第十一話:万人には万人の意志が

 機兵戦の主役は杖である。これは大陸の主流と言って良い。

 魔術を導引する触媒として使う事はもちろん、近距離での打撃武器として非常に優秀だからだ。

 流狼は大型鈍器が武装として一般化している点に、鎧を打ち砕くメイスの発達と同じ観点であると理解する。つまり、機兵とは乗り手にとって超大型の鎧であるのだ。


「鎧を砕く、あるいは内部の乗り手を直接討つ為に杖という訳か。俺としては鎧徹しが欲しくなるな」

『今の時代の武装の発展はある意味で正しいんだけど。だけど、機兵をただ大きい魔術を使う為の大きな鎧と扱う割り切り方は、正直嫌いだね』

「はっきり嫌いというのは珍しいな、アル?」

『アカグマの元になった機兵を弄り始めた時にも思ったんだけどさ』


 レフ機が杖に魔力を集中させ始めた。随分と膨大な魔力量だ。

 周囲にはトラヴィート王国軍の機兵がひしめき合い、河を挟んでノルレスをはじめとしたエネスレイク軍の機兵が様子を窺っている。

 と。ノルレスに乗るオルギオから通信が飛んできた。


『おい、ルウ』

「おっと。悪いね、オっさん。出しゃばった」

『本当だよ。俺はそんな事をさせる為にお前を連れてきた訳じゃないんだが』


 流狼は、オルギオがレフを討つつもりであるだろうと察していた。

 彼もまた、息子であるケオストスが父であるレフを逆賊として討たなくてはならないという事を嫌っていた。

 だからトラヴィート軍の敵意と憎悪を一身に受け、レフを葬る算段でいたのだろうと。


『いいか、レフの機兵も古代機兵だ。今の技術では再現出来ない機能を多く備えている。アカグマも素晴らしい機兵なのは分かるが、舐めてかかると痛い目を見るぞ』

「ああ、ありがとう」

『レフは武断派で大言壮語の王だが、その言葉を周囲に受け入れさせるに足る実力がある。特に得意なのは――』

「ありがとう、オっさん。大丈夫、信じてくれ」


 流狼がオルギオの言葉を遮るのと、レフが魔術を発動するのは同時だった。

 地面から大量の砂が舞い上がり、レフの杖に纏わりつく。

 程なく杖の先端はその形を変え、巨大な岩石状に変化した。


「こいつは当たると痛そうだ」

『ねえ、マスター。さっきの続きなんだけどね』


 アカグマの装甲でも直撃したら危険そうだ。流狼はオルギオの言葉と合わせて警戒を強める。

 が、アルは特に脅威を感じている訳ではなさそうで、呆れたような口調で続ける。


『今の連中は、どうも巨大な杖を取り回す事のみを優先して考えているような気がするんだ』

「機兵自体の性能にはそれ程興味を持っていない、という事か?」

『そう。大きい杖ほど、威力と規模の大きな魔術を使える。だから機兵を使って魔力の質を上げる。機兵の性能を凌駕する威力の魔術が横行すれば、機兵自体の性能は歩けて走れて術が使えればそれでいい、という訳さ』


 そのようにして機兵建造のテクノロジーは徐々に簡略化され、廃れていったのだろうと。寂しさを含んだアルの言葉に、何となく納得する。

 機兵で白兵戦を挑むという事は、損耗を覚悟するという事だ。そして乗り手の操縦技術と魔術技能の双方が求められる。求める要素が多いのだ。

 だが、遠距離から強力な魔術を使い、近寄ってきた相手を鈍器で殴打するだけならば魔術技能さえあればそれなりに何とかなる。

 効率的で、現実的な考え方だ。全員を突出した乗り手にするよりも遥かに少ない訓練内容とコストで結果を得られる。時代がそういう形に流れるのも無理はない。結果として、機兵そのものの技術も高められることなく停滞、長期的には衰退してきた訳だ。

