椎葉幻影

まいにくん

第1話

 濡れた土のにおいがする。

 地面に腹ばい、目には双眼鏡、口の中には甘ったるい飴玉が一つ、朝からもう何時間も林に隠れて目下の草原を監視していた。一応何かの繊維で編まれた敷物の上にいるが、微妙に狭くて体がはみ出している上に割と固い。

 これで体が痛くならない訳がない。

 「んんーーーーー!!」

 私は思い出したように伸びをし、全身をぽきぽきぽきぽき! と鳴らすと、酷使している眼をまぶたの上からぐりぐりと揉む。紐でポニーテールのようにまとめていた黒く肩甲骨まで伸びた黒髪をほどき、休憩とばかりにゴロンと仰向けに転がる。

 だるい、つらい、帰りたい。でもそろそろ獲物をしとめないと家で待つジイヤの視線が痛い。ため息をつきながら「ミタ クノン」と書かれた双眼鏡をかまえ、うつ伏せだと胸がつぶれて痛いので掘った「おっぱいソケット」にマイブーブスをセットし、草っぱらの監視に戻る。

 私の隠れているこの林は、切り立った崖の上にあり広い草原を一望できる。

 狙っている獲物はときたま草原などの開けた場所に現れる。普段は土の中にいるのだが、たまに光合成をしに地上にやってくるのだ。今日はよく晴れているので現れる可能性は高いが、昨日も一昨日も同じ条件で現れなかったのであまり期待してはいない。

 そのめったに出会えない獲物を求めて今日で五日目だ。何時間も同じ体勢で監視するというのは言うまでもなく骨が折れる。連日の張り込みで流石に集中力が切れかかっていたが、いや、もうとっくに底をついているだろうか。それでも、双眼鏡の視野に現れた小さな違和感は見逃さなかった。

 『違和感』を視野の中央に置き、拡大する。犬に似た鼻先が地面からニョキっと生え、ひくひく動いている。その鼻の主は恐る恐るといった感じで首まで陽のもとに出す。目が四つあり一角の犬の頭。私は風下に隠れているので匂いで気づかれることはないし、奴の目では遠く離れたこちらを見つけることはないだろうが、一瞬、双眼鏡越しに目が合ったような気がして冷や汗をかいた。すぐに犬は別のほうに顔を向ける。やはり目が合ったのは偶然だったようだ。

 土を掘ることなくそいつは地中から現れる。次元を一つ外して存在できる能力を持つ。簡単に言うと、この世界のほとんどの物体を透過して移動できる。

 そいつが私の狙っている獲物だった。大きく胸が高鳴る。やっとチャンスが訪れた。これを逃せば次はまた五日後かもしれない。確実に仕留めなくては。

 私は双眼鏡を放し、用意していた猟銃を構え、スコープを覗き込む。

 その太った黒い犬のようないきものはつがいで現れ、完全に地上に姿を現す。

 犬でいう尾のあるべき場所に、太く長く発達した五本目の脚もしくは腕がついていて、私の頭ほどの大きさの黄ばんだ「球」をがっちりとつかんでいる。透過能力を解いたようで、草の上に二匹仲良くコロンと寝転がり、緑色の腹を空に向けている。

 狙うのはあの黄ばんだ球だ。あれは重要な移動手段であり、透過能力の根源になっているらしい。しっかり神経も通っており、完全に体の一部だそうだ。あれを打ち抜けばヤツは行動不能に陥る。らしい。

 チャンスは一度、透過という半分チートのような能力を持つくせに警戒心が強いあのいきものは、危険を察知するとすぐ能力を発揮し地中に潜ってしまう。

 深呼吸しろ。焦るな、焦るな。しっかり狙って当てろ。「こちら」に来てから言葉と狩りを教えてくれたジジイの口癖が脳内でリフレインされる。猟銃から延びるチューブをくわえてゆっくり息を吹き込むと、銃身がずっしりと質量を増していく。よし、いつでも撃てる。

 スコープを覗き込み、狙いを右の一匹に決める。球に照準を合わせると鼓動が一段と激しくなった。

 ゆっくりと息を吐き、最後まで吐き切る前にトリガーを引く。引いた。当たったかどうか確認せずにすぐ立ち上がり猟銃を放り出し、背後の木にかけてあった縄梯子を登り始める。音をなるべく立てずに高い木の枝に登り切ると、首から下げていた双眼鏡で獲物を確認する。

