第十一話 異形の襲撃

「……ん?」


 最初にそれに気がついたのは、どうやら忠継だけだったらしい。

 レキハを出てから既に六日目に入り、太陽も真上あたりまで登って、あと数刻もすれば目的の街であるカムメルにつけるだろうという時分である。

 いい加減話すこともなくなってきて、代わりとばかりに忠継が何気なく放った質問に、いやになるほどの答えが返ってきていたときその感覚は襲ってきた。

 この国に来てから人のいる場所ならひっきりなしに感じてきた、しかしそれまで感じてきていたのとは少し違う魔力の気配である。


「つまりね。この【街路灯≪シティライト≫】の魔石を量産できれば近い将来、街が夜になると勝手に明るくなって道を照らすように……、って聞いてるかい忠継?」


「む、いや、すまん。途中から聞き流していた。おかしな妖気を感じたものでな」


 本当は初めからほとんど聞き流していたのだが、流石の忠継もそのことは口にしない。昨晩宿で見かけた魔石という、魔方陣を使った魔術をそのまま小さな石に閉じ込めた代物について軽く聞いた途端にこれである。聞いた手前最初の方は半分くらい聞いていたのだが、話が途中から魔石という代物の有用性や、それが持つ新たな可能性などに移り変わった時点でもはや聞くだけの意思を持てなくなっていた。


「またタダツグさんは妖気なんて呼んでるんですか? 魔力感覚ですって言ってるのに」


「そう言うお前たちもいくらいっても刀のことをカタナなどと呼んでいるじゃないか」


「え? カタナをカタナと呼ぶのは間違っていないでしょう?」


「違う。カ|タ≪・≫ナではなく|カ≪・≫タナだ。お前たちの言い方には妙な訛りがある」


「細かすぎますよ……」


 ため息をつくようにそう言い、エミリアはつづけてぶつぶつと忠継に対して文句を言い始める。だが、その文句は意外にもエミリアの隣に座るエルヴィスの言葉によって中断された。


「まあいいじゃないかエミリア。それよりさっきの話だけど、こんなところで魔力を感じたのかい? 外の騎士たちが魔術を使った形跡はないみたいだけど……」


「そこまで近い距離ではなかったな。確かにこんなところに人が住んでいるとは思えんが……」


 現在忠継達が進んでいる街道は、右手は斜面の下に大きな森、左手に見渡す限りの平原を望む人里からは離れた場所だ。妖気を感じたのは森の中で見た限りでは人が頻繁にはいるような場所には見えず、妖気というこの国の人間が魔術を使ったときの気配を感じるのは不自然な場所である。

 しかし現実には、


「確かに……。言われてみれば何か感じますね。でもこの感覚……。何でしょう? 感じたことのない属性です」


「ふむ。何だ? そして誰だ? わが領内でこんな面白そうなことをしているのは?」


 そう呟くと、エルヴィスはすぐに馬車から顔を出して、近くにいた騎士になにやら命令する。その表情はすでに、いつも忠継に祖国の話をせがむ時の子供のような好奇心に染まっていた。見れば隣のエミリアも似たような表情を浮かべている。

 忠継が二人の表情に言わなければ良かったとばかりに辟易していると、先ほどの命令に従ったのかクロフォード家の一団が進行を止める。それに合わせて忠継達の乗る馬車が停止すると、その扉から先を争うように兄妹が飛び出した。

 呆れながら忠継も馬車を降りると、騎士団長のダスティンが森に突撃しようとする二人を取り押さえている。


「放したまえ騎士ダスティン!! やはりこんな魔力は覚えがない。私はこの土地の領主としてすぐにでもこの不可解な魔力の正体を探らねばならんのだ!!」


「そうですよダスティンさん!! 私達は領民を守る貴族として、また一人の学者として、領民にどんな影響を及ぼすか分からないこの魔力を放置できません。さあ、すぐにその手を放して私たちに調べさせなさい!!」


「わざわざあなた方がいかなくても一緒に騎士も研究者もいるんだからそちらに任せてください。それにあの森には熊が生息しています。迂闊に踏み込んで遭遇でもしたら……」


 二人を取り押さえていたダスティンの声が、しかし途中でしぼんでいく。その理由は森の方を注視していた人間にはすぐにわかった。話に出ていた熊が、今まさに森から現われていたのだ。

 だが、


「……あれは本当に熊なのか?」


 忠継がそう口にしたのも無理はない。現れた熊らしき獣は、しかし忠継が抱く熊の姿とは微妙に違っていた。体の前半分は熊のそれなのだが、後ろ足が巨大で、その形はどことなく兎のように見える。毛の色も前半分が黒いのに対し、後ろ半分は茶色っぽく、こちらもウサギを連想させる毛色だった。