 だからこそ、突出した性能を持っていた頃の古代機兵が発見されると、戦況すら変えかねない大きな戦力となる。

 乗り手がオルギオのような英雄であれば更にだ。そのオルギオが掛け値なしに実力を認めているレフ王もまた。


『あれはそういう、使頃の古代機兵なのだろうね。今の機兵と比べれば十分以上に動ける機体だって言えるんじゃないかな』

「現代の機兵運用は『白兵で戦う事も出来る移動砲台』って事か。それは数を揃えれば有利な訳だな」

『ベルフォースがずっと稼働しているようだし、それも影響しているのかもね』


 流狼はそこで話を切り上げ、レフ機と間合いを詰める。


「準備はよろしいか」

『よい』


 その言葉が皮切りとなった。再び杖が振られ、巻き上がる土砂。

 レフ機の姿が土煙の向こうに隠れ、見えなくなる。

 どうやらレフは土を操る魔術の使い手であるらしい。オルギオが言いかけていた事もそれか。

 視界を奪い、必殺の一撃を叩き込む。通常の機兵相手ならばそれも可能だろうが――


『喰らええええぃ!』


 濃く巻き上がった土煙の動きが、むしろ機体の動きを知らせてくれる。

 アカグマの右手側から振り抜かれる巨大鈍器。流狼は左前方に強く踏み込み、レフ機の背後を取る。

 岩石を纏わりつかせた杖は、威力も重いが重量も相当であるようで。

 大振りに振り抜かれて体を泳がせるレフ機の、右肩部分を狙って拳鎚を振るう。


「何!?」


 異様な手応えに、流狼は慌てて飛び退った。肩を破壊した様子はなかった。何かに衝撃を吸い込まれたような。


『どうしたの? マスター!?』


 アルが疑問の声を上げるが、眼前を通り過ぎて行った杖を見てか言葉を止める。

 風が顔を打つ手応え。下がらなければ鈍器の直撃を受けていた事実にアルが驚愕の声を上げる。


『マスター、気付いていたの!?』

「いや。効かなければ深追いしないのが鉄則だ。しかし、今の感触は一体」


 杖を振り回すというよりは、杖に振り回されているような動き。遠心力を利して回転を続けるレフ機から一旦間合いを外す。


『ぐぬうううあッ!』


 レフが叫びながら杖を地面に擦らせる。回転が徐々に弱まり、ようやく止まった。


「アル好みの使い方じゃないか?」

『……いや、そりゃ術を放つだけの機兵は嫌いだけど、これもないよ……』


 地面に円形の痕。ようやく土煙が晴れて、レフ機の様子が見えてくる。


「なんだ、ありゃあ?」

『あの黒いのがマスターの打撃を防いだみたいだね。ボクも見た事がない術だ』


 レフ機の見た目は、始まる前より一回り大きくなっている。

 杖だけではなく、何か黒いものを纏っているようだ。異様な手ごたえはその何かの所為なのだろうが。


『王機兵の乗り手殿。『浸透衝撃』の魔術はご存知か』


 と、ケオストスが声をかけてきた。


「ああ。内部の乗り手を直接攻撃する魔術だろう?」

『あの黒い鎧は、浸透衝撃を防ぐ為に編み出された魔術だ。あらゆる打撃と面衝撃を無効化する。打撃では勝ち目はない』


 どうやらこちらに情報をくれるつもりだったようだ。

 とは言えどういった仕組みなのかまでは言わなかったのは、決闘の矜持を守る為だろうか。

 手の打ちようがないことに流狼が諦めて降参する事を願っている口ぶりだ。

 それだけレフの腕を信じているのか、あるいは余程アカグマと流狼が頼りなく見えたのか。


「ありがたい情報だ。だがまあ、その程度では止まれないなあ」

『解析完了。あれは微細な砂粒の集まりだね。砂同士で衝撃を逃がしているから確かに打撃は効きにくいよ。……どうする、マスター?』

「どうもこうもないさ。両手両足を破壊して、完璧に勝つ」

