見ると、奥方をその場に留め、フニルだけを連れて流狼の横まで歩いてくる。


「ルース・ノーエネミーだ。この度は義弟に無理を言って同行させてもらった。以後見知り置いて欲しい」

「……義弟?」


 当たり前のことだが、突然義弟などと言われればディナス達も首を傾げざるを得ない。

 ルースもいい加減学んだのか、うむと一度頷いて答えた。


「ルロウ・トバカリには俺の妹であるウィナを嫁がせる。故に義弟だ」

「はぁ!?」

「ああ、俺は別に受けたわけじゃないので」


 どちらにしろ、説明が足りないことに変わりはなかった。眉間に指を当てて揉み解していると、アルが補足してくれた。


『まあつまり、このルース氏はマスターにそういう打診をしたわけさ。で、マスターは一度お断りされたのだけど、まだこちらは諦めていない様子でね』

「なるほど、つまり」

『ディナスとルナルドーレと条件は一緒ってところかな』

「ほう」


 ルースが目を細める。少しばかり剣呑な雰囲気だ。

 周囲で様子を見る重臣たちと近衛らが、すぐにでも動けるように腰を落とした。


「なるほど、確かに良い国だ。義弟が選ぶだけのことはある――だが」


 敵対の意志はないとばかりに、ルースは首を振った。しかしそのうえで、強い視線がディナスを射貫く。


「だからこそ、理解できない。何故この国は、帝国に味方するのだ?」


 その問いは、ある意味で当然だった。

 そして、この場では最も言ってはならない問いであった。

 緊張感が増す。フィリアが流狼の腕を強く掴み、近衛たちの中には杖に手をかける者すらあった。


「民を護る為。それ以上理由が必要かね?」


 ディナスの返答は静かなものだった。エイジとルナルドーレの表情にも動きはない。既にその答えを口にすると理解していたのだろう。


「その言葉が、他国の民の命を焼くと理解しているのか、お前はぁーっ!」


 そして激したのは、問いかけたルースではなかった。

 背後に控えたルースの嫁の一人。リスロッテが怒号を上げて、周囲の他の女性たちから取り押さえられている。


「リズ。少し黙れ」

「ルース⁉ でも」

「ディナス王と話をしているのは俺だ。もう一度言わせたいか?」

「うう、分かったよ……ルース」


 激したリスロッテを制したルースの声もまた、静かだった。リスロッテの方を向きもせず、止まるように命じる。

 普段は尻に敷かれているものの、こういうときのルースは確かに英雄たる威厳に満ちていた。リスロッテも素直なもので、言われた通り感情を抑えて見せる。

 ルースは構えて静かに、だが先ほどよりも強い意志を乗せて問うた。


「連れが失礼した。だが、俺の問いも同じだ。返答は?」

「無論、理解している。そして、それを詫びるつもりもない」

「……だろうな。我らも詫びられる筋ではないことは理解している」


 ここでルースは小さく息をついた。

 言葉を引き継いだのはフニルだった。冷静に事実のみを述べる。


『たとえば、貴国が帝国と結ばなければ、おそらく既に戦端を開いていることだろう。帝国が拡張政策を取り始めてから、大陸中西部を平らげたのが先代の頃。その時に貴国と共に戦う国があったとすればトラヴィート王国のみ。当時の四領は帝国の調略で互いに互いを疑い、小競り合いを繰り返していた。ルースのいない四領はまとまることもできず、貴国に頼られていたとしても手を貸すこともなかった』

「ええ。我らの父は理解していた。だからこそ決断した。百万の他国の民の命より、十万の自国の民の命を。……その決断には、私も同様に胸を張る」


 答えたのはエイジ。視線はルースに向いているようで、その実後ろに控える七人に向けられている。同様に、怒りと悲しみを押し殺した七対の視線が、三人に向けられていた。

 ルースはひとつ頷くと、再度口を開いた。


「ディナス王、もうひとつ問う。貴国は拳王機アルカシードと、その十全たる乗り手を得た。その力を帝国が求めたらどうするか聞きたい」

「民の命と笑顔を護るのが王の使命だと理解している。ルウ殿もまたエネスレイクの民であり、その命と笑顔を護る使命がある。……何より」

「何より?」

「王機兵の乗り手を帝国に売り渡す王を、民は王と認めるまいよ」

「うむ」


 ルースはその答えに三度、噛みしめるように頷いた。


「西に来てようやく、王たる王に二人も会えた」


 ようやく笑顔を見せるルース。どうやら、ディナス王とエネスレイク王国は彼の眼鏡に叶ったらしい。


「非礼をお詫びする。義弟が身を託すにふさわしい国と王だと理解した。もしもそうでないと思ったら、義弟を打ち倒してでも連れ去るつもりだったが」


 快活に、悪意なく。そう告げる彼に、再び周囲が殺気立つ。

 そしてディナスが、ふはあと息を吐き出しながら笑い出した。ぷらぷらと手を振って、配下を制する。


「ああ、止せ止せ。この方は混じりっ気なしの英雄だ。思った通りのことを思ったままに言葉に乗せ、そしてそれを実現する。我が国で対抗できるのはルウ殿とオルギオくらいだろうよ。心配するな、我々は認められたのだ」