 犬ころは口から泡を吹いて痙攣していた。つまりあの黄ばんだ球をあやまたず打ち抜けたということだ。私は心の中でガッツポーズをしつつ、ポケットから小指ほどの大きさの筒を取り出し、一方を口に加え思いっきり吹いた。

 音はならない。いや、音は鳴っているが私の可聴域でないだけだ。今の音を聞きつけた大きな体のアイツがバッサバッサと羽ばたいてやってくる。大きな鳩胸と腕の代わりに存在する立派な両翼。口にはくちばしのようなものがついているがあれはマスクだ。二メートル半ばはあろうかという高身長と、ところどころ生えている羽毛と、鳥のような鋭い爪をもった趾(あしゆび)。それ以外はおおむねヒトの姿をしている。

「お願い!ギリア」と声をかけると、ソイツは「あいよ」と答えてくれる。半鳥人である彼、ギリアは私のいる枝に危なげなくとまる。体の前面に取り付けられた、まるでブランコのような器具を下してくれた。これにつかまって彼に獲物のところまで運んでもらうのだ。

 気がかりなのはつがいの片割れだ。倒した獲物を守ろうと攻撃してくるのではと思ったが、今のところその気配はない。近づいても大丈夫だろう。木の枝をしならせながら私たちは飛翔した。

「おいクノン嬢!」

「なーに!」飛行中は風の音がうるさいので自然と声も大きくなる。大声を出すためパッカーンと開いた口からなめていた飴玉がこぼれ出て飛んで行った。

「結婚する相手のムスメはだれよ!?」顔は見えないが声がもうニヤニヤしていた。

「はあ!? ムスメ!? なに言ってんの!?」

「ブーグリを狩るということはそういうことだぜ!」

「あー?……いやいやいやちがうから……」

 そう話しているうちに相変わらず痙攣している獲物……ブーグリと呼ばれる黒くて太った犬みたいないきもののもとに降り立った。

 『ブーギ』で『試練』という意味。それに『~するもの』という意味の接尾語『ウリ』がついて『ブーグリ』。男性が女性にプロポーズするときに、一人前になった証としてブーグリの角で作った魔除けをプレゼントする村の風習があるとか……ジイヤが言っていたような気がする。

 犬(のようないきもの)は、近くで見るとやはりでかい。体積的に私の二、三倍はあるギリアよりも大きい。私は腰のホルダーから短銃を取り出すと、グリップの底をくわえ息を吹き込む。そして泡を吹いているブルグリの眉間にそれを突き立て、トリガーを引く。ビクンと大きくはねて動かなくなった。私はなむなむと手を合わせると(ギリアがまねして手羽先を合わせていた)、懐からナイフを取り出しすぐに血抜きにかかる。

「これは食べるためだよ。肉に用がある」

「ああ、ジイサマが言ってたな。なんでもあんたらの世界の動物の味に近いとか」

「そうそう。キレイ好きで、賢くて、かわいい。そして美味い。ブタっていうんだけどね」

 それを聞いたギリアは全く邪気のない笑みで、

「まるでクノン嬢みたいなヤツだな。お嬢もこれからはたまにブタって呼んでやろう」

「捻り潰すぞチキン」

 豹変した私に涙目になるギリア。去年成人した立派な大人がオドオドすんな。「こちら」に来てから肉付きがよくなったとかは今の対応に全く関係していない。こっちに体重計がなくてよかった。

 内臓をとるため、ぎこちなくブーグリをさばきながら、私はふとナイフのつかに書かれた「為造」と言う名前を見た。持ち物すべてに名前を書くのは村の風習の一つである。為造とは、私の言う「ジイヤ」の本名だ。沖永為造。私と同じく彼もまた「こちら」に飛ばされてきた一人なのだった。そして、このナイフはジイヤにもらったものだ。


 「こちら」に来た直後の記憶がよみがえる。

 私が目が覚めたのは深い「森」だった。どこぞの林なんかとは比べ物にならないくらい草木が生い茂っており、みな太陽の光をとらえようと葉を枝を伸ばすので、森の中は真っ暗といっても差し支えないほどの光量だった。