『アルカシードなら何とかなるとは思うけど、アカグマにはそこまでの出力は出せないよ。どうするのさ?』

「前にも言ったぞ。飛猷流古式打撃術は、一撃必殺を希求した流派だと」


 アルカシードと比べて、アカグマは反応も鈍いし気配を探るなどの感覚も弱い。


「武境絶人を使っても、アカグマではついて来られないよな」

『ああ、あれは無理だね。というか、あの技術のメカニズムはボクにも分からないのだけど、マスター』

「今度解析してくれ。さて、上手くいくかね」


 流狼は小さく呼吸を整える。全身の熱を左右の拳に集めるイメージで。

 重い足音を立てて歩いてくるレフ機。大量の砂で覆われた機体は防御力の為に機動力を奪っているようだ。


「というか、機兵の重量でも振り回される杖って」

『振るだけで必殺技だねえ、あれ。胸に受けたらその瞬間、マスターとボク達は操縦機構ごとアルカシードの傍に自動で転移しちゃうからそのつもりで』

「了解」


 今度は振り上げからの叩きつける動き。

 こちらの打撃が効かない事を確信しているのだろう、隙だらけの挙動だ。


『ぬううっ! 『大地激震』!』


 地面に叩きつけられた杖から、魔力が迸る。

 魔力が衝撃を増幅することで地面が波打ち、ひどい震動が足元を襲った。


「ちっ」


 バランスが崩れた一瞬、その隙をついてレフ機が突っ込んで来る。先程までの動きが嘘のような速度だ。


「鈍いのは仕込みか」

『ぬあああああああッ!』


 引き摺られてきた杖が振り上げられる。避けようがないと判断した流狼は、だが焦らずに地面を踏み締めて拳を振るう。

 狙いはレフ機の手元。

 杖の石突を強打したアカグマの右拳を、杖を撃ち抜かれたレフ機が素手で叩く。

 すぐさまその手を掴み、流狼はアカグマを振り回すようにしてレフ機を投げ捨てた。


『うおおっ!』


 レフ機は地面に叩きつけられてもダメージはなかったようで、すぐさま起き上がってくる。


「投げは効果なし、と」

『駄目だね、マスター。今ので散逸した質量は二パーセントくらいだ』


 流狼はレフ機の手元に視線を向ける。指が折れた様子はない。指周りの砂は少ないだろうと当たりをつけてみたが、そうではなかったらしい。

 杖とはアカグマを挟んで逆側に落ちているので、魔術でも使わない限りすぐに手許に戻ることはないだろう。

 流狼はレフ機が次の動きを起こす前に間合いに踏み込み、連打を叩き込む。

 狙いを顔面一点に集中しても、動じる様子はない。


『駄目だね、マスター。散逸した質量分の砂は、打たれている間に足元から補充されているよ』

「地面に足を着いている限り効かないって事か」


 レフ機は動く様子はない。アカグマの打撃が止まった所で反撃に移るつもりか。

 と、流石に見兼ねたのかオルギオから再び通信が入った。


『なあ、ルウ。このままやっても勝てないんじゃないか。その魔術、打撃には滅法強いんだ。俺が代わろう』

「……どうやらオっさんはこの流れを見た事があるみたいだな」

『ああ。古代機兵以外は斬撃武器なんて持ってないからな。戦場でも指揮官を相手にこれをやるんだ、こいつ』


 投げは効果がない。普通の打撃でも効かない。

 手がないと見られても仕方がない、が。


「思ったより練氣が上手く行かないな。やはり機兵だと勝手が違うか」

『何か手があるのかい? マスター』

「ある。だがちょいとばかり生身と勝手が違う。アル、ちょっと手伝ってくれるか」

『いいよ、何をするんだい?』

「右手に魔力を集中させてくれ」

『ふむ。マスターはまだ魔術は使えないよね? 集中させてどうするんだい』

 