「オっさんとルースさんと同じ区分にされるのは微妙に納得いかない」

「何が不満だ義弟⁉ トラヴィートで会ったが、確かにオルギオ・ザッファは英雄の相だ、それに並び立つと言われれば喜ぶべきことだろう!」


 流狼の言葉とルースの反応に、周囲から忍び笑いが漏れた。

 どちらにも納得と共感できるといった反応だ。同時に、張り詰めていた緊張感が緩む。

 と、ルースが思い出したように口を開いた。


「そういえばディナス王。義弟に嫁がせる予定の方とは、そちらの?」

「うむ。そしてもう一人はグロウィリアの王機兵の乗り手殿である」

「ああ、そう言えばそのようなことを」


 ルビィの剣幕も含めて思い出したのだろう、ルースが記憶にあったミリスベリアの顔とフィリアの顔とを見て納得したように笑みを浮かべる。


「たしかに、義弟に嫁がせるに相応しい可憐な姫君たちだ」

「そ、それはその」


 言い切られると流石に恥ずかしいのか、フィリアがもじもじと流狼の背後に隠れた。どちらかというと流狼本人の視線から隠れようとする動きに、流狼もまた顔が熱くなるのを自覚する。

 そしてルースはことごとく空気を読まず、告げた。


「だが、俺の妹ウィナも負けてはいないぞ! フニル、映像を出してくれ」

『ああ、分かった』


 フニルが視線を虚空に向けると、その目がプロジェクターの役割を果たしているのか、空中に映像を映し出す。

 映ったのは可憐な美少女だ。ルース同様、少々髪の毛が多いとわかる髪型だが、実によく似合っている。

 だが。


「どうだ? 身内の贔屓目と見ても絶世の美少女だろう? どうだ義弟よ、これならば見劣りすまい」


 そういう問題ではない。元の世界の話もしたはずだが、彼等には伝わらないのだろうか。いや、ルースに伝わらないのは既に分かっていたはずだ。

 そして、それすらもそういう問題ではなかった。映った画像には周囲の誰もが言葉を失っている。

 おっかなびっくり、流狼は問いを口にする。


「なるほど、確かに美少女だね。で、ルースさん、このお嬢さんは」

「うむ。俺よりも先祖の血が強く出てな。耳と瞳が獣のものになっているのだ。俺たちの地方には少なくないのだが……この辺りには少ないのか?」

「俺は会ったことないなあ」


 流狼の記憶にはない獣の耳と、猫のような瞳。アルの方をちらりと見ると、アルは頷いてきた。

 『獣』王機フニルグニルという特異な姿の機兵が存在する理由もその辺りにあるということか。


「まあ、俺の妹である以上、俺と同等の器量のある者でなくてはなるまい。義弟よ。ウィナを大事にしてくれると助かる」

「ですが、ルース殿。ルウ殿は我が国の所属。今すぐにルウ殿に嫁がれては、帝国が人質として差し出せと言いかねませんが」

「むっ」


 よほど困り顔をしていたのだろう、エイジが助け舟を出してくれる。同時にちらりとルナルドーレの方を見て、済まなそうに告げる。


「同じくミリスベリア殿も。少なくともグロウィリア公国も王機兵の乗り手を軽々には手放さないでしょう」

「そうですね。その辺りは陛下のご判断によることになりましょう」

「……お前らな、そういう圧力のかけ方はルウ殿にもよくない」


 ディナスが改めて流狼の立場を慮った言葉を出すことで、この件については決着となった。

 帝国に連れて行かれた陽与のこともある。流狼も自分の結婚話に政治を絡められたくはなかった。


「さて。ルース殿と奥方らを我が国の賓客として迎えることにする。ルース殿、いつまでのご滞在を予定されておいでかは問いません。エネスレイクという国の法を遵守していただける限りにおいて、すべての国民が皆さんを歓迎するでしょう」

