第九話 出立

 思えば数日前から予兆はあったように思う。

 例えば、普段から祖国の話をやたらと聞きたがるエルヴィスの忠継への接触回数が劇的に減り、代わりに来るたびに「気晴らし」という言葉を使うようになったこと。

 例えば、騎士たちの鍛錬場に顔を出し、そこでたまに話をするようになった騎士のひとりが、最近はなにやら別の仕事に追われているのを見たときなどもそうだ。

 今思えば、ここまで変化があった時点で何かが起きていたことに気付きそうなものだが、生憎というべきか忠継はそもそもこの屋敷の人間の変化に気付けるほど精神的に余裕がなかった。

 突如としてこの国に連れてこられてから、まだ一月もたっていない。当初ほどではなかったが、やはりこの国の習慣や風習は奇怪なものばかりで、忠継には毎日最低でも一つは新たな発見という名の驚異的な事実が襲って来ている。

 加えて、元から強かった祖国への望郷の念が最近になってますます強くなっているのも大きい。

 食べ慣れない食事を食べながら祖国の味を思い出し、使いなれない道具に触れながら祖国の道具を思い出す。帰りたいのに帰れない。事あるごとに、どころか普通に歩き、呼吸しているだけでも襲ってくるそんな感覚に悩まされ、忠継には他のことを気にする余裕などまるでなかったのだ。

 そんな中で発覚した、今回の騒ぎである。


「自分の領地に戻る?」


「はい。正確にはクロフォード家の当主は兄様なので兄様の領地ということになるのですが。要するに故郷に帰るんです。あ、アイラさん。その瓶の中身気をつけてください。気絶するほど臭いですよ」


「へぇっ!? あ、はいぃっ!!」


 周囲で忙しくエミリアの私物と見られるものをまとめている侍女たちを見ながら、忠継はようやくここ最近の屋敷内の変化に得心がいく。忠継としては、この時期になると毎年行われている掃除の類なのかと思って勝手に納得していたのだが、この慌ただしさはどちらかというと引越しの類だったらしい。


「それにしても、どうして突然帰ることになどなったのだ?」


「えっと、もともと私達はあと一月もしないうちに帰る予定だったんですよ。こちらへの滞在はいろいろと事情が重なって行われていましたから。ここはもともと別邸ですしね」


「そう言えばそんな話を聞いたことがあったような気がするな。だが、ならばなぜ帰るのが早まったんだ?」


「何でも兄様が皇帝陛下から勅命で調査を依頼されたとかで。ああっ、アイラさん!! その薬空気にさらさないで。変色して使いものにならなくなってしまいます!!」


「いぇえっ!?」


 忠継と話を続けながら、エミリアはそう言って見事に荷物をまとめる侍女たちに指示を下していく。時折悲鳴を上げるはめになる侍女がいるようだが、それ以外は特に問題なく作業は進んでおり、侍女たちは見事な速度で部屋の中のものをまとめ上げていた。


「それで? 調査とは一体何なのだ」


「さあ。私も詳しくは聞いていないんですけど、たぶんゼインクル直轄領の戦後処理の経過についてではないかと」


「ゼイ……、なんだと?」


 この国に来てから何度目になるかもわからない、一度で覚えることが困難な名前に、忠継は思わずそう聞き返す。正直に言ってこういった意味もわからない妙な名前は忠継の記憶にほとんど残っていない。かろうじて残っているのは、エミリア、エルヴィスの兄妹と、先日会ったオーランドを始めとする幾人かの騎士の名前だけだ。それ以外では他の人間が呼んでいる呼び方では覚えているが、正式な名前を聞かれると答えられない者がほとんどだったりする。


「ゼインクル直轄領。うちのクロフォード家の領地であるアスカランダ領の北に隣接している王家の直轄領ですね。実はこの土地は冬ごろまで北のパスラという隣国に侵攻を受けていた土地でして」