 透き通った幹の木、定期的に飛び上がるキノコのような何か。木の実は数珠のように垂れ不規則な順番に光り、小さな虫のようないきものはきれいな隊列を組んで行進する。体育で使うようなホイッスルの音が聞こえたと思ったら踏みしめた地面から鳴っていて、掘り返したら蛇のようなミミズのようないきものが勢いよく出てきて飛び上がるほど驚いた。森はそんな見たこともない、この世のものとも思えない不思議な動植物で満たされていた。

 その真っ暗な森の中で私はへとへとになっていた。どこかにたどり着けないかと必死に歩き回っていたが、歩けど歩けど景色は変わらず、特にスポーツもしていない当時十九歳の乙女の脚は限界を迎えていた。ついにふくらはぎがつってあまりの痛さに呼吸困難に陥ってしまう。運動不足過ぎる。

 そんな時に現れたのがジイヤだった。はじめ彼を見たとき、もっと若い男性でなくて残念だと思ったのをよく覚えている。まだちょっと余裕があったのだと思う。白馬に乗った王子様症候群は女性なら死ぬまで向き合っていかないといけない病なのだ。老人ははじめ、足がつり必死の形相で痛がる私によくわからない言語で話しかけてきたが、私の服装を見てすぐに何かを察し、

「さすかえねえか……大丈夫か」と。「ちょどしてろ、今助けてやっからな」となまりのある日本語に切り替えて話してきた。どこの方言かわからないが落ち着きのある日本語だ。それを聞いて私はとてもほっとした。ああここは日本だったんだと。変な植物を見た気がするが、私の知らないだけでそういうのがこの世にはあるんだと。

 老人の助けによってなんとか痛みは収まった。私はとりあえず感謝の言葉を述べると、

「どうやってここさ来たんだべか」と質問で返されてしまった。老人はまじめな顔をしてじっと目を見てくる。少し嫌な予感がする。

「あの……よく覚えてないんですが気付いたらこの森にいました……電車に乗ってたはずだったんですが」

 そう、私は大学から帰宅するところだったのだ。意識が途切れた瞬間を覚えていないので何とも言えない。本当に気付いたらここにいたとしか言いようがない。

「……んだか、そっか」

 どうやら伝わるように言い直してくれてるようだ。少し残念そうな様子だ。

「あの、ここは何県なんですか?」

「ここはな、地球でねえ」

 嫌な予感は的中した。


 それから脚が完全によくなるまで老人といろいろ話した。老人も農作業の途中、気付いたらここに来ていたらしい。ここがどのような世界か。魔法のようなものがあり、半分鳥の人間や半分馬の人間(けんたうるす、と説明してくれたがここでの呼び方はまた違うらしい)、つまり獣人・亜人のような人々がいる。一日は地球より長い、大体三十二時間(老人がここに来た直後に持っていた腕時計で測ったらしい)。近くの山間にポツンと小さな村があり、農業や狩りをしているとのこと。かなり遠いところにそこそこ栄えた都市があるらしい。文明のレベルはよくわからないが、猟をするための銃は比較的安価で手に入るから、結構進んでいるのだと思う。また、老人はあっちは大丈夫か、と訊いてきた。あっちとは地球のことだろう。私は簡単に大丈夫だと思う、とだけ答えた。老人はんだか、とだけ返して深くは聞いてこなかった。逆に老人に訊き返すと、息子や孫に会えないのは寂しいが、みなしっかり者なので大丈夫だろうと言った。ここで大丈夫かという問が友達の家にお泊りしたり、明日一限の授業は間に合うかと言うレベルの話ではないのだと悟った。そして地球に残した家族のことを語るジイヤの表情は今でも忘れられない。私はその表情から言葉以上のものを理解してしまったのだ。

 その後二時間の道のりを経て村へ到着した私は、ありがたいことに老人の家に居候させてもらうことになった。

 そう、もう帰ることはできない。少なくとも都市の偉い学者にもどうすることもできなかったというんだから現時点ではどうしようもない。

 私は三日三晩ホームシックにかかった後覚悟を決め、こちらの言葉を少しづつ学びはじめた。村の人とも交流を持とうと努力した。約五十人の村民のうち半数が亜人だった。鳥人の男の子ギリアと人間の女の子のミエタと仲良くなり、ほどなく私は「じいさまと同じところから来た人」というので認知されるようになった。老人に猟の仕方も教えてもらい、気付けば親しみを込めて「ジイヤ」と呼ぶようになっていた。向こうは向こうで「お嬢」と呼び、それが村での私のあだ名となった。