 手を止めずに打ち続けながら、アルに要望を伝える。


「なに、魔術を使おうって訳じゃあないさ」

『……うん、分かった。そうしたら、行くよ!』


 魔力は冷たさを伴う。

 流狼がアルの言葉の直後に右拳に感じたのは冷気だった。


「ありがとよ、アル」


 拳を止め、体を軽く逸らす。

 タイミングを計っていたのだろう、その瞬間にレフ機がアカグマに体当たりするような勢いで突っ込んできた。

 狙いは分かっている。流狼は相手をいなすと腰を落とした。

 レフ機は振り返る事もなく落ちている杖を引っ掴み、それを起点に高速で反転、勢いを殺さずに再び突っ込んでくる。


『来るよ、マスター!』

「飛猷流古式打撃術」


 流狼はまだ魔力と練氣の性質の違いを把握していない。

 だが、放つことが出来るのは一緒だ。右拳に溜まった魔力を、一直線に突っ込んで来るレフ機に向けて柔らかく放つ。

 サイアーが見れば、魔力の塊が中空に浮かんでいるように見えただろうか。

 そして流狼は腰溜めに構えた左拳を最速で打ち放った。


「『氣塵百勁きじんひゃっけい』!」


 魔力溜まりを高速で打つ事で、弾けた魔力の粒子がレフ機を襲う。

 勢いをつけていたレフ機は避ける事も出来ず、無数の魔力をその身に受ける。

 瞬く間に砂の鎧がはぎ取られ、レフ機の本体が露わになる。


「次だ、行けるかアル?」

『準備できたよ!』

「よし、『氣塵百勁』!」


 砂粒が再生する前に、再び用意された魔力塊を打つ。


『あああっ!』


 思わず杖を取り落とし、前面を腕で防ぐレフ。

 流狼は安堵の息をついた。これで胸の装甲を貫通する事はなさそうだ。

 何度もその作業を繰り返す。ほどなく腕はボロボロになり、肘から弾けてへし折れた。

 脚などはもっと悲惨で、折れてはいないが穴だらけになっている。


「勝負あり、かな」


 既に重量を支えるのが精一杯のレフ機を見据えながら、流狼は周囲に確認した。


「魔力だとこんなに威力があるんだな。加減が難しい」

『マスター、今のって』

「本来は練り込んだ氣を直接叩き込んだり、それを弾いて相手にぶつける技だな。鎧武者を相手にする時に大変だからと創始された。これによって相手の鎧の隙間を貫手で通す必要がなくなって――」


 珍しく流狼がアルに講釈を垂れる。

 と、レフ機を後ろから拘束する機兵が二体。


「おいおい」

『済まないな。このままでは倒れてしまうので、手を出させてもらった。この状態で倒れればせっかく助かった命が喪われてしまう』


 どうやらレフ機から反応がなかったのは、本人が中で気絶しているからのようだ。

 ケオストスが場を纏めるように手を叩いた。


『王機兵の乗り手殿。貴殿の勝利だ。さあ、誓約を履行せよ』


 レフ王の連れていた機兵達が、視線を交わす。

 だが、続けてケオストスが放った言葉が決定的なものとなった。


『……父を恥知らずにするな』


 それを聞いた側近の一人が投降の意思を示した事で、彼らは同じようにして機兵を降り、縛につくことを選んだのだった。






 オルギオは流狼を労うと、そのままスーデリオンに戻らせた。

 レフの命を奪わない事を確約した事で流狼も納得したのだ。

 オルギオはケオストスから請われたのでノルレスから降り、彼の幕舎へと足を運んだ。


「ケオストス様」

「よく来てくれました、オルギオ殿。父を止めてくれてありがとう」

「いえ、止めたのは彼なので」

「王機兵の乗り手殿にも感謝を。父を討たずに済みました」

「……そうですな」


 オルギオはレフを自らが討つつもりでいた。それだけレフの魔術が厄介なものであると理解していた為で、生かして止められる自信がなかったからだ。


「まさか決闘で父に勝つ機兵が居るとは思いませんでした」

「同感です。しかも刃物もなく」


 追従したのはケオストスの側近の一人だ。ノルレスは薄刃の剣を数本格納しているので砂の防御を貫く事は出来ただろうが、あの巨大鈍器を掻い潜ってとなると難度は途端に跳ね上がる。

 斬ろうとすれば砂に削られてすぐに刃が使い物にならなくなる。自然と手段は刺突に限られる訳だが、動き回る機兵を相手に、しかも砂に囲まれて目視出来ない腕や足の関節を狙うのは彼には不可能だった。