「侵攻、ということは戦か?」


「はい。幸いうまく撃退することはできたんですけど、そのときの爪後がまだ色濃く残っていまして、今回の調査はその関係なのではないかと思いますね」


 エミリアの話に、忠継はこの国にも戦はあるのかと他人事のように思いながら、一方で不謹慎と知りつつもどこかそれをうらやましく思ってしまう。

 忠継の祖国は天下泰平の世が続き、戦はひさしく起こっていなかった。それは本来なら良いことなのだろうが、それでも武士が己の力をふるう場所がなかったというのは、武士である忠継にはどうしても喜べない事象だ。いっそ戦があれば自分にもまた別の道もあったのではないかと、どうしても思ってしまうのだ。


「ところで、どうしてそのゼイなんとかという土地の調査にエルヴィスが駆り出されるのだ? その土地は王家とやらの土地なのだろう? 隣接している土地の領主とはいえ、別の土地の人間が口出しすることではないと思うが」


「たぶん兄様がこの国でも特別有名な博物学者だからではないでしょうか。なにしろあちこちでいろいろな研究結果を発表してますからね。自然科学にも明るいですし、それで意見を求められたのかと」


「学者に意見を、ねぇ……。そう言えばお前はそう言うのは無いのか?」


「そう言うの、といいますと?」


「俺にはお前もエルヴィスも、やっていることは大差ないように思えるのだが?」


 実際、エルヴィスが忠継の話を聞くときもエミリアと一緒に押し掛けてくることが多い。それどころかエルヴィスとは別に彼女自身が何やら調べていることもある、今目の前で侍女たちが片付けている品々も、すべて彼女の品なのだ。


「まあ、私の場合自分の名前で出している結果ってほとんどないですしねぇ。医術を齧ってはいますから屋敷の方々の診察などはしますけど」


「そう言えばお前は女の身で医者だったのだな」


 自分の中で驚くべきことに驚かなくなっていることを自覚しながら、忠継はようやく目の前の異人が一応女なのだということを思い出した。考えてみれば女の身でここまで学問に通じていれば、それはすでに脅威的な事柄なのかも知れない。


(聞けば俺と同い年だとも聞いたが……。そう言えば花嫁修業などしていないのだろうか?)


 忠継がそうして、異国における女のあり方について考えていると、不意に全く違う考えが頭の中に浮かんできた。

 自分と同じく優秀な兄を持つこの女、はたして彼女は、自身の境遇をどう思っているのか、と。


「ああっ!! ダメ!! アイラさん、それ爆発します!!」


「ヒィィィィィィイイ!!」


 思ったことを直接聞こうとしたその言葉は、しかし直後に響いた焦ったような声と、恐怖に耐えかねた侍女の泣き声によってかき消される。

 流石の忠継もこの哀れな侍女を黙らせるようなまねはできず、結局その話を聞く機会は完全に失われてしまった。





 忠継達が首都レキハを出発したのはそれから三日後のことだった。

 行先はクロフォード家の所領であるアスカランダ領、その中でもゼインクル直轄領との境に当たるカムメルという都市だ。向こうまでの道程は六日の予定である。

 屋敷の者達が忙しく準備をするのを目にし、ときには見かねてそれを手伝っていた忠継だったが、肝心の忠継自身の準備はほとんど時間がかからなかった。もともと忠継は旅の途中でいつの間にかこの国に来てしまったという事情があるため、荷物自体ほとんどないのだが、それ以上にこの世界で使えるものがほとんどないため、自身の持ち物を纏めたまましまいこんでいたというのが大きい。

 それでもこの世界に来てからこの国では目立つからと渡された服や、作った木刀、それを作るに当たってもらった小刀など、新たに手に入れたものもないわけではなかったのだが、それらを加えても、祖国から持ってきた品にそれらの品を加え、自分はこの国の装いを纏って腰に刀を差せばそれで準備など済んでしまうのだ。


(俺もこの国の服を纏うのに慣れてきたな……)