 それから約五年が過ぎた。と言ってもこの惑星(みなギリダと呼ぶ)の公転周期は三六五日より長く、大体四一一日だという。一日三十二時間というのも考慮して、地球換算で約五年である。


「ん……」

 見慣れた天井だ。大きく息を吸い込むとゴロンと寝返りを打つ。今日の獲物、ブーグリの生首と目が合った。

 ギリアに家まで運んでもらってから疲れて爆睡していたらしい。数回に分け獲物もいっしょにここに運んでもらったのだ。

 私とジイヤの家は主に透き通った木から作られた角材でできている。スケスケで外から丸見えかと言われるとたいてい表面がでこぼこしていたり、やすりで削ってすりガラスのようにしているのでそうでもない。

 ただ、外の明るさがそのまま室内に反映される。もうすっかり夜だった。室内のそこらに垂れ下がる乾燥させた数珠状の木の実がじんわりと光っている。水をかけると発光する性質なのであまり水に困ってないうちの村ではポピュラーな光源として使われていた。

 私はもう一度息を吸い込むとふっとおなかに力を入れ上半身だけ起こす。冷えていた体に熱が戻り始める。

「おお、お嬢起きたべ」ジイヤだった。

 ジイヤは今炊事場で何かをコトコト煮込んでいる。そういえば空きっ腹をくすぐるようないい匂いがする。

「お、早速作ってるの」

「んだ。かますのかわってけろ」かますとはかき回すという意味だ。私はジイヤから器具をバトンタッチする。

 豚肉に似た味のブーグリの肉、それで作られるこれは……豚汁だ。

「こんだけあれば村のみんなもくえるベ。ようやったなあお嬢」

 そう、この豚汁は数日後村の宴会で村民全員にふるまわれる。一年に一度持ち回りで宴会に出す食べ物を作ることになっている。今年、ジイヤと私のこの家が選ばれ、二人で話し合った結果豚汁(っぽいなにか)を作ろうという話になったのだ。そしてこれは試作品というわけだ。

「いや、ジイヤのミソがなかったら何ともならなかったよ」

「まあ、んだな」

 ここは当然地球ではない。ゴボウもダイズも何もかもがない。ではどうしたかというと、ブーグリのように代用品をかき集めたのだ。

 大根と人参はそれぞれ似た根菜があり、それぞれ芯まで青色という日本人としてはその色はどうなんだという感じではあったが味がとてもよく似ていたので採用することができた。ゴボウは紫に輝く葉をつける植物の、人の胴体ほどもある太さの主根がよく似た味、食感を持っている。残念なことにトリカブトのように猛毒を持っていたのだが、「ビーメ」と呼ばれるとても固い虫の幼虫が分泌する甘い液体に四、五日ほどつけておくことで無毒化することができた。こんにゃくは芋が手に入らないのだが、「ピサメラ」という飛び上がるキノコのようなものの表面がゼラチン状の物質で包まれており、それを煮て溶かし、さらに煮詰めることで冷ました時にこんにゃくくらいの硬さになることが分かった。汁の中に入れると残念ながらゆっくり溶けてきてしまうが。ネギは「ナギ」と呼ばれる似た野菜が……というより完全に私たちの知っているネギだった。なぜこの世界にネギがあるのか、それは多分昔に私たちのように地球からこちらに来た人がいて、たまたまネギの種を持っていたんだと思うことにした。あまり深く考えても仕方ない。

 肝心かなめのミソも、ジイヤが何年も前から作れないか試行錯誤していて、ほとんど似た味のものを作り上げていた。この村では「ホト」という粒の大きな穀物が主食になっていて、それから酒も醸造されている。その過程で使う麹のようなものとそのホトを使って作ったそうだ。

 ここに、私の狩ったブーグリの肉をくわえて完成となる。いろいろ足りないものはあったが概ね豚汁のようなものはできた。

「豚ずるだなあ」ジイヤが味見をしながら言う。私も隣に立ち同じように味見をし、もうほとんど豚汁であることを確認し、少し残念な気持ちが沸き上がってきた。ジイヤを見ると私と同じようで、どこか物悲しい表情を浮かべている。あの、地球に残した家族のことを語っていたときの顔と同じだ。