「心遣い、痛み入る」


 頷いて、それと分かるように頭を下げるルース。ディナスも頷き返し、これで謁見は終了となった。

 ディナスとルナルドーレが席を立ち、詰めている貴族や近衛も退室を始める。流狼もフィリアに腕を引かれた。


「フィリアさん?」

「……よく無事に戻ってくれた。おかえり」

「……ああ、ただいま」

「い、色々と聞かせてくれ! 父上もルナ様も、聞きたいことがあると思うんだ」


 その言葉に思い浮かぶのは、ひとつしかない。

 アルを肩に乗せて、流狼はそれに応じた。


「ああ。もちろん」







 王城内にある、個室。

 監禁と言うべきか、幽閉と言うべきか。

 クフォンは室内に置かれた最後の一冊を読み終え、窓からのぞく夜の空を見上げた。


「私は間違っていない」

「そうですね」


 返答があったことに、心臓が飛び出んばかりに驚く。

 扉の方を見るが、窓のないその扉からはその向こうを窺い知ることはできない。

 しかし、声には間違いなく聞き覚えがあった。


「……私を笑いに来たのですか、ルローさん」

「いえ。最近クフォンさんをお見かけしてないなと思ったら、アルとエイジさんが何かを隠してる様子だったので」

「ああ、なるほど。大事にされているようで」

「ええ」


 どさりと、扉の向こうで何かが落ちるような音。


「何故、などと聞くつもりはないんですがね」

「私が行ったことは罪です。ならば裁かれるべき、それを拒絶するつもりはありません」


 流狼の言葉に、口から漏れ出たのは強がりだった。

 本当は恐ろしい。毎日毎晩、扉が開かれて処刑の日取りが告げられるのではないかと、気が気ではなかったのだ。

 先程もまた。心臓が裏返りそうな恐怖があったことを流狼に知られたくなくて、クフォンは言い張るのだ。


「うん、まあ。どうやらアルとエイジさんの策略に協力した形だそうで、クフォンさんは罪に問われたりはしないらしいんですが」

「そう……なのですか?」


 心に広がる安堵。

 だが、安堵したことを流狼に知られることすら屈辱だと思う心は、率直な反応を許さない。

 反応に悩むクフォンの、混乱した感情をさらに揺さぶる言葉が流狼から放たれる。


「民主主義」

「っ⁉」

「エリケ・ドさんから聞きました。クフォンさんが目指したものは、それではないですか?」

「知っているので? いや、エリケ・ドには詳しくは話していないはず……まさか」

「俺の世界では、不完全ながらそういう政治形態があったので」

「そうですか! それはさぞ素晴らしい世界だったことでしょう!」


 クフォンの脳裏から、流狼への嫌悪感は既に消えていた。それよりも重要なことがある。


「そうですね。平和に暮らしていました。でもまあ、色々と問題もありましたけど」

「問題?」

「俺はそういうのを説明するのが得意じゃないので、後でアルに説明させますよ。あいつを造った人は、きっと俺たちよりも文明の進んだ世界から来ているし」

「そうですか! それにしても、問題ですか……」


 自らが理想とした社会に生きた者が、問題があると言い切った。それはクフォンには理解が出来ず、だからこそ考えるに足る課題だと受け入れる。


「取り敢えず、アルからの伝言です。『この世界には、まだ戦う力以外のものを持ち込むには早すぎる』と」

「持ち込むには、早すぎる?」

「あとはアルに聞いてください。俺にはそういう小難しいことは語れませんから」


 クフォンは流狼の言葉に、彼が何故周囲に好かれるのかを何となく理解した。

 彼は、正直なのだ。自分が出来ないことを偽らず、素直に認める。そして力及ばないことは、頼れるものに頼るのだ。

 クフォンはもう、流狼を好ましく思い始めている自分を否定できなかった。


「私は元の世界で、ずっと理想の社会を求めて戦ってきました」

「ええ」

「この世界には人ならざる天敵が多いのですよね? ならば私の知識が役に立つこともあるでしょう」

「……出ますか?」

「ええ。人々が平和に暮らせる日々を勝ち取った後、アルさんの話を聞いてより良い社会の姿を考えていこうと思います」

「そうですね」


 がちゃりと、扉が音を立てた。軋み音を立てつつ開く扉。

 クフォンは手にあった最後の一冊を几帳面に棚に仕舞うと、照れくささを隠すように笑みを浮かべた。


「お手数をおかけしました」

「いえ。頼りにさせてもらいます」


 笑みを返してくる流狼。その背を追って廊下を進む。


「クフォンさん、暇な時にでも本を書いてみるといいと思いますよ」

「本、ですか?」

「ええ。今の時代には早い考えでも、いつか人々がその考えに追いついた時に、きっとその人たちの役に立つはずですから」

「……よく本を読む方ですが、書くことなんて考えたこともありませんでした」


 心の中の重い何かが、消えてなくなるような気がした。


「ルローさん」

「はい?」

「すまないことをしました。申し訳ありません」

「俺は当事者じゃないので、何とも。その言葉はきっと俺以外に、待っている人がいると思いますよ」

「はい、その通りですね」


 サイアーとエリケ・ド。二人の信頼を裏切ってしまったこと。

 本当に当事者であるはずの流狼は、自分よりも二人に詫びるように言っているのだ。

 十代の少年に諭され、五十に差し掛かろうというクフォンはしかし、何故か素直に頷くことができたのだった。


「それは必ず。でも、ルローさんに謝らなくていい理由にはなりませんから」

「ええ、ならば確かに。もう気にしないでくださいね」

「分かりました。ひとまず、慣れない内政官からはお暇しないといけませんね。果たして、宰相どのや国王陛下は許してくれますかねえ」

「さあて、それは俺にはなんとも」

「でしょうね。ま、それは私が言葉を尽くすしかありません」


 クフォン・ユギヌヌはこの日、エネスレイク王国に復帰すると、内政官から軍部へと転属を願った。

 彼はその時に、上司であるエイジ・エント・グランニールにこう告げた。


「エネスレイク王国への忠誠はまだありませんが、あの年若い王機兵の乗り手を裏切らないことだけは誓います」


 エイジはその言を受け入れ、以後クフォンは軍部の参謀の一人として、エネスレイク王国の軍事に異世界の理論を持ち込むこととなったのである。

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