「で、レフ殿は」

「……こちらへ」


 と、ケオストスの表情が曇る。隣部屋の前でしばらく逡巡した後、意を決したように扉を開ける。

 オルギオは父親を捕縛した所を見せたくなかったのだろうと思っていたのだが、それが間違いである事をすぐに理解した。


「ルナ……ルナぁ♪」


 両手を縛られて自由のない状況で、ふらふらと歩きながら呟くレフ。目の焦点は合わず、半笑いで室内を彷徨っている。

 彼の足元では同じように両手を縛られた貴族達が座っている。

 信じられないような表情のままレフを目で追う者と、絶望に項垂れる者と。


「……これは」

「伯父上があの女狐と添い遂げる事が余程ショックだったのでしょう。目を覚ましたらあの調子で」


 ひどく重い溜息をつき、ケオストスが頭を振る。


「どちらにしろ幽閉しない訳にはいかなかったのですが、これでは」

「祭りあげる事も出来ない、か。武名で鳴らしたレフ殿が」


 彼が数十年をかけて心に棲み付かせた妄愛は、これ程のものだったのか。

 今更ながら、オルギオは主君が決して憎からず思っていた『女狐』を娶らなかった理由を理解した。

 その一事だけをもって、エネスレイクとトラヴィートとの戦争が始まってしまう。


「オルギオ殿もお気をつけて。あの女狐が伯父上を良いように誑かさない事を祈っています」

「そうですな、ありがとうございます」


 オルギオが同席したディナスとルナルドーレの通信では、ルナルドーレは恋を心に秘めた淑女でしかなかった。

 あるいは女狐と呼ばれるだけの人物なのかもしれないが、オルギオはルナルドーレがディナスとエネスレイクの害になるような事はしないだろうと思っていた。だが、レフのこの惨状を見てしまっては。


「さて。オルギオ殿に同席を求めたのはほかでもありません」

「彼らの処遇ですか」

「ええ」


 と、一人がケオストスの顔を見上げた。

 一度だけレフを見て、何かに耐えるように唇を噛み、改めて口を開く。


「陛下」

「ああ」

「先王陛下を焚きつけ、軍を出させたは私です。他の者には寛大なご処置を」

「……いいだろう」


 オルギオは面識がなかったが、レフが信頼し、ケオストスが責任を負うに足るとした以上、相応の立場なのだろう。オルギオとは違い、老いからくる白いものが交じった赤い髪を揺らし、首を差し出す。


「ありがとうございます、陛下。この者達が動いた理由もまた、この国を愛していた為。国難に立ち向かった彼らの矜持を、どうか損なわれませんよう」

「帝国と結ぶ事が、それ程許せぬか」


 ケオストスが言葉を絞り出す。

 王の立場で考えるならば、帝国と戦う事に益はない。

 レフはその最大の理由をグロウィリア公国に求めたが、彼らはそうではない筈なのだ。ケオストスにとっては理解出来なかっただろう。


「陛下。我々は元々帝国との国境に駐留しておりました」

「分かっている。最前線を常に死守し、帝国の圧力を防ぎ続けたその奮戦を知らぬ者はおるまい」

「は。我々は開戦まで、帝国の無体に耐えて耐えて、耐え続けてまいりました」


 男の瞳に、憎悪が灯る。

 気付けば、後ろの者達にも、また。

 当時を思い出したのだろう、歯を軋らせて続ける。


「駐留していた砦の周辺を荒らされたのも一度や二度ではありません。焼かれた村も女子供を連れ去られた街もございました。我々が見つける事が出来たものはその一部に過ぎず、多くの民に怨嗟と絶望を与えたのが奴らでございます」

「だが、続けば」

「分かっております! 我々とて、エネスレイク王国のご尽力も、このまま戦えばいつか敗れ、より多くの民が悲しむ事も」

「ならば、何故だ! そなたらも一度は受け入れたではないか!」


 ケオストスが声を荒げる。拙い兆候だが、オルギオは言葉を挟む訳にはいかなかった。

 今彼がいるのは、エネスレイクの将として顛末を見守る事だ。

 それに、事は民の想いに関わる事だ。余所者が口出しをしていいものではない。


「陛下。我らが従うのは王命でございます。我々とて先王陛下が民の苦悶とエネスレイク王国のご尽力を受けて下された決断に従いました」

「父は判断を誤った」

「陛下。そうではない、そうではないのです。王機兵の助力を得て、帝国を押し返す。そこに先王陛下は賭け、我々はその選択に殉じる決意を固めたのです」


 明らかに、気圧されているのはケオストスだった。

 確かに彼はエネスレイクとグロウィリアが後見する国王である。だが、民の祝福を受け、父から冠を受けて即位した訳ではないのだ。

 その負い目を何より本人が感じているらしい。

 そして追い詰められたケオストスが吐き出した言葉は、オルギオにも分かるほど彼らの矜持を傷つけた。


「ならば……! ならば次は私の意志を受け入れろ! 帝国とは和平、和平だ! この国の存続の為には、それ以外に手段はないのだから!」

「……それが陛下のご意志であるならば」


 と、男が縛られたままの手を、自らの口許に当てた。

 拙い。オルギオがそう思った時には、既に彼は行動を終えていた。


「なっ……!」


 自らを撃ち抜いた男が、平伏するように倒れ伏す。

 ケオストスが絶句している所に、後ろの者達が頭を下げる。


「陛下。我々はそのご意志に従えません」


 口を開いたのは、まだ若い男だった。赤い髪と顔立ちが自裁した彼によく似ている。息子だろうか。


「そなたまで何を……ッ!」

「陛下が帝国と結んだとしても、帝国は諦めないでしょう。少し時を置けば、再び同じような手を使ってくる事は想像に難くない」

「……それは!」

「ならばこの和平は、時間稼ぎに過ぎません。結果、天険にも王機兵にも護られていないこの国は再び帝国に蹂躙されましょう。時間をかけ、今度こそトラヴィートを滅ぼせるだけの戦力を得た帝国に」