 「肉、保冷庫にしまってくるね」とだけいい、私はブーグリの肉を担ぎ、裏にある物置のようなところに保管しに行く。半透明のドアを開けると冷たい夜風が入り込んできて、振り返るとジイヤはまだ鍋の前で、小さな背中をこちらに向けているのだった。


 豚汁としては完璧に近い。

 逆にそれが悲しい。

 なぜならはじめ私たちが本当に作りたかったのは豚汁ではなかったからだ。

 芋煮。

 主に東北地方で、野外で大勢の人にふるまわれるそれは、ジイヤの故郷の味だった。

 しょうゆベースの出汁に、根菜と牛肉と豆腐と里芋。地域ごとに味付けは異なるが、ジイヤのいた山形では概ねそのような具と味付けだった。

 寒い秋口に皆で大鍋を囲み温まる。ジイヤは本当は芋煮が作りたかったのだ。皆にふるまうというので真っ先に思い付いた料理だったそうだ。しかし、豚汁に路線変更せざるを得ない事態になったのだ。

 私は保冷庫の前にたどり着くと、ドアを開け、中にブーグリ肉を放り込んだ。と、そのドアの内側部分に紙が貼られていて、それには「芋煮食材一覧」と書かれてある。

 にんじん、丸。大根、丸。ゴボウ、丸。しょうゆ、丸。酒、丸。牛肉、丸。ネギ、二重丸。こんにゃく、三角の上から丸。サトイモ、空欄。

 私はその紙をはがすと、きれいに折りたたんで上着のポケットに突っ込んだ。捨てるのではない。最後の空欄に丸を書き込みに行くと、夜闇の中私は決心した。


 翌日、朝早くから私はギリアと一緒に外出していた。

「クノン! サトイモってどんな食べ物なんだ!?」バッサバッサと羽ばたきながら眠い目をしたギリアが訊いてくる。

「ホクホクしてておいしい、一口サイズのイモ!」

「イモ……イモってなんだ!?」そこからだったか。

「植物の根とか茎とか……! とりあえず地中にできる栄養を蓄えてる部分!」

「なるほど! ジンデウリみたいなやつか!」ジンデウリとは例の猛毒ゴボウのことだ。ジンダで腹痛という意味である。普通に食べると腹痛どころではないのだが。

「まあ、そんな感じ!」

 私たちが向かっているのは例のここいらで一番文明が栄えているメニカンドという港湾都市だった。ジイヤも何年かここの学者に世話になったとか。

 大きな都市、それも貿易が盛んな港湾都市には当然いろいろな物資がやってくる。そこにサトイモのような食材がないか、探すのである。

 途中ギリアの休憩をはさみながら大体昼前には着くことができた。メニカンドは、海に面した斜面に多くの家が建っており、そのどれもが立方体に近い形をしている。しかし色は様々で、遠くから見るとモザイク画のように見える。港に近づくほど白く大きな建物が目立つ。中にはいろいろな会社が入っているらしい。

 私がここに来るのは初めてではなかった。一度、ギリアのお父さんにジイヤと一緒に乗せてもらい、私の猟銃を買いに来たことがある。ここに来た直後の話だったし、買うだけ買って帰ったので(ジイヤもギリアのお父さんもそのような性格だった)、あまり覚えていない。

 だが、ギリアは定期的に来るようで、いいガイドになってくれた。都市の前まで来ると、城壁のような壁があり、その入り口には銃を腰に携えた自警団の人がいた。詰め所に行って入行許可証をもらって初めて中に入ることができる。手続きは全部ギリアがやってくれた。あの手羽先で長いペンを器用に書く姿は割と様になっていた。どうやらここで学者にいろいろ教えてもらっているらしい。そういえば、あの猛毒巨大ゴボウもどきを無毒化する方法を教えてくれたのも彼だった。この前チキンと罵倒したのを少しだけ申し訳ないと思ったが「乙女に向かってブタというほうが悪い」が脳内議会では多数派だったので仕方ない。

 都市は活気にあふれていた。半馬人の女の子が二人組で見たこともない食べ物を手にもって歩いていたり、クマのように毛深い大柄な男の人が色とりどりの魚(形がずいぶん違うが魚特有の生臭いにおいがした)をうっていたり、猫耳のかわいらしい服を着た少女が街頭で歌ったりしている。電光掲示板のような大きな画面が大きな建物に設置されていて、かなり荒いドットで本日の気温と天気の予想を表示していた。