 だが、森を背後にこちらを見つめるその獣の姿に、忠継はどこか違和感を覚える。


「なんだあれは……? もしかして新種!?」


「ホントですか兄様!? 捕まえましょう。今すぐに!!」


「危険だって言ってんでしょうが!! 相手は熊です。襲ってくるようなら仕留めなければいけません。いいから馬車に戻って――」


「待て、お前たち!!」


 呑気な言い争いを続ける三人に、忠継は鋭い声を上げる。理由はあまりにも単純で明白だ。


「……なんだ? あの獣、こちらに向かって来ているのか……?」


「……ダスティン。生け捕りは無しだ。すぐにあいつを仕留めろ」


「は?」


 突然前言を翻したエルヴィスに、ダスティンは少々驚いたような声を上げる。だがそれに対してエミリアはなにも言わない。ただ顔色を変えて立ち尽くし、目を見開きながら唇を震わせるだけだ。


「いや、もう間に合わん!! 退避だ!! 急げ!!」


 続けて放たれた鋭い指示に、ようやく忠継とダスティンもその事実に気付いて動きだす。

 忠継はそばにいたエミリアを、エルヴィスとダスティンは近くにいた兵士三人を、それぞれ巻き込む形で飛びのいた。

 そのとたん、それまで忠継達がいた場所の背後で、ここまで乗って来た馬車が砕ける音と、悲鳴のような馬の嘶きが聞こえてくる。


「なっ……!?」


 飛んでくる馬車の破片を腕で弾き飛ばしながら、振り返った忠継は目の前に広がる光景に絶句する。さっきまで乗っていたはずの豪奢な馬車は滅茶苦茶に押しつぶされ、その上では巨大な熊紛いの化け物が、馬車を牽いていた馬の一頭を口に咥えて存在していた。

 咥えられた馬はすでにその動きを止め、熊の口との隙間からおびただしい量の血が滴り落ちている。


(なんだこの大きさは……!!)


 これまでは対比できるものが近くになかったためよくわからなかったが、この熊紛いの獣は恐ろしく大きい。くわえられた馬はその胴体の三分の一をその口に収められているし、今まで乗っていた馬車と比べても獣の方に軍配が上がる大きさだ。いや、そもそもこの相手は本当に獣なのか。よく見れば体から妖気を放つ黒い煙のような魔力が漏れ出しているし、首の周りに大小何本かの兎の耳のようなものが生えている。どこまでも歪なその体は、忠継に生物的な嫌悪感を抱かせるのに十分なものだった。

 忠継や周囲の騎士たちが固唾を飲んで見守るなか、獣は馬をくわえたまま頭を持ち上げると、その顎に力を込めて馬の体を三分割に噛み砕いた。

 馬の後ろ足や尻の部分と、前足から頭にかけての部分が地に投げ出され、獣は食らった馬の胴体部をグチャグチャと咀嚼し始める。


「ば、化け物め……!!」


 忠継がそう呟いた瞬間、まるでその呟きにこたえるように獣の目が忠継に向く。どうやら馬の胴体は飲み込んだらしく、その瞳は次の獲物を貪欲に探し求めていた。


「っ!!」


 それが意味することを悟って、忠継は慌てて刀に手をかける。指ではじいて鯉口を斬り、そのまま右手で抜刀しようとしたその動作は、しかし状況としてはあまりにも出遅れたものだった。


『――――――!!』


「ぐぁっ!?」


「きゃぁっ!!」


 抜刀しようとした忠継に、それより一足早く音の暴力が襲いかかる。背後にうずくまるエミリアが悲鳴を上げたようだが、気配でそれが伝わってくるだけでまるで聞こえない。それどころか忠継には、耳を貫くこの痛みが、その実獣の咆哮によるものであることすらすぐには分からなかった。声というには余りに大音量で放たれたそれは、すでにどんな声だったかも識別できないほどの衝撃を鼓膜に与えているのだ。


(……ぐ、あ……!!)


 全身に襲いかかる咆哮に、忠継の体は総毛立ち、全身の筋肉が強張って硬直する。刀に伸ばそうとしていた右手にいたってはすでに震え始めており、まともに機能していない。


(ひるま、された……!!)


 自身がこの化け物に抱いてしまった感情に、忠継はさらなる衝撃を受ける。武士である自分が決して抱いてはいけない感情。それを抱いてしまったという事実が、忠継の体にさらなる呪縛として襲いかかって来た。

 そしてそんな状態では、迫る化け物の顎からは逃れられるはずもない。


(しまっ――!!)