 トラヴィートの戦力は決して少なくはない。しかし、製造ラインは当然ながら帝国と比べれば非常に貧弱なものだ。

 時間をかけたとしても、再び戦争になれば今度こそ勝ち目はない。


「今しかないのです。エネスレイクの王機兵が修理中ならば、その終わりを待ってでも!」

「あれは我が国の所有物ではないのだぞ!」

「……陛下がエネスレイクとグロウィリアの傀儡になってさえいなければ!」


 売り言葉に買い言葉ではないが、その言葉は今度こそケオストスの逆鱗に触れた。


「何を言うかぁっ!」

「ケオストス様! お止めください!」


 杖を振り上げたケオストスを制止するのは、彼の側近だった。

 激情に任せて男を手討ちにすれば、自裁した男の名誉とそれを許したケオストス自身の言葉を貶める事になるからだ。

 だが、オルギオの見解は違った。

 ここまで言ってきた以上、ここに座らされている者は全て処刑すべきだ。

 さもなくば――


「もう良い! こやつらを解き放て!」

「は……?」


 思わず言葉が漏れる。

 ケオストスは剣呑な目でこちらを見てきた。これ以上の反論は許さぬとばかりに、言葉を叩きつける。


「良いか、そなた達から機兵を、領地を没収する。この国に住まう事は止めぬ、しかし二度と王国の臣として扱いはせぬから、そのつもりでいろ!」


 命令は簡潔だった。縄を解き、放逐せよと。 

 それは、彼に付き従う者達にとっても納得出来る回答であったようだ。速やかに縄を外しにかかり、程なく全員の縛めは解かれた。

 オルギオは警戒を一段階上げた。あまりにも無造作に過ぎたからだ。


「それでは、失礼致します陛下」


 堂々と、彼らは立ち上がった。

 その姿は誇りに満ちており、決して志破れた者の態度ではない。


「何処へなりとも失せろ! 二度と私の前に姿を見せるなッ!」


 頭を下げる男達に、ケオストスは目を向けもしない。

 オルギオは、自分もだがディナスもエイジもまた彼を見誤っていただろう事を悟った。

 王位を継いだばかりである事を差し引いたとしても、怒りを覚えた時の対応が拙すぎる。方向性は違うが、そういうところはレフとそっくりだ。


「……それでは、ケオストス様。我々は彼らを」


 騎士達が彼らを追い立てる為に出て行った事で、室内にはケオストスとオルギオ、そして物言わぬ男が一人しかいない。

 オルギオもまた背を向けたが、ケオストスの独白に足を止めた。


「何故だ、何故……」

「陛下。何故彼らを処断しなかったのですか」

「……あれは、私の乳兄弟なのです」


 あれとは、赤い髪の男の事だろう。

 その感傷を理解出来ないオルギオではなかったが、ケオストスのそれはやはり許されない事だ。


「彼らは帝国よりも厄介な内憂になりそうですな」

「……そのようなこと」


 その言葉に続くのは肯定だったのか、否定だったのか。

 オルギオはその先を聞かぬまま、部屋を出た。すぐにも王都に戻りたいところだが、スーデリオンの事もある。

 遠からず起きるであろうトラヴィートの内紛と、苦い顔を見せるであろう主君の事を思いながら。






 レオス帝国とトラヴィート王国の和平条件は滞りなく消化された。

 しかしこれより二ヶ月後、トラヴィート王国内がケオストス王派と、王の腹違いの弟であるレイアルフ王子派との間で派閥争いが起きる事となる。

 レフ王の遺志を継ぎ、周辺国の傀儡となった――と主張して――兄王の排除を求めるレイアルフ王子派は瞬く間に勢力を拡大。

 グロウィリアやエネスレイクの調停工作も効果はなく。

 城内の権力争いが王国全土を巻き込んだ武力衝突に発達するまで、そう長い時間はかからなかった。

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