 初めの頃は成れない着心地を気持ち悪く感じたものだが、今ではその感覚にも慣れ、まるで違和感を感じない。履いている『靴』も最初は窮屈で仕方無かったが今はとりあえず気にしないでいられるようになった。


(異人の国で異人たちのものを身につけることになれると言うのははたして良いことなのだろうか……)


 出発の準備が最終段階を迎えた屋敷内を歩きながら、忠継はそんなことを考える。祖国において蘭学はあまり感心される学問ではない。忠継自身は兄の影響で多少なりとも蘭学に対して耐性と言えるものがあるが、者によっては蘭学を学んでいるなどといっただけで白い目で見る者もいるほどだ。実際、忠継の父も兄があのような状態でなければ蘭学に手を出すことなど許さなかっただろう。


(もし兄上なら、このような状況に置かれた時どういうことを考えるのだろう……)


 思考がそんな段階にまで至ると同時に、忠継は屋敷から外に出る。そこには最初にこの国で目覚めたときに見た広大な庭園が広がっており、そこに多くの騎士や使用人と、馬が引く籠のような乗り物で、馬車というものが何台も並んでいる。馬車は他に比べれば最初に見たときの驚きは少なかった代物だが、それでもこうして何台も並んでいるのを見るとそれなりに思うところがある。


「む? タダツグか? そちらは準備できたのか?」


「ダスティンか……」


 横合いからかけられた声に反応し、忠継が視線を馬車からその人物に移すと、そこにはこの国で最初に出会った大男が立っていた。

 最初の出会いが最悪で、出会った瞬間に相手を投げ飛ばしたり妖術をぶつけられたりした相手ではあったが、昨今の忠継とダスティンの仲はそこまで険悪なものではない。完全に打ち解けたかと言われればそうでもないし、歳も大きく離れているので仲がいいとは言えないものの、同じように特定の相手に振り回されていることから奇妙な親近感を感じていると言うのが現状だ。

 あるいは同情しているのかもしれない。

 今のダスティンはそんな顔をしている。


「なんだ、その顔は?」


「……いや、なんでもない。ところで道中でのお前の位置なのだがな……」


「ああ、俺はどこにいればいいんだ? 馬車とやらはかなり便利なもののようだが、流石に全員は乗れまい。これだけの人数がいれば俺は歩きだろう?」


 忠継は先日いきなりアスカランダ領に行くと知らされた身で、まだどのようにそれに同行するのか聞けていない。ひょっとすると別行動するのかとも考えていたところをエミリアに否定されたくらいで、どのような形で同行するのかは当日に知らされることになっていた。

 正直に言えばこの国における大名行列のようなものに自分のようなよそ者が混じることなどあっていいのかとも思ったが、共に行かねばならない以上どこかに混じるしかないだろう。

 と、その時まで忠継はそんな甘い考えを抱いていたのだが、


「そのことだがな。お前はエルヴィス様やエミリア様と共にあの馬車の中だ」


「……なに?」


「エルヴィス様の直々の指示でな。道中の暇つぶしにお前の国の話を聞きたいそうだ」


「……」


 この国では曲がりなりにもかなり高い地位にいるらしいエルヴィス、エミリアの兄妹だが、どうも二人はあまり自分の地位やしきたりといった物に頓着しない節がある。忠継とて相手が高位の人物であると知っても、『異人に屈する訳にはいかない』と態度を変えていないので人のことを言えないかもしれないが、それでもただの武士を大名と一緒にするなど考えられない。

 そして考えられないと言うのなら、あの二人と狭い馬車の中で六日も過ごさなければならないと言うことも同様だ。


「まあ、お前はクロフォード家の温情で食わせてもらっている身だ。せいぜい六日間頑張ることだな」


 そう言いつつも同情的な目線を向け、ダスティンは去っていく。

 その日ごろの苦労が見え隠れする背中を見ながら、忠継は漠然と『干からびるかもしれない』と思った。

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