 市場を見て回ろうと思っていたのだが、帰る時間も含めるとあまり長居もできない。最悪一泊してもいいがギリアと泊まることになるのでなんか気まずい。ギリアが私に惚れているのは言うまでもないが、私の気持ちが決まっていなくて、まあ微妙な状態なのである。ということでギリアの提案で役所に来ていた。どのような物資が運び込まれたか一括で管理しているのだ。写真付きでそれを見ることができる。つるつるに磨かれた黒い石床に、きれいに研磨された透き通る木材で建物が作られていてまるで木造の国会議事堂のような建物だった。

 私はカウンターでレンタルした(有料)物資の写本を貸し会議室に持ち込み、サトイモに似たようなものはないか目を皿のようにして探していた。ギリアはというと、長時間飛行で疲れたのか買い込んだファストフードを食べ切り眠ってしまっている。でろんと舌が出ていてかわいい。

「むーん……」

 これといったものがなかなか見つからない。半分が何かの部品や服や雑貨のように食い物じゃないもの。穀物や野菜や海産物、それを加工した保存食……根菜のカテゴリーに属するものがまとまっていないので、ひもでとじられた分厚い冊子(野菜編)全三巻を一ページずつじっくり見ていくしかない。


 結局、根菜かつサトイモに近そうなものを三つにまで絞り込めた。そのページのコピーをとり、ふと外を見ると日が傾きかけている。やばい。ギリアとお泊りタイムリミットが近づいてきている。

 急いでギリアをたたき起こし(起こす前に少しだけ羽毛でモフモフした)、役所を出る。

 まず一件目。八百屋である。そこに売られていたピンポン玉大の赤い根菜『デガヴェア』を買い、その場で茹でて見る。

 路地裏にこもり背負ってきていた袋から水と小さい鍋と加熱器を取り出す。加熱器には吹き口がついており、それをくわえ七、八度ゆっくり息を吹き込むと加熱器自体がずっしり質量を帯び、上部が発熱しだす。そこに水を入れた鍋をセットし、沸いたらイモ(仮)をゆでるのである。

「そろそろいいんじゃないか?」

「そうだね、確かめてみましょう」私特製の透き通った箸を突き刺すと、さほど引っかからず向こう側まで貫通した。ゆであがったようである。イモをさらに取り出し、冷ます。

 八百屋の店主はニヤニヤしながらチャレンジャーだの言っていたが果たして味は……

「かっ! かっ! 辛い!」

「水! 水をくれ!」

 一件目、没。


 二件目、白いイモ『マリナブ』。生では刃物も通さないほど固いのに茹でるとドロドロに溶けてしまった。スープにするらしい。没。

 三件目、赤褐色のイモ『イーステラテンデ』。生の状態ですでにぶよぶよしていて嫌な予感がしたのだが、茹でるとある瞬間から急激に百倍くらいの大きさに膨れ上がり破裂した。私もギリアも少しの間放心状態だった。割と美味だったがサトイモとはかけ離れていたので没。


 黄昏時は過ぎてしまい、もう夜闇が迫ってきている。

 私はどうしたものかとうなだれ細い路地をとぼとぼと歩いていた。

「ここまで探してないならもうないんじゃねえか……?」

「うう……あきらめたくない……」

「じいさまのためだもんな。俺もお世話になったしできることならそのサトイモを食べさせてやりたいが……」

「うう……ん? ん?」すんすんと鼻をひくつかせる私。いいにおいがする。そういえば朝からサトイモモドキ以外何も食べてない。ぐうううううと尋常じゃない音量で腹も鳴った。

「そういやお前何も食べてなかったな……あの店か?」

 ギリアが指さした先には一軒の料亭。お泊りタイムリミットは差し迫っているがまだ大丈夫だろう。


「なににいたしますか?」大きな花の髪飾りをつけた、若い女将さんが接客してくれた。

「丸くて……一口大の大きさで、茹でるとホクホクしてて……そんなイモをください……」

「おいなに言ってんだクノン」

「だって……」

女将さんは意味不明な要求をされて戸惑ってるのかと思いきや何やら顎に手を当て思案していた。

「イモ……」どうやらそのワードが引っ掛かったようだ。ジイヤの前以外では基本的にこちらの言葉で話していたが、『イモ』だけ完全に『イモ』のまま発音していた。イモという言葉はこの世界にはない。

