エピローグ

 自室のベッドの上で成基は目を覚ました。起きた時刻は普段の日と変わらないがまだ身体のだるさが抜けきっていない。

 今日はいつも通り学校だ。今日が休みかというぐらい疲労があるが、ゆっくりしているわけにもいかないため支度を始めた。

 昨夜、一年にも渡る第二次大戦は一時間超えの激闘の末に、新米戦士、成基の希望の《一撃《レゾリューション・ブロウ》》により幕を閉じた。

 当の成基は明香を倒したのを見届けると、急に力が抜けてその場に崩れ落ちた。

 意識が朦朧とする中、意識を保とうと必死に堪えているとすぐに仲間達が駆けつけた。

 今にも気を失いそうな成基をみて心配そうにするみんなの顔を、成基は鮮明に覚えている。動いていることを見て、安堵した仲間達は成基を祝福しはじめ、たちまちどんちゃん騒ぎとなった。

 そこからの記憶はない。気がつけばこうしてベッドに倒れ、寝ようとしていた。自力で帰ったのか、誰かに支えられながら帰ったのか分からない。これまでに感じたことのない疲労に、考える気力もなく眠りに落ちた。


 電車に乗っている間、成基は憂鬱な気分でいた。昨夜あれだけ命をかけた戦いをしたというのに、誰もが、何も知らずいつも通りに過ごしている。そして何よりも千花はもうこの世にはいない。明香を倒した時から千花の存在を感じられなくなってしまった。

 心の、千花が占めていた部分はぽっかりと穴が空き、虚無感が成基を襲う。

「……き。……成基」

 突然かけられた声に成基ははっとして我に返った。

「美紗か……」

「どうしたの? さっきからぼーっとして」

 気づかないうちに、美紗達の乗る駅に着いていたらしい。不思議そうに見つめる美紗の姿があった。だが、普段一緒にいるはずの翔治の姿が見当たらない。

「何でもない。それより翔治は?」

「翔治なら今日日直」

「そっか。あいつ、そういうとこしっかりしてるんだな」

 これまでは第二次大戦中だったため、翔治に対するイメージがあまりよくなかった。だが大戦が終わった今、危険は無くなったために翔治は誰とも自由に接せる。少しずつコミュニケーションをとろうとしているのかもしれない。

 成基はまだ眠気で目を細めながら大きなあくびをした。

「大丈夫?」

「まだちょっと疲れてるけど大丈夫だよ」

「そうじゃない。夢咲さんの方」

 そこで電車が駅に着き電車から降りる。

「千花は、俺が一番同じ時間を過ごしてきた幼馴染みなんだ。親と同じくらい。だからそんなすぐに立ち直れはしないさ」

 成基は立ち止まり、千花がいるはずの遥か上空を見上げた。空は昨日の戦いが本当になかったかのように青く澄み渡っている。

「でも千花は満足してると思うんだ。俺が明香を倒せたのも、《希望の一撃》を討てたのも千花が協力してくれたからなんだ」

 成基が止まったことに気付き美紗も立ち止まる。

「そんなことが……」

「だから、俺もどうこう言おうとは思わない。千花もそんなこと望まないだろうから」

 成基は再び歩き出した。残された美紗は数秒その場に立ち尽くしたがすぐに早足で成基に追いつく。

 しかし、追いつきてきた美紗は、美しい黒髪がしおれて見えるほど深刻な表情をしていた。

「ねぇ成基……」

 俯きながら、儚げに目を伏せる美紗に成基はつい見惚れしまった。だが、そんな様子ではないことを察して思考を切り替える。

「一度言ったけど、セルヴァーとして命を落とした人はセルヴァー以外の人に存在しなかったことになるの」

 美紗の言葉の続きを促すかのように、急に辺りが静まり返る。

 俯きながら歩く美紗が今だけは小さく見えた。実際、成基の方が十センチぐらい身長が高いのだから、それは本来当然のことなのだが、戦っている間の彼女は頼りがいがあって大きな存在だった。でもこうして大戦が終わってしまえばもう普通の中学生の女の子。どこか守ってあげたくなる美少女だ。

「学校に行っても夢咲さんは最初からいなかったことになってるのよ?」

「…………」

 成基はその問に答えることが出来なかった。

 完全に失念していた。出来ることならそのことは考えたくない。しかしそれはただの現実逃避にしかならない。それは分かっていても自分はどうしたらいいのかは分からなかった。