 慌てて忠継が我に帰ったそのとき、しかし同時に体に誰かがしがみつく感覚を覚える。

 忠継がその感覚が背後からのものであることを認識しかけたそのとき、妖気の感覚と共にしがみつく人間のからだが恐ろしい勢いで斜面の下めがけて投げ出された。

 おかげで忠継は間一髪で化け物の襲撃から逃れ、しかし勢いあまって斜面を背後の人間共々転げ落ちることになる。


(エミリアか……!?)


 自分を抱きしめたまま共に斜面を転がり落ちる人間が誰かをようやく察して、忠継は何が起こったのかをようやく理解する。恐らく魔術の反動を使って二人分の体を飛び退かせたのだろう。こちらに来てから見せられた、エミリアとエルヴィスが共同で開発したという魔術の中に、確か【空圧砲(エア・バスター)】なる名前の魔術があったはずだ。反動の大きさで改良の余地があると話していたが、今回はその反動を逆に利用したらしい。

 そう考えていると、いきなり柔らかい衝撃と共に、転げ落ちていた二人の体が停止する。見れば、背後のエミリアが再び魔方陣を展開し、斜面の途中にあった岩との間に妖気の塊を作っていた。忠継にはこれも覚えのある魔術だ。確か【衝撃緩和風船≪エアバック≫】などという名前で、エミリアが高所からの脱走に何度か使っていた。

 だがいくら衝撃を緩和できる魔術を使っていたとしても、あの勢いと忠継の体重を女一人の身で受け止めたのではただでは済まない。


「おいっ! おい、エミリア!!」


 慌ててエミリアの上から起き上がり、ぐったりする彼女を抱き起こす。そこまで来て忠継は、ようやくこの髪や目の色が違う異人が、自分の知る人の娘と同じ『か弱い生き物』なのだと理解できた。


「……うっ」


「エミリア!! 無事か!! 俺がわかるか!!」


 必死に叫ぶ忠継の呼びかけにこたえるように、虚ろで、焦点の定まらなかったエミリアの目に徐々に力が戻ってくる。

 だが忠継がそれを理解できたのと同時に、背後で再び化け物が咆哮をあげた。

 振りむけば先ほど逃れたばかりの化け物が、再びこちらに襲いかからんと後ろ足に力をためている。


「……このっ!!」


 襲いかかろうとする化け物に対して、忠継が今度こそ怒りに任せて刀に手を伸ばす。だが、


「伏せて!! タダツグさん!!」


「なっ!?」


 再びエミリアに背後からしがみ付かれ、不意を突かれた忠継はそのまま崩れるように転倒する。

化け物を前にして生まれてしまった致命的な隙。

 しかしそれに対する焦りは、直後に化け物の放つ妖気が忠継達の上を通り過ぎて、斜面の下へと向かって行ったことで霧散した。

 先ほど忠継達が斜面を転がり落ちた時とは比べ物にならない音を立て、化け物の体が斜面下の森へと転がっていく。


「なん、だ……?」


 逃げ去ろうと飛び越したのではない。明らかに勢いあまって転げ落ちたような化け物の様子を、忠継は唖然として目に映す。するとその疑問に答えるように、弱々しくもはっきりとしたエミリアの声が耳に届いてきた。


「ウサギを追うときは坂の下からではなく、上から狙え。ウサギ狩りの常識です」


「なに?」


「ウサギの体というのはその後ろ足の構造上、斜面を登るのには適していますけど、下りるのには向いていないんです。ウサギは重心が前かがみですし、下り坂をあの後ろ足で力いっぱい走ったら、勢いが強くなりすぎますから……」


「……!!」


 言われて、ようやく忠継はあの化け物の後ろ足が、ウサギのそれであることを思い出した。忠継自身は熊のような前半分に気を取られて意識していなかったことを、この異人の娘はしっかり逆手に取って来たのだ。恐らくは、忠継と共に飛び退く際、斜面を転がり落ちる決断をするその時点で。

 忠継がそのことに戦慄していると、坂の上からエルヴィスが騎士たちを連れてこちらに向けて駆け降りてくる。


「無事か!? 二人とも!!」


「あ、ああ。エルヴィスか。俺は無事だ。それよりも――」


「私も大丈夫です!! 兄様!! それよりあの生き物を!!」


「わかっている!! 総員、【火炎榴弾≪ブレイズカノン≫】展開!! 奴が起き上がる前に焼き払え!!」


 エルヴィスの叫びに応え、周囲にいた騎士たちがいっせいに魔方陣を展開する。狙いは眼下で黒煙をあげ、身を起こそうとしている熊に似た化け物。それに向けてエルヴィスは腰に下げていた剣を引き抜くと、声と共に勢いよく化け物めがけて振り下ろした。


「撃てぇぇぇぇ!!」


 瞬間、轟音と共に周囲から橙色の砲弾が打ち放たれ、斜面の下の化け物を周囲の地面ごと焼き払った。

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