「ああすみません、イモっていうのは……」

「説明してどうするんだよ」

「一口大……それって『サトイモ』のような?」女将が信じられない単語を口にする。

「そうそうサトイモみたいな……」疲れ切った私は全力でスルーしてしまう。

「おいクノン……」ギリアは気付いたようだ。

「それならございますよ!」

「そうそうサトイモ……えっ!? サトイモえっ!? あるの!?」

 出されたサトイモの煮っ転がしは涙が出るほどおいしかった。


 数年前にその女将と料理長の夫婦は二人セットでこちらの世界に飛ばされてきたらしい。

 帰るのはさっさとあきらめて地球の料理をこちらで紹介しようと料亭を立ち上げてしまった。何ともたくましい。

 私とジイヤのように、この世界の食材で地球の料理を再現しようと日々奮闘しているそうだ。

「なかなか思った味にならないんですけど……サトイモは上手くいった部類ですね」と『サトイモの代用品』を見せてくれた。

「これは……」ラグビーボールにそっくりな形状の真っ黒な根菜らしきもの。ギリアが横でスンスンと鼻を鳴らして嗅いでいる。

「ノステウリ、という野菜です。一口大に丸くカットし茹でるとサトイモそっくりの味になります。ブーギュリの地下の住処でとれるようで、希少なんですが、事情も聞きましたし今回は特別にお譲りしようと思います」と女将。

 なるほど、あくまでも一口大の大きさの根菜にこだわってしまったせいで見落としてたのか……いや、どちらにしろ根菜では絞り切れなかっただろう。それより、

「ブーギュリって……」とギリア。

「ああ、ところによってはブーグリと発音しますね。どこかの村では角がプロポーズに使われるとか……」

 なんてこった。すぐ近くにあったんじゃないか。私は頭を抱えた。


 女将さんに代わりのノステウリをまた持ってくると約束して私たちは飛び立った。女将と料理長は店の外まで見送ってくれた。また次来るときはジイヤも連れてこよう。

 とにかく、食材はそろった。ポケットから例の紙を取り出し、サトイモの欄に丸を付けた。今からうちに帰って、芋煮の試作を作って、ジイヤに食べさせてやりたい。

 ステンドグラスのような色とりどりに光る町が遠のいてゆく。


 ぼんやりした白い世界だった。私の目の前にはジイヤがいる。あの、笑っているのか泣いているのかわからない顔。地球に残した家族のことを話した時に見せた、あの顔。豚汁が完成した時にもその顔してたね。

 その顔が、すうっと、変化した。なんというか、ちゃんとした笑顔に。ジイヤの手元に器が現れる。うちで使っている器だ。

「あんがとな」と、口が動いたような気がした。いやいやまだ芋煮食べてないでしょおじいちゃん。取り合えず食べなよ。それでお世話になってる村のみんなにふるまうんでしょ?

 もうジイヤは何も言わず、白い光の中へえっちらおっちら歩いて行った。その背中はいつもとは違ってしゃんとしててどこか満足げだった。


 見慣れた天井。またか。また寝てしまっていたのか。なんか嫌な夢だった。

 帰ってきて、すぐに芋煮をこしらえて、ジイヤが帰ってきてないのでとりあえず火を止めて……そこで寝たのか。

 我ながらいい出来の芋煮が完成したのだ。そうだ、ジイヤは帰ってきているだろうか。今からでも食べさせようか……喜ぶだろうな、ジイヤ。


 と、


「じいさま!? じいさま!? どうしたの? 起きて!」家に出入りしているミエタの声だ。人間の女の子で、私とジイヤとギリアの友達。その声が悲壮感にまみれている。

 嫌な汗が吹きでて私は飛び起きた。すぐにジイヤの寝床に向かう。

「あっ! クノン、じいさまが、じいさまが!」

 ミエタはそのかわいらしい顔を泣きそうにクシャっとゆがめて必死にジイヤをゆすっていた。傍らにはギリアが青ざめた顔で立っている。

 ジイヤはというと、安らかな顔をしてピクリとも動かない。

「俺が、じいさまがクノンの作った芋煮が食べたいっていうから、温めて食べさせたらうまいうまいって……食べ終わったらなんか眠るように……俺のせいなんだ」ギリアはぼろぼろと泣いていた。ミエタも顔がぐしゃぐしゃである。