 それから二人は無言のまま歩き、学校に着いた。学校もいつもの日常と何も変わらず、明香によって壊された校舎の一部も修復されていた。

 校門を通り、靴を履き替えて教室へと向かう。その間、誰とも出会わなかった。

 教室に入ると、まず最初に千花の席を確認した。

「よかった……ちゃんと残ってる」

 安心したのも束の間、成基達のすぐ後から入ってきた福山美乃里が何の躊躇いもなく千花の席に座った。

「えっ、福山さん、そこは千花の席じゃあ……」

 生徒会長をこなす真面目な福山は、成基が何を言っているか分からない、といった様子で首を傾げる。

「小宮くんどうしたの? ここは元から私の席じゃない」

「だってそこは千花の席だろ」

「千花? さっきから誰のこと言ってるの? そんな人この学校にいないよ?」

「千花と福山さんは親友のはずじゃ……」

「小宮くんどうしちゃったの? もしかして寝ぼけてる?」

 それを聞いた瞬間、成基は頭が真っ白になり、双眸を大きく開いて右手に持っていた鞄を床に落とした。

 彼の後ろにいた美紗はこれ以上やり取りを見ていられずに顔を逸らす。だが成基はそれに気付かない。

 ――やっぱり、忘れられてるんだ。もう誰も千花を覚えてる人はいない。

 成基の瞳から熱いものが零れた。それは止めようとする意志に反してとことん溢れ出す。

 成基はもうそれ以上その場にいられなくなり、身を翻して教室を飛び出した。

「成基!」

 出ていく成基を止めようと美紗は右手を伸ばしたが、その白く細い右手は虚しく空を掴んだ。


 成基は幼馴染みの少女の家があった場所に来た。

 家の瓦礫は燃え尽き、代わりに今は亡き千花の墓標が立っている。ちゃんと名前も刻まれた本物だ。千花が完全に消える時になぜか入れ替わりで出来ていたらしい。昨夜の帰りには既にあったことは確認している。

 一歩前に進み墓標を見下ろす。

「ほんとに……いなくなっちゃったんだな」

 自分の声は思っていた以上に震えていた。情けないと思う反面、堪えるのが限界で泣き叫びたいと思ってしまう。

 その時後ろから砂を踏む誰かの足音が鼓膜に触れた。

「成基……」

 聞こえたのは凛と澄んだきれいな声で、ここ一ヶ月ぐらいで聞きなれたものだった。どういうわけか、その声を聞いた途端に気持ちが落ち着き、堪えていたものがどっと溢れ出す。

「美紗まで学校を抜け出してこなくてもよかったのに……」

 無理して作り笑いを浮かべながら言ったが、涙声は隠せなかった。泣いていることを悟られてしまっただろうか。

 美紗からの返事はない。

「何で、何で千花は誰からも忘れられて孤独に死んでいかなきゃいけないんだ。そんなの、可哀想すぎるだろ……!」

 両眼から滴る涙が地面に跡を残す。乾いてはまた濡らし、そしてまた乾いていく。

「やっぱりこんなの堪えられない。だって理不尽だろ。今まで千花生きてきた人生は無駄だったのか? そんなのって、そんなのってねぇよ」

「違う」

 強くきっぱり言い切った美紗の否定に、成基はこの場所に来て初めて振り返った。

 輝くような艶のある黒髪を持つ美少女は、涙を見せてはいないが、覚悟を決めたような威厳のある眼差しで、爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめている。

「夢咲さんの人生は無駄じゃない。無駄にはしない! 私達はちゃんと覚えているもの。周りの誰もが忘れても、私達さえ忘れなければ夢咲さんは孤独ではないわ」

 この時、千花の死を悔やんでいるのは成基だけではないことに気付いた。関わったのはないに等しいぐらいでも、本気で悲しんでいる。それを知って成基は涙を拭った。

「夢咲さんが一番時間を過ごしたあなたが覚えてる。それだけでも夢咲さんの存在意義はちゃんとあったはずよ」

 ようやく成基思い出した。

 成基は覚えている。誰よりも過ごした時間が長い彼にはたくさんの思い出が脳内に刻み込まれている。成基だけでない。ほとんど話すらしていないながら美紗の中にも一ヵ月半ぐらいの僅かな期間のことが残っている。

 少年は再び赤く腫れた目に光るものを拭った。

「俺はもう誰も失いたくない。だから美紗は俺が守る」

 成基は一度目を閉じて心を落ち着かせ、大きく息を吸い覚悟を決める。

「俺は、美紗のことが好きだ。だからこれらも一緒にいたい」

 漆黒の少女は少し顔を紅潮させ、待ってましたと言わんばかりに満足そうな表情を見せた。


 俺ただ一人でいい。

 例え世界中の誰もか忘れても、俺さえ忘れなければその人の存在や人生は認められる。

 だから俺はわすれない。過去の思い出や今起こっている現実を。それが、自分や、千花や、誰かのためになるのだから。



 二人の間に穏やかな風が吹き、美紗の美しく輝く髪を舞い上げた。

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迅雷のセルヴァー 木成 零 @kazu25

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