「いや、ギリアのせいじゃないよ」私はキッとジイヤをにらむ。気付くと日本語で叫んでいた。

「ジイヤ、芋煮を村のみんなに食べさせるんじゃなかったの!? なに勝手に食べて一人で満足してるの!?」

 ああ、だめだ。視界がゆがむ。

「ねえ、今度はジイヤが作った芋煮食べさせてよ。みんなにふるまって、ジイヤの来た世界は食べ物がうまかったんだなあとか村長さん行ってくれると思うよ? そうだ、また地球から来た人見つけたよ。都市で料亭やってた。また行こうよ、ジイヤ」

 ゆっくり語り掛けるように言う。

「ねえ」

 ジイヤの布団に顔をうずめて、

「ジイヤ……死なないで……」

 その声は布団に、ジイヤの体に染み込んでいった。



 数日後、芋煮会は予定通り執り行われた。この村にも四季のようなものはあり、気温が下がり、木々の葉が黄色に染まるのである。

 そんな肌寒い空のもとで私は必死に食材を切っていた。なんせ芋煮と並行して豚汁も作っているのでてんてこ舞いである。ミエタもギリアもギリア父母も手伝ってくれていたが、なんせ量が多い。

 あの後、ブーグリの片割れを捕まえて透過能力で彼らの巣に潜りノステウリをたくさん掘ってきた。ノステウリは一度ふかし、皮をむき計量スプーンのような器具で丸くくりぬく。

 私は灰色の器具を取り出すと、吹き口から息を吹きこむ。吹き込んだ息でずっしりと質量を帯びて動く一連の機械は、中に小型の『嵐の魔法』が入っており、その強さを息で一時的に高めてエネルギーを取り出す仕組みになっている。呼気には水蒸気が含まれているが、それは魔素と呼ばれるものを帯びているそうだ。

 この器具は先についたプロペラで風を起こすものなのだが、流用して今回芋煮をかき混ぜるのに使う。なに、どこぞの日本最大の芋煮会なんてかき混ぜるのに大型重機使うそうだし問題ない。要はしっかり洗っていればいいのだ。

 ふーっ、ふーっと息を送り込む音が別のところからも聞こえる。鍋の下で加熱用の器具に息を送り込んでいる人物がひょこっと顔を出した。

「お嬢、ええぞ」

 ジイヤだった。


 あの夜、必死で語り掛け、ついに涙で喋ることもできずに私はジイヤの布団に顔をうずめていた。

「そんな……じいさまが」ミエタが泣き顔をさらにゆがめて泣き叫ぶ。

「じいさまああああしんじゃいやあああじいいさまああああ」

「じゃがますぃ!」

 ……鳩が豆鉄砲を食ったような顔とはこういう時に使うのだろう。

 それぐらい、みんなぽかんとして、私も布団から顔をあげて、ジイヤの方を見ていた。

「やれやれ」

 ジイヤは呆れたような、嬉しいような、そんな微妙な表情をしていた。

 泣いてるのか笑ってるのかわかんないような微妙な表情より全然いいよ、と私は言った。


「いやあ子供たちにピーピー泣かれておちおち死んでいられんかったですわ。はっは!」とジイヤは村長に『こちら』の言葉で話している。

 私は真相を知っている。こちらの世界の人間は、微妙に心臓の位置が違うのだ。ミエタはそれを知らずに心音がしないと、心臓が止まってしまったと大騒ぎしてしまったのだ。ミエタはまだ地球の年齢でいうと十二歳くらい。脈をとるなんて知らなかったのだろう。本当はジイヤは寝ていただけらしい。後で、ジイヤ本人から聞いた。

 起きるタイミングを逃したとか言っていたがそんなタイミングなんて見計らってないでさっさと起きろよクソジジイ。

 例のかき混ぜる器具に十四回目の息を吹き込んだところで器具の重さが尋常じゃなくなり、おろおろとよろけてしまう。が、後ろから誰かがしっかり支えてくれた。見覚えのある手羽先。羽が鍋に入ったら台無しだと遠ざけておいたのにこいつ……まあいいか。

「よーし! かませー!」ジイヤが機嫌よく支持をだす。私ははいはいといった感じでトリガーを引く。多分、今私はあの時のジイヤと同じような顔をしているのだろう。


 呆れたような、嬉しいような、そんな微妙な顔。

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椎葉幻影 まいにくん @macgalme

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